『メイド長の心休まらない休日』
1
──何も、スバルが思い至ったことに特別な理由があったわけではなかった。
「あれ? さっきまでここにあった台車は……」
「それでしたら、スバルくんが離れている間に片付けておきましたよ」
「そうか。サンキュな、レム」
「あれ?
「それでしたら、ちょっと
「そうなのか。なんかいつも悪いな、レム」
「あれ? そろそろ飯の時間だから、食器並べでも手伝おうと思ったんだけど……」
「それでしたらご心配なく。スバルくんは席に座っていて大丈夫ですよ」
「マジでか。俺の出る幕がねぇな。さすがレム」
「あれ? そういえば俺、ラムにやるように言われた書き取りの宿題って……」
「それでしたら、スバルくんの筆跡を
「……そ、そうなの? それは、うーん、違くね? いや、ありがとうなんだけど」
2
「レムに一日ぐらい、ぐったり休む時間をあげた方がいいと思うんだが」
朝食の席で、全員が
その提案を受けて、スバルを除く五人と一匹が目を丸くする。中でも、一番驚いた顔をしたのは、
席に座るスバルの横に控えて、
「レムにお休み、ですか? あの……ひょっとして、何かレムが
「いや、違う。全然そういうんじゃなくて。むしろレムの仕事に文句なんて全然ないんだけど、全然なさすぎるのも問題なんじゃねぇのと俺は言いたいわけ」
「──?」
スバルの説明を聞いても、レムは疑問符を浮かべた顔をするばかりだ。オーバーワークぶりに何の自覚もないところが、かえって
何となくレムが
「つーぅまり、アレかな? スバルくんは雇用主である私に対して、使用人の雇用体制の見直しを願い出たいと。そーぉいうわけだ」
スバルがレムを撫でる
「まぁ、物申すって言ったら言いすぎだけど、それに近い」
「不敬だわ、バルス。ロズワール様に対してなんて無礼な口を利くの。使用人が雇用主に物申そうだなんて百年早い。バルスは追加でもう百年早いわ」
「その特別扱いいらないんだけど、お前だってちょっとは思うところないのかよ?」
スバルがロズワールに意見したことが気に入らないのか、常日頃からスバルに冷たいラムが口を
「レムはちょっと働きすぎ……っていうか、この屋敷の維持がレムだけに頼りすぎなんだよ。いくらなんでも
「そんなことないわ」
しれっと首を横に振るラムに、スバルはため息をこぼした。
「……じゃあ、この朝飯を用意したのは?」
「レムよ」
「朝一で起きて、屋敷の簡単な掃除と空気の入れ替えをするのは?」
「レムよ」
「お前を起こして、着替えさせて、歯を
「レムよ」
「お前よく平気な面してここまで会話続けられたな!? お前、王様!?」
「それほどじゃないわ」
「
「ね、ちょっといい?」
柔らかな銀髪と、鈴の音のような声をした
エミリアは振り返るスバルと、
「レムがすごーく働いてるのはわかったんだけど、スバルたちも働いてるんでしょ? それなのに、レムだけお休みをあげたいってお話なの?」
「エミリアたん。気遣いは
「心外だわ、バルス。半人前で役立たずのバルスはともかく、ラムは与えられた仕事はきっちりとこなしているわよ。一緒にしないで」
「半人前と同じ仕事量しか振られてない癖に何言ってんの!? そもそも、俺がいないときはどうしてたんだよ。今、俺がやってる仕事は姉様がやってたのか?」
「愚問だわ、バルス。──レムよ」
「お前、気付いてないかもしれないけど、今のところいいところ何一つないからな?」
問題外のラムはさておき、スバルは
「ちょっと
スバルが話題に出したのは、つい先日に起きたちょっとした事件のことだ。
ロズワール邸と直近のアーラム村を、森に住まうウルガルムという魔獣が襲撃。あわや
事件のその裏側で、実にスバルは何度も
「その件に関しては
「それは、その……まぁ、感謝してる」
ちらちらとエミリアを横目に見て、スバルはロズワールに口ごもりながら答える。スバルの視線にエミリアが首を
エミリアとの約束のデートのとき、ちょっと色々と根回しを頼んだことなど知られては困る。花畑や
「俺のご褒美に関してはいいんだ。ただ、あの件で俺にご褒美があるってんなら、それはレムとラムにもあるべきだろ?」
