砂塵の彼方にある栄光

敷知遠江守

第1話 ライデンリーダーの思い出

”ライデンリーダーはどこか? ライデンリーダーはまだ馬群の中、好位中団グループだ!”



 久々の里帰りの夜、競馬好きの父が珍しく酒を呑もうと誘って来た。

手には二つのグラスと、この為に散財したと思しき高そうな酒を手にしている。


 父は無類の競馬好きで、我が家では毎週日曜三時は必ず競馬中継の時間であった。

幼い頃はゲームをやっていても必ず競馬中継に変えられてしまったので、そんな父と競馬が大嫌いであった。


 いつからだろうか。

俺も競馬が好きになったのは。

少なくとも高校生までは何の興味も無かったような気がする。



 思い出した。

あいつだ。

神楽かぐらだ。

大学で知り合った無類の競馬好きの娘。

確かあの時、今年は三冠馬が出るとか何とか言われて、見なければ損だなんて言われて。

その娘の友人たちと初めて中山競馬場に競馬を観に行ったんだった。

あの時勝った馬オルフェーヴルが、その後彼女の言うように本当に三冠馬になって驚いたのを覚えている。


 ダービーで観客席の最前線に陣取ってオルフェーヴルを応援していたあいつ、今はどこで何しているのだろう。



「どうだ、馬券の方は? 当たってるか?」


 父はグラスに五合瓶を傾けて日本酒を注ぎながら俺にたずねた。

父さんの方はどうなんだと逆に聞くと、父はちらりと俺を見て、口元を歪めてぼちぼちだと答えた。

この感じ、今年は中々に調子が良いと見える。


「AIで予想させているんだけどさ、中々参考程度しか当たらないんだよね。だけど先日の大穴、あれは当てたよ。AIが何度予想しても何故かあれを推してきてさ」


 どんなもんだと得意気な顔をする俺に、競馬の予想くらい自分でやれと言って父は笑い出した。



”さあこれから第四コーナーカーブ生垣の向こうから直線コースへ! ライデンリーダー内を狙って後ろから四、五頭目”



 父と二人で談笑していると、妻の深雪みゆきが空のグラスを持って、つまみの枝豆と共にやってきた。

妻の父もかなりの競馬好きらしく、妻の名前は当時好きだった馬の母の名前から取ったらしい。

深雪が産まれた時には、それを隠して良い名前だろうなんて言って妻の母に薦めたらしく、後々それがバレて大変な事になったのだとか。


「お義父さんは、ずっと競馬観てきてどの馬が一番好きなんですか?」


 深雪にそうたずねられ、父はあからさまに顔が緩んでいる。

自分の趣味の話を息子の嫁にされているのだ。

きっと最高のひと時だなんて感じているのだろう。


 散々悩んで一頭になんて絞れないなどと嬉しそうに答えた。

逆に深雪に、深雪さんはどの馬が一番なんだとデレデレしながらたずねる。


「私もどの馬かって言われると難しいんですけど、無観客の中三冠を取ったコントレイルとデアリングタクトが印象に残ってますね」


 もしあの時観客が入っていたら、京都の菊花賞はとんでも無い事になっていただろうに。

父はそんな深雪の感想に無言で頷いている。


「あの時、最後の直線で騎手が入れる鞭の音が虚しくテレビから聞こえてきてたよな。確かにあれは一生忘れられないだろうな」


 ですよねと言って、深雪は少し赤らんだ頬で父のグラスに酒を注いだ。



”最内を回ってはウエスタンドリーム、ライデンリーダーはまだ伸びない! 五、六番手の位置”



 そういう意味でなら、強烈な思い出が三つある。

そう父は言い出した。


「一つはナリタブライアンの高松宮杯への出走だ。三冠馬だぞ? あの三冠馬が千二のGIに出走したんだよ。結果は四着だったんだがね、あの時ほどあの馬の強さを実感した事はなかったね」


 三千メートルで勝った馬が千二メートルでまともに勝負になるわけがない。

当時、皆がそう思っていた。

きっと記録的な大敗を喫するのだろう。

三冠馬のそんな姿は見たくない、そんな声も聞こえていた。

それが蓋を開ければ掲示板に載ったのだ。


 一着のフラワーパークは、マイル王にして短距離王者を多数輩出したニホンピロウイナーの娘。

二着はスプリントGI三連続二着のビコーペガサス。

三着は前年のスプリンターズステークスの勝ち馬ヒシアケボノ。

その錚々たる名スプリンターの後の四着。


 あれは本当に驚いたと父は深雪に熱弁した。

深雪も楽しそうな顔でうんうんと頷いて楽しそうに話を聞いている。



”外からワンダーパヒューム! ワンダーパヒュームが外から先頭に変わった! ライデンリーダーようやく二番手三番手の圏内へ”



「もう一つはウオッカのダービー制覇だ。あの頃は今と違って牝馬は牡馬より一段落ちるという評価でね。牡馬とまともにやりあえる牝馬が少しでもいようものならヒシアマゾンのように『女傑』なんて言われて大騒ぎだったんだよ」


 しかも前走の桜花賞でダイワスカーレットに見事に逃げ切られている。

ウオッカはそこまでじゃないんじゃないか。

そんな声もあがっていた。

逃げ脚質のダイワスカーレットと瞬発力勝負のウオッカではウオッカが不利で、オークスでも桜花賞のように逃げ切られそうだからという理由でダービーに逃げたらしい。

ところがそのダイワスカーレットはオークス直前に風邪をひき回避。


 じゃあ何のためにわざわざ負けるためにダービーに出てきたんだなんて口の悪い者たちは言い合っていた。

そんな外野の野次をものともせずにウオッカは先頭で府中のゴール版を駆け抜けた。



”内を回ってプライムステージが突っ込んだ! 外からダンスパートナー! ワンダーパヒュームがゴールイン!”



 ここまで確かに話に聞いているだけでも後で動画を見てみようという気になるほどのインパクトの強い出来事だろう。

実際に体験できなかったのが悔しいほどの。

ただ、最後にもう一つ残っている。

最後に残したくらいなのだから、余程印象的な大きな出来事なのだろう。


 深雪も相当気になるようで、最後の一つは何ですかと身を乗り出してたずねた。

父もまんざらでも無いという顔をしている。

そう急かすななんて言いながら深雪と俺に酒を注いだ。


「三つめは地方馬ライデンリーダーが挑戦した桜花賞だよ。オグリキャップブームが過ぎ、オグリの妹が前年に桜花賞を勝ち、地方交流元年なんて言われた年の話だよ」


 それだけ聞いただけでは、わざわざ大トリに持って来るような話にはとても思えない。

そう俺が指摘すると父はわかってないと言って笑い出した。


「その年はサンデーサイレンスのファーストクロップ(=種付け初年度の産駒)の年なんだぞ? その中で地方馬が活躍したんだぞ?」


 しかも父はワカオライデンとかいうおよそ聞いたことも無い馬。

当時、ウイニングチケットがダービーを制し、ベガが牝馬二冠を制し、ノースフライトがマイルGIを連覇するなどトニービンが猛威を振るっており、トニービン級のとんでもない種牡馬がまた輸入されたと話題になっていた。

フジキセキ、ジェニュイン、タヤスツヨシ、キタサンサイレンス、ダンスパートナー、プライムステージと次から次へと産駒が活躍するサンデーサイレンス。


 だが当時、やたらと話題になっていたのはオグリキャップの初年度産駒の話だった。

ところが三歳戦(今の二歳戦)を終えて、どうにもオグリキャップの産駒は駄目らしいという噂が立ち始めていた。

せっかくの地方交流元年なのにオグリの産駒が駄目だなんて。


 そんな雰囲気の中に現れたのがライデンリーダーだった。

オグリキャップ、オグリローマンを生んだ笠松競馬出身、しかも鞍上は二頭と同様に安藤勝己。


 きっとまた地方の意地を見せてくれるに違いないと多くの人が期待した。



”ワンダーパヒューム! ライデンリーダー敗れました!”



「なんだよ。調べたら前哨戦しか勝ってないじゃん。しかも桜花賞はそのサンデーサイレンス産駒二頭に負けてるんじゃん」


 俺がそう指摘すると父は深雪を見て小さく首を横に振った。

深雪も少しがっかりした顔で俺から目を反らした。


「お前には浪漫ってもんがないのか?」

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