第3章 箱根八里
第21話 マイ・クラフト
駐車場に出ると、まだいくらか朝靄が残っている。宿泊したホテルは箱根の山間にあり、標高で言えば地元の函館山よりもずっと高いのだ。
この日は箱根観光の予定になっている。複数のコースがあり、班ごとに事前に選択したコースを回る形だ。もちろん、仲の良い班同士で示し合わせて同じコースを選択することもあるが、暁人たちあまりもの班には無縁な話だ。
班長の暁人は、配布された資料を眺めた。
暁人たちは、午前に箱根クラフトハウスや美術館を回る『芸術体験コース』、午後に芦ノ湖のスワンボートや、少し移動して三島スカイウォークでのアクティビティを楽しむ『アウトドアコース』を選択していた。コース選択は、3日目に希望の場所を回れない莉央の意見が反映されている。
楽しそうなコースだ。何も考えずに楽しめるならば、だが。
「浅倉くん、お待たせしました!」
声がしたので振り返ると学校指定のスポーティなジャージに着替えた班員たちが、ロビーから出て来るところだった。
「班長~、ボク達に会えなくて寂しかったか~?」
「そのテンションどうしたお前……」
ロコがやたらと上機嫌で、にやにやしながら小突いてくる。
「今朝の朝食が美味しかったからだそうです」
「お手軽な人生だな……」
何事もコスパが良いに越したことはないので、悪いことではないが。
暁人はさりげなく莉央に視線を送る。彼女もそれに気づいて小さく頷いていた。羽友でもない静乃に必要以上に手伝わせるのはちょっと心が引けていたが、莉央は別だ。
白羽エルナの容疑者は、残り2人。
加納浩子か、藤崎麗か。
彼女たちのどちらかがエルナだというなら、昨日の夜に幽蘭堂クロハの配信にディスコードで凸をしているはずだ。この辺を材料に手がかりを見つけられれば良いんだが。
もちろん、その上できっちり修学旅行も楽しむ。班の中にエルナがいるならなおさらだ。あれだけ楽しみにしていた彼女に、退屈な1日を過ごしてもらうわけにはいかない。
駐車場で待ってると、芸術体験コースを回る班がちらほらおり、そこにバスがやってくる。
「ロコ、ちゃんと酔い止め飲んだか?」
「昨日班長が買ってくれたやつだろ? もちろん持ったし飲んだよ! あれ、すっごい効くね!」
胸を張って自前のポーチを突き出す保健委員。
「まぁ、行きの飛行機でCAさんに聞いたやつだけどな……。なんで自分で用意してないんだよ」
「いやぁ、ボクも自分があんなに乗り物に弱いとは思わなかったから……」
全員でバスに乗り込み、かくして2日目の箱根観光が始まった。
箱根クラフトハウスは、様々な工芸品の制作体験ができる施設だ。ガラス工芸から陶芸、アクセサリー作りと、できることは幅広い。あまりもの班が体験しているのは、素焼きのマグカップやプレートに絵を描き入れるポタリーペインティングだ。
暁人はガラス工芸の切り子に挑戦したかったのだが、危ないのでやめることになった。カッティングの途中でロコの指が吹っ飛びかねない。
「正直、飛鳥馬はどっちだと思ってるんだよ」
暁人と莉央は横並びになって、素焼きの生地に絵を描き込んでいく。
正面の机で、ロコや麗が真剣な表情でやはり作業に没頭していた。
ちらと覗き込むと、さすがに神絵師なだけあってマグカップへの描き込みも芸術的だった。昨日の鎌倉大仏が精密に描かれており、その正面に白い羽を広げた天使がポーズを決めている。暁人たちの背後では、体験教室の講師が口元を押さえて驚愕していた。
「アタシは、藤崎だと思う。加納はどんくさすぎる。運動神経も死んでるだろアイツ」
まぁ、ロコの運動神経が悪いのは薄々察している。決定的な場面に出くわしたわけではないが、体力も無い。
だが、
「でも、それならロコの方じゃないか? えるーなのRFA配信、かなりバテバテだったぞ」
一時期、Vtuberの間でブームになったフィットネスゲームの名前を挙げる。だが、莉央はかぶりを振った。
「あれ、かなり前だろ。最近RFAやってる奴は箱内でいない。流行りが過ぎたってのもそうだけどよ、たぶん所属ライバーの運動神経と体力、めっちゃ上がってんじゃねぇかな。でなきゃ長時間の3D配信とかできねぇだろ?」
「まぁ、そうか。フェスでは歌ったり踊ったりするしなぁ」
「去年のフェスでのエルナの体幹はなかなかだったぜ。なんか格闘技始めたって言ってたけど、結構ガチだな」
神絵師としての視点を期待していたのたのだが、どちらかと言えば空手の知識の方が役に立っているようだ。
格闘技か。確かにそういう視点で考えれば、ロコに何度かキレイに拳を突き込んでいる麗の方が意識には残る。
考えていると、莉央が急に立ち上がった。
「よし、できた。なんだ、班長はまだそんなもんか」
