第20話
放課後の帰り道、私は一人、ショーケースに並ぶケーキを吟味している。
何故一人なのかと言うと、同じ目的地だから一緒に帰ろうと思っていた清水は、帰りの支度をしている間に教室から姿を消していた。
小さい子供は目を離した隙にいなくなるとは言うけれど、清水もそれに該当するのかもしれない。
そんな清水ちゃんは、どのケーキが好きなんだろうか。
微妙な時間帯という事もあって、残っているケーキの種類はさほど多くはない。
定番のショートケーキも既に売り切れてしまっていた。
お礼を兼ねた打ち上げだから、清水の好きなケーキを選びたいところだけど、清水が何を好きかなんて私は知らない。
「安定で言えばザッハトルテとかロールケーキなんだけど」
その他はバスクチーズケーキ、桃のタルト、モンブランにティラミス、プリンやシュークリームもある。
目を惹かれるスイーツ達の中に、ひときわ存在感を放つホールケーキがショーケースの端に置かれている。
あのくらいのサイズなら二人で食べきれない事はないだろうし。この時間ならまだ清水母もいるだろう。
普段なら絶対にホールケーキを買う選択肢なんてなかっただろう。しかし、今はお財布が潤っている事もあって、欲が理性の壁を乗り越えるのは容易い事だった。
「あの、季節のホールケーキを一つお願いします」
ホールケーキを食べてみたかったという欲求に負けてしまっただけで、決して考えるのが面倒になった訳ではない。
それにホール食いは全女子の夢でもあるから、きっと清水も喜んでくれるだろう。
マンションに着いた私は、呼び鈴を鳴らす。
一回目で室内からドタドタと足音がするので、今回は何度も鳴らす必要はなさそうだった。
「い、いらっしゃ、ませ!」
まるでバイトを始めたばかりのアルバイトみたいなお出迎えだった。
「いらっしゃいましたよ」
「ど、どうぞどうぞ」
招かれて家に入ると、通されたのはリビングだった。
「あれ、清水の部屋じゃないの?」
「部屋はまだ早い……というか恥ずかしい、ので」
いやもう入った事あるんだけどな。それに君のあられもない姿も見たんですよ、とは言わずに「そうなんだ」と相槌を打つ。
どうやら看病された事を覚えてないようなので、私も敢えてそこには触れない事にした。
「冷蔵庫借りていい?」
「いいけど……それ、は?」
私の言葉でようやく手に提げた物に気付いたのか、清水は首を傾げる。
「ふふふ、これは清水へのプレゼントだよ」
「プレゼント? 小深がわたしに……?」
そう言うと、目を輝かせた清水は、おもむろにケーキの箱に手を伸ばした。
「これ、開けて……いいの?」
清水母の姿が見えないし、帰ってきた時に出そうと思っていたけど、クリスマスの朝、枕元にあったプレゼントを目にした子供みたいで思わず笑ってしまう。
「ふふっ、大した物じゃないけど見たかったらどうぞ」
許しを得た少女は、包みを開き、感嘆の声を上げる。
「小深、これってケーキ……! で、でもどうして? わたし、誕生日じゃないけど」
「誤解を解いてくれたお礼、かな」
「お礼……でも小深に迷惑かけたの、原因はわたしにある、し」
「まぁそれはそう」
「うぅ……ごめんなさい」
身振り手振りが激しく、表情をコロコロと変える清水が面白く、遊び心がくすぐられる。
「あ、そう言えば、先生達なにも知らなかった。小深はどうして何も言わなかった、の?」
「特に理由はないけど。誰だって勝手に秘密をバラされるのは嫌でしょ?」
庇っていると感じているのか、私の答えに納得できていない清水の表情は曇ったままだ。
「別に清水の為に黙ってた訳じゃないよ。寺で修行してた理由はよく分かんないけど、清水が熱中症になった理由は私も言いたくなかったし……」
「えっ……」
私の言葉に、清水の髪と瞳が揺れる。
「い、言っちゃった……」
「言っちゃった? えっと何を?」
そう聞き返したけれど、話の流れから察する事はできた。嫌な予感はやはり当たる。
「小深にキス、しようとした事……」
「おぉう、ちなみに誰が知ってるの?」
「小田巻先生と太い先生、詳しく話したの、松笠先生だけだけど」
イジメ問題は解決したのに、最低で三人も、不純同性交友の疑いを持たれてしまった訳か……。
「小深がせっかく黙っていてくれたのに、早く誤解を解かなきゃ「次はない」って思ったら、全部言ってた……」
「別に責めてるわけじゃないけど。あとその次はないって何?」
「え、小深からのメモ……次に迷惑かけたら友達じゃなくなるって」
清水が取り出したのは、私が書き置きしたメモだった。
どうしてまだ持ってるのか不思議だったけれど、それ以上に、私も謝らなければいけないと感じた。
「その次はないって言うのは、また勝手にキスしようとしたら本気で怒るよって意味で、脅し文句で書いた訳じゃなかったんだけどね」
「って事は……まだ友達で、いれるの?」
やっと清水の顔が晴れた。ゆらゆらと揺れる清水の瞳は、私の言葉を待っている。
「そうだね。言葉足らずで清水を追い詰めてたみたいだし。ごめんね、清水」
朝から受け続けた謝罪を思い返しながら、清水に頭を下げた。
そもそも松笠から証拠として、メモを見せられた時に、清水もそう感じている可能性があると考えるべきだったんだ。
他人に興味のない私は、そこまで考えが至らなかった。いや、考えようとすらしていなかった。
理由はどうであれ、友達になると約束したんだからもっと向き合うべきだったんだ。
「清水……?」
頭を下げたものの反応がなく、姿勢を戻すと目の前の光景にギョッとした。
清水は、直立不動のまま目からポロポロと涙を零していた。
「よがった、わた、じ……小深にどう謝るか、ずっと、悩ん、でて不安で、友達やめるって、言われたら……どうしよぉ、って」
「ちょ、ちょっと泣かないでよ」
泣かれてしまうと、どうしたらいいのか分からず困ってしまう。
大袈裟だなぁって思うけど、清水にとったら私と友達でいれるかは、とても大切な事なんだと彼女の綴る言葉から伝わってくる。
大粒の涙を流しながらも、清水の瞳はずっと私を捉えている。
顔を背けたくなるくらい、真っ直ぐな視線に背筋がむず痒くなる。
校舎裏に呼び出された時も、髪を切った時もいつだって清水は、私だけを見ていた。
「眩しいなぁ」
そんな言葉が、無意識に私の口から呟かれていた。
何が眩しく感じたんだろう。リビングに差し込む夕日? それに照らされる清水の涙? どれも……違う。
まるで太陽を追い続ける向日葵の様に、 愚直に私を映す、彼女の瞳にそう感じたんだ。
視線が交差する、もう遮る前髪はない。言葉はなく、清水の頬が上気していく。
私がキスしよう。そう言葉にするだけで、清水はそれに応えるだろう。だけど、私が清水に向ける感情は依然として、子猫に向けるような感情に近かった。
だから――
「やっぱり……小深の事が、好き。友達よりも恋人に、なりたい。わたしと、付き合ってくれません、か……?」
大切な気持ちに溢れる二度目の告白を断らなければいけない事に、心が痛かった。
「ごめん。清水の事は友達としか見れない」
「……し、ってたよ」
また号泣すると思ったけれど、清水は涙で濡らした顔で笑っていた。
「だって、わたしは小深の友達、だから」
あぁ、やっぱり眩しいや。私はもう、清水の顔を直視できていなかった。
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