『メイド長の心休まらない休日』


    1


 ──何も、スバルが思い至ったことに特別な理由があったわけではなかった。


「あれ? さっきまでここにあった台車は……」

「それでしたら、スバルくんが離れている間に片付けておきましたよ」

「そうか。サンキュな、レム」


「あれ? しばの手入れするんで道具出しといたと思ったんだけど……」

「それでしたら、ちょっとすきの時間があったのでやっておきましたよ」

「そうなのか。なんかいつも悪いな、レム」


「あれ? そろそろ飯の時間だから、食器並べでも手伝おうと思ったんだけど……」

「それでしたらご心配なく。スバルくんは席に座っていて大丈夫ですよ」

「マジでか。俺の出る幕がねぇな。さすがレム」


「あれ? そういえば俺、ラムにやるように言われた書き取りの宿題って……」

「それでしたら、スバルくんの筆跡をしてレムがやっておきましたよ」

「……そ、そうなの? それは、うーん、違くね? いや、ありがとうなんだけど」


    2


「レムに一日ぐらい、ぐったり休む時間をあげた方がいいと思うんだが」

 朝食の席で、全員がそろうタイミングを見計らっていたスバルはそう提案した。

 その提案を受けて、スバルを除く五人と一匹が目を丸くする。中でも、一番驚いた顔をしたのは、くだんの青い髪の少女──レムだ。

 席に座るスバルの横に控えて、はいぜんをしていたレムは可愛かわいらしく首をかしげる。

「レムにお休み、ですか? あの……ひょっとして、何かレムがそうをしてしまいましたか? それでスバルくん、レムにひまを……」

「いや、違う。全然そういうんじゃなくて。むしろレムの仕事に文句なんて全然ないんだけど、全然なさすぎるのも問題なんじゃねぇのと俺は言いたいわけ」

「──?」

 スバルの説明を聞いても、レムは疑問符を浮かべた顔をするばかりだ。オーバーワークぶりに何の自覚もないところが、かえってやとぬしや周囲の罪深さを証明している。

 何となくレムがびんになり、スバルはそばに立つ少女の頭をでた。最近、スバルにそうされるのを喜ぶレムは、理由はわからないまでも無条件に目を細めて受け入れる。

「つーぅまり、アレかな? スバルくんは雇用主である私に対して、使用人の雇用体制の見直しを願い出たいと。そーぉいうわけだ」

 スバルがレムを撫でるかたわら、事情を正しく把握したのは屋敷の主人であるロズワールだ。彼は今朝も変わらぬどうのメイクを施した白い顔で、紫に塗られた唇をほころばせる。

「まぁ、物申すって言ったら言いすぎだけど、それに近い」

「不敬だわ、バルス。ロズワール様に対してなんて無礼な口を利くの。使用人が雇用主に物申そうだなんて百年早い。バルスは追加でもう百年早いわ」

「その特別扱いいらないんだけど、お前だってちょっとは思うところないのかよ?」

 スバルがロズワールに意見したことが気に入らないのか、常日頃からスバルに冷たいラムが口をはさんでくる。ロズワール至上主義のラムにスバルはまゆを寄せ、

「レムはちょっと働きすぎ……っていうか、この屋敷の維持がレムだけに頼りすぎなんだよ。いくらなんでもこくすぎるだろ」

「そんなことないわ」

 しれっと首を横に振るラムに、スバルはため息をこぼした。

「……じゃあ、この朝飯を用意したのは?」

「レムよ」

「朝一で起きて、屋敷の簡単な掃除と空気の入れ替えをするのは?」

「レムよ」

「お前を起こして、着替えさせて、歯をみがいてやるのは?」

「レムよ」

「お前よく平気な面してここまで会話続けられたな!? お前、王様!?」

「それほどじゃないわ」

めてねぇよ!!」

 そんな顔つきのまま胸を張るラムに、スバルは疲れを感じて額を押さえた。と、それまで会話に参加していなかった、スバルの左隣に座る人物が手を挙げる。

「ね、ちょっといい?」

 柔らかな銀髪と、鈴の音のような声をしたうるわしい少女だ。宝石をはめ込んだようなこんひとみと長いまつふるわせ、スバルの横顔を見る人物──エミリアだ。

 エミリアは振り返るスバルと、でられて気持ちよさげなレムを見ながら、

「レムがすごーく働いてるのはわかったんだけど、スバルたちも働いてるんでしょ? それなのに、レムだけお休みをあげたいってお話なの?」

「エミリアたん。気遣いはうれしいんだけど、ぶっちゃけた話、仕事の量とか密度の問題なんだよ、これ。そういう面で見て、レムは俺とかラムより働きすぎって思って」

「心外だわ、バルス。半人前で役立たずのバルスはともかく、ラムは与えられた仕事はきっちりとこなしているわよ。一緒にしないで」

「半人前と同じ仕事量しか振られてない癖に何言ってんの!? そもそも、俺がいないときはどうしてたんだよ。今、俺がやってる仕事は姉様がやってたのか?」

「愚問だわ、バルス。──レムよ」

「お前、気付いてないかもしれないけど、今のところいいところ何一つないからな?」

 問題外のラムはさておき、スバルはじかだんぱんすべきロズワールへ向き直る。ロズワールは何が楽しいのか含み笑いしながら、手を差し伸べるジェスチャーで話の先をうながした。

「ちょっとさかのぼると、レムへの逆特別たいぐうは他にもあるぜ。たとえば、こないだの魔獣騒ぎの件だ。ロズっち抜きで、俺らが未然に被害防いだアレな」

 スバルが話題に出したのは、つい先日に起きたちょっとした事件のことだ。

 ロズワール邸と直近のアーラム村を、森に住まうウルガルムという魔獣が襲撃。あわやせい者が出かねなかった騒ぎを、奇跡的にしよう者数名で済ませた出来事があった。

 事件のその裏側で、実にスバルは何度もじゆうめたのだが、それはかつあいする。

「その件に関してはむくいる約束をしたはずだーぁけどね。スバルくんの場合、要求した内容が内容だけに目に見える実感は薄いかもしれないけどさーぁ」

「それは、その……まぁ、感謝してる」

 ちらちらとエミリアを横目に見て、スバルはロズワールに口ごもりながら答える。スバルの視線にエミリアが首をかしげるが、彼女はスバルのごほうの内容を知らないのだ。

 エミリアとの約束のデートのとき、ちょっと色々と根回しを頼んだことなど知られては困る。花畑やはなかんむりなど、自力で用意した感にこそ意味があるのだ。

「俺のご褒美に関してはいいんだ。ただ、あの件で俺にご褒美があるってんなら、それはレムとラムにもあるべきだろ?」

「あの時点では客分たいぐうと言うべき君と、二人を同列に扱えというのかーぁな? そーぉれはそれで、ちやな要求だと思うけどねーぇ」

「俺がお客様だったことは別としても、しちゃいけねぇって道理はないだろ? それにこういうところで気前の良さと見せておくことで、使用人からの好感度もうなぎ昇りで忠誠心MAX! ってなるもんじゃないんですか、ご主人様」

