この中にひとり、推しがいる

ぶりきば(非公式)

プロローグ 歯車の回り出した日

 その日、すべての歯車が噛み合った。


 これまで踏み出せなかった一歩。やりたくても諦めていたこと。それらがすべて、仮想の肉体を経て現実のものになっていくような感覚。

 今の自分なら、なんでもできるという全能感。いつしか失っていたそれを、彼女は間違いなく手に入れていた。


 後から振り返れば、それは結局勘違いだった。


 現実の壁は、仮想の肉体ですり抜けられるものではなく、今までとは違う挫折を幾つも味わうことになる。

 それでも彼女は将来、この生き方を後悔することはない。


 喉の調子を整え、初めて、世界の扉を開いた。

 クリックの音が世界を変える瞬間だった。


「天界からこんにちは! 天使見習い兼天界中学生、白羽エルナです!」




『天界からこんにちは! 天使見習い兼天界中学生、白羽エルナです!』


 その日、すべての歯車が噛み合った。


 仲の良かった友人たちと離れ離れになり、新たに踏み出した新天地で、彼は失敗した。すべてが嫌になって、世の中がくだらなく見えてしまった。生まれて初めて学校をサボり、仕事で親が留守にしている家にひとり残って、だらだらと過ごした。


 彼女との出会いは、その日の夕方のこと。


 なぜそのチャンネルが表示されたのかはわからない。視聴者数は2桁に満たず、登録者数は2人だった。


 画面の中で、元気いっぱいに叫ぶ少女の姿。


 後から振り返れば、そうとう声を張って無茶をしていたのだとわかる。

 だが、だからこそだったのかもしれない。初めての配信で、懸命に戦おうとする彼女の姿に、彼はいくらかの勇気をもらったのだ。




 その日、すべての歯車が噛み合った。


 少年はその日から、少女のファンになった。彼女からもらった勇気を糧に一歩を踏み出し、そして再び陽のもとを歩くようになってからも、彼女を推し続ける心は変わらなかった。

 現実でまみえることも、触れ合うことも決してない、仮想現実の中の存在。抱いた憧れが本物なのだから、それで構わないと思っていた。


 思っていたのだが。


「(なんでこんなことになってるんだ……)」


 彼は、空き教室の中で頭を抱えていた。


 空き教室には、彼の他に4人の生徒がいる。


「……チッ。かったりぃ」


 目つきとガラの悪い金髪ヤンキー娘。


「だいたい修学旅行の班決めってなんだよ。結局、校外学習でも自分は群れなきゃやっていけませんって証明するだけなんだが? いや、別にクラスであまりものになったことをひがんでるんじゃないぞ? ボクは当たり前になってるルールの……」


 口を開けば文句ばかりが飛び出す陰キャ娘。


『静かにしてください。耳障りなことを喋り続けるなら、苦痛を与えますよ』


 翻訳アプリで会話をする無口なゴスロリ娘。


「いやぁ~、今日もみんな仲良くなれなさそうですねぇ……」


 そして、その3人の様子を眺めながら、ニコニコ笑っている身長180センチ越えの長身娘がいた。


 修学旅行のあまりもの班。彼は、各クラスの班決めであぶれた問題児たちの集まる精鋭あまりもの部隊の一員に任命されていた。打ち上げのカラオケボックスで、誰も取らずに余ったおかずを寄せ集めた豪華あまりものプレート。この教室はまさにそれだ。


 でもそんなことはどうでも良い。


 推しに勇気をもらったあの日から、彼はどんな人生でも前向きに楽しむと決めたのだから。


 問題は、


「(そう、問題は――)」


 どうやら、このあまりもの班の中に、“彼女”がいるらしいということ。


 この中にひとり、推しがいるということだった。

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