魔王、新宿で後輩とデートする(3/6)
芦屋が恵美に見つかる三十分前のこと。偉大なる魔王サタンは後輩バイトの女子高生、
「あれ? ちーちゃん髪切った?」
「はい! 思い切って短くしてみました! どうですか?」
つききりで仕事を教えていた真奥だからこそ分かる程度の
「うん、似合ってるじゃん」
「やったっ!」
素直にそう返すとガッツポーズを作る千穂。
「でも、学校の制服とかで来るかと思ってた。
特に深く考えずにそう言った
「そんなわけないじゃないですか! 理由はどうあれ
突然怒ったような口調で
「真奥さんも、ユニシロばっかり着てるのかと思ってましたけど、今日はいつもより格好いいじゃないですか」
悪気は無いのだろうが、何か引っかかる物言いに
「同居の
「ユニシロも悪いわけじゃないんですけど、上から下まで全部ってのはよほど上手に組み合わせないとダメです。と言うか、デートだと思ってくれてるんですね! やったっ!」
何がやった、なのか、ユニシロの何がいけないのか、これは本当にデートなのか、何も分からないまま真奥は
「とは言っても、
「まぁ、そうなんですけどぉ……」
「どうする? まさか外で立ち話ってわけにもいかないけど、普段外食とかしねぇからゆっくり落ち着けるところってマッグしか知らないんだ」
千穂もそのことは予想していたのか、特に何も言わずに少し考えて言った。
「じゃあ、カフェ〝
怒濤留ならば真奥も存在だけは知っている。
「大丈夫です!
普段から貧乏オーラを目に見える勢いで放出する真奥を気遣っての言葉なのだろうが、
「大人ナメんな。それくらい奢るのはなんでもねぇって」
やはり
「それじゃ行こうか」
最寄の怒濤流は少し
「あ……ま、真奥さん」
「ん?」
歩き出そうとした真奥を千穂が呼び止める。
「あの……えっと」
「何? どうしたの」
「……て」
「て?」
千穂は少しだけ
「手……
さっきまで元気一杯だったくせに、突然
「そんなことか、いいよ別に」
なんでもないようにひょいと
「どうした?」
「え、あ、いえ、やった! あ、な、なんでもないです! ありがとうござ……」
「人ごみ
「っ……」
コロコロ変わる千穂の表情に真奥は千穂の真意がいまいち読み取れない。コマ落としのように、驚き、喜び、無表情、何がしかの
「……ですよねー。なんか、分かってました」
真奥はそんな千穂の顔を
「
「そ、それはきっと、悩みがあるからです!」
不自然に目を
「そっか、そりゃそうだよな」
だが真奥はそれをそのまま
「はぁ……」
一見して千穂自身にはなんら魔力的事象は顕現していない。生命体としての変質も認められないし、こうして
変化らしいものは、
そうなると、あとは何者かが外部から千穂に干渉している可能性を考える必要がある。真奥や
全ては千穂の言うことが本当なら、という前提つきではあるが、
どちらにせよ現時点では不審な様子もうかがえないので、まずは話を聞いてみるほかない。
幸いカフェ
すこし離れた場所にある柱の陰に芦屋が身を隠すのがちらりと見えた。
「で、早速だけど、
「あ、はい」
千穂は季節のフローズン・ラテを、真奥はブレンドコーヒーを注文し、真奥は話を切り出す。
「マグロナルドのバイトを始めたくらいから耳鳴りが
真奥は
「それでこの前話したうちだけ酷かった地震、あったじゃないですか。変だなぁと思ってたら昨夜、誰もいないのにいきなり耳元で声が聞こえたんです」
「その声だけどさ、どんな感じなの? 普通にこうやって会話するとき耳に聞こえるような感じじゃなくて?」
千穂は
「んーっと、真奥さん、普段映画やアニメとか見ます?」
「……時々なら」
実際には家にテレビが無いのでほとんど見たことはないのだが、話を進めるために見栄を張った真奥。
「テレパシー、みたいな表現あるじゃないですか。エコーがかかって聞こえるみたいな。あーゆーんじゃないんです」
「へぇ?」
「何か
「マジか!」
「え、ええ……」
「しかも、言うことが凄いシンプルだったんです。『あー、聞こえてるか』とか言うんですよ」
