魔王、新宿で後輩とデートする(1/6)
翌朝
恵美が使っていたバスタオルはきちんと畳まれて洗濯機の上にあり、玄関のドアの
「なんだこれ?」
「酢の物、ですか」
こんにゃくとキュウリを切って酢と
「一宿の礼のつもりでしょうかね? どれ、私が毒見を」
芦屋はかけられたラップを
「……ふん、敵ながらなかなかやるではないか」
「
「悪くありません」
「へぇ。俺あんま酢の物って食ったことないけど」
言いながら真奥も一口
「床に鍵が落ちてるのはどういうことでしょうか」
「多分、出る前に窓を開けといて、玄関の鍵を閉めてから投げ入れたんだろ? 廊下に面してる窓には格子が
「
芦屋は鍵を拾い上げるとつまらなそうに鼻を鳴らす。
「お前が逆の立場だったらどうするんだ?」
「決まっています。鍵をかけてそのまま鍵を持ち帰ります」
「お前悪魔だ」
「悪魔ですが、何か」
※
〝ヴィラ・ローザ〟とは名ばかりの
「身が
だが残りの小銭で
通帳と印鑑はあるのでお金は下ろせるのだが、
魔王城の古びた畳の
出勤までは時間があるが、そうでもしなければ魔に染まってしまう気がしたからだ。
熱い湯を浴びながら、恵美はふと自分の頭を
新しいシャンプーを買っておいてよかった。普段の倍の時間をかけてシャンプーをし、コンディショナーをぬりたくり、更にヘアパックでトリートメントを徹底する。
真奥に触れられた箇所全てに雑菌でも付着していると言わんばかりに体をこする。買ったばかりの弱酸性薬用保湿美容
浴室を出て、バスタオルで髪の
どんな田舎で起ころうと、
MHKは鉄道と道路の情報を流していた。首都圏のJRと私鉄各線は平常通りの運行だというから、恵美は出勤において
しばらくすると報道ニュースの枠になり、やはりトップニュースの扱いで、
交差点を警官が取り囲み、進入禁止の黄色いテープが張られている。とばっちりを食ったビルのシャッターの無残な有様も時折映像に
チャンネルを回すと他局のニュースも
「なっ! あいつらっ!」
一つの局のテレビカメラに、野次馬近隣住民に混じって真奥と
条件反射的にテレビを消したくなるのをじっとこらえる。
『……そして交差点の真ん中に両輪がパンクしている自転車が放置されており、事件に関係があるものと見て警察は持ち主の割り出しを急いでいます』
と、現場リポーターの声が流れ、恵美は目を
「あの……バカっ……」
さっきの深刻な顔はこれか! 恐らく彼らはこんな大事になるとは思っていなかったのだろう。だから早朝にでも取りに来ればいいくらいに思っていたのがこの有様だ。
警察は自転車を回収し、すぐさま持ち主を割り出すだろう。そしてヴィラ・ローザ
「ま、関係ないか」
その間にニュースは変わり、都内で奇怪な格好をした変質者による、女性やお年寄りばかりを
まったく
恵美のアルバイトは受信専門テレアポ契約社員だった。
苦情処理の受信専門はテレアポでもなり手の少ない分野らしく、恵美はこの世界で得た最初の職にこうして今でもついている。
人手不足の職場なので時給は高く、度胸が
更に恵美には、この世界の全ての言語を把握する力があった。
聴いたことのない言語が飛び出してきても、概念を脳が理解する一種の精神感応能力だ。こちらの概念をそのまま返せば、相手も分かってくれる。これが
恵美は出勤してロッカールームでグレーのベストにタイトスカート、ブラウスにリボンというデザインの制服に着替え、勤怠コードを『出勤』にすると割り当てられた自分の席に着く。正社員ではないので自分のデスクというものは存在しないのだが、人手が無い職場なので大抵オフィスの同じ島に着席することになる。
「おはよー、恵美」
「あ、おはよ、
隣の席の同僚、
「ねぇ、あの
「駅三つ離れてるよ」
「でも都心で銃乱射とかマジないよね。日本もそろそろやばくなったってことかな」
朝のニュースでは『銃撃事件』と呼ぶにとどまっていたが、梨香の中では既に『乱射事件』になっているようだ。
「最近地震も多くなってきているし、変態が路上強盗とかいう話もあったし、自然も人心も乱れること
「んん、知らない」
「
「えー、でも有名店なら行列するんじゃないの?」
「でも
恵美は日本に来たての頃、食べ物の豊富さと美味しさに毎日驚いていた。その中でもカレーという料理は恵美の常識を超えた正に革命的な
「ごめん、今日行列に並ぶ時間無いの。財布落としちゃって」
「ええ? マジで!」
梨香はキャスターつきの
「定期もキャッシュカードもクレジットカードも全部入っててね。そういった手続きとか、あとお金下ろすにも人のいる窓口行かなきゃだし……」
「うわ、それじゃあちょっと行列は無理っぽいね」
「ごめんねー」
