魔王と勇者、笹塚に立つ(6/7)

「するってぇと何か? お前が魔王サタンで」


 三十がらみの、あしりようする体格の色黒の男。整えられたしらしろひげに、色黒の肌、そして何より特徴的なのは、その黄金色のひとみである。アルバートは腕を組んだまま、魔王を見下ろしている。全身の筋肉を強調するように細身の黒いレザースーツを身にまとい、真奥と並ぶとレスラーと中学生ほどの違いがある。


「あなたがアルシエルなんですか~?」


 小柄なエメラダ。先が丸まったへきりよくの短い髪をふわりとらして、髪と同じ色のひとみあしを見上げている。オルバのまとう法衣に似たローブを着ているが、オルバのシンプルなそれよりも、赤やオレンジといった派手な色合いに染められ、背には神聖セント・アイレ帝国の国章がきんしゆうされていた。二人ふたりとも武器らしきものを携帯していない。


「その通りだ。恐れおののけ」


 相手に戦うつもりがないと分かったおうは、堂々と胸を張るが、


「無茶言わないでください~」


 エメラダにいつしゆうされて即座にしょげ返る。


「いやぁ、どうすっかな、エメ。俺ぁいきなり魔王と対面するとは思ってなかったから、あんまり体力残してねぇンだ」


「そういうことを~、敵の前で言わない方がいいと思うんですけど~」


「そうか? そりゃそうか。いや、失態失態」


 後ろ頭をきながら白い歯を見せて意味なくゲラゲラと笑うアルバート。


 二人が現れてからこっちだまったままのが、アルバートの笑い声を聞いたしゆんかん、何かに気づいて巨漢を指差した。


「ま、真奥さん! 私が聞いたテレパシーの声、この人の声です!」


「あ? おじようちゃん、まさか俺の概念送受イデアリンク聞いたのかい?」


 元から脱線していた話が余計おかしな方向に走りそうになって、あわてて止めに入る。


「とにかくみんな、一度お互いの状況を整理するためにも、今は気を落ち着けて話し合いましょ。アルシエル、あなた達のアパートに移動しましょう。これ以上ここでおしゃべりしてるわけにもいかないし」


「何を言う! 勇者の一味を魔王城に招くはずが……」


 誰よりも勝手に話を進める恵美にみつくあしだが、それを制したのは真奥だった。


「わぁったよ。芦屋、緊急事態だ。今は仕方がない。これ以上俺も魔力結界を維持すんのめんどいし、せつかく魔力を取り戻したのに、ここでこいつらと戦ってしようもうするのも得策じゃない」


