魔王、新宿で後輩とデートする(4/6)

 目を開く感覚は確かにあった。だが、開いてもそこには闇があるだけで、千穂は思わずあわてふためく。


 気絶するなど初めての経験だったが、その直前の記憶は鮮明に千穂に恐怖をき上がらせた。こわった手足を恐る恐る動かすと、無数の岩や小石のような感触にれる。


「ど、どうなったの」


 千穂が思わずつぶやくと、


「良かった、気がついたのね」


 すぐそばで女の声がした。


「だ、誰ですか?」


「私よ」


 完全なやみの中から聞こえてきた女の声。周囲に反響して鮮明には聞き取れない。だが、


「あなたは……」


 突然闇に薄ぼんやりと光が浮き上がり見えた顔は、おうとのティータイムにすいに割り込んできた女のものだった。


 女の顔を認識していつしゆんこんな事態におちいる直前のやりとりを思い出すが、光に浮かんだ女の顔が、ひたいあたりから流れる黒い何かでれていることに気づき声をかけた。


「だ、だ、大丈夫ですか!」


「ああ、これ?」


 女が無造作にぬぐった額からまたそれが流れはじめて思わずのどの奥で悲鳴を上げる。


「大したことないわ」


「で、でも、そんないっぱい、血が」


「見た目ほど大したことはないわよ。ほっときゃ固まるわ」


 なんでもないことのように言う女の手には、携帯電話が握られている。あかりの元はそこらしい。だがそれでもなおの視線は女の額から流れる血の筋を追ってしまう。


「でも参ったわね。完全に閉じ込められたわ」


 女は携帯電話の灯りを周囲に巡らせる。地下通路のれきが完全に周囲をふさいでおり、千穂と女がようやく立ち上がれる程度の空間があるだけだ。


「あ、あの、地震で?」


「ええ、地下通路ほうらく、多くの人が地下で生きめ、とかそんな感じでしょうね」


「わ、私どれくらい」


「崩れてから三十分も経ってないわよ。人間二人ふたりで息苦しくもならないってことは空気の通り道があるってことね」


 恐る恐る体を動かすが特に痛みもなく、女の落ち着き払った様子に感化されてか、闇への恐怖が少しづつ薄れて千穂は大きく息を吐く。


ずいぶん、落ち着いてるんですね」


「まぁね。こんなことはちょっと前まで日常はんだったから。あなたこそ荒事には慣れてなさそうなのに、落ち着いてるじゃない」


「お姉さんがいるからです、一人ひとりならきっと泣いてます」


 女はこんな場合だというのにほほみ、


よ。言っておくけど、真奥とは本当になんでもないんだからね」


です。今はそういうことにしておきます」


 非常事態の最中の握手。千穂はこんな状況にも関わらず落ち着いている自分に驚いていた。一人ひとりではないということは大きいが、それだけではこんなに気丈でいられるはずがない。


おうさんは……」


「少なくとも私達のそばにはいないわ。そんなに離れた場所にいるはずはないんだけど」


「いいえ、そうじゃなくて……」


 こんなことになるまでは一つのテーブルをはさんだ場所にいたのに、今はそばにいない。ということは……。


「ああ、れきつぶされちゃったんじゃないかってこと?」


 言いにくいことをあっさりと口に出すに、千穂はぜんとする。


「そうね、私としてはここであいつが死んでてくれるとうれしいんだけど」


 続け様の過激かつ非情な発言。しかしその軽さが、恵美自身そう考えていないあかしである。


「あいつは絶対に生きてる。こんなところで死なれてたまるもんですか、あいつを倒すのはこの私なのよ。災害に巻き込まれて事故死なんて情けない死に方、私が許さないわ」


 だが恵美は自信たっぷりにそう言い切った。その確信に満ちた言い方に、か千穂までが勇気づけられる。


「そうですよね、きっと、無事ですよね」


「ええ、無事よ」


 恵美はそう言うと千穂の隣に腰を下ろす。お互いの位置は確認したので、節電のために恵美は携帯電話を閉じた。再びやみが空間を支配する。


「それに、変だと思わない?」


「何がですか?」


「ここに、こんな都合よく私達二人ふたりがいられる空間があるなんて」


「……あ」


 千穂も災害救助現場の報道を見たことくらいはある。まったく身動きも取れないまま何日も救助を待った生存者などがニュースになったりすることを考えると、生きていられるどころか動き回れるだけの空間があることなど奇跡を通り越し怪奇現象だ。