「あの時点では客分
「俺がお客様だったことは別としても、しちゃいけねぇって道理はないだろ? それにこういうところで気前の良さと見せておくことで、使用人からの好感度もうなぎ昇りで忠誠心MAX! ってなるもんじゃないんですか、ご主人様」
食い下がるスバルにロズワールが笑い、「忠誠心ねーぇ」と隣のラムを見る。
その視線に応じるように腰を折るラムを見て、スバルはすでに忠誠心MAXの使用人が隣にいる事実を思い出し、説得する言葉選びを失敗したことに気付いた。
「どこまでも俺の前に立ちはだかる女だぜ、ラム」
「ラムとレムのロズワール様への忠義を揺るがそうとしても無駄だわ、バルス。それ以前に今の発言、内部不和を
「あんな修羅場も一緒にくぐった仲なのに
それなりに息の合った連携もしたはずなのに、好感度に一切影響していない。いっそ
「でもまーぁ、別にスバルくんの意見を無下にする必要もないけどねーぇ」
「ロズワール様……」
「そう
「ラムはロズワール様が愛用されている羽ペンを譲っていただきたいです」
「姉様の
素直に欲望をぶちまけるラムに、ロズワールは胸に差していた羽ペンを渡す。うやうやしくペンを受け取ったラムは、それをそっと胸に抱いて一歩下がった。
とりあえず、これで一番の難関は
「スバルくん?」
ここまでの会話の最中、延々とスバルに頭を
「とまぁ、そんなわけで、ご
「あんまり高望みと過剰な期待をされても困るけどねーぇ」
視界の端で
スバルの正面、
「ありがとうございます、スバルくん。でも、レムはこうしてスバルくんや姉様と一緒にお屋敷で過ごせて幸せです。ですから、これ以上は何もいりませんよ」
「ここまでの話が全部無意味になる!」
というか、それだと流れ的に羽ペンを譲られたラムの一人勝ちだ。
優しくて無欲なのは美徳だが、
「じゃあ、やっぱり最初のスバルの言った通りにしてみたらいいんじゃないの?」
話が停滞しかけたタイミングで、手を
「さっきまでのお話を聞いてて、私もちょっと反省してるの。それがお仕事とはいえ、私も普段からレムに頼りきりだったもの。私がそう思うんだから、一緒に働いてるスバルやラムがそう思うのも当然よね」
同意を求めるエミリアに、スバルはカクカクと首を縦に振った。
「だから、レムにご褒美をあげたいのも賛成。でも、レムはそんなのいらないって……なので、これはいけないと私は思っちゃうのです」
「思っちゃって、どうしたい?」
「ご褒美をあげる場面で、何もあげられないのってロズワールにとっても心苦しいことだと思うの。レムは良い子だからそんなつもりじゃないと思うけど、ちゃんと働きに
立派なことを言っていたと思ったら、本の受け売りだったらしい。舌を出して照れ笑いしたエミリアは、少し驚いた顔のレムに「だから」と言葉を継いで、
「何もいらないじゃなくて、考えてほしいな。レムがいつも頑張ってくれてることに、私たちも何かしてあげたいって思うから。難しいかもしれないけど」
「エミリア様……」
目を見開くレムは、エミリアのその言葉に目から
「それで、バルスの最初の提案に従うというのはどういう意味なんです?」
そこへ、羽ペンを懐にしまってすっかり落ち着いたラムが疑問を投げかける。それを受けたエミリアは指を一つ立てて、
「それは簡単。こうやって考えてってお願いしても、忙しいときっとレムはお仕事にかまけて落ち着いて考える
「あー、なるほど」
思った以上に考えられていて、スバルは素直にエミリアの考えを称賛する。ラムやロズワールも同意見のようで、
あとは、レムがその提案を受け入れるかどうかだけだが。
「……エミリア様。お気遣い、本当にありがとうございます。レムも自分の考えの足りない部分を恥じ入るばかりです。ですけど、ご褒美もお休みも過分なご配慮です。レムは
目を伏せ、申し訳なさそうにレムは断り文句を並べていく。ただ、その声には迷いはなく、簡単に意見を曲げないだろう
「レム」
「はい。あの、スバルくん、レムは……」
「休もう」
「はい。スバルくんがそう言うんでしたら!」
──そういうことになった。
3
