異世界戦線

Chira

第1話 落日

夏の暑さも落ち着きどこか秋の肌寒さを感じるようになった九月の始め。気候の関係上あまり晴れの少ないメリートだったが、今日は珍しいことに雲一つない快晴だった。だからといって何かがあるわけではないが、アレクトにとっては父であるリーベルトから珍しいことに執務室へと呼ばれたこと重なり、何か特別なもののように感じた。


ドアを前にしてアレクトは気が付く。そういえばラクーシャを置いてきてしまったことに。アレクトは貴族の面倒くさい風習を面倒くさいと感じてはいるが、理解のある父とはいえお小言の一つや二つは避けられないだろう。


まあ、いいか。と楽観的に考えることを放棄してアレクトはドアを雑にノックすると、返事が返ってきていないにもかかわらずドアノブを捻って扉を開ける。


「!?はぁ、アレクトか」


ドアを開けると何か手紙を綴っている父、リーベルトの姿がありました。乱雑に入ってきたことに驚いているのでしょう。声が不満を示しています。


「呼んだのはお父様ではないですか。楽しみでラクーシャを置いてきてしまったのです」


なんとも身勝手な言い訳を言っているのか。今の言動には流石に自分もあきれてしまいます。


「アレクト、お前はいつになったら…はあ、結局は人払いをすることになるんだ。今回はお咎めなしとしておこう」


ですが、今回の自分は相当幸運の持ち主のようです。自分でも自分が悪いとわかっていますが、そう言ってくれるのならばお言葉に甘えさせてもらいましょう。


「だが、私がお前を呼んだのはあまり嬉しい知らせではないぞ?」


「もしかして、縁談の話とかですか?」


「こんな細々と家を繋いでいる家系に血を入れようと思う貴族はそうそういない」


どうやら違ったようです。リーベ家は一応はコルト帝国で多大な影響力を持つとされる五大貴族の一角に数えられているというのに、実態としては直系は私と父リーベルトのみ。普通の貴族ならばお家断絶の危機だというのにどうにかして盛り上げようとは思わないのでしょうか。


「それじゃあ私を直接呼びつけた理由は」


私の言葉に父は一枚の封が開かれた封筒を投げてきた。中身を開くと、それは私文書ではなく堅苦しい公文書のよう。


「適性検査の結果、アレクト・フォン・リーベに魔導適性あり。等級はA。三週間以内に召集に応じない場合は強制連行とする。…!」


私はリーベルトを睨みつけていた。私は怒っているのだろうか。泣いてしまっているのではないだろうか。背筋が凍りつくような感覚に襲われながらも、怒りで体が熱い。


「そう感情を露わにするな。弱みを握られるぞ。こうなってしまったからには仕方がない…ロイン」


リーベルトの言葉に後ろで控えていたロインが黙って書類を差し出してくる。


「これは…名簿ですか?」


「そうだ。娘をいきなりあの堅苦しい軍に送るのはまさかないだろうと思っていたが、なってしまったのならば仕方がない。そこにある名前は全員間違えなく覚えろ」


なんと無茶なことを。私が興味を持たないものはとことんダメだということを知ってのことなのでしょう。だからこそ質が悪いです。


名簿に目を軽く通しながら今後の展望について思考を巡らせる。


…恐らく、というか殆ど、今後は家の名を背負って生きていくことになるのでしょう。しかもよりによってお父様が散々陰口を叩いてきた軍で。


魔導兵というものは誰でもなれる兵科ではない。その名に魔導とついているように魔法を使う兵科なのだ。けれども、その魔法の実態は夢のあるものではない。


魔法の使い方はほとんど一種類に限定されている。戦場で武勲を上げ続けている歴戦の猛者ならば話は別だろうが、平均すれば魔力の使い方は一つしかない。俗に身体強化と呼ばれるそれは、魔力によって常人ならばできない筋肉の使い方や皮膚を装甲版ほどに硬くすることを可能にしてくれる。


