第26話
何故か千早に説教される事になり、解散した頃には三時を過ぎ、最終的に小塩が誤解を解いてくれたものの、私の心はすっかり枯れてしまっていた。
誤解を生むような事を率先してやっていないのに、どうしてこうも疑われるのか。日頃の行いが悪いのだろうか?
帰って勉強する気も起きず、気分転換にお風呂にでも入ろう。そう思って家が見えてきた時、電信柱の陰から見知った顔が、我が家を覗いていた。
小中学生と言われれば納得できる背丈で、メッシュの入ったボブカットの少女の名は……。
「……何してるの?」
「ミャッ!?」
「うわっ!?」
後ろから声を掛けると、驚いた清水の声につられて私も驚いてしまう。
尻餅をついた清水に手を貸し、引き上げると気まずそうに愛想笑いを浮かべた。
「ありがとう……えっと、偶然だね?」
「いや、君は間違いなく必然だよ」
わざとらしく目を逸らしたものの、すぐに私の顔色を窺う為に、視線をこちらに戻す。
相変わらず制服姿の清水だったけれど、一体いつからここに居たんだろうか。
「まさかとは思うけど、学校終わってからずっとここに居たの?」
「えっと……小深、メールに返信ない、から」
「まじかぁ」
否定しないと言う事は、本当にずっとここに居たらしい。千早とは違った行動力に恐怖すら覚えてしまう。もはや不審者と言っても過言ではない。
スマホを確認すると、清水からメールが三件来ていたので念の為に開いてみると。
『どこにいますか?』
『わたしとは違う友達と遊んでますか?』
『寂しいです。返事くれたら嬉しいです』
こんなメールが一時間おきに来ていた。
炎天下の中、ずっとこんな所にいたとしたら、また熱中症になっていてもおかしくない。
「呼び鈴鳴らさなかったの? 一応、お姉ちゃんがいると思うんだけど」
「誰も、出なかった……」
こんな時に限って、ちゃんと大学に行っている姉を恨めしく思う。これは八つ当たりみたいなものだけど。
「小深、怒って、る?」
「どう見える?」
「怒ってる……」
意地悪な言い方なのは自覚している。でも心を鬼にしないと、清水はまた同じ事をするだろう。
「怒っては、ない。けど家の前で熱中症になって倒れられると困るから辞めてほしいとは思ってる」
「うぅ……ごめんなさい」
しょぼんと気落ちした清水を見下ろしながら、私は清水をどう帰らせるか頭をフル回転させていた。
きっと清水は、なし崩し的に家に上がり込もうと考えている筈だ。でも今日はもう清水を相手にする元気は私にはない。
そんな私に取れる選択肢は一つ。
「……それじゃあ、また明日学校でね!」
「えっ……」
まともに相手にしないことだった。
ここ最近、私は清水に少し甘い気がしている。
背中に視線を感じるけれど、気にせず私は玄関の鍵を開ける。
「おや、お嬢さん、まだ居たのかい? お水はちゃんと飲んだかい?」
「あ、はい。お水、ありがとうございました」
「最悪だ……」
背後から聞こえる清水とお隣さんの会話に、私は踵を返す。
「あっどうも〜。ほら清水、家入るよ」
「えっ、入っていいの?」
「あはは〜当然じゃないか〜」
お隣さんに軽く会釈をし、清水の手を引き、家に入った。
私が友達を何時間も放ったらかしにして、家の外で待たせていたなんて噂が立ったら、母になんて言われるか……。
今日はとことん運が悪いと思う事にしよう。
「えと、お邪魔します」
「はい、どうぞ。前に来たから私の部屋分かるよね?」
「わかる、と思う」
「じゃあ飲み物とか用意するから、部屋で待ってて」
階段を上がっていく清水を見送り、リビングに入ると、姉の脱皮の形跡が床に散乱していた。
「本当に大学行ったんだ」
この春、二回生になった姉は、どうやら可愛がる後輩が出来たらしく、去年に比べると大学に行く頻度が増えた気がする。
