魔王、生活のために労働に励む(6/7)
「で、話ってなんだよ」
深夜の住宅街の交差点で
真奥は木崎の奢りの『今日の一杯』であるマグロナルド特製プラチナローストアイスコーヒーをいつでも投げつけられるように右手に構え、
「一つ聞かせてもらおうと思って」
かつ、いつでも逃げられるようにデュラハン号から降りようとはしない。
「あなた、エンテ・イスラに帰るつもりあるの?」
「はぁ? 何言ってんだお前?」
「当たり前だろ?」
「この世界でずっと暮らそうとは思わないわけ?」
「思うわけねーだろ。いきなり何言い出すんだ」
「
「どこでだよ! また向かいの本屋か!」
真奥の疑問に恵美は答えない。
「ハキハキとした物言い、明るい
「お前関西人か」
マグロナルドの正式な略称についての争いは、穏やかな日本人をして東西に分断せしめるほどの紛事の火種であると真奥も知っている。ちなみに真奥は東に属する〝マッグ〟派だ。
「
恵美は肩を
「このままあなたがこの世界で明るく人生を過ごしてくれるなら、私は無理にあなたを倒そうとは思わないわ。後輩の女の子、
「ああ、ちーちゃんは俺が一人前のクルーにしたようなもんだからな。まだ正クルーになって間も無いけど、仕事の飲み込みも早いし、敬語も
魔王とは思えない見当違いなポイントでふんぞり返る真奥。
「あなたがここで人生を終えてくれれば世界は平和よ?
「アルシエルは大切な部下だが、何が悲しくて部下と老後をともにせにゃならんのだ」
「最近そういう生活も
真奥は思い切り顔をしかめた。
「お前は、男
「そんなわけないでしょ、言ってみただけよ。とにかく」
恵美は言葉を切る。
「エンテ・イスラを
真奥の返事は素早かった。
「あり得ない。俺は必ず、エンテ・イスラを征服しに戻る」
そこに込められた意志は本物だ。その強さまではまだ失ってはいない。
「……分かったわ」
「話は終わりか」
「ええ、終わりよ。私はあなたを殺すまで永久に追い続ける。それが決まっただけよ」
「今に始まったことじゃないだろ」
真奥がデュラハン号のペダルに足をかけ、話は終わったとばかりに
「おわっ!」
前輪に衝撃が走り、バランスを崩した。そしてそのまま転倒する。
手に持ったままのアイスコーヒーのカップも投げ出して、氷もろとも道路にぶちまけてしまう。
「ちょっと何やってんのよ!」
恵美はほとんど無意識に
「ってー……あー、ビビった。何か踏んだか?」
「あなた本当にそれでも魔王なの、しっかりしなさいよ」
「うるせえ」
驚いて少しだけ涙目になっている真奥を
「残念だったわね、新しい自転車なのに」
スタンドを立てると前輪を指差す。
「あー! パンクしてる!」
真奥は地面に
「しっかりしろデュラハン号! 傷は浅いぞ! 買ったばかりで
安物の自転車相手に真剣に
「ちょっと、パンクくらいで大げさよ。
「ほ、本当か!」
デュラハン号を抱きかかえたまま涙目で恵美を振り
「ほ、本当よ、て言うか近い! 離れなさい!
「汚らわしいとか言うな! でも、そうなのか……じゃあ明日朝イチで直しに行く。悪いな、教えてくれてサンキュ」
「どういたしまして……って何よ! あなたに礼を言われる筋合いは無いわ! 私はあなたが自転車のパンクくらいであんまり
「え、地震?」
「うお!」
「いやっ!」
叫ぶ
「俺達……」
「……
答えは、二人の足元の
「おいおいやべぇぞおい!」
「に、逃げましょう!」
二人は手近な
「何よ! 一体何がきゃあっ!」
「きゃあじゃねぇよ! 勇者が車止めにつまづくな!」
狙撃から逃げるために、二人はそばのコインパーキングの車で身を隠しながら
頭上の首都高が天を隠す。シャッターの降りたオフィスビルを背にして二人は息をつくが、
「なんだったの今の?」
恵美が上がった息で尋ね、真奥が上がった息で答える。
「魔王と勇者が
「わかんないじゃない! 不良少年がエアガンか何かでいきなり……」
「今時の不良はそこまで根性ねぇよ! 伏せろっ!」
真奥は恵美の頭を強引に下げさせる。
今の今まで恵美の頭があったのと同じ高さあたりのシャッターに小さな穴が開いた。
「……それにBB弾はビルのシャッターを貫通したりしねぇ」
「ちょっと! いつまで髪に
恵美は真奥の手を振り払う。真奥は素直に手を引っ込めるが、払われた手をしげしげ
「やっぱお前も肉体強度は日本人準拠?」
