天を仰ぐ

桂木 京

天を仰ぐ

これは、まだ飛行技術も自動車技術も、カメラや測量計なども発達していない、少し昔の話である。


人々は、天災や気候の変化、野生動物の脅威に翻弄されながらも、それに適した建物を造り、住みやすい場所を探し、それぞれの地での恵みを食料とすることを学び、新しい生活の基盤を作っていった。


とある民族の青年・アトス。

彼もまた、住む場所を変えながら日々を凌いできた民族に生まれ、民たちの心地良い生活のために尽力してきた男である。

彼は族長の息子として人望も厚く、そして何より誠実であった。



「なぁアトス、この場所に来てもう何日か経つが、この周辺の事何も知らないだろう? 少し探検してみないか?」


そうアトスに声をかけるのは、アトスの親友であり幼馴染の青年・イアン。

彼もまたアトス同様、人望の厚い民の人気者である。


「そうだな。移動前の備蓄があるとはいえ、この地で新たな食料を調達することはこの先の生活でも必須だ。みんなが安全に食料を調達する場所を探すいい機会かもしれない。」


アトスもイアンの提案に同意し、二人は周辺を散策することにした。



今回、祈る思いで移動したベースキャンプ。

これまでいくつもの土地を渡り歩いてきたアトスたちであったが、しっかりと村を建設する直前で、災害に遭ったり野生動物の被害に遭ったりと不運が重なった。


前回は川が氾濫し水害に見舞われ、またその前の土地は開墾した畑が野生のシカの群れに食い荒らされた。

シカを狩ればいいという意見も相次いだのだが、やはり肉だけでは民たちの健康状態を維持できない。

バランスよく食事をとることが、子孫繫栄のためには不可欠なのだ。


長距離の移動を経て、ようやくたどり着いた今回のベースキャンプ。

川からは少し離れているので、氾濫しても被害を被ることはない。

林もあり、山菜だったり木の実なども採れそうだ。


「イアン、今回の場所はかなりいいぞ。少し歩けば魚が獲れるし、あっちには林があった。山菜も採れるぞ。」


「あぁ。あとは、あっちにある森だな。果物が見つかれば最高だな。この地が俺たちの楽園になればいいよな!」


アトスとイアンが散策で得たもの、それは希望。

長い長い定住地探しも、ようやく終わりを迎えようとしていた。




――――――――――――――――――――




アトスとイアンは族長のもとへ二人で報告に行った。

ベースキャンプを展開している場所に、災害的な危険はないということ。

そして、近くに川があり飲み水など生活用水に困ることはないということ。


「そうか……。ようやく安住の地が見つかったか。これで民を増やしていくことが出来るな。今の時点で身重なものも数名いる。心穏やかに健やかな子を産んでくれれば良いな。」


「はい。それが叶った日には、いずれこのキャンプを一つの大きな集落にしたいものです。」


族長もアトスも、この地を偶然見つけられたことを喜び、今後の民の命運に希望を見出した。


「そうだ、アトス……この後どうする? 林には猛獣はいないだろうし、川には魚もいる。山菜が採れればバランスの良い食事が摂れる。現時点で充分な食材・資源は確保できそうだが……。」


イアンが言いたいのは、まだ未確認の場所があるという現状をどうするか。

川と反対方向にはそれほど深くない森があり、その奥には大きな山が聳え立っている。

アトス自身も、森と山には興味があった。


「父さん、私とイアン2人でこの先の森と山の調査をしてきても良いでしょうか?」


これは、アトスの純粋な興味だった。

未開の地を知りたい、ただそれだけである。




アトスたち民の望み通り、森には果物が実っていた。


「おぉ……最高だな! 今度は男たちを皆連れて果物を取りに来よう!」


まるで楽園のようなその光景に、イアンは満面の笑み。

しかしその傍らで、アトスは真剣な表情をしていた。


「どうしたアトス? 嬉しくないのかよ?」


イアンが心配そうにアトスの顔を覗き込む。


「いや、果物が実っていたことは素直に嬉しいよ。俺が今、気になっているのは……。」


森の先、少し開けた視界の先に見えたもの。

その場所にアトスは釘付けになっていた。

それは、高く聳える山。


「なんて……大きいんだ。今まで旅した中でこんなに大きな山はなかった……。」


これまでの旅の中でも、山地にキャンプを構えたことは幾度となくあった。

しかし、アトスがいま目の当たりにしている山は、これまでの山とは比較にならないほど荘厳で、壮大であった。


「イアン、俺……この山に登ってみたい。」


この時代でも、山とは壮大で男の好奇心を掻き立てる存在だった。

これまで、幾度となく山を踏破してきたが、それは民のため、そして調査のため。

今回は違った。

山には登らなくても民の生活に支障がないことが分かった。

今のアトスの気持ちは、純粋な好奇心に支配されていた。


「まぁ……俺は止めないけどな、今日はやめておけ。もうすぐ日が暮れるし、いつ野生動物や毒虫に襲われるか分からない。もう少し男手を連れていこう。それに、民の皆に果物があることを教えてやらないとな。」


