番外編 ヒロムがんばる

ユッキー

ヒロムがんばる

「あいたっ!」

 それは学童保育の皆と放課後の校庭で鬼ごっこをしている時でした。ヒロム君が転んでしまったのです。

「だいじょうぶ?」

 私は心配して駆け寄りましたが、鬼役のショウ君はうずくまっているヒロム君の背中をバチンと叩きます。

「わあっいたいよ!」

「タッチしたぞ〜ヒロムのオニ〜!」

 ショウ君は意地悪なんです。私は思わず睨みますが、ショウ君はゲラゲラ笑っています。

 他の子達も嫌な気持ちになってると思いますが、四年生のショウ君は体も大きくて乱暴なんです。私は二年生だし、他の子達は一年生なので、怖くて皆何も言えません。でも同じ二年生なのにヒロム君は勇気があって、一年生の子がショウ君にイジメられていた時『やめなよ』って庇ってくれました。私が『すごいね』って言ったら、ヒロム君は『薫ちゃんならそうするもん』って笑ってたけど、それはよく分かりません。

 でもそんなヒロム君をショウ君は気に入らなくて、彼には特に嫌がらせをするのです。ヒロム君を叩いたショウ君は笑ったまま逃げようとして──

「うわっ!」

 ヒロム君より盛大に転んでしまいました。校庭の周りにグルリと掘られている排水路のコンクリートの蓋が少し浮いていて、そこにつまずいてしまったようです。地面に倒れ込んだショウ君は右の足首を押さえています。

「いてえっ…いてえよっ…!」

 涙声で叫ぶショウ君を見て私はつい『バチが当たった』って思っちゃったけど、ヒロム君は違ったみたいです。倒れているショウ君に駆け寄って足首を見て言いました。

「もしかしたらねんざ・・・したかもしんないよ。氷で冷やさなきゃ…アイちゃん、先生よんできて!」

 テキパキと指示をするヒロム君の様子に、私だけじゃなくショウ君も泣くのを忘れてポカンとしています。

 それでも気を取り直して私は校舎の中に入り、保育ルームにいた担当の女の先生に声を掛けました。外遊びに行かなかった生徒の宿題を見ていた先生は私の話に驚いて、慌てて外に飛び出します。私はヒロム君の指示を思い出して、保育ルームの隣にある給湯室の小さな冷蔵庫を見てみます。夏休みにお弁当を持って学童保育に来る生徒もいるので、その保管用の冷蔵庫があるのです。熱中症予防に氷も作っていたはずです。でも冬になったからか、今は製氷室は空っぽでした。

 その事を知らせると先生は動揺しました。ショウ君の足首はだいぶ痛むみたいで、赤く腫れてきてしまっていたのです。職員室に残っていた他の先生達も駆け付けましたが、保健室の先生はもう帰ってしまったそうで、とりあえず水で濡らしたタオルを足首に当てる以外に誰も何も出来ません。

「どうしましょう、ショウ君のお母さんはまだ仕事中みたいでスマホも繋がらないんですよ……」

 連絡をしてくれた先生がそう嘆くと、ヒロム君が言いました。

「先生、ボクのママに電話して。そしたらどっちかのセンセが来てくれるから!」

 その場の誰もが何の事かよく分かっていませんでしたが、ヒロム君が何だか自信たっぷりだったので、先生はとりあえずヒロム君のママに電話をしました。電話を終えた先生は笑顔です。

「ちゃんとした整骨院の先生がすぐ来てくれるって。ありがとう、ヒロム君!」

 歓声が上がり、ヒロム君は恥ずかしそうに微笑みます。

(カッコいい……)

 私はヒロム君に見れてたんですが、後ろでショウ君がボソッと呟いたのが聞こえてしまいました。

「調子にのるなよ、ヒロムのくせに……」

 振り向いて見ればショウ君はヒロム君を凄い顔で睨んでいます。あんなに心配してくれて、親切にしてくれたヒロム君にそんな事言うなんて…私はこれからショウ君の意地悪がもっと酷くなるんじゃないかって心配になりました。私がヒロム君を護ってあげられたらいいんだけど、私もショウ君にイジメられるのは怖いんです。どうしよう…どうしたら……


 しばらくして髪の長い女の先生が来てくれました。美人なんですけど白いロングコートを着ていて、何だか影が薄くて、幽霊みたいな人です。ヒロム君は『まみセンセ』って呼んでます。

 そのまみセンセは保冷バッグに入れてきた氷の袋─『ひょうのう』と言うそうですが、それでショウ君の足首を冷やしてる間にどうして怪我をしたのか私達に訊いてきました。他の子達が転んだ事を伝えます。ショウ君はちょっと離れた所で横になって足を座布団の上に乗せて冷やしていたので、私はまみセンセの耳元で小さな声で囁きました──勇気を出して。

「えっとね…ショウくんがヒロムくんにいじわるしたから、バチがあたったの……」

 まみセンセは何も言いませんでしたが、ちょっと頷きました。

 それから十五分位経って、足を冷やし終わったショウ君の横にまみセンセが正座しました。私達に背中を向ける形なので、その顔はショウ君にしか見えません。

「ではテーピングして包帯を巻いておきますね。おウチに帰ったらまた冷やして、出来れば明日またウチの整骨院に診せに来てください」

 そう言いながらまみセンセはコートの前のボタンを外しています──背中から見てるからたぶんですけど。それで包帯とテーピングを取り出したので、コートの内ポケットに入れてきたんだと思います。そして手際良くショウ君の足首にテーピングをし始めました。

 でも私の目は、ショウ君の顔に釘付けになっていました。

 まみセンセがコートの前を開けた瞬間、ショウ君は目をまん丸にしたんです。口も少し開けて「ひぃっ……」と声を漏らした気もします。そして自分の足首を治してくれているまみセンセをジッと見つめるショウ君の顔色は、どんどん青くなっていくのです。

 私が呆然と見ていると、まみセンセがショウ君の耳元で囁きました。

「何かあったらまた来るから……」


 不思議な事に、次の日からショウ君はヒロム君に全く意地悪をしなくなりました。学童保育の時は勿論、学校の廊下とかでヒロム君の顔を見ただけで、ショウ君はギョッとした様な顔をしてそそくさと逃げていくのです。一体何があったんだろう?


「あ、真見まみちゃんお帰り!

 どうだった、ショウ君の捻挫……そう、軽症なら良かった。ヒロムの学童の仲間だからね〜わざわざ出向いてもらっちゃってありがとう!

 でもゴメン、タイミング最悪だったよね。さっきののぼせて鼻血出しちゃったお婆さん、薫ちゃんセンセが送っていってる最中だったから……処置してる途中でまたドバッと出ちゃって、真見ちゃんのケーシー血だらけだもんね。でも鼻血止めるのに手の合谷ごうこく経穴ツボをお灸するといいなんて知らなかったわ。流石真見ちゃん。

 着替える間もなく学校行かせてゴメンね。見たら子供達もビックリしたでしょうけど、上に着たコートは脱がなかったんでしょ?」

 真見は前髪を垂らし、血まみれで微笑んだ。

 それは子供が見たら、間違いなくうなされるだろう姿だった。


─ナニカアッタラマタクルカラ………   

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