殺戮のうた

 沢田組は現在、日本でも五本の指に入るほどの暴力団である。

 その沢田組の幹部である庄野政弘は、想定外の事態を前に困惑していた。


「おいおい、奴ら本気なのかねえ。まあ、それならそれで、こっちとしても願ったり叶ったりなんだがな」




 庄野の周囲では、ここ数日、立て続けに妙なことが起きている。

 まずは、沢田組の組員である浦川真が病院送りにされたのだ。両足をへし折られた挙げ句に気絶させられ、病院の前に放り出されていた。

 本人は誰にやられたのか分からないと言っている。いきなり後ろから首を絞められ、気がつくと両足を折られて病院の前に放り出されていた、と。浦川は使えない下っ端の組員ゆえ、死のうが生きようが組に大した影響はない。しかし、そのやり方は妙だ。ヤクザらしくない。

 少なくとも、自分なら浦川を相手に気絶などさせない。車でさらい、意識あるうちに両手両足をへし折って路上に放置するだろう。いや、それ以前に浦川など相手にさえしないだろうが。

 続いて、沢田組がケツ持ちをしている飲み屋が相次いで空き巣に入られ、現金を盗まれている。しかも、その手口が異様に荒っぽいのだ。閉店後、何者かがドアをバールか何かでこじ開けて中に侵入し、あるだけの現金を盗んだ挙げ句に店内を滅茶苦茶に破壊し立ち去る。中には、据え置き型の大型金庫を無理矢理こじ開けられた店まであるくらいだ。

 これまた、ヤクザらしからぬやり方である。普通、こんな回りくどいやり方はしない。

 そして今日になって、庄野の自宅に封筒が届いた。中には便箋が入っており、こんなことが書かれていた。


(いい加減、まだるっこしいことはやめましょうよ。さっさとケリつけましょうや。あと……あんたの彼女、いい味してましたよ)


 入っていたのは便箋だけではない。若い女が全裸でだらしなく眠りこけている写真、さらには真幌市の地図が同封されていた。

 地図のある一ヶ所には、印が付けられていた。さらに地図の裏面には、こんな文章も書かれていた──


(明後日の午前二時、印の場所で待ってます。ケリをつけましょう。もし来なければ、あなたの彼女は生まれて来た事を後悔することになります。また、あなたが尻尾を巻いて逃げたという噂を、あちこちに流しますよ。楽しく殺り合いましょうや)


 読み終えた庄野は、面倒くさそうに首を動かした。

 写真の女は、最近知り合ったばかりのキャバ嬢だ。大した関係でもない。本音を言うなら、どうなろうと庄野の知ったことではなかった。仮に死んだとしても、何のダメージもない。

 しかし、わざわざ場所を指定した上「楽しく殺り合いましょう」などと書いている。この点が、庄野の気持ちを動かした。いや、苛つかせたという方が正しいだろう。こちらとしては、全面戦争は望むところなのだ。こんなバカ女を人質にしなくては、自分が乗って来ないと思われたのだろうか。

 その思いが、庄野を不快にさせた。


「ふざけやがって……生まれてきたことを後悔するのは、てめえの方だ」


 低い声で、庄野は毒づいた。直後、手近な組員に連絡し集合をかける。その数、ざっと五十人だ。その全員に武器を持たせる。拳銃やショットガン、果ては手榴弾まで持ち出してきた者までいた。

 狭い事務所の中に二十人ほどの組員が集まり、庄野の指示を待っている。全員、どこか人として壊れてしまったような顔つきをしていた。中には、景気付けに覚醒剤でも射ってきたのか、目がギラついている者までいる。

 そんな組員たちを、庄野は冷酷な目で見渡した。


「おい平田、来るのは五十人だったと聞いてるぞ。残りは、どうしてるんだ?」


「はい。あとの連中は、外で待たせてあります」


 答える平田銀士は、冷静な顔つきであった。怯えている訳でも、興奮している訳でもない。あくまで平静な態度で、この戦争に臨もうとしている。まだ若い、少年といっていいような年齢なのに……他の組員たちとは、明らかに違う態度なのだ。こんな時にもかかわらず、庄野は目の前の少年に敬意すら感じていた。

 これほどの男を、喧嘩の兵隊として使うのはあまりにも惜しい。万が一、流れ弾にでも当たったらもったいない。

 平田には、まだ使い途がある。


「平田、お前は沢田の組長オヤジの所に行け」


「はい?」


 訝しげな表情を向ける平田。だが、庄野はなおも繰り返した。


「俺の言ってることが聞こえねえのか。さっさとオヤジの所に行け。万が一の場合は、お前が俺の代わりに兵隊を連れて来るんだ」


「わかりました」


 やや不満そうな表情を浮かべながらも、平田は事務所から出ていった。

 その後ろ姿を見送った後、庄野は皆に向かい口を開く。


「やる気のない奴は、俺がこの場で殺してやる。さあ、前へ出ろ」


 言うまでもなく、こんな言葉を聞かされて前に出る者などいない。

 すると、庄野はもっともらしい表情で頷いた。


「よし、お前ら全員、やる気はあるんだな。だったら付いて来い」


 そう言うと、庄野は外に出て行く。だが事務所を出た直後、強烈な違和感を覚えた。何かがおかしい。

 庄野は周囲を見回した。大勢の人間がいる。全員、自分の呼び集めた沢田組の組員だ。皆、思い思いの服装で庄野の指示を待っている。


 おかしい。


 首を捻り、もう一度あたりを見回す。

 何かがおかしいのだ。周囲の風景から、強烈に訴えかけてくる違和感……それを感じ取る事は出来る。しかし、違和感の根源がどこにあるのかわからない。何かが変だ、それは確信している。それが、具体的にどこかはわからないのだ。