 食い下がるスバルにロズワールが笑い、「忠誠心ねーぇ」と隣のラムを見る。

 その視線に応じるように腰を折るラムを見て、スバルはすでに忠誠心MAXの使用人が隣にいる事実を思い出し、説得する言葉選びを失敗したことに気付いた。

「どこまでも俺の前に立ちはだかる女だぜ、ラム」

「ラムとレムのロズワール様への忠義を揺るがそうとしても無駄だわ、バルス。それ以前に今の発言、内部不和をねらかんじやの疑惑で縛り上げてもいいのよ」

「あんな修羅場も一緒にくぐった仲なのにようしやがねぇ!」

 それなりに息の合った連携もしたはずなのに、好感度に一切影響していない。いっそすがすがしい対立姿勢のラムに、スバルはどうしたものかと言葉に悩む。しかし、

「でもまーぁ、別にスバルくんの意見を無下にする必要もないけどねーぇ」

「ロズワール様……」

「そうくもった顔をするもんじゃないよ、ラム。私が譲るわけじゃーぁない。ただ、スバルくんの言い分にも一理あるというだけの話だよ。あの件は私の手落ちに近い。それを未然に防いだ君たちに、ほうしようの一つもなくてはケチ貴族と呼ばれてしまう」

「ラムはロズワール様が愛用されている羽ペンを譲っていただきたいです」

「姉様のてのひら返しは半端ねぇな!」

 素直に欲望をぶちまけるラムに、ロズワールは胸に差していた羽ペンを渡す。うやうやしくペンを受け取ったラムは、それをそっと胸に抱いて一歩下がった。

 とりあえず、これで一番の難関は退しりぞけたに等しい。ロズワールが納得し、ラムが引き下がったなら話は簡単だ。あとは肝心要のレムの心次第だが、

「スバルくん?」

 ここまでの会話の最中、延々とスバルに頭をでられていたレムが目をまたたかせる。

「とまぁ、そんなわけで、ごほうの権利は勝ち取った。俺たち労働者の勝利だ。さぁ、何でも願い事を言っていいぜ。財力と権力の及ぶ限り、ロズっちが何とかしてくれる!」

「あんまり高望みと過剰な期待をされても困るけどねーぇ」

 視界の端でどうが苦笑するのが見えたが、とりあえず意識して無視。

 スバルの正面、ほおを赤らめるレムは薄青のひとみを細めてスバルに微笑ほほえんだ。

「ありがとうございます、スバルくん。でも、レムはこうしてスバルくんや姉様と一緒にお屋敷で過ごせて幸せです。ですから、これ以上は何もいりませんよ」

「ここまでの話が全部無意味になる!」

 というか、それだと流れ的に羽ペンを譲られたラムの一人勝ちだ。

 優しくて無欲なのは美徳だが、ぜいたくを言うべきときにそれを言えないのは悪徳だ。そうさせてしまった周囲と、それを寂しいと思えない本人の。

「じゃあ、やっぱり最初のスバルの言った通りにしてみたらいいんじゃないの?」

 話が停滞しかけたタイミングで、手をたたいて提案したのはエミリアだった。

「さっきまでのお話を聞いてて、私もちょっと反省してるの。それがお仕事とはいえ、私も普段からレムに頼りきりだったもの。私がそう思うんだから、一緒に働いてるスバルやラムがそう思うのも当然よね」

 同意を求めるエミリアに、スバルはカクカクと首を縦に振った。

「だから、レムにご褒美をあげたいのも賛成。でも、レムはそんなのいらないって……なので、これはいけないと私は思っちゃうのです」

「思っちゃって、どうしたい?」

「ご褒美をあげる場面で、何もあげられないのってロズワールにとっても心苦しいことだと思うの。レムは良い子だからそんなつもりじゃないと思うけど、ちゃんと働きにむくいるのも大切なお役目……って、本に書いてあったわ」

 立派なことを言っていたと思ったら、本の受け売りだったらしい。舌を出して照れ笑いしたエミリアは、少し驚いた顔のレムに「だから」と言葉を継いで、

「何もいらないじゃなくて、考えてほしいな。レムがいつも頑張ってくれてることに、私たちも何かしてあげたいって思うから。難しいかもしれないけど」

「エミリア様……」

 目を見開くレムは、エミリアのその言葉に目からうろこといった様子だ。スバルも、そこまで理屈で動いていたわけではなかったので、エミリアの説得に心を打たれる。

「それで、バルスの最初の提案に従うというのはどういう意味なんです?」

 そこへ、羽ペンを懐にしまってすっかり落ち着いたラムが疑問を投げかける。それを受けたエミリアは指を一つ立てて、

「それは簡単。こうやって考えてってお願いしても、忙しいときっとレムはお仕事にかまけて落ち着いて考えるひまもないと思うの。だからいっそ、一日ぐらいゆっくりとお休みする時間をあげて、ごほうも考えてほしいなって」

「あー、なるほど」

 思った以上に考えられていて、スバルは素直にエミリアの考えを称賛する。ラムやロズワールも同意見のようで、うなずく姿から反対する気配はない。

 あとは、レムがその提案を受け入れるかどうかだけだが。

「……エミリア様。お気遣い、本当にありがとうございます。レムも自分の考えの足りない部分を恥じ入るばかりです。ですけど、ご褒美もお休みも過分なご配慮です。レムはくだんのときは迷惑をかけただけですし、お屋敷もレムがいないと」