「どんなに強くなっても、包丁で指切っちゃうし、足の小指を柱の角にぶつければ痛いわよ!」
要するに
「今、前から来たわね」
「そうとも限らねぇだろ。さっきからお前、
「それらしい音は聞いてない……わ!」
言うなり恵美は真奥に体当たりする。そのままもんどりうって
「大したもんだ」
「これでも勇者よ、バカにしないで」
「それは失礼。それじゃ俺の上からどいてくれ。次の
「あなたが勝手に私の下敷きになったんじゃない! 言われなくてもどくわよ!」
あんまりな言い草だが、もめている場合でもないので二人は素早く立ち上がり、体勢を立て直した。
攻撃がどこから来ても大丈夫なように、背中合わせに周囲を警戒しながら、恵美が言う。
「駅まで逃げる?」
「そうだな。
「自転車に乗ってラクしてるあなたよりは健脚のつもりよ」
「よし、行くぞっ!」
走り出した二人に狙撃は追いついてくるだろうか。今まで通行人の姿は無かったが、駅に近づくほどに人通りは増えていった。駅に隣接する居酒屋ビルは
二人は駅舎の壁を背に油断なくあたりをうかがった。通りがかりの中年サラリーマンが二人をはやし立てるような声を上げるが、取り合っている余裕は無い。
結局そのまま十分はその場に固まっていただろうか。周囲に人がいる場所での狙撃は無いと判断するころには心身ともに疲れきっていた。
「なんだったのよ、今のは」
恵美は大きく息を吐く。前髪が汗で
「分からねぇけど……ただの狙撃じゃない。魔力エネルギー弾だ」
「魔力……?」
「ビルのとこでお前の頭を
「……ということは」
「相当な力の持ち主。しかも俺とお前の正体を知っている」
「アルシエル以外にそんな
「いるんだろうな。気配は感じなかったし誰だか見当もつかないが」
「やれやれ、お前のせいでとんだ目にあった」
その物言いに恵美が
「何よ! 私のせいだって言うの!」
「お前がもっと穏やかな時間と場所を設定してれば、こんな
「あなたがこんな時間までバイトしてるからでしょ!」
「別に朝だっていいじゃん」
「朝と昼は私が仕事してるのよ!」
「知らねぇよそんなことは」
「ちょっと! どこ行くのよ!」
疲れた顔で立ち去ろうとする真奥を恵美は呼び止める。
「帰るんだよ」
「
「当たり前だ。お前は自分ちに帰れよ。好きな時間にこの辺うろついてんだから近いんだろ。じゃあな」
「ちょっ……」
恵美の
そして先ほど恵美には言わなかったが、真奥は今回の襲撃に小さな希望を
敵がある程度は自由に魔力を行使できる立場にあることが分かったのは大きな収穫だ。何者かは知らないが、こちらも魔界を統治し、エンテ・イスラ全土を
実際彼はそうやって魔界で力をつけてきたのだ。
後方から何者かがついてきていることに気づいた。
襲撃者か? そう思ったが殺気も魔力も感じられない。同じ方向に帰るだけの酔っ払いだろうか。それにしては意識がこちらを向いているし、一定の距離を保っているようにも思える。
アパートはもう見えているが、魔力が底をついている
彼の力はこれからも必要だ。エンテ・イスラ征服のためにも、
足音は止まらない。そして暗がりの真奥に気づくことなく先へと進んでいく。勘違いだったか、真奥が少しだけ顔を出した時だった。
よりにもよって人影は真奥のアパート、ヴィラ・ローザ笹塚へと向かっているではないか。影は階段前で少し
そして、『真奥─MAOU─』の表札を掲げた二〇一号室の扉の前で足を止めた。
「お前よぉ、確かにいつでも来いとは言ったけどよぉ」
真奥は声をかける。真夜中の訪問者は後ろから声をかけられると思っていなかったのか、驚いたように身を
「さっきの今で夜討ちだけは勘弁しろよ。近所迷惑だろうが。大家さんだってすぐ近くに住んでて、できれば会いたくねぇんだからさ」
「……そんなんじゃないわよ」
先ほどとはうって変わって
「お、おい、どうした……」
心配になって声をかけると、思いのほかしっかりした言葉が返ってくる。
「あなたなんかにこんなこと頼むのは
「挑発しにきたのかおのれは」
突然な発言に突っ込まずにはいられなかったが、
「……
「と?」
先ほどまで蒼白だった顔を今度は
「と……泊めてもらえないかしら? その……財布、落としちゃって……」
真奥は
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます