第3話 恋に効く不思議な薬

 朝食を終えると師匠は早々に自室へ戻った。

 

 私は洗い物をして、台所の片づけを済ませてから、師匠の部屋の扉を叩く。

 扉を開けて、こちらに背を向けている彼へ声をかけた。


「師匠。ちょっと街で買い物してきます!」

「……んー」

「なにか買ってくるものありますか?」

「んー……」


 聞いてない。聞こえてない。

 どうやら、目の前のことに集中している。


(こんなに集中しているなんて珍しい……どうしたんだろう?)


 机の上になにかを載せて、それを観察しているみたい。

 急な仕事でも入ったのかな? と思いつつ、まぁいいかと扉を閉めた。


 **


 週に一回。私は街中へ行き、買い出しをする。

 王都の郊外にあるお屋敷と商店街まではちょっと距離がある。

 

 何度も何度も買い出しに出かけるのは面倒なので、師匠にお願いして圧縮バッグを作ってもらった。

 たくさん買っても持てるように、重さを調整できる術が封じられている石をそこに入れるのも忘れない。



「とりあえず、今日はこんなものかな~?」


 お買い物メモをもう一度見直して、買い忘れがないか確認する。

 日持ちしやすい食材を中心に買い込んだ後、雑貨店の前を通り過ぎた。

 

 店の前のディスプレイを一新したようで、歩いていた足がピタリと止まる。

 私の足はそちらへ吸い寄せられ、つい、店の中に入ってしまった。


(か、可愛い……)


 お屋敷には可愛いの「か」の字も存在しない。

 少しでも放っておくと床が消えるあの家では、余計なものを持ち込むのは厳禁。


 十年という歳月をかけて、いらない物を捨てに捨て、そして、物の入り口となる部分──財布の紐を締めに締めた。

 家の中に物を持ち込まなければ、それ以上増えることはない。

 増えなければ、散らかることも少なく、掃除や片付けがしやすい──これは前世で学んだこと。


(自分の部屋に飾るくらいなら……いい、かな?)


 お小遣いから買えそうな、小さな動物の置物を手に取る。

 どこの子をお迎えしようかな……と迷っていたとき、店内にいた女の子たちの話が耳に入った。


「これ可愛い~! 欲しい~! どうしよう!」

「本当だ! いいねこれ。買っちゃえば?」

「んん~! でも、いまお金貯めてるんだよね……我慢、我慢。やっぱり我慢する」

「アンタが我慢するなんて……どうしたの? なにかあった?」

「……実はさぁ、『恋に効く不思議な薬』ってのを教えてもらっちゃって」

「ええー!? それって噂の!? あんたレシピ知ってるの!?」

「シーッ! 声が大きい! 皆には内緒よ? アンタ達は親友だから教えるんだからね……」


 恋に効く薬のレシピ──とな?


 私の耳がピクリと反応する。

 恋に効く、つまり魅了魔法?

 いや、薬だから、どちらかといえば錬金術のほうかしら?


『魔』とつくものが関係していれば、すぐに屋敷を飛び出していく師を持つと、こちらも自然とそういったことが気になる様になってしまった。

 

 雑貨店の店内を、スススッと移動する。

 女の子たちのそばに近寄ると、魔力を耳にそっと流し、その会話を盗み聞きするのだった。


 **


「ただいま戻りましたぁ~……」


 圧縮バッグと紙袋を抱えて帰宅。

 お屋敷に戻ったのはお昼すぎ。空に輝く太陽はちょうど真上にきていた。

 

 私のお腹はぐぅと鳴って、ご飯を食べさせろ! と主張している。

 お腹の主張は一旦無視して、買ってきたものを棚にしまい込んでから、お昼ご飯の準備に取り掛かった。

 紙袋をガサガサと広げて、中の物を取り出す。

 

(こんなことになるだろうと思って……やっぱり正解だったわ!)


 帰り道に通りかかったパン屋でパンを買っておいた。前世でいうところのフランスパンに近いもの。

 そのパンを適当な長さに切って、真ん中に切り込みを入れる。

 野菜や焼いたしっかりめに味付けした肉の薄切りをそこに挟んで、朝のスープを温め直せば、昼食の完成だ!


「……よし! さっさと師匠のところに運びましょう」


 トレイの上にパンのお皿とスープを載せて、彼のいる部屋へ向かった。

 

 

 師匠の部屋の前に到着。

 両手が塞がってノックが出来ないので、「開けてください」と声をかけようとしたとき、目の前の扉がガチャリと開いた。


「どこに行っていたんだい? マナカ」

「どこって……街まで買い物に行くって言ったじゃないですか。朝にちゃんと声はかけましたよ?」

「はて? 聞こえなかったけど?」

「……聞いてなかったんですよ」


 じとっとした目で師匠を見上げ、そう答えたが、彼は肩をすくめて自分は悪くないと主張する。


「ちょっとこれ運ぶので、扉を開けたままでお願いします」

「もうそんな時間か。どおりでさっきからお腹が鳴ると思った」

「?? ご飯が食べたくなったから、私を待ってたんじゃないんですか?」

「いや、マナカに聞きたいことがあったんだけど……まぁ、それは後でいい。先に腹を満たそう」


 聞きたいこと? なんだろう?

 なにかあったかな……と考えつつも思い当たることが見当たらない。


 師匠の机にトレイを置いて、部屋を退出しようとすると彼が声をかけてきた。


「今日はお前もここで昼食を取りなさい」

「え?」

「言っただろう。聞きたいことがあると」

「そんな急ぎで聞きたいことなんですか?」

「そうだね。出来ることなら今すぐにでも問いただしたいところだよ。でも、お前は食事をちゃんと摂らないと怒るだろう? だから、先にこちらを済ませるんだ」


 紫色の瞳がじぃっとこちらを見つめる。

 ドキッと心臓が跳ねた。

 そして、背筋になにか嫌なものが、流れ落ちるのを感じる。


(こ、これは……この感じは、なにかを問い詰めるときの師匠の目……!)

 

 逃げたい──その感情が真っ先に出てきたけど、きっと逃げられないのだろう。

 こうなったら師匠は止まらないし、止められない。それは彼と過ごした日々で学んだこと。

 私は頭をカクリと下げて、観念する。

 

「……わかりました。自分の分も持ってきます」


 そう言って部屋を出ると、もうひとり分の昼食を持って、また師匠の部屋へと戻った。

 

 食事が終わると師匠が自分の机の下から『なにか』を取り出し、それを私の目の前にゴトンと置いた。

 私は机の上に置かれた、その『なにか』を見て、額から汗が噴き出る。


「マナカ……これは、なんだい?」

「え、えっとぉ~……」


『なにか』──それは私が作ったお掃除ロボット試作品一号『ルーバ君』。

 今朝、二階の部屋の床掃除に……と、お試しで走らせていた物だ。


(そういえば、回収するのをすっかり忘れてた……!)


 汗がダラダラと流れる。

 この後、師匠の口から発せられる怒涛の質問攻めを覚悟して、ごくりと喉を鳴らすのだった。

 

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