Chapter11 過去の救い
第37話 私たちの時雨川
PMOの監視が強まる中、壱希と私は何か手がかりを探すために二人で街を歩いていた。美咲の提案で二人行動をすることになり、壱希と並行世界に入りたての頃に一緒の部屋で寝たことを思い出した。初対面に等しかったあの時とは違って私たちはもうお互いの過去を思い出して受け入れた上での関係だった。ぎこちなさも変な緊張も無い。きっと私は壱希の前では一番自然体でいられるんだと思う。
「どう?楓。やっぱり色ある人歩いてないか?」
「うん、歩いてない。」
「そっか、じゃあ次の作戦だ」
そう言って壱希はこっち、とビルを指さした。左手には双眼鏡を持っている。
「なるほどね」
向かったのは屋上だった。壱希が選んだのは周辺のものよりもやや高いビルで屋上からは街を一望することができた。
「ここから他のビルの屋上を観察してみよう。もしかしたら誰かいるかもしれない」
早速壱希は双眼鏡を覗き込んでいくつかのビルを順番に見ていった。私もスマホのカメラでできるだけズームして人影が無いか観察した。すると隣で壱希が怪訝な顔をして、まさか。と言った。
「何か見つかったの……?」
「あそこのビル見てみて」
双眼鏡を借りて言われたビルを見た。
「テント?」
「うん、他にも」
よく見るとテントの横には机や椅子が置いてあった。机上には食事をとったような形跡がある。私は思わず壱希と目を合わせた。
「やっぱり私たちを監視している人がいるの?」
「これだけじゃ断定はできないけど、その可能性は高いと思う」
「皆にも伝えなきゃ」
慌ててスマホをポケットから取り出してグループにメッセージを送ろうとしたその時だった。
「伏せて、楓!」
「えっ、?」
「いいから早く!」
私は何が起きたのか全く理解できず、壱希に腕を引かれるまで身体が動かなかった。そして次の瞬間上から何かが落ちてきた。
「何……!?」
「カラスだ」
「……死んでる。どういうこと?」
「撃たれたんだ」
「まさか」
「避けなかったら俺たちが撃たれていたかもしれない」
壱希の発言に言葉を失った。こんなに身近に死を感じたことは生まれて一度もない。いや、一度だけあったがあの時は栞を追いかけるという目的があった。命を懸けて追いかけようと思っていた。しかし今、自分の生死は自分の判断で決められないという事実に気付かされる。覚悟のできないまま命を落とすなんてことは想像したくもないが起こりうる現実に違いなかった。
「どこから撃たれたかも分からない状況だ。とりあえずここを離れよう。」
「うん」
急いで非常階段を下る。踏み外さないよう足元に気をつけながらも、とにかくこの場から早く離れなければいけないという思いが膝を震わせた。
「……ねえ壱希、これから私たちはどうするの?四六時中命に危険に晒されてるなんて」
私は息を荒くしながら壱希にそう問いかける。壱希はどうしてこんなに冷静でいられるのか分からなかった。
「きっと人混みの中にいれば撃たれることはないよ」
「どうして?」
「犯罪だから」
「でも……」
「詳しくは栞に聞いてみなきゃ分からないけど、勿論あいつらは俺たちを始末したいに決まってる。でもそれならさっきよりもっと殺しやすいタイミングがあったはず」
「たしかにそうかも」
「だとすると、さっきのタイミングでしか狙えない理由が絶対あると思うんだ」
「つまり、私たちが人目につかないところにいる時じゃないと殺せない……?」
「あくまで推測に過ぎないけどね」
言いたいことは分かるけど、どうしてだろう。人々に見られるとまずいことでもあるのだろうか。皆感情を持っていないのに、何を気にしているのかさっぱり理解できなかった。
「屋上から探す作戦は危険かぁ」
「図書館とか行ってみる?」
「行ってどうするの?」
「PMOのこととかさ、色々調べられるかもしれないじゃん」
「たしかに。どうせ今は出来ること無いしな」
私たちは地域の小さな図書館ではなく、少し遠出して隣町の大きな方へ向かった。こちらでは電子化された数多くの新聞が何年も前まで遡って閲覧できるようになっていた。栞がPMOに連れ込まれた三年前付近の新聞を見漁れば何か手がかりとなる記事が見つかると思い、私たちは手分けして情報を集めることにした。気が遠くなりそうなほど大量に並べられた文字の羅列に私は早々参ってしまいそうだったが、壱希が隣で真剣な表情をして画面に向き合っているのを見て必死に自分を奮い立たせた。
「そっち、どんな感じ?楓」
一時間ほど経過したところで壱希が私に声を掛けた。それまで一言も交わしていなかったため反応が遅れてしまった。
「えと、まあ今のところ進展なしっていうか、」
「俺も」
「ごめん、私が言い出したのに」