 目を伏せ、申し訳なさそうにレムは断り文句を並べていく。ただ、その声には迷いはなく、簡単に意見を曲げないだろうかたくなさがかいえた。なので、

「レム」

「はい。あの、スバルくん、レムは……」

「休もう」

「はい。スバルくんがそう言うんでしたら!」


 ──そういうことになった。


    3


 まだ朝食の席だったため、レムの休日はさっそく今日ということでまとまった。

 丸一日休めるよう明日以降をスバルは提案したのだが、さすがにそればかりはとレムに固辞されてしまったのだ。

「そんなわけで、今日一日の仕事の分担を決めたいと思う。レムが休みだからって不備が出るようじゃレムもおちおち休んでらんないし、日頃のレムがどれだけ働いてくれてるのかを自分たちの身をもって実感することで、今後は素直に感謝の念を抱けるようになるはずという非常に有意義なプロジェクトだ」

 強制的にレムを自室へ帰し、場を仕切るスバルが前に出て企画の趣旨を説明する。それを受け、手を挙げるのはエミリアだ。

「ね、スバル、いい?」

「いいよ、エミリアたん。意見するときは挙手というけんきよな姿勢がいい。なに?」

「レムのお休みも、今のお話もすごーく納得なんだけど……私以外の人が納得するようにちゃんとお話してあげないとダメかも」

 唇に指を当てて、エミリアはちらと横を見る。

 そこに顔をそろえているのは、ロズワール邸のレムを除く住人全員だ。つまり、使用人であるスバルとラム以外にも、あるじであるロズワールらも顔を揃えている。

 中でも特に不満そうな顔をしているのは、

「お前、いつまでぶーたれた顔してんだよ。さっきも話し合いに全然混ざってこねぇし、ちょっと協調性に欠けるなんてもんじゃないぞ」

「……そもそも、なんで最初からベティーが協力するのが当たり前みたいな考えで動いているのかしら。そっちの方がよっぽど不思議なのよ」

 そう言ってスバルをにらむのは、に座って腕を組む小柄な人物だ。クリーム色の髪をお嬢様チックな縦ロールにしたドレスの幼女──ベアトリスである。

 食事の時間には食卓に顔を出すものの、基本的に屋敷の物事に不干渉を貫こうとするベアトリスだ。今回も非協力的な態度をとるだろうことがスバルにはわかっていたので、話を聞かざるを得ない食事の時間をねらって話を持ちかけたのだった。

 案の定、話を聞いてもベアトリスは自分には関係ないつもりの顔をしているが、

「お前だって日頃、レムには散々世話になってるだろうが。お前がおねしょしたとき、誰がその下着とらした布団を洗濯してると思ってんだ?」

「お前こそ突然に何を言い出してやがるのかしら!? ベティーがいつ、そんな淑女にあるまじきそうをしたってのよ! 妄言ほざくのも大概にするかしら!」

「そんな必死に否定するなんて怪しい。やっぱりお前……」

「真に迫った顔をするじゃないのよ! やってないったらやってないかしら!」

 からかっただけなのに、打てば響くものだからついついきようが乗ってしまった。ベアトリスで遊ぶのもそこそこに、スバルは不満げなもう一人の顔を見る。

「バルス。申し開きがあるならさっさとなさい」

 凍てつく表情の中、ひとみだけで敵意を主張するのは他でもないラムだ。今回のこころみで、ある意味最も協力しなくてはならない立場の彼女、その不機嫌の原因は他でもない。

「申し開きも何も、見たまんま言ったまんまの状況だよ。レムを休ませたことで生じる穴に関しては、屋敷の全員が一丸となって埋める必要があるんだって」

「だからって、ロズワール様までたわむれに駆り出すのはやりすぎだわ。日々、激務に追われるロズワール様は、レムよりも多忙な方なのだから」

「と、秘書は申しておりますが?」

 つらつらと並べるラムを通り越し、スバルはその隣で椅子を揺らすロズワールに話を振る。ロズワールは片目をつむり、色違いのそうぼうの黄色い目でスバルを見た。

「そーぅだね。私としても、にかまけるのは責任ある立場としてあまりめられたことじゃーぁない。ラムの言う通り、これでも多忙の身なのでねーぇ」

「ほうほう」

「たーぁだ、雇用ぬしとして使用人の労働環境を体感しておくのは決して悪いことじゃーぁないと思うところもある。仕事量と、給与が見合っているか見極める意味でもね」

「ロズワール様、それは」

 かたくななラムと違い、柔軟性のある考え方をするロズワールはわりと乗り気だ。おそらく彼の場合、純粋に楽しげなもよおしに乗ってやろうぐらいの感覚が大きいのだろう。

「ほれ、本人の意思を尊重してやれよ。使用人があるじに物申すなんて百年早いんだろ?」

「バルス風情が、揚げ足を取っていい気になるんじゃないわよ」

 渋々、意見を引っ込めるラムの眼光がじんじようじゃない。突き刺さる視線に苦笑いしつつ、スバルは一通りの意見は聞いたなとうなずいた。

「じゃ、改めて分担の話に入ろう。まず、大まかに食事、洗濯、掃除で分けて……」

「お前はベティーの話の何を聞いてやがったのよ!? やらないって、そう言ってるのが聞こえてないのかしら!?」

「あーもう、面倒臭いやっちゃな。エミリアたん、お願いします」

「えっと、このモンドコロが目に入らぬかー。だっけ?」

 わるきを続けるベアトリスに、スバルはあきれた顔でエミリアに説得を任せる。と、それを聞いたエミリアがスバルに教わった決まり文句を口にして、手を差し出した。

 そのエミリアのてのひらの上に、灰色の毛玉が乗っかっている。丸まっていた毛玉は自分の出番を悟ると体を伸ばし、ピンク色の鼻をふるわせてベアトリスを見つめた。

 エミリアの契約精霊であり、対ベアトリス用決戦兵器──猫精霊パックだ。

「ベティー」

「う……にーちゃ。今日も可愛かわいいのよ……」

「ありがとー。でね、ベティー。ベティーの言いたいこともわかるんだけど、ボクはスバルの言うこともわかるんだよ。それに、たまには人の子のために寛大なところを見せてあげるのもボクら精霊の務めなんじゃないかなーって」

 パックの長閑のどかな物言いに、ベアトリスの青いひとみが動揺する。基本パックに言いなりなベアトリスも、さすがにさっきの今で意見をひるがえすのはプライドが許さないだろうか。

