第14話 買い物(2)
「……2階のお店も見ていきませんか」
鈴原くんにそう言われて、私は頷いた。
1階には和装の呉服店、2階には洋装の店が入っている。
(鈴原くんは普段は洋装のようだし、洋服を見たいのかしら)
「――神宮寺さんと間宮さんの婚約披露宴、どんな服装で行かれますか?」
急に聞かれて、私はあたふたしてしまった。
今日は慌ててばかりだ。
「そうですね……母の着物を着ようかなと思っていますが」
宴に行ったり婚約者と会ったり、華やかな装いをするときはいつも母の着物を借りていた。自分用の華やかな装いは持っていない。
鈴原くんは「そうですか……」とつぶやくと、何か考えるような表情をしてから手をぽんと叩いた。
「――洋装でいきましょう」
「――よう、そうですか?」
私は首を傾げる。
「私さんはもちろん和装も素敵ですが、ドレスがとても似合うと思うんです」
うんうん、と自分の言葉に頷きながら鈴原くんは続けた。
「修介さんとお会いになった時に着てらっしゃった、淡い色の着物も素敵でしたが、はっきりとした色合いのドレスなどを着られたら、それはそれは、もっと素敵だと思うんです」
私は戸惑いながらうーんと唸った。何と返事するべきだろうか。
「えぇと……ありがとうございます。洋装……は、着たことがないですね」
軽やかなスカート姿で街行く女性を見て憧れの気持ちを抱くことはあったが、自分が着てみようと思うことはなかった。
しかし、祖母の幸は昔気質の人間で、新しい服装を好まなかったこともあり、母親もずっと和装だったので、幼いころから洋装には縁がなかった。
学校を卒業後、防衛隊に入隊してからは、訓練や任務に明け暮れ自分の服装にとんと無頓着で、普段着は動きやすい数枚の着物を着まわすのみ、ここ数年自分の服を買った覚えがない。
「俺から贈らせてもらえますか」
鈴原くんは私の手を取って、瞳を見つめた。
「神宮寺さんと間宮さんの婚約披露宴……、私さんは素敵だって、皆さんにわからせたいです」
「――私は……」
目立ちたいわけではないし、自分がそんな風に注目を集められると思っているわけではない。――しかし鈴原くんがそう言ってくれたのはとても嬉しかった。
(私は……自信をもっと……持ちたいわ)
『あなたも怒るのね』と桜が言った言葉を思い出す。
私だって怒ったり悔しく思ったりしないわけではないのだ。
ただ『自分がそんなことを思う権利はあるのだろうか』と自問自答してしまい、表に出せないだけで。
(私は、私なりに頑張ってきたもの)
鈴原くんが自分に憧れて入隊してくれたと言ってくれて、とても嬉しかった。
その言葉を聞いて、自分がやってきたことが自分自身でも肯定できた気がした。
修介の言葉を思い出して落ち込むような自分のままではいたくない。
(鈴原くんに任せたら、なんだかうまくいく気がするわ)
私は両手を握って「よし」と頷いた。
「では、お言葉に甘えて……選んでもらえますか」
鈴原くんは顔をぱあっと輝かせた。
「本当ですか! では、お店に行きましょう!!」
(「買うのは自分で買いますので」と言おうと思ったのだけど)
私がそう言葉を続ける前に、そんなに嬉しそうな顔をされてしまったので、言葉を飲み込んでしまった。
(そんなに嬉しそうにしてくれるんですね……)
思い出せば。婚約者だった2年間の間に、修介さんが自分に何かしてくれたことはあっただろうか。いつも修介さんが行きたいという店で食事をして、それで終わりだった。私が念入りに準備して行っても、何も反応を示してくれなかった。
うきうきとした様子で歩いて行く鈴原くんについて行く。
百貨店の2階には洋装の店が入っているが、私は今まで行ったことがなかった。
「いらっしゃいませ。鈴原様」
店内に入ると、私は思わず周囲を見回した。
マネキン人形が繁華街で良く見る色とりどりの洋装のワンピースを着ている。
「今度、彼女と知人の婚約披露宴に行くんです。ドレスの仕立てをお願いします」
「かしこまりました!」
元気よくそう答えた店員の女性は、ずずいっと私の前に華やかなドレスを数着持ち出した。
「どのようなデザインがお好みですか?」
「ええと……私は……その、洋装は着たことがないのです」
しどろもどろそう答えると、後ろから鈴原くんが意気揚々とした声で言った。
「私さん、全部試着してみたらいいじゃないですか」
流されるまま、渡される服に袖を通す。
「良くお似合いです」
「それもお似合いです……!」
「とても素敵ですね!!!」
着て見せるたび、鈴原くんは目を輝かせる。
「スタイルが良くいらっしゃるから、どちらもお似合いです」
店員さんも抜け目なく相槌をうってくれるので、何だかそわそわして気持ちが落ち着かない。
「――どれが良いか、鈴原くん、決めてもらっても良いでしょうか」
私は優柔不断な自分が情けなくなったが、意見を求められた鈴原くんは嬉しそうに顔をほころばせた。
「え! 俺の意見で良いんですか! 個人的には、全部なんですけど……、全部、作っちゃいます?」
冗談ではなさそうな表情だった。
「いえ、1着で……」
「そうですか……」と残念そうにうつむいた鈴原くんだったが、気を取り直したように顔を上げて、真剣な表情で並べられたドレスを見比べた。
「うーん、うーん……、これで!」
鈴原くんはぴたりとしたラインの藍色のドレスを手に取った。
「この形で、色はもう少し明るめの青だと、より一層、私さんにお似合いだと思います」
「そうですか……、ではそれでお願いします」
それからは、されるがままに採寸された。
「仕上がりは、来週になります」
「一緒に取りに来ましょうね! 楽しみです!」
鈴原くんはずっと満足そうに笑っている。
(また来週……一緒にお出かけできるのね)
私は胸の奥がぽっと温まるのを感じながら頷いた。
「ええ。……私も、楽しみです」
百貨店を出ると、また中央公園に戻り噴水の前のベンチに腰掛けた。
「――そういえば、私の買い物に付き合ってもらってばかりでしたね。すいません……」
「いえいえ、とても楽しかったです!」
「――私といて、楽しいですか?」
「もちろんです!」
「それは……嬉しいです」
「修介さんは、そう言ってくれませんでしたか?」
そう言われて私は地面を見つめた。
思い返すと、修介さんに「一緒にいて楽しい」と言われたことはなかったわね。
「……言われたことは、ないですね。そういえば」
「そうですか……。……人のことを悪く言うのは、あまり好きではないんですが」
鈴原くんはきっと私を見つめた。
「神宮寺さんとの婚約を破棄されて正解だと思います」
「そうでしょうか」
「そうですよ!」
鈴原くんは、少しうつむくと呟いた。
「――俺の方が私さんを笑顔にできますから。神宮司さんはドレスを着て素敵な私さんを見て後悔すればいいんです」
「私なんかがドレスを着ても……」
「また『私なんか』って。私さんはどうしてご自身のことをそんな言い方されるんですか。参番隊の隊長をされているだけでも、すごい人なのに……」
鈴原くんは少し泣きそうな顔になっていた。
「ごめんなさい……」
(ああ、どうして私は、いつもこう、うだうだしてしまうのかしら)
私は壁に頭でも打ち付けたい気持ちになった。
「私なんか――私は、本当に『私なんか』なんですよ……」
地面を見つめてうなだれてから、私は意を決して顔を上げた。
「私は、――鬼になりかけたことがあるんです」
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