魔王、生活のために労働に励む(4/7)
「で、君が
「この人を倒すためです!」
「あのね、彼氏が何したか知らないけど、刃物は勘弁だよ刃物は、ちゃんと話し合ってだね」
警官のその一言に勇者エミリアこと遊佐恵美は
「わっ……私とこの男がどういう関係だと……っ!」
「
真奥は
「最近そういう事件多いんだからさ、誤解されるよ? もうちょっと彼氏と話し合って、その、別れるならもっと穏やかにさ」
「だから私とこの人はそういう関係じゃ……!」
交差点での
解放されたのは痴話喧嘩と決めつけられて小一時間ほど説教された後である。
何か心に重大な傷を負ったらしいエミリアは、
「……
「今回特に何かあったか?」
「ふん、命が永らえたのを今だけは喜ぶのね。今日のこのときも
「お前それ正義の味方のセリフじゃねぇよ」
あからさまな
「そういえばおい、貸してやった
エミリアは
「用が済んだら捨ててよかったんでしょ。
「ひでぇっ!」
真奥は心の底から悲嘆の悲鳴を上げた。最近の
「ふん、勇者たる私が魔王に傘を借りて感謝までしたなんて、末代までの
そこでわざとらしく、
「魔に属する全てが、私の敵よ。明日から夜道には気をつけることね」
エミリアはまたも勇者らしからぬ捨てセリフを吐いた後、ふらふらと
「……めんどくせぇなあ」
魔王を追って異世界を渡ってきた勇者。
「あー、あいつがいるって知ったら
そう
翌朝にはバレた。
真奥の出勤は昼からだ。なので芦屋が昨夜の売れ残り徳用生卵Mサイズで作った朝食兼昼食の、具もケチャップも無いという意味でスクランブルな卵焼きを食べている最中だった。
呼び
家賃や携帯電話料金は引き落とし。ということは、あとは新参の訪問販売しか。
宅配便や郵便という発想が無いのは悲しいが現実なのである。
「どちら様ですか」
「どちら様とはご丁寧な
その声に
「な、何者っ!」
芦屋は
「何者? そうね、あなたは魔王城での戦いの時も私に向かってそう言ったわ。忘れたわけではないでしょう? 勇者エミリア・ユスティーナの名を!」
「勇者エミリアだとっ!」
芦屋は
「さぁ! 分かったらこの扉を開けなさい! 大人しく成敗されるのよ!」
信じられないが、自分のことをアルシエルと呼ぶ者がこの日本で真奥以外に存在するはずがない。魔王を追ってくる者がいるのではないかと
予想外の事態に一瞬慌てるも、アルシエルは魔王軍一の知将である。エミリアの行動の
芦屋はドアの
「魔王様、勇者です! 勇者が現れました!」
「こ、こらっ! アルシエル! 開けろって言ってるでしょ!」
芦屋の行動の意図を
「あー、あー、分かってる、芦屋、ティッシュ取って」
「魔王? 魔王もいるのね! 観念してここを開けなさい!」
キンコンキンコンと呼び
「いかが致しましょう! まさか勇者が攻めてくるとは!」
「あー取れない。悪い、
「な、なんですって!」
真奥が
「バイト帰りにそこの交差点で襲われてさ。それをケンカだって通報されて、交番に引っ張られちまったんだ。それで昨日帰りが遅くなったんだよ」
「私の人生最大の
ドア越しに
「そのようなこと、どうしてお
「いや、別に実害なかったし、それにあいつも俺達と同じみたいだから」
「同じ……と申されますと?」
卵のカケラが入ってしまった鼻の穴をほじりながら
「昨日あいつは俺を魔王サタンと判断したのに、聖剣を出してこなかった。聖剣は天界の力である〝
「……勇者も
「そう。まぁ勇者達にしてみれば魔王を倒すために聖法気を使うことを無駄とは言わないだろうが、
「寿命、ですね」
外の
「俺達を倒してから寿命を終えるまでに聖法気を再び蓄えられる保障がどこにも無いからな。エンテ・イスラの人間なんて生きて五十年。まぁ日本は女性の平均寿命長いから米寿まで生きたとしても、もうその頃にはこっちが故郷になっちまうだろ」
「つまり勇者もゲートを制御する力が無い、と」
「結果的にはそういうことだ。おい、入れてやれよ。外で泣き始めたぞ」
気づけば外からはおいおいとむせび泣く声が聞こえているのであった。
「ひっどい部屋」
エミリアは部屋に入るなり、鼻と目を真っ赤にしながら勇ましくもそう言い放った。
「物が無いから散らかってないのが救いだ」
「それにしたって、本当にこんなところに男
「魔王城は基本的に、居住性より機能性を重視するんだ」
真奥はようやく鼻から卵が出たらしく、朝食を続けている。
