第25話
期末テストまで、残り一週間を切っていた。
七夕と言うイベントには誰も興味を示さず、四限授業に切り替わった事で、誰もが早々に帰宅の支度をしていた。勿論、私もその一人なのだが、例外も存在する訳で……。
顔はカバンに向けたまま、視線だけを前へ向けると、その例外達は何か揉めているようだった。
「小深は、わたしと帰る」
「違う、小深はあたし達と帰るのよ」
「そうです。私達と一緒に帰るのがお嫌なら、おひとりで帰るべきでは?」
「まぁまぁ〜」
視線を手元のカバンへ戻し、静かにため息を吐く。それもその筈、その例外が全員私の友達だったのだ。
そもそも、みんなは私と帰り道が違うんだから、揉める必要もないと思うんだけどな。
清水が宣戦布告してからと言うもの、千早と唯華は清水と張り合うようになってしまった。
「わたしは、小深とデートに行く約束、してる」
「なッ!? それなら私達だってこれから勉強会をしますが」
「えっ、そうだったけ? あたし今日無理なんだけど」
「唯華さん、とりあえず合わせてください!」
いつの間にか、私の知らない約束が二つもでっち上げられていた。
どちらかに行くしかないのなら、勉強会一択なんだけど、あの中へ放り込まれた私が、板挟みになりどうなるのかは目に見えていた。
……よし、帰ろう!
まだ終わる気配はないし、ばれないようにクラスメイトに混ざって、教室からそそくさと撤退する。
「あの三人、仲良くできないものかな」
まぁ元はと言えば清水が原因なので、彼女をグループに入れた私が千早達に仲良くしてとは言い難いものがある。
それにしても、清水って私以外にだと結構ハキハキ喋れるんだよなぁ。いつもたどたどしく話す清水とは違って少し新鮮だった。
帰ったらまたテスト勉強かと思うと憂鬱だな。そんな事を考えながら靴を履き替えていると、背中へ弾力のある柔らかな感触と共に視界が暗く覆われてしまう。
「だ〜れだ?」
そんな穏やかで甘い声が耳元で囁かれる。
目を塞がれた手から、ほのかに香る白桃の甘い香りが鼻腔をくすぐった。
私にこんなイタズラをするのは、二人しか思い浮かばす、背中に押し付けられた感触からも特定は容易だった。
「小塩でしょ」
「せいか〜い!」
視界が明るくなり振り向くと、大きな眼鏡が特徴的な小塩は小悪魔っぽく笑っていた。
千早とはまた少し違った悠長さがあり、マイペースと言うか、ふわふわとした空気を纏った彼女は、こう見えても稀に毒舌を吐いたりする。被害者は主に唯華なんだけど。
「小塩だけ? あの三人は?」
「小深ちゃんの逃げる姿が見えたから置いてきた〜」
暗に三人には言わなかったと言っている様なものだった。
私の心情を察してか、仲裁役が面倒になったのかは分からないけれど、ありがたい事だ。
「それにしても、小塩って清水には敵対心持たれてないよね? なんで?」
「分かんない。あれかな、小深ちゃんへのラブ度の違い?」
「ラブ度って……」
言い換えると嫉妬心になるで会っているのだろうか。
曖昧に笑うと、小塩がハッとし、器用に手と首を同時に振った。
「この言い方だと、うちが小深ちゃんラブじゃないみたいだ……ごめんね〜、ちゃんとラブだよ〜!」
「別に気にしてないから。多分だけど、清水ってちょっと? 嫉妬深そうだし、二人きりで遊んだ相手を敵認定してるのかも」
実際、唯華を敵視しているのも、私が唯華と二人きりで遊んだ事を清水が耳にしたからだ。
でも千早とお茶した事は言ってなかったよね。じゃあ何で千早も敵視されてるんだろう。
考察する程でもない事に頭を使っていて、ふと視界に映る小塩を目にし、足を止める。
「どうしたの小深ちゃん?」
同じく歩みを止める小塩は、不思議そうに私を見る。
「どうしたのって……小塩、帰り道違うよね?」
西門を出た所で何故か、正門から帰るはずの小塩が隣を歩いている事に気が付いたけれど、小塩は間違えた訳ではないようだった。
「そうだよ〜」
「そうだよって、電車通学なのにこっちからじゃ遠回りになるよ」
「問題ないない。それに――」