まだ朝食の席だったため、レムの休日はさっそく今日ということでまとまった。
丸一日休めるよう明日以降をスバルは提案したのだが、さすがにそればかりはとレムに固辞されてしまったのだ。
「そんなわけで、今日一日の仕事の分担を決めたいと思う。レムが休みだからって不備が出るようじゃレムもおちおち休んでらんないし、日頃のレムがどれだけ働いてくれてるのかを自分たちの身をもって実感することで、今後は素直に感謝の念を抱けるようになるはずという非常に有意義なプロジェクトだ」
強制的にレムを自室へ帰し、場を仕切るスバルが前に出て企画の趣旨を説明する。それを受け、手を挙げるのはエミリアだ。
「ね、スバル、いい?」
「いいよ、エミリアたん。意見するときは挙手という
「レムのお休みも、今のお話もすごーく納得なんだけど……私以外の人が納得するようにちゃんとお話してあげないとダメかも」
唇に指を当てて、エミリアはちらと横を見る。
そこに顔を
中でも特に不満そうな顔をしているのは、
「お前、いつまでぶーたれた顔してんだよ。さっきも話し合いに全然混ざってこねぇし、ちょっと協調性に欠けるなんてもんじゃないぞ」
「……そもそも、なんで最初からベティーが協力するのが当たり前みたいな考えで動いているのかしら。そっちの方がよっぽど不思議なのよ」
そう言ってスバルを
食事の時間には食卓に顔を出すものの、基本的に屋敷の物事に不干渉を貫こうとするベアトリスだ。今回も非協力的な態度をとるだろうことがスバルにはわかっていたので、話を聞かざるを得ない食事の時間を
案の定、話を聞いてもベアトリスは自分には関係ないつもりの顔をしているが、
「お前だって日頃、レムには散々世話になってるだろうが。お前がおねしょしたとき、誰がその下着と
「お前こそ突然に何を言い出してやがるのかしら!? ベティーがいつ、そんな淑女にあるまじき
「そんな必死に否定するなんて怪しい。やっぱりお前……」
「真に迫った顔をするじゃないのよ! やってないったらやってないかしら!」
からかっただけなのに、打てば響くものだからついつい
「バルス。申し開きがあるならさっさとなさい」
凍てつく表情の中、
「申し開きも何も、見たまんま言ったまんまの状況だよ。レムを休ませたことで生じる穴に関しては、屋敷の全員が一丸となって埋める必要があるんだって」
「だからって、ロズワール様まで
「と、秘書は申しておりますが?」
つらつらと並べるラムを通り越し、スバルはその隣で椅子を揺らすロズワールに話を振る。ロズワールは片目をつむり、色違いの
「そーぅだね。私としても、
「ほうほう」
「たーぁだ、雇用
「ロズワール様、それは」
「ほれ、本人の意思を尊重してやれよ。使用人が
「バルス風情が、揚げ足を取っていい気になるんじゃないわよ」
渋々、意見を引っ込めるラムの眼光が
「じゃ、改めて分担の話に入ろう。まず、大まかに食事、洗濯、掃除で分けて……」
「お前はベティーの話の何を聞いてやがったのよ!? やらないって、そう言ってるのが聞こえてないのかしら!?」
「あーもう、面倒臭いやっちゃな。エミリアたん、お願いします」
「えっと、このモンドコロが目に入らぬかー。だっけ?」
そのエミリアの
エミリアの契約精霊であり、対ベアトリス用決戦兵器──猫精霊パックだ。
「ベティー」
「う……にーちゃ。今日も
「ありがとー。でね、ベティー。ベティーの言いたいこともわかるんだけど、ボクはスバルの言うこともわかるんだよ。それに、たまには人の子のために寛大なところを見せてあげるのもボクら精霊の務めなんじゃないかなーって」
パックの
「に、にーちゃの言い分はさすがだと思うかしら。で、でもベティーは……」
「ベティー、お願い」
「にーちゃがそう言うなら、もう仕方ないのよ!」
「やっぱチョロインだわ、お前」
ベアトリスの問題がものすごく簡単に片付いたため、これで反対意見は解消だ。
あとは仕事の分担と、組分けといったところだろう。
「組分けって、どうするの?」
「大まかな仕事はさっき言った通りで、パック入れて全部で六人いるし、二人一組に分かれればちょうどいいことになると思う。組分けは……」
