十度犯組長就任式

しゅんさ

代替就任演目「凍結沙汰」

「親父がパクられたってホンマですか」若頭火乃子が問うた。

「パクられたんやないで。当局にガラ抑えられてな、即刻凍結処分や。檻の向こうから帰ってくるとは言うてたが、しばらく帰ってはこられんやろうな」京根助本部長は天井を仰ぎ答えた。紫煙が昇り、有耶無耶に消えていく。

「じゃあ選挙ですかい?いや、あの組長補佐はそんなことやらんですよね」

「組長補佐は代紋入りの羽織袴を特急で作らせとるらしい」

「親父がいなくなってすぐにそれですか、あの人に任侠はあるんですかいな」火乃子は悔しそうに語る。

「そんなお前かて、いま執筆の勢いがついてるんやないか?絶好のネタやもんな」火乃子は極道でありながら表で文筆業をも営む異色の男であった。この男には二足の草鞋すら軽いと見える。

「あ、分かりました?一晩六千文字も行けそうですわ。組長凍結なんてオモロすぎますもん」火乃子は無神経に笑って答えた。

「節度は持つんやぞ」京根助は火乃子を睨みつける。最も、そんなものがこの神経を横柄という紐で結いた若頭には如何なる痛痒を覚えさせないことは承知のことだった。

「で、組長補佐にはこのままにさせとくんですか?」若頭は本題へと切り込んだ。

「あの人に任せたら、組はおもちゃにされるだけや。それは分かっとる。しかしあの怪物を抑えられるのは、組長しかおらんかったんや。その組長がおらん。だからさっさと破門(ブロック)しておけと再三に直訴してたんやがな…」

「顧問と相談役はどないしとんですか」

「真っ先に凍った組長の絵を描いて遊んどったわ」煙草を灰皿に押しつける。いささかに青袖顧問と秋茜相談役は…組の危機だと思っている奴はいないのか…?

まったく、恐れられているのか、愛されているのか分からないのが我らの組長様だった。


和装台に飾り付けられた羽織袴。それは見るからに上質という言葉で織り上げたが如き見事な仕上がりであった。急な仕立てではあったが、一級の職人を拉致して殴り言うことを聞かせることはお手の物であった。明日、俺はこれを羽織り、十度犯組二代目組長に就任するのだ。いや、言葉を改めよう。ワシはこれを羽織り、十度犯組を支配するんや。やがては西日本をすべて呑み込んで、そしたら東、金の都をすらワシの手で治めてやるんや。男の身体には気力が漲り、溢れんばかりの生気がオーラとなって立ち昇るようであった。

「ワシは、ワシが、ワシ自身がトドオカなんや…」


「若頭!お帰りお待ちしていました」

火乃子が事務所に帰ると、その顔を見た舎弟が喜色の笑みを浮かべて擦り寄ってくる。

「組長、やはりヤバいんすかね、どうぞお茶です」

火乃子はこの舎弟のことが、押し掛け舎弟のことが、少しだけ苦手だった。表の世界の文筆業では覆面作家で通していたのに、この男はどうしてか十度犯組若頭である自分が作家の正体だと調べ上げ、無理矢理に押し掛けて来て勝手に舎弟を名乗っているのだ。悪いやつではない。自分のことを尊敬しているのも分かる。ただただ無性に背後にピタリと貼り付いて視線一つ外さない情念が、恐ろしかったのだ。

「組長補佐からの招待状は来てるんやな」

「はい。偉い古風に仕上げてきましたわ」

火乃子は考えた。あの男の就任を防ぐことは、組の誰にも出来ないだろう。名実ともにナンバー2として組に君臨してきた男だ。親がいないことを良いことに振る舞う暴挙だとしても、それに従わなければ組員五千人の十度犯組組員に命を狙われることになる。いっそ海外に逃げるか?と考えたが、最期までキッチリとやり遂げることが組の気風である。地球にいる限りは逃げられないだろう。ここは見に回って風向きの変化を逃さず捉え、機を伺うのが吉だろう。組長は死んだわけではなく、戻るとは言っているのだ。凍結明けの波乱に備え、準備だけは怠らずに進めて行かなければな…火乃子の頭の中は取り留めのない思考が胡乱にただ流れていた。

「兄貴!お夜食のラーメンお持ちしました!今日は牡蠣と海老と洋風出汁の限定品だってことですよ!お、新作書いてらしたんですか!早く読みたいですね!待ち遠しいですね!」

考えながらも執筆を出来るのが火乃子の特技であった。


十度犯組四国支部 絢爛豪奢邸地下二十階座敷牢。

光届かぬ闇の中に、ギョロギョロと動く濁った目玉が浮かぶ。

吐息は獣の如く荒々しく、鎖の音が絶え間なく響き続ける。

特級の呪術師でもあった十度犯組組長が、唯一祓うことが出来なかった怪異がそこにいる。

名を「濁土」と書き「にど」。号は「瞻西(せんせい)」。

瞻西とは仏教に置ける西方、つまりは極楽浄土のことであるが、それを二度不浄に変える力持つ怪異である。

それは人の姿を辛うじて演じながら、組長の凍結を察知していた。

「トド…オカさん…」

「あんたに、なるのは、俺だ…」

「消えたんだろう、あの男、なら、おれでもいいよな…?」

「俺こそが、トドオカだよなぁ?」

怪異はニタリと笑い、その力を失った鎖を、座敷牢、二十層に渡る封印術式の全てを引き千切り浮上する。


月が出ていた。あぁ眩しい…

十数年を座敷牢で過ごした、濁土の身体を月光が照らす。

その姿は、すでにトドオカになっていた。

「ワシは、ワシが、ワシ自身がトドオカなんや…」

獣は駆けた。就任式の始まる、十度犯組本部へと。

何も知らぬ極道たちは、今宵の月を赤く染めるだろう。

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十度犯組長就任式 しゅんさ @shunzai3

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