第15話

 これはバチが当たったんだと思う。

 わたしの体温は38.4度、そう体温計が示していた。間違いなく風邪だった。


「熱、上がってる……」


 湯冷めしたのか、慣れない会話をしたのか、全ては小深を求めた結果、バチが当たったのかもしれない。

 朝はまだ体調が悪いと感じる程度だったのに、寝て起きたら悪化しているなんて……。

 買い溜めなんてしないので、薬はおろか、食料もなにもない。

 見上げる天井は、いつもよりも高い気がして、孤独さが顔をチラつかせる。

 小深は今、何をしてるんだろう。一番初めに頭に浮かんだ彼女の像に、嬉しくなると同時に、わたしに興味がなさそうに他の友達と喋っている彼女を想像し、悲しくなる。情緒不安定だ。

 デジタル時計は十二時と表示していて、ここでようやくお昼時なのだと把握する。


「お見舞い、来てほしい、な」


 わたしの知る脳内小深は来ないと言っている。

 同じクラスになってから、ずっと見ていた彼女は少し、面倒くさがりな一面があった。

 学校をサボったり遅刻したり、そんな事で小深と今日は会えるのかと一喜一憂する自分がいたのを思い出す。

 誰に対しても優しいけど、どこか一線を引いてる。それはあの三人に対してもきっと同じだと、わたしの直感がそう訴えかけている。

 そんな印象を与える、わたしの友達であり、想い人。小深はわたしにだって一線、いいや二線くらい引いててもおかしくない。

 でもいいんだ。それでも、わたしと友達になると言ってくれた事が何よりも嬉しいから。


加賀田かがたさんに薬とか頼も……」


 妄想ですらも、お見舞いに来てくれない小深へ寂しさを感じながら、スマホを開くと、メールが一件来ていた事に気が付いた。

 わたしにメールをしてくる人物なんて、たった一人しか思い浮かばす、急いでメールを開くと予想通り、そこには小深の文字が表示されている。


「小深からメール……! お、お見舞い!? こんな格好じゃ、ダメ。制服……あ、その前に鍵、開けなきゃ」


 妄想ですらお見舞いに来てくれなかったのに、現実の小深からのメールに心が沸き立つ。


「はっ!? もしかしてまだ、夢なのかも」


 頬をつねろうとした手を、すんでのところで止める。

 小深が果たして、わたしの為にお見舞いに来るなんて言うだろうか?


