邪神系チート悪役令息兄弟、弟のほう。

青波希京

第一部 悪役(弟)は把握する

第一章 レイングレイ公爵家にて

1.弟のほう、覚醒

 こんなことになるんなら、原作漫画を最新刊まで読破しとくんだった。

 記憶を取り戻して、現状を確認し終わったとき、真っ先に思ったのがそれだった。


 

 いつものように、淡々と積み木で遊んでいたときのことだ。

 唐突に、眠っていた前世の記憶が呼び起こされ、俺は驚いて周囲を見渡した。

 積み木やおもちゃが絨毯の上に転がる子ども部屋。ベッドあり、鏡あり、大きな窓ありで日当たり良し。

 どう見ても現代日本じゃあり得ない、ドレスを着た西洋風の女の人が二人。片方はメイド、片方は乳母。乳母って言っても、直接乳を飲ませることはないらしい。

 二人の名前は分かる。俺の、この身体の記憶があるから、知っている。ただ、記憶を取り戻す前の俺が、彼女たちを呼んだことは一度もなかった。

 それどころか、ひと言も喋ったことがない。


 転生した俺は、それだけ幼いのか?

 と思って、ちょっと身辺を確認してみたが、今の身体はだいたい三から四歳くらい。

 俺は子育ての経験がないから分からないけど……このくらいの歳の子は、普通に喋るんじゃないだろうか?


「セルノアルドさま。どうされましたか?」


 積み木のパーツを右手に握ったまま、急に挙動不審になったからだろうか。乳母が心配そうにかがみ込んで、こちらを覗き込む。

 俺は黙って彼女を見上げて――いつも通り、口を開くことなく、首を振った。

 子ども部屋付きのメイドは、部屋の隅で俺たちのやり取りを見ていたが、俺が目を向けると素早く顔を逸らした。あまり関わりたくない、という態度が見え見えだ。


 セルノアルド。覚えのある名前だ。

 確か、前世……俺が普通の男子高校生だったとき。姉貴から押し付けられた漫画に、そんな感じの名前がチラッと載ってた気がする。

 中堅の青年雑誌で連載していた、エロよりグロがふんだんに盛り込まれたダークファンタジー漫画。その黒幕……はエクリファール・レイングレイだったな。えーと、じゃあ、その弟の……。


 セルノアルド・レイングレイ。

 原作漫画の一巻最後のページで、黒幕として登場した兄の背後に控えて、「はい、兄上」って言ってたヤツ。

 ……ってことしか知らねえ!

 原作は、姉貴は猛烈に好きで読んでたっぽいが、俺は一巻しか読んだことがない。最新刊は十六巻だったはずだから、たぶん、そこから色んな事実が明かされたりしてるんだろう。

 でも俺は知らねえんだよな。先を読んでないから。


 こんな転生アリかよ。原作知識ありの転生なのに、アドバンテージが無さ過ぎねえか?

 しかも兄貴は黒幕だし……ストーリーは陰惨だし暗いしグロいし……詰みだろ、どう考えても。


 乳母とメイドの目がなければ、頭を抱えたい気分だ。

 内心の動揺を抑えて、とりあえず俺は、作りかけの積み木の城を完成させることにした。

 早い話が、現実逃避したのだった。




-------




 原作の題名は何だったか忘れたが、カタカナ表記だった。

 あらすじはこうだ。

 

 ――はるか古代、この世界にはさまざまな神が息づき、人々は小規模な集団ごとに違う神を崇めていた。

 だが、時代が下るにつれ、一柱の神とその一宗派だけが力を増し、他の神の信者を取り込んでいった。

 彼らは、自らの崇める神を、唯一無二の神だと唱えたのだ。加えて、彼らは布教が非常に上手かった。そのため、元々の信仰を――自発であれ強制であれ――捨てる者が相次いだ。

 勢力拡大に伴って、各地に宗教施設を作り、武力を蓄え、政治的な発言権まで得るようになった。

 

 土着の神々は、『神』を信奉する者たちの喧伝により、異形の悪魔へと貶められた。


 いつしか本当に異形となってしまった神々は、人間に取り憑いて残虐な事件を起こし、『神』とその信徒たちへ復讐を果たすようになる。

 その『悪魔』が起こす問題を解決するために発足した、教会直属の機関が、「異形悪魔取締部隊」。

 そこに所属する探偵が、原作漫画の女主人公である。


 モチーフは十九世紀末、ヴィクトリア朝後期の英国。それを模した架空の帝国。蒸気機関が現れ平民が台頭し、貴族が衰退していく時代に、悪魔や邪神崇拝のグロテスクな要素が掛け合わさった異世界だ。


