復讐のうた

 吉井一也ヨシイ カズヤは、田舎の村でひとり暮らしをしている中年男だ。

 年齢を考えれば、老人と呼んでもも差し支えないかもしれない。数年前に妻が病死し、都会を離れ田舎へと引っ越して来た。以来、ずっと田舎暮らしをしている。

 既に六十歳を過ぎているが、それでも体はよく動く。今も週三日、三キロほどの山道をジョギングしているほど元気である。体つきも引き締まっており、無駄な肉は付いておらず筋肉質だ。見た目だけなら、四十代だと言っても通じるだろう。

 そんな吉井の日課は、近所に住む子供に勉強や遊びを教えることであった。既に仕事をリタイアした身である彼にとって、子供たちとの触れ合いこそが唯一の生き甲斐である。



 その日も、吉井の家には近所の子供が来るはずであった。夕方から、勉強を教えることになっていたのである。終わったら、彼が家まで送り届けることになっていた。

 しかし、その日に家を訪れたのは別のものだった。


 吉井は異変を感じ、外に出て辺りを見回す。どうも妙だ。何かがおかしい。

 既に日は沈み、しんと静まりかえっている。普段なら、小動物の動く音や虫の声が聞こえてくるはずだった。ところが、今は何も聞こえてこないのだ。

 虫の声がしないということは、何か危険なものが潜んでいるからだ。吉井は、その場を離れ家の中に入ろうとした。

 次の瞬間、木の上から何者かが落ちてくる。黒い革のコート、肩まである髪。病的なまでに白い肌を持つその若者は、高い位置から落ちたにもかかわらず、平然とした顔で立っている。その瞳は、じっと彼を見つめていた。

 吉井は、村の人間を全て知っている。当然、こんな若者など知らない。それ以前に、こんな異常な行動を取る理由がわからない。吉井は、思わず後ずさりしていた。

 一方、若者はニヤリと笑った。不気味な笑顔だ。


「よう、三十年ぶりだな。俺の顔、忘れちまったのかい?」


 そう言うと、若者はゆっくりと近づいて行く。すると、吉井の顔が歪んだ。


「君は誰だ? なぜここに?」


 その問いには答えず、若者はずんずん近づいて行った。

 吉井の目の前に立ち、ニヤリと笑う。


「吉井さんよう……何で、あんな騒ぎを起こしたんだ?」


 だが、吉井は怯えた表情でかぶりを振る。実のところ、覚えはあった。若い頃、彼はそういう仕事をしていたのだ。

 しかし、ここはとぼけるしかない。


「な、何を言っているんだ? 私は、君なんか知らない」


 その途端、若者の表情が変わった。


「俺の名は有田海斗だ。思い出したか?」


「い、いや、知らない」


「知らないだと! ざけんじゃねえ!」


 怒鳴ると同時に、海斗の手が伸び吉井の手を掴んだ。

 直後、一瞬で握り潰す──

 悲鳴を上げる吉井。彼の右手の骨は、完全に砕けてしまっている。凄まじい怪力だ。

 しかし、海斗は容赦しない。さらに左手も掴む。


「吉井さん、あんた三十年前は崎村達也って名乗ってたな。食品会社の営業マンだ、とも言ってた。だが、全て嘘だったんだな。あんたは、二つのヤクザの間に戦争の火種を撒いた。俺の育った町を、目茶苦茶にしたんだ。とぼけるなら、こっちの手もへし折るぜ」


 言いながら、海斗は手に力を込める。すると、吉井は叫び声を上げた。


「やめてくれ! わ、私は──」


「崎村達也と名乗り、二つのヤクザの間に抗争の火種を撒いた。それに間違いないな?」


「そ、そうだぁ!」


 吉井は、涙を流しながら答える。その右手は、完全に砕けていた。左手はまだ動くようだが、それでも手の形は変形している。


「あんたは、俺の愛していた町にトラブルの種を撒き散らした。まずは、その理由を聞かせてくれよ。言わないなら、指を一本ずつへし折る」


「わかったよ! 言うからやめてくれ!」


 叫びながら、額を床に擦り付ける。吉井はこれまで、様々な訓練を受けてきた。銃器の扱いや格闘技、さらには交渉術も。だが目の前の者には、それらのスキルが一切役に立たないことを悟った。