先ほどの反対意見を出した二人から、ものすごい強烈な視線が飛んできた。大体、何が言いたいのかわかったのでスバルは
「ラムとロズっち。ベア子とパック。俺とエミリアたんでどうだろう」
「えっと、私は大丈夫だけど……パックとベアトリスで大丈夫なの?」
「ふふふ、リアは心配性だね。ボクなら大丈夫。この小さい体のメリットを最大限に
「活用の機会が狭すぎる」
パックがなんで自信満々なのかわからないが、やる気があるのに水を差す必要もない。食事係にして、料理全部に猫の毛が混じるよりはマシだろう。
「ベア子、掃除と洗濯どっちがいい? お前が選んでいいぞ」
「その二つなら、洗濯の方が魔法が活かせるかしら」
「OK。部屋に隠してるお漏らし下着もこの機会にちゃんと全部洗っておけよ」
「やってないっつってんのがわかんない
残った食事係と掃除係だが、
「ラムとロズワール様が、食事を担当するわ」
「別にいいけど、なんでだ?」
「
「俺、ウサギ年生まれだけどベジタリアンじゃないよ?」
スバルの指摘は、ラムに鼻で笑って流される。
とはいえ、レムを欠いた屋敷で最も家事技能が安定しているのはラムだ。特に食事は成否が露骨に味に出る。そこをラムが担当するのは誤った選択ではない。最悪、ラムには必殺の
「というわけで、必然的に俺とエミリアたんがお掃除係に任命だ。
「うん、わかったわ。私、スバルの足を引っ張らないようにすごーく頑張るね」
「やだ、この子
意欲を燃やした顔でガッツポーズをするエミリア。スバルはパートナーの頼れる素振りに満足げに頷き、役割分担を無事に完了する。
「よし。それじゃ各自、分担した通りの仕事をしよう。パックとベア子には、とりあえずまとめてある洗濯物の場所教えるからついてきてくれ。それと……」
それぞれ、決められた役目通りに作業に入る前に、スバルは食堂の入口を振り返る。
わずかに空いた扉の
「レムは落ち着かないかもしんないけど、割り切ってダラダラ過ごすこと」
「はい、それはわかっているんですけど……その、心配で」
「仕事人間的な悪いとこ出てるぜ、レム。今日は『レムの日』なんだ。
「え、なんで? そんな時間の過ごし方、もったいなくないの?」
「もったいないをするのがお休みの日でしょ!」
エミリアの突っ込みに、胸に突き刺さるものを感じながらスバルは答える。ドアの向こうのレムはそれでもなかなか、部屋に引っ込む踏ん切りがつかない顔だ。
「そもそも、休みって決めたのにメイド服着てるのも良くない。だらけるって決めたらまず格好からだらけるもんだ。今すぐだらしない格好に着替えてベッドにダイブ!」
「ですが、レムはメイド服以外は寝衣しか持っていないもので……」
「あ! そういえば前にそんなこと言ってた! あれってマジなのかよ! いくらなんでも年頃の娘がそれじゃ
確かにレムとラムの二人が、メイド服以外の格好をしているところを見たことがない。寝衣はネグリジェだそうだが、それも基本は自室で過ごすときだけとのことだ。
「そりゃよくねぇ。そのうち、ちゃんと服も
「わかりました。お休み用メイド服に着替えることにします」
「そんなのあんだ!?」
用途に応じたメイド服を取り
ともあれ、後ろ髪を引かれるレムが退散すると、やっと『レムの日』の始まりだ。
「よっしゃ! それじゃ各自、与えられた仕事に万全の心意気で臨んでくれ! レムが休んだせいで屋敷が回らないなんて、レムに思わせたら意味ねぇからな!」
「おー!」
スバルの掛け声に、エミリアが
周りもそれぞれの声でエミリアに続き、ちょっと不安な一日がスタートした。
4
──そうして与えられた休日を、レムはこれまでにないほどそわそわ過ごしていた。
「本当に手伝わなくて大丈夫でしょうか。……姉様、スバルくん」
自室に戻ったレムは、スバルの指示通りに休息用のメイド服に着替えて、そのまま
そもそもレムにとって仕事は、自分の存在理由を確かめる行いに等しい。無論、レムとて疲労が
「やっぱり、ちょっと見てきましょう」
冷静で根気強いように見えるレムだが、実はこれで意外に
姉より
「確か、姉様とロズワール様が食事の担当……