大学生には単位の問題もあるから良い傾向だとしても、酔っ払って後輩に家まで送ってきてもらう流れはそろそろ改善してほしいものだ。
「何かあったかな、来客用のお菓子なんて洒落た物はないしなぁ」
私も姉も、家に人を招く事はない。母に至っては当人が家にいないのだからそれ以前の話だ。
だから、この家には来客用の物はお茶請けどころか食器の一つも用意されていない。清水に渡したカフェオレも、私の物だった。
冷蔵庫を漁ったものの緑茶と牛乳さかなく、飲み物は緑茶でいいとして、お茶請けは本当にろくな物がなかった。
「まぁ、これでいっか」
姉がよく買ってくる、喫茶店でドリンクを頼むと必ず付属する豆菓子の袋を手に取った。
バレたら怒られるだろうけど、ものぐさな姉が大容量パックのお菓子の個数を一々数えている訳がないので杞憂にすらない。
緑茶のペットボトル、豆菓子、紙コップを手に、部屋へと向かう。
「おまたせー」
「ヒャウ!!」
部屋の扉を開けると、清水が変な叫び声を上げ、飛び跳ねていた。
その後、何食わぬ顔で正座するものの、怪しさしかない。この前も似たような事があったな。
「何か変な事してた?」
「ナニモ、シテマセン」
「怪しいなぁ」
軽く部屋を見渡した限りだと、何も変化はなさそうだけど、明らかに動揺しているのも事実で……。
「まぁいいや。はいお茶、あとお菓子」
「あ、ありがとう」
クーラーを付け、豆菓子を手にベッドに腰を下ろすと、清水は徐に立ち上がると私の隣に座り直した。
「えと、前にいいって言ってた、から……」
目が泳ぐとはよく聞くけど、本当に目って泳ぐんだ。清水の上下左右に動く目に、少し感動する。
「んー、変な事しないならいいよ」
「し、しない! と、思う」
「いや、それは自信持って言ってよ」
こんなに小さいのに、清水は私なんかより力がある。いつ爆発するか分からない不発弾を隣に置いている気になるけれど、清水の中にある「次はない」の安全装置が働いているようだった。
両手を祈る様に合わせて、目をぎゅっと瞑る清水は姿はまるで、修行をしているみたい……な。
「清水、もしかしてなんだけど……」
気付くべきではなかった。清水が修行しに寺に行った理由が全然分からなかったけど、そうと思うと辻褄が合ってしまう。
「修行に行った理由って、私が関係してる?」
「い、言わないと、ダメ?」
「ダメじゃないと思う?」
顔を覗き込むと、照れた様に顔を赤くしてそっぽを向く清水に、私はいま危ない事をしている自覚はあった。
「ほら、早く」
「うぅ、実はその、関係あり、まふ」
「やっぱりそうなんだ」
その言葉だけで、予想は確信に至ってしまう。
清水が座禅をしに修行をした理由は私にある。
清水が休み始めた前日にあった事と言えば、私の家に押し入って、今みたいな状況になった途端に帰ってしまった事くらいだ。
だとすれば、やはり清水は――
「清水って私の事、性的な目で見てるの?」
「せッ!? な、なな、ウッ、ゲホッゴホッ」
「ちょ、大丈夫!? ほら、お茶飲んで」
直球過ぎたのか、むせて咳き込んでしまう清水にお茶を渡すと、一気に飲み干してしまった。
「はぁはぁ、驚いと死ぬかと、思った……」
涙目になった清水は、少し恨めしそうに私を見る。
「ごめんって。聞き方が悪かったって思ってるよ」
「小深はいじわる」
今回はそんなつもりじゃなかったんだけどな。
でも、他になんて聞けばいいのだろうか。遠回しに聞くのも回りくどい気がするし、うーん。
「清水って私のどこを好きになったの? やっぱり顔?」
話した事もないのに好きになったのなら、間違いなく外見しかないだろう。逆に性格とか言われても信用できないし。
「顔もそうだけど、小深の全部が、好き」