「に、にーちゃの言い分はさすがだと思うかしら。で、でもベティーは……」

「ベティー、お願い」

「にーちゃがそう言うなら、もう仕方ないのよ!」

「やっぱチョロインだわ、お前」

 ベアトリスの問題がものすごく簡単に片付いたため、これで反対意見は解消だ。

 あとは仕事の分担と、組分けといったところだろう。

「組分けって、どうするの?」

「大まかな仕事はさっき言った通りで、パック入れて全部で六人いるし、二人一組に分かれればちょうどいいことになると思う。組分けは……」

 先ほどの反対意見を出した二人から、ものすごい強烈な視線が飛んできた。大体、何が言いたいのかわかったのでスバルはうなずいた。

「ラムとロズっち。ベア子とパック。俺とエミリアたんでどうだろう」

「えっと、私は大丈夫だけど……パックとベアトリスで大丈夫なの?」

「ふふふ、リアは心配性だね。ボクなら大丈夫。この小さい体のメリットを最大限にかして、タンスの裏に落とした小銭も拾ってこれるよ」

「活用の機会が狭すぎる」

 パックがなんで自信満々なのかわからないが、やる気があるのに水を差す必要もない。食事係にして、料理全部に猫の毛が混じるよりはマシだろう。

「ベア子、掃除と洗濯どっちがいい? お前が選んでいいぞ」

「その二つなら、洗濯の方が魔法が活かせるかしら」

「OK。部屋に隠してるお漏らし下着もこの機会にちゃんと全部洗っておけよ」

「やってないっつってんのがわかんないやつなのよ!」

 ふんがいするベアトリスをなだめて、パックとベアトリスのコンビが洗濯に決定。

 残った食事係と掃除係だが、

「ラムとロズワール様が、食事を担当するわ」

「別にいいけど、なんでだ?」

ちゆうぼう仕事ならロズワール様にご足労をおかけする必要も、大きな不手際で迷惑をかけるご心配もないもの。最悪、バルスは野菜クズでも出しておけば食べるでしょう?」

「俺、ウサギ年生まれだけどベジタリアンじゃないよ?」

 スバルの指摘は、ラムに鼻で笑って流される。

 とはいえ、レムを欠いた屋敷で最も家事技能が安定しているのはラムだ。特に食事は成否が露骨に味に出る。そこをラムが担当するのは誤った選択ではない。最悪、ラムには必殺のふかいももある。ロズワールの調理は不安要素だが、食事抜きの悲劇はないだろう。

「というわけで、必然的に俺とエミリアたんがお掃除係に任命だ。つらく苦しい戦いになると思うけど、俺を信じてついてきてくれるかい?」

「うん、わかったわ。私、スバルの足を引っ張らないようにすごーく頑張るね」

「やだ、この子健気けなげ可愛かわいい」

 意欲を燃やした顔でガッツポーズをするエミリア。スバルはパートナーの頼れる素振りに満足げに頷き、役割分担を無事に完了する。

「よし。それじゃ各自、分担した通りの仕事をしよう。パックとベア子には、とりあえずまとめてある洗濯物の場所教えるからついてきてくれ。それと……」

 それぞれ、決められた役目通りに作業に入る前に、スバルは食堂の入口を振り返る。

 わずかに空いた扉のすきから、青い髪の少女がこちらをうかがっているのが見えた。

「レムは落ち着かないかもしんないけど、割り切ってダラダラ過ごすこと」

「はい、それはわかっているんですけど……その、心配で」

「仕事人間的な悪いとこ出てるぜ、レム。今日は『レムの日』なんだ。たいに過ごすことのプロの俺としちゃ、何もしないでベッドに寝てるのをお勧めする」

「え、なんで? そんな時間の過ごし方、もったいなくないの?」

「もったいないをするのがお休みの日でしょ!」

 エミリアの突っ込みに、胸に突き刺さるものを感じながらスバルは答える。ドアの向こうのレムはそれでもなかなか、部屋に引っ込む踏ん切りがつかない顔だ。

「そもそも、休みって決めたのにメイド服着てるのも良くない。だらけるって決めたらまず格好からだらけるもんだ。今すぐだらしない格好に着替えてベッドにダイブ!」

「ですが、レムはメイド服以外は寝衣しか持っていないもので……」

「あ! そういえば前にそんなこと言ってた! あれってマジなのかよ! いくらなんでも年頃の娘がそれじゃひどすぎるんじゃねぇの?」

 確かにレムとラムの二人が、メイド服以外の格好をしているところを見たことがない。寝衣はネグリジェだそうだが、それも基本は自室で過ごすときだけとのことだ。

「そりゃよくねぇ。そのうち、ちゃんと服もつくろわないといけねぇよ。まぁ、今日のところは仕方ないから、ちょっと楽に過ごせるメイド服でも着ててくれ」

「わかりました。お休み用メイド服に着替えることにします」

「そんなのあんだ!?」

 用途に応じたメイド服を取りそろえているらしい。戦闘用、外出用、仕事用と多彩なラインナップらしいが、メイド服に限定する理由がそもそもない。

 ともあれ、後ろ髪を引かれるレムが退散すると、やっと『レムの日』の始まりだ。

「よっしゃ! それじゃ各自、与えられた仕事に万全の心意気で臨んでくれ! レムが休んだせいで屋敷が回らないなんて、レムに思わせたら意味ねぇからな!」

「おー!」

 スバルの掛け声に、エミリアがこぶしを突き上げて応じてくれる。

 周りもそれぞれの声でエミリアに続き、ちょっと不安な一日がスタートした。


    4


 ──そうして与えられた休日を、レムはこれまでにないほどそわそわ過ごしていた。

「本当に手伝わなくて大丈夫でしょうか。……姉様、スバルくん」

 自室に戻ったレムは、スバルの指示通りに休息用のメイド服に着替えて、そのまませわしなく部屋の中をぐるぐると歩き回っている。とてもジッとしていられないのだ。

 そもそもレムにとって仕事は、自分の存在理由を確かめる行いに等しい。無論、レムとて疲労がまらないわけではないが、降っていた休日に心が休まらないのも事実。

「やっぱり、ちょっと見てきましょう」

 冷静で根気強いように見えるレムだが、実はこれで意外にこらしようがない。

 姉よりふくらんだ胸の内に不安が張り詰めるのを感じて、レムはすぐに部屋を出て、周囲の気配をうかがいながら屋敷の中を移動し出した。

「確か、姉様とロズワール様が食事の担当……ちゆうぼうにいるはず」

 まず、自分にとって半身であり、仕事において一番信頼の置けるラムをのぞきにいく。

 少ししようする癖があるものの、ラムは仕事の細やかさや責任感ではレムより上だ。少なくともレムはそう評価しており、自分で料理を選んだラムの判断も疑っていない。

 疑っていないが、ただちょっと、普段より倍ぐらい心配しているだけだ。

 意識して足音を殺して、本棟一階通路のじゆうたんを踏みしめる。厨房がある通路最奥から、かぐわしい香りがするのをきゆうかくとらえ、レムは入口にすべるように寄り添った。