残念なことに軍というのは集団そのものだ。軍に所属するということは自己のアイデンティティの喪失を強要されることになんの違いもない。


「ふぅ」


ひと通り名前を頭に叩き込むと流石に無意識からため息が出る。暗記は体が必要だと思ったからできるものだ。頭が必要だと思っても、体が必要ないと激しい抵抗に遭ってしまう。


「…それにしても」


「なんだ?」


「議席は解放されたとはいえ、『フォン』の付く人が多いですね。流石はコネ社会と言ったところ」


「何を当たり前のことを。我々はコネと無駄なプライドでここ千年は生計を立ててきたんだ」


…フォンとは貴族であることの称号です。名誉ある実績を残したものは一代限りフォンを名乗ることもできますが、基本的に身分制度が撤廃される前に貴族階級だった人たちが未だしがみついているというのが実情です。そういう私もフォンなんですけど。


「それと」


「まだあるのか?」


「魔導適性ありと書かれていましたけれど、適性検査なんて私、いつ受けましたか?」


それと疑問が一つ。私自身、魔導兵の適性検査を受けた覚えがない。忘れているだけなのだろうか。適性検査なんて大層な名前をしているのに、記憶に残らないぐらい簡単に終わるとは考えにくい。


「ああ、そんなことか。この前専属医から検査を受けただろう?」


「そうですね」


「その時に腕に機械を付けただろう?」


「はい」


「アレが適性検査だ」


そうなんですね。不思議と声が出てきません。現実を認められないというわけではないのです。どちらかというと呆れに近いような、一周回って冷静になっているという表現が適していそうです。


「私達がリーベの名を背負っている以上は他の貴族の手本でなければならない。それは陛下が指示した新大陸への一斉適性検査も無論だ。だが、まさかこんなことになるとはな。流石に予想することが出来なかった」


どうやら今回私が受けた適性検査は定期的なものではないらしい。適性検査は自治体の都合もあるが、ほとんど年一回のペースで行われている。この検査には相当の理由がない限り断ることはできないそうだ。


けれど、そんな強制力も貴族階級にはどうにかできるコネがある。医者にありもしない検査結果を書かせるのが一番簡単だろう。しかし、貴族の魔導兵が理由は分からないが適性値が高い者が多いそうだ。その事実を目の前にしてただそれを眺めている上層部ではなかった。ついに業が煮え切れた上層部は皇帝陛下に懇願し、その結果行われたのがコレらしい。


それと私の等級はAらしいのだが、これはかなり珍しいことだそう。コルト帝国には約七千人の魔導兵がいるとされている。その中をAからFの六つの等級で分けて自身の適性は評価されるらしい。


さらに、この六つの等級の人数比にはかなりの偏りがあるらしく、等級が上がるにつれて数は少なくなるらしく、等級Aにもなると帝国内で百人ほどしかいないのだと。


「まあ、ああは言ったがこれはお前のことを思ってのことだ。…今から話すことはそう簡単に誰かに口外したりはするなよ」


室内の温度が一度寒くなったような気がする。こんな時に考えることではないのだろうが、今お父様が眼鏡をしていたら反射で白くなっていただろう。


「帝国政府は新大陸の領土の殆どを放棄することを決定した。その地域には残念なことにメリートも含まれる。それでだ。原則として戦争状態の場合、当該地域の官僚は最終的な撤退が行われる一段階前まで現地に残らなければいけない決まりがある。これは正直言って負の遺産だが、今法律を改正するように働きかける時間はない」


「それで…」


「そういうことだ。幸い、今回の大規模撤退にはあの『リーデの戦姫』と名高いケルン・ドニトルも参加するそうだ。正直言って、ここに無理やり残ることもできなくはないが素直に軍に身を置いた方が安全だとは思う。それに現C軍集団司令官は私の旧友だ。思っているより幾分ましな生活はできると思う」


最後の方の言葉は少し弱々しいような気がしたがおそらく気のせいだと信じたい。父上が伝えたいことを伝え終わると、今日は早めに寝ておけと言って私を解放してくれた。どうやら明日には出発するらしい。

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