魔王、生活のために労働に励む(4/7)

「で、君がおうさだで、あなたがさん? なんであんなとこでケンカしてたの」


「この人を倒すためです!」


 はた駅前交番で、真奥とエミリアは警官の渋い顔を前にパイプに座らされていた。


「あのね、彼氏が何したか知らないけど、刃物は勘弁だよ刃物は、ちゃんと話し合ってだね」


 警官のその一言に勇者エミリアこと遊佐恵美はげきこうした。


「わっ……私とこの男がどういう関係だと……っ!」


ゲンカかなんかだと思われてんだろ」


 真奥はぶつちようづら一人ひとりごちる。


「最近そういう事件多いんだからさ、誤解されるよ? もうちょっと彼氏と話し合って、その、別れるならもっと穏やかにさ」


「だから私とこの人はそういう関係じゃ……!」


 交差点でのけんを近隣住民に通報され、魔王と勇者はそろって交番で油をしぼられている真っ最中なのだった。


 解放されたのは痴話喧嘩と決めつけられて小一時間ほど説教された後である。


 何か心に重大な傷を負ったらしいエミリアは、しようすいしきった有様で言う。


「……今日きようはこれくらいにしておいてあげるわ。でも……次は無いわよ」


「今回特に何かあったか?」


 おうの突っ込みをエミリアは受け流した。


「ふん、命が永らえたのを今だけは喜ぶのね。今日のこのときもじゃなかった。あなたの住所は暗記したわ。明日あしたから枕を高くして眠れる日は無いと思いなさい」


「お前それ正義の味方のセリフじゃねぇよ」


 あからさまなきようはくに顔をしかめる真奥。ふと思いついて尋ねた。


「そういえばおい、貸してやったかさは」


 エミリアはいつしゆん、何を問われたのか分からない、という表情を作ったが、すぐに思い出したのか鼻でわらって答える。


「用が済んだら捨ててよかったんでしょ。れいに分解して捨ててやったわ」


「ひでぇっ!」


 真奥は心の底から悲嘆の悲鳴を上げた。最近のしぶ区は環境美化運動が盛んで、なかなか放置されたビニール傘を拾えないのだ。


「ふん、勇者たる私が魔王に傘を借りて感謝までしたなんて、末代までのはじよ。そんなけがらわしいもの、一秒たりとも手元に置いておくわけないでしょ」


 そこでわざとらしく、みよう可愛かわいらしいピンクのハンカチで手をぬぐってみせるエミリア。


「魔に属する全てが、私の敵よ。明日から夜道には気をつけることね」


 エミリアはまたも勇者らしからぬ捨てセリフを吐いた後、ふらふらとおぼつかない足取りで夜のはたに消えた。


「……めんどくせぇなあ」


 魔王を追って異世界を渡ってきた勇者。


 だろう。なんら重大なことが起こる気がしない。明日もバイトだ。


「あー、あいつがいるって知ったらあしうるせぇだろうな。しばらくだまってようかな」


 そうつぶやいてようやく帰路についたのは、もう日が変わってからのことだった。






 翌朝にはバレた。


 真奥の出勤は昼からだ。なので芦屋が昨夜の売れ残り徳用生卵Mサイズで作った朝食兼昼食の、具もケチャップも無いという意味でスクランブルな卵焼きを食べている最中だった。


 呼びりんが鳴って二人ふたりは顔を見合わせる。MHKは昨日きのう来たし、新聞各紙には既に勧誘をあきらめられている。


 家賃や携帯電話料金は引き落とし。ということは、あとは新参の訪問販売しか。


 宅配便や郵便という発想が無いのは悲しいが現実なのである。


「どちら様ですか」


 あしが立って中から声をかける。かんせんが回っているので居留守は使えない。


「どちら様とはご丁寧なあいさつ痛み入るわね。四天王にして悪魔だいげんすいアルシエル」


 その声におうはむせ返ってしまい、そのせいでスクランブルエッグが気管に侵入し、反射でき込み、飛び出したカケラが鼻の裏に飛び込んで一人ひとりもんぜつしはじめた。


「な、何者っ!」


 芦屋はいつしゆんでドアから後ろに飛びずさり身構える。


「何者? そうね、あなたは魔王城での戦いの時も私に向かってそう言ったわ。忘れたわけではないでしょう? 勇者エミリア・ユスティーナの名を!」


「勇者エミリアだとっ!」


 芦屋はあわてて真奥を振り返るが、鼻に入った卵が出てこなくて真奥は涙目になっている。


「さぁ! 分かったらこの扉を開けなさい! 大人しく成敗されるのよ!」


 信じられないが、自分のことをアルシエルと呼ぶ者がこの日本で真奥以外に存在するはずがない。魔王を追ってくる者がいるのではないかとしたことはあるが、まさか最初から勇者本人が現れるとは。


