Re:ゼロから始める異世界生活 短編集1

@TappeiNagatsuki

『ゼロから始まる英雄譚』


    1


ぎんゆうじんが村にきてるって?」

 とつぴようもない単語を聞かされて、ナツキ・スバルは驚き顔で聞き返した。

 ぞうきん片手に振り返るスバルは、今日も今日とてなかなか似合わない執事服スタイルだ。窓をく動きがぎこちないのは、先日のがまだ尾を引いているからである。

 ロズワール辺境伯の屋敷と、りのアーラム村を取り巻く魔獣騒ぎ──多くのせいを出しかねなかった事態を未然に防ぎ、スバルは文字通り名誉のしようを負った。

 事件のあわただしさも収束し、屋敷も村もすでに普段のよそおいを取り戻している。スバルの治療も大部分が終わり、今はリハビリがてら屋敷の雑用に精を出しているところだ。

「そう、吟遊詩人! さっき、村から戻ったラムが話してたのを聞いちゃったの。スバルは吟遊詩人って見たことある?」

 問い返すスバルに応じるのは、涼やかなぎんれいのような美しい調しらべだった。

 声のぬしは腰に届く長い銀髪を揺らし、芸術家がそろって筆を折るほどのぼうの持ち主だ。ただ、魅入られそうなほど深いこんひとみを好奇心で満たし、隠しきれない興奮にほおを赤くする姿を見れば、そんなかんがいも愛らしさに上書きされてしまう。

 スバルもまた、彼女が時々見せる子どもっぽさに魅了された一人だ。

「E・M・T(エミリアたん・マジ・天使)」

「え? 今、何か言った?」

 戯言たわごとに小首をかしげる少女の名はエミリア。

 恩人であり、おもい人でもある少女のじやぐさにスバルは笑い、

「いや、俺も直接この目で見たことねぇけど……エミリアたん、超楽しそうだね」

「楽しそうっていうか楽しみなの。ぎんゆうじんさんって、歌とか踊りとかで物語を伝える人たちなんでしょう? きっと色んなお話を知ってるはずだし……ね、スバル」

 期待を込めた目で、エミリアが手を合わせてスバルを見つめる。

 甘い声で名前を呼ばれて、甘えた仕草でうわづかい。エミリアほどの美少女にそんなお願いをされて、折れない男がいるだろうか。少なくとも、スバルは即座に折れた。

「あい、わかりやした。片付けて、先輩の許可もらってくっからね」

「ん。ごめんね。私のわがままに付き合わせちゃって」

「大丈夫だよ。リハビリがてらの雑用にそこまで期待されてねぇし、デートが優先」

「あ、そっか。また二人で出かけるから、これもでーとになるのね」

 自覚のなかったらしいエミリアの罪作りな微笑ほほえみを見て、スバルはぞうきんを戻したみずおけを持って部屋の外へ。廊下の窓から見える景色、遠くに見える集落がアーラム村だ。

ぎんゆうじん、か……」

 口にしてみると、これが想像以上にファンタジーなふんのする単語である。

 エミリアの前では落ち着いていたが、心がき立たないはずもない。

 陽気でほがらかに、歌声が人と世界を巻き込んで、物語をつむぎ出すのだ。

 想像するだに楽しげな様子に、一人、廊下を歩くスバルの心も知らずはずんでいた。


    2


「それでは歌います。聞いてください。──沈む夕日に裏切られたドラフィン」

 陰気でる悲しげなせんりつが、村の広場にの日の雨のように流れていた。

 広場の中央、木材を積み上げただけのまつな舞台に立つのは、ギターとウクレレの中間のような形をした、木製のげんがつかなでる人影だ。

 がく的な模様の入った楽器の音律は弾むようだが、歌い手の技術次第でこうまでいんうつさを発揮できるものなのか。そう感心するほど、暗い雰囲気が村を包み込んでいる。

 うつうつとしたメロディと歌詞の内容に引きずられ、聴衆である村人たちも死んだ魚の目をしている。この世の終わりのように泣き崩れるろうの姿まであり、魔獣騒ぎに不安がっていたときでも、ここまでひどい様子は見かけなかったのではないか。

「こんなに苦しいのなら、いっそ楽に死にたい。死ねない。死なせてもらえない……」

 歌の中では親友と婚約者に裏切られたドラフィンが、かつて大切な約束を交わしたさんばしの上で夕日に見守られながら、身投げするかしまいか迷っているきようだ。

 楽器を演奏し、歌まで歌っているにもかかわらず、身振り手振りを交えてりんじようかんたっぷりの物語世界を展開する歌い手。一筋の涙がそのほおを伝うのを見た聴衆たちのひとみにも、こらえ切れない涙が浮かび、えつが漏れ始めていた。

「泡を吐き、音のない水底へ。、ドラフィン。嗚呼、嗚呼、ドラフィン……」

 どうやら思い切ってしまったらしいドラフィンが川底に沈み、ただ彼の悲しみを見ていることしかできなかった風や花が、あわれな彼の死を惜しみ、終幕が訪れる──。

「興行のリサイタルに選ぶ曲か、これが!!」

「うひゃいっ!」

 音のいんも消えないタイミングで、いよいよ耐えかねたスバルが突っ込みを入れる。

 バッドエンドをぎんじていた詩人が飛び跳ねて驚き、途端に広場を包み込んでいた物語世界がかい。歌の世界にとらわれていた村人たちが我に返り、顔を見合わせる。

「あ、え……」「うわ、なんだ、俺、すごい泣いてる」「やだね、年取るとるいせんが弱くて……」「ドラフィン、お前はもう一人のオレだ!」「詩人の姉ちゃん可愛かわいいわー」

 と、涙を浮かべながら口々に感想を交わし合う。そうしてひとしきり最初の感想を吐き出すと、彼らは列の一番後ろでこそこそと逃げようとしていたスバルを振り返り、

「──ふんぶち壊しじゃないですか、スバル様!!」

 そう、スバルが驚いて飛び跳ねるほどに怒鳴りつけたのだった。


    3


「改めまして、自己紹介を。流れのぎんゆうじんをしております。リリアナと申しますっ」

 そう言って、ぺこりと頭を下げたのは、まだ幼さを残したれんな少女だった。

 かいかつさと好奇心に満ちた大きく丸いひとみに、行動的な性格を反映したような黄色の髪。二つくくりにされた髪と、薄手のマントの下の踊り子のような衣装は木の実や動物の骨を使ったそうしよくひんで飾られている。たけは低いが、手足はすらりと長く、露出した肌は健康的なかつしよくをしていて、いかにもろうの旅人といった雰囲気がただよう少女だった。

「そりゃご丁寧にどーも。俺の名前はナツキ・スバル。けんけんがくがくごうけんらんの雑用係。道向こうに見えるお屋敷で、使用人としてはちめんろつの大活躍中」

「けんけんにろっぴ……? あ、いえ、どもです。よろしくお願いしますです、はい」

 初対面でもスバルのあいさつはマイペースに不親切だ。リリアナはげんな顔を愛想笑いの下に押し込み、領主の関係者と説明されたスバルたちの機嫌を損ねないよう必死である。

 しかし、リリアナのそんな警戒も、次なるエミリアの行動で一気にくだけ散った。

「今の歌、すごーくよかった。私、もう今にも泣き出しちゃいそうで……」

 感極まったエミリアが、とっさにリリアナの手を取って感動を伝える。興奮気味のエミリアにリリアナは一瞬驚いたが、すぐにめられたことに気付いて微笑ほほえんだ。

「いぃえぇ! こちらこそ、ごせいちよういただいて何よりです! まだまだ未熟な身ではありますが、そう言っていただけるだけで……ほぁ!?」

 好意的なエミリアにリリアナも笑顔で応じたが、すぐにその表情がエミリアを見つめてぜんとなる。ぽかん、と口を開けて固まってしまうリリアナ。

 その反応にスバルたちも目を丸くするが、リリアナはなおも驚いた顔のまま、

「め、女神様ですか……?」

「──え?」

「だ、だって、うち、こんなめんこい人、見だごどなぐで! うわぁ、うわぁ! 髪の毛も肌も、なしたらこうなるの!? 本当に同じ人類!?」

 その場でピョンピョンと跳ねて、リリアナはエミリアのぼうに感激している。

 おおなリアクションにエミリアは絶句しているが、スバルはリリアナの意見に完全に同意だ。エミリアは少し、自分のじんじようじゃない容姿にとんちやくすぎる。そこが可愛かわいい。

 と、リリアナは急に跳ねるのをやめると、ふいに楽器をかかげて一礼した。

ひらめきました。聞いてください。──、女神様」

 小さく息を吸い、リリアナはその場で軽く足踏みしながらリズムを取り、なめらかな指使いでげんはじきながらムーディーな曲をかなで始める。

「魅入られるほど深く、宝石のように淡く、こんせきんだまなし。流れる銀髪は月の涙。人形師の指先に加護の舞い降りしせいめんぼう。降り積もる白雪のような肌は踏み荒らされることを知らず。かすかに長い耳が……耳が……ミミガー?」

「────っ」

 りゆうちように歌い上げていたリリアナの美声がふいに途切れ、少女の金色のひとみが疑念、理解、きようがくの三段階の変化をげるのをスバルは見届けた。

 彼女の視線はエミリアの耳に向き、自らが口にした歌と一つの単語を結び付ける。

「銀髪の耳長……まさか、しつの魔じょりかっ!」

「よし、ストップだ! いい歌だけど著作権法に引っかかった疑いがある! げんせいな審査をした上で追ってを出すからおんしやとはえんがなかったということで……」

「──スバル」

 とっさにリリアナの口をふさぎ、不用意な発言が出ないようにしにかかるスバル。だが、そんなスバルの行動をとがめたのは他でもないエミリアだ。

 エミリアはリリアナに関節技をかけ、肩をめるスバルに唇をとがらせる。

「スバルが心配してくれるのはうれしいけど、女の子に乱暴したらダメでしょ。めっ」

「めってきょうび聞かねぇな……ってか、そうじゃなしにしても、エミリアたん」

「いいの。気付かれてから誤魔化したって、何の解決にもならないんだから」

 いさぎよく割り切っているエミリアは堂々としたものだが、スバルの方はそういうわけにもいかない。彼女がいわれのない非難にさらされるのは、胸が悪くなるのだ。

 ──エミリアは人間とエルフの間に生まれた子、つまりハーフエルフである。

 様々な亜人種が混在するこの世界だが、亜人族に対する差別──中でもハーフエルフには根深い偏見があるらしく、エミリアもつらい日々を経験してきた一人だ。

 とはいえ、エミリアが許した以上、スバルがリリアナを拘束し続ける大義名分はない。しぶしぶ、手首、ひじ、肩と腕を極めていた少女の体を解放してやる。

「ぷはっ! 腕が! 腕がぁ! しょ、商売道具に集中攻撃はやめてくだされっ。うら若い乙女の肌に、なんばしよっとですか、小間使いさん!」

「俺は俺の持てる力を尽くして、大切なものを守れる男でありたい。そして、残念ながら乙女のやわはだっぷりは俺の経験値でも下から数えた方が早いですよ、お嬢さん」

 美少女率がいやに高い異世界だが、リリアナの女性らしさ(スバル調べ)ではワースト入りだ。下から一番はベアトリス、二番はフェルト。リリアナが三位入賞だろうか。

「ふんすっ! 関節をめられた上に乙女心が傷付けられた! でもでもっ」

 スバルの評価にふんがいしつつも、リリアナはねずみのようなはしっこさでエミリアの前におどり出る。小柄なリリアナに見つめられ、エミリアはわずかに表情を硬くする。が、

「お美しいだけでなく、その心根も気高いのですね。私、バキュンと感動しましたっ」

「え、あ、うん、そう?」

「はぁい! 先ほどはしつけで不用意な態度、誠に申し訳ありません。小間使いさんが引き止めてくださらなかったら、いちぞくろうとう根絶やしにされる無礼をするところでした!」

「お前は勢いで身をほろぼす典型的なタイプだな!」

 勢い全開の自白にスバルが驚くが、リリアナは元気よく楽器をらし始める。

「私、こう見えて感受性が爆発的に豊かですので、目の前にひらめきを激発させるものがあるとしんぼうたまらんくなってしまうのです! なので、エミリア様の美しさといさぎよさと大っぴらには口に出せない種族的理由あれこれとか複合しててんやわんやにっ!」

「お前、こっちで見かけたことないタイプで新鮮だなぁ」

 不必要なはつらつさを発揮するリリアナは、騒がしいが不思議と不愉快ではない。

 素直な性格と、声が原因だ。人の心をくすぐり、するりと内側に忍び込んでくる美声は天性のものだろう。ぎんゆうじんはなるほど、まさに彼女の天職といえる。

「もしくは孤独な老人に、もう布団ぶとんとか浄水器とかを売りつけるのが天職」

「あれあれあれ? 今、なんだかふん的にひどいこと言われた気がしましたがっ」

 かんたんするスバルにリリアナが過剰反応するが、それはさわやかにスルー。

 どくを抜かれて警戒心も薄れたスバルの隣で、エミリアもほんぽうな少女にほおゆるめた。

「でも、めてくれたのはうれしいけど、私は別に美人じゃないと思うの」

「あ! あー! 今、私の中で女として許せない気持ちが激発しました! 閃きました。聞いてください。──、女神様め」

「黙れ! でも、エミリアたんのその認識はきようせいする必要があると思う!」

 スバルとリリアナにダブルで否定を入れられて、エミリアはまるで信じられないと言いたげな顔で、困ったように小首をかしげたのだった。


    4


 ──思えば最初に食堂にまねかれた朝は、スバルも不安と緊張にさいなまれていたものだ。

 ロズワール邸の応接間で、スバルは紅茶のカップを傾けながらそう思う。

 舌の上で転がす茶の味は、何度味わっても煮詰めた葉っぱの味で口に合わない。

「どうしたの、スバル。すごーく変な顔してるけど」

 と、思い出と濃い茶の味に苦い顔をしていたスバルを、隣に座るエミリアが呼んだ。

「ちょっと過去回想してた。ほら、俺も屋敷じゃ最初は縮こまってたよなぁって」

「そうだった? スバル、あのときも今と同じで堂々とニマニマしてなかった?」

「ニマニマって表現されると不審者臭さが増して傷付くね!」

 主観と客観でかなり異なる評価にスバルはがくぜんとする。

 エミリアは不満げに自分のほおをこねているスバルを見て、唇に指を当てた。

「ん、冗談。なんだか考え込んでるみたいだったから、ちょっとからかってみたの」

「マジか。そりゃE・M・A(エミリアたん・マジ・悪女)だったな!」

「はいはい。それに、リリアナもそんなに緊張してなくていいのよ?」

 スバルの戯言たわごとを聞き流すエミリアは、正面で小さくなるリリアナに声をかける。村でのかいかつさを忘れたように、青い顔で縮こまるリリアナは「ひゃい」と顔を上げた。

「なんだなんだ。やけにビビってるな。さっきまでのせいの良さはどうしたんだよ」

「そ、そげなこど言われでも、緊張すます。わ、私みたいな田舎者が、こんないぎなり領主様のお屋敷……それも、辺境伯様のお屋敷だなんで……そ、そうしたら……」

いちぞくろうとう、根っこどころか周りの野原まで焼き尽くされるぜ。犬のようにな」

 緊張してなまりが出ているリリアナに、スバルが首に手刀を当てるジェスチャー。

 それを見たリリアナの顔が真っ青になり、エミリアがスバルのひざを怒ってたたく。

「もうっ、スバル!」

「ごめんごめんって。まさかここまでこう覿てきめんとは思わなくてさ」

 頬をふくらませるエミリアに、スバルは苦笑しながら謝罪する。とはいえ、借りてきた猫のようなリリアナの様子に、村で振り回されたスバルはりゆういんの下がる思いだった。

 現在、スバルたちはアーラム村からロズワールの屋敷に戻り、応接間で談笑──というには少し、空気の重い時間を過ごしているところだった。

 来客としてリリアナをむかえるために、屋敷の主人の時間が空くのを待っている。三人がソファで向かい合っている理由は、つまりそういうことだった。

「それにしても、取り次いだラムの嫌そうな顔、見たか? まるで余計な面倒事を持ち込んだ俺たちを、やつかい者としてけいべつしてるような目だったぞ」

「ひっ! やっぱりかんげいされてないんじゃ……い、今のうちに逃げないと……っ」

「大丈夫だってば。さっきからスバルも脅さないの。リリアナが可哀かわいそうじゃない」

「今のはビビらせ目的じゃなく、客観的な事実を伝えただけだよ。実際、ラムのやつはロズっちの仕事増やされるの気に入らないだろうしさ」

 ラムはロズワールにしんすいした屋敷のメイドだ。きゆうにあるまじきごうまんな態度の少女なので、リリアナの件でロズワールに取り次ぎを頼んだときは露骨にため息をついていた。

 さぞやいまいましく思いながら、あるじに話をしていることだろう。

「今頃、どんな悪評がロズワールの耳に入ってるかわかりゃしないな。たけ二メートルを超す、巨漢でだみ声のぎんゆうじんがお目通りを願ってるぐらいに話してるかも」

 いかにかぶものと有名なロズワールでも、会う価値があるか疑問な相手となれば顔を出すはずもない。それで望みが絶たれるのはリリアナがびんだが──、

「そんな心配しなくても、姉様は不公平はしませんよ。ロズワール様のご意思の確認に、姉様がてきな感情を差しはさんだりしませんから」

 そんなスバルのねんを否定したのは、湯気立つお盆を抱える青髪の少女だった。

 肩や背中の露出した、つやっぽさの強い改造メイド服を身にまとう美少女──レムだ。

 部屋に入った彼女はとしたぐさで茶菓子を足し、お茶のお代りを空のカップにいで回る。ティーポットを持つレムが目の前にきて、スバルはカップを差し出した。

「お菓子はともかく、おちやみはラムの仕事だとばっかり思ってたけどな」

「常日頃、姉様はお忙しいですから。……それに、スバルくんが飲むお茶の用意は常にレムがしたいんです。レムのおもいと、それ以外のものもたくさん入れます」

「お願いだからお茶っ葉とお湯だけにしてもらっていい!?」

 過激な発言にスバルのほおがひきつると、レムは「残念です」と唇をとがらせた。

 魔獣騒ぎの解決以来、レムのスバルに対する態度は常にこんなあんばいだ。その親愛表現は素直にうれしいが、微妙にまどっているのもスバルの男心。

 これがモテ期を知らない男子の、悲しいさがだとは周りも本人も気付いていない。

「ともあれ、うまいお茶とお菓子を口実に誘い込んだからな。契約は満了だ」

「そんな……おいしいお茶とお菓子と可愛かわいいメイドなんて、照れます」

「事実だけど、一つ自然に付け足したよな?」

 赤らめた頬に手を当てて照れているレムに、スバルは静かな突っ込み。それを受けてレムは照れ笑いを浮かべたまま、そっとスバルに小声で、

「それにしても……ただの吟遊詩人と聞いてますけど、どうしてお屋敷に?」

「あー、エミリアたんがいたくお気に入りで……ってのもあんだけど、もうちょい話は複雑でな。あいつ、どういうわけかエミリアたんの認識がいを突破した」

 小声でスバルが応じた内容に、レムのひとみがわずかに細められた。

 認識阻害というのは、ハーフエルフであるエミリアのじようを周囲に気付かせないため、彼女の着たローブに編み込まれた術式の効果のことだ。エミリア自身の許可か、その効果を突破できる力の持ちぬしでない限り、エミリアをエミリアと認識できないはずなのだ。