「ロズワール様。今日はこのようなことになって申し訳ありません。バルスには後でラムの方から、厳重注意をしておきます。……ええ、厳重に」

 中を覗き込む前から、ラムのぶつそうな声が聞こえてレムの動きが止まる。

 自分の感情を他人に見せるのを極力避けるラムだが、生まれたときからの付き合いであるレムには姉の静かなこわからその心情を推し量ることが可能だ。

 その長年の経験でつちかった姉センサーの結果、ラムが激怒していることをレムは悟った。それも、近年まれに見る勢いで怒っている。

 ちらと中に視線を走らせると、ラムがもうぜんとした勢いで野菜の皮をいているところだった。刃物の扱いが上手なラムの手の中で、野菜が魔法のように丸裸にされていく。

「そーぉこまで過剰反応することはないよ。日頃の君たちの仕事を実感しておくのも大切なことだーぁとも。何もスバルくんに丸め込まれたってわけじゃーぁないからね」

 それをゆったりと見守っているのは、厨房の壁に寄り掛かるロズワールだった。

 作業するラムの背中を見ながら、ロズワールは立てた指を振るう。と、火のこうせきの作業台に掛けられた鍋が揺れて、湯気立つ香りが厨房に満ち、廊下にもあふれてくる。

 ラムが材料を切り分け、ロズワールが鍋を見ている分業だ。ややラムの方が負担が大きいものの、立場を考えれば相当にきようした方だろう。ラムからすればロズワールには座っていてもらって、すべてを代行したい気持ちでいっぱいだったはずだ。

「ロズワール様はバルスに甘すぎます。あれは勘違いさせておくとろくなことをしない性格ですよ。今日のことだって……」

「なーぁら、ラムはレムに休日をやりたいって考えは間違いだと思ってるのかな?」

「それは……その、レムのしたいようにさせたらいいと」

「確かに最近は前にも増して張り切ってるからねーぇ。ただ、張り切るのと張り詰めるのは違う。私は以前より、今の方がいい傾向だと思っているよ」

 ロズワールの言葉にラムが口を閉ざし、聞き耳を立てるレムも息をんだ。二人が自分の話をしているのを聞いて、レムは今の自分が無性に恥ずかしくなる。

 そういう意図でのぞきにきたわけではなかったのに、これではまるで盗人ぬすつと同然だ。

「……もう行きましょう」

 ラムとロズワールの連携は、付き合いの長さもあって危なげがない。なかたがいするような心配も皆無だ。すぐに移動しようと、レムは入口から背中を離す。しかし、

「ラムにとって、レムはいつだって可愛かわいい妹です。考え方が少し変わったからって、接し方を変えたりしません。──愛し方は同じです」

「ま、そういうことにしておこうじゃーぁないかね」

 ラムの答えが聞こえて、レムは胸をそっと押さえた。それから最後にちらとちゆうぼうの中をのぞく。と、中にいたロズワールと目が合ってしまった。

「────」

 しかし、ロズワールは何も言わず、ただウィンクをレムへ送ってそれを見過ごす。

 あるじの気遣いを受け、レムは廊下に引き返すと再び足音を消して厨房を離れる。ひょっとしたらロズワールは、レムがいたことに最初から気付いていたのかもしれない。

 だとしたら、レムに聞かせるためにラムに話題を振ったのか。

「ありがとうございます、ロズワール様」

 ロズワールのそれとない計らいに、レムは感謝の言葉を残して次の場所へ向かう。

 次は洗濯をしているはずの、パックとベアトリスのコンビだ。

 ある意味、今回の組分けでもっとも予想がつかない二人でもある。

「普通に考えれば、水場で作業しているはずですけど……」

 洗濯物は朝の内に回収し、大浴場の方へひとまとめにしてある。れても問題なく、大量の水を使える場所として、洗濯は浴場の水場で行うのが屋敷での通例だった。

 それに従えば、あの二人もそこで洗濯しているはずだが。

「そういえば、細かな生地の違いとかわかるでしょうか……」

 はたと、不安要素に気付いてレムはしようそうかんを得る。

 ハンカチなどの小物類はいいとして、メイド服やロズワールの衣装。エミリアの服や女性陣の下着となると、これらは一緒くたに洗濯することができない分類だ。

 色移りや生地がいたむことを考えると、非常にまずい。

「洗濯だけはレムか姉様が必ず担当してたのに……!」

 失念していたことが悔やまれる。レムは急ぎ、西棟の大浴場へと向かった。走るレムの耳に水音と話声が届き、二人がそこにいることは確実となる。あとは、二人が乱暴な仕事をしてしまう前に洗濯物を取り上げて──、

「いいかい、ベティー? 女の子の下着は乱暴に洗うと形が崩れたり、すぐダメになったりしちゃうから丁寧に手洗いが基本なんだよ。中に着る肌着やシャツなんかはいっぺんに洗っちゃうけど、大切なものこそ手間をかけてあげないと」

「ふむふむなのよ。さすがはにーちゃ、物知りかしら。勉強になるのよ」

 脱衣所で息をひそめるレムの眼前で、おけんだお湯に手を突っ込み、下着類を洗っているベアトリスの姿が見えた。パックがその近くを浮遊しながら、長い尻尾しつぽを揺らして個人用の小さな浴槽を眺めている。

