魔王と勇者、笹塚に立つ(3/7)

「ちょっと! さっきのは虚勢だったの?」


 裏路地の物陰を使って上空の二人から逃げ回る真奥と恵美。しかし二人で肩をかついでいる芦屋の流す血のあとを点々と道に残してきてしまっている。それを追跡されているのだろうか、


「無茶言うな! 俺だって実際ほとんど魔力使い切っているんだぞ」


 すぐそばの庭先にある植木鉢がものすごい音を立ててくだけ散った。


たれたの!?」


「見りゃ分かるだろ!」


 背後の空を振り返ることすらできず、恵美は電柱の陰に飛び込み、真奥は民家ののきさきに身をひそめた。しかし大柄な芦屋も抱えたままでは頭隠してしりを出しているようなものだ。


「さっきまでの威勢はどこにいった!」


 ルシフェルの落雷のような大音声とともに、巨大な魔力球が、真奥の隠れる民家を直撃した。


「おあああっ!」


 爆風で真奥と芦屋は軽々と吹き飛ばされ、着地姿勢すらとることができない。


「な、なんてことを……」


 恵美はなんのちゆうちよも無くこの世界を巻き込むルシフェルを見てがくぜんとした。魔力球で圧壊した民家に人はいたのだろうか、確認するすべはない。


「逃げるぞっ!」


 真奥はそれでも戦うそぶりすら見せずに芦屋を担ぎ上げ、けんめいに逃げようとする。


「逃がさないよ!」


 ルシフェルが逃げるおうの背目がけて指でじゆうの形を作る。


「危ないっ!」


 がそれを見てさけぶが間に合わず、真奥は肩口をち抜かれ、あしともども倒れ伏した。


「いってええええええ!」


 真奥は痛みにぜつきようする。


「人間の体もろい! 分かってたけど脆い! くっそー! 死にたくねー!」


「何を泣きわめいてるのよ! それでも魔王サタンなの!?」


 恵美が物陰から飛び出して、真奥と芦屋を背にルシフェルをにらみつける。


「……あれぇ? エミリア、お前が魔王様をかばうのかい?」


 あざけるように笑うルシフェルだが、その挑発に恵美は乗らない。


「ルシフェル、あなたやはり本領ではないわね?」


 時間を稼いで戦況をきわめなくては。芦屋はひんであり、真奥も決して戦力にはなりえないだろう。


 何より未だにルシフェルに抱えられたままのの身の安全を考慮すると、は打てない。


「……それがどうした」


 ルシフェルは恵美の言葉をえて否定はしない。


「魔力球にしろ指弾にしろ、私がかつて戦ったあなたは、今とはレベルが違ったわ」


「……今のお前達をほうむり去るなら、これで十分ということだよ」


 わずかに空いた間を、恵美は聞き逃さない。


「余裕を見せた悪役は必ず負けるものよ」


「そうだ! お前今死亡フラグ立てたぞゲハっ!」


 倒れたままわめき散らす真奥を、恵美は振り向きもせずにりつける。にぶうめき声が上がった。


「要するに、ここで本気を出すことができないのはあなたも同じってことね。そして」


 ルシフェルの後ろからかゆっくりついてくるオルバ。


「あなたは、もっと遣いできない。そうよね、腐っても聖職者だし、ルシフェルと違ってじやあくな手段で回復できるようなら苦労ないだろうし」


 オルバは聞こえているはずだが何も言わない。


「でもね、私にもまんの限界があるの。やられっぱなしでいられるほど、勇者エミリアは甘くないわ」


「今はこらえろフゲッ!!」


 真奥の声はまたもかかと後ろ蹴りにさえぎられる。


「今足さわったでしょこの変態!!」


「血まみれで倒れてる俺が気づいてもらいたくて足をつかむのは、みぞおちを蹴られるほどの罪か」


 おうはよろよろと立ち上がるが、明らかに顔色が悪くなっている。今にもかついだあしに押しつぶされかねない。


「……死んだら見捨てるわよ」


「安心しろ、部下に殺されたなんつったら末代までのはじだ」


 すると真奥は、突然の手を摑むと引っ張って、千鳥足で逃げはじめるではないか。


「ちょ、ちょっと何するのよ!」