「その効果を突破した……ロズワール様の編んだ術式ですから、それが解けるようなことは考えにくいはずです」

「だろ? なんで、さすがに放置できなくて連れてきたってとこ」

 そうして連れ込む口実に使ったのが、ラムのお茶とレムの茶菓子だ。最初は渋っていたリリアナも、その口実であっさりと転んだ。彼女の将来がひどく心配だ。

 いずれにせよ、放置できない問題と考えて、スバルは彼女を屋敷へ連れ帰ったのだ。

「わかりました。つまり、余計なことを口外される前に口を封じればいいんですね?」

「わかってねぇし、お前が言うとシャレにならねぇな!」

「もう、嫌ですよ、スバルくん。さすがにレムもそこまでしたりしませんよ」

 冗談です、と舌を出して可愛かわいらしく笑うレムだが、諸事情により説得力がない。

 その諸事情はもはや、スバルの記憶の片隅にしか残っていないものなのだが。

「にしても、さすがレムの茶菓子の効果はばつぐんだな」

 見れば、先ほどまで緊張でカチコチだったリリアナも、香ばしい焼き菓子を口にした途端に夢中になっている。家事万能のレムだが、菓子作りの才覚は突出していた。

「どれ、俺も一つ……うん、やっぱり超うめぇ。レムの菓子は絶品だわ」

「ありがとうございます! スバルくんのために全身全霊を込めて……二度とお菓子を作れなくなってもいいから、ありったけを……という気持ちで作りました」

「こんな何気ないひと時にそんなたましい燃やし尽くしそうな覚悟で!?」

 レムの一球にゆうこんの味を確かめながら、スバルは菓子作りも命懸けなんだと軽く引く。

 一方、リリアナもリラックスできたらしく、ソファに体重を預けて腹をでていた。

「うとうと……うとうと……」

「だからって、居眠りを見逃してやるほど大きな心は持ち合わせてねぇよ!」

「はっ! 寝てません! 寝てませんよ! 寝たように見せかけて、私を監視していたかくをおびき出し、いちもうじんにする算段だったのですっ」

「……っ! 大変、誰にねらわれてるの……?」

「ほら見ろ! うちの箱入り天使がだまされた!」

 口の減らないリリアナに、人を疑うことを知らないエミリアがまんまと騙される。

 よだれの垂れかけた口の端をぬぐうリリアナは、百かゼロかの極端な対応しかできない子なのかもしれない。安心して見守ることも許さない少女に、スバルはいきをこぼす。と、

「ときに、お客様はぎんゆうじん様と伺いました」

 そう言って話題を広げたのは、意外なことにレムだった。

 ソファに立てかけられた楽器──リュリーレを眺めるレムに、リリアナはあわてて楽器を抱えると緊張にふるえた声を上げる。

「は、はい! リュリーレ一本で世界に挑みかかるぼうな夢追い人ですみません!」

「お前はホントに権威に弱いやつだな!」

 いっそすがすがしいほどくつなリリアナの態度だが、レムはそれを気にせずに手をたたく。その薄青のひとみに浮かぶ輝きは、リリアナの歌を初めて聞いたエミリアと同質のものだ。

「では、お客様は有名な物語をいくつもごぞんでいらっしゃるんですよね?」

「──! ええ、はい! それはもう、お任せくださいっ」

 レムの質問に目を輝かせ、リリアナはリュリーレをロックにき鳴らす。

「私も独り立ちして十年以上、こうしてリュリーレで身を立てている女です。多くの人たちを熱狂させ、狂乱のうずに巻き込み、涙させる歌には自信がありますっ」

「ちょっと待て! 独り立ちして十年って、お前、いったいいくつだよ!」

「今年で二十一になりますが、何か?」

「その見た目と落ち着きのなさで二十一!?」

 幼い顔つきに未成熟な胸、尻、腰。ひんそうな体で肌を露出するのが痛々しいと思っていたが、彼女の実年齢を知って痛々しさがさらに増す。

「合法ロリがどうとか言ってる場合じゃねぇ……もっとおぞましい何かを見たぜ……」

「ええい、うるさいですねっ。好きな人には需要があるんです。それよりっ」

 あわれみつつ感動する忙しいスバルを押しのけ、リリアナはレムの期待のこもった視線を見つめ返す。リュリーレを抱えて、片足をソファに乗っけてポーズを取った。

「さあ、どんなご要望にもおこたえしましょう。どうしますか? 名作の中から何か……たとえばきゆうの名歌といえば『けんれん』なんかよさげでしょうか!」

ぶつそうなタイトルだな、おい」

「何をおっしゃいますか! 『剣鬼恋歌』といえば、ルグニカならず諸国でも歌い継がれる近代の名歌ですよぅ! 不器用で、でもぐな武人の恋路に、多くの乙女たちは同じだけおもわれたいとがれて、腰くだけになるものなんですっ」

「そ、そうなのか……」

「はぁい、それはもう! 特に最後の最後、剣鬼がおもい人と剣を交えて、見るものすべてを魅了するけんげきを繰り広げる場面なんて、涙なしには歌い切れません!」

「想い人とり合ってるじゃねぇか!」

 概要だけだとさつばつしすぎているようにしか思えない。

 元の世界なら『殺し愛』なる文化もあったが、それはスバルのフォロー範囲外だ。

 ただ、スバルにとってはそんな感想しか浮かばないタイトルなのだが、

「何を言うんですか、スバルくん。『剣鬼恋歌』はルグニカを代表する名歌です。レムだって何度も何度も聞いているんですよ」

「マジで!? そうなの!? エミリアたんも腰砕けなの?」

「え、ごめんなさい。私はあんまり詳しくないから、期待に応えてあげられないかも」

「いや、その反応でいいよ! エミリアたんは俺の思い描いた通りの反応だよ!」

 むしろ、レムの意外なしゆしゆこうが判明して驚いているぐらいだ。

 騒ぐ三人をに、リリアナは頭の中の歌本を検索しているようで、

「他といえば『ヴォラキアの青い雷光』や『剣の丘のえいけつ像』。それにそれに、カララギ建国の雄である、立身出世の代名詞『荒れ地のホーシン』も欠かせませんよぅ」

「色々あるもんだ。それにしても、やっぱり歌って偉人系のが多いのか? それともお前の好みでそういうのばっかり集めてるだけか?」

「私の好みもありますけど、やっぱり大衆が好むのはえいゆうたんや偉人伝なんですよ。誰でも華々しい物語にあこがれを抱くものです。私はそこから一歩進んで、それを歌い継ぐものになりたいと欲をいているわけですね」