「謝らないで。まだ何か見つけられる可能性はある」
「そうだね、もうちょっと探してみる」
私たちは再び画面と睨めっこを始めた。しかしどうも集中が途切れてしまい記事を読むスピードが落ちていた。
「私、ちょっと歩いてくる」
「分かった、誰もいないところには行かないようにね」
「うん」
この図書館は本当に広い。館内を全て歩こうとすると立ち止まらなくても三十分はかかってしまう。周りの人々はどんな本を読んでいるのかと気になったが、意外にもジャンルに偏りはなくどのコーナーにも数人立ち読みをしている人がいた。何を考えて本を読んでいるのだろうか、果たして彼らに知識はインプットされていくのだろうか。そんなことをぼんやり考えているうちに一階フロアを歩き終えていた。ふと人の数が減ってきていることに気づき慌てて中央の階段へ戻る。遠目で資料室の中に壱希が座っているのを確認して胸を撫で下ろした。
二階は一階と違ってこの街の歴史や地域の学校の史料などが数多く置かれていた。ふとその中に私の目を引く本を見つける。その表紙は思わず時間を忘れて見惚れてしまうほど美しい色が散りばめられていた。しかもその色は私の幼少期を彩るに相応しい色でもあった。
"天ノ川色"
深い青が一面に広がる空に白や赤、黄などの星々が浮かんでいて、でも景色だけでなく織姫と彦星の切ない恋慕も色に抽出したような色。当時の私はそんな風にこの色を表現したものだった。最早色として数えていいのか分からないが、今見てもやっぱりこの色が私の人生で出会った中で一番好きな色だ。
本を手に取ると『私たちの時雨川』と題されていた。時雨川が私たちの地元に唯一流れる河川だということは知っていた。しかし流れが急であり、昔から周りの大人にあの川には近づくなと言われ続けていた。だから私は通学路から時雨川を見ることはあっても干渉しないように生きてきたし、川遊びなども勿論しなかった。そういう特に思い出のない川、それが私にとっての時雨川なのだ。そんなわけで親しみを感じさせるようなタイトルに私はやや困惑していた。
それでも表紙をめくってみたくなったのはやはり滲み出る天ノ川色に強く惹き付けられたからだろう。私は夢中にその色を求めて頁を進めていった。しばらく読み進めると不意に彩度の高い天ノ川色が見開きいっぱいに塗りたくられたページが現れた。それまでとは比べものにならないほどの明るさに思わず目を瞑る。慣れてようやくまともに直視できるようになると、そのページだけ字のフォントが異なっていた。私は見開き一面を手でさする。
その瞬間、急に私の胸の奥がざわついた。この文字は一体何だろう。不規則に崩されたその文字は手書きで書かれたものとしか思えなかった。図書館に手書きの書籍など置いてあるはずがない。そもそもこんなに彩度の高い色をたかが地域の一史料のために刷るだろうか。大体、時雨川と天ノ川色に何の関係があるというのか。目の前の文章をずっと眺めていると、それは私に何かを訴えてかけているように見えてきた。そのくらいどこか必死な形相をしていたのだ。しかし昔ながらの繋がった文字で判読できない部分が多く、文法も昔のものが使われているようだったため、ひとまず壱希のところに戻ることにした。
「ただいま」
「あ、おかえり楓。何か手がかりあった?」
「いや、PMOに関しては何一つ」
「こっちも特に発見なしだった」
「そっかあ。そういえばちょっと気になる本があったの」
「これ?」
「うん、すごく綺麗な色が使われてるの」
「ほんとだ。『私たちの時雨川』……か。時雨川ってたしか俺たちの地域に唯一流れる川だったっけ」
「そうそう、私にとっては馴染みのある川じゃなかったから最初はピンと来なかったんだけどね」
「俺にとっても全然親しい川ではないな。というかあの川に特別な思い抱いている人なんているのかな」
「まあ関わり少なかったもんね」
「それでこの本がどうかしたの?」
「あ、そうそう。おかしなページがあって」
私は壱希に例の彩度が高く、謎の文章が書かれているページを見せた。
「うわ、眩しいな。なんだこれ」
そう言って壱希はしばらくそのページを見つめていた。
「まさかこれ直で手書き?」
「……うん、その可能性が高いと思う」
しかしそれ以上に何が書いてあるの方が大事だった。私は壱希がその文字を解読する中、ただ見ていることしか出来なかった。
しばらく経って壱希が口を開く。
「星の沢山出る夜に川が天ノ川に見える。川に入って手を伸ばせばきっと天に届くだろう」
「えっ?」
「って書いてある」
「あぁ。んー、どういうことだろ」
「天ノ川に見える。っていうのはきっと星が沢山出る夜はそれが反射して時雨川に映るから天ノ川に見えるって意味だと思うけど」