「こんな場所がこの瓦礫の中にいくつもあるはずよ。小さな魔力結界が沢山あるみたいだし、きっと真奥が何かやったんでしょうね」


「マリョクケッカイ?」


 千穂は聞きなれない言葉を聞き返すが、恵美は意に介さず話し続ける。


「多分誰も死んでないわ。それにここから一番遠い結界も、五十メートルは離れていないし。思ったより被害は大きくないのかも」


 千穂に話しかける、というより半分独り言のような恵美の言葉。


「本当なら感謝するべきなんだけど、魔王がこんなにたくさんの人間の命をとつに助けてるなんて、どういうことかしら」


おうさんが?」


 の発音がおかしいことには気づかなかった。


「これだけの数の結界をいつしゆんで作るだけの魔力が残ってるなんて、やっぱり油断ならないわね。多分この空間も魔王が作ったものよ」


「ここが、ですか? 真奥さんが、作った?」


「そう。私達を助けるためにね。腹立つわ。なんで魔王のくせに勇者を助けてるのよ。しゆんせいほうの防護障壁を作れなかった私のほうが自己中の悪者みたいじゃない」


 くらやみの中で恵美がちよう気味に吐き捨てる。


「あの……さんが何を言ってるかよく分からないんですけど……」


「気にしないで、独り言よ」


 恵美の微苦笑する気配が伝わってきた。


「真奥のどこが気に入ったの?」


「えっ!」


 突然そんなことを振られて千穂は暗闇の中で飛びねる。


「ななななななな何を言ってるんですか!?」


 見えるはずもないのに顔の前でバタバタと手を振る千穂。


「真奥のことが好きだから、私の言ったことが気に食わなくて突っかかってきたんでしょう?」


「す、す、好きって、私、別にそんな」


 千穂は本気であわてている。しばし手足をバタつかせて見えもしない周囲を見回し、うめき声を上げながら更に一分ほど暴れた挙句、


「そ、そんな簡単に分かっちゃいますか」


 涙声で尋ね返した。苦笑する気配が返ってくる。


「知らぬは本人ばかりなり、ってね。はたから見てれば誰でも分かるわよ。真奥本人が気づいているかどうかは分からないけどね」


「うー……」


 千穂は自分の顔が熱くなっているのが分かる。


「ゆ、ゆ、遊佐さんは、真奥さんのことどう思ってるんですか?」


「私?」


「真奥さんを敵だとか言う割には、近くにいたり、変に親しげだったりしますよね」


「……あいつと親しいなんて絶対いやなんだけどな。まぁ、知り合ってからはずいぶん経つことは確かだけどね」


「どれくらい、なんですか?」


「私が先に向こうを知ってたんだけどね、向こうが私を認識したのは二年くらい前かな」


「卒業したのが同じ中学とかですか?」


「それならもっとお互い穏やかな関係が築けたんでしょうね」


 は苦笑した。


「でも、あいつを好きになったら、つらい思いをすることは確かよ。一応、止めたからね」


「なんだか良く分かりませんけど……」


「じきに分かる……いえ、分からない方がいいのかもね。とにかく今は」


 言うなり恵美はくらやみの中で正確にひたいに指を当てた。


「少しだけ眠ってて。最近の魔王は変に人の目を意識しちゃうみたいだから」


 いつしゆんのこと。千穂の額にれる恵美の指先があわく光って、それが消えたときには千穂は深い眠りに落ちていた。


 静かな寝息を立てる千穂の体をゆっくりと横たえる。


「つまんないグチ聞かせてごめんなさい。目が覚めたら、全部忘れてるから」


 言いながら再び千穂の額に手を当てると、また指先が淡く光り、すぐ消えた。


「近くにいるんでしょ。千穂ちゃんは眠らせたわ!」


 恵美の声に答えるように、れきの向こうのすぐ近くで、大きく魔力がふくれ上がる。その予想以上の魔力量に恵美は一瞬目を見開く。


「大きなお世話だ」


 瓦礫が落ちる音とともに、おうの声がする。続けていくつも細かい岩が崩れる音がして、新たな気配が暗闇の中に生まれる。


「そう考えると複雑だな、俺達の関係は」


「そうね。お互い望んで出会ったわけじゃないから、余計に面倒くさいわ」


「違いない」


 真奥の声は少し高い位置から聞こえる。恵美はまゆひそめた。真奥の声に、得体の知れない力がこもっている。


「ちーちゃんを頼む。ここから出るぞ。意外に被害は小さいみたいだが、ゆうちように救助を待ってらんないからな」


 暗闇に光がともる。そのまがまがしい血の色の赤光が、恵美に恐ろしい記憶を喚起させた。


「ま、魔王っ!」


「なんだよ」


 なんでもないような返事、だが、


「そ、その姿……どうしたの!」


「知らん。なんか、こうなってた」


 顔だけは間違いなく真奥さだだ。しかし黒髪のすきからのぞくのは悪魔のあかしである角。恵美がかつてくだいた一方は欠けたまま。


 視認できるほどのまがまがしい魔力が、くらやみの中に異形の姿を浮かび上がらせている。


 やや高い位置から声が聞こえていたのは、おうの足がこの世界のどんなけものよりも禍々しい魔物の足に変化していたから。


 変化はそれだけだったが、明らかに真奥は、魔王の姿を取り戻しつつあるように見える。


「だから結界も張れたし、今ならこのれきをどけるくらいは楽勝だ。安心しろ。まだゲートを制御するような力は戻ってきてないから」


 安心しろと言われて素直に安心できるはずがない。何が原因かは分からないが、真奥は魔王であるために必要な魔力を、地下道崩落から今までのほんの短い間に回復できたのだ。


「結界維持しながら瓦礫をどかすのはホネだな。この格好もどうせばいいものやら」


 真奥は少しずつ、真紅の魔力を周辺の瓦礫に染み込ませてゆく。


 を、を、あしを、そして名も知らぬ日本人を助けるために魔力を振るう魔王サタン。〝勇者エミリア〟なら、こんな無防備な背中をさらしている魔王が目の前にいれば、間違いなく聖剣を振りかざしりかかっていただろう。しかし恵美は、宿敵の無防備な背中をただながめることしかできなかった。


 この禍々しい魔力の流れに押し出されて、いつこの背から悪魔のつばさが再生するかもしれないという恐怖は心の中にある。そして後のことを考えず最後のせいほうを振りしぼれば、今現在の魔王を倒せるだけの力を持った聖剣を生み出すことができる。


「う……ん」


 千穂の寝息と、寝言とも呼べない小さな声が、恵美の中に生まれたほんのわずかばかりの殺気を打ち消した。


 今、魔王を殺せば目的は達成できるかもしれないが、魔王の力で生存している多くの人たちがいつしゆんにして瓦礫に押しつぶされて死んでしまう。それは恵美と千穂も例外ではない。


「どうしてよ」


 恵美はのどの奥で、誰にも聞こえない声で、えんの声を吐く。


「どうして、魔王が人を助けるのよ」

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