もうひとつの世界から 独裁者の末路

夢乃みつる

第1話 もうひとつの世界へ 

 西安郊外の十里鋪じゅうりほ張徳豊ちょうとくほうと言う青年が住んでいた。

職業は西京医院美容門診に務める医師だが、父張徳舜が考古学者の真似事で農業の傍ら発掘現場に手伝いとして参加しているのを良く観ていたので、徳豊も休日はどちらかと言うと暇を見つけては断層の化石などを探しに歩き回っていた。

それもこれも祖父の影響を受けていたと言って良いだろう。

 祖父は張徳茂ちょうとくもと言って、何時の頃からか考古学者の程敦頤ていとんいと懇意にしていて、晩年の老学者の話し相手になって居たとか聞いた。

 生まれは西安と言うが定かではない。

親戚の者の話によると、趙と言う國の都の龍陽の生まれだとも言う。

抑々趙と言う國は存在しないし、龍陽と言う都なんて所も存在しないのだ。

 それはとも角としてその祖父が奇妙な手記を持っていた。

本来師と仰ぐ程敦頤が所持していた物らしいがその老学者の話によると、戦時中張学良配下の分隊の下士官が洞窟の中から見つけたものとして持ち帰った物だが、同時に送ったとされる銀壺ぎんこが無いことで、空想めいた内容に作り話として断ぜられ、捨てられるところを貰って保管していたと言うのだ。

 その銀壺だが、西安南郊の畑の中から見つかったとの報道があったことを若い友人に嬉しそうに告げたのである。

同時に送った筈の手記と銀壺がバラバラに見つかった理由は老学者には分っていた。

それよりも手記に書かれていることが事実として証明できそうなので大層喜んだのであった。

 老学者は亡くなる前に見舞いに来てくれた李徳茂の素性を知り、大事に保管して来た手記を、本来の持ち主である張徳茂に託したのであった。

『もう一つの世界から』と題する手記の存在を徳舜も知ってはいたが、西安郊外に在ると言う型で押したような樹林や移動することの出来る洞窟が存在するなど到底信じられなかったし、それよりも地下や地表に隠れている遺跡や化石を発見し、掘り出す方が遥かに面白かったのである。

 だがその息子の徳豊は違っていた。

彼はどちらかと言うと冒険探検を好み、未知の世界に憧れたものだった。

そんなことから、曾祖父の著述だと言う二つの手記を通読し、本当に過去のような世界に行けるものなら是非とも行きたいと思うようになって居たのだ。

 曾祖父の手記に寄れば、友人らと渭水に遊びに行った帰りの山道でジープがエンジントラブルを起こした際、一人山林に踏み入って方角を失い、さ迷い歩いた末に見つけた洞窟で眠ってしまい、起きたら別世界に送り込まれていたと言うものだが…。

 その山と言うのは驪山国家森林公園りざんこっかしんりんこうえんの周辺に在るように思うのだが、幹も枝も全く同じ形をした木のある林など何処に在ると言うのだろうか…

洞窟は軍人も見つけて、そこで『もうひとつの世界から』とその続編の『後日譚ごじつたん』を発見したのだから間違いなく在る筈であった。

 その探索の前に祖父徳茂に相談すると、目安とすべきポイントを幾つか教えて呉れた。もう何十年も行ってないから変わって居るかも知れないがと断りながらも割と細やかに記してくれたのである。

 徳豊はリックの中に衣類や鍋に乾燥麺等を詰め込んで野宿に対処出来るように準備したのである。

そして曽祖父の手記の続編を入れて、ノートや筆器具も脇の袋に入れたのである。

徳豊は煙草は吸わなかったが、マッチをポケットに入れた。

そうした準備の最中、祖父の徳茂がある物を抱えて部屋にやって来たのだ。

「これを持って行け」

 包みを解くと、中から手槍(拳銃)が出て来た。

山西十七式銃とのことでかなり年期ものである。民国十七年、すなわち公元一九二八年から製造されたもので弾倉もあった。

皮套(ホルスター)も皮もしっかりいるので使える。

「お爺さんこれ何処から手に入れたの」

「これはな、この手記を持って来た徐昆明と言う軍人さんが必要ないからと呉れたのさ。

ナイフは持ったか?」

「小さいのなら持ってるよ」

「見せて見ろ。それじゃ小枝ぐらいしか削れないだろうこれもやろう」

 それも軍用ナイフであった。

物を切ったり、削ったり、穴を掘ったりも出来るのだという。

 

 こうして山に入って行った。

それは曾祖父張徳裕が入った場所とは違っていた。

何方かと言うと徐昆明らが戦時中に使った道と言って良かった。

従って曾祖父が遭遇した、型で造ったような山林を歩くことは無かった。

比較的容易に洞窟を発見出来たのである。

 張徳豊は用心するように中を覗き込むが暗くて良く見えないので、リックのポケットに入れて置いた懐中電灯を取り出すとロックを解除してレバーをカシャカシャと握ると点灯したので中を照らしてみた。

 特に危険はなさそうなので中に入ってみたがどう見ても普通の洞穴でしかない。

これが動いて曾祖父が送り込まれた世界に行くことが出来るのだろうか疑問であった。

徳豊は壁に凭れて目を閉じた。

すると、洞内が真っ暗になって地面と言うより洞穴そのものが揺れているような感じなのである。

〈動いてる〉

 入口は塞がって洞内は真っ暗な状態であった。

そして少し経つと揺れが収まって入口が明るくなった。

〈どうやら止まったようだ〉

 徳豊は恐る恐る外に出た。

其処は敵将であった湯崙と村長の曾祖父が見つけた海の様な湖であった。

洞窟の直ぐ先に林があり、その先に砂浜が見えたのである。

此処は鯨のような怪獣のいる湖で、祖父と曾祖母の李慧が此の地から西安に戻ったことを思い出していた。

 続編には猿の袁に曾祖父徳裕の妻蘭や盧信希、湯や女王であった栄華に陸に銭らがこの新天地で家族を増やして、新しい村を形成していった筈だが、曾祖母や祖父親子が去った後は一体どのようになったのか気になる所であった。

