異世界戦線

Chira

第一部 新大陸防衛作戦

第1話 落日

アレクト・フォン・リーベは貴族だった。リーベ家の一人娘。家族構成は父と彼女のみ。母は死んだ。アレクトを産んだ後に病にかかって死んでしまった。誰が悪いかと言えば腹に宿ったアレクトだろうか。そんな議論は無意味だとわかっていてもつい考えてしまう。病は不治の病と診断された。


父リーベルトはアレクトを育てるために多くのメイドを雇った。住居であるメリート郊外にある屋敷にはかつて妻のネスィールとリーベルトしか住人がいなかったので使わない部屋はことごとく埃を被り、庭は普通の家なら別に違和感は無かったが、貴族の屋敷だと考えると荒れていた。


幸いなことに、リーベルトには一代で成した財があった。未開発だったトラキスタン州の南海岸部を港湾都市としてメリートの市街地を拡大したからだ。ランカラは歴史を考えれば仕方のないことなのだが、軍港も兼ねている。新大陸に圧力をかけられる大艦隊が配備できる港は当時はランカラしかなかったからだ。現在ではヘルベッチもだいぶ整備されたがやはり規模ではランカラには敵わない。


そんなこんなでアレクトはメイドに可愛がられながらも、リーベルトから貴族としての素質を早々に見抜かれ厳しい教育を受けて育った。だからかは分からないが、アレクトはお転婆というか、世間知らずというか、貴族らしからぬ素行とは裏腹に貴族としてこの世界を生き抜くための力を持ち合わせていた。人は見かけによらないというやつである。


さて、早速だが本題に移ろう。夏の暑さもようやく落ち着き、どこか秋の肌寒さを感じるようになった九月の始め。メリートは気候の関係上あまり晴れの少ない地域だが、今日は珍しいことに雲一つない快晴だった。だからといって何かがあるわけではないが、アレクトにとっては父であるリーベルトから珍しいく執務室へと呼ばれたことと重なり、そんな些細な出来事でも何か特別なもののように感じられた。


ほとんど小走りに廊下を歩き、執務室を前にしてアレクトは気が付く。そういえばラクーシャを置いてきてしまったことに。ラクーシャはメイド長だ。実態はほとんどアレクトの世話係であるのだが、それはリーベルトからの信頼の証でもある。そんな彼女を置いてきてしまったことが父にバレてしまえば『従者がいるというのに自分で扉を開けるとはいかがなものか』といわれるだろう。部屋に入った瞬間に言われるお小言が容易に予想できる。


実際、アレクト自身もこのように例を挙げればきりがない貴族の面倒くさい風習にいつかは改革の風を吹かしたいと思ってはいるが、今の何の影響力の無い状態ではどうしようもない。なぜならアレクトはまだ17だ。それに、これでもこちらの常識からすればリーベルトはアレクトにとって十分に理解のある父親なのだ。


まあ、いいか。そう楽観的に考えてアレクトはドアを雑にノックし、返事が返ってくる前にドアノブを捻って扉を開けた。



「!?はぁ、アレクトか」


ドアを開けると何か手紙を綴っている父、リーベルトが驚いた様子でこちらを凝視してきた。乱雑に入ってきたことに驚いたのだろう。声色が不満を示している。


「呼んだのはお父様ではないですか。楽しみでラクーシャを置いてきてしまったのです」


「アレクト、お前はいつになったら…はあ、結局は人払いをすることになるんだ。今回はお咎めなしとしておこう」


お父様は少し俯きながら小さなため息を吐く。少し無茶な言い訳にも対応できないほどだ、相当疲れているのだろう。


「だが、私がお前を呼んだのはあまり嬉しい知らせではないぞ?」


「もしかして、縁談の話とかですか?」


「こんな細々と家を繋いでいる家系に血を入れようと思う貴族はそうそういない」


違ったようです。リーベ家は一応はコルト帝国で多大な影響力を持つとされる五大貴族の一角に数えられているというのに、実態としては直系は私と父リーベルトのみ。

普通の貴族ならばお家断絶の危機だというのに、お父様はどうにかして盛り上げようとは思わないのでしょう。


「それじゃあ私を直接呼びつけた理由は」


私の言葉に父は一枚の封が開かれた封筒を投げてきた。中身を開くと、それは私文書ではなく堅苦しい公文書のよう。


「適性検査の結果、アレクト・フォン・リーベに魔導適性あり。等級はA。三週間以内に召集に応じない場合は強制連行とする。…!」


次の瞬間には私はリーベルトを睨みつけていた。私は怒っているのだろうか。泣いてしまっているのではないだろうか。背筋が凍りつくような感覚に襲われながらも、怒りで体が熱い。


「そう感情を露わにするな。弱みを握られるぞ。こうなってしまったからには仕方がないんだ…ロイン」


お父様の言葉に後ろで控えていたロインが書類を私の前に置く。


「これは…名簿ですか?」


「そうだ。娘をいきなりあの堅苦しい軍に送るのはまさかないだろうと思っていたが、なってしまったのならば仕方がない。そこにある名前は全員間違えなく覚えろ」


なんと無茶なことを。私が興味を持たないものはとことんダメだということを知っていてこの始末とは…だからこそお父様は質が悪いんです。


気を取り直して名簿に目を軽く通しながら、今後の展望について思考を巡らせる。


…恐らく、というか殆ど、今後は家の名を背負って生きていくことになるのでしょう。しかもよりによってお父様が日頃から散々陰口を叩いてきた軍で。


魔導兵というものは誰でもなれる兵科ではないとは聞いていた。その名に魔導とついているように魔法を使う兵科なのだとも。そして、その魔法の実態は私たちの想像するような夢のあるものではないことも同時に。