 照れたようにほおを赤らめ、リリアナは自分の旅の目的の一端をスバルたちに明かす。

 彼女のその態度に、スバルはちやすつもりはないと首を横に振った。

「立派なもんだよ。そのとしでやりたいことが決まって……って、二十一だったな」

「ちくちく言いますけど、私が二十一歳だと小間使いさんに何か問題でも? あんまりしつこいようだと、出るとこ出ますよ、私も」

「この世界で出るとこってどこだよ……」

 裁判めいたものが行われているものなのか、世界事情にうといスバルにはわからない。

「それでは、お客様はそういった歌を広めるのが目的で旅を?」

「いぃえぇ、それだけでは。もちろん、歌を広めるのも私の使命であると思ってはいますが、もっと根本には私自身の目的がありまして。それは……」

 レムの問いかけに、リリアナは気を取り直した顔で応じようとする。しかし、満を持しての答えは言い切られる前にさえぎられた。それは、

「──ごかんだん中に失礼いたします」

 ノックする音が響き、押し開かれる扉の向こうでメイドが一人、丁寧に頭を下げる。

 レムにうりふたつの容姿、桃色の髪の下で薄赤のひとみを細める少女──ラムは顔を上げ、

「大変お待たせいたしました。あるじ、ロズワール様がお客様にお会いになられます」

 そう、『御客人』をもてなす態度で口上を述べたのだった。


    5


「私がこの屋敷の主、ルグニカ王国辺境伯ロズワール・L・メイザースだーぁとも」

「…………」

 正面のに腰掛け、自ら名乗った人物を前に、リリアナは声もなく硬直していた。

 無理もない、とそれを横目にスバルは同情する。

 辺境伯などと、貴族の中でも爵位の高い相手に心の準備もなしに引き合わされたのだ。ただでさえ生きた心地がしないだろうに、よりにもよって相手が──、

「白塗りにピエロメイクの変態に会わされるとは思ってもみなかっただろうしな」

「バルス。ロズワール様への不敬は許されないわ。ねじ切るわよ」

「今のでロズっちのことって気付いたお前も同罪だし、ねじ切るって俺の何をだよ」

「ナニを、かしらね……」

 ゾッとする流し目でスバルを見るのは、先の丁寧さを完全にそうしつしたラムだ。

 そのラムを隣に控えさせ、ゆうぜんと革張りのソファの上で足を組むロズワール。

 恵まれた容姿や肩書きを、そのへきと仮装で粉々にミキサーしてドブに捨てている。

 こんな風体でも領主としては高く評価されているのだから、領地で前評判を聞いていた人間ほど、実物を目にしたときのギャップに苦しむことだろう。

「やーぁっぱり、この初対面の相手の驚く顔を見るのが最高の喜びだーぁね。スバルくんみたいな反応も悪くないけど、やっぱりこの手の反応が最高だ。ねーぇ、スバルくん」

「俺を人の心をもてあそんで楽しむご同類みたいに言うのやめてくれる? 俺はそういう性格の悪い性癖、ちょこっとしか持ってねぇよ」

 しいて言うと、他人の神経をさかでするとき、言葉にできない快感を覚える。

 はたにすればどっちもどっちなスバルとロズワールであるが、互いに互いが相手よりマシと思っているあたり、実はどっちも救えなかったりする。ともあれ、

「お、お目通りかないましてきようえつごくにございます。わ、私はぎんゆうじんなどしております、リリアナと申します。辺境伯様におかれましては、ご機嫌うるわっしゅ」

「ほっほーぅ、立派立派。この場でそれだけ動揺しながら言葉が作れるんなら、顔を合わせた意味もあったとーぉも。私は寛大なことで有名だーぁから、安心したまえ」

 自画自賛の姿勢だが、ロズワールのそれはうそいつわりない言葉だ。実際、ロズワールが創作物でありがちな悪役貴族程度のかんしやく持ちなら、スバルなど初日で首が飛んでいる。

「吟遊詩人がきてるって聞いて、村でリリアナに会ったの。この子、珍しいお話をたくさん探してるっていうから、ロズワールだったら力になってあげられるかなって」

「なーぁるほど。エミリア様にそうまでご期待されているとあらば、わーぁたしも普段は出さない隠された力をお見せするしかありませんねーぇ」

 薄く笑い、ロズワールがソファの背もたれをきしませて両手を組む。考え込むようにめいもくする彼は、数秒してからオッドアイの片目──黄色のひとみでリリアナを見つめた。

 そのあやしげな視線を浴びて、エミリアの隣に座るリリアナがびくりとふるえる。

「そうおびえることはなーぁいとも。私は君の味方だ。エミリア様が君に味方しようと決めた以上は、私もそーぅあろうと努力するとも」

「は、はひ。あり、ありあり、ありがとうござりまする」

「それにしても、吟遊詩人。吟遊詩人か。まーぁったく、素晴らしいタイミングだよ」

 恐縮しきったリリアナに、ロズワールが笑みを深める。

 紅を引いた唇が弧を描くのを見ながら、スバルは何となく嫌な予感を覚えた。ロズワールの微笑ほほえみが、何かたくらんでいる顔にしか見えなかったからだ。

「リリアナ、と言ったかーぁな。エミリア様のご要望だ。君の望みに応じる構えが私にはある。けーぇれど、もうちょっと詳しい話を聞かせてもらいたいところだーぁね」

「く、詳しいお話と言いますと、どげなことをお話せば……」

「そうだね。──君の旅の目的、そのものズバリというのはどーぅだね」

 わずかに低くなるロズワールの声に、それまでこわっていたリリアナの表情が変わる。そしてその変化は、リリアナがこれまで見せたことのない表情へとつながった。

 リリアナは一度だけめいもくし、再び目を開いたときにはぐロズワールを見た。

「──私は、世界でもっとも新しい『伝説』を求めて旅をしています」

 国内有数の権力者の視線の前で、リリアナは揺るがない決意をひとみに宿していた。

 彼女の口にした言葉──もっとも新しい『伝説』という響きにスバルの心がふるえる。

 スバルとて男だ。その言葉が持つ力に、胸が熱くならないはずがない。

「もっとも新しい、伝説……」

「はい、そうです。私はそれを求めて、それを歌うために旅をしています」

 リリアナの声には魔性が宿っている。

 聞くものの心に、感情を直接届ける魔性だ。それにてられたように、小さくつぶやいたエミリアにリリアナはうなずいた。そして彼女はかたわらにあった楽器を手にし、音を鳴らす。

「私たち、ぎんゆうじんという生き物は物語を歌にして生きています。歌は聴衆の心に浸透し、確かにあった過去を、歴史を聞いたもののたましいきざみ込みます。長く長く、伝わってきた歌には力があり、それは歌を作った詩人が死しても変わらず世界に残り続けます」

 朗とした声でリリアナが続ける。誰も、口をはさむことができない。

「私たちは、形あるものを残すことができません。物を作れず、文字も知らず、定住することすら本能が許さない。世界をこの足で渡り歩き、辿たどり着いた先で歌を歌い、誰かの心に歌を伝えることができたら、また別の土地を求めて歩き続ける。そして、いずれは誰もいない荒野で、楽器を枕にてる──そういう生き物なんです」

 声に、言葉に、ひとみに、ぐさに、力がある。それは彼女が、歌うときと同じ。

「形に残るものを残せず、心にしか何かを残せない生き物だからこそ、私たちは誰の心にも残り続けるものを生み出したい。自分が確かに生きて、歴史に魂を刻んだのだというあかしが欲しい。求めるものがあるとすれば、その栄誉だけなのです」

 音楽はないが、志を語る彼女の言葉は歌に匹敵するものをスバルに刻み込んだ。

 リリアナの語った悲壮なまでに確立された人生観。それを聞いてスバルも、部屋の誰も言葉を発することができずにいる。

 かたくなで、あまりに独りよがりな結論と断ずることもできただろう。だが、それをするということは、彼女と彼女に比類するぎんゆうじんたちの生き方を否定するということだ。

 そうするだけの確かな『何か』は、スバルの中にはいまだない。

 ゆえに、スバルにはリリアナの覚悟を評する資格の持ち合わせがなかった。

「なーぁるほどね。……だから、新しい伝説ってことなわーぁけだ」

 言葉の途切れた室内で、リリアナの覚悟に納得した声はロズワールのものだ。

 この中でもっとも多くの決意と触れてきただろう男は、彼女の覚悟にうなずいていた。

 リリアナもまた、そのロズワールの頷きに敬服するように姿勢を正す。

「長く強く、人々の心に残り続けるのは色鮮やかな伝承──歴史です。元々存在する歌を継ぐのも、吟遊詩人として誇りある生き方です。ですけど……私はできるなら、誰の心にも残る歌を、最初に歌った歌い手でありたい。この世でもっとも新しく、もっともみずみずしい歴史を、こののどで、舌で、歌い伝えたい。──それが、私の望みです」

「……ぁ」

 だからこそ、もっとも新しい『伝説』とリリアナは言ったのだ。

 まだ誰も歌にしていない、誰も知らない、しかし世界に刻まれる歴史の一ページ。

 それを歌にすることが、彼女がこうして道なき道を行き、荒野で朽ち果てる最期が待つとわかっていながら、それでも成しげたいと願うことなのだ。

「その意気込みは立派だーぁとも。でも、どんな伝承と求めるというのかね? 形のないものを追いかけるそれは、雲をつかむような話だからねーぇ。せめて、自分の中だけでも確かな形がないことには、欲しているものすら見失いかねない」

「……できるなら、えいゆうたんを望みます」

「英雄譚……」

 ロズワールの問い。リリアナの答え。エミリアのかんたん

 三者の反応が意味するものと、『英雄譚』という響きの持つ力にスバルも魅了される。

 英雄譚──それは確かに心がおどり、誰もが熱狂する力ある言葉だ。

 元の世界でも、歴史に名をのこしたものたちの多くは有名な武功を立てたえいけつたち。英雄譚というものは、いつの時代どこの世界でも、人々の心をとりこにする力を持っている。

「それなら、リリアナが知りたいのは新しい英雄のお話?」

「……簡単なことではありませんけどね。今の時代、新しい英雄だなんて。それこそ魔女がばつし、きようが世界にあふれ返っていた数百年前なら、英雄が生まれるための土壌もあったでしょうが……上辺だけでも平和にある今の世では、新しい英雄なんてとても」

 平穏な時代であればこそ、そこに英雄が生まれる余地はない。

 英雄のいない世は、英雄を必要としない世でもあるのだ。リリアナもそれがわかっているらしく、どうにもならない問題に感情をころしている様子だ。だが、

「──面白い」

 つぶやきは小さかったが、この場にいた全員のまくに届いていた。

 ただ、その呟きの意味するところがわからず、スバルの表情にとうわくが浮かぶ。その視線を浴びながら、ロズワールは左右色違いのひとみを大きく見開いて笑っていた。

「未知の英雄譚を望むぎんゆうじんが、こうしてこの土地を訪れた。こーぉの運命的な流れを面白いと言わず、なーぁんとするのかね。いやいやいーぃや、面白い!」

「ちょっと、ロズワール。何を言ってるの? みんなも……私もだけど、リリアナも困ってるじゃない。一人でわかってないで、ちゃんと説明して」

 楽しげなロズワールにエミリアが詰め寄ると、彼はそのぼうを見つめ返して、

「簡単なことですよ、エミリア様。リリアナ嬢の望みは、じようじゆしますとーぉも」

「えっ! それじゃ、ロズワールは新しい英雄譚に心当たりがあるの?」

「もちろんありますとも。──そしてそれは、エミリア様も無関係じゃーぁない」

「私も……?」

 見当もつかない、という顔つきのエミリアにロズワールは意味深に笑う。その表情をエミリア越しに見ていたスバルは、ふとロズワールの意図に気付いた。

 ──その想像が正しいとしたら、なるほどそれは確かに新しい『伝説』だ。

「新しい英雄に心当たりが? でしたら、どうかそのお話を……!」

「あ、それはまーぁダーぁメ」

「むひん!」

 旅の目的がかなうと聞いて、はやるリリアナをロズワールが無慈悲に撃ち落とす。つぶれたかえるのような悲鳴を上げるリリアナに代わり、エミリアがロズワールをにらみ付けた。

