魔王と勇者、笹塚に立つ(5/7)

「で、お前この落とし前どうつけるつもりだ?」


 魔王の、いや、おうの問いに、てん使の姿を失ったルシフェルはただただだまり込むしかない。


 正座である。激しい戦闘の後で崩れ放題の、そこかしこにれきやらコンクリート片やらが転がるアスファルトの道の上に、人間のぜいじやくな肉体で、正座である。


 かつてエンテ・イスラ西大陸を地獄に落とした悪魔大元帥ルシフェルが、魔王と勇者に正座させられている。


 日本の、東京の、ささづかで。


「首都高と外環道ははつだいから調ちようまでの区間、の大事故により通行止めが続いておりますってか。こうしゆう街道もそうだし、けいおう線に至っちゃしん宿じゆくの手前で完全不通だ。俺も気をつけていたつもりだが、死人が出てないとも限らないぞ」


「と言うより、この状態で死人が出ていない方が奇跡です」


 悪魔から人間に戻った傷一つ無いあしは、悪魔だいげんすいのマントを無理やり体に巻いていた。


「魔王様の御力が無ければ首都高崩壊に巻き込まれ落下した車の乗員は助かるはずがありません。甲州街道上の車もです。まして周辺住宅がこの程度の被害で済んでいるのが奇跡です」


「普通この世界で俺達みたいなやつがドンパチやったりしねぇからよ。避難とかしてない奴らもいるだろうな。保護できる限り魔力結界張ったつもりだけど、全部カバーしきれてるかどうかもわかんねぇんだぞ」


 ルシフェルはただただちんもく


「一つ提案があるんだけど」


 おうのアパートから転がり落ちた上に激しい戦闘を繰り広げたおかげで、見るも無残な有様になってしまったスーツをまとう〝〟がルシフェルを見下ろしながら言う。


「とりあえず、こいつが爆弾魔ですとか言って警察に突き出しちゃえば?」


「俺もそれは考えたんだけどさ、最初はさわがれるかもしれねぇけど、実際はなんの証拠も存在しないわけだし意味ないんじゃねぇかな。連続強盗事件が解決して喜ばれはするだろうけど」


 真奥はと言えば、巨大化に耐え、繊維の伸びきったシャツとストレッチパンツがかろうじて体を覆っている状態だ。


「でも、じゃあどうするのよこの有様」


「どうすっかなぁ、魔力の無くなった悪魔大元帥とかクソの役にも立たないしな」


 ルシフェルがまったく大人しくなってしまっているのは、一重に真奥がルシフェルの魔力を全てったからに他ならない。


 芦屋も、真奥と同じようにして得た魔力がいくらか残っており、恵美の力もそれなりに残っている。魔力ゼロのルシフェルには勝機のしの字も無いのである。


「あ、あの……」


 そこにおずおずと口をはさんだのはだ。目立ったも無く、ルシフェルに負の感情を吸収されて体力をしようもうした以外には大事の無かった千穂。そのせいでみようにさっぱりした顔つきで真奥に尋ねる。