そう一呼吸置き、小塩は私の腕に手を回す。
「うちも、二人みたいに小深ちゃんと遊びたくなっちゃった〜」
あははと朗らかに笑う小塩は、とって付け加えたみたいな理由で、私と遊ぶと言い出してしまった。
勉強したい私の考えなんて露知らず、小塩に連れられるがまま歩き出した。
「あずき抹茶白玉ひとつ〜、小深ちゃんは?」
「えっと、じゃあクリームキャラメルで」
小塩に連れてこられたのは、帰宅途中にあるクマのイラストが描かれたクレープ屋だった。
千早と行ったカフェもこの近くだったな。主要道路沿いに店が出来るのは当然だけど、学校周辺は寄り道を誘惑する店が多い気がする。
学校から徒歩五分圏内にはマクド、コンビニ、弁当チェーン店が二店舗。スーパーも完備と潤い過ぎている。
とは言え、安さが売りの購買があると、学外に昼食を買いに行く生徒自体あまり見なかったりする。
「はい、クレープ二つ」
若い店員さんからクマのクッキーが添えられたクレープを受け取り、席に座ると小塩が私のクレープを凝視していた。
「食べる?」
「いいのぉ!」
まだ口を付けていなかったので、小塩の方へクレープを近付けると、パクリと頬ばった。
「んま〜い! 安定で抹茶を選びがちだけど、キャラメルも良いよね〜。じゃあ、はい」
そう言って差し出されたのは、小塩のあずき抹茶白玉クレープだった。
別にいらないんだけど……純粋無垢な笑顔で差し出されたクレープを突き返す事ができず、私も一口パクリ。
口の中に濃い抹茶の風味が広がり、アンコの甘さと粒あんの食感が抹茶の良さを引き出していた。
「抹茶もいけるね。アンコとクリームが合う」
「でしょでしょ。抹茶は最強なの〜」
毒気を抜かれる満面の笑みに、私も食が進むというものだ。
半分ほどクレープを満喫したところで、私は食べる手を止め、小塩に疑問をぶつける。
「それで、どうしたの急に?」
以前、千早にも似たような事を言った気がする。
その時とは違い、質問を投げかけるに至る確証はないけれど、小塩にこうして誘われたのは初めてで、警戒とまでは言わないものの、その理由が気になってしまう。
「どうしたのって?」
「いや、私と二人きりなんて珍しいから、何か悩みとか相談でもあるのかなって」
私達は互いに踏み込まない。その暗黙の了解があるから成り立っている部分がある。
だからこそ、きょとんとした無垢なその表情の奥に、何を秘めているのか気になって仕方ないのだ。
そんな私の懐疑心を知る由もない小塩は、私の質問に、屈託なく否定する。
「全然、うちだけ仲間外れは嫌だな〜って思っただけだよ。小深ちゃんは優しいね〜」
優しさで言った訳じゃない。肯定も否定もせず、愛想笑いで相槌を打つと、小塩は続けた。
「でもね――その優しさは不安の裏返しなのよ」
「っ……」
思わず息を呑んだ。心を読まれた? そんな有り得ない妄言を口にしかける程に、動揺した私へ小塩は笑う。
「えへへ、これ昨日読んだ漫画で言ってたから、つい言ってみたくなっちゃった」
「えっ、あぁ……そうなん、だ」
そうは言ったものの、私の不安は拭いきれていない。
小塩の言葉の真偽なんて分かるはずもない。だから私は、つい試す様な言葉を口にしてしまう。
「その漫画ってどんなやつなの?」
もしその漫画が存在しなければ、小塩との空気は気まずくなるどころではない。
しかし、私が問いかけた途端、小塩は目を輝かせた。
「えーーっ!? 小深ちゃん! 興味! あるの!? 漫画とか興味あったっけ? こ、これは布教のチャンス……なのでは〜!?」
「おぉう」
予想の斜め上の反応に私は少し引いてしまう。
前のめりになった小塩は、カバンから一冊の本を取り出した。
「じゃじゃ〜ん! 「異世界転生OLお姉さん、違法ロリ魔王とキャッキャウフフなスローライフを送りますー魔族の成人年齢は十歳なので合法ですー」だよ〜」
「ん? 異世界……なに?」
普段耳にしないような言語が早口で流れてきて、聞き取れなかった。
日本人同士なのにおかしいな……今度は聞き逃さない様にしっかりと耳を傾けた。
