第17話 ランカラ攻防〔中〕

「ランカラは陥落します。まず、間違いなく」


ロンターは冷酷にも告げる。壁に寄りかかりながらも視線は鋭く、レーリッヒを捉えて離さない。


「知っているとも。だが、我々軍人は冷酷でなければならない。未だランカラに滞在している60万人は見殺しにしようとも、今後の憂いを払うために『魔女』は確実に排除しなければならない障害だ」


「そのためには子飼いの犠牲もいとわないと、そういうことなんですね?」


長い沈黙の末にそれを肯定と受け取ったロンターは気色ばむ。拳は強く握られ、歯がギチギチと軋んでいる。


「まあ、待て。そう怒るな。…委員会は新大陸からの撤退作戦を立案したと同時に極秘裏に反攻作戦の草案を作成した。それも、旧連合王国領も同時に併呑する大規模なものをな。一時の恥だ。新大陸の開かれた戦線は帝国にとっては重すぎる負担だ。旧大陸の連中からすれば、邪魔でしかないだろうな。確執を埋めるのは楽な仕事ではない。ならば、C軍集団がいっときの栄光を捨てて帝国の繁栄の土台となるのも仕方のない犠牲だ」


「それは、間違いのない、確実な情報なのですか?」


旧大陸戦線に決着をつけた上での新大陸の再侵攻作戦、その響きはとても甘美だった。よく考えれば、新大陸の大国、デルモルヴィド連合王国の姿は既になく、焦らずともその跡地には一つの政府組織すらない。そんな事実はロンターを嗜められるのに十分な根拠になった。


「ロンター、お前のような情報屋でも知らない情報もあるものだな。それでこそ私の存在意義もあるというものだよ」


レーリッヒは情報屋であるロンターにも知らない情報があり、さらにそれをロンターに伝えることができたことに予想しつつも、勝ち誇る。


「それに委員会など、あれは大戦終結とともに解体された組織ではなかったのですか?」


帝国総力戦委員会は世界大戦時に創設された挙国一致の体制を取るための政府機関だ。事実的には帝国を独裁体制の国家へと変貌させた委員会は二年前にひっそりと復活を果たしていた。理由はもちろん、国土の東西から攻勢を仕掛けてくる未国籍軍の攻撃から国土を防衛するためだ。外敵を前にして内憂で国家が纏まらないままでは、もちろん、熾烈な総力戦を生き残れるはずがない。考えるまでもなく、それだけで委員会が復活する理由には十分だった。


しかし、軍部の上層部や首相などの最上級官僚、そして皇帝家によって構成されたこの委員会はまさに国を裏で操っているのも事実だ。仕組みだけに目を向ければ、この体制は寡頭制に何の違いはないのだから。


「私がここで嘘を吐くような人間だと思うか?好きに考察するといい。例え帝国にとって有害で厄介極まりない『血族』でも私からすれば一つの持ち駒だ。計画は必ず達成されなければならない」


「だから、ベルケンクル研究所でクランハルトを焚き付けて、ランカラに行くように仕向けたんですね?」


ロンターの言葉にレーリッヒは静かに頷いた。



「はっ、間に合ったか?」


クランハルトはランカラの飽きるほど見てきた曇天の空を眺めて安堵する。ラグノーブルは三度紅い魔法陣によって灼き尽くされた。そのような惨劇は再度、繰り広げられていいものではない。車を投げ捨て、身体に身体強化を施すと、屋根をつたって駆けていく。


「カリンは、強力な魔力反応はない。まだ、到着していないのか?」


視界は晴れ五感も異常はないと言っているが、六つ目の感覚がここは危険だと、脳に指令を送っている。クランハルト自身もそれは重々承知しているので、油断せずに警戒してはいるのだが、杞憂であって欲しいという願いもある。


「…、見つけた!」


コンクリートを抉れるほど力強く踏み締め、体が空へと打ち上がる。空気が澄んでいて、地上より気温が低く肌寒いと感じる。もしかしたらそれは、北の大地から吹く風のせいかもしれないが。


空中に体を放り投げてしばらく、標的の姿ははっきりとクランハルトの目に捉えられた。けれど、少し遅かったようで『魔女』の方向から膨大な魔力に流れが発生し、空が赤く染まると巨大な魔法陣がランカラを包み込んだ。