 目の前にいる者は、人間ではないのだ。


「だったら、早く言え」


 海斗の言葉に気圧され、吉井は震えながら口を開いた。


「当時、私はある任務のために真幌市に送り込まれた。ヤクザたちを煽り、戦争をさせること。それが私の任務だったんだ」


「任務だと? どういう事だ?」


「あの頃、時代は変化していた。ヤクザが必要悪だった時代は、既に終わっていたんだ。そんな時、二つの暴力団が真幌市で抗争を始めた。そこで、公安の上層部は決断した。抗争を煽り、両団体を一気に弱体化させてしまおうと──」


「ざけんじゃねえよ! その結果、まったく関係のない二人の人間が死んだんだよ! その上層部とやらの思惑のせいでな!」


 言いながら、海斗は吉井の首を掴む。片手でグイと持ち上げた。

 吉井は必死でもがいたが、海斗は手を放さない。その瞳は、不気味に紅く光っていた。


「いいか、てめえはただじゃあ死なさねえ。両手両足を引きちぎってから殺してやる。徹底的に苦しめてやる。今日子の苦しみを思い知らせてやるぜ!」


 海斗はニタリと笑った。だが、その時に想定外の事態が起きる──


「な、何してるの?」


 不意に、後ろから声が聞こえてきた。

 海斗は、思わず舌打ちする。他の人間が来ていたのだ。まさか、ここまで接近されるまで気づかなかったとは。迂闊、としか言い様がない。

 だが自分の目的の邪魔になるようなら、誰であろうと殺す。残忍な表情を浮かべ、海斗は振り返った。

 しかし、そこに居たのは幼い女の子だった。明日菜と、同じくらいの年頃だろうか。


「お、お前は……」


 そう言ったきり、海斗の動きは止まった。手の力が抜け、吉井の体はどさりと床に落ちる。

 海斗は顔を歪め、訪問者を見つめる。髪は長く、いかにも女の子らしい印象を受ける。男の子のような雰囲気の明日菜とは、似ても似つかない。

 しかし海斗の脳裏には、明日菜の姿が浮かび上がっていた。

 それと同時に、彼女の言葉も思い出す。


(海斗は大きくなったら、何になるの?)


 今の自分に、なりたいものなど無い。しかし、なりたくないものは有る。

 その、なりたくないものとは……かつて自分を殺しかけたヤクザの庄野や、それに代表されるようなクズ共だ。無関係な人間を犠牲にしておきながら、振り返りもせずに進んで行く、そんな連中には死んでもなりたくない──

 さらに、明日菜のもうひとつの言葉も甦る。


(海斗はいつか、ライガーマスクみたいになれる……カッコいい正義のヒーローに。あたしは、そう思うの)


 思わず動きを止める海斗。その時、吉井が動いた。


「逃げろおぉ! 早く逃げるんだ!」


 叫びながら、砕けているはずの腕で海斗の足にしがみつく。すると、女の子は血相を変えて外に飛び出して行った。

 一方、海斗は顔を歪めながら、吉井の襟首を掴み引き寄せる。彼は息も絶え絶えになりながらも、必死の形相で声を出した。


「頼む。あの娘だけは助けてくれ……」


 その言葉を聞いた瞬間、海斗の胸に暗い感情が湧き上がった。あの時、彼も同じことを思ったのだ。しかし、彼女は助からなかった。無惨な死体へと変わってしまったのだ。

 その原因を作ったのは、吉井なのだ──


 しかし、海斗はその気持ちを押し殺し、声を絞り出す。


「忘れるな。お前のやらかしたことのせいで、全く無関係の人間が二人死んだんだよ。俺が心から愛した者たちが、無惨な姿で死んでいったんだ。俺は、お前だけは絶対に許さない。いいか……お前の体に、決して癒える事のない傷を残してやる! その傷を見る度に、てめえの罪を思い出せ!」


 叫ぶと同時に、海斗は吉井の膝を砕いた──




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る