 かすかなマナの変動を感じて、レムは背伸びしてパックが何をしているのか確認。それを目にして、小さく息をんでしまう。

 浴槽の中、衣類がお湯と泡まみれになってぐるぐると回っているのだ。おそらく、風と水の魔法の応用だろう。時折、逆回転させることで大量の洗濯物を一気に処理している。

 そしてベアトリスの方も、改めて手元を見ればおけに直接手を入れていない。かざした手の先で、まるで水が形を得たように動き、手洗いするように下着を洗っているのだ。

 どちらも超常の存在だからこそできる、圧倒的生活感がする魔法の無駄遣い。

 やっていることが非常に高度なのに、庶民性あふれる洗濯への利用なのが心憎い。さらに驚かされたのが、妙に人間の実生活に詳しいパックの知恵袋だった。

「そうやって洗剤と一緒に洗ったら、今度はぬるめのお湯ですすぎ洗いだよ。ちゃんと洗い流してあげないと、白い生地は黄ばんだりするんだ。干すときは風通しのいいところで、あまり日に当てずに陰干しするのが下着への配慮だよね」

 むしろ、詳しすぎてちょっと気持ち悪い。

 エミリアのために覚えたのだろうが、どこで学んだのかは全くのなぞだった。

「でも、心配はしなくてよさそうです」

 最大の不安要素だった、無知という部分は危うげなくクリアされたのだ。に落ちない部分に目をつむり、レムはここも大丈夫だろうとホッと胸をで下ろす。

「それにしても、洗濯って面倒なのよ。ニンゲンはどいつもこいつも、生きてるだけで色んなものを汚すから始末に困るかしら」

「ボクたちはちょっと出入りすればリフレッシュできちゃうもんね。おっと、ベティーは少しだけ事情が違ったんだっけ」

「……ちょっとだけなのよ。汚さないって意味ではにーちゃと一緒かしら」

 声の調子をわずかに落とし、ベアトリスはそれから桶の中の下着を見下ろして、

「魔法を使っても面倒なのに、これを一つずつ手洗いとか正気のじゃないのよ。ベティーはもう、ちょっとやっただけでうんざりしたかしら」

「でも、それを毎日やってるのがあの子たちやスバルだからね。ボクたちは洗濯はいらないけど、掃除とご飯が大切なのはわかるじゃない。それも全部、毎日やってるんだから疲れちゃうよね。たまに休ませてあげたいのもわかるよー」