 思いのほか強い力で恵美を引っ張る真奥。しかしよろよろとおぼつかない足取りで振りきれる相手ではない。


「なんのつもりだい? 逃がさないよ?」


 ルシフェルは余裕のみを浮かべて更に真奥をち抜いた。足を切り裂かれ真奥は倒れる。


 血まみれの男女三人が白昼の交差点におどり出て、周囲にさけび声が広がった。


「……ってぇ……」


「あんた何やってるのよ! 死ぬつもり!?」


「へへ……死にそうか? 俺……」


 恵美は崩れ落ちる真奥を支えるが、ルシフェルとオルバはまるで弱った獲物をいたぶるように後ろからついてくる。


「へへ……」


「何笑ってるのよ気持ち悪い! 冗談じゃないわよ! 魔王を殺すのは私よ! なんで私といつしよに魔王が殺されなきゃいけないのよ!」


 真奥は交差点の車道に芦屋ともども倒れ込んだまま動かない。


 奇しくもそこは。真奥と恵美が日本で再会したレストランがある交差点であった。


 恵美の顔をかすめて更にルシフェルの指弾が真奥の肩を引き裂く。その衝撃で二人ふたりとも倒れてしまう。


「弱いね。これがかつて僕の上に君臨し、エンテ・イスラを手中に収めんとした魔王か」


 ルシフェルがあわれみとも取れる微笑を浮かべる。


「……早くしろ、今ならエミリアともどもほうむれる。私はゲート制御の力を残しておかねばならないんだからな」


 オルバはそう言うと、ローブのふところからけんじゆうを取り出したではないか。恵美は目を見張る。


 拳銃など当然エンテ・イスラの武器ではない。ということは、ルシフェルかオルバのどちらかが、この世界で手に入れたということになる。


 真奥と恵美をねらい撃ったげき事件や、連続路上強盗事件に、オルバは積極的に加担したのだろうか。


 エンテ・イスラでの旅の間、だいしんかんの名にじぬ立派な聖職者として誰からも尊敬され、天界の力とがおでエミリア達の旅をいやし続けた男の皮をかぶった何者かが、今目の前で自分に異世界のきようを向けている。は、エミリアは、悲しさとくやしさにみする。


 一体何が、オルバをここまで変えてしまったのだろう。


 けがれた聖職者は、恵美の心中はお構いなしに、倒れるおうと恵美にじゆうこうねらいを定める。


 そのとき、恵美の耳に遠くから複数のサイレンが近づいてくるのが聞こえた。警察消防が一帯を捜索しはじめたのだろう。ここまで来るのに真奥達もルシフェル達も、大勢の人間の目に留まっている。通報されて当たり前だ。しかしルシフェル相手では、益々被害は拡大してしまうだろう。


 真奥はそんな様子を、出血と疲労で薄れつつある思考の中で感じ取っていた。


「……いいな。これで。多分、あいつらなら……」


 真奥は誰にも聞こえない声でそうつぶやくと、


「恵美、つかまってろ」


 と隣で倒れている恵美の手を取った。


 そして、


「んんっ?」


 真奥と恵美があわく白い光に包まれ、ルシフェルとオルバが同時に魔力となまりたまを着弾させた時には、


「……空間転移が可能なほど魔力を残していたのか」


 その場には真奥とあしけつこんがあるばかりで、三人の姿はどこにも無かった。


「ルシフェルっ!」


「……このに及んでの転移さ。遠くに逃げる魔力も残ってはいないよ。追うのは簡単だ」






「っぷはっ! ビックリした!」


 恵美は真奥が転移魔法を使ったことに驚いたが、今はそれを責めるより先に状況確認である。


 大した距離は逃げていない。と言うより、最初にルシフェル達とまみえた場所に戻ってきただけの話で、魔力の航跡をすぐに察知されてしまうだろう。


 先ほどと違うことは、そこかしこに危機感の無い典型的日本人の野次馬と、ルシフェルの魔力弾に巻き込まれた人々を救助する警察消防の車両があることくらいか。


「で、でもこんなところに逃げてどうするつもりよ」


 今度こそ逃げ場は無い。というより逃げる余力が無い。平気で民家を壊しにかかったところを見ると、どうやら前回の襲撃以来この世界の人間を巻き込むことになんらちゆうちよが無いようだ。