「『魔女』!ここでお前を殺す!」


「やれるものなら、やってみなさい」


『アレ』を止める手段は一つしかない。それは『魔女』の命を断つこと。魔法は詠唱者が死ぬと、物体であろうが現象であろうがもとより存在していなかったかのように消えてなくなる。ランカラが火に呑まれるのを回避する唯一の手段でもある。


『魔女』がこちらに気づくと身体は炎を纏い、服も煌々と輝き出す。炎は魔力を使って燃焼していて、こちらに近づけさせまいと威圧感を向けてきているかのようだ。


クランハルトは銃弾を四発放ち、体を捻って飛来する火球を躱わす。魔力で創造された物体は物理法則を強制的に捻じ曲げて、人間に対しては自力での治癒をほとんど不可能にさせるのだ。『魔女』が放った火球も例外ではなく、一度体に燃え移ると水をかけても酸素の供給を遮断して、その身を焦がすまで燃え続けてしまうのだ。


それに対抗する手段は残念ながら魔力を使うしかなく、魔導適性のない人間に一度この火がつけば、もはや苦しみながら死を待つしかない。


「はっ!」


エルからもらった短剣はクランハルトの魔力を吸収して淡く光り始めた。初めての現象にクランハルトは一瞬動揺したが、体の一部分になったような感覚に妙な頼もしさを覚えて、やがて彼自身はその現象に疑問を持たなくなった。


防衛線をルートヴィヒ穿つ剣技スハーヘン


『魔女』の手の甲に埋め込まれた宝石が輝くと、黒い金属を基調として散りばめられた深紅の宝石が輝くレイピアとる。それを一振りすると、剣の間合いの3、4倍はあるであろう炎が周囲の空気を灼きつくしす。クランハルトが危険を感じて距離を取っていなければ、今彼は頃灰か煤になっていただろう。


一度身体強化を解除して重力に体を任せながら1マガジン分の魔力弾を撃ち尽くす。そして懐からマガジンを取り出すことで気が付いた。銃弾が後1マガジン分しか弾が無いことに。本来ならばもう一つ懐に入れていたが、それは列車に『魔女』が襲来した際に使ってしまっていたのだ。


「今のを回避するなんてなかなか感がいいじゃない。けれど、その直感もいつまで持つかしらね?」


空気を蹴って水平方向に急旋回し、剣技を間一髪で躱す。拳銃で牽制しながら短剣を逆手に持って突貫する隙を伺ってみはするが、『魔女』の纏う炎が彼女の刹那の隙すらクランハルトに与えまいと煌々と燃えてそれを許さない。


命中コースにあった弾丸も、剣を一振りしただけで溶け落ち、『魔女』に傷ひとつ付けることが出来ない。


「チッ、」


何か、何か手はないのか。クランハルトは思考する。これ以上は魔力の無駄遣いと考えて地面に足をつける。ここ数日間は魔力を使うことはなかったが、疲労は確実に溜まっていた。身体強化による高揚感も薄れて段々と冷たい現実が見えてくるようになる。


「これは生存競争。貴方たち人間がやってきたことと同じことよ。違う?」


スカートを燃やして『魔女』も地上に降り立つ。瞳を見ると深紅の中で結晶が揺らいでいた。それに比べて自分はどの程度魔力が残っているだろうか。身体強化がせいぜい一時間保てるぐらいだろうか。


「生存競争だと?」


「そう。人間は森を燃やして生存領域を広げてきた。他のことは何にも考えずにね。草原はコンクリートで固められて雑草がそれを突き破って己の力強さを証明するとそれを徹底的に叩きのめす。貴方たちは私のことを魔女だと言って恐れるけれど、今燃えている炎は貴方たちのと比べるととても小さくはないかしら?」


「馬鹿馬鹿しい」


クランハルトは一蹴する。


「それに、これを生存競争だと言うのならばそれは、繁栄の証ではないのか?」


『魔女』はこちらの誠意に応じ再び剣を手に持った。身体強化をより強く施すと視界が白く広くなる。ここで死んでしまっても構わない。そう思えるほど、さっきまでの不安は目の前の好敵手への興奮に書き換えられていた。


姿勢を低くして距離を詰める。拳銃に入っていた残りの弾丸は全て放って拳銃本体は戦闘の邪魔になるので捨てた。敵の増援は来ない。こちらの増援は、望めないだろう。『魔女の血族』によって根回しがされているはずだから。


