魔王、生活のために労働に励む(6/7)

「で、話ってなんだよ」


 深夜の住宅街の交差点でおうちで待っていた。昼とは違い細身のデニムパンツとブラウスで手ぶらではあるが、どこからきようが飛び出すか分からないので油断はできない。


 真奥は木崎の奢りの『今日の一杯』であるマグロナルド特製プラチナローストアイスコーヒーをいつでも投げつけられるように右手に構え、


「一つ聞かせてもらおうと思って」


 かつ、いつでも逃げられるようにデュラハン号から降りようとはしない。


「あなた、エンテ・イスラに帰るつもりあるの?」


「はぁ? 何言ってんだお前?」


 おうが何を言い出すのか、はかりかねた。


「当たり前だろ?」


「この世界でずっと暮らそうとは思わないわけ?」


「思うわけねーだろ。いきなり何言い出すんだ」


今日きようのあなたの勤務態度、見せてもらったわ」


「どこでだよ! また向かいの本屋か!」


 真奥の疑問に恵美は答えない。


「ハキハキとした物言い、明るいがお、店長から信頼され、後輩からも頼られ、確かな実力に裏打ちされた柔軟な顧客対応。正に理想的なマグドのクルーね」


「お前関西人か」


 マグロナルドの正式な略称についての争いは、穏やかな日本人をして東西に分断せしめるほどの紛事の火種であると真奥も知っている。ちなみに真奥は東に属する〝マッグ〟派だ。


のあなたの話、ざれごとと聞き流しそうになったけど、今日のあなたの様子を見てると、あながちうそでもないんじゃないかと思ってね」


 恵美は肩をすくめる。


「このままあなたがこの世界で明るく人生を過ごしてくれるなら、私は無理にあなたを倒そうとは思わないわ。後輩の女の子、可愛かわいい子じゃない? ずいぶんしたわれているみたいだけど」


「ああ、ちーちゃんは俺が一人前のクルーにしたようなもんだからな。まだ正クルーになって間も無いけど、仕事の飲み込みも早いし、敬語もれいに使えるんだぞ」


 魔王とは思えない見当違いなポイントでふんぞり返る真奥。


「あなたがここで人生を終えてくれれば世界は平和よ? はた駅前店はあなたの力で栄え続ける。私はやみに戦う必要も無くなる。アルシエルといつしよにこの世界に骨をうずめたら?」


「アルシエルは大切な部下だが、何が悲しくて部下と老後をともにせにゃならんのだ」


「最近そういう生活もりって聞いたわよ」


 真奥は思い切り顔をしかめた。


「お前は、男二人ふたりで終生ともに暮らすような生活を人にすすめる趣味があんのか」


「そんなわけないでしょ、言ってみただけよ。とにかく」


 恵美は言葉を切る。


「エンテ・イスラをあきらめなさい。ここであなたの新しい生活を見つけてもらいたいんだけど」


 真奥の返事は素早かった。


「あり得ない。俺は必ず、エンテ・イスラを征服しに戻る」


 そこに込められた意志は本物だ。その強さまではまだ失ってはいない。


 にもそれは十分に伝わったようだ。


「……分かったわ」


「話は終わりか」


「ええ、終わりよ。私はあなたを殺すまで永久に追い続ける。それが決まっただけよ」


「今に始まったことじゃないだろ」


 真奥がデュラハン号のペダルに足をかけ、話は終わったとばかりにみ込んだそのせつ


「おわっ!」


 前輪に衝撃が走り、バランスを崩した。そしてそのまま転倒する。


 さつそうと立ち去ろうとしていた恵美すら驚くほど芸術的に横倒しになる。少し場所が悪ければ歩道の縁石に頭を打ちつけていたところだ。


 手に持ったままのアイスコーヒーのカップも投げ出して、氷もろとも道路にぶちまけてしまう。


「ちょっと何やってんのよ!」


 恵美はほとんど無意識にけ寄って真奥を助け起こした。


「ってー……あー、ビビった。何か踏んだか?」


「あなた本当にそれでも魔王なの、しっかりしなさいよ」


「うるせえ」


 驚いて少しだけ涙目になっている真奥をわきに立たせ、恵美は自転車をあらためるが、


「残念だったわね、新しい自転車なのに」


 スタンドを立てると前輪を指差す。


「あー! パンクしてる!」


 真奥は地面にひざを突き悲しげなさけび声を上げた。


 いつしゆんいい気味だ、と思った恵美だが、


「しっかりしろデュラハン号! 傷は浅いぞ! 買ったばかりでっちゃダメだああ!」


 安物の自転車相手に真剣になげき始めた真奥の泣き言を聞いて、あわれみが先に立ってしまう。


「ちょっと、パンクくらいで大げさよ。明日あした自転車屋さんに持っていきなさい。チューブのパンクだけなら千円くらいで直してくれるわよ。タイヤ交換だと結構かかるけど」