イアンはいつもこういう役回りである。

アトスが好奇心で行動するのを、いつも冷静に見守り、的確なアドバイスをする。

もしイアンという存在が無ければ、これまでの探索でアトスは既に命を落としてきただろう。


「分かったよ。でも、明日は行きたい。」


故に、イアンのアドバイスは素直に聞くようにしているアトスであった。




――――――――――――――――――





翌日。


アトスはイアン、そして集落の男数人を連れて山に挑むことになった。

幸い森の中は迷うことの無い単純な道のりだったので、女たちも果物を取りに同行し、山に挑む者とは別行動で採取に取り掛かることになった。



「それにしても凄い山だな……。」


「あぁ。これまでの山とはわけが違う。険しそうだ。」


連れてきた男たちも、今回の山の険しさに驚き、呆然と見上げていた。


「いいかアトス、やみくもに頂上を目指そうとするな。やっと集落が作れそうなんだ。時間はたくさんある。少しずつ、距離を広げたり道を開拓しながら頂上へと向かっていこう。こんなに大きな山だ。数日で制覇できると思うな。」


ここでもイアンは冷静にこの先の見通しをアトスに告げる。


「あぁ、分かったよイアン。じゃぁ早速行こう。」


イアンの話を聞きながらも、アトスの視線はは山から離れることはなかった。





―――――――――――――――――




それから、アトスたち男たちは、毎日少しずつ道を伸ばしていき、山に挑んだ。

3合目までは、本当に自然の楽園のようだった。

見たことの無い果実、そして野菜。

男たちはこぞって収穫し、集落で民に振舞った。


アトスも、この山に挑んで良かったと心から思った。


しかし、その先から雲行きが変わった。


5合目以降は、ごつごつした岩場が続く。

緑豊かな、山の幸の宝庫だった4合目までとは全く違う姿を見せたのだ。



「半分から上は、もう魔境だな。下からでは全く見えなかったな……。」


「あぁ、4合目までは木々があれほど生い茂っていたし、奥行きもあったからな……。奥に行くほど険しくなるなんて、本当に大した山だぜ。」


アトスとイアンも、この雰囲気の違いには驚いた。


「なぁアトス、きっとここから先は岩山なのだろう。この先に自然の恵みは望めない。この山の探索はここまでにしないか?」


イアンは山の状況をしっかりと見極め、冷静かつ的確なアドバイスをした。

集落が発展していく過程に、これ以上の登山は必要ないと判断したのだ。


「そうだよアトス。ここまでの山の恵みで、俺たちは充分生きていける。欲張って取りすぎなければ子供の代まで確保できる。良いことじゃないか。この先に危険を冒してまで行くことはないと思う。」


「あぁ、俺も同感だ。」


「そうだな。俺たちはここまでにさせてもらうことにするよ。」



共に山を散策してきた男たちも、この先には得るものがないと思ったのか、口々にここで散策を打ち切ろうという話になっていく。


「アトス、お前はよくやったよ。毎度未開の地で俺たちを先導してくれるリーダーだった。本当にみんな、お前の事を尊敬しているんだぜ。」


イアンも、実は仲間たちと同じ意見だった。

これ以上の散策は、もはや意味がない。

豊富な山の恵みを確認した以上、無理して危険に身を晒す必要はないのだ。


「あぁ……わかったよ。みんな、今まで助けてくれてありがとう。この山の幸については、これからみんなで平等に分け、無駄遣いのないようにしよう。出来れば畑を作って増やしていきたいな。」


ひとまず、皆の意見に耳を傾けるアトス。


しかし、彼は感じてしまった。

この荘厳なる山に対する好奇心を。


「良くやったぞお前たち。これで我が一族は安泰だ。この地に集落を本格的に築き、この地から子孫を繫栄させていこうではないか。」


族長の言葉に、一族の者が活気づく。

これまで辛い移動の日々が続いていただけに、この場に定住出来るということはこの上ない喜びであった。


それから、民たちはベースキャンプを集落にするための作業を急ピッチで開始した。

食料の調達という大きな目標をクリアしたとはいえ、この地に辿り着いてからまだ日が経っていないので、どんな動物がやってくるか、どんな自然災害がやってくるのか見当もつかない。