「全部は信ぴょう性が低いから却下かな。外見か内面かで言えば?」
「え……じゃあ、外見?」
少し困惑する様子を見せる清水だったが、漠然と聞くよりも、消去法で絞っていく方が効率的だ。
「ほうほう、じゃあ外見で一番好きなのは?」
「外見……んーーーーぅ。決められない、小深の全部が好きなのに……」
「悪い気はしないけど、決め手に欠けるなぁ」
強ち、外見に限りだけど、清水の言う全部が好きというのは本当だと信じてもいいかもしれない。
外見を褒められるのは嫌いじゃないので、誰であっても少しは嬉しくなるものだし。
「じゃあ、唇以外で清水が私にキスするならどこにしたい?」
「ききき、キス……え、その、うぅ」
真っ赤になる清水を見て、私は内心楽しくなっていた。
修行の成果は、ロッカーてのキス未遂でなかったものと思っているけれど、今の清水は私に変な事をしない確信があった。
目を泳がせながら、考える素振りを見せた清水は、ゆっくりと私の指へ人差し指を向ける。
「その、指がいいな、って」
清水は頬を赤くし、私から目を背ける。
「ふーん、なんか……えっちだね」
「ちがっ……」
正直、おでこや頬と言った、唇に近い所かなと思っていたけれど、どうやら清水には唇の次に、この指が魅力的に見えるらしい。
保湿やマッサージ、爪の手入れもしてはいるけど、私から見ればネイル等はしていないシンプルな手だった。
冷房が効いた部屋で、頭から湯気が出そうになっている清水を見て、私の悪戯心が踊り出してしまう。
「清水、はい」
私は右手を上げ、清水の顔の前に手の甲を向ける。
「キスしていいよ」
「…………えぁ」
どこから出したのか分からない声を呟くと、清水の思考が停止したのか、動かなくなってしまう。あーあ、壊れちゃった。
少し攻め過ぎたかなと思ったけれど、その反応は私の満足感を満たしてくれる。
からかっている様で申し訳ないけど、嘘を言ったつもりはない。
豆菓子を食べて待っていると、意識が戻ったのか、清水は私の顔と手を交互に見比べ、口を開く。
「本当に、いいの……?」
泣きそうな震える声で、縋るように私に問い掛ける。
「いいよ」
望まれた手を、ゆっくりと差し出す。
生唾を飲み込む清水に、やはり修行の成果がないじゃないかと心の中で笑ってしまう。
あとは、清水が私の指にキスをするだけ。でもそう簡単に終わらせないと、私は悪戯っぽく笑みを浮かべる。
「では、ここで清水には選択肢が二つ与えられます」
「選択肢?」
私の手を名残惜しそうに見詰め、視線を私に戻した所で話を続ける。
「今ここで、私の指にキスするか。キスを諦めて私とお出掛けするか――」
「お出掛け! わたし、小深とデートしたい!」
「おぉう」
そんな即答されるとは思ってもいなかったので、面食らってしまう。
キスかお出掛けかで悩む清水の顔を、眺めて楽しみたかったのだけど、無邪気にデートだと喜ぶ清水の顔に、すっかり毒気が抜かれてしまう。
「じゃあ、お出掛けしよっか」
どの道、誤解を解いてくれたお礼として遊びに行くつもりだった。
気まぐれではあったけれど、遊びに行く代わりなら、指にだったらキスされても困る事はなかった。
でも結果的に、性欲に打ち勝ち、私と遊びに行きたいと喜んでくれているのだから、彼女の気持ちで遊んでしまった事を少なからず反省する。
「じゃあ、夏休みに入ったらどこか行こっか。予定は……まぁ清水が好きに決めていいよ」
「わたしが……? うん、がんばる……!」
隣で顔を真っ赤に染める清水はもういない。私とデートだと目を輝かせる清水へ、私はやっぱり面白い生き物だなと、口角が上がってしまっていた。
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