 急にまともなことを言い出すので、芦屋はしぶしぶうなずくしかない。


「……あそこでまってるオルバはどうするのですか」


「ほっとけ。あいつはルシフェルときようぼうして強盗とかやってたんだろ。あのままにしとけば、いずれ警察が豚箱に送り込んでくれるさ」


 そう。オルバとルシフェルは、日本で犯罪に手を染めているのである。オルバに裏切られた恵美達も、元から敵である真奥達も彼を気にかける必要はどこにも無いのだ。


「おい恵美、お前場所分かるだろ、ちーちゃんとそいつら連れて先行ってろ」


 真奥はアパートのかぎを恵美に向かって放り投げる。


「え?」


「俺は後片付けしてから行くから」


「……まさか、こっそりエンテ・イスラに帰る気じゃないでしょうね」


「そんなことしねぇよ! 大体お前の仲間がいるんだから、そんなことしたらすぐに追っかけられちまうだろう。いいからさっさと行け!」


 は疑いのまなしを向けながらも、かぎを握ると素直にやエメラダ達をうながし歩きはじめる。


「お前ら、なんかいい感じになってンなぁ」


「エミリアが魔王と仲良くなってるなんて意外です~」


「そこだけは全力で否定させてもらうわ! とにかく行きましょう」


 恵美は一度だけおうを振り返ったが、勇者のパーティは素直にささづかの裏通りに消える。


 それをあしは見送りながら、


「どういうおつもりですか」


 真奥は首都高を指差す。


「このままってワケにゃいかねぇだろ。芦屋、ルシフェル、手ぇ出せ」


 芦屋はいつしゆん躊躇ためらったが、あきらめたようにためいきをついて苦笑する。それを見たルシフェルは、


「え、まさか……」


「ああ、折角魔力を取り戻したのにな」


「そんなことしたら……」


「仕方がない。魔王様が決められたことだ。私はただ従うのみ」


「……一体、どうなっちゃってるんだよ。お前も、魔王様も」


「さぁな。私にも良く分からん」


「何ごちゃごちゃ言ってんだよ」


「いえ、なんでもありません。どうぞ、魔王様」


 真奥は芦屋の手を取ると、うきうきして言う。


「下のもんの失態は上の責任だ。エンテ・イスラでもマグロナルドでも、それは変わりはしない。支配者たるもの、支配する全てに責任負わなきゃな」


 真奥は崩壊した笹塚を見て、ほほんだ。




    ※




〝ヴィラ・ローザ笹塚〟を見て、エメラダとアルバートは顔を引きつらせた。日本に来て三十分と経たない二人ふたりにすら分かるほど、その建物は〝魔王城〟のイメージから遠くかけ離れた建造物だった。


「あの~、エミリア~?」


「言いたいことは分かるわ。でも間違いなくこの建物の、二階のあそこの部屋が、日本における魔王サタンの居城、魔王城よ」


「あそこの部屋って……あの部屋だけなのか?」


「そうよ。他は空き部屋」


 しばらく動きが止まる二人ふたり。やがてエメラダがはっとして手を打つ。


「あ~! あれですね~、怪しまれないために外見は古くせまそうに擬装しているけど~、中は異空間か何かで無限の広さに改造されてて~……」


「六畳一間。多分だけど、アルバートが住んでた山小屋の半分くらいの広さね。お風呂無いし」


「そ、そりゃまた……」


「どんな魔王ですか~……」


 あきれて絶句する二人。


「逆に私は、このアパート見ておうさんのイメージにものすごくしっくりきたんですけど……」


 の発言は、それはそれでひどい。


「ま、中に入れば納得するわよ。行きましょう」


 は朝方派手にかつらくした階段を警戒しながら上がっていく。


 シリンダーじようを開くと、古びた建物と生活のにおいがどんよりと流れ出し、改めてエメラダとアルバートは絶句した。


 千穂は先ほど取り落としてしまった缶入りせんべいの紙袋がそのままになっているのを見て、それを拾い上げる。ほこりを払うと、千穂はアルバートとエメラダを振り返る。


「えっと、とりあえず日本では、靴を脱いで家に上がるんです。ここで……」


 と、千穂はねこひたいほどの広さの玄関で、ローファーを脱ぐ。恵美も当然そこで靴を脱ぎ、それにならってエメラダとアルバートも履いていたブーツを脱ぐ。四人分の靴があるだけで、もう玄関の土間は一杯になってしまった。


「ああ、俺の山小屋の方が、よっぽどマシだな。これじゃわなも張れやしねぇ」


「罠どころか必要最低限の家具も無いのよ。ま、私が言うことじゃないけど、適当に座って」


 複雑な表情で思い思いの場所に腰を下ろす。


「あ、わ、私お茶かなんか入れますね」


 千穂が思いついたように台所に立とうとするが、それを止めたのは恵美だった。


「千穂ちゃん無理よ。この家、急須も湯のみも無いわ。冷蔵庫の中も戸棚の中も、何食べて生きてるのか不思議なくらい空っぽよ」


「え……?」


 千穂はシンクの前で恵美を振り返った。そこに浮かんでいるのは、驚きよりも疑念だった。


さん、なんでそんなこと知ってるんですか?」


「えっ? それはこの前、私がと……」


 と、そこまで言って、ははたと気がついた。今のは完全に失策だ。女が男の家の台所を把握していることの意味を分からないではない。大体恵美が魔王城の内側をよく知っているのも、エメラダ達の目には不自然に映るだろう。


「この前さんが……なんですか?」


「えっと……、その、本当、不可抗力だったんだけど……」


 と、勇者にあるまじき見苦しい言い訳が始まろうとしたそのときだった。


「おおっ?」


「あれ~?」


 アルバートとエメラダが、同時に大声を上げたのだ。もちろん恵美をからかうためではない。恵美自身、二人ふたり声を出したのか分かっていた。


「お二人とも……どうしたんですか」


 千穂の問いに、アルバートとエメラダは顔を見合わせた。


「今の~……なんでしょうか~?」


ものすごい量の魔力放射の余波、だな。おいエミリア。あの魔王ども、本当に大丈夫なのか」


「……と、思うんだけど」


 恵美も流石さすがに声音に緊張をにじませる。


 たった今、三人が感知した魔力の量は尋常ではなかった。ささづか駅方向からの巨大な爆風がアパートをでて彼方かなたにまで広がっていくような、そんな感覚。日本に来てからこっち、先ほどの戦いの中ですら感じなかったほどの巨大な魔力の爆発だ。


