名もなき漢のうた

板倉恭司

プロローグ

「では、改めまして名刺など」


 そう言って、男は名刺を差し出してきた。その名刺を見ると、天田士郎アマダ シロウ フリーライターと印刷されている。

 高岡健太郎タカオカ ケンタロウは顔を上げ、目の前の男を見つめた。中肉中背、これといって特徴の無い平凡な顔立ちだ。着ている服も、地味な灰色のスーツである。人混みの中に入ったら、簡単に見失ってしまいそうだ。

 そもそもフリーライターという職業がどんなものなのか、高岡は知らない。しかし、この士郎という男は普通のサラリーマンと大差ないように思える。少なくとも、危険人物には見えない。だからこそ、喫茶店での取材に快く応じたのだ。

 しかし、それは大きな間違いであった。


「で、私にいったい何の用でしょうか?」


 高岡の言葉に、士郎は笑みを浮かべる。いかにも、いい人そうな雰囲気だ。


「いえね、あなたに是非お聞きしたいことがあるんですよ。あなた以外の人間には、知り得ないことなんです」


「私が、ですか?」


 訝しげな表情を浮かべたが、士郎はお構いなしに話を続ける。


「ええ、あなたでなくてはなりません。三十年前、この真幌市で起きた事件のことなんですよ。当時、あなたは十歳でしたよね」


 そう言って、士郎は高岡の目を見つめる。得体の知れない、奇妙な目付きだ。高岡は思わず、顔をひきつらせていた。


「三十年前の事件? いったい何のことでしょうか。私にはわからないです」


「いや、わからないはずはないんですよ。当時、日本でも指折りの広域指定暴力団であった士想会と沢田組。そのふたつの団体が抗争状態になり、挙げ句に多数の死者が出ました。有名な話じゃないですか。未だに、ネットでも話題になることがあるくらいですよ」


 士郎は、そこで言葉を止めた。またしても笑みを浮かべる。

 一方、高岡は顔を歪めていた。その事件は、今もはっきりと覚えている。いや、忘れられるはずがないのだ。士想会と沢田組は、どちらも真幌市に事務所を構えていた。しかし、末端の組員同士のつまらないイザコザがきっかけで、両組織は抗争状態へと突入した。

 両者の、血で血を洗うような抗争の末、日本でも最大の暴力団である銀星会が、仲裁に入り手打ちを行った。結果、抗争はようやく終結したのだ。

 その抗争を、まだ幼かった高岡は間近で見ている──


 やや間を置いて、士郎は再び口を開いた。


「この話、どうも妙なんですよね。そうは思いませんか?」


「いえ、私にはわかりませんね」


 高岡はかぶりを振った。すると、士郎は口元を歪める。


「抗争の終結、その直接のきっかけになったのは、両団体の末端の組員同士が町外れの巨大な倉庫に集まり、派手に殺り合った事件なんですよね。銃声が派手に鳴り響き、死者が百人近く出たとか。当時は、海外のマスコミまで取材に来たそうですね。三十年たった今でも、反社会的勢力の間では語り草になっているとも聞きました」


「お、恐ろしい話ですよね。でも、私とは何の関係もありませんよ」


 ひきつった笑みを浮かべながら、高岡は口を挟んだ。ところが、士郎は言話を続ける。


「まあ待ってくださいよ。俺の調べた情報では、死者のうち五十人以上が体をバラバラにされていたそうなんですよ。首をちぎられていたり、胴体を真っぷたつにされたり……銃で武装したヤクザをそんな風に殺せるのは、地球上で最大の肉食獣である北極熊くらいなもんでしょう。人間には、絶対に不可能ですよ」


「で、でも、警察はヤクザの抗争により、全員が相討ちのような形になったと発表していましたが──」


「有り得ない話ですね。警察としても、手っ取り早く事件の捜査を終わらすために、そんな発表をしたんでしょう。ですが、それは嘘です。地球に降り立ったエイリアンの犯行だ、という方がまだ信憑性がありますよ」