まず、自分にとって半身であり、仕事において一番信頼の置けるラムを
少し
疑っていないが、ただちょっと、普段より倍ぐらい心配しているだけだ。
意識して足音を殺して、本棟一階通路の
「ロズワール様。今日はこのようなことになって申し訳ありません。バルスには後でラムの方から、厳重注意をしておきます。……ええ、厳重に」
中を覗き込む前から、ラムの
自分の感情を他人に見せるのを極力避けるラムだが、生まれたときからの付き合いであるレムには姉の静かな
その長年の経験で
ちらと中に視線を走らせると、ラムが
「そーぉこまで過剰反応することはないよ。日頃の君たちの仕事を実感しておくのも大切なことだーぁとも。何もスバルくんに丸め込まれたってわけじゃーぁないからね」
それをゆったりと見守っているのは、厨房の壁に寄り掛かるロズワールだった。
作業するラムの背中を見ながら、ロズワールは立てた指を振るう。と、火の
ラムが材料を切り分け、ロズワールが鍋を見ている分業だ。ややラムの方が負担が大きいものの、立場を考えれば相当に
「ロズワール様はバルスに甘すぎます。あれは勘違いさせておくと
「なーぁら、ラムはレムに休日をやりたいって考えは間違いだと思ってるのかな?」
「それは……その、レムのしたいようにさせたらいいと」
「確かに最近は前にも増して張り切ってるからねーぇ。ただ、張り切るのと張り詰めるのは違う。私は以前より、今の方がいい傾向だと思っているよ」
ロズワールの言葉にラムが口を閉ざし、聞き耳を立てるレムも息を
そういう意図で
「……もう行きましょう」
ラムとロズワールの連携は、付き合いの長さもあって危なげがない。
「ラムにとって、レムはいつだって
「ま、そういうことにしておこうじゃーぁないかね」
ラムの答えが聞こえて、レムは胸をそっと押さえた。それから最後にちらと
「────」
しかし、ロズワールは何も言わず、ただウィンクをレムへ送ってそれを見過ごす。
だとしたら、レムに聞かせるためにラムに話題を振ったのか。
「ありがとうございます、ロズワール様」
ロズワールのそれとない計らいに、レムは感謝の言葉を残して次の場所へ向かう。
次は洗濯をしているはずの、パックとベアトリスのコンビだ。
ある意味、今回の組分けでもっとも予想がつかない二人でもある。
「普通に考えれば、水場で作業しているはずですけど……」
洗濯物は朝の内に回収し、大浴場の方へ
それに従えば、あの二人もそこで洗濯しているはずだが。
「そういえば、細かな生地の違いとかわかるでしょうか……」
はたと、不安要素に気付いてレムは
ハンカチなどの小物類はいいとして、メイド服やロズワールの衣装。エミリアの服や女性陣の下着となると、これらは一緒くたに洗濯することができない分類だ。
色移りや生地が
「洗濯だけはレムか姉様が必ず担当してたのに……!」
失念していたことが悔やまれる。レムは急ぎ、西棟の大浴場へと向かった。走るレムの耳に水音と話声が届き、二人がそこにいることは確実となる。あとは、二人が乱暴な仕事をしてしまう前に洗濯物を取り上げて──、
「いいかい、ベティー? 女の子の下着は乱暴に洗うと形が崩れたり、すぐダメになったりしちゃうから丁寧に手洗いが基本なんだよ。中に着る肌着やシャツなんかはいっぺんに洗っちゃうけど、大切なものこそ手間をかけてあげないと」
「ふむふむなのよ。さすがはにーちゃ、物知りかしら。勉強になるのよ」
脱衣所で息をひそめるレムの眼前で、
浴槽の中、衣類がお湯と泡
そしてベアトリスの方も、改めて手元を見れば
どちらも超常の存在だからこそできる、圧倒的生活感がする魔法の無駄遣い。
やっていることが非常に高度なのに、庶民性
「そうやって洗剤と一緒に洗ったら、今度は
むしろ、詳しすぎてちょっと気持ち悪い。
エミリアのために覚えたのだろうが、どこで学んだのかは全くの
「でも、心配はしなくてよさそうです」
最大の不安要素だった、無知という部分は危うげなくクリアされたのだ。
「それにしても、洗濯って面倒なのよ。ニンゲンはどいつもこいつも、生きてるだけで色んなものを汚すから始末に困るかしら」