「ほ、本当か!」


 デュラハン号を抱きかかえたまま涙目で恵美を振りあおぐ。恵美は真剣に身を引き、


「ほ、本当よ、て言うか近い! 離れなさい! けがらわしい!」


「汚らわしいとか言うな! でも、そうなのか……じゃあ明日朝イチで直しに行く。悪いな、教えてくれてサンキュ」


「どういたしまして……って何よ! あなたに礼を言われる筋合いは無いわ! 私はあなたが自転車のパンクくらいであんまりみじめったらしく取り乱してるからつい」


 は最後まで言葉を続けられなかった。


「え、地震?」


 いつしゆん、間違いなく二人ふたりの立つ地面がれた。そしてそれをおうに確認する間もなく、軽い破裂音がどこかから聞こえ、今度はデュラハン号の後輪がはじかれたのだ。、


「うお!」


「いやっ!」


 叫ぶひまもあればこそ、今度は信号のライトが粉々にくだけた。割れた破片が地面に降り注ぐ音に首をすくめる魔王と勇者。


「俺達……」


「……たれてる?」


 答えは、二人の足元のさい音で返された。


「おいおいやべぇぞおい!」


「に、逃げましょう!」


 二人は手近なこうに飛び込む。火花とさくれつ音がそれを追う。


 やみささづかで、発砲音のしないげききばいて魔王と勇者に襲いかかった。


「何よ! 一体何がきゃあっ!」


「きゃあじゃねぇよ! 勇者が車止めにつまづくな!」


 狙撃から逃げるために、二人はそばのコインパーキングの車で身を隠しながらこうしゆう街道に飛び出た。ここなら人通りはないが、車通りは絶えることはない。


 頭上の首都高が天を隠す。シャッターの降りたオフィスビルを背にして二人は息をつくが、


「なんだったの今の?」


 恵美が上がった息で尋ね、真奥が上がった息で答える。


「魔王と勇者がそろった場所になぞの狙撃だ。エンテ・イスラがらみだと考えるのが普通だろ。そうでなくたってこの国は武器の所持に関して異常に法律が厳しいだろうが」


「わかんないじゃない! 不良少年がエアガンか何かでいきなり……」


「今時の不良はそこまで根性ねぇよ! 伏せろっ!」


 真奥は恵美の頭を強引に下げさせる。


 今の今まで恵美の頭があったのと同じ高さあたりのシャッターに小さな穴が開いた。


「……それにBB弾はビルのシャッターを貫通したりしねぇ」


「ちょっと! いつまで髪にさわってるのよ!」


 恵美は真奥の手を振り払う。真奥は素直に手を引っ込めるが、払われた手をしげしげながめながら尋ねる。


「やっぱお前も肉体強度は日本人準拠?」


「どんなに強くなっても、包丁で指切っちゃうし、足の小指を柱の角にぶつければ痛いわよ!」


 要するにも、以前のようにきようじんな肉体ではないのだと解釈する。おうは本来悪魔なので、通常の人間よりもはるかにりよりよくも防御力も生命力も高いはずなのだ。しかしそれが標準的日本人の成年男性レベルに落ちていることは、この一年の日本での生活でよく理解していた。


「今、前から来たわね」


「そうとも限らねぇだろ。さっきからお前、じゆうせい聞こえたか?」


「それらしい音は聞いてない……わ!」


 言うなり恵美は真奥に体当たりする。そのままもんどりうって二人ふたりは同じ方向へ転がるが、いつしゆんでも遅れたら二人ははちの巣になっていたはずだ。すっかり風通しのよくなってしまったあわれなシャッターがそれを物語っている。


「大したもんだ」


「これでも勇者よ、バカにしないで」


「それは失礼。それじゃ俺の上からどいてくれ。次のげきけられない」


「あなたが勝手に私の下敷きになったんじゃない! 言われなくてもどくわよ!」


 あんまりな言い草だが、もめている場合でもないので二人は素早く立ち上がり、体勢を立て直した。


 攻撃がどこから来ても大丈夫なように、背中合わせに周囲を警戒しながら、恵美が言う。


「駅まで逃げる?」


「そうだな。ささづか駅前ならまだ居酒屋が開いてるから人も大勢いるはずだ。けのような気はするが相手がそこでどう出るかだな。走れるか?」


「自転車に乗ってラクしてるあなたよりは健脚のつもりよ」


「よし、行くぞっ!」


 走り出した二人に狙撃は追いついてくるだろうか。今まで通行人の姿は無かったが、駅に近づくほどに人通りは増えていった。駅に隣接する居酒屋ビルはこうこうと明かりを放ち行き場を探すサラリーマンの群れがそこかしこにたむろしている。