「ロズワールっ」

「そーぉんなこわい顔をなさらずに。お美しい顔が台無しです。そーぉれに、何もこれは私が意地悪してるわけじゃーぁありません。私がそんな悪人だとお思いですか?」

「私、スバルとロズワールはそういうことしてもおかしくないって疑ってるの」

「熱い風評被害!」

 流れ弾を食らったスバルに、エミリアが「あ、そんな意味じゃないの」とあわててフォローを入れる。その雑なフォローを前に、つぶれたリリアナが再度ロズワールを見上げ、

「そ、それでは……どうしたら、そのお話をしていただけるんですか?」

「新しい『伝説』……それはね、私たちにとっても軽はずみに口にできる内容じゃーぁないわけ。だーぁから、まずは君が信用できる人物か見極めなきゃなんだよねーぇ」

「な、何をすれば!? 手、手はダメですが、足の指ぐらいなら誓いに差し出しても!」

「落ち着け。そしてお前はもっと自分の体を大事にしろ、女の子」

 筋もののケジメみたいなことを言い出すリリアナをなだめて、スバルはため息。

 確かに流れのぎんゆうじんという肩書きは、住所不定無職との差別化が難しい。異世界から召喚されてせきもないスバルと、じようの怪しさではいい勝負といったところだ。

 ともあれ、ロズワールの言い分は正論だ。ロズワールのもくがスバルの想像した通りだとすれば、軽はずみにリリアナを巻き込むことなどできるはずもない。

 肩を落とすリリアナ。流れの吟遊詩人であることが、流れの吟遊詩人をしている理由をはばむとは皮肉もいいところだった。

「と、そーぅいうわけだから、まずは見極めの時間が必要だ。そこでどうだろうか。君に数日、屋敷に滞在する許可を出そうじゃーぁないの。その間に君が信用できる人物だと認めることができれば、えいゆうたんの心当たりを明かしてあげちゃおう」

「──っ!」

 地獄に仏とはこのことか。

 リリアナの今の心境を言葉にするなら、まさにそんなところだろう。ひとみに希望を宿すリリアナを見ながら、らくに突き落としたのもロズワールなのにとスバルは思う。

「わ、わかりました! 私も女ですっ! そこまで譲歩していただいたのなら、乗らずして何が吟遊詩人か! どんとこいですよ! どんとこいっ!」

 これほどわかりやすいあめむちてのひらで踊らされる少女を見て、スバルはリリアナには踊り子としての才能もあるのではないか、とぼんやり考えたのだった。


    6


「……あれれ? ひょっとして私、いいように遊ばれてませんでした? 気のせい?」

「気のせいっていうかお前のせいだよ」

 アーラム村までの道のりを連れ立って歩きながら、スバルは隣のリリアナのちょろさを指摘してやる。すると、彼女はスバルの指摘にひどく傷付いた顔になり、

「な、なんてひどいこと言うんですかっ。だまされてもてあそばれたことに気付いて消沈する乙女に対する態度とは思えません……ねえ、そう思いませんか!」

「いいえ、お客様。スバルくんはいつでも素敵です」

「盲目的なお答えに私はふんまんやるかたないっ」

 半泣きのリリアナを突っぱねたのは、二人に同行しているレムだ。ぐんふんとうふるえるリリアナを見ながら、スバルはこの先しばらくは退屈しなさそうだといきをこぼした。

 ロズワールのかんけいにまんまと引っ掛かり、屋敷での監視が決まったリリアナ。

 今はアーラム村まで、彼女が置いてきた荷物を引き取りに向かう途中だ。表向き、スバルたちはその手伝いだが、実際にはリリアナを逃がさない監督役というところだ。

 事実、スバルはロズワールにリリアナから目を離さないようくぎを刺されていたし、レムは信頼に欠けるスバルのバックアップだろう。スバルもリリアナも信用されていない。

 実際はスバルの深読みで、レムの同行は彼女の意思が尊重されただけだったのだが。

「けど、ロズっちも意地が悪ぃよ……ねらいはわからなくもねぇけどさ」

「小間使いさんも、お館様のお考えに想像がついていらっしゃるんで?」

「おおよそは、な。けど、ロズっちと同じ理由で俺も口は割ってやらねぇ。そこんとこは俺もあいつと同意見だよ。しやくさわるけどな」

「むぎゅっふ」

 スバルの口を割らせるのに失敗し、リリアナは珍獣のような悲鳴を上げる。旅の目的を目の前にして、なかなか全容が見えない彼女の境遇には同情すべき点があるが、

「実際、歴史に名をきざむなんて簡単なことじゃねぇしな。えいゆうたんやらなんやらなんて、歴史の今から探そうなんてするとピンとこねぇよ」

「そうなのですよっ。なかなか難しいんです。世にまだ名の出ていないえいけつを見つけ出して、その軌跡を歌にできるならこれ以上はないんですが……もしも、未来を見てくる方法でもあったりしたら話は別なんですけどねっ」