 予想外の事態に一瞬慌てるも、アルシエルは魔王軍一の知将である。エミリアの行動のはしばしから既に敵の弱点をつかみ取っていた。


 芦屋はドアのじようを確認し、しっかりチェーンをかけると、共用廊下に面する窓を全部閉めて換気扇を止めた。


「魔王様、勇者です! 勇者が現れました!」


「こ、こらっ! アルシエル! 開けろって言ってるでしょ!」


 芦屋の行動の意図をさとった勇者の声があせりにいろどられる。


「あー、あー、分かってる、芦屋、ティッシュ取って」


「魔王? 魔王もいるのね! 観念してここを開けなさい!」


 キンコンキンコンと呼びりんが連打されるが、芦屋は意に介さない。


「いかが致しましょう! まさか勇者が攻めてくるとは!」


「あー取れない。悪い、だまってたんだけどさ、実は昨日きのう会ったんだ」


「な、なんですって!」


 真奥がはなをかみながら放ったなんでもない一言に、芦屋は腰を抜かさんばかりに驚いていた。


「バイト帰りにそこの交差点で襲われてさ。それをケンカだって通報されて、交番に引っ張られちまったんだ。それで昨日帰りが遅くなったんだよ」


「私の人生最大のくつじよくよっ! 魔王と……魔王とカップルと思われるなんてっ!」


 ドア越しにいかりの波動が飛び込んでくる。芦屋は一瞬ドアに視線を走らせたが、すぐに真奥に向き直り悲鳴のような声で尋ねた。


「そのようなこと、どうしておしらせくださらなかったのですか!」


「いや、別に実害なかったし、それにあいつも俺達と同じみたいだから」


「同じ……と申されますと?」


 卵のカケラが入ってしまった鼻の穴をほじりながらおうは言う。


「昨日あいつは俺を魔王サタンと判断したのに、聖剣を出してこなかった。聖剣は天界の力である〝せいほう〟を吸収する天界の金属〝てんぎん〟で出来ている。それが出てこないということは」


「……勇者もに聖法気を使うことができない? 勇者もまた天の力を補充するすべを持たないということですね」


「そう。まぁ勇者達にしてみれば魔王を倒すために聖法気を使うことを無駄とは言わないだろうが、やつらと俺達では致命的な差があるからな」


「寿命、ですね」


 外のいかりのごんだんむ。共用廊下のやすしんの床が抜けてしまいそうな音だ。


「俺達を倒してから寿命を終えるまでに聖法気を再び蓄えられる保障がどこにも無いからな。エンテ・イスラの人間なんて生きて五十年。まぁ日本は女性の平均寿命長いから米寿まで生きたとしても、もうその頃にはこっちが故郷になっちまうだろ」


「つまり勇者もゲートを制御する力が無い、と」


「結果的にはそういうことだ。おい、入れてやれよ。外で泣き始めたぞ」


 気づけば外からはおいおいとむせび泣く声が聞こえているのであった。






「ひっどい部屋」


 エミリアは部屋に入るなり、鼻と目を真っ赤にしながら勇ましくもそう言い放った。


 あしは怒りの声を上げそうになるが、真奥は事実だから、と制した。


「物が無いから散らかってないのが救いだ」


「それにしたって、本当にこんなところに男二人ふたりで住んでるなんて……」


「魔王城は基本的に、居住性より機能性を重視するんだ」


 真奥はようやく鼻から卵が出たらしく、朝食を続けている。


さびしい朝食ね」


「お前、芦屋はすごいぞ。何も無いところから魔法のようにあさめしを作る」


「おめに預かり光栄でございます、魔王様」


 皿とはしをカチカチならして胡坐あぐらをかく真奥の後ろにかんきわまってひざまずく芦屋。エミリアはうんざりしたように顔をしかめる。魔王と悪魔だいげんすいがこんな貧弱な食卓を前に、一体どんな茶番だ。


