第23話幸せな人生

 

「もう一つお願いがあるの。私が死んだとしてもグレアには理由を話さないでいもらえないかしら? もし聞かれたとしても、誤魔化してほしいの。たとえあの子のせいじゃないとしても、私の状況から自分が悪いんだと思い悩んでしまうかもしれないから。私が死ぬのは私のせいで、私の人生。その責任を、あの子に負わせたくはないの」

「ですが、仮に問われたらどうすればよいのでしょうか? もし問われて事実を伝えないとなれば、それは嘘をつくことになります。嘘をつくのは悪いことではありませんか?」


 何も聞かれないまま話さないというのであれば、嘘にはならない。だが、事実はどうなのだと聞かれて誤魔化すというのであれば、それは嘘を吐くことになる。

 人間としての生活をすることで人間らしい幸せを目指しているヴィーレとしては、人間の生活において悪とされている行動をとることはない。どんな時でも法律やモラルやマナーを守ってきた。

 だから今回も、〝嘘を吐いてほしい〟という願いを聞いて素直に頷くことは出来なかった。


 しかし、そんなヴィーレの考えは、ある意味では〝人間らしくない〟と言える。

 人間らしさを求めて人間として正しい生活を心がけているヴィーレが人間らしくないというのは何という皮肉か。


「あなたは……いえ、そうね。確かに嘘をつくことは悪い事よ。でも、真実だけを言っていればみんなが幸せになれるというわけでもないのよ。時には嘘をついた方がみんなが幸せになれることだってあるの」


 ヴィーレの言葉にどんな感情を抱いたのか、セリアはどこか憐れむように眉を寄せてヴィーレのことを見ると、ゆっくりと首を左右に振ってからそう話した。


「嘘をついた方が幸せに……?」


 そんなセリアの話を聞いたヴィーレは、またも彼女にしては珍しく眉を顰め、考え込む様子を見せた。

 だがヴィーレがそうなってしまったのも仕方ない事だろう。今まで人間として悪いことをしていれば幸せにはなれないと考えて行動してきた。それは自身にとっても、相手にとってもそうで、悪を行ってはいけないというのはヴィーレの中で絶対の方針だったのだ。


 だが今、悪を為すことが幸せにつながると聞かされたのだから、混乱しないわけがない。


「グレアも、いつかは真実を知って傷つくかもしれない。そうなったら結果的にはいつ知ろうと変わらないと思うかもしれないわ。けれど、何事にもタイミングというものがあるのよ。今私が死んで、その理由をグレアが知れば、きっとあの子は大会に身が入らないでしょうし、その後の生活も何の問題もなくとはいかないと思うわ。だから、グレアが真実を知るのは、あの子の生活が落ち着いて、受け入れることができる状態になってからでいいのよ」


 そう諭されても、ヴィーレはまだ本当の意味でセリアの言う〝嘘を吐くことで幸せになる〟ということが理解できない。だからヴィーレは、今まで通り正しい人生を送ろうとセリアの頼みを拒絶しようとした。


「……承知いたしました。それがグレアのためになるのかは判断が付きませんが、少なくともあなたは幸せになるようですので、私は嘘をつくことにします」


 だがヴィーレは自身を見つめているセリアの目を見て、考えとは裏腹に自然と了承する旨の言葉が出てきたのだった。


「ありがとう」


 そんなヴィーレに向かってセリアは優しく微笑むと、肩の荷が下りたというように安堵した表情を浮かべた。そして、目を閉じて一つ深呼吸をすると、再び眼を開けてヴィーレのことを見つめた。


「あなたはまだ生まれたばかりの子供みたいね。これから色々なことを知って、いろいろなことを考えていと思うわ。その中には、きっと受け入れたくない事実や状況というものがあるでしょう。けれど、それでも全てを諦めたりはしないでね。悲しい事や苦しいこと以上に、楽しいことやあなたが幸せだと思えることがきっとあるはずだから」