「そ、そそそ、そんな方法なんて、ある、あるわけねぇじゃねぇですか、馬鹿か!」

「なぜにそんな過剰反応されたんです?」

 ある意味、『死に戻り』は未来予知に類するものと言っても間違いではない。

 自分の特殊性に会話がかすり、動揺するスバルにリリアナが不審な目を向けてきた。しかし、そのスバルとリリアナの間に急にレムが割り込む。レムは笑顔で手をたたき、

「そんなお客様に朗報です。レムは、実はその新しい伝説に心当たりがあります」

「ええ!? ほ、本当ですか……!?」

 思わぬ吉報に巡り合った、とリリアナの表情が驚きと喜びで変顔になる。ここまでのレムの好意的な態度からも、心当たりがあるという台詞せりふにはしんぴようせいがあった。

 が、一方でそれを黙って見過ごせないのはスバルだ。レムの心当たりがロズワールの隠した内容なら、それをリリアナに伝えてしまうのは時期しようそうだ。

 そんなスバルの心配をに、レムは自信満々な顔で隣を手で示した。

「スバルくんです」

「──えっ」

「もっとも新しい伝説。そして、これからその名を上げていくえいけつ、スバルくんです」

 スバルとリリアナのぜんとした声が重なり、レムが積み重ねるようにスバルを推す。

 あまりに堂々とした推薦に、スバルは「え、ギャグ?」と聞き返すのを忘れた。

「スバルくんです」

 たたみかけるレムの言葉は、本気なのかそうと本気なのか判断が難しい。ただ、少なくともリリアナの中では結論が出たらしい。彼女はスバルとレムの顔を見比べて、

ひらめきました。聞いてください。──新しい伝説、女たらし」

「黙れ!」

 信じる素振りすら見せないリリアナを一喝し、スバルは深々とため息をこぼした。

 村に降りかかるさいやくを未然に察知し、魔獣による被害を体を張って食い止めて、領民たちの安全と信頼を守り通した領主の従僕──誰が信じるだろう、そんな話。

「レムは本気だったんですけど……信じてもらえなくて残念です」

 しゅん、とうなだれるレムが本当に残念そうなので、スバルの方が申し訳なくなる。

 その純粋な信頼にむくいられるほど、大した男ではない自覚がスバルにはあるのだ。

『死に戻り』の力は、スバルがこの異世界で得た、唯一にして最後のとりで──だが、その力があっても、スバルは何度も村を、そして屋敷を悲劇のうずから救えなかった。

 自分以外ならもっとうまくやっただろう。そんな自分への評価が根底にはある。

「どんな死に方しても、痛ぇのに変わらないしな。……もっと、気楽にセーブ&ロードさせてくれてもバチは当たらねぇと思うのによ」

 いくつもの制約と、『死』という絶対のトリガーにより発動する能力だ。

 望んで得たものではないゆえに、もろを上げてかんげいすることもできない。

 自分に超常の力を与えた存在には、感謝よりも文句をつけたいのが本音だった。

 ふいに空気が変わったのは、そのときだ。

「──スバルくん」

 低く、警戒を帯びた声でレムがスバルを呼び、伸ばした上で進路をさえぎっていた。

 レムの声に込められた真剣な響きに、考え込んでいたスバルも即座に現実に立ち返る。そして、レムが自分を呼び止めた理由をはっきり目にした。

「……なんだ、こいつら」

 つぶやくスバルの眼前、村までの道をふさぐように立つのは四人の人影だ。

 明らかに不審者──人影は全身をすっぽりと、白い衣で包んでいる。顔を隠し、手足の長さを隠し、体格を隠し、そのじようを完全に白の中にまいぼつさせていた。

 白い頭巾、白いマスク、白い装束。頭から足下まで全身白くめであるのだから。

「一日に、ロズワール以外の変態とこうも出くわすことになるとは……」

 軽口をたたいて、スバルは周囲に目を走らせる。

 奇抜な衣装でこちらの目を引き、別働隊が奇襲を仕掛けてくる動きはひとまずない。ならば単なる旅芸人ということも、黙って立ち塞がることから考えにくいだろう。

「道がわからないなら足下をご確認。草のない整備された地面が、世界的な共通語で『道』に分類されるもんだ。ちなみに俺の後ろは領主の屋敷、正面は小さい村だけど……」

「────」

「あ、やっぱり、道が聞きたい迷子の集団ではないのね」

 挑発的なスバルのあおりに無言で、白装束たちは長いそでの先から刃をチラつかせる。

 間合いが見え難いものを手に、すべるように接近する白装束にスバルは息をんだ。

 警告すらせず、四人組は固まるスバルたちへその刃を振り上げ──、

「どこのどなたかは存じませんが、敵対する意思があると判断します」

 先頭にいた白装束の顔面が、突き上げられるレムのこぶしに激しく打ち抜かれていた。

 肉が固いものにつぶされる音がして、逆さに吹っ飛ぶ男が頭から地面に転がり落ちる。四肢をだらりとさせてあおけの顔面、マスクがに染まっていくのが見えた。

 そのあまりにせいさんな有様に、スバルは「うわ、痛そう」と素直な感想を抱く。

「──え」

 見れば、それまで無言だった白装束もぼうぜんとした声を漏らしていた。ブッ飛ばされた仲間の方を見て、棒立ちになっている姿には急速に人間味が感じられる。

 もっとも、それはこれから起きる出来事には何の影響も与えないことだが。

「レムの武装は先日、森に落としてきてしまったので、代わりのものが届くまでは無手でお相手することになってしまいます。よろしいですか?」

 森に落とし物、などと可愛かわいらしい表現だが、落としてきたのはとげ付きの鉄球という凶悪な代物だ。そしてそれを好んで得物とするレムの白く細い両腕は、今しがた男を殴り飛ばしたように、美しい凶器でもある。

 両手をかかげて、その凶器を見せつけるレムの姿に白装束たちは即座に結託。

退くぞっ!」

 迫ったときと同じように、男たちはすべるように後退し、意識のない仲間を担ぐと素早くこの場を離脱した。横手の森に入って逃げる男たちをレムの視線が追いかけるが、その気配が完全に遠ざかったのを見ると、彼女の肩から力が抜ける。

「少しだけ焦ってしまいました。手ぶらのときにああしたやからに会うと、スバルくんを守りきれるかわかりませんから」

「焦ってたわりには、きっちり腰の入ったいい右ストレートだったな」

「スバルくんにそんな風にめられると、照れます」

 赤らめたほおに手を当てるレムにうなずきかけ、スバルは白装束の逃げた森を見やる。単なるものり、にはとても見えない連中だったが。

「どう思う? エミリア絡みの妨害とかかな」

「その可能性はありますけど、ロズワール様も敵の少なくない方でいらっしゃいますから。あのぐらいのけんせいならひんぱんではありませんけど、ありえることですよ」

「マジかよ、職場の安全性をちょっち疑問視するぜ。──あと、だ」

 レムの答えに微妙に腰が引けつつ、スバルは最後にじろりと隣をにらむ。そこには現在に至るまで沈黙を守り続け、今はこっそりと背中を向けようとしていた少女がいる。

 その肩を後ろからつかみ、スバルは自分にできる最大限に友好的な笑顔を浮かべて、

「なーにを逃げ出そうとしてるのかなぁ、リリアナちゃーん」

「ひぃっ! すみませんごめんなさい謝りますからそんな怖い顔しないでくださいっ」

「怖い顔してねぇよ! 緊張をほぐそうと笑顔オブ笑顔だよ、よく見ろ!」

「ひぃっ!!」

 スマイル全開のスバルになおもおびえるリリアナ。その反応にスバルはがくぜんとしたが、そんなスバルからレムがリリアナを引き取り、子犬をあやすように背中をでた。

「大丈夫、スバルくんは怖くありません。ちょっと人より目つきが素敵なだけです」

「そ、それは個人差ある感想ですけど、もう大丈夫です。落ち着きましたです、はい」

「色々微妙な気がすっけど……まぁいい。それよりどうして逃げようとしたんだよ。まさかとは思うけど、お前……」

 あの白装束とグルで、エミリアの王選を妨害する輩──それが目的でスバルたちに近づいたのではないか。そう聞こうとした瞬間、リリアナはその場に土下座した。

「しゅみましぇんでした! でもでも、私が悪いわけじゃないと思うんです! ただ、あの人たちはずっと私を追いかけてきてまして、それをどうにかしたいなー、そうだお屋敷の人の力が借りたいなーなんて思ってたりしてみたりみなかったりっ」

 土下座するリリアナの言い訳を聞いて、スバルは目を白黒とさせる。その必死さから、彼女が敵の回し者という可能性は消していいとは思うが。

「居眠りのときの、かくねらわれてるって言い訳、うそじゃなかったのかよ!?」

 それとは別の問題が浮上したふんに、スバルは頭を抱えてうなるしかなかった。


    7


「と、そんなわけで、リリアナは得体の知れない連中に追われてるって話だ」

 報告を締めくくり、スバルはソファに深く腰を沈めた。

 場所は戻ってロズワール邸の執務室。室内にいるのはスバルを含めて四人。スバルは自分の隣に座っているレムを指差して、

「正直、レムが一緒にいてくれて助かったよ。こう言っちゃなんだが、俺とリリアナの二人だったら間違いなくやられてた」

「はい。レムも一緒でよかったです。鉄球があればもっとお役に立てたんですけど」

「その場合、あいつらは森の肥料か。……うん、おしとやかで可愛かわいかったと思う」

 虐殺の回避にスバルは胸をで下ろす。微笑ほほえむレムに殴り倒された男も、よもや可愛いメイドにぼくさつされかかるとは思っていなかったろう。その気持ちは誰よりもわかる。

「それで、問題のぎんゆうじんは今は客室?」

「エミリアたんと一緒に、な。名目は安全確保のためだけど、下手にプレッシャーかけて逃げ出されると困る。何も知らないエミリアたんなら適任だ」

「そう。ロズワール様があの詩人を留め置きたい理由はわかっているようね」

 あごを引き、ラムは冷たい視線でスバルを射抜く。その視線にスバルは肩をすくめた。

「リリアナを、エミリアたんの王選用のけんでん担当みたいな立場にしたいんだろ? リリアナのやつは自分の手で新しい英雄の歌を作りたがってる。国の新しい王様の立身伝なんて、その目的にドンピシャみたいなもんだしな」

「バルスにしては理解が早いわ。首から上が空洞のカボチという疑いは晴れたわね」

「お前、今までジャック・オ・ランタンとでも会話してるつもりだったの?」

 相変わらずなラムの評価はともかく、ロズワールの思惑はそんなところだろう。

 テレビや新聞といった、大衆への情報伝達手段が確立されていない世界だ。各地を巡り、歌で歴史や事件を伝える吟遊詩人の影響は、きっとスバルの想像以上に大きい。

 ──王選においても、リリアナの歌はエミリアの大きな力になる。

「スバルくんも、理解が早くてなーぁによりだとも。私の方針としては、今まーぁさに君が言ってくれた通り。ちょこーぉっと補足すると、きちんとお互いのメリットとデメリットの兼ね合いは取れてるつもりだーぁけどね」

「メリットとデメリット、ね」

 我が意を得たり、とほくそ笑むロズワールの答えにスバルはきな臭さを感じる。

 そんなスバルの反応に、ロズワールに代わってレムが目を伏せながら、

「言いにくいことですけど、エミリア様はハーフエルフでいらっしゃいます。通常の詩人の方には、それを理由に提案を断られる可能性も否定できません。その点、リリアナ様はエミリア様に親しげでいらっしゃいますし、条件次第で引き受けていただけるかなと」

