魔王、生活のために労働に励む(3/7)

 結論から言えば、フェア商品売り上げ地区一位は達成できなかった。ランチタイムを過ぎて突然ポテトを揚げるためのフライヤーが一機故障したのである。


 メンテナンスが来るまでに二時間を要し、その二時間が生死を分けた。


 おうくやしがりながらも、今日きようもたくさんのジャンクフードを土産みやげに夜中の帰路に着いた。


 あんなに激しく降っていた雨も、夕方頃には上がっていた。おかげで店からかさを借りずに済んだが、あの雨が昼の客足に影響を及ぼしたことは疑いない。


 雨やフライヤーの故障以外に至らなかった点は無かったか。帰りの道すがらそのことばかり考えていた真奥は、昼に女性に傘を貸した、あの交差点に差しかかっていた。


「……あれ?」


 時間帯は深夜である。レストランはとうに閉店してあかりも落ちている。人通りの絶えた交差点を照らすのは、外灯と、明滅する信号のみ。


 あの、レストランのひさしの下の影から、ゆらりと人影が浮かび上がる。


 夜のやみまぎれて気がつかなかったが、出勤時に出会った女性ではないか。


「あれ? 昼間の……」


 しかし、真奥は言葉を途中で止める。どこかおかしい。


 女性は言葉を発さず、真っぐに真奥を見ている。その視線の冷たさは何事だろう。


 にわか雨に虹をかけそうな明るいがおの持ち主のはずなのに、今の表情はまるで太陽すら凍りつかせんばかりの極北の氷河だ。


 間違いなく、今の彼女は、こちらをにらみつけている。その視線にされて、真奥はつばみ込む。


 こちらを睨みつけたまま何も言わないのか、空気に耐えられなくなった真奥は、とりあえず声をかけてみた。


「あの後、大丈夫だった? れずに帰れた?」


「大丈夫じゃないわ」


「は?」


 声もまるで真冬の放射冷却のように冷たい。


今日きよう、あなたの店に行ったわ」


「え、そ、そう。あ、ありがとう」


 営業トークをんでしまう。カウンター業務をしている間、この女性が来た記憶は無い。


 女性がこちらに一歩み出し、真奥はバランスを崩して倒れそうになった。あわてて自転車から飛び降りると、今度は昼とは全く違う意味で、お互いの間に自転車をはさんだ。


「ずっと向かいのお店から観察してたの」


「観察……って、店を?」


 店の向かいには通りをはさんで書店があったはずだ。そんなところからずっと店を見ていたとは、まさかうわさに聞く、本社の抜き打ち監査というやつだろうか。


「いいえ、あなたを」


「お、俺?」


 おうはますます混乱する。店の前まで来ておきながら、かさを返しに来るでもない。そでり合う程度の縁しかなかった真奥を追うような女性に知り合いなど……。


「……外見があまりに違いすぎるし、気の迷いかと思った。でも、そのうち気づいたわ」


 一人ひとりだけ、


「まさかと自分の感覚を疑ったわ。このあたりにいるとは分かってたけど……」


 いる!


「あなたの中に残るわずかな魔力だけは、私には隠しようがないわ!」


 まさか!


「魔王サタン! あなたがはたのマグロナルドでアルバイトをしているの!」


 流れるしつこくの髪、美しく透き通った肌、しようの物を見逃さぬそうぼう、まさかこの女は、


「お、お前……っ、勇者エミリア!」


 エンテ・イスラを魔王の手から奪い返した勇者の名こそエミリア・ユスティーナ。エンテ・イスラの聖女とまでたたえられる勇者が何故ささづかに。


「いかにも私はエミリア! 何故ここにいるかは分かってるわね!」


「ま、まさか……」


「あと一歩で逃した魔王サタンと四天王の生き残りアルシエルを追って世界を渡った! あなた達を放置しておけば世界はまたやみに閉ざされる! そうなる前にあなたを倒す!」


「ま、待てエミリア! 話せば分かる!」


「問答無用! 魔王覚悟っ!」


 勇者エミリアは、突然ナイフを取り出して真奥に向かって切りかかってきた。間に挟んでいた自転車越しに突き出された切っ先を、真奥は後ろにんでかわす。支えを失い倒れたデュラハン号が、突然の粗末な扱いに抗議のそうおんを立てた。


「うわっ! あぶねっ!」


けるな! 大人しく殺されなさい!」


「そんなわけに行くか!」


 デュラハン号を飛び越えてみぞおちに繰り出されたナイフの二撃目をまたかんいつぱつける。


 間合いを取り直した真奥だったが、彼はバイト帰りであるがゆえに武器など何一つ持っていない。ぜん不利な状況であるのは明らかだが、真奥には余裕があった。既にエミリアが今どのような状況に置かれているのか、その武器を見ただけで把握したのだ。


「お、おい、勇者エミリア」


「何、命乞い? 今さら敵と語り合う言葉は持たないわ!」


 迫力にされるが、おうは何とか声をしぼり出す。そしてそれは思わぬ効果をもたらした。


「お前、聖剣はどうした」


「……っ」


 小さく息をむ音。


「そのナイフ俺も持ってる。ささづかの百円ショップで買ったんだろ」


「な、それをっ!」


 エミリアに大きなどうようが走る。手の中のナイフが赤信号に照らされにぶく光った。


「お前……もしかしてせいほうを失ったんじゃないのか? いや、失わないまでも、遣いできないんだろ?」


「……っ!」


 エミリアのみするような態度は真奥の言葉が図星であることを示していた。


 エンテ・イスラから追っ手がかかることはある程度予測していた。流石さすがしよぱなから勇者本人が来るとは思わなかったが、勇者もゲートをくぐりこの世界に渡ってきた。恐らくは真奥達の魔力の航跡を追ってきたのだろう。


「で、でもっ……それはあなたとて同じことでしょう? あのときとは比べ物にならないほどぜいじやくな魔力しか感じられないわ!」


「まぁそりゃそうだが……」


 真奥はエミリアの言葉に心の中で舌打ちするが、隠してもなので正直に認める。


「聖剣など無くとも、魔力を失いアルバイトで生活する魔王など恐るるに足らず! 覚悟っ!」


 エミリアがナイフを高々と振り上げる。


 光が、真奥とエミリアをつらぬいた。






 国立西洋美術館の特別展調査が空振りだったあしは、パンフレットを状差しに片付け、徳用四百グラム入りうどんをきっかり二百グラムだけなべでながら真奥の帰りを待っていた。


 冷蔵庫に残された食材だけではとても生きていけない。博物館調査費用ねんしゆつのためにも芦屋は芦屋できちんと貯金をしているので最低限の買い物をすることはできるのだ。真奥にはないしよのヘソクリである。


「はぁ……今日きようもなんとかペッパーポテトを持ち帰られるのだろうか……」


 開け放しの窓から飛び込んでくる羽虫を追い払いながら芦屋は時計を見た。


「魔王様遅いな」

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