 だが、庄野は車に乗り込んだ。ひょっとしたら、久しぶりの戦争ゆえに気持ちが高ぶっているのかもしれない……庄野はそう考えることにした。そもそも、考えるのは得意な方ではないのだ。仮に罠であったとしても構わない。むしろ、望むところである。




 庄野と子分たちは、地図に書かれていた場所にやって来た。そこにはかつて、工業地帯であった時代に造られた巨大な倉庫がある。もっとも、今では使い道もなく放置されたままになっているが。

 その倉庫の中には、士想会のヤクザたちがずらりと控えていた。


「よう、またせたな山田。そっちから戦争を仕掛けて来るとは、いい度胸じゃねえか」


 言いながら、庄野は倉庫の中にずかずか入って行った。子分たちも、彼の後に続く。

 巨大な倉庫の中は、百人近いヤクザで埋め尽くされた。一触即発の空気が、その場を支配する。

 だが、士想会のヤクザたちの中から、ひとりの男が前に進み出て来た。パンチパーマにブランド物のスーツを着て、首からは金のロザリオをぶら下げている。

 彼こそは士想会の幹部、山田恵司ヤマダ ケイジだ。


「おい、待てよ庄野。おかしいと思わねえのか?」


 山田の口調は、まるで庄野をなだめようとしているかのようだった。庄野は眉間に皺を寄せる。


「おかしいのは、てめえの格好だけで充分だ。なあ、あんなふざけた手紙を寄越しやがって──」


「俺はな、手紙なんか書いちゃいねえよ」


 山田の言葉に、庄野は口元を歪めた。


「この野郎、とぼけんじゃねえぞ!」


「とぼけちゃいねえよ。俺も呼び出されたんだ。お前からの手紙で、な。一応は手下を連れてきたがな、俺はここで戦争する気はねえよ。まずは話し合おう」


 顔をしかめながら、なおも言い続ける。

 一方、庄野は眉間に皺を寄せた。いくらなんでも、士想会の幹部ともあろう者が、こんなつまらない嘘を吐くだろうか。

 困惑し黙りこむ庄野に向かい、山田は喋り続けた。


「俺たちはハメられたんだよ。おめえは、手紙なんか寄越すような奴じゃねえのは分かってる。なあ、この人数で殺り合ったら、どっちも無事じゃ済まねえぞ。まずは、冷静になってくれ」


 その時、高らかな声が山田の言葉を遮った。


「やあ、皆さん。お集まりいただき、ありがとうございます」


 とぼけた声が、倉庫内に響き渡る。と同時に、扉からのっそりと現れた者がいた。

 それは、ひとりの若者であった。まだ四月になったばかりだというのに、上半身には何も着ていない。身に付けているものは、汚れた作業用ズボンだけだ。体つきは細身で、肌の色は病的なほど白かった。

 さらに、端正な顔には笑みを浮かべている。倉庫の煌々とした明かりの下で、大勢のヤクザたちの視線を浴びながらも、怯みもせずに立っていた。

 この男の顔に、庄野は見覚えがある。つい最近、会ったばかりではないか。


「有田……」


 低い声で言いながら、海斗を睨みつける。だが、彼の頭は混乱していた。確かに数日前、この男を徹底的に痛めつけたはずだ。死んでも不思議ではないほどに。

 しかし今、目の前にいる若者には傷ひとつ無い。醸し出している雰囲気も、明らかに違っている。ついこの間までは、人の顔色を窺っているだけのチンピラだった。ところが今は、大勢のヤクザの視線を真っ向から受け止めている。余裕すら感じさせる態度だ。


「有田、てめえ何が目的なんだ? 何で、こんな下らねえ事をした?」


 凄む庄野。だが、内心では不安を感じていた。何かがおかしい。先ほどから胸に渦巻いていた違和感は、どんどん大きくなってきているのだ。

 庄野はこれまで、数多くの修羅場を経験して来た。切った張ったは、彼にとって日常である。血みどろの殺し合いを生き延び、何人もの人間の命を奪ってきた。そんな人生の中で磨かれてきた勘が伝えている。

 目の前にいる若者は、普通ではない。


「庄野さん、初めはあんたひとりを殺そうかと思ってたんだよ。けど、そうしたら他のヤクザが送られて来るだけだ。それに、俺も完全に頭に来ちまったよ。悪いけどな、士想会ともども全員死んでもらう。そうすりゃ、この戦争も終わるだろうさ」


