魔王、生活のために労働に励む(5/7)

「いらっしゃいませー、店内でお召し上がりですか?」


「外で話があるんだけど」


 マグロナルドはた駅前店は今日きようもそれなりに繁盛している。朝とは違ってグレーのスーツ姿の恵美が、ぶつちようづらを隠そうともせず真奥のいるレジ前に立っているほどに。


「テイクアウトですね。ご注文をどうぞー」


「今夜バイトが終わったら、昨夜の場所に来なさい、拒否は認めないわよ」


「セットでよろしいですか?」


一人ひとりで来なさい」


「単品ですね、かしこまりましたー、わきにずれて少々お待ちください、ビッグマグロバーガーワンプリーズ!」


「戦うつもりはないわ。必ず来なさい」


「ありがとうございます! またお越しくださいませー」


 恵美はフェア中のバーガーを、きちんとお金を払ってテイクアウトして帰った。


 終始営業スマイルを崩さなかった真奥が頭の中で考えていたのは、ただただ『面倒くさい』の一言だった。絶対に話が穏やかに済むはずがないからだ。


「真奥さん」


 と、後ろから声をかけられる。


「何? ちーちゃん」


 後輩クルーのだった。入ったばかりの高校二年生で、研修でおうが面倒を見たため正クルーとなった後も何かと真奥のことを頼るのだ。


 仕事中はセミロングの髪をまとめており、持ち前の明るさとてらいのない素直ながおがお客様にも評判が良い。仕事の飲み込みが早いのも真奥のイチオシポイントだ。


「何か、変なお客さんでしたね?」


「今の女……の人?」


「そうです、なんか暗いしブツブツと声も聞き取りにくいし」


「色々な人がいるからね」


「何かお話してたみたいですけど、お知り合いですか?」


 は知り合いではある。それは間違いない。考えてみれば十七歳の恵美は、高校二年の千穂とは同い年くらいのはずだ。それなのにこうも受ける印象が違うのだろう。恵美の場合、年の割りに大人びている、と言うより、苦労の末に老成している、といったあんばいだ。


「んー、ちょっと、ね」


 適当にはぐらかしたい真奥だが、千穂の好奇心はあいまいな返事を許すつもりはないようだ。


「あー、怪しい!」


「何が?」


 千穂は真奥を上目遣いにのぞき込み、手を後ろで組んで見せる。


「確かにちょっと美人でしたもんね? ね? 真奥さん、ね?」


「ねって三回も言うな! ちーちゃん何よ? 俺があの女といらっしゃいませ!」


 もはやせきずい反射で何をしていてもお客様ご来店に体が反応する。


「いらっしゃいませ、店内でお召し上がりですか?」


 今度は千穂がレジに立った。繁忙時間帯ではないので、仕事ができれば特にレジは誰がやらなければならないという決まりは無い。入って間も無い千穂だが、こういったすき隙間できちんと仕事を求めて立ち回るのである。真奥は感心して、千穂のために一歩下がった。


 赤ん坊を抱えた人の良さそうな母親と、その足元に小学生になるかならないかくらいの男の子。昼のピークのサラリーマンの群れが一段落した後は、住宅街に近いはた駅前店でよく見られる組み合わせだ。


 母親がメニューと千穂の顔を交互に見ながら注文を進めていたが、ふと千穂がレジ操作の手を止め、少々お待ちください、と言って真奥を振り向いた。


「あの……真奥さん」


「ん?」


 客前で後輩に助けを求められた時には、こそこそ話してはならない。お客様とクルーの間で発生した問題をいつしよに話し合って解決することが、クルーの成長にとっても、お客様に与える印象もプラスとなる。は親子連れに目配せしながら言った。


「お兄ちゃんが、アレルギーを持ってるみたいなんです」


「アレルギーですか、かしこまりました。どのような食材に対して発症するんでしょうか」


 事情を説明しているのは千穂だが、それをおうは千穂を介したお客様の言葉としてとらえ、敬語で対応する。


かにと、あと、果物だそうです」


 真奥はうなずくと、母親に向けてカラフルなメニュー表を提示しながら解説する。


「海老は法令規定で表示義務のある品目ですので、こちらのメニュー表に表示されているよう、魚介がメインとなるメニュー全てに使用されております」


「へぇ!」


 と、母親といつしよに、千穂も感心したような声を出す。


「それから果物ですが、表示を推奨される品目の中にあるキウイ、オレンジ、桃、リンゴの中で、唯一リンゴがいくつかの調味料に使用されております。例えば照り焼きバーガーのソースやサラダのドレッシングなどですね。またこちらのサイドメニューでは、季節のフルーツソフトクリームや野菜ジュースは避けていただいた方がよろしいでしょう」


