第13話 泡沫の逢瀬
▶時期:天暦四年(950)
七夕の夜に心を通わせてから、晴明は密かに梨花の寝所を訪れ、夜が明ける前に帰る生活を送っていた。二人は束の間の逢瀬を楽しんだが、まだ正式に結婚を許されていないので、一緒に寝るだけで契りを結ぶことはなかった。東の空にたなびく朝焼けの霞は夢のような逢瀬の終わりを告げているようで、梨花には厭わしく感じられた。
晴明は人に気づかれないように細心の注意を払っていたが、いち早く異変を察した賀茂保憲から夜中に部屋を離れて何をしているのかと問い詰められる。晴明は女の許に通っていると答えたが、それが梨花だとは教えなかった。しかし、保憲は晴明が他所の女と関わっているのを見たことがなく、信じられない気持ちでいっぱいだった。
藤原師輔の娘安子の出産が近づき、陰陽寮は安産の祈祷を行うため屋敷に集められた。無事に皇子が生まれ、師輔は普段から重用していた平野茂樹に産後の雑事を行う吉日を占わせようとしたが、茂樹は病を称して参上しない。そこで、晴明と保憲は茂樹の邸宅に赴き師輔の命を伝えたが、茂樹は病床に臥しているため代わりを務めた。皇子は親王宣下を蒙り、憲平の名を賜った。憲平親王は皇太子となり、藤原氏の一族が彼の成長を支えた。
暦道に復帰した保憲は元の通り造暦に携わった。保憲は宣命暦に基づいて暦を作成していたが、権暦博士である大春日益満は会昌革を用いていた。益満は承平・天慶の乱の最中に当時の暦博士である葛木茂経と争った大春日弘範の息子であった。保憲と益満は藤原実頼に召され、暦の作成方法の相違について問われた。二つの暦法を巡る議論は度々繰り返されており、その度に宣明暦が採用されていた。この前例によって、今回の造暦の議論でも保憲の説が採用された。こうして、保憲は暦家としての地位を固めることに成功した。彼は、このような暦家の論争が起こるのは長らく唐から暦が伝わっていないことが原因だと考えていた。だが、唐から新暦を得ることはできず、彼は好機の到来を待たなければならなかった。
御暦奏の後、朝廷に丹波国と播磨国が虫害に苦しんでいるとの報せが届いた。陰陽寮は軒廊御卜を行い、晴明と保憲は播磨国へ赴き害虫駆除の祭礼を修するよう命じられる。晴明が梨花に長旅でしばらく留守にすると伝えたところ、彼女は同行を願い出たので、三人で旅に出ることになった。彼女は家に籠りがちで都の外に出たことがなかったため、遠くの国を見てみたかったのだ。
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