「何か、うまくされてる気がする……」


 魔力を感知できない千穂は恵美への問いをはぐらかされてむくれているが、それに取り合っていられないほどの非常識な魔力量だったのだ。


 おうは何もしないと言ったが、信用して良かったのか。今の今まで恵美に見せていた、日本や人間に対してみように親和した姿は全てポーズだったのか。そんな不安がよぎったしゆんかんだった。


「おーい、開けろ恵美! 帰ったぞ!」


 突然ドアがたたかれ、もといられ、大声が飛び込んできたので、恵美は思い切り身をすくませた。千穂を除く三人が顔を見合わせてから、ドアを見る。


「……開けますか~」


 エメラダは半目になってドアをにらむ。


「開けますかって、ここあいつンちなんだろ?」


「でも、魔王ですよ~? それに、今さっきの異常な魔力量……」


「こんなタコ部屋みてぇなとこに住んでる魔王なんざ怖くもなんともねぇよ。それにさっきのが魔王なんだとしたら、大した力は残しちゃいねぇだろう。イザとなりゃ俺が返りちにしてやるよ」


「言ってくれるなアルバート! ここを開けたらお前らに目に物見せてやるからな!」


 部屋の外でわめおう。ドア一枚へだてているだけなのに、魔力のへんりんすら感じられない。


「いーっだ! 誰が開けるもんですか~」


「……」


 エメラダ達のやりとりにの疲労は急激に増した。やはり、考えすぎだろうか。


「てめぇら! いい加減にしねぇと大家呼ぶぞ!」


「アルバート、開けてあげて」


 恵美が言うとアルバートは渋々腰を上げる。


「なんだ、そのオーヤってのはそんなに強ぇのか」


 かぎを開けながら尋ねると、答えたのは外にいる真奥だった。


「ああ強ぇぞ。一度相対したら魂まで屈服しちまいそうな外見の持ち主だ」


 あながち冗談ではない表現だと恵美は知っている。そういえば、ルシフェルが暴れていることを感知し部屋を飛び出した後、大家のはどうしたのだろうか。


 明らかに彼女は真奥達の正体に勘づいているかのようなそぶりだった。


 思いを巡らせている間にアルバートがドアを開けると、ぐったりしたあしとルシフェルをりようわきに抱えている真奥がのそのそと入ってきた。


「おい、どけ、こいつら重い」


 二人ふたりをずるずるひきずって畳に放り出す真奥。気を失っているらしい芦屋を見て、は息をみ尋ねる。


「え、あ、芦屋さんどうしたんですか?」


「ああ、ちょっとな。魔力をしぼり出して、死にかけただけだ……で」


 真奥は大きく息を吐いて座り込むと、アルバートとエメラダを見る。


「今さら自己紹介もいらねぇな。一体お前ら何しに来た? その様子を見るに、俺を倒しに来たってんじゃなさそうだが」


「まぁな。俺達はお前に会うつもりはなかった。ただエミリアを助けに来たンだよ」


 アルバートは肩をすくめて恵美を見る。


「オルバだけじゃなかったんです~。教会全部がグルだったんです~」


 両のこぶしを握って顔をしかめるエメラダは、勢い込んでこうかくあわを飛ばした。


「なんですって!」


「教会のやつら、俺達にもきようはくまがいに手を回してきてな。監視つきのなんきん状態で、逃げ出すのに一苦労だった」


「大人しくしてれば今後の生活は保障するからとか言って~、私にも王国からの引退せまってきて~、救国の英雄に世界のイニシアチブを取られるのがそんなにイヤなんですかね~」


 そんな二人ふたりの苦労話を、真奥はかいそうに聞いている。


「何もしなかったやつらに限ってそういうこと言うんだよな。その点魔界は完全実力主義だ。どうだお前ら、俺の配下にならないか」


 おうの冗談とも本気ともつかぬスカウトに、エメラダはしかめっつらのまま舌を出した。


「べぇ~っだ。こ~んな貧乏人の配下なんて御免です~」


 アルバートはアルバートで真奥を上から下までながめて、


「筋肉が足りねぇ筋肉が。俺の上に立つ男はもっとガタイのいい奴じゃなきゃいかん」


 と、無意味に胸をらして、確かに言うだけのことはある大きなちからこぶを作ってみせる。すごぉい、とが感心するものだから、調子にのって色々なポーズをとってみせるアルバート。