「バカじゃないの、魔王がスクランブルエッグだけの朝ご飯なんて。せめて食パンくらい買いなさいよ」


「貧乏なんだよ、悪いか」


 まったくこたえないおう


「悪いわよ! 何よ! 私こんなくたびれたやつを殺すために世界を渡ったの? 最低よ!」


 トランクス一枚によれよれのランニングシャツを着て胡坐あぐらをかき、中古のカジュアルこたつで朝食をとる真奥の姿にエミリアは泣き崩れる。


 陽に焼けきったマンションサイズの六枚の畳。部屋の隅には、畳が傷つかないよう底にしなびたダンボールをはさんだ安っぽい三段重ねのカラーボックスが置いてあり、反対側の壁面は、これまたふすまがとことん日焼けした押入れだ。


 開かれた窓には網戸とベランダが無く、びたさくが申し訳程度にへばりついている。窓枠に所狭しと洗濯物が吊るされていて、大半が型崩れした無地のTシャツと、使い古されたトランクスと靴下だった。それらを洗った洗濯機は室内に設置できずドアの外の共用廊下にある。見回すとトイレと思われる塗装のがれた木のドアには、住人以外は使わないだろうにわざわざ『便所』と書かれたプラスチックのプレートがりつけられていた。便器は当然和式だろう。


 台所には百円ショップでそろえたとおぼしき薄くてテカテカと光るもろそうなプラスチック製の台所用品や、季節感を無視した陶器の食器が積まれており、にでもゴミ収集に出すのだろうか、マグロナルドの紙袋が一杯詰まったゴミ袋が一つ、隅に放られている。


 新たなゴミ袋を入れられたステンレス製の花柄のゴミ箱は、リサイクルショップからでも調達したのだろうか、所々へこみがあり、貼りついたままがれなくってしまったガムテープの貼り跡があった。


 手狭な台所を更に圧迫している冷蔵庫は中型の単身世帯用のもので、ドアには『今月のシフト』と手書きされたマグロナルドの卓上カレンダーが、欠けた磁石で貼りつけられていた。


一人ひとり暮らしの私だって、もうちょっとマシな生活してるわよ。働ける男が二人ふたりもいて、これはひどすぎるわ」


 エミリアは真奥のなさをきゆうだんしたつもりなのだが、真奥は全く違う受け取り方をした。


「お前、仲間いないのか」


「うるさいっ!」


 エミリアは思わず手元にあったティッシュボックスを真奥に投げつける。真奥はそれをひょいとけ、ティッシュボックスはビニールひもで結ばれたフリーペーパーや就職情報誌の束に当たって情けない音を立てて畳に落ちた。


「本当は……本当はだいしんかんいつしよに来るはずだったのよ! あなたを倒したら、さっさと帰ることになってたのよ! それなのに……それなのにっ!」


 逃した魔王を追うために、すぐさまゲート突入を決めたのはエミリアだった。


 エミリアは先頭に立ってゲートに突入したが、ゲートが彼女一人を飲み込んだ時点で突然閉じたのである。


 後ろを振り向いて最後に見たエンテ・イスラの光景は、仲間であっただいほうしん教会〝六人の大神官〟の一人ひとり、オルバ・メイヤーの何が起きたのか分からない、と言いたげなきようがくした顔だった。


「ふぅん」


「何よ」


 いきなりあいづちを打ったおうにら。真奥はなんでもない、と首を振り続きをうながす。


 日本に降り立ってからのエミリアの行動のせきは、残された力を節約しながら生活を成り立たせた真奥達と大差が無かった。


 違いといえば真奥よりもずっと時給がいいバイトをし、しかもいいマンションに住んでいることくらいだ。


「携帯は?」


「ドコデモよ」


 エミリアが取り出したのは、最近発売されたモバイルパソコンに匹敵するという高機能が売りの、液晶パネルをタッチして操作するタイプの機種だった。


「……負けた」


「何がよ」


 真奥とあしの携帯電話は古い不人気機種で操作性も悪く、申し訳程度のカメラ機能がついているだけだ。携帯電話なんか、通話とメールで十分だという結論に達したゆえだ。


「で、お前日本に来てどんくらいだ」


「まだ一年は経ってないわ」


「今年いくつなんだ」


「十七よ! それが何!」


 十七ということは日本人なら大半は親のもと、高校に通っている年齢である。


 それで真奥達より良い生活をするだけの余裕があるのだろうか。真奥は内心首をかしげたが、それを知ったところでどうにかなるものでもないと考えることをあきらめる。


「まぁこんな世界で人生消費する前に、さっさと帰る手段を見つけることだな。俺たちはお前に見つかったからって引っ越す金も無いから、当分ここに住んでる。この六畳一間の魔王城から、俺の新たな世界征服事業は幕を開くんだ」


