第8話 芹那が最も嫌な相手

「今日もありがと。今日の賄いは小さなハンバーグと廃棄予定のフライドポテトにしておいたから」


 二〇代後半ぐらいのバイトリーダーの男性が、仕事終わりに紙の箱を渡してきたのだ。

 蓮見達紀はすみ/たつきはそれを受け取る事にした。

 中を確認してみると、美味しそうな匂いが漂ってきたのである。

 バイト終わりの疲れが一気に解消されるかのようだった。


「今日は店長いないし。それを持って帰りなよ」

「ありがとうございます」


 達紀は頭部につけている緑色のキャップを取り、軽く頭を下げた。


「こっちが津城さんのね」

「ありがとうね」

「ああ、いいんだよ。そもそも、廃棄するよりマシだろ。一応言っておくけど、食べる前にちゃんと温め直す事な。腹を壊したら危ないしね。そこは自己責任で」

「それに関しては大丈夫ですから」


 津城芹那つしろ/せりなは安心してくださいと言わんばかりの表情で言葉を切り返していた。


「じゃ、俺はあと少しだけ残って明日のスケジュールを書いてから帰宅するから。二人はお疲れ」


 バイトリーダーは、片付けられたキッチンのテーブル上にホワイトボードを置き、マジックペンで明日の仕込みについて書き込み始めていたのだ。


「蓮見くん、一緒に帰ろ」


 芹那からバイト終わりの笑顔を見せられ、達紀は普通に嬉しかった。


 キッチンエリアを後に、二人は男女それぞれのロッカールームに入り、そこで着替えを済ませると再び廊下に出る。

 達紀は制服で、芹那は私服姿だった。


 ファミレス店の入り口付近で外履きに履き替える。

 外に出ると、すでに真っ暗であった。


 今は夜の一〇時一六分であり、辺りは電灯の明かりだけで照らされている状況なのだ。


「高校生が夜一〇時に一人で歩いていたら危ないし。私も途中までついて行くわ」

「いいんですか? 津城さんは」

「私なら大丈夫よ。明日はゆっくり目だからね」

「だったらいいんですけど。無理はしないでくださいね」


 二人は静かになった、電灯で照らされた夜道を歩き始める。


「蓮見くん。学校での唯花ゆいかは大丈夫そう?」

「はい。妹の一夏いちかとも仲良くやってるみたいなので」

「そう、ならいいわ。唯花は、友達が出来るか少し不安そうにしてたから。問題ないのなら安心したわ」


 芹那は妹思いらしい。

 達紀にも妹がおり、妹の一夏の事が心配になる気持ちと似ていると思った。


「少し話は変わるけど、蓮見くん。どっちと付き合うか決められた感じかな?」


 隣を歩いている芹那は、達紀の顔を覗き込んでくる。


「そ、それについてはまたあとでもいいですかね?」

「えー、焦らすつもり?」

「そういうわけでは……それについてはしっかりと決めたいので。なんというか、どっちつかずのまま付き合うわけにはいかないと思って。でも、津城さんとは出会ってから一か月くらいなので、まずは友人として関わってからでもいいですかね?」

