第2話少女の終わりとはじまり

 

 ――◆◇◆◇――


 とある屋敷。街から随分と離れたその場所に建つ少しばかり汚れの目立つその屋敷の外には、何人もの武装した集団が列を成している。

 武装しているものの、全体的に豪奢な身だしなみをした者が多く列の中にある荷馬車でさえきれいに飾り付けられている。だが同時にどこか暗い雰囲気も感じられる。それはまるで……葬列のように。


「ミムス殿。居られますか?」

「なんだ。私は忙しいのだが……」


 列を成す集団の中から、一際豪華な装いをした女性が屋敷の扉を叩きながら呼びかけるが、中から返事は帰ってくる事はなく、代わりに扉の横についていた金属の管から声が響いた。


「教会よりやって参りました。御息女をお連れしました」


 女性がそう言うと、管から何かを割るような音や、何かをぶつけるような音が響く。

 意外にも大きく響いたその音を間近で聞いた女性は顔をしかめたが、すぐに表情を元に戻した。


「ヴィーレ! ヴィーレが帰ってきたのか!?」


 女性が待っていると、玄関の奥からバタバタと誰から駆け寄ってくる音が聞こえ、扉が開かれると同時に中から出てきた男性からそう言って詰め寄られた。

 出てきた男性こそが、先ほど女性が呼びかけたこの屋形の主人であるミムスだった。


「ヴィーレ様は、この度聖女としてのお役目を終えられました。以降はミムス殿の家族には優遇措置がなされる事になります」

「そのような事はどうでも良い! そんなことよりも、娘はどこだ!」


 自身の話を聞こうとしない男性に対して不快な感情を抱いた女性だが、それを自身の内に押し込めて話を続ける。


「……こちらになります」


 そう言って横にズレた女性の後ろには確かに若い女性が居た。


 その手足を植物の根が絡みつく様な形へと変質させ、瞬き一つする事のない人形のような状態で車椅子に座って、ではあったが。


「なっ!? こ、これが……これが娘だというのか」

「はい。ヴィーレ様は奇跡の使用によって、今のお姿へと変じました」


『奇跡』──それは神が齎らした人々を救う転生の術。


 だが、それは言ってしまえば世界樹のやっていた事の縮小版である。

 この世界を支えていた神とさえ言える世界樹。そんな世界樹でさえ耐え切る事のできなかった魂の浄化。そんなものを人がどうにか出来るはずがなかった。


 結果、『聖人』『聖女』は奇跡を使うほどに自身の魂を闇に蝕まれ、最後は『聖人』達自身の魂の形に合わせた姿で異形化する。


 この少女──ヴィーレの様に。


「はなしが……話が違うぞ! ふざけるな! 限界まで奇跡を使わせればこうなる事はわかっていたはずだ! 異変を感じたらすぐに役目を終えて帰すと言っていたのは、あれは嘘だったのか!!」


 そばで父親が怒りをあらわにしているというのに、ヴィーレと呼ばれた少女は何の反応も示さない。


「我々とて、止めたのです。ですが、その時強力な魔物が現れ多くの者が死にました。そのまま放っておけばその者らは屍人となり魔物と戦っている者を襲います。それを防ぐために、ヴィーレ様は我々の静止を振り切って限界を超えて……」


 女性から悲しげに語られる娘の最期。

 未だ娘は生きているが、異形化してしまった以上は戻す術などなく、それは人としての死と同義だった。


 ミムスはその場に力なくへたり込んでしまう。


 沢山の人を救うのだと、みんなが笑っている方がいいのだと言って、聖女となるべく笑顔で家を出ていった娘。


 いつか役目を終えて帰ってきたら、今度は父の仕事を手伝って人を助けるのだと言っていた娘。


 ──だが、そんな娘の笑顔は失われ、未来さえも失われた。


 彼女が笑う事は、二度とない。


「申し訳ありませんでした。また後日、改めて遣いの者が参ります」


 女性はそれだけ言うと、配下の者を引き連れて去っていった。


「……あ、ああ……ああああ。……うわああああああああ!!」


 そして、その場に残ったのは自我をなくしその身を植物へと変質させた少女と、それを嘆く一人の男性だけだった。


 ——◆◇◆◇——


 人里から外れた位置に存在する大きな屋敷。街から外れた場所に位置するにしては汚れの類がほとんど見当たらない。だが、これだけの屋敷を手入れするにはそれなりに人数が必要なはずであるが、屋敷からは人の気配が全くと言って良いほど感じられなかった。