 湖にははしけがあったが船は一隻も無かった。

直ぐ横に後ろの大地に上がる坂道があったので村落を観ようと上がって行くと、数人の男に囲まれて行く手を遮られた。

民族衣装とでも言うのだろうか、皆同じような色合いの服を着ていた。

「お前は何処の者だ」

 顎髭あごひげのある屈強な男がそう訊ねる。

「西安から来た」

「西安て何処よ、みんな知ってるか」

「知らないな」

 男達は声を揃えて同じ言葉を発した。

「名前は何と言う?」

「張徳豊だ」

「張徳豊だと?」

 顎髭の男は徳豊の顔をまじまじと見るのだった。

男の名前は湯窘たんごん。この村の長であった。

「とに角付いて来い」

 張徳豊は男達に囲まれて村に入った。

集会所のようなところに連れ込まれると、盧

希大と言う男が代わって尋問を始めた。

「お前は西安と言う所から来たと言ったが、

それは洞窟で来たと言うことか」

「そうだ」

「ということは龍陽から来たんだな」

「いや西安からだ」

「いやその昔の話だが、初代の村長が西安から来たと言う話をされていたようだが、我らのご先祖様たちはそれを信じても、現代の我らから見るとそれはあり得ない話なんだな。抑々あの洞窟が移動するということ自体信じられないのだよ」

「では龍陽にはどのように行かれるのか」

「車があるじゃないか。一日あれば龍陽に着くだろう」

「ところで村長、この村に美香と言う女性が居た筈ですがご存じですかな」

「お前が何故老婆を知っているのだ?」

 と湯窘は驚いた顔で徳豊に訊く。

「私は美香さんの兄の孫です」

 すると盧希大は、

「大老婦人(大婆さん)に会ってみる?」

 と言うので是非にと願うと、

「ついて来な」

 と言って家に案内した。

その希大も美香にとっては孫であったのだ。

「大老婦人、お客さんだよ」 

 美香は暫く制止したように徳豊を見ていた。

「あっ徳茂兄さんじゃない。今までどこに行ってたの」

 美香はよろけるように立ち上がって徳豊に抱き付く。

 そしておいおいと泣いたのである。

「大婆さん違うよ徳豊と言うんだよ」

「いいや兄の徳茂よ」

 美香は徳豊が若い時の兄徳茂にそっくりであったので、懐かしさの余り抱き付いて離れなかったのだ。

希大が何度も説明してやると漸く理解したらしく、徳豊の顔を繁々と見ながら離れた。


 曾祖母慧の話を聞かせると、美香は涙を流しながら聞いて居た。

「あの頃のことを知るものは居なくなってしまったよ」

「美香お婆さんは何故此処に残ったの」

 徳豊はそれが不思議でならなかったのでそう訊くと、

「父が此処に残ったからよ」 

 と言った。

徳豊は祖父徳茂の父は徳裕と聞いて居たのだが母慧は徳裕と美香を此処に残して、徳茂と共に西安に帰ったのだった。

美香は盧信希が父と信じていたので、故に父の下に残ったのである。

「では美香さんはあの洞窟が動くことを知っているのですね」

「勿論よ」

「でも他の方たちは動かないと思っていますよ」

「お婆ちゃんはそう言うんだけれど、誰もあの洞窟が動いたのを見ていないんだよ」

 希大は眼の前の徳豊があの洞窟に乗って別の世界から来たことが信じられないのだが、大老婦人が確かに昔から言ってたように、それを証明しているのだ。

「そうだこれを見てよ」 

 徳豊はリックの中から手記『もうひとつの世界から」の続編を出して希大に手渡すと、

頁をパラパラと捲って、ある所で止めては捲って読んでいた。

「大婆ちゃん、ほら」

 希大の指し示す箇所には、


【或る日、蘭が対岸の袁に会いに出かけたのを見計らうように婉容えんようがやって参りました。

「あなたの子を連れて西安に戻ろうと思います。茂はもう十九です、この世界は平和であったとしても果たしてそれがあの子にとって幸せかと言ったら決してそうではないと思うのです。中華民國は未だ騒乱の最中かも知れないけれど、あの世界には沢山の國が在って、軈てはそれらによって繁栄が齎される時が来ると教わったの、お婆さんから」

「で美香はどうするのだ」

「美香は残りたいと言いました。それなら仕方ないでしょう。あの子の意思を尊重しなければいけないでしょうから……」


 年老いた美香は希大の文字を拾うと、当時のことを思い出したのであろう、目を潤ませていた。

「母は最後に良いのねと念を押したの。辛かったけれど父を独りには出来なかったもの」

 信希は後に亡くなった陸昌明の妻麗旻と一緒になったので希大はそれらの孫と言う訳だ。 ところで村長は湯窘というから湯崙と栄華の子か孫の筈だが、このなごみの郷の初代村長であった曾祖父の張徳裕はどうなったのだろうか訊ねると、

「或る日突然ご夫婦で居なくなってしまったのだそうだ。祖父の話では当時は龍陽に居るようだと言ってたが本当のところ分からないのだ」

 この話を聞いて徳豊は龍陽へ行ってみたくなったので、

「ねぇ希大、龍陽に行ってみたいんだけどどうだろう」

 徳豊は大老婦人美香を仲介に希大と仲良くなったので遠慮しないで話せるようになっていた。

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