第3話


「コラ。玄関にランドセル放って、どこ行ってたのよ」

「げ……」

 ぼくがタイチの家で話している間に、お母さんが帰ってきていた。お母さんは、ランドセルがランドセルラックにないと、いつも怒る。今日も今日とて、ご立腹だ。

「ごめんなさい。すぐに片づける」

「で? どこ行ってたの?」

「タイチのとこ。ちょっと用があったから」

「あ、そう」

 ランドセルの陰に封筒を隠すように、ランドセルを掴み上げる。

 ぜったいバレない、って思ったけれど、お母さんに搭載されている謎のセンサーが反応したらしい。ジロジロと観察されて、心地悪い。

「ん? 最近は、男の子もお手紙のやり取りするの?」

 見られてた。気づかれた。どうはぐらかそうか。テストの時くらい、考える。

「新しく開発中のゲームだよ。まだ完成してないから、見ちゃダメ。あと、教えない」

「あ、そう。じゃあ、もし自信作が出来たら見せてね」

「はいは~い」

 どうにか乗り切れたか?

 まったく、母親という生き物は、笑っていても、ときどき怖い。

 ランドセルを片づけて、宿題を終えて、ゲームをして、ご飯を食べた。不思議な封筒のことは、頭の隅からもふわふわと旅に出て、全然気にならなくなっていた。

 けれど、お風呂に入っているときに、急にそれがぼくの頭に帰ってきた。

 この先もいつも通りに過ごしたのなら、寝るのは十時半。招待状に書いてあった、十時には間に合わない。

 急ぎお風呂から上がり、わしゃわしゃと髪の毛を拭き、シャカシャカと歯を磨く。

 十時までに寝るって、どういうことだろう。ベッドに入っていればいいんだろうか。いや、たぶん、ちゃんと寝ていないとダメなんだろうな。十時までにちゃんと寝るって、一体何時にベッドに入ればいいのやら。いつも、ベッドに入ってからどのくらいで寝ているんだろう。ベッドに入るタイミングは自分で決められるけれど、眠りに落ちるタイミングは決められないし、覚えてもいられないからわからない。

「え、どうしたの? こんなに早く歯を磨いて」

「ん? ああ、明日早起きしようと思って。だから、今日は早く寝ようと思って」

「何かあるの? 早く登校しないといけない日?」

「ううん。そんなことはない。いつも通りに行くよ」

「じゃあ、なんで?」

 質問ばっかりで嫌になる。聞きたいのはこっちのほうだって、ぼくは思う。だって、ぼくは招待状に書いてあったことくらいしか知らないんだから。

「なんか、朝のほうが頭がすっきりしてて、考え事するのにいいって聞いたから」

 噓も方便だ。

「ああ、新作ゲームのことでも考えるの?」

「うん、そう」

 嘘をついたら針千本飲むんだって、前にお母さんが言ってたな。昔は、約束する時に小指を繋いで、そんな縛りを作ったとかどうとか。ぼくは今日、お母さんに嘘をつきまくってる。ぼくもいつか、針千本飲まないといけなくなるのかな。それとも、今は昔じゃないから、そんなことはしなくてもいいのかな。

 考えながら返事をしたら、言葉のお尻がだんだん小さくなっちゃった。こういう喋り方をすると、お母さんのセンサーが反応しやすいんだよな。やっちゃったな。

「……体調が悪いとか、嫌なことがあったとか。そういうんじゃないならいいわ。おやすみ、コウジ」

「おやすみなさい」

 たぶん、センサーは反応していた。でも、お母さんはそれを、言葉にしなかった。

 これは、ラッキーって思っていいのかな。


 色んなことを考えながら、ぼくはベッドにもぐりこんだ。

 時計をちらりと見てみる。今は、九時半。いつもだったら三十分あれば眠れていると思う。

 三十分以上眠れなかったら、「眠れない」って電気をつけて、時計を確認するだろうと思うから、確証があるわけではないけれど、たぶん間違いなく。

 だけど、今日は考え事でいっぱいだからだろう。なかなか眠れない。

 まだ十時になっていないだろうかって気になって、時計を見る。五分しか進んでいない。目を閉じる。眠れ、寝なきゃダメだよって、自分に言い聞かせる。でも、眠れない。時計を見る。また、五分だけ進んでいる。

 九時五十五分。まだ、眠れない。

 ぼくはそろりとベッドから抜け出して、タイチからの謎の招待状を再び手に取った。

 これは、電気じゃ文字が浮かばなかった。なぜやら太陽の光で文字が浮かんだ。今は夜。太陽は地球の反対側にある。この封筒の中にある板は、きっと透明なんだろう。

 期待しないで、それを引き抜く。

 あると思っていなかった文字が、そこに浮かんでいることに気づいた。

 読んでみる。文言は変わっていない。全部しっかり覚えているわけではないから、少し変わっているところがあるのかもしれないけれど、パッと読んだだけなら一緒。

 十時までには寝なければ。

 プレッシャーが邪魔をする。

 板を封筒に戻した。封筒と共に、ベッドにもぐる。封筒をギュッと抱きしめて、瞼をギュッと閉じる。

 小さいころ、羊を数えれば眠れると、お父さんが教えてくれた。ずっとそうして、ときどき羊を犬とか猫に変えたりして、眠っていた。小学四年生になったあたりで、それをやめた。ガキ臭いと思ったし、別に数えなくても眠れたから。

 でも、今晩は。羊を数えないと、考え事をし始めて、眠れそうになかった。だからぼくは、久しぶりに羊を数えた。

「羊が一匹、羊が二匹――」



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