「お父様、おはようございます」


 そう言ったのは、まるで人形のように整った美しさを持つ少女。艶やかな金の髪に透き通るような青い瞳。傷一つない白くほんのりと赤みの混じった、水さえも弾きそうな滑らかな肌。だが、その美しさを損なうかのように少女の表情は己の感情というものをなにも表してはいない。


 それもそのはず、少女は人間ではないのだから。


 機巧人形──少女は、とある人物が自身の娘に似せて作った、命のない人形だった。


 そんな少女は一人の老人を起こすために呼びかけている。しかし、目を覚ました老人は起こした人物を一瞥すると、すぐに興味をなくしたように天井を向き、ぶつぶつと何かを呟き始めた


「……やはり無理だった。……だが何がいけなかった? 理論は完璧だった筈だ。身体も元のものよりも丈夫に作った。素材は本人のものを使った。足りない部分は私のものを使ったのだから拒絶されるはずがない。……だが、ならば何故?」

「お父様。本日のご朝食はこちらになります」

「……今更考えたところで意味などありはしない、か。どうせ私の命はもう長くはないのだから。……ふっ、無駄な事に時間を費やしたな。元より、できるはずなどなかったのだ。そんなわかりきった事に最後になるまで気がつけないなど、全くもって救えんな」


 そんな事は関係ないとばかりに少女は続けるが、老人は一人呟くばかり。


「私は家事を行いますので、ご用がおありでしたらお呼びください」

「何が『至高の機巧技師』だ。自身の望んだもの一つ満足に造ることのできない私の何が至高か。作れもしないとわかりきった物を追い求める私など、至高の愚か者という名の方が相応しかろうに。それなのに──」

「|父さん(・・・・)は愚か者などではありません」


 ここに来て初めて、お父様と呼ばれた老人は言葉を止めた。

 そして老人が動きを止めてから数秒後、老人はバッとそれまでの様子からは到底考えられない速さで首を動かし、少女のことを見た。老人のその表情は驚愕と困惑とが混ざり合っていた。


「……お前、今……」

「どうかされましたか?」


 今までと変わることなく淡々と話す少女。だが、その瞳からは一筋の涙がこぼれ落ちていた。


 それを見た老人は、泣きそうになるのを堪えるように顔を歪めた。


「……お前は……。ああ、そうか。お前は最初からいたのだな」


 老人は必死に手を伸ばそうとするが、届かない。老人には片腕がなかった。そのせいで身体を起こすことが出来ず、ただ少女に手を伸ばし続けることしかできなかった。

 だが、それでも老人は手を伸ばすのをやめない。やめるわけにはいかない。そこに自身の追い求めたモノがいたのだから。


「最後になるまで気がつけないどころか、最後になってさえ気がつかないとは。つくづくどうしようもない愚か者だ。私は」

「お父様は愚か者では──」

「いいや、愚か者だよ。私は」


 ゆるゆると力なく首を振る老人。


「すまなかった。私はお前を大事にしてやれなかった。あれ程……あれ程誓ったのに。私は……」

「お父様。何かお悩みがあるのでしたら、申し付けてください」

「悩み。……悩み、か……。では私の願いを聞いてくれはしないか?」

「はい。なんなりと」

「お前は自由になさい。自由に、何者に縛られることもなく、普通に生きて、幸せになりなさい。それが私からの最後の願いだ」

「自由に……?」


 老人はその言葉に自身の願いを込めて言う。だが、少女にはその言葉の意味が理解できなかった。


「そうだ。お前は自由だ。幸せになりなさい」

「お父様?」


 今まで少女に向けて伸ばされていた老人の手が、フッと力が抜けたようにベッドの上に落ちた。

 それを見ていた少女の声は、それだけを聞いたのであれば別段、疑問に思うほどではなかっただろう。だが、その顔は違った。少女の顔は何かを堪えるように歪められていた。


「悲しむ事などない。どうせ形あるものはいずれ死ぬ。それに、この世界では死ねることは幸福なことだ。だから、お前は私のことなど気にする必要はないのだ。……ああ、だが、なぜだろうな。終わりというのは意外と……」


 死ぬことは悲しくはないと、そう言ったはずの老人の眦には薄らと涙が滲んでいる。


「……ああ。もう一つ願いがあったな。……笑ってはくれないか? お前の笑顔が見たいのだ」

「笑う……。こう、でしょうか?」


 老人の言葉を受けてぎこちなくも笑おうと口元に歪める少女。


「ああ……。幸せに、なりなさい。ヴィーレ。──私の可愛い、むすめ……」

「……お父、さま……おとう……とう、さん……」


 いつもは静かなはずの部屋の中は殊更静かになり、水滴が床に落ちる音だけが聞こえた。


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