 そう言って、士郎は笑って見せた。だが、彼の目は笑っていない。むしろ、冷たい光を帯びている。


「そして高岡さん……現在、あなたが代表を務められている児童養護施設『ちびっこの家』なんですが、当時は抗争の真っ只中にありましたよね。事件のあった場所も近い。あなたも、その施設の出身ですから覚えているはずですが──」


「ちょっと、いい加減にしてくれませんかねえ」


 低く、押し殺した声。高岡の表情が変わっていた。士郎を見る目には、殺気のようなものすら感じられる。

 だが士郎は平然とした表情で、その視線を受け止めた。


「おやおや、どうかしたんですか?」


「あの事件と私らとは、何の関係も無いんですよ。話せることはありません。話す気もありません。申し訳ないですが、帰らせてもらいます」


 そう言うと、高岡は憤然とした様子で席を立つ。そのまま立ち去ろうとした。

 だが、その背中に士郎の言葉が放たれる。


「いいんですか? あなたがこのまま帰ったら……俺は色んなことを、あちこちでベラベラ喋りますよ。そうしたら、非常に困ったことになるんじゃないですかねえ」


 士郎の言葉を聞き、高岡の動きが止まった。怪訝そうな表情を浮かべて振り返る。


「はい? いったい何を喋ると言うんです?」


 尋ねると、士郎はニヤリと笑う。


「お宅の施設にいる子供たちですが、訳ありの子も少なくないですよねえ。万引き、喧嘩、薬物、放火、売春などなど。まるで、犯罪者の見本市みたいですな」


 士郎のその言葉を聞いた瞬間、高岡の表情が変わった。凄まじい形相で睨み付ける。


「あんた、いったい何を言ってるんだ?」


「いえね、そんな犯罪の記録が、顔写真つきでネットで拡散されたらどうなります? 子供たちは、とっても困りますよねえ」


 そう言うと、士郎はすました表情で高岡を見つめる。今では、先ほどまでの平凡な一般人の仮面が剥がれ落ちていた。代わりに、したたかなアウトローの素顔が露になっている。

 一方、高岡は顔を歪めながら席に戻った。士郎をじろりと睨み付ける。こちらも、先ほどまでの温厚そうな表情が消え失せている。


「私を怒らせるなよ。大変なことになるからな。これは脅しじゃない」


 低い声で凄む。だが、士郎には怯む様子がない。飄々とした態度で、高岡の怒りに満ちた視線を受け止める。


「ほう、そんなこと言いますか。慈愛に満ちた院長先生らしからぬ態度ですね。まあ、その言葉から察するに、俺の推理は当たっているようですね」


「何を言って──」


「高岡さん、正直に言いましょう。俺はあなたの施設にいる少年少女たちの過去など、どうでもいいんです。また、少年たちの未来がどうなろうと、知ったことじゃありません。あなたは、あの事件に関する重要な情報を知っているのではないかと俺は思っています。知っていることさえ教えてくれれば、さっさと引き上げますよ。ですから、教えていただけませんかね?」


 そう言って、士郎は高岡の目を見つめる。その表情は、また変化していた。今度は、愛嬌さえ感じさせる惚けた表情だ。しかし、その目の奥には危険な光がある。

 この天田士郎という男は、目的のためなら何でもやるタイプの人間だ。高岡は、これまで多くの人間と接してきた。人を見る目には自信がある。その目が、士郎は危険な人間だと言っている。

 ややあって、高岡は神妙な面持ちで口を開いた。


「では逆に聞きます。あなたは、私の話すことを信じてくれますか? どんなにバカバカしく聞こえるような話であったとしても、です」


「それは、どうでしょうかね。まあ、話していただかない事には何とも言えませんよ。ただ、俺は人を見る目はあるつもりです。あなたが必要の無い限り、嘘を吐かない人であるのは分かりますよ」


 すました顔の士郎を、険しい表情で睨む高岡。だが、その表情はすぐに崩れる。負けたよ、とでも言いたげな様子だ。

 溜息をつき、語り始めた。






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