 母親と千穂は真剣に真奥の解説に聞き入っている。真奥は避けるべき食材を使用したメニューを全て指摘した。納得してそれらのメニューを避けて注文を済ませた母親に、真奥は言う。


「ところで、よろしければ電子レンジ、ご利用なさいますか?」


「え?」


「え?」


 千穂と母親が、同じように声を出した。真奥は、母親に抱っこされた赤ん坊を見て、


「レンジで調理できる離乳食等をお持ちなのであればと思いまして。お母様もお子様も昼食を召し上がるのであれば、赤ちゃんも一緒の方がと、差し出がましいこととは思いますが」


 母親は自分の抱える赤ん坊の顔を見ると、はにかみながら頷いた。


「ありがとうございます。これ、レンジで四十秒で出来上がるので……」


 母親は肩のバッグの中から、小さなレトルトパックを取り出す。真奥はそれを受け取ると千穂に手渡し、


さん、これ、レンジで二十秒。ご注文の品と一緒に出せるようにしてね」


 客前なのできちんと千穂をみようで呼ぶ。受け取った千穂はいつしゆんちゆうぼうに走りかけて、


「……あれ? でも四十秒って」


「それは家庭用レンジの話。店のは業務用で出力が家庭用の倍以上だから二十秒で十分だよ」


「わ、分かりました!」


 千穂は尊敬のまなしを真奥に送ってから、厨房へと消えていった。


 お会計を済ませ、注文の商品をトレーに載せてお客様に差し出すと、逆にお客様の側から何度もありがとうと言われたおう。これもまた、正社員登用への布石、日本征服のための小さな一歩である。確かな前進の手応えを感じていると、


「……何、ちーちゃん」


 いつの間にかまたかたわらに立っていたが、目を輝かせて真奥を見上げていた。


「真奥さん、やっぱりすごいですね!」


「へ?」


「だってだって! アレルギーの食材とか何に何が入ってるとか、全部覚えてるんですか?」


「お店の事務室のマニュアルファイルに全部載ってるじゃん」


 真奥はなんでもないことのように言うが、千穂の興奮は収まらない。


「でも凄いですよ! それに赤ちゃんの離乳食のことまで気づくなんて」


「そうかぁ? そりゃピークの忙しい時は難しいけど、時間のある時はやっぱ、お客さんのニーズに応じた柔軟な接客対応をすることが、長期的にはプラスになるもんなんだよ」


 どんな仕事もきちんとこなそうという意志の強い千穂は、感動してためいきをつく。


「なんか格好いいですね真奥さん! 社会人って感じで」


「ハハ、まぁ、バイトだけどな」


 今にも背景にを飛ばさんばかりの尊敬のまなしを送ってきた千穂は、突然我に帰ったように表情を変えた。


「あ、そういえばおうさんち、昨日きのう地震平気でした?」


「えーっと」


 女子高生の話題のやくぶりといったら、異世界を渡るゲート並みに予測がつかない。これはと働くようになってから知った驚きであったが、流石さすがに慣れた。


「別に何も? 住んでるアパートがボロいからルームメイトは大きい地震だと思ったみたいだけど、実際そんなにれなかったんだろ? 俺は何も感じなかったし」


「え? あ……えーと、やっぱりそうなんですか!」


 ところが千穂はその答えに驚いたらしい。驚き方が少々不自然にも見えたが。


「学校の友達に聞いてもみんなそう言うんですけど、うちヒドかったんですよー」


「へぇ?」


 真奥が聞く姿勢を取ったのを見た千穂は、身ぶり手ぶりをつけておおぎように話しはじめる。


「お母さんが言うには、何か爆発したかもってくらいすごい音と震動だったらしくて、学校から帰ってきたら本棚の上のCDとか全部落っこちちゃってて、もう最悪だったんですよ」


「えー? そんなに?」


「あ、真奥さんまで疑うんですか」


 千穂はふくれてみせる。真奥は苦笑しながら手を振り、


「そういうわけじゃないけど、それで?」


「もう食器とかたくさん割れてお掃除大変で、お父さんもあちこち電話かけまくったらしくて」


「なんで電話を?」


「お父さん警察官なんです。昨日は非番で家にいたんですけど、うちが地区の役員で町会緊急連絡係とかやってたんでその関係で色々電話したみたいです。結局区の防災課に問い合わせたら、大したことない地震だって分かってがっくりきちゃって」