「
「お前、芦屋は
「お
皿と
「バカじゃないの、魔王がスクランブルエッグだけの朝ご飯なんて。せめて食パンくらい買いなさいよ」
「貧乏なんだよ、悪いか」
まったくこたえない
「悪いわよ! 何よ! 私こんなくたびれた
トランクス一枚によれよれのランニングシャツを着て
陽に焼けきったマンションサイズの六枚の畳。部屋の隅には、畳が傷つかないよう底にしなびたダンボールを
開かれた窓には網戸とベランダが無く、
台所には百円ショップで
新たなゴミ袋を入れられたステンレス製の花柄のゴミ箱は、リサイクルショップからでも調達したのだろうか、所々へこみがあり、貼りついたまま
手狭な台所を更に圧迫している冷蔵庫は中型の単身世帯用のもので、ドアには『今月のシフト』と手書きされたマグロナルドの卓上カレンダーが、欠けた磁石で貼りつけられていた。
「
エミリアは真奥の
「お前、仲間いないのか」
「うるさいっ!」
エミリアは思わず手元にあったティッシュボックスを真奥に投げつける。真奥はそれをひょいと
「本当は……本当は
逃した魔王を追うために、すぐさまゲート突入を決めたのはエミリアだった。
エミリアは先頭に立ってゲートに突入したが、ゲートが彼女一人を飲み込んだ時点で突然閉じたのである。
後ろを振り向いて最後に見たエンテ・イスラの光景は、仲間であった
「ふぅん」
「何よ」
いきなり
日本に降り立ってからのエミリアの行動の
違いといえば真奥よりもずっと時給がいいバイトをし、しかもいいマンションに住んでいることくらいだ。
「携帯は?」
「ドコデモよ」
エミリアが取り出したのは、最近発売されたモバイルパソコンに匹敵するという高機能が売りの、液晶パネルをタッチして操作するタイプの機種だった。
「……負けた」
「何がよ」
真奥と
「で、お前日本に来てどんくらいだ」
「まだ一年は経ってないわ」
「今年いくつなんだ」
「十七よ! それが何!」
十七ということは日本人なら大半は親の
それで
「まぁこんな世界で人生消費する前に、さっさと帰る手段を見つけることだな。俺たちはお前に見つかったからって引っ越す金も無いから、当分ここに住んでる。この六畳一間の魔王城から、俺の新たな世界征服事業は幕を開くんだ」
「行儀悪い魔王ね……アルバイトでその日暮しのあなたが、そんなことできるの?」
「俺がいつまでも力で全てを解決するような凡百の悪魔だと思うな。日本で生活する日々で、俺がただ
「えっ?」
疑問の声を上げたのは何故か芦屋だったが、真奥はそれを無視して高らかに笑う。
「俺は、日本を征服するつもりでいる」
エミリアは、ようやく飛び出した〝魔王〟らしい言葉に体を緊張させる。
「いいか、マグロナルドにはな、アルバイトが正社員になれるシステムがあるんだ」
「………………は?」
やはり真奥の一言で破られた。エミリアと芦屋は、
「日本では学歴や職歴が社会的地位に大きく影響することはエミリアも知ってるだろう?」
「気安く名前を呼ばないで! それが何よ!」
「察しの悪い
真奥は、エンテ・イスラを恐怖に
「いいか勇者エミリア、俺は、この世界で正社員になってみせるぜ」
「……そんなこと、私に言われても……」
エミリアは、どう反応して良いか分からず硬直してしまう。
「いずれ俺は、店長を超える。そして、正社員となって金と社会的地位を積み重ね、いずれはこの日本で、多くの人間を
芦屋は何も言えずに
真奥は
「……バカバカしい」
やがてエミリアから視線を外した。真奥はそれを見て、勝ち
「ふん、俺の
「多分、理解したからこんなこと言われてるんだと思いますが……」
芦屋はぽつりと
エミリアは
「なんか、疲れた……どうでもよくなっちゃった。
赤くなった目を
「でも、
「それを俺に言ってどうすんだよ」
わざわざ自分の
「私だけあなたの事情を知るのはフェアじゃないでしょう」
これには
「それはそれは、ご立派な心がけだな」
「エンテ・イスラへの帰還と魔王
疲れた表情でエミリアは玄関に向かう。
「それと、日本での私の名前は〝
「あいよ、了解」
ドアを開けたエミリアは立ち去り
「それにしても〝
そう言ってドアを力任せに閉める。
見えない〝恵美〟の背に向かって魔王はツバを飛ばす。
「日本全国のサダオさんに謝れ!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます