12.死神

 地下666階。


 空気は湿り気を帯び、通気性の悪さが肌にまとわりつく。蒸し暑さと岩や土の重圧感が、全身を押しつぶしてくるようだ。周囲にはいつものカビの臭いが漂うが、苔や虫の姿はどこにも見当たらない。この深さでは、生物が生息できる環境ではないのだろう。


 岩肌に目をやると、見たこともない鉱物が鈍く光を放っていた。図鑑でしか見たことがないような希少な石たちだ。だが、その神秘的な輝きに見とれる暇はない。


 これまで数多のダンジョンを踏破してきたが、ここまで深く潜るのは初めてのことだ。下へ進むほど空気は重く、精神をも削られるような感覚がある。油断すれば命取りになる。


 ――この先には死神が潜んでいるのだから。


 私は一歩一歩、足音を殺しながら進んだ。クロウさんも無言で周囲を警戒している。ここに至るまで、数え切れないほどの危険を乗り越えてきたが、今回ばかりは全身が警鐘を鳴らしている。


 この場所は、ただのダンジョンではない。何か異質な「存在」を感じる――。


 ガクン、と目線が下がった。

 クロウさんが私を抱き抱えている。一瞬の動作に目が追えなかった。服の一部が斬られ、居た場所は大きい刃物のようなもので抉られていた。


 自動防御が壊された。


 クロウさんの視線の先を追うと、鎌を携えこちらを見据えている。黒いローブに白い仮面をつけてた。

 死神だ。

 クロウさんが私を抱えてくれなかったら、足が切断されていただろう……。

 震える足をなんとか地面につけ、全員が武器を構えて臨戦体制に入る。空気が一気に張り詰める。


 私とアスタロトが、魔術をかけて全員の身体能力を底上げする。

 それを合図にクロウさんが短剣を構え飛びかかった。早くて影すらも見えない。

 リュカはタイミングを合わせて剣を振りかざし死神に迫る。死神は一瞬で跳躍し、巨大な鎌を振るう。その刃先が空を切る音が体を震わせる。

 リオさんは複数の小さなドラゴンを呼び出し、口から光の光線を放ち、死神の動きを牽制する。巨大で攻撃力防御力に優れているドラゴンより、小さくて機動力のあるドラゴンを選んだ。

 リオさんは続けて短剣と剣、そして、魔水晶を召喚する。短剣と剣は壊れた時の予備の武器だ。魔水晶は魔力を増幅させる効果がある。


 アスタロトは、私達を守る為の魔術防御壁を重ねて、私はリュカとクロウさん、召喚したドラゴン達の回復に徹する。

 単純な魔術だと勝てるが、早さと自動防御を壊す力には無傷で勝つのは難しい。その間に誰かを人質に取られたら終わる。

 その為の戦術はすでに決まっていた。私達が死神を追い詰めていく間、強力な一撃を与えるのは、光の力を操るドラゴン達だ。死神の力は闇に属しており、光の存在は大敵だからだ。

死神は夜にしか出歩けない。だから、こんな地下深くに存在している。


 クロウさんの短剣が閃光のごとく死神に迫り、その動きを封じる。一方で、リュカは剣を横から振り抜き、足元を狙う。死神はその場で一回転するようにして攻撃をかわすが、リオさんが召喚したドラゴン達が一斉に空中から光を放った。


 死神のローブが一部焼け焦げ、白い仮面の下から黒い煙が上がる。しかし、その反撃は容赦がなかった。鎌が大きく振り下ろされ、空気を切り裂く音が耳を突き抜ける。


「防壁を強化します!」


 アスタロトが声を張り上げ、魔術防御壁をさらに強化する。死神の鎌が壁に衝突し、激しい音を立てて魔力の波動が広がった。


「リオさん!」


 私は魔力の揺らぎを感知し、リオさんに合図を送る。彼は命令を下すと、ドラゴン達が高く舞い上がり、死神を中心に光を集中させる。眩い光が地下空間全体を照らし、死神の動きが完全に止まった。


「!」


 クロウさんが一瞬の隙を突いて死神に短剣を突き立てる。短剣は死神の喉元に突き刺さり、黒い煙がさらに激しく吹き出した。


 死神は叫び声を上げることもなく、その場で崩れ去った。その姿は煙とともに消え、再び静寂が訪れる。死神がいた場所には黒く焦げた地面と、光のドラゴンたちが放った神聖な輝きの余韻だけが残っていた。


 リュカが肩で息をしながら、深いため息を吐く。剣には小さな欠けができていたが、彼の目には安堵が見えた。


「リュカ、大丈夫か?」


 クロウさんの問いに、リュカは豪快に笑いながら拳と拳をぶつける。痛そうだが村の青年達はああやって健闘を讃えあっていた。アスタロトは嫌がっており、無視をする。

 リオさんのドラゴン達は召喚を解かれ、小さな光の粒となって消えていった。その輝きが、どこか浄化されたような空気を残す。


 私は膝をつき、その場で深く息を吸い込んだ。全員が無事だった。それが何よりも大きな勝利だった。

 首をさするクロウさんが目に入った。


「クロウさん……?」


「こいつじゃない。」


 彼の呪いはまだ解けないようだ。あともう一体の死神の仕業だろうか……。


「あ」


 声の方を振り向くと、黒いローブを身に纏い生首を見せつけるように手に乗せている得体の知れない化け物が立っていた。冷や汗が背中を伝い、全員息を飲む。

 生首からドロドロと油のような黒い液体が溢れ、地面に鈍い音を立て落ちると、口角を上げて薄気味悪く笑った。


 こいつがクロウさんを殺して、呪いをかけた死神だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る