「あなた達、問題はそこなの?」


 の突っ込みはむなしく散った。


「ま、冗談はさておき、とにかく俺達ぁエミリアに危険が迫っていることを知らせたかった。魔王やエミリアの航跡がこのニホンにたどり着いていたのは簡単に分かったからな」


「でも~、私達に分かったってことは~、エミリアをめたオルバや教会にも当然分かってるってことですから~、どっちが先にエミリアを見つけられるかが勝負の分かれ目でした~」


 エメラダとアルバートはそのときの苦労をしのぶように遠くを見る。


「俺達もあいつらもソナーばんばん飛ばしてな、おかげでこの世界にゃあ結構迷惑かけたはずだ。地震かなんかが多かったんじゃないか?」


 ここまではほぼ、真奥の推測通りだ。


「それで、私がアルバートさんのテレパシーを聞いちゃったのはどういうことなんですか?」


 千穂の問いにアルバートはなんでもないように答える。


「ああ、概念送受イデアリンクは意思と意思をリンクさせて飛ばすものだが、送信先をこっちの意思でしぼり込める。受信する側の意思条件はこうだ。『四六時中〝魔王〟のことばっかり考えてる人間』」


 そのなんでもないような一言を恵美と千穂が理解するのに、それぞれ時を要した。


 恵美はなるほど、魔王をとうばつするために日本にやって来たのだから条件に当てはまる。たまたま概念送受が日本に到着した際圏外にいたというだけのことだ。


 だが千穂は、


「なっ……そっ、わ、わたっ……」


 みるみるうちに顔を真っ赤にして、言葉に詰まってしまう。千穂はもちろん四六時中考えていたのだ。〝真奥〟のことを。


 それがかは言わなくたって誰でも分かる。問題はそれを他人の口からバラされ、しかも真奥に聞かれてしまったという事だ。


「へ~、魔王も案外隅に置けないんですね~」


 更にはエメラダが余計なことを言うものだから、千穂の感情メーターは一気に目盛りを振り切り臨界点に達し、


「あぅ……」


 とうめいてずかしさで意識が途絶え、あしとルシフェルに並び倒れてしまうこととなった。


「……で、これからどうすんだ?」


 おうはどんな表情を浮かべてよいかわからず、三者三様の顔を並べる勇者一行に尋ねた。ここで自分も恥ずかしさで取り乱せば、それこそ末代までのはじだ。


「どうするも何もなぁ。俺達はオルバとルシフェルにエミリアがどうかされちゃマズいからって追ってきただけだから、まさか魔王がいるとは思いもしなかったし」


「基本的にはエミリアを連れ帰って、本当にエンテ・イスラ復興のリーダーになるのは誰かってことを民衆に分からせたいんですけど~」


 と、アルバートとエメラダは顔を見合わせる。


「でも、多分俺達もお尋ね者なんだよなぁ、教会的に」


「ですよねぇ~」


「それじゃ意味ねぇじゃん」


「いや、意味は無くはない、現実に天界の一部は俺達の味方だ」


「私達はこれがあったから~、ゲートを通るのにせいほうを使わず来られたんです~」


 そう言ってエメラダが取り出したのは、大きな羽ペンだった。


 真奥はそれを見て軽く目を見開く。


「いいもん持ってんな。天使が世界を渡る虹の橋を空にえがくときに使うペンだな」


「ちょ、ちょっと! そんなもの魔王に見せていいの!?」


 あわてるが、真奥が首を振る。


「魔界の者には使えない。安心しろ。天使自身と、天使が認めた者だけが使うことが許される天界の雑用品だ」


「そ、そう……て言うかなんであなたそんなこと知ってるのよ」


「昔聞いたんだよ。で、誰のつばさを使ったペンだ? いや、言わなくていいや。想像はつく。ライラだろ?」


「お、正解」


「賞品はありませんよ~?」


 すんなり認めるアルバートとエメラダ。


「あのおてん娘、またそんなことやって、大丈夫なのかね」


 真奥は、遠い過去をしのぶように苦笑する。


「天界的に、大分危ない橋を渡ってはいるみたいだがな。くわしいことは知らんが」


「でも~、自分の娘が危険だって分かったら~、やっぱり放っておけないじゃないですか~」


 エメラダのその一言に、目をまたたいたのは恵美だけだった。


「……自分の娘……って?」


「あ、あれ~? エミリア、知らなかったんですか~?」


「お前のお袋さんだって言ってたぞ」


 の思考はいつしゆんにして真っ白になった。


「え……、そうなの?」


「そうなのってお前……」


 恵美はまったく実感がかないのか、ぼんやりとした目のままだ。


「ま、とりあえずこれはお前さんに渡しとく。どう使うかはお前さん次第だ」


 真っ白で、大きな一枚羽根を用いた羽ペンだ。薄く光を帯びて、ペン先にりんこうともっている。手にしたしゆんかん、不思議と暖かい気持ちになった。の家で感じたあの感覚だ。