「ま、まぁ、少しだけそう思わないこともないではないのよ」

 どこまで本気なのか、かえって感情の見えないパックよりベアトリスはわかりやすい。すでに脱衣所を出たレムにも、少女が赤い顔をしているのが目に浮かぶのだから。

「お二人とも、お気遣いありがとうございます」

 脱衣所を出たところで、浴場へ向かってレムは頭を下げた。

 それから、今日の作業分担の最後の一組のところへと足を向ける。レムにとって一番心配であり、ある意味で手出し口出しを我慢できるか一番不安な組だ。

 スバルとエミリアも、今日はこの西棟の掃除に取りかかっているはずだった。

「やっぱり、ほっかむりをしてるとお掃除って感じがするわよね」

「ほっかむりってきょうび聞かねぇな……」

 西棟の三階へ足を運んだところで、レムは二人の声を聞いてそっと息をひそめた。壁に背を預けて廊下をうかがうと、掃除道具を手にしたスバルとエミリアが窓をいている。

 エミリアは髪を後ろにまとめ、前掛けをして白い布を頭に巻いた格好だ。スバルがちらちらと、横目にエミリアを盗み見ているのがレムには微笑ほほえましい。

「それにしても、ここもあんまり汚れてない。すごーくしっかり掃除してあるみたい」

「ま、日替わりローテで三つの棟を代わる代わる掃除してっからね。それに、西棟は他と比べて使用頻度も低いし。この階のダンスホールとか、完全に持ち腐れしてんだもん」

 窓に息をかけ、キュッと音を立てながら拭いているエミリア。その隣でスバルはきやたつを使い、窓や扉の上の方を確認しては、やりをなくした顔で肩をすくめた。

「あー、ダメだ。ここも掃除してある! 掃除してあることに不満を覚えるって、まさかこんな日がくるとは思ってもみなかった!」

「ホントにそうよね。でも、それだけレムが一生懸命仕事してるってことだもの。私、こうやって見て回るまで全然気付いてなかったかも」

 頭を抱えるスバルに笑いかけ、エミリアはざっと通路を見渡していきをこぼす。

「こういうことをないがしろにしちゃいけないんだと思うわ。レムのために何かしてあげようって思ったのに、私も勉強になっちゃった。スバル、ありがと」

「え? あ、うん、そう、まさに俺のねらい通り。日常が誰かに支えられてることをエミリアたんにわかってもらって、レムも休めちゃうという一粒で二度おいしいみたいな?」

「ごめん。ちょっと何言ってるのかわかんない」

 照れて早口になると、スバルが何を言っているのかわからないことがレムにもある。エミリアも同様の感想を抱いたらしく、スバルは肩を落として消沈した様子だ。

「でも、こうやってお屋敷のお掃除してると、ちょっと前のこと思い出しちゃう」

「ちょっと前って?」

「私も、ほんのちょこっとだけレムたちみたいに働いてたときがあったの。色んな勘違いの結果だったんだけど……ふふ、今ではいい思い出」

「へぇ、そうなんだ。まさかメイド服とか着ちゃったりして。まさかねー」

「うん、着てたわよ。レムたちと違って、短くないやつだけど」

「マジで!? なんで俺その場にいなかったの!?」

「え? まだスバルと会ってない頃だったからじゃない?」

 唇をんで悔しがるスバルに、エミリアは不思議そうな顔で首をかしげている。

 あれだけスバルがわかりやすいのに、何も気付いてない風なエミリアは罪深い人物だ。レムはスバルを可哀かわいそうに思う一方で、二人の進展のなさにホッともしてしまう。

「あれ? そういや、今日って……ひのふのみの……」

 と、レムが自分の心と向き合っていると、唐突にスバルが声を上げて数を数える。指折り数えたスバルは「いけね」と小さくつぶやいて窓の外を眺めると、

「スバル、どうしたの?」

「大事な仕事があるの忘れてた。これすっぽかすと問題だよなぁ」

「大事なお仕事……それって、時間とか人手が必要な仕事?」

「いや、一人でも大丈夫。ただ、やり忘れちゃいけないタイプの仕事かな」

 ほおき、見通しの甘さを反省する顔のスバル。エミリアは唇に指を当てて考え込み、スバルの答えをぎんしてうなずいた。

「よし。それなら、スバルはそのお仕事をしてきて。この棟のお掃除は、きっと私だけでも大丈夫だから。ほとんど終わっちゃってるもの」

「……エミリアたん、俺がいなくて大丈夫? 寂しくない?」

「それは全然ちっとも寂しくないから大丈夫」

「なんで強めに否定すんの?」

 いつものやり取りを交わして、スバルがごり惜しげにエミリアのそばを離れる。小さく手を振るエミリアはスバルを見送ると、「よしょ!」と気合いを入れるように声を上げ、

「さ、スバルにもおおを切っちゃったし頑張らなきゃ。一人でもお茶の子さいさいだってところを見せなきゃ、あとで笑われちゃうもんね」

 スバルがエミリアを笑いものにすることなどありえないだろうに、エミリアはそうとも知らずにバケツとぞうきんを手に別の部屋の中へと入っていく。この調子ならば、エミリアの掃除も問題は起きないだろう。気になることがあるとすれば、

「スバルくんはどこに行ったんでしょうか……」

 エミリアと別れて、一人でどこかへ向かったスバル。食事、洗濯、掃除と仕事の分類が済んでいる中で、忘れてはいけない大切な仕事とは。

「──ぁ」

 思案するうち、スバルが窓の外を見ていたのを思い出し、レムは答えに辿たどり着いた。


    5


「レムもご一緒していいですか、スバルくん」

 屋敷の正門を抜けたところに立つレムを見て、出てきたスバルが目を見開いた。

 彼はレムの言葉にバツの悪そうな顔をして頭を掻く。

「なんだよ。やっぱりレムにはお見通しだったか……」

「いいえ、レムもついさっきまで失念していましたよ。思い出したのはきっと、スバルくんと同じぐらいのタイミングです」

 小さく微笑ほほえみ、レムは反省した様子のスバルに首を横に振った。

 実際、スバルが思い出さなければレムも気付かなかったかもしれない。それぐらい、降っていた休日に頭を支配されてしまっていたということだろう。

「今日で前回の確認から三日目……山の結界がちゃんと定着しているか、確認しにいかないといけない日ですから。魔獣のくだんの混乱もやっと収まってきたところですし」

 スバルが思い出し、レムが忘れていた仕事──それが、結界の確認だ。

 先日の魔獣騒ぎの原因は、山に生息する魔獣を隔離するための結界、その管理をおこたったことだ。そのため、山には新しい結界が張られ、定着までを定期的に見回っている。その確認の日取りが今日に当たり、山へ向かおうとするスバルをレムが捕まえた形だ。

「別に決まった地点の結晶石が光ってるかどうかぐらい、俺一人でも見てこれるぜ? そんなに一人で山歩きさせるのに不安があるか?」

「スバルくんが心配なのはいつでもそうですけど、そればっかりじゃありません。レムがスバルくんと一緒に歩きたいんです。いけませんか?」

 レムの申し出に、スバルが視線をそらして鼻の頭を指ででる。そのままぐレムが視線で訴えていると、スバルは根負けしたようにため息をついた。

「休みの日なのに山歩き。レムはずいぶんとアウトドアな趣味をお持ちだな」

「スバルくんと一緒にいるってことは、いつでも寄り掛かっていいってことですから。そう言ってくれましたもんね」

「それ言われると弱いぜ。いいさ、一緒に行こうか。旅は道連れ世は情けだ」

「──はい」

 歩き出したスバルに続き、半歩後ろをレムは歩く。

 この距離と速度が、レムにとって一番心地よい距離感だった。並んでいるわけでも、遅れているわけでもない。でも時々、スバルがこちらをちらと振り返ってくれる。

 まるでレムがちゃんとついてきているかを確かめようとするように。

 そのぐさに気付いてからは、スバルのこの位置がレムにとっての特等席だ。ここにいるときが一番、黒髪の少年の目つきが優しく、温かい気遣いに触れられる気がする。

「あのさ、レム。今日のこととか強引に決めちまったけど、迷惑じゃなかったか?」

「迷惑、ですか?」

「さっき門の前で待ってたのもそうだけど、落ち着かなかったんじゃねぇかなって思ってさ。いや、今さらだし、もっと前に気にしろって話なんだけど」

 気まずそうにレムの心情を推し量るスバルに、レムは笑い出しそうになってしまう。

 スバルの言う通り、気にするのなら遅すぎるし、そんなに不安そうに切り出されるようなことでもない。ただ、少しだけ意地悪したい気持ちも湧いてくる。

「そうですね。本当ならレムも、色々とお仕事の中で順序立てたり、やりたいと思っていたこともあったので、そういう意味では日々の仕事に水を差された形です」

「うぐ……すいません」

「レムにも色々とお仕事の予定があります。今日が抜けたことで、明日以降の予定に支障をきたすかもしれません。おかげでちょっと困ってしまったのも事実です」

「ぐふ……ち、小さな親切が大きなお世話に……」

 胸を押さえてふらふらと歩くスバルを横目に、レムは内心で小さく舌を出す。

 驚かされたのだから、このぐらいの仕返しはしてもいいだろう。それに驚かされはしたけれど、今日という休日を得られたことは悪い気分ではなかった。

「でも、スバルくんがレムを気遣ってくださったのはうれしかったですし、エミリア様やロズワール様が普段からレムをどう思ってくださっているのか、そのへんりんですけど知ることができました。そのことに、レムはお礼を言いたいです」

 ついでにパックのなぞの知恵袋と、ベアトリスとのごうな魔法の使い方も。あの衣類をお湯でぐるぐる回す洗い方は、レムもしたいと思う。

 レムのその答えに、スバルは足を止めてぽかんと口を開けていた。それからすぐ、自分がからかわれたことに気付いたスバルは唇を曲げる。

「レムが冗談かませるぐらいに親しんでくれてるみたいで嬉しいよ、ったく」

「ごめんなさい。でも、突然のことで驚いたのは本当ですよ。それにレムがいなくてもお屋敷が今日みたいに回るのなら、それはそれで寂しいですし」

「いや、そうは言っても今日みたいに屋敷の戦力が結集して家事に当たるみたいなことってそうそうできねぇから。それに起きてから朝飯までの間にレムが終わらせた仕事量考えると、実は丸一日はこの戦力でも回らない疑惑がある」