「今さらこんなこと聞くのもおかしいような気はするんですけど……」


「なんだよちーちゃん」


 返る言葉は、声は、間違いなく千穂の知る真奥さだである。しかし千穂は、巨大な生き物が自分の見ている前で真奥の姿を取ったことをこくめいに記憶していた。


「皆さん……その、なんなんですか?」


 ごくもっともな問いに、おうあしは思わず顔を見合わせる。


「えっと……そう改めて聞かれるとずかしいんだが、俺、よその世界で魔王やってるんだ」


 頭をがりがりといて本当に恥ずかしそうに言う真奥。まるで隠れた趣味をこっそり打ち明けるようなしぐさに、は内容を理解する前に吹き出してしまう。


「あー、信じてないだろ!」


 真奥が口をとがらせると、千穂はあわてて手をばたつかせる。


「そ、そんなことないですよ! だって真奥さんがすごいことしてるの、私見ましたもん。あれだって、そうなんですよね」


 千穂が指差す方向には、魔力結界に封印されたまま微動だにしない大勢の野次馬や、落ちてきた車などがそこかしこにあった。


「まぁな。でもあんなの、大したことじゃねぇよ」


「魔王様、日本においてけんそんは美徳ですが、ここはもっと堂々としていただかないと」


 あきれる芦屋はいつも通りのやかましい主夫調に戻っている。


「こいつらは悪魔だけど、私は人間だからね。あ、半分は天使なんだけど」


 くさって言う恵美。やはり千穂は吹き出してしまう。


「ちょっと千穂ちゃん!」


「ご、ごめんなさい! で、でもなんか、おかしくて」


「え、お前天使とのハーフだったの? 初耳なんだけど」


「あなたは今さら何言ってるのよ、魔王のくせに、私のことなんだと思ってたわけ?」


 そんなとぼけたことを言う真奥に突っ込む恵美。やがてこらえきれなくなって、千穂の笑い声はどんどん大きくなる。


「だって、悪魔とか天使とか、もっと……あはは、こう、架空のすごい存在としか思ってなかったのに、こんなに、身近に、いる、なんて……」


 笑いながらも無理にしやべろうとするから途中でむせる千穂。あわてて恵美がその背をさする。


「だって、俺お前のそんな個人情報知らないし、異常に強い人間くらいにしか思ってなかった」


「あのね……単なる人間で、聖剣レベルのてんぎんを体内に収めておけるわけないでしょ」


「なるほどな。よくわからん変身するやつだと思ってたけど、ようやくなぞが解けた」


「私にしてみればあなた達の今の姿の方がずっと衝撃的だったけどね。……千穂ちゃん落ち着いた?」


「は、はい、すいません」


 ようやく笑いが収まった千穂の耳に、恵美は口を寄せる。


「ね? だから私と真奥が、何か特別な関係ってことは絶対にないから、安心して」


「ゆ、さん……」


 笑ったり、真っ赤になったり、忙しい。誤解を解いて胸をで下ろす。その様子を見て苦笑を禁じえないおうあし


「にしてもお前さ」


 真奥はバツが悪そうにまゆを寄せる。


「まぁ今さら聞くのも変だけど、あんだけ力残してたんなら、なんで今まで襲ってこなかったんだよ。どう考えても昨日きのうまでの俺だったら、消し炭になってる強さだったじゃねぇか」


「あら、そんなこと?」


 恵美はなんでもなさそうに肩をすくめた。


きような魔王が、力を失ったように見せかけてつめを隠してるかもしれないでしょ? それに、前にも言ったけどあれだけ全力で戦っちゃったら、よしんばあなたを倒せたとしてもゲートを操作できるほど力を残せるかどうか分からないじゃない。そういうことよ」