「手を伸ばせば天に届く。っていうのがね」
「うん」
お互い黙って考え込んだものの、専ら私は何一つその解釈を上手く噛み砕けないままだった。
「やっぱり理解にはもう少し時間をかかりそうだなあ」
「そうだよねぇ」
「今度時雨川に行ってみよう。そしたら何かヒントを得られるかもしれない」
「そうだね、後でこの本借りておこっか」
「でもどうして楓はこの本が目に止まったの?」
「なんか表紙がとっても綺麗で、思わず時間を忘れて見惚れちゃって」
「たしかに綺麗な色合いの表紙だね」
壱希はその表紙をじっくり見ていた。
「それ何色か分かる?」
「青紫?いや、違うか。何色とも言い難いな」
「それ天ノ川色っていうんだよね、勿論きちんと決められた正式な名称とかでは無いんだろうけど」
「たしかに天ノ川って言われたら納得行くかも」
この世にもう二度と生まれてこない特別なこの色を再び見ることができて幸せだった。でもふと思う。私の天ノ川色の絵の具はどこに行ってしまったのだろうと。いつ使ったかも何に使ったかも思い出せないのに、今私の手元にそれは無かった。その事実に気づいた時途端に寂しくなった。まるで愛するペットが失踪してしまったかのような。しかしすぐに天ノ川色はもう戻ってこないのだと悟る。強い執着があったはずなのに、何故かそれだけは現実として受け入れることができたのだった。
「あのね、私にとって天ノ川は特別な存在なんだ」
壱希は私の顔を覗き込んだ。
「小さい頃天ノ川色の絵の具を買ってもらったことがあってさ、多分それが私の腕の能力のきっかけになってるの」
「天ノ川色の絵の具かあ」
「今は全然残ってないけど、昔商店街があったでしょ?ちょっと脇道に逸れて奥に進むと画材屋さんがあって、そこで期間限定ものとして作られた色なの」
「そこはまだやってるの?」
「分かんない。けど店主結構歳いってたし、もうやってないかも」
「行ってみる?」
「ううん、今は大丈夫。また機会があったら行こ」
私は絵の具の聖地に出向くのが怖かった。あの幻のような空間、幻のような色。そこが無くなったと知ったら私の今までの記憶が本当に幻になってしまう気がした。腕の能力も、今並行世界で生きているという事実さえも。
「今日はこの辺で終わりにしよっか」
「うん、日が暮れたら怖いし」
こうして私たちは手がかりになるのかも分からないこの地域の言い伝えを唯一の収穫として持ち帰った。
その日の夜、六人で定例の電話を繋ぎ今日を振り返った。やはり他の四人も有益な情報は得られていないようだった。漠然と過ごすだけの日々を終わらせるためにPMOやこの世界のことを調査し始めたのに、早速出鼻を挫かれたような感覚に陥る。
電話が終わり、私たち二人は寝る準備に入った。今も変わらず私がベッドの上、壱希が床に布団を敷いて寝ている。消灯したら一切言葉は交わさない。これもまた並行世界に来てからの暗黙のルールのようになっていた。どれだけ話したいことが頭に浮かんできても、飲み込んで寝付くことに集中する。壱希は何も意図していないかもしれないが、私はその静寂を出来るだけ大切にしようと思っていた。
しかし今日は消灯したものの中々寝付けなかった。壱希も同じなのか布団の中でゴソゴソ動く音が下から聞こえてくる。
「……壱希?」
自分でもびっくりするくらいその言葉はすんなり出てきた。時間差で暗黙のルールを破ったことに対する罪悪感が湧いてくる。壱希からの返答は無かった。私の勘違いだったのかもしれない。壱希はただ寝返りをうっただけだったのだろう。むしろ聞かれなくて良かったとも思った。これからも壱希との間にそのルールは残り続ける。
変な期待に諦めがついたことで、もう寝ることにした。壱希を背にして壁の方を向き目を閉じようとする。その時だった。
「……楓、呼んだ?」
背後から壱希のか細い声が聞こえてくる。私は慌てて返事をした。
「あ、ごめん。起こしちゃったよね?」
「いや、大丈夫。俺も全然寝れなかったから」
「そっか」
壱希は今どんな表情をしているのだろう。本当は私の言葉で起きたのに、気を使ってくれているのではないか。それとも壱希はずっとこうして話したかったのだろうか。そんな不安が沈黙を埋めるようにいくつも頭をよぎった。
「どうしたの?」
「いや、特に用があった訳じゃないの。なんかいつにも増してお互い寝付き悪いなって思って」
壱希の軽い相槌が聞こえた。直後再び沈黙が訪れる。今日の壱希はいつになく言葉数が少ない気がした。何か言いたげな雰囲気も感じる。
「ねぇ、楓」
「何?」
「ちょっと歩かない?」
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