「それはいくらなんでも過大評価ですよ」

「実際、五人分ぐらいの仕事を一人でしててそれ言うかよ。もっときっちり自分のこと評価してやっていいんだぜ? ちょっとぐらいドヤ顔しても文句は言われねぇよ」

 そう言ってスバルが評価してくれるのを、レムはただただ嬉しく思う。

 そこまで言ってもらえるなら、日々、仕事にはげんでいるもあるというものだ。

 屋敷でエミリアやロズワールの口からも、今日は嬉しい言葉をたくさんもらえた。

 言い出しっぺのスバルには感謝しかないし、彼の思いやりにむくいたいという気持ちばかりいてきてしまう。

「スバルくん」

「んん? どしたどした。ドヤ顔する気になったか?」

「ありがとうございます」

「なんで今、俺お礼言われたの!? 俺がいつもありがとうした展開じゃなかった!?」

 思わぬ返答を受けたようにスバルがろうばいし、レムは口に手を当てて笑う。

 ──その自覚がないからこそ、この少年がいとおしいのだと実感するように。


    6


 翌朝、レムはいつもより早く起き、いつもよりだしなみに気を遣い、いつもよりも晴れ晴れとした気持ちで朝の雑務を片付け、いつもと同じ時間にラムの部屋を訪ねた。

「姉様、姉様。朝ですよ。とても気持ちのいい朝です」

「……あと五分」

 タオルケットにもぐり込み、お決まりの文句を口にする姉の体を抱き起こす。ふらふらと頭を揺らすラムの後ろに座り、桃色の髪にくしを通して髪を整えた。

「姉様、蒸しタオルです」

 欠伸あくびするラムに、お湯で蒸らしたタオルを渡す。顔をぐいぐいとぬぐい、ぼんやりとしたラムの意識が少しずつかくせいする。その間にレムは着替えを持ち出し、さっさとラムの寝間着を脱がせ、制服に着替えさせてしまう。もはや職人技、慣れたものだ。

「……レム、今朝はずいぶんと機嫌がいいわね」

 鼻歌まじりに着付けをするレムに、完全に覚醒したラムが薄く唇をゆるめてつぶやく。

「そうですか? ……そうでしょうね。昨日は大変有意義なお休みの日を過ごさせていただきました。姉様にも、ご迷惑をおかけして」

「……しっかり、休めたの?」

 ラムが短い言葉で尋ねてくる。その言葉にレムは昨日のことを思い出す。

 ラムとロズワールが協力した昼食と夕食。洗濯物を干しながら、日向ひなたでおなかを出して寝ていたベアトリスと、突風に飛ばされるパック。掃除の最中につぼを割り、半泣きでうろちょろしていたエミリア。そして、スバルと歩いた山道と交わした言葉。

 ──そのどれもが、レムに当たり前の答えを差し出してくれていた。

「はい、姉様。レムは昨日、世界一幸せな休日をいただきました」

「──そう。ならいいの」

 微笑ほほえんで答えたレムに、ラムは目をつむって満足げにうなずく。レムですらなかなか見ることのできない、ラムが心から安息を得たときにする表情だ。

 ラムはそのおだやかな顔のまま、そっと目を窓の外へ向けると、

「バルスも、たまには役に立つ提案をするものね」

「はいっ。スバルくんはすごいんです。姉様も、そう思いますよね」

「そう思いかけたのを、思い直したところだわ」

 素直でない姉の答えに、レムは子どもっぽくほおふくらませる。こんなぐさをレムが見せられるのもラムの前だけだった。今はもう一人、特別に増えているけれど。

 ラムの着替えが終わり、鏡の前でポーズを取る姉にレムが拍手。それから二人で連れ立って通路に出ると、欠伸あくびをしながら廊下を歩くスバルがちょうどやってきた。

 スバルは二人に気付くと、欠伸をころして手を上げる。

「おはよ、お二人さん……なんで姉様は朝から俺のことにらんでんの?」

「知らないの? 朝からねずみがいを見つけると、女はこういう顔をするものよ」

「それが俺の質問に対する答えだと思いたくないんだけど!」

 部屋での会話を引きずっているのか、今朝のラムは最初からスバルに冷たい。それに苦笑しながら、レムはせめて自分はスバルに優しくしようと心に決める。

「スバルくん、気にしないでください。姉様はただ、自分に正直なだけなんです」

「それ、俺が鼠の死骸面扱いされたことのフォローになってないよね!?」

 なぜだろう、失敗してしまった。

 気遣いがたまにくいかないことがあって、レムはそのたびに首をかしげてしまう。

 ともあれ、スバルは深々と息を吐いて今のショックをさて置き、レムを見つめた。

「ところで、レム。昨日は突然の休日、総括としてちゃんと休めて楽しめたか?」

「はい、もちろん。スバルくんのおかげです」

「ちっ」

「姉様、今、舌打ちしたよね?」

 顔を背けるラムに、その横顔をにらみつけるスバル。その二人の仲の良さがうらやましいと思いながら、レムはそれ以上の喜びを見つけられたことに満足している。

「まぁ、レムがそうして楽しそうに笑えてるんなら何よりだ」

 思わずほおゆるんでしまうレムに気付き、スバルも頬をきながら照れたように笑う。

「それで、レム。昨日一日あったわけだけど、ちゃんとごほうのことは考えたか? まさか休日を休みきるのに手いっぱいだったなんて言い出したりしないよな?」

「そんなこと言いませんよ。でも、レムのご褒美なら、もうもらってしまいました」

「え、マジで? 聞いてねぇよ。ロズっちの野郎、水臭いなぁ」

 首をひねり、スバルはここにいない主人に対して唇をとがらせる。けれど、それは単なる思い違い。ロズワールにとってはとんだぎぬだ。

 だってレムのご褒美は、他でもないスバルの発案で十分なほど受け取ったのだから。

 ──屋敷の皆がレムを気遣い、一日の休みをねんしゆつするために無償で協力してくれた。

 自分にその価値があると、みんながそう思ってくれたのだ。その事実を受け取れたこと以上のご褒美なんて、あるはずがない。だから、

「──レムは今日も、お仕事を頑張りますよ」

 そう言ってレムは、いつもよりも愛らしく見える笑顔を大切な二人に見せたのだった。


《了》

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