「ボクたちはちょっと出入りすればリフレッシュできちゃうもんね。おっと、ベティーは少しだけ事情が違ったんだっけ」
「……ちょっとだけなのよ。汚さないって意味ではにーちゃと一緒かしら」
声の調子をわずかに落とし、ベアトリスはそれから桶の中の下着を見下ろして、
「魔法を使っても面倒なのに、これを一つずつ手洗いとか正気の
「でも、それを毎日やってるのがあの子たちやスバルだからね。ボクたちは洗濯はいらないけど、掃除とご飯が大切なのはわかるじゃない。それも全部、毎日やってるんだから疲れちゃうよね。たまに休ませてあげたいのもわかるよー」
「ま、まぁ、少しだけそう思わないこともないではないのよ」
どこまで本気なのか、かえって感情の見えないパックよりベアトリスはわかりやすい。すでに脱衣所を出たレムにも、少女が赤い顔をしているのが目に浮かぶのだから。
「お二人とも、お気遣いありがとうございます」
脱衣所を出たところで、浴場へ向かってレムは頭を下げた。
それから、今日の作業分担の最後の一組のところへと足を向ける。レムにとって一番心配であり、ある意味で手出し口出しを我慢できるか一番不安な組だ。
スバルとエミリアも、今日はこの西棟の掃除に取りかかっているはずだった。
「やっぱり、ほっかむりをしてるとお掃除って感じがするわよね」
「ほっかむりってきょうび聞かねぇな……」
西棟の三階へ足を運んだところで、レムは二人の声を聞いてそっと息をひそめた。壁に背を預けて廊下を
エミリアは髪を後ろにまとめ、前掛けをして白い布を頭に巻いた格好だ。スバルがちらちらと、横目にエミリアを盗み見ているのがレムには
「それにしても、ここもあんまり汚れてない。すごーくしっかり掃除してあるみたい」
「ま、日替わりローテで三つの棟を代わる代わる掃除してっからね。それに、西棟は他と比べて使用頻度も低いし。この階のダンスホールとか、完全に持ち腐れしてんだもん」
窓に息をかけ、キュッと音を立てながら拭いているエミリア。その隣でスバルは
「あー、ダメだ。ここも掃除してある! 掃除してあることに不満を覚えるって、まさかこんな日がくるとは思ってもみなかった!」
「ホントにそうよね。でも、それだけレムが一生懸命仕事してるってことだもの。私、こうやって見て回るまで全然気付いてなかったかも」
頭を抱えるスバルに笑いかけ、エミリアはざっと通路を見渡して
「こういうことを
「え? あ、うん、そう、まさに俺の
「ごめん。ちょっと何言ってるのかわかんない」
照れて早口になると、スバルが何を言っているのかわからないことがレムにもある。エミリアも同様の感想を抱いたらしく、スバルは肩を落として消沈した様子だ。
「でも、こうやってお屋敷のお掃除してると、ちょっと前のこと思い出しちゃう」
「ちょっと前って?」
「私も、ほんのちょこっとだけレムたちみたいに働いてたときがあったの。色んな勘違いの結果だったんだけど……ふふ、今ではいい思い出」
「へぇ、そうなんだ。まさかメイド服とか着ちゃったりして。まさかねー」
「うん、着てたわよ。レムたちと違って、短くないやつだけど」
「マジで!? なんで俺その場にいなかったの!?」
「え? まだスバルと会ってない頃だったからじゃない?」
唇を
あれだけスバルがわかりやすいのに、何も気付いてない風なエミリアは罪深い人物だ。レムはスバルを
「あれ? そういや、今日って……ひのふのみの……」
と、レムが自分の心と向き合っていると、唐突にスバルが声を上げて数を数える。指折り数えたスバルは「いけね」と小さく
「スバル、どうしたの?」
「大事な仕事があるの忘れてた。これすっぽかすと問題だよなぁ」
「大事なお仕事……それって、時間とか人手が必要な仕事?」
「いや、一人でも大丈夫。ただ、やり忘れちゃいけないタイプの仕事かな」
「よし。それなら、スバルはそのお仕事をしてきて。この棟のお掃除は、きっと私だけでも大丈夫だから。ほとんど終わっちゃってるもの」
「……エミリアたん、俺がいなくて大丈夫? 寂しくない?」
「それは全然ちっとも寂しくないから大丈夫」
「なんで強めに否定すんの?」