ナイフを強く握って、炎の熱さを肌で感じ、突貫する。炎を肺に吸い込んだ命を顧みない積極的な行動によってようやく、自分の間合いに『魔女』が入った。


「硬いっ!?」


クランハルトの『魔女』の首を狙った一撃は油断を突いたにもかかわらず、首に小さく切り傷を付けるのが精一杯だった。身体強化で誤魔化した精神ですら隠せない動揺を、思考を停止することで何とか取り持つ。


「やってくれたわね」


それでもその一撃は『魔女』に対して付けた初めての傷だった。何度も精神を削って、視線を掻い潜った末の一撃。


「それで十分だ」


クランハルト自身も、分かっていた、分かってはいた。自分の行うそれは執着なのだと。士官学校を可もなく不可もない成績で卒業し、魔導適性をこれ幸いにと人生の転機として受け入れた自分には、他人がどう思おうと自分の生き方を狭めているのだと。既に世界大戦以上の死傷者が世界中で積み上がっている。私もその山の一部へと、埋まるのだと。それは、人生の再生を諦めた中堅貴族として相応しい結末なのだとも。


「そう。…力が欲しくはないの?」


「欲しいさ。だが、本当は必要のないものだ。どうせお前は私を『血族』へと誘う腹積もりでいるのだろう?丸わかりだ。お前が人間でないにしても、もう少し対話する姿勢というものを学んだ方がいい」


「それは善意なのかしら?」


「…最期ぐらい、堂々としていなければ何が男か」


「そう」


『魔女』の剣はクランハルトを貫いた。傷ついた細胞はすぐさま神経系に信号を送り、刹那の瞬間を経て脳に届く。体が熱くなるのを感じた。『魔女』の目は相変わらず深紅に染まっていて、人間の力ではその本質の一端にしか届かないことを嫌でも認識させられる。


「楽しかったの。人間は贈り物をされると返さずにはいられないのでしょう?これはお返し。次目覚めた時に零さずに受け取りなさい」


クランハルトの意識はそこで途切れる。そして、誰もいなくなった戦場の後の硬い地面の上で静かに、目を閉じた。



「待て」


カリンは魔力を惜しみなく使い、跳躍を繰り返すことでアレクトと同時期にランカラに到着していた。だが、戦いの気配を感じ取り、合流するより先に魔力の気配の主の元へと向かうことを優先したのだ。


「お前だな、この惨状の正体は」


カリンが少し上を向いて投げかけた問いに魔力の主も少し上を向いて、質問の意図を察すると視線を戻した。


「そうよ。死にたくないのなら貴女も逃げた方がいいわ。あれは『灰燼に帰す魔法陣エニウェトク』と言って、私自身もあの魔法陣が完成したらただでは済まないような狂人的な魔法よ」


「ならば今すぐ止めた方がいい。お前にとっては早く死ぬか遅く死ぬかの違いしかないだろうがな」


「嫌よ。それに、あれは私にももう止められない」


『魔女』が言葉を言い終わるか、それより前にカリンは太刀を抜き首を斬り落とす。


問答無用と言わんばかりのカリンの態度では『魔女』は少しもなびかなかった。最低でもクランハルトのように己の執念を証明し、それでかつ、己の命を差し出す覚悟を見せなければ、『魔女』の眼鏡には敵わないのだ。


「甘いわね。それじゃあ、私も、私より古いものも殺せないわよ…」


魔女の体は炎となり、声が残り火に乗ってカリンの耳へと伝わる。


「ああ、それと、そこに転がっている人間はまだ生きているから回収しておきなさい。確か、名前は…」


「クランハルト」


「ええ、そんな名前だったわね…」


宙に消えた炎は名残惜しい雰囲気を纏っていたが、死んではいなかった。空中に浮かぶ魔法陣が消えていないのが何よりの証拠だ。


「アレクトは…ケトゥーヴァが付いているし心配は不要か」


地面に転がっていたクランハルトを担いだカリンは、空間の狭間に入ると消えた。カリン自身も強気な態度を取っていたが、『灰燼に帰す魔法陣エニウェトク』の危険性は重々承知していた。


だから、たとえ見殺しにしたと呼ばれようとも私事で自分の命を投げ捨てようとはしなかった。カリンの新大陸での動乱は幕を閉じる。


しかし、空はより一層紅く、どこからか血の匂いが吹いて来る。ランカラの静かな攻防はまだ始まったばかりだ。

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異世界戦線 Chira @oyuumugi

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