第19話 東海クイーンカップに出走

 三歳牝馬限定重賞、東海クイーンカップ(SPI)の当日を迎えた。


 中央競馬と違い、地方競馬はどこかの競馬場に所属していればどこの競馬場のレースでも出走できるというわけではない。中央競馬は札幌、函館、福島、新潟、中山、東京、中京、京都、阪神、小倉、計十会場の中の二、三会場で毎週末開催しているのだが、その開催者は日本中央競馬会(JRA)である。対して地方競馬は、地方競馬全国協会(NAR)という組織はあるものの、そこに所属する各地区の競馬組合がレースを開催している。


 これまで中央競馬と地方競馬とで連携して様々な交流を行ってきた。かつてはオールカマーに再先着したらジャパンカップに出走できるなんて取り組みを行った事がある。シンボリルドルフが勝った年の二着に入ったロッキータイガーは船橋所属の馬だった。

 だが地方競馬は質の高いレースを開催して集客を高めたいという気持ちはあるものの、それと相反するように自分たちのテリトリーを確保したいという気持ちも同じように強い。中央競馬と地方競馬で露骨に質に差があるように、地方競馬内でも質に差がある。毎回他所の競馬場の馬に重賞を勝たれるのはちょっとというお客様も決して少ないわけではないのだ。


 そこで地方競馬は個々のレースに対し出走条件を細かく設定している。

 中央競馬所属の馬に解放するレースを絞り、別の地区の競馬場所属の馬が出走できるレースも絞っている。ネクストスター競争のように、そこの競馬場所属の馬しか出走不可なんて重賞もあるし、ライデンリーダー記念のように名古屋と笠松競馬場に所属する馬だけ出走可というレースもある。


 今回出走する東海クイーンカップは指定交流レースなので、地方競馬に所属する馬であれば出走は可能となっている。デビューから六戦、ビヴロストは初めて地方競馬全体を相手にするレースに出走する事になったのだった。

 ただ、そこはやはりというかSPIと最高峰の格付けをうたっているにも関わらず、南関東の重賞の半分程度しか賞金の出ないレース。やって来る馬もそういうレベルの馬となる。


 一番人気は浦和競馬場所属のアイノサンカ。デビューから三戦三勝で挑んだ前走のユングフラウ賞でウィンザーローズに負け、浦和桜花賞では無く東海クイーンカップに出走してきたらしい。


 東海クイーンカップは『GRANDAME-JAPAN』という牝馬限定のシリーズレースの一つとなっている。首位は賞金四百万。浦和桜花賞に勝ってもポイントは十点、他地区であれば勝てば十五点、二着でも九点のポイントがもらえる。恐らくはそういう計算があっての出走だと思われる。


 二番人気がビヴロスト。

 三番人気は兵庫所属のエナジーチャージ。ここまで七戦してニ勝、二着五回というよく言えば堅実、悪く言えば勝ち味の遅い馬である。



 今回も出走時間が十七時五十分。ちょうどそろそろ仕事を切り上げようという時間での発走である。案の定というか、十七時半に母親からメールが入る。


”愛馬を可愛く撮るために携帯電話を新調しました! どうですか? いつもよりビヴロストちゃんが良い毛艶に見えるでしょう?”