「あ、なるほどな」


 真奥はすんなり納得しかけ、すぐに言葉通りの意味ではないと気づいてそうはくになる。


 逆に言えば、実は恵美が帰ることをあきらめてしまえばいつ滅ぼされてもおかしくなかったわけだ。今まで恵美が自分を滅ぼすチャンスはいくらでもあった。


 そんな真奥の表情に気づいたのか、恵美は面白くなさそうにそっぽを向く。


「言っておきますけどね、私はこれでも人々から尊敬される勇者なの。英雄なの。そんな私が、弱者を一方的になぶり殺しにするようなこと、できるわけないでしょ」


「弱者って……ちょっとそれひどくね?」


「本当のことでしょ」


「あー、じゃあどうすんだお前! 俺、力取り戻したぞ! 力使いきったお前なんか一ひねりだぞ! どうだ!」


 半分本気で身構える真奥。


「あーらそう?」


 しかし恵美は余裕の表情。かたわらのを抱き寄せると、彼女に抱きつきながら彼女の陰に隠れるようにして、


「ねぇ千穂ちゃん。あいつ、力を取り戻したの笠に着て、私をいじめようとするのよ」


 そんなわざとらしいことを言い出した。


「……そうなんですか、真奥さん」


 しかも千穂は、少しだけ悲しそうな顔で真奥のことを見るのだ。そのあまりに純真な様に真奥はひるみ、顔をらしてしまう。


「そっ、そんな目で俺を見ないでくれ、そ、そんなことするわけないだろ! 俺はほこり高き魔王だぜ? やるときは正々堂々だ! だからちーちゃんそんな悲しそうな顔すんなよ! 恵美もてめぇきようだぞ!」


 真剣に言い訳しているおうの後ろで、以上に悲しげなためいきをついたのはあしだった。


 そしてそんな様子を、異次元の世界を見てしまったかのようにぼうぜんながめるルシフェル。


「お前ら……どうしちゃったんだよ」


 その声に我に返った恵美と真奥は、許可なく発言をしたルシフェルを頭の上からみつける。


「ふぎゃ」


「そうそう、俺らのことより今はこいつ。あと、ささづか。どうするよ」


 改めて周囲を見回す真奥と、苦悩するように腕を組む芦屋。


「立つ鳥後をにごさず、とも言います。エンテ・イスラに帰るにしても、世話になったこの世界に混乱を残したまま帰るのは、いくら我々が悪魔でも寝覚めが悪い」


 芦屋の言葉は全くもって悪魔らしくないが、それ以上に恵美は『帰る』という言葉に顔がこわる。


「……やっぱり帰るの?」


「当たり前だ。魔王様が魔力を取り戻した今、この世界にとどまっていなければならない理由など一つも無い。我々の第一目標はエンテ・イスラなのだからな」


 芦屋は冷たく言い放つ。


「帰るって、実家とかですか?」


 まだ真奥たちの全てを理解しているわけではない千穂の質問はこの場では無視された。


「いや、でも俺今月結構バイトのシフト入ってムギュ」


「魔王様はエンテ・イスラ制圧とマグロナルドのアルバイトとどちらが大切なのですか!」


 芦屋は真奥の顔を平手でつぶす。


「よろしいですか、確かにマグロナルドはた駅前店とさき店長の計らいがなければ日本での生活はもっと厳しくなっていたであろうことは認めます。ですが、魔力干渉を持たぬ紙の上で人間と交わした契約などいかほどの価値がありますか。時給千円はしいとは思いますが……」


「へぇ、すごいじゃない。マグロナルドで千円とか」


「エミリアはだまっていろ! とにかく、魔王様ともあろう御方が鶏肉や牛肉や豚肉や魚やジャガイモを調理して喜んでいるなど、かつてのやみの同胞達が知ればどれだけ悲しむでしょうか。さんとの仕事の約束をにしたくない気持ちは分かります。しかし我ら悪魔はいたいけな少女との約束を破りそこから生まれる負の感情を喜んでこそでしょう!」


「仕事を教える約束を裏切られて生じる負の感情ってそんなに大したものなのかしら……」


「え! 真奥さん、バイトやめちゃうんですか!」


「我らの悲願はエンテ・イスラをこの手で制圧すること。私は日本に下りて以来何度も口をすっぱくして申し上げてきました。まずは我々の最初の目標をかんすいさせねばなりません! 今日きようと言う今日は魔王様に決断していただきます。ルシフェルの処分を下し、力の落ちたエミリアと決着をつけ、ささづかに別れを告げるのです!」


「お前、悪魔の姿の時と口数が違いすぎんだろ……」


 おうあしの早口にげんなりする。


「じゃあ、どうやって後をにごさずに帰ればいいんだよ」


「我々は特に悪いことはしておりません。魔王様がいてやるべきことはさき店長と相談して円満に退職することだけです。真奥はバイトがつらくてバックれた、などと思われてはいけませんからね」