「小深がお見舞いに来てくれるなら、夢でもいいや」


 別に現実じゃなくても構わない。幸せな夢で溺れる事ができるなら、わたしは迷わず夢を選ぶ事にする。

 ベッドから立とうとすると、足元がふらつき、ベッドに尻もちをついてしまう。

 熱が高いと、汗もすごい。自分が思っているよりも重症なのかもしれない。

 だけどそれは、扉の鍵を開けに行けない理由にはなりえない。

 視界がぼやける。覚束ない足取りで、なんとか玄関まで辿り着く。

 普通に歩けば三十秒とかからない距離なのに、随分時間がかかった気がする。

 鍵のロックを外した事を確認して、あとは部屋に戻るだけ。しかし、その道のりは果てしなく遠く感じ、やけに廊下はやけに寒く感じる。

 さっきまではあんなに暑かったのに。手をついて壁伝いに歩くのが精一杯だった。


「っあ……」


 一瞬、意識が飛んだのか、意識した時には床に倒れているのだと理解した。

 もう立ち上がる気力も這う力もなかったけど、沈んでいく意識の中で、わたしは小深の姿を見た気がした。


 ーーーーーー


 私は家族友人含めて、よく淡白な性格だと言われる事が多いけれど、実のところ私はそう思っていない。

 リセット癖だけでそう評価されているのなら、不本意にも程がある。

 私自身は面倒くさがりで、楽観的な性格だと思っているし、自慢ではないけれど、他人事で心底驚いた事もなかった。そう、今日までは。

 呼び鈴を何度押しても反応がなく、やっぱりサボりだったかと引き返そうとした時、清水に鍵を開けてもらうように頼んでいた事を思い出した。

 鍵が開いてる事を確認し、不用心だなと扉を開ける。初めに目にしたのは、清水のものと思われるローファーとサンダル。

 そして、次に私の目に飛び込んできたのは、床に倒れている清水の姿だった。


「清水!?」


 慌てて駆け寄り、清水を抱き起こすと、息をしている事を確認できて、死んでいない事に安堵した。

 しかし、全身汗だくでぐったりとしている清水を、このまま放置する訳にもいかなかった。

 幸いにも清水の部屋は目と鼻の先にあり、引きずる形でベッドに寝かせる事はできた。

 意識のない人間って小さくても重いんだなと実感する。


「清水、聞こえる?」


 呼び掛けに反応はなく、枕元にあった体温計で熱を測ると、38.9度と表示され、私は覚悟を決める。


「清水、服脱がすよ。ほら、ばんばーい」


 意識のない清水の許可を取らずに、スウェットを抜がす事に躊躇いはあったけれど、尋常じゃない汗を見ると、しのごの言っている暇はなかった。

 体が冷えないうちに上下共に脱がしたはいいものの、タオルが見当たらず、人の家を家探しする訳にもいかず、手持ちのウェットティッシュとハンカチで体を拭いていく。

 良く言って華奢な体つき、悪く言えば幼児体型とも取れる体は、不健康さが前面に出ていて肌が白かった。

 肌のキメが細かい事は羨ましくなるが、もう少し肉付きがあった方が健康さが出るのではないだろうか。

 流石に下着を変えるのは清水の人権に関わる事なので、早々に服を着させていく。

 同じような大きめのスウェットがあったおかげで、なんとか服を着せる事に成功したものの、清水を寝かせる状態にもっていくまでが一苦労だった。


「薬とかポカリ、あと果物とかあった方がいいよね」


 念の為、リビングの冷蔵庫を確認すると見事に何も入っていなかった。

 買い置きをしない以前の問題で、調味料すらない事に私は驚きを隠せなかった。

 以前にも感じた生活感のなさは、綺麗なのではなく、どれも新品そのままで使用された形跡すらなかったからだ。

 ゴミ箱には大量のお弁当や惣菜の空箱が入っていて、私の脳裏に清水の家庭環境が浮かんでしまう。

 ……恐らく、この広い家に住んでいるのは清水だけなのだろう。


「はぁ、これじゃ帰ろうにも帰れないな」


 あくまで予想でしかないものの、その可能性があるのだとしたら、高熱の清水を放って帰れるほど私は薄情ではない。

 私が淡白な性格じゃなくて良かったね清水。

 マンションが駅の目の前という事もあり、必要な物はすぐに揃える事ができた。

 風邪薬、ポカリとお水、ゼリーにレトルトのおかゆ、清水のおでこに貼った冷えピタなどなど。


「おーい、清水、寝てるところ悪いけど起きれる?」

「……んぅ」

「薬飲まなきゃいけないから起きて。ほら」

「んー……」


 熱で意識がハッキリしないのか虚ろな目の清水をゆっくりと起き上がらせる。

 容器に入れたおかゆを渡すのは、火傷しそうで怖いな……。


「ご飯食べれそ?」

「うん……」

「そか。ほら、あーん」


 ふーふーと冷ましたおかゆを、清水の口に運ぶ。それを虚ろな目をした清水はパクリと口にし、ゆっくりと咀嚼する。

 何度も繰り返していると、雛鳥に餌をあげている親鳥の気分になってきて、不謹慎ながら少し楽しくなってしまった。


「……もう、いい」


 半分ほど食べた事を確認できたので、次は風邪薬をしっかり握らせる。


「はい。ちゃんと水も飲んでね」


 意識はまだハッキリしていないけど、私の言う事はちゃんと聞いてくれている。

 姉を看病した事が何度もあったおかげで切り抜ける事ができたけど、友達の看病をするなんて初めての経験だ。


「飲んだ……」

「おー、えらいえらい。じゃあ、また寝よっか」


 清水を横に寝かせると、ふと、姉に強要された事を思い出した。

 優しく、包むように清水の頭を撫でる。姉曰く、こうすると落ち着いて眠れるとの事だった。

 よしよしと撫でていると、五分も経たないうちに、寝息が聞こえてくる。

 起きないようにそっと手を離し、しばらく様子を見ていたけど薬のおかげか、少し落ち着いてきた様だった。

 これなら大丈夫だろうと、帰る支度を始めてると不意に私の名前が呼ばれた。


「こぶ、か」


 起こしてしまったと思ったものの、静かに振り向くと、清水は変わらず眠っていた。


「寝言か……頑張れ、夢の私」


 部屋の電気を消して廊下へと出ると、リビングから見える窓の外は、すっかりと日は落ちきっていた。

 リビングの電気は消し、目を覚ました清水の為に廊下の電気は付けておく。

 あとは帰るだけだと、靴を履いたところで困った事に気が付いた。


「鍵ってどうなんだろ」


 確か、前に清水がカードをかざして鍵を開けてたから、オートロックっぽいけど確証が持てない。

 考えても埒が明かないだろうし、一度玄関を出て扉を閉めると、機械音と共に施錠された音が響く。


「本当に締まってる。高級マンションすご」


 ものぐさが集う我が家でも、このセキュリティを採用したくなる。

 帰って母親に謹慎を食らった説明をしなきゃいけない事に、少しの憂鬱さを感じながら帰路に着く。

 降りのエレベーターに向かっていると、丁度到着したエレベーターから一人の女性が私の方へと歩いてくる。

 三十代前半を思わせるスーツを着た女性で、注視していた訳じゃなかったけれど、目が合ってしまったので、会釈をした。すると、何故か女性の歩みが止まる。


「あの、もしかしたら天美川高校の生徒さんですか?」

「あ、はい」


 まさか話しかけられると思わず、素っ気ない感じになってしまう。私の方へ歩いてきた事から、清水のご近所さんの可能性も考慮すると、制服姿で悪印象を持たれるのはよくない気がした。