 半月ほど前までろくに競馬も見た事が無かった人が『良い毛艶に見える』ときたもんだ。随分と色々お勉強なされたようで。

 今回はこんな馬券ですと言って、いつものビヴロストの単勝のみならず、ビヴロストを軸にした馬連馬券まで購入している。勉強熱心すぎてたまげる。


 お袋がすっかりビヴロストにご執心だと言って携帯を見せると、石野社長はメールを見て大笑いした。


「お前の御両親の年齢から新たな趣味ができるってのは素晴らしい事だよ。うちの両親なんて馬主になろうと思うと言ったら、どぶに捨てるほど金が余ってるのか? だとさ」


 石野は金沢出身で両親も金沢に住んでいる。金沢にも地方競馬場はあるのだが、恐らくは地元の人たちの馬主に対する率直な印象がそれなのだろう。

 じゃあ馬主になるはやめたのかとたずねると、石野は鼻を鳴らした。


「お前を見ていて、一頭買えば何年も楽しめるという事を学んだからな。生活にハリを持たせるためにも俺も馬を走らる事に決めたよ」


 ビヴロストの話をしたら奥さんも納得して応援してくれたのだそうだ。もう馬主申請は済ませ、今は審査待ちの状況なのだとか。


 十八時頃から何通も両親からメールが届いたが、深雪と一緒に観る約束をしているので今回は徹底して無視した。

 今回の東海クイーンカップは、これまでと違って周囲の馬の質が全然違うだろうから、初めて土がつくかもしれない。結城調教師が事前にそうメールで報告してきている。それを聞いて深雪は夕飯にとんかつを選んだらしい。

 深雪は揚げ物はしない。レンジがべとつくし、油跳ねが怖いからというのがその理由で、我が家では基本揚げ物は総菜としてスーパーで買ってくるものである。そのとんかつに、新東名高速道路の岡崎サービスエリアで購入したカクキューの味噌だれをかける。ビールの蓋を開け乾杯すると、いよいよ中継サイトを鑑賞する準備が整った。



 前回同様、出走位置は四コーナーの奥、三コーナーに近い場所の直線。天候は晴れ、馬場状態は稍重。十二頭立てでビヴロストは八枠十一番。


 ファンファーレの演奏の後にゲート入りとなる。ビヴロストの最も緊張する瞬間である。

 いつものようにメンコの上に目隠しのメンコを被せてのゲート入りとなった。いつもなら目隠しのメンコを外すと大暴れするビヴロストだったが、今回は非常に大人しい。逆に大丈夫なのか、もしかして元気が無いのだろうかと不安になる。


 ゲートが開くとエナジーチャージ他数頭が先頭を主張。先頭集団を見るようにビヴロストは外四番手を行く。そのすぐ後ろにアイノサンカ。


 四コーナーを回って直線コースに入ると、他の馬は控え先頭はエナジーチャージとなった。位置取り争いが落ち着きビヴロストは前から五番手で正面スタンド前を疾走。アイノサンカは後方集団先頭の八番手。


 一コーナーを回って二コーナーへ。

 狭いコースのやや中央を全十二頭がやや膨らみ気味に疾走。早々に流れが落ち着いたせいか、時計はほぼ平均ペース。


 二コーナーを過ぎ向こう正面直線へ。

 向こう正面に入った途端に先頭集団はエナジーチャージを抜きにかかる。エナジーチャージは徐々に速度を上げ、かろうじて先頭をキープ。ただ、後方集団も徐々に差を詰め、全十二頭が一団となり始めた。外のビヴロストも横一列となった先頭のすぐ後ろに位置取りを変えた。アイノサンカは依然後方内を追走。


 三コーナーを回ってエナジーチャージの鞍上西宮は鞭を持ち一気に押していく。

 あっという間に後続に一馬身ほど差を付けたエナジーチャージ。それを各馬が追う形で残り四百メートルの標識を通過。ビヴロストは少し内に入って垂れてきた前の馬を交わす。アイノサンカはするすると上がって来て最内五番手に浮上。


 四コーナーを回って最後の直線へ。残り二百メートルの標識を過ぎる。

 先頭エナジーチャージ、西宮の鞭が飛び逃げ切り体勢に入る。ビヴロストの鞍上桃ノ木も一鞭入れる。ぐんぐんエナジーチャージとの差を詰めていくビヴロスト。アイノサンカが最内からじりじりと伸びてくる。


 直線残り半分。

 ビヴロストとエナジーチャージが並ぶ。

 ビヴロストが一気にエナジーチャージを追い抜く。鞍上桃ノ木、さらにもう一鞭。ビヴロストそれに応えてさらに前へ。アイノサンカは伸びて来ない。

 ビヴロストが完全に抜けた。一馬身、二馬身、エナジーチャージを引き離す。


 いつもの見慣れた『金シャチけいば』の文字が右手に映る。ビヴロストは今回も見事先頭でゴール板を駆け抜けたのだった。

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