 二人は駅舎の壁を背に油断なくあたりをうかがった。通りがかりの中年サラリーマンが二人をはやし立てるような声を上げるが、取り合っている余裕は無い。


 結局そのまま十分はその場に固まっていただろうか。周囲に人がいる場所での狙撃は無いと判断するころには心身ともに疲れきっていた。


「なんだったのよ、今のは」


 恵美は大きく息を吐く。前髪が汗でひたいに張りついてしまっているのを払いながら問うと、真奥も荒い息を吐きながら答えた。


「分からねぇけど……ただの狙撃じゃない。魔力エネルギー弾だ」


「魔力……?」


 は目をいた。


「ビルのとこでお前の頭をねらった一発は、俺達が逃げてきた方角から飛んできて、俺達を追うように向きを変えてきた。それくらいは分かる」


「……ということは」


「相当な力の持ち主。しかも俺とお前の正体を知っている」


「アルシエル以外にそんなやついるの?」


「いるんだろうな。気配は感じなかったし誰だか見当もつかないが」


 おうはようやく緊張がほぐれ大きく伸びをした。


「やれやれ、お前のせいでとんだ目にあった」


 その物言いに恵美がみついた。


「何よ! 私のせいだって言うの!」


「お前がもっと穏やかな時間と場所を設定してれば、こんなさわぎは起きなかったろ」


「あなたがこんな時間までバイトしてるからでしょ!」


「別に朝だっていいじゃん」


「朝と昼は私が仕事してるのよ!」


「知らねぇよそんなことは」


「ちょっと! どこ行くのよ!」


 疲れた顔で立ち去ろうとする真奥を恵美は呼び止める。


「帰るんだよ」


一人ひとりで逃げる気!?」


「当たり前だ。お前は自分ちに帰れよ。好きな時間にこの辺うろついてんだから近いんだろ。じゃあな」


「ちょっ……」


 恵美のさけびはささづかざつとうに置き去り、真奥は一人家路についた。買ったばかりの自転車を放置するのは気がとがめたが、まだ襲撃者があのあたりを張っている可能性がある。デュラハン号はの朝にでも回収するしかあるまい。


 そして先ほど恵美には言わなかったが、真奥は今回の襲撃に小さな希望をいだしていた。


 敵がある程度は自由に魔力を行使できる立場にあることが分かったのは大きな収穫だ。何者かは知らないが、こちらも魔界を統治し、エンテ・イスラ全土をしようあくしかけた魔王だ。価値ありと見れば温存している魔力を解放して戦い、敵の魔力もろとも取り込む自信はある。


 実際彼はそうやって魔界で力をつけてきたのだ。


 明日あしたはバイトも休みである。徹底的にこんせきを洗ってやる。そう心に決め、意気ようようと住宅街の暗がりをアパートに向かって歩き出した時だった。


 後方から何者かがついてきていることに気づいた。


 襲撃者か? そう思ったが殺気も魔力も感じられない。同じ方向に帰るだけの酔っ払いだろうか。それにしては意識がこちらを向いているし、一定の距離を保っているようにも思える。


 アパートはもう見えているが、魔力が底をついているあしを万が一にも戦闘に参加させるわけにはいかない。


 彼の力はこれからも必要だ。エンテ・イスラ征服のためにも、ささづかで生活していく上でも。


 おうは住宅街を縦横に走る小道の一つ、街灯の光が当たらない場所に素早く飛び込んだ。近隣住民なら追い抜いていくだろうし、尾行者ならあわてるだろう。


 足音は止まらない。そして暗がりの真奥に気づくことなく先へと進んでいく。勘違いだったか、真奥が少しだけ顔を出した時だった。


 よりにもよって人影は真奥のアパート、ヴィラ・ローザ笹塚へと向かっているではないか。影は階段前で少し躊躇ためらったそぶりをみせて二階へと上がっていく。


 そして、『真奥─MAOU─』の表札を掲げた二〇一号室の扉の前で足を止めた。


「お前よぉ、確かにいつでも来いとは言ったけどよぉ」


 真奥は声をかける。真夜中の訪問者は後ろから声をかけられると思っていなかったのか、驚いたように身をすくめて真奥を振り向いた。


「さっきの今で夜討ちだけは勘弁しろよ。近所迷惑だろうが。大家さんだってすぐ近くに住んでて、できれば会いたくねぇんだからさ」


「……そんなんじゃないわよ」


 先ほどとはうって変わってのないがそこに立っていた。顔面はそうはくである。そして呼吸が浅い。恐ろしく緊張している気配だ。具合でも悪いのだろうか、それとも気づかぬ間に魔力弾を被弾していたのだろうか。


「お、おい、どうした……」


 心配になって声をかけると、思いのほかしっかりした言葉が返ってくる。


「あなたなんかにこんなこと頼むのはごうはら……それどころか世界への背信なんだけど」


「挑発しにきたのかおのれは」


 突然な発言に突っ込まずにはいられなかったが、


「……今日きよう……と、……と……」


「と?」


 先ほどまで蒼白だった顔を今度はいつしゆんで真っ赤にしながら、恵美はうつむいて言った。


「と……泊めてもらえないかしら? その……財布、落としちゃって……」


 真奥はあごがはずれるかと思うほどに口を開いて、しばらく閉じることができなかった。

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