住処は出来るだけ強固に、柵は出来るだけ頑丈になるよう、民は力を合わせて取り組んだ。


久しぶりの、本格的な住処の建築。

アトスも、民のために身を粉にする事を厭わなかった。


それでも、彼の心の奥底には、未だ消えない山への好奇心が燻り続けていた。




―――――――――――――――――――――




少しずつ完成していく集落。

アトスは設備の整備に尽力しながら、密かに山に挑んでいた。


そしてそれは、親友であるイアンも知っていた。


「頑固なお前の事だ。諦めろって言ったって聞かないことくらいわかってるよ。だが急ぐな。急いで山頂を目指しても、思わぬ事故や動物被害に遭うか分からない。少しずつ、道のりを整備しながら進むんだ。すぐに登頂を考えるな。協力者がいないのなら、自分の力で少しずつ、確実に道を切り拓いていくんだ。」


イアンは、アトスが目的のために猪突猛進となり、周囲が見えなくなるという悪い癖を知り尽くしていた。

故にイアンは、アトスの燃え上がる好奇心を分かった上で、彼のやる気を削がずに応援する術を考えたのだった。


いつか族長になる男が、いつまでもくよくよしていても困る。

族長たるもの、雄々しくその背を後進に見せねばならぬ。

イアンは、アトスには自信に満ち溢れた、雄々しき族長に育ってほしかったのだ。


「ここにずっと住むんだ。お前が生きているうちに、最高の景色を目指していけばいいさ、なぁ? 未来の族長さんよ。」


イアンの助言で、アトスの気持ちが少し楽になった。

一人で山に挑むということに変わりはないのだが、自分の目標を否定されないことが分かっただけで、イアンという親友が応援してくれていると知っただけで、山の件に関しては仲間がいないと思い込んでいたアトスは嬉しくなった。


「ありがとう、イアン。」


「別に、礼を言われるようなことは何も言ってないよ。ま、納得いくまで頑張れ。俺は一族の相談役の立場で、皆のことを見ていくつもりだ。そう族長にも頼まれたからな。」


実は、イアンもアトスと一緒に山に挑みたい気持ちがあった。

しかし、一族のことを考えると、アトスともども山に熱を上げることは得策ではないと判断したのだった。


それでも、アトスの子供のような純粋な目を見てしまったら……。

イアンは、自分が抱いていた山に対する情熱を、アトスを応援する力に替えたのであった。



それから、アトスは少しずつ山の開拓を始めた。

イアンの助言通り、少しずつ、安全に、無理はせず。

頂上を目指してアトスは道を切り拓いていった。


そしてイアンは、一族の男たちに声をかけ、アトスが切り開いた道を少しずつ整備していったのであった。




―――――――――――――――





雨の日も、風の日も。

アトスはこつこつと山の開拓を進めていった。


イアンが、自分の切り拓いた道を整備してくれていることに気付いたのは、アトスが開拓を始めて二ヶ月後のことだった。


「イアン、すまない。俺一人でやるつもりだったのに、こんなにキレイに整備して貰って……。」


申し訳なさそうに言うアトスに、イアンは言う。


「なぁに、開拓では何の手助けも出来ないからな、このくらいの手伝いはさせてくれ。お前が開拓した道が安全だというお墨付きがあれば、一族の男たちも手伝ってくれることが分かったし、それだけでも儲けものだ。」


あくまで、『より奥地を開拓することで、山に潜む危険の除去と新しい資源の確保に取り組む』ということにしているイアン。

そう族長にも話すことで、誰もアトスを咎めることはしなかった。


イアンはひとり自分の夢に向かうアトスを、『一族のために未知の世界を切り拓く勇士』に仕立て上げたのだ。


これで、アトスは開拓を誰にも邪魔されることなく進めることが出来る。

イアンは、親友に夢を見た。




―――――――――――――――――――





アトスが山を開拓し始めて、3年の月日が流れた。


集落もすっかり村として成長し、一族も徐々に増えていった。

食料の備蓄や保存食の技術も向上し、3年間でそれぞれの季節の乗り越え方を学び、備えも充実していった。


「これで、安泰だな。」


豊富な食料と美しい自然。

これまで過酷な移動の旅を続けてきた一族にとって、まさに今の地は理想郷そのものであった。


「これで、私の余生はこの地で自由に過ごすことが出来そうだ。これまで民には厳しい旅を強いてきたが、やっとその苦労も報われる。あとは息子に……アトスに跡を継がせるだけだ。アトスとイアンがいてくれさえすれば、この一族はさらに反映していくことだろう。」