魔法の使い方は未だ研究段階とはいえ、ほとんど一種類に限定されている。戦場で武勲を上げ続けている歴戦の猛者ならば話は別だろうが、平均すれば魔力の使い方は一つしかない。俗に身体強化と呼ばれるそれは、魔力によって常人ならばできない筋肉の使い方や皮膚を装甲版ほどに硬くすることを可能にしてくれる。少数精鋭の部隊によって膠着した戦線を食い破り、可能ならば奥地へと浸透する。それが『下級魔導兵』の役目だ。


つまるところ、どこまでいっても軍というのは集団そのものだ。手段で暴力を振るういわば多数の意思をもつ破壊兵器。軍に所属するということは自己のアイデンティティの喪失を強要されることになんの違いもないのだから。


「ふぅ」


ひと通り名前を頭に叩き込むと流石に無意識のうちにため息が出る。暗記は体が必要だと思ったからできるものだ。頭が必要だと思っても、体が必要ないと激しい抵抗に遭ってしまう。


「…それにしても」


「なんだ?」


「身分は解放されたとはいえ、『フォン』の付く人が多いですね。流石はコネ社会と言ったところ」


「何を当たり前のことを。我々はコネと無駄なプライドでここ千年は生計を立ててきたんだ」


…フォンとは貴族であることの称号です。名誉ある実績を残したものは一代限りフォンを名乗ることもできますが、基本的に身分制度が撤廃される前に貴族階級だった人たちが未だしがみついているというのが実情です。そういう私もフォンなんですけど。


「それと」


「まだあるのか?」


「魔導適性ありと書かれていましたけれど、適性検査なんて私、いつ受けましたか?」


それと疑問が一つ。私自身、魔導兵の適性検査を受けた覚えがない。忘れているだけなのかもしれないが、適性検査なんて大層な名前をしているのに、記憶に残らないぐらい簡単に終わるとは考えにくい。


「ああ、そんなことか。この前専属医から検査を受けただろう?」


「そうですね」


「その時に腕に機械を付けただろう?」


「はい」


「アレが適性検査だ」


そうなんですね。不思議と声が出てきません。現実を認められないというわけではない。どちらかというと呆れに近いような、一周回って冷静になっているという表現が適しているような…まあ、そんな感じです。


「私達がリーベの名を背負っている以上は他の貴族の手本でなければならない。それは陛下が指示した新大陸への一斉適性検査も無論だ。だが、まさかこんなことになるとはな。流石に予想することが出来なかった。私の落ち度だ」


どうやら今回私が受けた適性検査は定期的なものではないらしい。適性検査は自治体の都合もあるが、ほとんど年一回のペースで行われている。この検査には相当の理由がない限り断ることはできない強制力のあるものだと教えられた。


けれど、そんな強制力も貴族階級の人間にはどうにかできるコネがある。医者にありもしない検査結果を書かせるのが一番簡単だ。ところが、理由は分からないが貴族には適性値が高い者が多いそうだ。もちろん、その事実を目の前にして軍部がただ黙っていられるわけがない。ついに業が煮え切れた上層部は重い腰を上げた、その結果行われたのがコレらしい。


それと私の等級はAらしいのだが、これはかなり珍しいことだそう。コルト帝国には約七千人の魔導兵がいるとされていて、その中をAからFの六つの等級で分けて自身の適性は評価されるのだ。


さらにさらに、この六つの等級の人数比にはかなりの偏りがあり、等級が上がるにつれて数は少なくなる。帝国には大体7000人の魔導兵がいるとされているが、等級Aにもなると帝国内で百人ほどしかいないのだそうだ。


「まあ、ああは言ったが軍に所属するというのは別にそこまで悪い選択肢ではない。もちろん、デメリットもあるがメリットもある。…今から話すことはそう簡単に誰かに口外したりはするなよ?」


「もちろんです」


「よろしい」


お父様は話に間違いがないように書類をめくりながらゆっくりと口を開いた。


「帝国政府は新大陸の領土の殆どを放棄することを決定した。その地域には残念なことにメリートも含まれる。それでだ、原則として戦争状態の場合、当該地域の官僚は最終的な撤退が行われる一段階前まで現地に残らなければいけない決まりがある。これは正直言って負の遺産だが、今法律を改正するように働きかける時間はない」


「それで…」


言いたいことは理解できた。つまり、新大陸から撤退するにあたってリーベ家は現場監督のような役割を負うことになる。そのとき、一時的とはいえかなり危険な状況下に置かれることになるのは想像に難くない。


「そういうことだ。幸い、今回の大規模撤退にはあの『リーデの戦姫』と名高いカリン・セラントも参加するそうだしな。ここに無理やり残ることもできなくはないが、素直に軍に身を置いた方が安全だと私は思う。それに現C軍集団司令官は私の旧友だ。…思っているより幾分ましな生活はできると思うぞ」


最後の方の言葉は少し弱々しいような気がしたが、おそらく気のせいだと信じたい。お父様は私に伝えたいことを全て伝え終わると、今日は早めに寝ておけと言って私を解放してくれた。どうやら明日には出発するらしい。

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