「えー……だってまだフェア商品の地区売り上げ一位が……」


はた地区よりもエンテ・イスラを気になさってください!」


「冷蔵庫も洗濯機も自転車も買ったばかりなのに」


「ゲートをあやつる魔力を取り戻した今、白物家電や自転車に頼る必要がどこにありますか!」


「あの……で、僕はどうすれば……」


 正座させられみつけられて、その上置いてきぼりをくらっているびんなルシフェルがれきに顔をめながらぼんやりと声を上げると、反応したのは二人ふたりではなくだった。


「あ! そういえばルシフェル! 私の職場に電話してきたのってあなた?」


「あ、ああ……そうだよ?」


 あっさり認めるルシフェル。


「どうやって私の職場突き止めたのよ?」


「そういやそうだな。あれだろ? 仕事中にきようはくされたってやつ?」


 真奥が足をどかすと、ルシフェルは恐る恐る顔を上げる。


「そうよ。どうなのそこのところ!」


「あ、それは……ほら、最初に襲った時に……エミリア、お前これ落としただろ」


 そう言ってまれたままのルシフェルが取り出したのは、熊と白いぐまと黄色い鳥のイラストがプリントされた二つ折りの財布だった。


「あーっ! 私の財布!」


 恵美はルシフェルの手からファンシーなデザインの財布をひったくる。


「その中に職場の従業員カードみたいのが入ってたからそれを見て職場を……」


「うっわルシフェルお前拾った女の財布の中身勝手に見たのかよ!」


「最低ですね。このご時勢訴えられても文句は言えません」


 真奥と芦屋がこつに顔をしかめる。


「お前、財布はダメだろ、そこは見ちゃダメだろう。個人情報のかたまりだぞ」


「悪い人だとは分かってましたけど、サイテーな人だったんですね」


 は、先ほどの恐れとは打って変わって見下げ果てたような視線をルシフェルに向ける。


「なぁ芦屋。なんだっけあの財布に描かれてるあのキャラ」


「最近人気のキャラクターですね。えっとリラ……リラックスぐまとかなんとか……」


 おうの顔がまるであわれむかのようにゆがみ、


「ちーちゃんだって本物かニセモノか知らんけどヴィドンとか持ってんのにお前……」


「本物ですよっ! あ、で、でも可愛かわいいですよね、リラックス熊!」


 も困ったような表情を浮かべた末、フォローにもならぬフォローを入れた。


「う、うるさいわねっ! す、好きなんだから仕方ないじゃないの!」


 恵美は少し顔を赤らめて、財布の中身を改め、何かに気づいて声を上げた。


「あっ!?」


「な、なんだよ? 中身をったりはしてないぞ!」


「金ダコのスタンプカードがない! ひどい! スタンプ一杯になってたのに!」


 恵美は真っ赤になって怒っている。


「そ、それは、デビルフィッシュの包み焼きなんて食べ物見たことなくてつい好奇心で……!」


 話がまったくめつれつでまとまらない。話せば話すほど、きんな話題にどんどん脱線していってしまう。しかも誰も収拾をつけようとしない。






「おぇっぷ……いったい、これぁどういうこった? なんで全部止まってんだ」


「私に聞かないでください~。魔力結界か何かじゃないんですか~」


「あそこに立ってンの誰だ?」


「エミリアに見えますけど……」


「あそこでまってんのは?」


「……オルバ、ですねぇ」


「で、あの女の子と野郎どもは?」


「さぁ……」


 だいほうしん教会の思惑を知った勇者エミリアの仲間、せんじゆつどうアルバート・エンデと、西大陸神聖セント・アイレ帝国宮廷ほうじゆつエメラダ・エトゥーヴァ。二人がルシフェルとオルバの航跡を追いかけてゲートを通り抜け、ささづかに降り立ったのは、丁度そんなときだった。

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