「えっと、「異世界OLお姉さん、違法ロリ魔王とキャッキャウフフなスローライフを送りますー魔族の成人年齢は十歳なので合法ですー」だよ〜」
うん、やっぱり分かんないや。
そう言えば、あんまり話題に上がる事がなかったけれど、小塩がオタクだった事を思い出す。
「その何だっけ、異世界お姉さん――」
「「異世界OLお姉さん、違法ロリとキャッキャウフフなスローライフを送りますー魔族の成人年齢は十歳なので合法です」だよ。略しておねロリ!」
略称があるなら最初から言ってほしい。いや、言われても困る事に変わりはないんだけど。
それに、言い間違える度にタイトルを復唱されるのもちょっと圧が強くて……。
私は疑心感によって、パンドラの箱を開けてしまったのかもしれない。
「それで、そのおねロリ? って漫画は……あー内容はいいや、小塩が言ってたのってどのシーンなの?」
「えーっとねぇ、主人公の女勇者が仲間を捨てて、魔王の娘と共に世界を股にかける逃避行をするんだけど、接している内に心惹かれた勇者が魔王の娘に恋をして、魔王の娘はその感情を理解できず、優しく接する勇者へこう言うの「世界を敵に回した勇者の味方は私一人。私に裏切られない為に必死なだけ。だからその優しさは不安の裏返しなのよ」って!」
当該のページを開き、手渡されたページには確かにそう描いてあった。
早口過ぎて、内容はあまり頭に入らなかったけれど、小塩の言葉に嘘はなかったのだと分かり、ようやく私の懐疑心はなりを潜めた。
「ありがとう。もういいよ」
「え〜、まだ関係性の話もできてないのに……」
「やっぱり漫画ってよく分かんなくて。感情移入があんまりできないんだよね」
「残念、布教失敗だ〜。でも気にはなってくれた?」
「まぁ程々かな」
残念そうに肩を落とした小塩へ、漫画を返そうと手を伸ばすと、突如伸びてきた手に漫画を奪い取られてしまう。
「私は気になりますね。小深と小塩さんが一緒にクレープ屋にいる理由ですが」
声の主は明らかに私達の知り合いだった。
「わぁ〜汐ちゃんだ〜!」
小塩が楽しげに、その人物の名を呼ぶ。そう、私の幼馴染の汐ノ宮千早、その人だ。
「わー、奇遇だねー」
「ふふふ、そう思いますか?」
奇遇じゃなかったらなんなんだろう。目が笑ってない、怖いなぁ。
「全く、小塩さんの姿もないのでまさかとは思いましたが、黙って密会してるとは油断も隙もありませんね」
「報告したら密会ではないのでは? 密会のつもりもなかったけど」
「小塩さんに言っているんです。唯華さんといい会法をなんだと思っているのでしょうか……それに何ですか、これ?」
やれやれと肩を竦めた千早は、私の手から強奪した漫画をまじまじと目にする。
「「異世界OLお姉さん、違法ロリ魔王とキャッキャウフフなスローライフを送りますー魔族の成人年齢は十歳なので合法ですー」不思議なタイトルの漫画ですが、これを小深が……?」
何故かタイトルを声に出し読み上げ、私の漫画だと勘違いしたままの千早はパラパラと漫画に目を通し始める。
「小塩、ちょっと聞きたいんだけど」
「なぁに?」
嫌な予感と言うのは当たるものだ。今まで気付かなかったけれど、表紙の端に描かれた十八禁の文字を目にし、恐る恐る口にする。
「あれってその、えっちな漫画だったりする?」
「あ〜……アハっ」
ニコッ! そんな効果音が付きそうな笑みを私に向けた事で、私は全てを悟った。
「こ、ここ小深! な、なんですかコレは!? こんなの、は、破廉恥です! それも女性同士でこんな……ッ!」
冷静沈着、大和なでしこ。そう称される千早はみるみると顔を真っ赤に染めていく。
それは怒りか羞恥によるものか。それでも漫画を捲る手が止まらない千早に、私は身の潔白を訴えた。
「それ、私のじゃないです……」
信じてくれるといいなぁ。そう願いながら、面倒な事になってしまったと、パンドラの箱を開けた事を後悔したのだった。
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