「自分じゃ解決できないやつかい事のケツをこっちで持ってやれば、それにつけ込んで提案も断れないふんにできるって寸法か。……俺、今すごい悪い顔してない?」

「いつも通りの悪人面よ」

「いつも通りに素敵です」

 姉妹で食い違った評価を受けつつ、スバルはロズワールの性格の悪さに唇を曲げる。

 リリアナを屋敷に引き止めた話術といい、本当に悪知恵と舌が回る人物だ。

 軽く非難するようににらむと、満面の笑顔で手を振られた。スバルはため息をつく。

「ともあれ、当面はリリアナの周囲に気配りしつつ、問題解決ねらいってとこか。襲ってきた連中を逃がしたのがやっぱり痛いな。一人でも捕まえておけば……」

「骨の五、六十本折って何もかも吐かせてやれたのにね」

「そんだけやったらもうも出ねぇよ、勘弁してやれよ」

 冗談とも断言できないのが、ラムの忠誠心の恐ろしいところである。

「俺も気をつけるけど、仮に襲われたら裏声で助けを呼ぶぐらいしかできねぇな。さすがに警戒中の領主の屋敷に仕掛けるなんて、相手もそうそうやれねぇだろうけど」

「スバルくんの声が聞こえたら、レムはすぐに飛んでいきます。レムが掃除中でも、料理中でも、入浴中でもいつでも呼び出してください」

「不潔」

「俺が何か言う前にけいべつした目で見るのやめろよ!」

 見えない尻尾しつぽを振るわんこメイドのレムと、心底スバルを軽蔑した目で見るにゃんこメイドのラム。いつも通りのやり取りをて、ひとまず話し合いは結論をむかえる。

「とーぉりあえず、こちらのスタンスとしては現状維持だーぁね。リリアナ嬢にはもう少し事情を深く聞いてから、解決手段を探す方向でいこーぉじゃないの」

「んじゃ、そんな感じで話しとくよ。正直、今は生きた心地もしてねぇだろうから」

「ロズワール様のお心を煩わせる問題をまねいたのよ。少しは苦しむがいいわ」

「客人に対してそんもいいとこだな、姉様」

 口さがないラムの毒にスバルは苦笑し、部屋を出るために扉に手をかける。と、

「当家にいる限り、安全は保障する。その点、ちゃーぁんと伝えてあげるよーぉにね」

 背中にかかるロズワールの声に、含みのある発言だとスバルはあきれたのだった。


    8


「……し、したらば、まんずれいちの心配ばしなぐでよかですね?」

「お前、どこ出身?」

 話し合いの結論を聞いて、緊張に全身をこわらせていたリリアナがぐったりとに崩れ落ちる。だらしない姿だが、今は素直に見逃してやろう。

 なにせ待っている間、さぞや息苦しさを味わっていたことだろうから。

「これにりたら、領主を自分の思惑に巻き込んでやろうとか大胆なこと考えんのはやめとけよ。実際、無礼討ちってのもおおじゃないぜ、これ」

「うぐっ! は、反省してます。風よりうららかに、水より澄み渡るように!」

「その芸風、俺の芸風とかぶるから今後は禁止な」

 スバルの冷たい突っ込みにも、今のリリアナは軽口を返してくる余裕がない。

 リリアナの行いは、自分の事情に領主の関係者を巻き込み、危険にさらしたも同然だ。考えが浅はかだったことも、認識が甘かったことも間違いない。

 さすがにへこんだリリアナを見て、スバルはいい薬だとりゆういんを下げる。だが、そんなスバルとリリアナを見て、怒ったようにほおふくらませるのは同席するエミリアだった。

「スバル。リリアナもすごーく反省してるみたいだし、そのぐらいにしてあげて」

「ダメだって、エミリアたん。この手のやつはきっちり言い聞かせてやんないと、いつまでたっても自覚ってやつが芽生えねぇんだよ。自分が黙って隠し事してることで、どんだけ周りが迷惑するか、ちゃんと教えてやって……エミリアたん、何その目」

「ううん、別に。ホント、自覚が芽生えてないのって大変よねって思っただけ」

 じと目のエミリアに見つめられて、なぜか居心地の悪い思いをさせられるスバル。

 形勢不利を悟って、スバルは会話のほこさきをエミリアからリリアナの方へ戻した。

「それで、改めて詳しい話が聞きたかったりすんだが……あの、白装束の連中にはいったいいつ頃から追っかけされてんだ?」

「それがイマイチわからんちんなのですよ。はっきりと追われてるのを自覚したのはここ数日のことで……それまではこれといっては何も」

「心当たりになるような異変はなかったってことか?」

「はい。せいぜい、私の自前の羽ペンがなくなったり、みした後の着替えがなくなったり、使った食器が宿から消えたりとかそんなぐらいでして……」

「ストーカー被害みたいなの受けてるように聞こえるけど!?」

 いん湿しつな手口にスバルが声を上げると、エミリアとリリアナがそろって首をかしげる。

『ストーカー』という概念が彼女らには理解できないらしい。

 エミリアは文句なしに。リリアナは口を開かせないという条件付きで美少女なのだから、そのあたりには非常に気をつけてもらいたいところだ。

 とはいえ、襲撃者たちの様子を思い出し、スバルは首を横に振った。

「私物がなくなってんのは、あの追手とはたぶん無関係だろ。熱烈で物好きなお前のファンがいるってだけだ。刃物持って追っかけ回されたことはこれまでには?」

「むむむっ。微妙にに落ちない言い方されてるんですが……とりま、光モノをチラつかされたのは今日が初めてですよぅ。でなきゃ、もちょっと深刻そうな顔してます」

「今も大して深刻そうな顔にゃ見えねぇけど……急に手口が変わったってことか」

 リリアナの証言に考え込み、スバルは白装束たちの行動の変化の原因を探る。ただ、リリアナに直近で起きた変化といえば、心当たりになるのはまず一つだ。

「この屋敷……領主と接点を持ったことに、相手が焦ったってことか?」

 ロズワールとの接触が、リリアナをねらう連中を刺激したのだとすればつじつまは合う。その代わり襲撃者は、リリアナに権力者とかかわられては困る理由があるということだ。

「お前、本当に心当たりはねぇんだろうな。かなりヤバい厄ネタのふんがすげぇぞ。何かあるならここらで全部ゲロっておかねぇと、いい加減かばいきれねぇからな」

「乙女の前でゲロとかとんでもな発言を! 私は祖霊とこのリュリーレに懸けて、決して隠し事なんてないと誓えます! やっぱりリュリーレ懸けるのは待ってくださいっ」

「ノータイムで自信なくしてんじゃねぇよ!」

 自分の商売道具をしっかり抱えるリリアナに、スバルは怒鳴ってから嘆息する。

 ただ、リリアナも真剣に心当たりを探る顔で、うんうんと何度もうなってから、

「隠し事のつもりはこれっぽっちもないんですが、出てこないんですよぅ。こう、全部の歯に小骨が引っ掛かってるみたいな違和感にさいなまれてはいるんですがっ」

「そんな魚は食う前にちゃんと骨を取れ」

 真剣な顔でも真剣味の足りないリリアナに冷たく応じて、そろそろ真面目まじめな話がしたいスバルはエミリアへと向き直った。

「で、その小骨まみれの話の中で、エミリアたんは何か気付かなかった? 待ってる間、不毛な話に付き合ってあげてたんでしょ?」

「それが全然。リリアナのお話だと、違和感は二週間ぐらい前からで……アーラム村にくる前にいた、ウォーウォーって町を出た頃かららしいの。だから理由があるとしたら」

「そこで、だろうね。ほぼ間違いなく、そこであった何かが原因だ。何か印象的なこととか、そこでやらかしたりしなかったのか、おい」

「なぜにやらかしたこと前提なのか、不名誉な扱いに物申させてもらってもっ」

 ぶーたれた顔のリリアナをスバルは黙殺。リリアナは唇をとがらせたまま、二つくくりの自分の髪の毛を両手で握って頭を揺らす。

「そう言われましても、いつも通りでしたよぅ。あの町はちょこっと者に冷たくて、かんげいされなかった思い出があるぐらいで……ああ! ああ! 歌を! 歌を聞き終わってため息をつかないで……! そんな目で見ないで……!」

「嫌な思い出で心が壊されそうなとこ悪いけど、手がかりになりそうな発言を頼む」

「そもそも、そんなにつらく当たられた場所にどうしてちょっとでも滞在したの? 私も経験あるけど、お互いにいい気持ちじゃないと思うの」

「エミリアたんの切ない過去が一部かいえた」

 頭を抱えてふるえるリリアナに、エミリアの悪気ない経験談が突き刺さる。

 ただ、もっともな指摘だ。ぎんゆうじんという職業は、風の向くまま気の向くままを地でいく職種だ。根なし草の彼女が、居心地の悪い場所に居座る理由は何もないはず。

「あ、それはですね。確かに町の人たちはしくて心底ムカつくんですが、うれしいことに町一番のお金持ちのおじいさんが私を気に入ってくれまして!」

「ほう、お金持ちのお爺さんがですか」

「いぃえぇ! それはもう、孫娘みたいに可愛かわいがっていただいちゃって。新しいリュリーレまで買ってもらっちゃったんですよぅ! だからこれ、新品なわけですっ」

 見せびらかすようにリュリーレを差し出されて、思わず受け取るスバル。大はしゃぎするリリアナだが、スバルには孤独な老人をだましてみつがせたようにしか聞こえない。

「おいしいもの食べて、柔らかいベッドで寝て、リュリーレや服も新しいものにしてもらっちゃったりして……夢のひと時でした、ぐふふ」

「お前、歌ってるとき以外の俗っぽいとこどうにかした方がいいぞ」

 とうすいした顔つきでよだれを垂らしそうなリリアナ。しかし、彼女はスバルの指摘は無視した上で、その締まりのない顔をふいにかげらせる。

「でも、残念ながらそんな時間も長くは続きませんでした。何が悪かったのか、ある日、急にお爺さんに屋敷を追い出されてしまいまして。豪遊もそれっきりです」

つぼ割ったり、つまみ食いしたり、寝てる間にそうしたりしたのか?」

「し、失礼な! 最後に粗相したのなんて、もう五年も前ですよぅ!」

 五年前でも十六歳のときだ。とはいえ、そこを掘り下げるのも面倒くさい。

 どうやら本当に追い出された心当たりはないらしく、リリアナは不思議そうな顔だ。

『お金持ちのお爺さん』という聞くだに怪しげなワードがあったものの、彼女が追われる理由の核心には遠い。あるいはリリアナを追う側が、リリアナとお爺さんとの間に何かがあると勘違いしている可能性も考えられる。