族長は、穏やかな余生を送ることを決め、アトスに族長の座を譲ることにした。


そんなアトスは、山の開拓を進めながらも一族のために各方面で尽力し、名実ともに一族のリーダーとなっていた。




―――――――――――――――――





「なぁイアン!! ちょっと来てくれよ!!」


そんなアトスが興奮した面持ちでイアンを呼んだのは、アトスが族長の座を受け継ぐ、7日前の早朝。


「どうした血相を変えて。何かいいことでも……」


言いかけて、イアンは目を見開く。


「達したのか!?」


「……あぁ!!」


それはアトスが、そしてイアンも密かに夢見ていた、登頂の夢。

アトスはついに、雄々しき山の頂に立ったというのだ。


「良かったじゃないか! やっとお前の努力が報われたな!」


イアンも興奮気味にアトスの肩を叩く。


「イアン、お前が支えてくれたお陰だよ。それで……一緒に登らないか?」


「もしかして、今からか?」


7日後には、アトスが族長になる儀式が控えている。

イアンも、その儀式の主たる役割を担っている。


「あぁ。お前に一番最初に見て欲しいんだ。頂上の景色を!」


「……よし、すぐに向かおう!」


それでもイアンは頷いた。

彼の心の中に燻っていた夢とロマンの炎が、再び燃え始めたのだ。



行きに3日、帰りに3日。

そして1日は休息日。

そうイアンが計画して向かった山は、驚くほど登りやすくなっていた。


途中までの道のりは、イアンが男たちを使い歩きやすく整備した。

そして、さらに登った先は、アトスが自分で危険な場所には柵を立て、綱を張った。

いつか、皆が登れるように。

岩壁は少しずつ削られ、登りやすい足場を作ろうとする形跡が見える。



「お前、ここまでよくぞ一人で……。」


「お前が下の方を整備してくれたお陰だよ。そのお陰で俺は上の方に短い時間で来ることが出来た。その分、いろいろみんなのために開拓できる。」


アトスとイアンは、互いに感謝しつつ頂上を目指す。


そして、出発から2日……。



「もうすぐ、頂上だな。」


イアンの計画より1日早く、二人は山頂に辿り着こうとしていた。




「夕日が沈む時間で、本当に良かった。」


頂上に到達したとき、ちょうど夕日が沈む頃だった。

その雄大さに、イアンは言葉を失う。


「凄い……。何て美しいんだ……。」


アトスとイアン、二人並んで山頂に座る。


「この山を見たとき、ここでなら得られると思ったんだ。自信を……。」


アトスが言う。


「族長の親父と、なんでも出来る頼りになる親友。そんな恵まれた人に囲まれて、俺は何もしないまま族長になるのか? ずっとそう思ってきた。偉大な父、有能な親友の間で、お飾りの族長として奉られるのは嫌だったんだ。俺も何か偉大なことをしたい、やり遂げたいと思っていた。」


アトスは、自分が本当に族長に相応しいのかを、ずっと考え悩んでいたのだ。

そんなアトスに、イアンは笑いながら言う。


「お前が偉大じゃないわけがないだろう? だって……。」


イアンとアトスが天を仰ぐ。

日は沈み星が空に輝き始める。


「お前には諦めない意志と、新たなものに挑戦する勇気があるのだから。」




満天の星の下、アトスとイアンはまるで幻想の世界のような光景を目の当たりにする。


「見渡す限り、星だ。」


「あぁ。星の海の中にいるようだ……。」


二人並んで天を仰ぎ、その光景に酔いしれる。

アトスが、不意にイアンに言った。


「イアン、これからも俺の親友でいてくれるか?」


イアンは、少しだけ黙り込む。


「お前なぁ、今更そんなこと聞くか? 今まで親友だったんだ。これからもずっと親友さ。お前の事をこれからも支えていくよ。俺とお前で、一族の英雄になろうじゃないか。」


そして、イアンはアトスに手を差し出す。


「ありがとう。これからも、宜しく。」


アトスは力強く、差し出されたイアンの手を握った。



それから4日後。

アトスは晴れて一族の長となった。

その傍らには親友として、そして相談役としてイアンが付き従ったのであった。





――――――――――――――――




それからさらに時が経ち……。


アトスたちが興した村は、いつしか街となり、観光名所となっていた。

アトスが苦労して登頂した山にも、今やロープウェイが通り、山頂までは20分ほどで到達出来る。


山頂には、石像と銅像がそれぞれ『2体ずつ』立てられている。


「この石像は、かつてこの山を開拓した偉大なる族長アトスと、彼を終身支え続けた英雄イアンのものだと言われています。二人が死した後、残された一族により作られたと言われており、こちらの銅像は、さらにその後世が、石像が風化した時のために作ったもので……。」


一族の子孫であるツアーガイドが、誇らしげに観光客に話をする。


アトスとイアン。

二人の親友は最後までともに人生を歩み、お互いを尊敬し合い、支え合って人生を全うした。


その姿、佇まいは英雄そのものであり、民たちは彼らの死後、同じ場所に墓を設けた。

それは、山の山頂近く。

村が良く見える場所。



人々は敬意をこめて、アトスとイアンをこう呼んだ。



『山の守り神』と……。

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