 父が、いずれ分かると言っていた母の正体。教会騎士団だった頃から何度も聞かされたことだし、父は人間だったのだから、天使とのハーフである自分の母は天使であるに決まっているのだが、こんな形でそのへんりんに接するとは思いもしなかった。


「そうだ、おふくろさんからの伝言を預かっていたんだ」


「お母さんの……?」


 恵美の心臓が大きくね、顔が上気する。


「『あんたのお父さんはいい男だった』だそうだ」


 恵美とおうは同時にコケた。


「そ、そんなこと今言われても……」


「そ、それ娘への伝言じゃねえだろ」


「確かに渡したし、伝えたぜ。で……」


 アルバートは座りなおして恵美に切り出す。


「いつ向こうに帰る?」


「……え?」


「お前さんもこっちで整理しなきゃいけないことはあるだろうから、今日きようすぐにとは言わないが、あんまり長い間留守にしてると教会のいいようにされちまう。なるべく早く帰ってくれると助かるんだが」


 恵美は言葉に詰まる。


「私は……」


「まぁ、それは魔王城で話すようなことでもない気はしますけど~」


 恵美は頭の中に空虚な思考がうずくのを自覚し、それを落ち着けることができないまま真奥に言った。


「あなたは……いつ帰るの」


「あ?」


 真奥はティッシュではなをかむと、それを丸めてくずかごに放り投げる。外れた。


「お前何言ってんだ? 俺帰らないぞ」


 これには三人そろって目を丸くした。


「……は?」


「というか、帰りたくても帰れない。」


「???」


 頭の上に無数のクエスチョンマークを浮かべる勇者一味を見て、魔王は軽く笑った。


「さっきのあのさんじようから何事も無かったように全部元に戻すのにどれだけ魔力が必要だと思うよ? 言っとくけどエンテ・イスラの魔王城、俺が全部一人ひとりで建てたんだぜ?」






 とエメラダとアルバートは、天を覆う首都高と、車の往来が無いものの完全な姿を取り戻しているこうしゆう街道やささづか駅。戦闘の傷一つ無い周囲の建物を見てただただぜんとしていた。


 周囲には緊急車両が無数に停車しているものの、一体彼らは出動してきたのか、本人達が分かっていない模様だ。


 巻き込まれたと思われる人々がそこかしこにいるのだが、高架線路のほうらくや戦闘の余波に巻き込まれたはずの場所には、人もいなければ死体も無い。


 つまり全てが、戦う以前に戻っているのだ。違うのはきつねに化かされたようにここ数時間の記憶が無い人間達だけだ。


「なぁエミリア。つまりこれぁ……」


「多分ね」


「あの人本当に魔王なんですか~?」


「のはずよ」


 ささづか駅のショッピングモールは、早くも日常のけんそうを取り戻しつつあった。往来を行く人の表情は皆、歯の奥に何かがはさまったようなしやくぜんとしないものだった。


「てことはよ、やろうと思えばさっき、その……」


「あなたならできた?」


 アルバートはちんもくで答えた。






「普段悪いことやってるやつがいいことすると、それだけでなんか今までのが帳消しになるくらいの勢いでいい奴に見えるようになるもんだ」


「はぁ……」


「だからあのとき俺は絶対あいつらが襲いかかってこないと思ってた」


「はぁ……」


「どうよ、俺の計算完璧」


「で、帰れるんですか」


「……さて、まだ間に合うからバイト行ってくる」


「魔王様……」


「あ、そうだ、ルシフェルふんじばっとけよ。変なことされちゃかなわんからな」


 くだんてん使は未だ気絶しっぱなしで、何かできる体力も残っていそうにない。目を覚ましたあしにも、おうを止める力はもう残っていなかった。


「……おーい、ちーちゃん、おきろー、ちーちゃんも今日きようバイト入ってただろー」


 どうしても達と(と言うよりアルバートと)いつしよに帰りたくないと言い張ったは、畳に突っ伏したまま足をじたばたして真奥に逆らう。


「うう……アルバートさんのバカぁ……」


 真奥は心底困り果てた顔でためいきをついた。


「ったく……勇者なんかに関わると、ほんとロクなことがねぇや」

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