「ふぅん……」


「真奥さん?」


「……」


「真奥さんってば!」


「え? ああ、いや、なんでだろうなって。ちーちゃんの家だけそんなんなってるのは確かに不思議だ」


「ですよね! ……と、ところで真奥さん」


「ん?」


 今の今までばたばたとあわただしく話していたと思ったら、急に声のトーンが一段階落ちる。


 少し上目遣いになって、


「さっき、ルームメイトって、言ってましたよね?」


 と言い出した。見下ろすと、か少しだけ目をらす。


「ああ。昔からの部下……じゃない友達と」


 古い友達とルームシェアで貧乏暮らしをしている、というのは、あしと取り決めた対外的な言い訳だ。九割方真実なのだが。おうは渋い顔でたんそくして続ける。


「それって、か、か、かの……」


「古くさいアパートに男二人ふたりで寂しい貧乏生活さ」


「え? あっ? あー、なーんだ。そうか、なーんだ。良かった」


「良かったって何が?」


「なっ、なんでもないです! あ、真奥さんの部屋って一階ですか?」


「いや、二階。友達は、二階なのに揺れを感じなかったから、大した地震じゃないと思ったみたいだけど、ちーちゃんちってマンション?」


 じやつかん引きつったようながおで首を横に振った。


「い、一軒家です。あ、その……」


「え?」


「もし……そのよかったら今度……」


「こらこら若者ども」


 会話に割り込んできたのは、真奥よりも頭一つ高い長身に、モデル体形。シャンプーのCMに出演していてもおかしくないほどにつややかな長い黒髪をアップにまとめ、マグロナルドのカラフルな制服を身にまとったはた駅前店店長、さきゆみだった。


「あ、木崎さん!」


「現在は私語厳禁が鉄則の仕事中だ。ちーちゃん、夕方の店内チェックやったの?」


「あ、しまった、すいません! すぐやりますっ」


 二時間おきに行う店内の整理整頓と清掃チェックを指示された千穂は、あわててレジ下の棚からチェックシートを手に取り、カウンターから飛び出してゆく。


「まーくんも、ちーちゃんをあまり甘やかすなよ」


 木崎はまゆを寄せるが、別に本気で怒っているわけではない。幹部社員がいる時以外は従業員をあだ名で呼び、自分を店長と呼ばせないおうようじよけつなのだ。


 彼女目当てに店に通う男性客も多く、幾度となくトレーペーパーの広告写真に素顔を載せている名物店長でもある。これだけ抜群のプロポーションと容姿を持っていながらこんな場末のファーストフード店で店長をやっているのか、その理由はなぞに包まれている。そして年齢と身長と体重のデータは、それ以上のトップシークレットである。


「ようやくシフトに安定して居ついてくれそうな学生だから、あんま厳しくすんなっつったの木崎さんじゃないすか」


 そう言った途端、客席のわきにある掃除用具などをしまうスタッフルームのドアの向こうから、色々なものが崩れるような音が聞こえてきた。慌てて掃除道具をたおしてしまったのだろう。失礼しましたー、とドア越しにあわてふためいたの声が聞こえた。


「まぁそうなんだけどな、最近幹部が抜き打ちで店舗チェックに来たりするんだよ。だから、あんまり私語が多いとイザって時に言い訳できないでしょ」


 なるほど、のような人間にまで観察されているこの店である。どこで誰に見られているか分かったものではない。


 最もおうは、さきが幹部社員に言い訳する姿など見たことがないし、幹部社員の方で木崎を避けている気配すらある。


「で、まーくん、レイトタイムのレジチェックは?」


 木崎に言われて真奥は、ランチタイムとディナータイムの間の空白の時間帯の、客入りと売り上げを調べるための伝票を打ち出す。伝票を受け取った木崎は、ざっとそれをながめると満足そうにうなずいた。


「うん! 今日きようは早くも日商目標額を余裕のクリアだ! よくやった諸君! 今日の一杯は私のおごりだ。ディナータイムも頑張って労働にはげみたまえ! お、そうだまーくん、さっきの接客は文句なしの百点満点だ。引き続き、後輩の模範として頑張ってくれ」


 そもそも木崎は、その日の日商と店内環境を良くすること以外に興味が無い人間なのである。だからこそ、真剣に仕事に打ち込み売り上げを伸ばした真奥を正当に評価し、時給を上げる判断を下してくれたのだ。


 彼女を越える事が、将来の世界征服の第一歩であると真奥は強く信じている。


「あ、そう言えば木崎さんち、昨日きのうの地震大丈夫でした?」


「地震? そんなのあった?」


 伝票をながめながらの木崎の返事はその程度。木崎も近くのマンション住まいのはずだが、そんな程度の認識では体感すらしなかったのだろう。


「ま、今はそんなこと、気にしてても仕方ないか」


 千穂には悪いが、目下、考えなければいけないのは仕事を上がってからの真夜中の会談である。真奥のシフトは、閉店時間の十二時までだから、恐らく昨夜と同じくらいの時間になってしまうだろう。考えれば考えるほどゆううつにしかならない真奥だった。

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