「お前が早過ぎるの」
暁人が書いているのは、エルナのファンマークである白い羽だった。それだけでは寂しいので、意味のない線や渦巻き模様など、適当な模様をつけて誤魔化している。莉央の作品と並べられると、正直かなり恥ずかしい出来になるだろう。
莉央は施設の講師に出来上がったマグカップの生地を渡すと、ロコや麗の方へと歩いていく。
受け取った講師は、恐るべき天才の出現にそれを叩き割りたい欲求を必死に抑えているようだったが、最終的には美しい作品を割ることができないという芸術家のサガが勝ったようで、涙を流しながらそれを運んで行った。きっと莉央はこうして今まで何人もの人生を破壊にしてきたんだろうな、と思う。
「ふんふん、おー。なかなか上手いじゃねぇか」
「……おまえに褒められるの、なんかヤダ」
莉央はこういう時には軽口でもお世辞は言わないタイプなので、彼女目線から見て「なかなか上手い」は真実なのだろう。暁人も彼女らが何を描いているのか気になり、席を立った。
「ノセさんは何描いてるの?」
「えっ、先に私?」
びっくりしたように上体を起こす静乃。
万事如才なくこなすイメージのある彼女だが、こうした作業はそこまで得意ではないらしく、マグカップの生地には謎の生物が描かれ、その周囲には餃子が飛び交っていた。
「かわいい餃子だね」
「ぎょ、餃子!? どれのこと言ってます!?」
餃子ではなかったらしい。
もうひとり、麗の方はと見てみると、彼女はあまり描いたものを見せたくないようで、小さな身体でマグカップを隠そうとしている。
暁人は、マグカップの側面を隠しながら黙々と作業を続ける麗に問いかける。
「藤崎は何を描いてるんだ?」
『あなたに言う必要はありません。潰しますよ』
麗は言葉を吹き込むことすらせず、スマホを2、3回操作するだけでその返事をしてきた。事前に色々言われるのは想定済みだったのだろう。
まぁ、描いているものがエルナ探しのヒントに繋がるとはあまり思えない。さすがにそこまで迂闊ではないだろう。
「加納、悪くねぇけどデッサン崩れてるぞ。そこは……」
「加納って呼ぶな! いいんだよボクは上手く描かなくても! 楽しければ!」
「? 上手く描けた方が楽しくねぇか?」
「うわぁ! 人の心がわからないやつ!!」
隣では莉央とロコの愉快な言い争い。
暁人が席に戻ると、しばらくしてから莉央も戻ってきた。ロコに色々言うのは諦めたようだ。
「なぁ班長」
「ん?」
作業に戻った暁人に、莉央が声をかけてきた。
「加納もちょっと怪しくなってきた」
「え?」
「いや、あいつの描いてた絵がよ」
そう言いながら、莉央は下書き用の鉛筆でシートにすらすらと絵を描いていく。おそらく、ロコのペインティングの寸分違わぬ模写であろうそれは、両手を合わせて祈るようなポーズをとった天使が、真横から描き出されていた。ちょっと昔の少女漫画っぽい絵柄だ。確かにまぁまぁ上手い。莉央に比べると雲泥の差だが。
「どう思うよ?」
「ん-。これがエルナだって? そうっぽいと言えばそうっぽいけど、違うと言えば違う気もする」
それに、エルナ本人がエルナの絵を描くだろうか。いや、基本的にVtuberは自分のイラストは大好きなはずだから、そういう意味では世界にただひとつのマグカップに自筆で自画像を描き込むというのは考えられない話ではない。個人勢時代からアクキーを作って販売するような子だ。
ただ、この一目につく場所で描くというのは、さすがに迂闊が過ぎるような気もする。
……いや、でもロコだしなぁ。
「普通だったらやらないだろう」が、ロコが容疑者であることで視野に入ってくのが、エルナ探しの難易度を上げている気もする。
「うーん。決定的な証拠ではないしなぁ」
結局、「疑わしい状況」であるのは変わらない感じがする。このくらいの理由が積み重なって決定的なものになるかと言われれば、そうでもない。
「よし、決定的な証拠がありゃ良いんだな」
「どうするつもり?」
「昼飯食ったら、芦ノ湖でスワンボートだろ? アタシと加納で同じボートに乗る。動かぬ証拠を掴んでやるぜ」
「………」
きらきらした笑顔でそう語る莉央に、暁人は言いしれぬ不安を覚える。
暁人はとある有名な論理パズルを思い出した。家族で川を渡ろうとしているが、ボートの定員は2人。特定の誰かと誰かを2人っきりにすると、片方が殺されてしまうというやつだ。
「……別に良いけど、俺かノセさんも一緒に乗るからな」
「? ああ、そりゃ構わねぇけどよ」
莉央は、自分がどう見られているのか、まったくわかっていないようだった。
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