 はしの先でエミリアを指しながら、堂々としたたんを切る真奥。エミリアは部屋の様子を見回した後、疑いとれんびんと警戒を織り交ぜた複雑な表情を浮かべた。


「行儀悪い魔王ね……アルバイトでその日暮しのあなたが、そんなことできるの?」


「俺がいつまでも力で全てを解決するような凡百の悪魔だと思うな。日本で生活する日々で、俺がただあんのんとアルバイト生活を送っていると思うなら、とんだ間違いだぜ」


「えっ?」


 疑問の声を上げたのは何故か芦屋だったが、真奥はそれを無視して高らかに笑う。


「俺は、日本を征服するつもりでいる」


 エミリアは、ようやく飛び出した〝魔王〟らしい言葉に体を緊張させる。あしがそのそぶりに気づき、何が起こってもいいように身構える。おうのたった一言で高まった緊張。それが、


「いいか、マグロナルドにはな、アルバイトが正社員になれるシステムがあるんだ」


「………………は?」


 やはり真奥の一言で破られた。エミリアと芦屋は、そろって首をかしげる。日本征服と、マグロナルドの人事システムに一体どんな関係があるというのだ。


「日本では学歴や職歴が社会的地位に大きく影響することはエミリアも知ってるだろう?」


「気安く名前を呼ばないで! それが何よ!」


「察しの悪いやつめ。いいか、この日本で魔力も体力も無い俺が手に入れられる唯一の力、それは〝正社員の肩書き〟だ!」


 真奥は、エンテ・イスラを恐怖におとしいれた悪魔のこうしようとともに、宣言した。


「いいか勇者エミリア、俺は、この世界で正社員になってみせるぜ」


「……そんなこと、私に言われても……」


 エミリアは、どう反応して良いか分からず硬直してしまう。


「いずれ俺は、店長を超える。そして、正社員となって金と社会的地位を積み重ね、いずれはこの日本で、多くの人間をしつひざまずかせる実力者になってみせる。その力を武器に、俺は再びエンテ・イスラに攻め込むんだ! どうだエミリア! お前にそれが止められるか」


 芦屋は何も言えずに二人ふたりの話をわきで見ていることしかできなかった。


 真奥ははしを持ったまま、エミリアはぜんとした表情のまましばしにらみ合うが……。


「……バカバカしい」


 やがてエミリアから視線を外した。真奥はそれを見て、勝ちほこったように胸を張る。


「ふん、俺のすうこうこころざ人間ごときが理解できるとは思ってはいないがな!」


「多分、理解したからこんなこと言われてるんだと思いますが……」


 芦屋はぽつりとつぶやく。


 エミリアはためいきをつくと、脱力したようにがっくりとうな垂れて言った。


「なんか、疲れた……どうでもよくなっちゃった。今日きようのところは帰るわ」


 赤くなった目をぬぐったエミリアは、真奥を睨む。


「でも、かん違いしないでね。あなたを理解したわけでも、見逃すわけでもないわ。私が残った力を使えば、あなたを殺すことなんかいつでもできるけど、それをやるときっと帰れなくなる。帰ろうと思うと、あなたを殺せなくなる。そういうことよ」


「それを俺に言ってどうすんだよ」


 わざわざ自分のきゆうじようをさらけ出してどうしようと言うのか。真奥が首を傾げると、エミリアはさも当然のように言ってのけた。


「私だけあなたの事情を知るのはフェアじゃないでしょう」


 これにはおうあしも面らう。


「それはそれは、ご立派な心がけだな」


「エンテ・イスラへの帰還と魔王とうばつを両立できるようになるまで、命は取らないでおくわ。でも油断はしないことね……はぁ」


 疲れた表情でエミリアは玄関に向かう。


「それと、日本での私の名前は〝〟よ。間違えないで」


「あいよ、了解」


 ドアを開けたエミリアは立ち去りぎわ


「それにしても〝さだ〟って何? 今時の若者の名前じゃないわね」


 そう言ってドアを力任せに閉める。ほこりが舞った。ぜんとして閉じたドアを見る芦屋。外の廊下から階段を降りる音が聞こえて、やがて消えた。


 見えない〝恵美〟の背に向かって魔王はツバを飛ばす。


「日本全国のサダオさんに謝れ!」

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