 海斗のその言葉に、双方の組員たちがざわめき出した。


「はあ? おい庄野、このガキはてめえの知り合いかよ? シャブの打ちすぎで狂ったのか?」


 山田が呆れたような表情で前に進み出て、拳銃を抜く。それでも、海斗は平然としていた。


「いいや、たぶん狂ってないと思うよ。もう一度言う……あんたら全員、死んでもらう」


 その時、庄野も拳銃を抜いた。

 銃口を海斗に向け、トリガーを引く。ありったけの弾丸を、海斗めがけ撃ち込んだ──

 数発の弾丸が、海斗の体に炸裂する。直後、仰向けに倒れた。

 その姿を見て、庄野は笑みを浮かべる。


「おやおや、あれは痛そうだなあ。すまないことをしたよ」


 聞こえよがしの冗談めいたセリフを吐き、ゲラゲラ笑う。だが、その笑顔はひきつっている。庄野は、自分でも認めたくないほど怯えていた。その得体の知れない恐怖を打ち消すため、真っ先に発砲したのだ。

 今、海斗は倒れた。銃弾を受け、いとも容易く。前に会った時と同じく、あっさりと倒してやった。

 今度こそ、あの世に送ってやったはずだ。

 しかし、居並ぶヤクザたちは誰も笑っていない。それどころか、驚愕の表情を浮かべている。

 いや、あれは驚愕ではない。

 恐怖だ──


 庄野は振り向いた。次の瞬間、その手から拳銃が落ちる。海斗は、何事も無かったかのような表情で立っていたのだ。

 彼の体から、撃ち込まれたはずの銃弾がひとりでに押し出されていく。ヤクザたちの見ている前で軽い金属音を立てながら、鉛の弾丸は次々と床に転がっていった。

 静まりかえった倉庫内に、カランコロンという間抜けな音が響き渡る──


「あんたは言ったよな……人間をやめた、と。だから、俺も人間をやめたんだ。あんたを殺すためにね」


 海斗はニヤリと笑った。その口から、鋭い犬歯が伸びる。さらに、指先には獣のような鉤爪が生えていた。


「お前ら全員、相応しい場所に送ってやる……地獄にな!」


 言うと同時に、海斗の目が紅く光る。

 直後、ヤクザたちに襲いかかった──


 一方的な殺戮であった。

 その場にいたのは全員、武装したヤクザだ。それなりに修羅場も潜っている。人を殺した経験のある者も少なくない。だが海斗の腕の一振りで、四~五人が一瞬にして肉片と化していく。

 成人男性の体が一撃で吹っ飛び、トマトのように潰れていく──

 しかし、ヤクザたちの方もやられっぱなしではいなかった。


「なめんじゃねえ!」


 やけになったのか、ひとりの男が喚きながら前に出た。海斗めがけ、ショットガンをぶっ放す──

 大量の散弾が、海斗の体を貫いた。

 しかし、海斗は止まらない。次の瞬間、何事もなかったかのように手を伸ばした。

 ヤクザの頭を無造作に掴み、一瞬でねじ切る──


「ば、化け物だぁ!」


 その瞬間、ヤクザたちの心を恐怖が支配した。皆、我先に倉庫から逃げようと動き出す。彼らは、原始的な恐怖を初めて体験したのだ。捕食者に対する、あるいは天敵に対する恐怖を。文明社会では無縁のはずだった恐怖。人間は現在、あらゆる動物たちの頂点にいるはずだった。

 しかし、目の前にいる怪物は違う。

 人間を食らう存在だ──


 我先に逃げようと、倉庫の扉に殺到するヤクザたち。だが、海斗は凄まじい速さで動いた。逃げ惑う男たちに、一瞬で追い付く。

 頭を握り潰し、鉤爪で胴を貫き、首を引きちぎり、体を弾き飛ばし、次々と肉片へと変えていく。

 そして……返り血で真っ赤に染まった顔を上げ、海斗は吠えた──


「庄野ぉぉ! どこだ! 出てこい!」




 その頃、庄野は倉庫からの脱出に成功していた。外に停めてある車まで、這うような体勢で近づいていく。

 だが、奇妙な声が聞こえた。


「自分だけ逃げる気?」


 その声を聞き、庄野は顔を上げる。

 目の前には、少女がいた。小学生から中学生くらいにしか見えない、小さく華奢な体だ。しかし、その目は紅く光っていた。


「あたしは、あんたらなんかに関わりたくなかったんだよ。あんたらが何人殺そうが、あたしの知ったことじゃない」


 見た目とかけ離れた落ち着いた声で言いながら、少女はゆっくりと近づいて来た。

 しかし、庄野は動くことが出来ない。蛇に睨まれた蛙のように、彼は四つん這いの状態で少女を見上げていた。


「けど、あんたは海斗を傷つけた。海斗をあんな目に遭わせた。あたしは、あんただけは許さない」


 その言葉の直後、少女の手が伸びる。

 次の瞬間、庄野の頭は握り潰された。






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