いつものやり取りを交わして、スバルが
「さ、スバルにも
スバルがエミリアを笑いものにすることなどありえないだろうに、エミリアはそうとも知らずにバケツと
「スバルくんはどこに行ったんでしょうか……」
エミリアと別れて、一人でどこかへ向かったスバル。食事、洗濯、掃除と仕事の分類が済んでいる中で、忘れてはいけない大切な仕事とは。
「──ぁ」
思案するうち、スバルが窓の外を見ていたのを思い出し、レムは答えに
5
「レムもご一緒していいですか、スバルくん」
屋敷の正門を抜けたところに立つレムを見て、出てきたスバルが目を見開いた。
彼はレムの言葉にバツの悪そうな顔をして頭を掻く。
「なんだよ。やっぱりレムにはお見通しだったか……」
「いいえ、レムもついさっきまで失念していましたよ。思い出したのはきっと、スバルくんと同じぐらいのタイミングです」
小さく
実際、スバルが思い出さなければレムも気付かなかったかもしれない。それぐらい、降って
「今日で前回の確認から三日目……山の結界がちゃんと定着しているか、確認しにいかないといけない日ですから。魔獣の
スバルが思い出し、レムが忘れていた仕事──それが、結界の確認だ。
先日の魔獣騒ぎの原因は、山に生息する魔獣を隔離するための結界、その管理を
「別に決まった地点の結晶石が光ってるかどうかぐらい、俺一人でも見てこれるぜ? そんなに一人で山歩きさせるのに不安があるか?」
「スバルくんが心配なのはいつでもそうですけど、そればっかりじゃありません。レムがスバルくんと一緒に歩きたいんです。いけませんか?」
レムの申し出に、スバルが視線をそらして鼻の頭を指で
「休みの日なのに山歩き。レムはずいぶんとアウトドアな趣味をお持ちだな」
「スバルくんと一緒にいるってことは、いつでも寄り掛かっていいってことですから。そう言ってくれましたもんね」
「それ言われると弱いぜ。いいさ、一緒に行こうか。旅は道連れ世は情けだ」
「──はい」
歩き出したスバルに続き、半歩後ろをレムは歩く。
この距離と速度が、レムにとって一番心地よい距離感だった。並んでいるわけでも、遅れているわけでもない。でも時々、スバルがこちらをちらと振り返ってくれる。
まるでレムがちゃんとついてきているかを確かめようとするように。
その
「あのさ、レム。今日のこととか強引に決めちまったけど、迷惑じゃなかったか?」
「迷惑、ですか?」
「さっき門の前で待ってたのもそうだけど、落ち着かなかったんじゃねぇかなって思ってさ。いや、今さらだし、もっと前に気にしろって話なんだけど」
気まずそうにレムの心情を推し量るスバルに、レムは笑い出しそうになってしまう。
スバルの言う通り、気にするのなら遅すぎるし、そんなに不安そうに切り出されるようなことでもない。ただ、少しだけ意地悪したい気持ちも湧いてくる。
「そうですね。本当ならレムも、色々とお仕事の中で順序立てたり、やりたいと思っていたこともあったので、そういう意味では日々の仕事に水を差された形です」
「うぐ……すいません」
「レムにも色々とお仕事の予定があります。今日が抜けたことで、明日以降の予定に支障をきたすかもしれません。おかげでちょっと困ってしまったのも事実です」
「ぐふ……ち、小さな親切が大きなお世話に……」
胸を押さえてふらふらと歩くスバルを横目に、レムは内心で小さく舌を出す。
驚かされたのだから、このぐらいの仕返しはしてもいいだろう。それに驚かされはしたけれど、今日という休日を得られたことは悪い気分ではなかった。
「でも、スバルくんがレムを気遣ってくださったのは
ついでにパックの
レムのその答えに、スバルは足を止めてぽかんと口を開けていた。それからすぐ、自分がからかわれたことに気付いたスバルは唇を曲げる。
「レムが冗談かませるぐらいに親しんでくれてるみたいで嬉しいよ、ったく」
「ごめんなさい。でも、突然のことで驚いたのは本当ですよ。それにレムがいなくてもお屋敷が今日みたいに回るのなら、それはそれで寂しいですし」