 幸せになれる。そう言われたが、その言葉を受けてヴィーレは、自身も気づかないうちに膝の上に置いていた手をぎゅっと握っていた。


 幸せになりたい、ならなくてはと思って行動してきたヴィーレだが、未だに〝幸せ〟というのは何なのか理解できていない。だから幸せになれると言われてもその姿を想像することができなかった。

 だから、つい問いかけてしまった。


「幸せ、ですか……幸せとは、なんなのでしょうか。お父様から『幸せになれ』と言われたのですが、なにをもって幸せと定義するのか、私にはわからないのです。貴方の人生は幸せなものでしたか?」


 〝自分は幸せだったのか〟。そう問われたセリアはこれまでを思い出すように目を閉じた。そして、時間にして一分ほどだろうか。セリアはゆっくりと目を開けて、笑う。


「――ええ。私は幸せよ」


 はっきりと告げられたセリアの答え。だがヴィーレにはそう感じるに至った考えが理解できなかったため、笑みを浮かべているセリアに皿に問いかけた。


「ですが、グレアから聞いた限りの話では貴族の家から追い出されたのではありませんか? 母親のみで父親はおらず、家を追い出されることとなった理由は子息であるグレアの願いに巻き込まれた形です。この場所も一般家庭に比べればよい環境であると言えますが、それでも貴族の邸宅よりは劣っている環境と言えるでしょう。貴方が死んでしまう理由も、グレアの願いやこの環境にあります。であれば、それは不幸な出来事だと言えるのではないでしょうか?」


 普段のヴィーレであればここまで踏み込んだことは聞かなかっただろう。そうですか、の一言だけで終わっていたはずだ。

 だが、今は自身が手に入れなくてはならない〝幸せ〟というものの正体を知ることができるのかもしれないとあって、行動に抑えが利かなくなっていた。


 そんなある意味失礼な問いかけでも、セリアは怒ることなくゆっくりと話し始めた。


「確かに、起こった出来事だけを言葉にすれば、私は不幸な人生だったのかもしれないわ。でもね、人生なんてものは言葉だけでは言い表せないものなのよ。起こった出来事だけではなく、そこに込められた思いやそこに至るまでの葛藤なんかの、そういった全てをひっくるめての人生だから」


 セリアの人生を箇条書きにした場合、総合的に考えればきっと不幸なのだろう。そう言ってしまえるだけの状況が揃っていた。


 だが、それは他人だからこその答えであって、当人であるセリアからしてみれば答えが変わる。


「では、あなたはなにをもって自分は『幸せ』だったと判断したのでしょうか?」

「そうね……不幸もあったけれど、これまでの人生を振り返ってみれば、不幸だった以上に幸せだった時のことを思い出すことができるわ。だからきっと、私は幸せな人生だったのよ」


 そう言うと、セリアは本当に満足そうに笑みを浮かべた。


「こう言えるのも、自分が死に際にいるってことを理解しているからなんでしょうね。努力次第で助かるかもしれない状況だったら、きっとこうは思わないで必死に足掻いていたでしょうね」


 そんなセリアの言葉を聞いて、ヴィーレは悩むように眉を寄せながら黙り込み、徐に口を開いた。


「つまり、〝自分の死に方に満足できれば、それは幸せな人生だった〟ということでしょうか?」

「そうね。そうとも言えるかもしれないわね。でも、幸せなんてそんな言葉で定義できるようなものじゃないわ、きっと」


 きっとヴィーレの言葉は間違ってはいないのだろう。だが、おそらく正しくもない。セリアが答えたように、人生とは、幸せとはそんな言葉で表すことができるような単純なものではないのだから。


「あなたが何を思って幸せを感じるかはわからない。けれど、いつかきっとあなたの満足がいく答えを出すことができるわ。だってあなたはいい子だもの」


 そう言ってセリアは、まるで母親が子供に向けるように優しくヴィーレに微笑みかけた。


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