「ちょっと! 死なないでよ! 大丈夫なの?」


「……」


 真奥は息こそしているが血を流しすぎたのか顔色が真っ白になっている。芦屋に至っては白を通り越して青ざめはじめており、いつ死んでもおかしくない。


「まさか救急車目当てでここに来たわけじゃないでしょうね?」


「……んなわけ……あるか」


「でもっ! あなた達今のままじゃ死ぬわよ!」


「わぁってるよ」


 おうの手を借りてなんとか体を起こす。


「もうちょい……だと思うんだが」


「今のお前達に秘策などあるのかい?」


 絶望的な声がかかる。見れば先ほどと同じようにルシフェルとオルバが首都高を背に浮かんでいる。この程度の距離を空間転移したからと言って逃げ切れるはずもない。絶体絶命だ。


「ルシフェル! 長引くと目撃者が増えるぞ!」


「オルバ、お前はビクつきすぎだよ。増えたなら減らせばいい」


 恵美はせんりつした。ルシフェルはおんな発言とともに急激に魔力を高めている。


「な、何をする気!?」


なぞの爆破テロ、首都高倒壊。犠牲者多数。この国の常識ならそんなところだろうね」


 ルシフェルはにやりとじやあくみを浮かべると、


「だが、またしん宿じゆく地下道の時のように魔王に戻られてはかなわないから」


 恵美のすぐ横を、光がかすめた。


「ぐ、がっ!」


 うめき声は、恵美の腕の中だった。


「魔王っ!!」


 ルシフェルの光弾が真奥の胸をち抜いていたのだ。真奥の胸の中心に黒々と穴が開き、真奥のひとみから光がいつしゆんで失われた。あしを支えていた手から力が抜け、芦屋の体が地面に投げ出される。


「魔王! 魔王! しっかりして! 魔王!」


 ぐらりと恵美の腕によりかかった真奥。恵美は真奥のほほたたくが、ぴくりとも動かない。


うそよ! 噓よ! そんな、魔王!」


 横たえて心臓マッサージをしようとしたが、つらぬかれた胸を見て息をんだまま固まってしまう。人間の、心臓の場所を的確につらぬいている。せいさせる手段などどこにも無い。


 そんな恵美と真奥の様子を見て、満足そうなみを浮かべたルシフェルは、


「もう用は無い。小娘は返してやるよ」


 と、抱えっぱなしだったをまるで紙くずを捨てるように空から投げ捨てたのだ。


「千穂ちゃん!」


 恵美は涙にれた顔を上げると、あわてて落下点にすべり込むが、


「ぅぐっ……!」


 ぜいじやくな人間の肉体は、数メートル上空から落ちてくる少女を受け止めただけであっさりとくだけた。の下に滑り込んだの足が、あり得ない方向に曲がっている。


 その様をはるか高みからへいげいするルシフェルは、ぎやくしんたっぷりの笑みを浮かべた。


「オルバ、契約をかんすいする。約束は守ってもらうよ」


 そう言うと、腕を左右に大きく広げる。その両のてのひらに、先ほど民家を圧壊したものとは比べ物にならない魔力のほんりゆうが集結しようとしていた。


「な、何を……!?」


 恵美は痛みをこらえながらルシフェルを見上げる。しかしルシフェルは、恵美を見ていなかった。その視線にあるのは、首都高。


「ルシフェルっ! やめなさいルシフェルッ!」


 ルシフェルの意図をさとった恵美は千穂の下敷きになったままさけぶが、そんなことで悪魔だいげんすいが止まるわけがない。


「……良い声だ。最期まで、破壊の音と絶望の叫びで、美しいコーラスをかなでてくれよ」


 首都高を支える橋脚の一つに向かって魔力球を放った。


「さらばだ勇者エミリア! 魔王とアルシエルの後を追うがいい!」


 巨大な二つの爆発が橋脚を完全に破壊する。


 その場にいる人間全員が天をあおいだ。黒いコンクリートのてんがいが、ごうおんを立ててせまってくる。まるで巨大な生き物のあごが、この世の者ではないほうこうを上げながらせまってくるかのようだ。


 かたむき倒れはじめた首都高を、はや誰も止めることなどできない。


 天板のほうらくが始まり、首都高を走っていた車が混乱の中次々と落下しはじめる。


 人々のぜつきようすらかきけして倒れる首都高の下、恵美は千穂の頭を抱きしめた。


 その場に顔と体を伏せ、どうにもならない絶望と無力感にとらわれ、意識と視界がやみに落ちた。




「さすが、B級。期待……通り」




 胸をつらぬかれたはずのおうが、血まみれの顔でみを浮かべたことに、誰も気づかなかった。

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