魔王、新宿で後輩とデートする(1/6)

 翌朝おうあしが目を覚ますと、の姿は既に無かった。


 恵美が使っていたバスタオルはきちんと畳まれて洗濯機の上にあり、玄関のドアのかぎが、窓の下の床に落ちている。そして台所のシンクのわきには、


「なんだこれ?」


「酢の物、ですか」


 こんにゃくとキュウリを切って酢とで和えたものがばち一つ分だけ置いてあった。芦屋は作った覚えがない。


「一宿の礼のつもりでしょうかね? どれ、私が毒見を」


 芦屋はかけられたラップをがすと一口キュウリを口に運ぶ。


「……ふん、敵ながらなかなかやるではないか」


いの?」


「悪くありません」


「へぇ。俺あんま酢の物って食ったことないけど」


 言いながら真奥も一口つまんで味見をしている。


「床に鍵が落ちてるのはどういうことでしょうか」


「多分、出る前に窓を開けといて、玄関の鍵を閉めてから投げ入れたんだろ? 廊下に面してる窓には格子がはまってるから鍵開いてても安全だし」


流石さすがは勇者、品行方正なことで」


 芦屋は鍵を拾い上げるとつまらなそうに鼻を鳴らす。


「お前が逆の立場だったらどうするんだ?」


「決まっています。鍵をかけてそのまま鍵を持ち帰ります」


「お前悪魔だ」


「悪魔ですが、何か」




    ※




 けいおうかしら線、えいふくちよう駅から徒歩七分のマンション、〝アーバン・ハイツ永福町〟の自室、五〇五号室に帰った恵美は、始発の出る時間まで眠りこけてしまった自分にきようがくした。


〝ヴィラ・ローザ〟とは名ばかりのささづかのボロアパートでも、魔王城は魔王城だ。無用心にも程がある。しかも魔王の金で電車に乗ってしまった。恵美はくやしさにみする。


「身がけがされた思いだわ」


 だが残りの小銭でしん宿じゆくまでは出なければならない。何せ恵美は今日きようも仕事なのだから。


 通帳と印鑑はあるのでお金は下ろせるのだが、えいふくちよう近辺に恵美が口座を持つ銀行の有人窓口が無いのである。


 魔王城の古びた畳のにおいを洗い流すべくは猛烈な勢いでシャワーを浴びた。


 出勤までは時間があるが、そうでもしなければ魔に染まってしまう気がしたからだ。


 熱い湯を浴びながら、恵美はふと自分の頭をさわる。魔力弾の強襲からおうに助けられた時に触られた場所だ。恵美の頭をボールのようにつかんでねじ伏せた真奥を思い出し、身震いする。


 新しいシャンプーを買っておいてよかった。普段の倍の時間をかけてシャンプーをし、コンディショナーをぬりたくり、更にヘアパックでトリートメントを徹底する。


 真奥に触れられた箇所全てに雑菌でも付着していると言わんばかりに体をこする。買ったばかりの弱酸性薬用保湿美容せつけんがみるみるうちに半分近くけずられた。


 浴室を出て、バスタオルで髪のしずくを吸いながらリビングに入ると、恵美は花柄のクロスを敷いたカジュアルコタツの上からリモコンを手に取りテレビをつける。


 どんな田舎で起ころうと、じゆうげき事件には敏感な日本である。実際には魔力弾なのだが、それでもアスファルトがえぐられ、信号が割られ、ビルのシャッターが破壊されているのだ。都内で銃撃事件にしか見えない事態が起きれば間違いなく早朝からニュースで報道されるはずだ。


 MHKは鉄道と道路の情報を流していた。首都圏のJRと私鉄各線は平常通りの運行だというから、恵美は出勤においてけいおうかしら線に大過なく乗るだろう。


 しばらくすると報道ニュースの枠になり、やはりトップニュースの扱いで、昨日きのう真奥と話した交差点に多くのマスコミが詰めかけている映像が映し出された。


 交差点を警官が取り囲み、進入禁止の黄色いテープが張られている。とばっちりを食ったビルのシャッターの無残な有様も時折映像にはさまれる。報道自体は銃撃が起こったことだけ、原因その他の情報についてはまったく判明していないと述べるにとどまった。