「んー、それでもいいよ。でも、最後にはしっかりと決めてもらうからね。それと、今はバイトじゃないし、下の方の名前で呼んでほしいかな」


 今働いているファミレスのバイト先では、他人の事を苗字で呼ぶ決まりになっていた。

 下の名前で呼び合うと馴れ馴れしい間柄になり、友達のような感覚だと、業務に支障が出るかもしれないからだ。


「わかりました……芹那さん」

「じゃあ、私は達紀くんって呼ぶね。でも、バイト先ではちゃんと苗字で呼ぶようにね。プライベートだと、私の妹も津城でしょ。芹那さんでも、呼び捨てでもいいわ」

「いいえ、さん付けにします」


 年上の人に対して呼び捨てなんてできないのだ。


「そう。わかったわ、達紀くん。それにさ、あの人の苗字も津城だし。あまり思い出したくないの」


 あの人というのは、芹那の弟である武尊の事だろう。


「わかりました。そこらへんは気を付けておきます」


 達紀は臨機応変に対応できるように、深呼吸するような表情で自身の心に言い聞かせるのだった。

 芹那には嫌な思いをしてほしくないからだ。


「達紀くんの家って、こっちの方で合ってるんだよね?」

「はい、そうです」

「達紀くんとこうして帰宅するのって初めてよね」

「確かにそうですね。一緒の時間帯に仕事する事はあっても、帰る時間がかぶる事はなかったですからね」

「まあ、これで達紀くんとは一緒の時間が過ごせるわね」


 芹那は嬉しそうな口調で言う。

 それから達紀との距離感を狭めてくる。

 女子大生らしい、香水の甘い匂いが漂ってくるのだ。


 達紀からしたら、夜道を女の人と一緒に歩くこと自体が初めての経験であり、しかも二人きりとなるとなおさら緊張し、意識してしまう。


「どうしたのかな? 達紀くん?」

「い、いいえ」

「もしかして緊張してる感じ?」

「そ、そんなことは」


 すでに芹那のペースに持っていかれているのだ。

 達紀はたじたじになっていた。


「私はいつでもいいからね。付き合うのは」

「は、はい……で、でも、今は普通の関係で」

「でも、最後にはどっちかを選んで貰うから。約束だからね、達紀くん!」


 芹那は思わせぶりのウインクしてきたのである。




 二人で夜道を歩いていると、正面の方から誰かの姿が見えた。

 黒色のシルエット。

 暗闇に包み込まれているゆえに、達紀の視点からは誰かはわからなかった。

 ただ、隣にいる芹那に関しては顔を歪ませていたのである。


 先ほどまで達紀に見せていた愛嬌のある笑みではなく、敵視するような瞳。

 電灯の明かりに照らされるように、正面からやって来た人らの姿が明らかになる。


「誰かと思えば、姉さんじゃんか」

「武尊……」


 正面からやって来た、津城武尊つしろ/たけるとバッタリと遭遇してしまうのだ。


「もしかして、俺と久しぶりにあって嬉しい感じか?」

「違うわ。私、あんたとは関わりたくないし」

「そうかよ。でも、俺は姉さんと少し会話したくてさ。これからちょっといいか?」


 出会うなり、武尊の方から提案してきたのだ。


「この人が、武尊の姉さんなの?」

「そうだよ」

「へえ」


 武尊の隣に寄り添うように佇んでいる女性は少し大人びており、夜の仕事をしているかのような服装をしていた。

 その女性は、芹那の事を観察するようにまじまじと見つめていたのだ。


「まあ、いいんじゃない?」


 その女性が、どういう真意でその言葉を発したかは不明であった。

 しかも、武尊の隣にいるのは、達紀の元カノの桜井茜さくらい/あかねではなく、別の女性である事に達紀は驚いていた。

 三股していると芹那からは聞いていたので、茜もその一人なのだろう。


「姉さん、今から来てくれるか? 来てくれるよな? 弟の頼み事ならさ」


 武尊の表情からは悪徳なオーラが漂っている。

 絶対に、金銭に関わる内容だろう。


「私、行かないわ」


 芹那は否定的な言葉を即答で返し、ムスッとした顔を浮かべていた。


「そうか。つまらないな。昔の姉さんならすぐに相談にのってくれたのにさ」

「それはあんたが、まともだったからよ」

「それだと、俺が今はまともじゃない奴みたいじゃないか」

「そうよ」

「ちッ、使えないな。そんな態度ばかり見せてるから。彼氏ができないんじゃないか?」


 武尊は豹変し、芹那の事を睨んでいた。


「そ、そんなことないわ。ずっと前にはいたし」

「いつ頃?」

「それはどうだっていいでしょ。そんな話」

「そうかよ。でも、姉さんも変わったよな」


 今まさに、武尊の方が芹那を圧倒している。


 達紀は、こんな芹那の姿を見たくなかった。


「すいません。俺、芹那さんと用事があるので」

「あ? 誰だお前」


 武尊と、その隣にいる女性は、達紀がこの場にいる事に気づいていなかったらしい。


 しかも、元カノの茜の家に行った時に一度顔を合わせているのに、忘れていることにも腹が立つ。


「俺、芹那さんの彼氏みたいな者なので。芹那さん、行くよ」


 達紀は芹那を守るため、彼女の手を掴んで強制的に話を終わらせるように仕向けたのだ。


「おい、お前、勝手に話を終わらせてんだよ。雑魚の分際で」


 その場から立ち去ろうとしていた達紀は、雑魚呼ばわりする武尊に対し、睨む。


「お前、あのな!」

「まあ、あんな奴、相手しなくてもいいって。変な奴そうだし。放っておこ」

「それもそうか。まあ、姉さん、また会った時は、もう一度しっかりと話そうか」


 武尊は、今付き添っている女性と共に暗闇の中へと消え去って行く。

 彼が立ち去っても、芹那は悔しみの混じった顔を浮かべ、悲しそうな瞳を見せていたのだ。


 達紀は無言のまま芹那をサポートしながら、電灯の明かりで照らされた道を辿り、自宅へと進んで行くのだった。

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