 とはいえ、全く知らない相手に名乗るのも変な気がした。


「ごめんなさい、いきなり失礼よね。わたしは石川灯いしかわあかりと申します」


 綺麗な所作で差し出された名刺を受け取ると、誰もが知っている大企業の名前が明記されていた。

 このマンションで暮らしてる住人は、やはりこのレベルなのかと思い知らされる。

 貧富の差を名刺からひしひしと感じていると、申し訳なさそうに石川さんは言った。


「一つお聞きしたいのですが、天美川高校二年の小深さんってご存知かしら?」


 石川さんから出た名前に言葉が詰まる。

 小深なんて名前はそう珍しくない。天高で二年の小深は私しかいないけれど、なぜ彼女がその名前を知っていて、それを私へ問いかけるのか。私の警戒度が少し上がる。

 ただ、本人に直接聞くということは、私の名前を知ってはいるけ!ど、名前しか知らないという事なんだろう。

 ここは慎重に対応しなければと、相手の出方を伺う。


「えっと、なんでそんな事を聞くんですか?」


 はい、それは私です。なんて言うにはまだ信用に足る人物ではない。

 どうして私を探っているのか、その理由くらいは聞かないと答える訳にはいかなかった。


「警戒させてしまったかしら。いいえ、これはわたしの落ち度ですね。では楠希なつきの名前に覚えは? わたしの娘で清水楠希と言うんですけれど」

「楠希?」


 全く聞き覚えのない名前だったが、清水と言う苗字は身に覚えしかなかった。

 そんな名前だったんだ。そんな感想と一緒に疑問が浮かぶ。


「あの、清水……さんのお母さんだとしたら、苗字が」


 先程見せてもらった名刺には、石川と書かれていて、親子だとするとそこには矛盾が生じる。

 名刺を見せると、私が何に疑問を浮かべているのか理解したようだった。


「実は再婚して苗字が変わったんです。旧姓は清水で、あの子の苗字は変えていないだけなんです」


 石川さん、もとい清水母はそう言うけれど、清水母は控えめに言っても清水と似ても似つかない。

 全体的に地味とまでは言わないけれど、顔のパーツが清水とは全然違う……けど、私もパパと似てないんだった。

 家の様子から、複雑な家庭の事情なのかもしれない。そう思うと、少しばかり私の警戒心は下がっていく。


「清水……さんは知ってますけど」

「そうでしたか。娘がいつもお世話になっております」

「あ、いえ」


 深々とお礼をする清水母に釣られて、私もお辞儀する。

 おたくの娘さん、ストーカー紛いな事してますよ。とは言えずに。


「実は、娘がその……同級生に虐められていると先生から電話がありまして。その主犯の子が小深さんと仰ると」

「な、なるほど」


 根も葉もない噂を本気にして、小田巻は清水母に伝えたって事らしい。

 流石の私も、これからの発言が分かれ道になっているのだと理解し、冷や汗が背を伝う。

 ここで知らないと嘘をつき、この場は誤魔化せたとしても、私だとバレた時に虐めてないと言う私の言葉の価値は、もはやないと言っても過言ではない。

 しかし、ここで小深は私ですと言うと、果たしてどうなるのだろう。

 先程からの見ず知らずな一介の学生相手への対応、礼儀作法も正しく、落ち着きのある優しそうな印象を受けている。

 もし正直に話しても、娘の仇と言って殴り掛かられたりはしない……と思いたいけど、優しそうな人間ほど怒ると何をしでかすか分からない。清水のお母さんだし。


「あの、顔色が悪いみたいですけど……」

「あ、あはは……」


 どちらを選んでも地獄。面倒な事になるのは目に見えている。

 そうなると、私が選ぶのは誠実な面倒くさい方しかなかった。


「あの、小深って名前知ってます。それ……私なんです」


 正直に言った。ここで怒られたとしても、清水がきっと誤解を解いてくれると信じているから。

 私が小深だと名乗ると、清水母は予想に反して表情一つ変えなかった。


「そう、でしたか」


 沈黙が生まれる。一発は殴られる覚悟を決めていたけれど、清水母の反応は薄く、私を静かに観察しているようにも思えた。

 体感にして五分、実際には十秒程だっただろうか、最初に口火を切ったのは清水母だった。


「では、もう楠希には近付かないでください」


 たったそれだけを言い残し、私に背を向けた。

 私を睨みつける訳でもなく、憂いを帯びた表情を浮かべた清水母に、私は弁明どころか何も言えやしなかった。

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