 チャンネルを回すと他局のニュースもおおむね状況は同じだった。だが、


「なっ! あいつらっ!」


 一つの局のテレビカメラに、野次馬近隣住民に混じって真奥とあしの姿が映ったのである。


 条件反射的にテレビを消したくなるのをじっとこらえる。二人ふたりが映ったのはいつしゆんだったが、何かを深刻な顔で話し合っているように見えた。真奥が芦屋に昨日の状況説明でもしているのかと思いきや、


『……そして交差点の真ん中に両輪がパンクしている自転車が放置されており、事件に関係があるものと見て警察は持ち主の割り出しを急いでいます』


 と、現場リポーターの声が流れ、恵美は目をいた。


「あの……バカっ……」


 さっきの深刻な顔はこれか! 恐らく彼らはこんな大事になるとは思っていなかったのだろう。だから早朝にでも取りに来ればいいくらいに思っていたのがこの有様だ。


 警察は自転車を回収し、すぐさま持ち主を割り出すだろう。そしてヴィラ・ローザささづかに住む真奥さだを見つけ出す。


「ま、関係ないか」


 はそう結論づけて、髪を乾かすためにテレビをつけたまま洗面所に戻った。


 おうは一応被害者だし、事件と関係があると思われても別に恵美にはなんの実害も無い。むしろ真奥が警察に捕まってくれれば好都合というものだ。


 その間にニュースは変わり、都内で奇怪な格好をした変質者による、女性やお年寄りばかりをねらった路上強盗や、深夜のコンビニ強盗などがひんぱつしていることを伝えていた。耳だけでそれを聞いていた恵美も、そのさつばつとしたニュース内容に気持ちを暗くしてしまう。


 まったくゆううつな日には、とことん憂鬱なことしか起こらないらしい。






 恵美のアルバイトは受信専門テレアポ契約社員だった。


 しん宿じゆく駅東口から歩いて十分ほどのビジネス街にある携帯電話会社大手ドコデモの関連会社のビルにあるオフィスで、主に苦情処理やお客様相談をけ負う部署に所属していた。


 苦情処理の受信専門はテレアポでもなり手の少ない分野らしく、恵美はこの世界で得た最初の職にこうして今でもついている。


 人手不足の職場なので時給は高く、度胸がわっており声も美しい恵美は職場では重宝される存在であった。


 更に恵美には、この世界の全ての言語を把握する力があった。


 聴いたことのない言語が飛び出してきても、概念を脳が理解する一種の精神感応能力だ。こちらの概念をそのまま返せば、相手も分かってくれる。これがはたから見ると英語もフランス語も韓国語も中国語も全てペラペラであるように見えるらしい。


 恵美は出勤してロッカールームでグレーのベストにタイトスカート、ブラウスにリボンというデザインの制服に着替え、勤怠コードを『出勤』にすると割り当てられた自分の席に着く。正社員ではないので自分のデスクというものは存在しないのだが、人手が無い職場なので大抵オフィスの同じ島に着席することになる。


「おはよー、恵美」


「あ、おはよ、


 隣の席の同僚、すず梨香が声をかけてきた。社員番号が一番違いなので、同じ日に出勤すると隣り合わせの席になるのだ。グレーの制服に明るいブラウンのショートカットがよく映える。


「ねぇ、あのじゆうげき事件って、恵美んちの近くじゃない?」


 いつしゆん心臓がね上がるが、それを顔に出す恵美ではない。


「駅三つ離れてるよ」


「でも都心で銃乱射とかマジないよね。日本もそろそろやばくなったってことかな」


 朝のニュースでは『銃撃事件』と呼ぶにとどまっていたが、梨香の中では既に『乱射事件』になっているようだ。


「最近地震も多くなってきているし、変態が路上強盗とかいう話もあったし、自然も人心も乱れることはなはだしいわね。あ、今日きよう、新しいカレー屋オープンするんだけど、知ってる?」