「いや、そうは言っても今日みたいに屋敷の戦力が結集して家事に当たるみたいなことってそうそうできねぇから。それに起きてから朝飯までの間にレムが終わらせた仕事量考えると、実は丸一日はこの戦力でも回らない疑惑がある」
「それはいくらなんでも過大評価ですよ」
「実際、五人分ぐらいの仕事を一人でしててそれ言うかよ。もっときっちり自分のこと評価してやっていいんだぜ? ちょっとぐらいドヤ顔しても文句は言われねぇよ」
そう言ってスバルが評価してくれるのを、レムはただただ嬉しく思う。
そこまで言ってもらえるなら、日々、仕事に
屋敷でエミリアやロズワールの口からも、今日は嬉しい言葉をたくさんもらえた。
言い出しっぺのスバルには感謝しかないし、彼の思いやりに
「スバルくん」
「んん? どしたどした。ドヤ顔する気になったか?」
「ありがとうございます」
「なんで今、俺お礼言われたの!? 俺がいつもありがとうした展開じゃなかった!?」
思わぬ返答を受けたようにスバルが
──その自覚がないからこそ、この少年が
6
翌朝、レムはいつもより早く起き、いつもより
「姉様、姉様。朝ですよ。とても気持ちのいい朝です」
「……あと五分」
タオルケットにもぐり込み、お決まりの文句を口にする姉の体を抱き起こす。ふらふらと頭を揺らすラムの後ろに座り、桃色の髪に
「姉様、蒸しタオルです」
「……レム、今朝はずいぶんと機嫌がいいわね」
鼻歌まじりに着付けをするレムに、完全に覚醒したラムが薄く唇を
「そうですか? ……そうでしょうね。昨日は大変有意義なお休みの日を過ごさせていただきました。姉様にも、ご迷惑をおかけして」
「……しっかり、休めたの?」
ラムが短い言葉で尋ねてくる。その言葉にレムは昨日のことを思い出す。
ラムとロズワールが協力した昼食と夕食。洗濯物を干しながら、
──そのどれもが、レムに当たり前の答えを差し出してくれていた。
「はい、姉様。レムは昨日、世界一幸せな休日をいただきました」
「──そう。ならいいの」
ラムはその
「バルスも、たまには役に立つ提案をするものね」
「はいっ。スバルくんはすごいんです。姉様も、そう思いますよね」
「そう思いかけたのを、思い直したところだわ」
素直でない姉の答えに、レムは子どもっぽく
ラムの着替えが終わり、鏡の前でポーズを取る姉にレムが拍手。それから二人で連れ立って通路に出ると、
スバルは二人に気付くと、欠伸を
「おはよ、お二人さん……なんで姉様は朝から俺のこと
「知らないの? 朝から
「それが俺の質問に対する答えだと思いたくないんだけど!」
部屋での会話を引きずっているのか、今朝のラムは最初からスバルに冷たい。それに苦笑しながら、レムはせめて自分はスバルに優しくしようと心に決める。
「スバルくん、気にしないでください。姉様はただ、自分に正直なだけなんです」
「それ、俺が鼠の死骸面扱いされたことのフォローになってないよね!?」
なぜだろう、失敗してしまった。
気遣いがたまに
ともあれ、スバルは深々と息を吐いて今のショックをさて置き、レムを見つめた。
「ところで、レム。昨日は突然の休日、総括としてちゃんと休めて楽しめたか?」
「はい、もちろん。スバルくんのおかげです」
「ちっ」
「姉様、今、舌打ちしたよね?」
顔を背けるラムに、その横顔を
「まぁ、レムがそうして楽しそうに笑えてるんなら何よりだ」
思わず
「それで、レム。昨日一日あったわけだけど、ちゃんとご
「そんなこと言いませんよ。でも、レムのご褒美なら、もう
「え、マジで? 聞いてねぇよ。ロズっちの野郎、水臭いなぁ」
首をひねり、スバルはここにいない主人に対して唇を
だってレムのご褒美は、他でもないスバルの発案で十分なほど受け取ったのだから。
──屋敷の皆がレムを気遣い、一日の休みを
自分にその価値があると、みんながそう思ってくれたのだ。その事実を受け取れたこと以上のご褒美なんて、あるはずがない。だから、
「──レムは今日も、お仕事を頑張りますよ」
そう言ってレムは、いつもよりも愛らしく見える笑顔を大切な二人に見せたのだった。
《了》
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