「ん、いーよいーよ。んじゃどうする? マグドとかで済ます?」
「ごめん、マグドだけは
梨香は恵美にとっては職場の同僚である以上に、この世界でできた最初の友人である。恵美がマグロナルドを「マグド」と言ってしまうのは、梨香の影響によるところである。
「でもさ、カード類は早めに止めておかないとヤバくない?」
「もう止めたよ。仮止めだけどね。電話でそれだけはできるんだって」
「そうなんだ。じゃあどこに行くにしろ今日は傷心の恵美に私がお昼を
「いいわよそんな」
そうこうしているうちに始業のベルが響く。
恵美は自分に割り当てられたPCの社内メールを確認する。そこにその日の注意事項が記されているからだ。
早くもどこかのブースで着信の合図がある。
ドコデモ
クレームがつくとすればここである。同じことを考えていたのか隣のブースで
端末を待ち受け状態にすると
この部署の人間は情けないかな、外国語対応は完全に恵美に頼りきりだ。
出てみると、どうやら中国人らしいが、日本語の説明書が読めず、とりあえず書いてある番号に電話した、と言い出した。
そんなこんなで立て続けの問い合わせに
「あーもう
隣で梨香が
「ちったぁ自分で理解する努力しろっつーのクソジジイ!」
説明書の仕様が親切ではない、とのたまう中年男性と一時間以上もバトルを繰り広げた梨香は、
「で、恵美は今日銀行以外にもどこかへお出かけ?」
「んー」
このところ昼休みは同僚の誘いを
「いいえ、銀行だけでいいわ!」
「
「了解、ちょっと待ってね。ここらへんで一番近い銀行……あら?」
恵美のブースに、また外国語コードの転送着信だ。
「げぇー。昼休み前に最悪!」
「仕方ないわよ。仕事仕事」
その日の出勤人数によって昼休みを取るタイミングと人数は決まっていて、運悪く長話のカスタマーに当たってしまうと、昼休みの時間を後ろにずらされてしまうのだ。
あからさまに不満そうな梨香を
「Thank you for your calling. This is Emi Yusa Docodemo custmer support room officer. How about your……」
『……
「はい? あ、はい」
思わず日本語で返事をしてしまう。
くぐもった男の声だ。
「私、
『遊佐……か。
「……っ!」
恵美は息を
「どちらさまでしょうか」
『勇者と魔王を知る者だよ。そしてお前達をともに滅する
恵美の記憶にある声ではない。
「そうしますと、昨夜遅くの再三にわたるアクセスは……」
『勇者と魔王が手を取り合って共同戦線を張るとは予想外だった』
「当方と致しましても大変に不本意な結果です」
『くっくっく、まぁそうだろうな。いずれにせよ、こちらのことはエンテ・イスラからの刺客と思ってもらって間違いない。昨夜のはちょっとした
「……」
相手が何者か量りかねて
『異世界に渡った魔王サタン、勇者エミリアの
「なんですって!」
恵美は、エミリアは、
人間の手に世界が戻り平和を取り戻したはずのエンテ・イスラが
「……こ、こちらでも……現状を検討しなければお答えはしかねますが……」
『くっく……現状を検討か。勇者と魔王が
暗い、
エミリア・ユスティーナは
「アルシエル以外に生き残りの四天王はいなかったはずね。あなたは魔界のどちら様?」
『……』
「エンテ・イスラの意志などと言って私を動揺させるつもりでしょうがそうはいかないわ。私は魔界の声などには耳を
『そうか。信じてもらえなくて残念だよ。いずれ、近いうちにね』
思いの他あっさりと通話が切れた。
すぐそばにいた
「本当に世の中色々な人がいるわね」
「ふ、ふーん」
梨香は目を白黒させつつも、追及しない方が良いと判断したらしい。
そうこうしている間に昼休みの時間になった。まだ少し戸惑い顔の梨香に恵美は
「ごめんね。どうする? 先にお昼済ませちゃお? どうせこの時間銀行混んでるから」
「そうね……恵美がそれでいいなら」
ロッカールームに向かいスモールトートに携帯電話と通帳、印鑑を入れ、出かけようとした途端に恵美の携帯電話が震えだした。
思わず心臓が
「電話?」
「うん……」
着信画面を見ると知らない固定電話の番号だ。都内からの発信である。
「出ないの?」
「何か……すごくイヤな予感がするの」
電話は鳴り続ける。取るしかない。
「……もしもし」
『もしもしー、こちらは
恵美の緊張の度合いがわずかに
「はい、そうですが、どちら様でしょう」
相手は予想外の返事をよこした。
『お忙しいところ恐れ入ります、私は
「は?」
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