普通なら知らない男の声が耳元で聞こえたらそれだけでパニックになりそうな気もするが、千穂はそれに静かに耳を
「思わず声に出して返事しちゃったんですけど、その後も『聞こえてるか』ばっかりで、どうも私の声は届いてなかったみたいなんですね。仕方ないからとにかく向こうが何か話し出すのを待ってたら、『まあいいや、受信できる
そこで千穂は言葉を切り、フローズン・ラテを一口すする。
「……それだけ?」
「それだけです。意味が分からないし、絶対電話みたいにかけ間違えてるなと思って。私宛じゃないことだけは分かるんで、違いますよー、違いますよー、って言ったり思ったりしたんですけど、そのうちまたチューニングがずれて声が遠くなって、耳鳴りもそれ以来やんだんです」
「それで、ここんとこ頻発してる自然現象て言ったら地震しかないと思ったわけだ」
「そう思うまで結構時間かかったんですけどね。そんな声が聞こえたことに驚いて、しばらく何も考えられませんでしたから」
千穂は苦笑して、話に夢中になっている間に氷が溶けはじめたラテをまた一口すすった。
一方の真奥はコーヒーがぬるくなるのも構わず思考を走らせていた。
千穂が受信した音声は、〝
真奥や
ゲートを用い異世界に渡る
それが地球、ひいてはこの日本にソナーが放たれ、それが地震という形に変わったことは十分に考えられる。
発射元はエンテ・イスラが自分を
ソナーを打つ先は、魔王とアルシエル、そして勇者の航跡を追えばある程度は限定できる。
思えば
これは、思ったよりも早くことが起こりそうだ。
真奥も
千穂が聞いた『近いうちにでかいのが起こる』というのは、それ相応のエネルギーを持った者が実力行使に出る、ということだろう。
敵は、すぐそばにいて、何かの機会を待っている。
「でも……やっぱり真奥さんに相談して良かった」
「え?」
思考に没入していた真奥は千穂の声で我に返る。
「ありがとうございます。信じてくれて」
「いや、そんな大したことじゃ」
「大したことですよ。普通の大人の人は、こんな話
「そういうものかなぁ。ご両親とか友達には?」
「話すわけないじゃないですか。今時、高校生にもなってこんなこと言い出したら笑われるのを通り越して心配されちゃいますよ。この子は現実と空想の区別がついているのかって」
「ふーん、そんなもんかねぇ」
少し落ち込んだ様子の千穂に優しい言葉の一つもかけようとした真奥だが、
「ま、俺は話を聞くだけならいつでもうぐげぼふっぶゅ!!」
「だ、大丈夫ですか? どうしたんですか!?」
突然激しくむせ返った真奥に、千穂が
「真奥さん?」
「うえっほ、いや、大丈夫。なんかつっかえた。俺は何も悪いことはしていない」
「は?」
「いやなんでもない。後輩の相談に乗るなんてのはごく一般的な出来事でそれ自体にはなんの悪意も無いわけで、ヨコシマな考えでここにいるわけでは決してない」
「ま、
「ん? ああ、ちーちゃん、気にするな。ちょっとした発作だ」
「ほ、ほっさ?」
「フォッサマグナ」
「真奥さん!?」
「いや、いや、ごめんなんでもない、なんでもないから」
混乱した思考が一秒の間に光の速さで地球を七周半して、それでは地球の裏側で止まってしまうことに気づき、もう半周して戻ってきた。
「ま、まぁとにかくだ、ちーちゃんの話を総合すると、まず耳鳴りや変な声自体は直接的な問題じゃない。肝心なのは本当に悪いことが起こるか、今回の件で言えば『でかいのが』が起こるか
真奥の不審な挙動に
「幸いその耳鳴りの
「はい……そうですね」
「あんまり解決になってないかもしれないけど、今の俺に言えるのはこれくらいだなぁ」
場を仕切りなおすように真奥はお
千穂は氷が溶け切ってしまったラテのグラスを両手で包んだまま少しだけ考え込むような仕草をしたが、やがて顔を上げた。
「真奥さん、本当にありがとうございます。少し、胸のつかえが取れました」
「ん、ならよかった」
どうだ
真奥は心の中で堂々と胸を張るが、
「そう言えばさ、なんで俺に話そうと思ったの?」