 はこの世界の女性の話題のやくぶりにはもう慣れていた。


「んん、知らない」


しもきたざわの有名店が進出してきたんだってさ。お昼に行ってみない?」


「えー、でも有名店なら行列するんじゃないの?」


「でもしいってよ?」


 恵美は日本に来たての頃、食べ物の豊富さと美味しさに毎日驚いていた。その中でもカレーという料理は恵美の常識を超えた正に革命的なであり、日本の生活に慣れ親しんだ今でもその印象は変わらない。ゆえに今日のの誘いは非常に魅力的なのだが、今回ばかりは後ろ髪を引かれる思いで首を横に振った。


「ごめん、今日行列に並ぶ時間無いの。財布落としちゃって」


「ええ? マジで!」


 梨香はキャスターつきのが倒れるのではないかと思うほどおおぎように驚く。


「定期もキャッシュカードもクレジットカードも全部入っててね。そういった手続きとか、あとお金下ろすにも人のいる窓口行かなきゃだし……」


「うわ、それじゃあちょっと行列は無理っぽいね」


「ごめんねー」


「ん、いーよいーよ。んじゃどうする? マグドとかで済ます?」


「ごめん、マグドだけはいや


 梨香は恵美にとっては職場の同僚である以上に、この世界でできた最初の友人である。恵美がマグロナルドを「マグド」と言ってしまうのは、梨香の影響によるところである。


 おうから仲間がいないとされた恵美であるが、同じ世界から来た仲間がいないだけで、この職場でできた友人は数多い。その中の一人ひとりでもいいから、ささづかはた周辺に住んでいてくれたら、昨夜あれほどのじゆうめずに済んだのだが。


「でもさ、カード類は早めに止めておかないとヤバくない?」


「もう止めたよ。仮止めだけどね。電話でそれだけはできるんだって」


「そうなんだ。じゃあどこに行くにしろ今日は傷心の恵美に私がお昼をおごってやろう!」


「いいわよそんな」


 そうこうしているうちに始業のベルが響く。


 恵美は自分に割り当てられたPCの社内メールを確認する。そこにその日の注意事項が記されているからだ。


 早くもどこかのブースで着信の合図がある。


 ドコデモさんなので受けるのは当然携帯電話がらみの問い合わせだ。その日の朝礼メールには、昨夜の都心一部エリアでの電波障害による通話不可能時間帯があったことが記されていた。


 クレームがつくとすればここである。同じことを考えていたのか隣のブースでためいきをついているのが聞こえた。


 端末を待ち受け状態にするとのブースにも着信が入った。お年寄りが説明書の用語が分からなくて困っている、というたぐいのもの。丁寧に解説を終え、終話した五分後にはまた着信。他のブースからの転送着信で、外国語コードがついている。


 この部署の人間は情けないかな、外国語対応は完全に恵美に頼りきりだ。


 出てみると、どうやら中国人らしいが、日本語の説明書が読めず、とりあえず書いてある番号に電話した、と言い出した。


 そんなこんなで立て続けの問い合わせによどみなく応じ、気がつくと昼休みの時間が近づいている。問い合わせの数も昼が近いこともあって一段落してきた頃、


「あーもう今日きようクレーム多すぎ!」


 隣で梨香がうなる。


「ちったぁ自分で理解する努力しろっつーのクソジジイ!」


 説明書の仕様が親切ではない、とのたまう中年男性と一時間以上もバトルを繰り広げた梨香は、こわったがおで何度も自分のブースのデスクをなぐっていた。


「で、恵美は今日銀行以外にもどこかへお出かけ?」


「んー」


 このところ昼休みは同僚の誘いをっておう監視のために時間を費やしている。そのことが急に腹立たしくなり、ふんぜんと宣言する。


「いいえ、銀行だけでいいわ!」


かくもでしょ? カード止めなきゃ。で、そしたら角井の近くにオープンしたお好み焼き屋に行こう! そろそろ並ばずに入れるようになってるはずだから」


「了解、ちょっと待ってね。ここらへんで一番近い銀行……あら?」


 恵美のブースに、また外国語コードの転送着信だ。


「げぇー。昼休み前に最悪!」


「仕方ないわよ。仕事仕事」


 その日の出勤人数によって昼休みを取るタイミングと人数は決まっていて、運悪く長話のカスタマーに当たってしまうと、昼休みの時間を後ろにずらされてしまうのだ。


 あからさまに不満そうな梨香をなだめて、恵美はヘッドセットをかけなおし通話に切り替える。


「Thank you for your calling. This is Emi Yusa Docodemo custmer support room officer. How about your……」


『……?』


「はい? あ、はい」


 思わず日本語で返事をしてしまう。


 くぐもった男の声だ。の名乗ったみようを復唱した男の声は、たった二文字だが間違いなく日本語の概念を送ってきている。


「私、でございますが……」


『遊佐……か。はや完全に日本人に溶け込んだね。勇者エミリア』


「……っ!」


 恵美は息をんだ。すぐそばにいる梨香にどうようさとられまいとするも、のどが思わず震える。


「どちらさまでしょうか」


『勇者と魔王を知る者だよ。そしてお前達をともに滅するたくらみを持つ者さ』


 恵美の記憶にある声ではない。


「そうしますと、昨夜遅くの再三にわたるアクセスは……」


『勇者と魔王が手を取り合って共同戦線を張るとは予想外だった』


「当方と致しましても大変に不本意な結果です」


『くっくっく、まぁそうだろうな。いずれにせよ、こちらのことはエンテ・イスラからの刺客と思ってもらって間違いない。昨夜のはちょっとしたあいさつさ』


「……」


 相手が何者か量りかねてかつに答えられないでいると、向こう側の男はとんでもないことを言い出した。


『異世界に渡った魔王サタン、勇者エミリアのまつさつ。これは、僕の果たすべき任務であるとともにエンテ・イスラの意志だ』


「なんですって!」


 恵美は、エミリアは、きようがくを隠すことはできなかった。


 人間の手に世界が戻り平和を取り戻したはずのエンテ・イスラが自分を消そうとする?


「……こ、こちらでも……現状を検討しなければお答えはしかねますが……」


『くっく……現状を検討か。勇者と魔王がそろってあの程度の襲撃でしつを巻いて逃げ出す現状をどう検討するつもりか、非常に興味深いね』


 暗い、やみの底からとどろくようないやしい響き。恵美は悟った。これは、魔の者だ。急に頭が冷却され、勇者としての己を取り戻す。


 エミリア・ユスティーナはぜんとして答えた。


「アルシエル以外に生き残りの四天王はいなかったはずね。あなたは魔界のどちら様?」


『……』


「エンテ・イスラの意志などと言って私を動揺させるつもりでしょうがそうはいかないわ。私は魔界の声などには耳をかたむけない」


『そうか。信じてもらえなくて残念だよ。いずれ、近いうちにね』


 思いの他あっさりと通話が切れた。


 は大きく息を吐いてヘッドセットを外す。


 すぐそばにいたは、恵美が何を言っているのか、一体どういうたぐいの電話を受けたのか分からずに目を白黒させている。恵美はそんな梨香に一言。


「本当に世の中色々な人がいるわね」


「ふ、ふーん」


 梨香は目を白黒させつつも、追及しない方が良いと判断したらしい。


 そうこうしている間に昼休みの時間になった。まだ少し戸惑い顔の梨香に恵美はことさらがおで言う。


「ごめんね。どうする? 先にお昼済ませちゃお? どうせこの時間銀行混んでるから」


「そうね……恵美がそれでいいなら」


 ロッカールームに向かいスモールトートに携帯電話と通帳、印鑑を入れ、出かけようとした途端に恵美の携帯電話が震えだした。


 思わず心臓がね上がる。強気を装うもののやはり今のなぞの人物からの着信は確実にエミリアの日本での生活に影を落としたらしい。


「電話?」


「うん……」


 着信画面を見ると知らない固定電話の番号だ。都内からの発信である。


「出ないの?」


「何か……すごくイヤな予感がするの」


 電話は鳴り続ける。取るしかない。


「……もしもし」


『もしもしー、こちらは恵美さんの携帯電話でしょうか』


 恵美の緊張の度合いがわずかにゆるむ。さっきの声とは違う、人の良さそうな中年男の声だ。


「はい、そうですが、どちら様でしょう」


 相手は予想外の返事をよこした。


『お忙しいところ恐れ入ります、私は警察署の者ですが』


「は?」

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