 そこまで思い出して、俺はベッドの上でぐっと伸びをした。

 記憶を取り戻してから数時間、すっかり夜も更けている。乳母は俺を寝かしつけてから、隣にある自分の部屋へ戻っていった。

 寝たふりをしてみたものの、目が冴えて落ち着かない。子ども用だが大きいベッドのど真ん中にあぐらをかき、俺は腕を組んで情報を整理していた。


 原作の第一巻では、男装した女主人公が、仲間である高飛車な少女と共に、二話ずつ完結で事件を解決していた。

 六話で三つの事件が描かれ、最後の最後にこの国の暗部――黒幕たる「レイングレイ公爵」の姿を見せて終わる。

 どうして黒幕か知ってるかというと、姉貴の推しがコイツとコイツの弟だからだ。姉貴は連載初期からの大ファンで、俺は面倒な語りを聞かされまくっていた。ぜんぶ聞き流してたからほとんど覚えてないけど。

 「レイングレイ兄弟推し」だとかなんとか言ってたのは、覚えている。

 

 逆に言えば、それくらいの初期情報しか知らない。


 この「レイングレイ兄弟の弟のほう」が、なにをやるかも、どんな展開なのかも知らない。

 まあ……最終ページの描写を見るに、黒幕兄貴に利用されてる感じが否めない。同じ両親から生まれてきているだろう容貌なのに、立ち居振る舞いが完全に従者だった。表情もなくて淡々としてる感じ。

 一方の兄貴は……まさに「優雅な貴族」だ。そばに美人な女性秘書を侍らせて、弟も従者にして、自分の手は汚さずに高みの見物。面白い事件を作り上げて鑑賞に勤しんでいる。


 典型的な黒幕ムーブ。マジで嫌過ぎる。

 

 作中では、すべての事件に裏でレイングレイ公爵が関わってる、ぐらい言い切られてた。そんな奴が身内とか嫌だろ。目的のためなら洗脳とか拷問とか普通にやってきそうじゃん。


「当面の目標は、『兄貴との接触は避けること』だな」


 自分で言って、納得する。

 ちなみに、記憶のない「セルノアルド」は、なぜか頑なに喋らなかったが、声帯が無いわけではないらしい。普通に発声できるのは、さっき試して判明した。

 それが謎なんだよな。物心ついてからの記憶を探ってみても、明確な答えは見つからなかった。

 恐ろしく静かな子どもで、意思表示はたまに身振り手振りを使うだけ。なに考えてたかも、幼児だからいまいち要領が掴めないし。


「前途多難だなー……」


 謎だらけだ。分かることがほとんどない。世界観からして、たぶん、レイングレイ公爵家にも闇があるんだろうけど……俺が知るよしもないし。

 知ってることだけでもメモしとこうと思ったが、この部屋には書くものがない。まだ家庭教師とかもつかない年齢だから妥当か。

 でも、幼児向けの本は数冊ある。俺はベッドから降りて、棚に挿さってる中の一冊を拝借した。余白の多いページを慎重に破り取り、元通りに戻す。

 それから、火の消えた暖炉の前に行って、焼け残った煤まみれの薪の中から、書くのにちょうど良い大きさのものを引っ張り出した。


 蝋燭も消えているので、窓から差し込む月明かりの下に行く。外の景色は、やはり貴族の屋敷らしく、豊かな自然が広がっていた。

 でも、やっぱり、植物の感じがヨーロッパだ。日本の景色じゃない。


「えーと……この国の名前は……」


 朧げな知識を探りつつ、日本語で書き連ねていく。万が一、誰かに見つかっても、日本語が堪能なヤツの手に渡ることはないだろう。

 この国の常用語は、英語っぽい言語だ。解読はされないはず……たぶん。

 しばらく書いていると、床に這いつくばっているので肩とかが痛くなる。伸びをするついでに、近くの壁に立て掛けてある姿見を見た。


 黒く短い髪に、青い目。丁寧に仕立てられた白いシャツに紺色の半ズボン。

 前世の俺とは似ても似つかない。漫画のキャラだからか、髪に少し青い色が混ざっているようだった。


「セルノアルド・レイングレイ」


 俺が喋ると、鏡の中のそいつも喋る。

 レイングレイ公爵家当主の次男。上に兄が一人。コイツが曲者。『神』だの『悪魔』だのが蔓延るこの世界で、俺は身一つで生き残っていかなきゃいけない。

 正直、めちゃくちゃ面倒くさい。

 でも……やるしかない。下手を打ったら確実に死ぬ。


「なんとしても、生き残ってやる」


 小声で言って拳を振り上げた。

 鏡の中の子どもも、やっぱり同じように気合を入れていた。

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