ふとした疑問を千穂にぶつけてみた。自分は確かにアルバイト先の先輩として千穂の指導はしたが、知り合ってからまだ二ヶ月たらず。フリーターという立場が日本の社会でどれだけ弱く信用の低い地位にあるか分かっているつもりである。
「え、その……」
千穂は少し
「んーと、なんでだろ。真奥さんなら信じてくれるかもって思っちゃったんです。真奥さん優しいし、それにどこか普通の人と違うっていうか」
優しい、は悪魔にとって
「ま、変人であることは認めるけどね」
「あ、あ、違うんです悪い意味で言ったんじゃなくて」
「分かってるよ。ほら、飲み物こぼすからそんな慌てんなって」
「もぅ! 真奥さん意外と意地悪だ!」
千穂は困ったような怒ったような表情で
「でも、こうやって真奥さんと
「ん?」
千穂の少し
「……ま、真奥さん、その」
千穂が
「私、真奥さんが……っ!」
「やめなさい!」
千穂が放った
その声に真奥は身を
「この男に関わるとロクなことにならないわ」
「え、
「悪いことは言わない。この男はもうすぐ日本からいなくなる身よ。今のうちにとどまっておかなくちゃ、あなたが
真奥は恵美が突然介入してきたことに驚き、またも頭の回転が止まってしまった。恵美と
一方、千穂の対応は素早かった。
「失礼ですけど、お姉さんは真奥さんの、どういったお知り合いですか」
さっきまでの何かに迷ったような表情が
恵美も千穂の敵意は理解しているのか、厳しい表情のまましかし
「いい、これはあなたのために言っているの。この男は見た目通りの男じゃない。本性はもっと
「いきなり出てきて
真奥は
ちなみに
「私はこの男の敵。それ以上でも以下でもないわ。いい、
「お、おい
ようやく恵美の後ろから芦屋が止めに入り、
「ちーちゃんも、ちょっと落ち着いて」
真奥も千穂を
「私に指示しないで」
「真奥さん、
「いや、でもこのままだと店に迷惑だから、な、とにかく出よう、な?」
千穂と恵美の不穏な空気を察した他の客や店員の視線を気にしているのが、悪魔である真奥や芦屋だけというのが何かおかしい。真奥は必死に訴えるが、
「そうだ、思い出した、お姉さんこの前、うちのお店に来ましたよね」
「……それがどうしたのかしら」
しかし二人は聞いていなかった!
「あのときも真奥さんと話してたみたいですけど、もしかして真奥さんの元カノか何かですか」
その言葉が予想以上の威力を持っていたことは、恵美の口の端が
「……っ! 何を言い出すの?」
恵美にしてみれば交番に連行された時以来の言いがかりに、思わず覚えた
「やっぱりそうなんですね。なら私が真奥さんにどうアプローチしようと今さらお姉さんには関係ないんじゃないですか?」
「バカなこと言わないでもらえる? 私とこいつはそんな関係じゃ……」
「じゃあなんでいつも真奥さんの近くをウロウロしているんですか」
「こいつと私の関係は、簡単に語れるような間柄じゃないの」
「自分の方が真奥さんと親密だとでも言いたいんですか?」
「どうしたらそう取られちゃうのかしら」
「そうとしか取りようがありません」
お互いの言葉を聞いているのかいないのか、売り言葉に買い言葉が重なって緊張はまさに頂点に達しようとしている。
「だから
け、と真奥は仲裁の言葉を最後まで発することができなかった。
真奥や
次の
「じ、地震だっ!」
誰かの
「大きいぞ!」
次に叫んだのは誰だったろうか。
その次に叫ぶ者の声は
地下にいるはずなのに立っていられないほどの縦揺れ。店内の食器や調度が床に落下し照明や通路に面したガラスが
「危ないっ!」
その叫び声を聞いた者も、発した者も、天井に
轟音も揺れもやまず、亀裂は天井からその
「く、崩れ……」
真奥と千穂が座っていたテーブルを
「真奥さんっ!」
千穂は叫ぶが、その声は真奥には届かない。天井が崩れはじめる様を見ても、恐怖に硬直した足ではこの揺れの中逃げることすらできない。
通路の本格的な
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます