第10話 次走はセレクトゴールド
レースの翌日、桃ノ木騎手は結城調教師から今後の相談を受けた。
「確かに強い馬ですけど、今回のレースだけでは何とも。展開がハマりすぎましたし、道中も上手く運べすぎましたから」
ネクストスター競争までにできればもう一戦、セレクトゴールドを挟んだ方が良い気がする。それが鞍上の意見であった。
だが結城は悩んだ。どんなに良い馬であっても使い詰めてしまってはすぐに燃えカスのようになってしまう。そうならない為には、きっちりと仕上げて一戦一戦の間隔を空けるか、五分の調教で使い続けるかとなる。どちらが良いかは一概には言えない。
息の長い活躍をさせる為に二歳戦はぐっと我慢し、心身ともに充実してくる三歳になってからが本番。恩師の高畠先生はそういう方針であった。結城もその方針が良いと思っている。
馬主の意向には十分従いつつ自分の理想を通す交渉も重要とも高畠先生は言っていた。ネクストスター競争で好走できれば賞金的にはかなり余裕が出る。そのできた余裕で一旦放牧すれば、預託金の支払いも負担にならず、なおかつビヴロストにも優しいローテーションが組める。
今は我慢のしどころ。結城はそう自分に言い聞かせて次走の予定をメールしたのだった。
◇◇◇
今日、ビヴロストが若駒盃に出走する。朝の食卓からその話題で持ち切りであった。仕事から帰ったら中継サイトの動画を見ながら一杯やろうと深雪と言い合っていた。じゃあ今日はゲン担ぎに串カツにしようかなんて深雪もはしゃいでいた。
串カツ片手にビール。そして愛馬のレース。そんな最高の晩酌が存在するだろうか。正直、仕事中も少し浮かれ気味だったかもしれない。
今日は用事があるからと、そろそろ仕事を切り上げる準備をしていた。石野社長はそんな俺を見て、騎手の真似事のように両手を前後に揺すってニヤリと笑う。そんな石野の表情に俺の顔も思わず緩む。
「最上、何だか最近楽しそうだよなあ。俺も馬買って走らせてみようかな。俺も昔から馬主って憧れなんだよね」
本気でやるんなら人を紹介すると言うと、まずは嫁と相談してみないとと石野は苦笑いした。ただその表情は、かなり乗り気な感じであった。その後、ビヴロストの成績はどうなんだという話になった。
「へえ、そうなんだ! じゃあさ、もし重賞勝ったら協賛レース開いてやるよ。『祝ビヴロスト号〇〇賞優勝記念』みたいな感じで」
個人協賛レースは、最近地方競馬でかなり人気となっている。
ただ単にレース名を付けることができるというだけでなく、口取り式に協賛者として参加できたり、勝ち馬のゼッケンが貰えたりする。来賓席や特別観覧席に入らせてもらえたりする競馬場もあるし、協賛金をふるさと納税にできる競馬場もある。
競馬好きな二人が結婚し『○○さん○○さん結婚おめでとう記念』とか、そんな二人に子供が産まれ『〇〇ちゃん誕生記念』とか、競馬好きの社員が定年退職を迎え『ご苦労様〇〇さん定年記念』という感じで開催するなんて言うのがよくあるパターンだろうか。
ちゃんと実況の人もレース名を読み上げてくれるし、馬券にもレース名が刻印されるから馬券も立派な記念品になる。
だいたいどこも一口は一万円からで、高い競馬場でも五万円くらい。
「名古屋競馬場で協賛やる気ですか? わざわざ名古屋行くんですか?」
俺の指摘に石野は腕を組んで真剣に考え込み、せめて関東かなと苦笑いした。せっかくの協賛レースなんだから、その日くらいは競馬場に足を運びたいし、馬主席というのに一度くらいは入ってみたい。
調べてみたところ南関東は川崎しかそのサービスは行われていないらしい。
「そうなんだ。じゃあ、あれだ。川崎の重賞に勝たせてくれ」
全日本2歳優駿への出走が現実的じゃないと言われている以上、川崎競馬場の重賞を勝つなんて日は来る気がしない。そんな話をしていたところに一通のメールが入ったのであった。
珍しく宛先は父であった。父が何の前触れも無くメールしてくる。そういった事は過去に何度かあった。そのどれもが親族に関すること。恐らくは今回も親戚の誰かの不幸の話であろう。
石野もそう感じたのであろう。それまでのにこやかな雰囲気から一変、真面目な顔で早く中身を確認した方が良いと促した。
”見てくれ! ビヴロストの単勝馬券一万円も買っちゃったぞ! おかげで良い小遣い稼ぎになったよ。こっちは記念に買った馬券だ、どうだ良いだろう!”
メールを開いた瞬間にブッと噴き出した。
がっくりきた俺は携帯電話をそのまま石野に手渡した。
石野は俺の態度でそこまで大事では無いと察したようで、警戒を解いて携帯電話を見た。見た瞬間に爆笑した。
「いやあ、お前の親父さんの歳でそこまで熱くなれるんだな。いやはや、これは俺も本腰を入れて嫁を説得しないとだな」
石野は俺の背をパンパン叩きながら大笑い。そんな石野と対照的に俺は憮然とした顔をする。
「くそっ。アホな親父のせいで、楽しみにしてた結果がわかっちまったじゃねえか」
その翌日、結城先生からメールが届いた。元気に餌を貪り食っているビヴロストの写真と、昨日の口取り式の写真が添えられていた。
メールの内容はかなり長文で、ビヴロストは非常に頑張り屋さんな馬で暑いのに毎回調教を頑張っているという内容から始まっていた。
枠入りを非常に嫌がるので、次回から暫くゲート入りの時だけ目を塞ぐ特殊なメンコを被せる事にした。ただ、ビヴロストの内面はまだ小学生くらいなので、そのうち成長と共に精神的にも落ちついてくると思う。だからメンコの処置は一時的なものと考えている。
最後の直線になるとちゃんと他の馬よりも前に出ようと頑張ってくれる非常に賢い馬といった事が書かれていた。
最後に次走の話が書いてあって、来月中頃のセレクトゴールド第二戦、二歳特別競走を予定していると記されていた。ネクストスター競争に直行でも良いのだが、先に『認定』を取っておけば三歳になってからローテーション的に色々と余裕ができるからと。
もし今のうちから出したいレースの希望があれば教えて欲しいという一文でメールは締められていた。
ただ愛馬を走らせてみたいというだけで、これといって目標なんてものは立ててはいなかった。神楽の『この馬は走る』なんて言葉は容易には信じられなかったし、正直言ってここまで走るなんて全く思っていなかった。
深雪に相談すると、深雪も同じ感覚であったらしい。今日もあの娘勝てなかったね、でも毎回頑張って走ってて偉いね、そう言ってビールを飲み合うシーンしか想像していなかったそうだ。
以前結城先生のしてくれた説明からすると、若駒盃を勝ったという事は名古屋競馬場に所属する二歳の中では相当上位の馬という事になる。だが、名古屋競馬場のレベルはそこまで高くないと聞いているし、そこでの上位がどの程度のものなのかもよくわからない。
深雪の案は、まずはどこかに遠征に行かせてみて、どの程度やれるのか見たらどうかという事であった。できる事なら親父が容易に応援に行けるような場所が良いだろう。となると選択肢は一つしかない。
「ねえ、これなんかどうかな? あの子の血統的にもちょっとした話題になると思うんだけど」
深雪が探し出して俺に携帯電話を見せて来た。
十二月下旬、笠松競馬場で開催される『中日スポーツ杯ライデンリーダー記念(SPI)』。
「きっと親父も喜ぶよ。またお袋と二人で応援に行くんだろうぜ。そうだ! 年末だしさ、俺たちも一緒に観に行こうよ」
今からその日が楽しみだ。そう二人で笑い合った。
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