第10話 立場逆転の瞬間を達紀は目撃する

「ではですね。今から隣同士で二人一組のペアになってもらいますね」


 午前の授業時間。それは突然に宣告をされた。

 今は美術の時間帯であり、その運命からは逃れる事が出来ないのだ。


「というか、なんであんたと組まないといけないのよ」


 隣の席に座っている桜井茜さくらい/あかねの声が聞こえた。


「そ、それは俺もだよ」


 小さな反論するかのように、蓮見達紀はすみ/たつきも言い返す。


「ふん……でも、仕方ないから一応組むけど」


 彼女は諦めがちにため息をはいて、達紀の方へ体の正面を向けてきた。


 美術の授業中。達紀は、たまたま茜と隣同士の席になっていた。

 付き合っていた時期なら嬉しかったと思うが、今となっては地獄でしかない。


 今、彼女は達紀の事をジト目で見つめているのだ。


 物凄く、この瞬間が気まずい。


 今日の美術では、ペアになった人同士で一緒のモノを描くという課題を出されたのである。


「詳しく言いますと、外に出て同じ風景を描いてもいいですし。この教室に残って、お互いの姿を描くのもありです。そこはご自由にお願いしますね。全然違う題材を元に絵を描いてきた場合は点数に加担されませんので、よろしくお願いしますね」


 美術の女の先生はおっとりとした口調で淡々と説明していた。

 先生は今、壇上前に佇んでいる。黒板を前にして生徒の方に背を向けたまま、先ほど言ったことを、念のためにチョークで書き記していたのだ。


「では、今から二時間作業を行ってくださいね。あと、今回は絵の具を使っての色付けはありませんので」


 先生は一旦話を終了させた。

 クラスメイトらが、どこで何を描くのかについて、ペア同士での話し合い始めていたのだ。

 話がついたペアは順々に美術室から立ち去って行く。


「茜はどうする感じ? 私らは外に出て描くけど」

「えー、じゃあ、私も行こうかな」


 茜が席に座っていると、いつもの二人の友人がやってくる。


「じゃあ、一緒に外に行かない?」

「というか、残念だったね」


 友人らが茜に問いかけながら、達紀の方を横目で見やっていたのだ。


「それは、しょうがないわ。それより外に行きましょ。この教室に残って、こんな奴を見ながら二時間も描いて過ごせないし」




 四人は学校の外にいる。

 外とはいえ、一応学校の敷地内にいるのだ。

 少し高めの場所にある芝生のところに座り、その場所から見える街並みの景色と、その奥に見える山を背景とし、絵として表現するつもりである。


 茜を含めた三人は隣同士でまとまって座り、スケッチブックを広げて、その景色を見ながら描き始めていた。


 達紀はというと、三人らとは少し距離を取った場所に座っている。

 茜から少し離れてと言われたからだ。


 茜とは現状ペアである。

 美術の先生曰く、一応見ている景色が同じであれば、他のペアと共同で作業しても問題はないとの事。


 実質、達紀は一人で作業しているのと同じであった。

 達紀は、街並みや遠くの方に見える山を見つめ、鉛筆を手に持ち、広げたスケッチブックへと描写していく。


 達紀が使っている鉛筆は2Bである。

 絵として表現するなら、鉛筆は3Hから3Bの間らへんがおススメなのだ。


 シャープペンよりも鉛筆の方が、より絵を立体的に描きやすい。

 H寄りの鉛筆は薄く硬く描くことができ、B寄りは柔らかく、そし濃く描きやすいのだ。


 達紀的にはB寄りの方が手に馴染んでいる事もあり、普段から絵を描く時は2Bを使用していた。


 達紀は鉛筆をスケッチブックの上で滑らせながら、見ている景色を繊細に表現していく。




 四人で絵を描き始め、途中の休憩を挟み。気づけば、美術の残り時間は十五分になっていたのだ。


「そういや、あいつはどうなの?」

「えー、どうせ下手なんじゃない?」


 茜の近くにいる二人も達紀の事をバカにしている感じだった。

 案の上、それは茜も同じである。


「あんたさ、絵を見せてみなさいよ」


 茜はその場に立ち上がり、達紀の近くまでやってくるのだ。


「なんで」

「だって、ペアで行動してるわけなんだし。お互いに描いてるモノが違ったらよくないでしょ。ほら、これが私の絵ね。どう、いい感じでしょ」

「う、うん、いい感じだね」


 茜の絵は上手だとは言えないが、描く対象となっているモノの特徴をちゃんと捉えている感じだ。

 付き合っていた頃なら、そんな絵でも評価していただろう。


「私も見せたんだし、あんたも見せなよ」


 茜がその場に立ったまま、芝生の座っている達紀の事を見下ろしてると、他の二人も集まってくるのだ。


「やっぱ、下手だとか」

「上手かったら、素直に見せるだろうしね」


 二人も嫌味な発言をしてくる。


「わかったよ、じゃあ、見ればいいよ」


 三人がニヤニヤとしている状況で、達紀はスケッチブックを公開した。


「「「⁉」」」


 刹那、雷が落とされたかのように、その三人は動揺していたのだ。

 顔を引きつらせ、目を丸くし、声を出せない状況であった。


「こ、これ、どういう事よ!」


 茜が声を荒らげる。


「何も、普通だけど」

「誰かに描いてもらったとか!」


 茜の大声発言に、しゃがみ込んでいる達紀は平然とした表情で、三人を見やる。


「それ、俺が描いた絵だけど」

「は? そ、そんなわけ、去年はそんなに上手くなかったじゃない!」

「去年はね。俺、今年の一月頃から地道に絵を描いてたんだ」


 達紀は、クリスマスの日。深い心の傷を負っていたのだ。

 だから、それを慰めるために、学校帰りには一人で自室に引きこもり、好きなキャラクターの絵や、日用品で使うモノの絵を立体的に描く練習をしていた。


 今の時代は、ネット上で絵を描く動画もアップされていたりするので、それを見て練習したのだ。


 嫌なフラれ方をされてから、学校以外では一人で引きこもりスマホで動画を見る機会が多かった。

 妹の一夏いちかには心配をかける事もあったが、それが失った達紀の心を補っていたのだ。


 綺麗な景色の絵を見たり、プロの絵画を動画で見たりしている中で、自分でも本格的に絵を描いてみようと思うようになっていた。

 元から絵を描くことは好きだったが、本気でやろうとしたことはない。


「そ、そんなわけないでしょ! こんな絵!」

「別にいいだろ」


 達紀は少し優越感に浸っていたが、感情的に返答する事はしなかった。


 達紀が描いた街並みや山の景色には立体感があり、鉛筆の扱い方も長けている事から影のつけ方も非常によく、一瞬、本物だと錯覚しそうな感じである。

 ただ、まだ初めて三か月程度であり、プロと比べたらまだまだであった。


「よ、よくないわ! 一緒のペアで、こんな絵を出されたら私の立場がないじゃない!」

「それ、返して」


 達紀はその場に立ち上がると、茜が持っていたスケッチブックを強引に取り返す。


「そろそろ授業が終わるし、俺は戻るよ」


 達紀はあっさりとした口調で茜らをチラッと見た後、その場所からスマートに立ち去る。


 背後からは茜の苦しみ交じりの声が聞こえてくるのだった。

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