「どっちにしろ、ヒントはウォーウォーって町とその爺さんか。一応、ロズワールに話はしてみるけど……調べられるのかな」

「でもでも、お爺さんにしてもらったのは身の回りのお世話と、あとは『絶対に歌っちゃいけない歌』を教わったぐらいで、心当たりも本当にないんですよぅ」

「そうなの……それじゃ、手がかりにならないわよね。困っちゃう」

「いや、ちょっと待って」

 聞き捨てならなすぎて聞き逃しそうになり、あわててスバルは会話を止める。だが、女性陣二人はそろって首をかしげている。どうやらふざけているわけではないらしい。

 だから天然は怖いのだ。エミリアたんマジ天使。

「あの、『絶対に歌っちゃいけない歌』ってなんでしょうか」

「……? おじいさんが私に教えてくれた、一代で財を築いた秘密がどうとかって内容の歌ですよぅ。音楽性といい歌詞といい、私の趣味では正直ないです」

「もう。人から教わった歌をそんな風に言っちゃダメでしょ。一度、聞かせてくれる?」

「えぇ、大喜びで! なんなら、持ち歌全部をご披露したいぐらいですともです!」

 スバルからリュリーレを奪い取り、弦をらすリリアナはご機嫌だ。

 エミリアもひとみを輝かせ、彼女の申し出に心をおどらせている様子だった。

 その二人を前に、スバルは目をつむった。それから息を吸って、

「──完全に、その歌が原因だろうが!!」

 と、突っ込み不在の天然二人の会話に歯止めをかけたのだった。


    9


「しかし、アレだな……」

「ふぁい? どうひまひふぁ?」

「口に物を入れたまましやべるな。レディがはしたなくございますわよ」

「むふふ。どうやら小間使いさんも、やっと私の女の色気に気付いたみたいですねっ」

 スバルの発言をどう解釈したのか、か自慢げなリリアナ。少なくともリスみたいにお菓子でほおふくらませる姿には、成人女性の色気要素はじんもない。

 リリアナがこれでもか、と頬張るのはレムお手製のお菓子で、今は午後のオヤツタイムだ。うららかな午後のひと時にお茶とスイーツを楽しみながら、スバルはいきをこぼす。

「お前がきてからもう三日になるわけだが……」

「そうですねぇ。早いですねぇ。それが何か?」

「襲撃がひっきりなしってレベルじゃねぇんだけど、お前ホントは何したの!?」

 この三日間を振り返るスバルの叫びに、リリアナは丸い目をさらに丸くして驚いた。

 リリアナが屋敷に滞在して三日──彼女をねらう一味の襲撃は、朝・昼・夜を選ばずにひんぱんに行われており、その数はすでに十回を超えている。さすがに領主の屋敷にかくまえば、相手も襲撃を躊躇ためらうはずという推測はなんだったのか。

「今のとこは全部レムがげきついしてっけど、やつら逃げ足だけはじんじようじゃねぇ。一人もいまだに捕まらないとか、どういう連中なんだよ」

「嫌ですねぇ。それがわかれば苦労しませんって。今さら言わせないでくださいよぅ」

「お前のことなんだけど、たった三日でどんだけ真剣味なくすんだよ!」

 まるでごとのように笑うリリアナは、この三日でだいぶ調子に乗っていた。

 小さくなっていたのも初日の数時間だけで、今では屋敷の中を我が物顔で堂々と歩きまわっているほどだ。あるいはスバルがめられているだけかもしれない。

「果報は寝て待て、とは言うけど……待ってる側がこれじゃ、ラムも浮かばれねぇな」

「ご迷惑をおかけします……その焼き菓子、食べないならもらっていいです?」

「お前の感謝はホントに上辺と口先だけな!」

 スバルの怒声を許可と判断したらしく、リリアナはスバルの分の焼き菓子をほおってご満悦だ。その態度にスバルは、リリアナのために動いているラムをびんに思う。

 ラムは現在、リリアナが以前に滞在していたウォーウォーという町まで調査に出ている。リリアナの追われる理由が、どうやら町の富豪と関係あるとつかんだためだ。

 ロズワールの命令とはいえ、屋敷を出る前のラムの本気で嫌そうな顔が忘れられない。戻ってきたら、スバルが八つ当たりされる未来は確実といえる。

「だってのにお前、ラム以外の面子メンツにはすこぶる受けがいいんだもんなぁ」

「歌は国も言葉も種族も選ばず、ただ心にみ入ってかたくななものをほぐすのです。まあ、ぎんゆうじんの実力による処世術ですよ。純真な思いが人を動かすのです。ぐふふ」

「納得いかねぇ……」

 た笑みを浮かべる美少女(二十一歳)に、スバルは敗北感のような何かを覚える。自分の見た目や実力を把握しきった処世術は立派だが、純真さには程遠い。

 スバル的にはやはり、女の子の魅力には心の美しさが必要不可欠だと思う。

「その点、エミリアたんこそ俺の一番星にふさわしいよな」

「今、私のこと呼んだ?」

「もひゃいっ!」

 ぽつりとおもいを口にした直後、エミリアが部屋に顔を見せて心臓が飛び跳ねる。

 思わず直立するスバルを見て、エミリアは笑いながら部屋の扉の上を指差した。そこには色の変化で時間を伝える、この世界の時計である魔刻結晶が光っている。

「ほら、そろそろ今日も時間でしょ? 待ちきれなくてきちゃった」

「みんなが寝静まった夜に、俺の部屋で聞きたい台詞せりふだよね。……レムも食器とか片付けたらくるって言ってたよ」

「ふふ。レムも楽しみにしてるもんね。私も、昨日の続きが気になっちゃって」

 可愛かわいらしく、期待にかすかにほおを染めるエミリア。れてしまいそうな横顔と、そのひとみが見つめる先が自分でないことへのしつ心。思わずスバルはリリアナをにらみつける。

ひらめきました。聞いてください。──他人の恋心、みつの味」

「黙れ!」

 指についた菓子のクリームをめ取り、リュリーレを担いだリリアナをスバルが一喝。ただの負け惜しみなので、リリアナの勝ち誇った顔が崩せず悔しい思いをする。

「あ、もう始まるところでしたか?」

「ううん、大丈夫。また、いつもみたいにスバルがリリアナをいじめてただけだから」

「エミリアたんの中では俺が苛めたことになってんの!?」

 遅れて入ってきたレムに、エミリアがソファの隣を空けながら言葉をかける。レムが「失礼します」とエミリアの隣に座ると、残る座席はあと一つだ。そして、

「──邪魔するかしら」

 三度、開かれる部屋の扉。だが、今度の光景はこれまでとはおもむきが異なる。

 扉の向こう、通常は屋敷の廊下とつながるはずの景色が、今は薄暗い書庫を視界に描き出している。広い部屋に所狭しと並ぶ書棚。そこから一人の幼い少女が歩み出てくる。

 クリーム色に近い髪を、ごうしやな縦ロールにした少女だ。人形のように整った愛らしい顔を仏頂面にして、派手なドレスのすそを揺らしながら部屋の中へ入ってくる。

 少女は部屋の中を見渡し、澄まし顔で小さく鼻を鳴らした。

「まぁ、よくベティーを待っていたのよ。そこだけは感心したかしら」

「いやですねぇ。ベアトリス様を置き去りに始めるわけないじゃないですか。そんな不義理をするようじゃ、このリリアナ、女が廃るってもんですよぅっ」

「そう。いい心掛けなのよ。少しは見習わせたいやつもいるぐらいかしら」

 リリアナのかんげいに、少女──ベアトリスがスバルの方を見下ろしてくる。

 といっても、幼い彼女はソファに座るスバルの目線の高さはそう変わらず、ふてぶてしい態度も慣れてしまえば微笑ほほえましいものでしかない。

「それにしても、ベア子がこうしてわざわざ禁書庫から出てきてまでリリアナの歌を聞きにくるってのが、いまだに信じらんねぇな」

「たまには本を読む以外で、世界に触れてみるのも悪くないかしら。そこの娘の歌声にはそれなりの価値があるのよ。歌声一つで、お前十人分よりは価値があるかしら」

「真剣に自分の価値に悩みそうになるから、そういう表現やめてくんない?」

 自分のレートに悩むスバルを無視して、ベアトリスは残った席に腰を下ろした。

 これで、ロズワール邸のリリアナファンはせいぞろいだ。エミリアとレムに加えて、ベアトリスまでもリリアナの歌を気に入ったのは屋敷全員の驚きを買ったものだ。

「えー、それでは、本日もこうしてお集まりいただきありがとうございます。皆様のひと時を、歌と物語でいろどります歌い手は私、リリアナと申します」

 聴衆である四人の視線を浴びながら、部屋の中央でリリアナが口上を述べる。

 お決まりの文句を口にする姿は堂々としていて、なるほどぎんゆうじんとしての振舞いばかりはふざけるつもりはないらしい。口元にお菓子のカスがついているのはごあいきよう

「では、これから歌われますは近代の名歌である『けんれん』の第二幕。剣しか知らなかった若い日の剣鬼が、美しい少女と花に出会うところから」

 お辞儀するリリアナに、女性陣の控えめな拍手とスバルの大きい拍手が向かう。

 昨日までの歌の続きが聞けることに、こっそり期待している自分がいるのをスバルは自覚していた。なんだかんだで、スバルもまたエミリアたちと同じ気持ちだ。

 悔しいことに、この小さな歌い手の歌声にスバルも心を奪われている。

「歌います。聞いてください。──剣鬼恋歌」

 リュリーレのげんはじかれて、リリアナの細い声が曲に乗って序章を歌い始める。

 途端、部屋の空気が彼女の作り出す物語空間に溶けて、世界の感じ方が一変した。

「────」

 リリアナの身振り手振りで世界が形を変えて、見える景色すら歌に取り巻かれるのには驚嘆しかない。鳥肌が止まらず、スバルはうめきそうになるのを必死でこらえる。

 この美しい世界観を、自分のすいで崩すようなことがあってはならない。

 物語は、剣鬼と呼ばれるほど剣にけいとうした一人の剣士が、王都で兵士になって初陣を飾るところから始まり、やがて彼は一人の少女と出会う。恋歌はそこから色づき、自覚のない恋心を秘めたまま、剣鬼は白刃を振るって戦場を駆け抜けた。第二幕は剣鬼が少女と言葉を交わすことに、剣を振るうことに匹敵する何かを感じるところで終わる。

「──ごせいちよう、ありがとうございました」

 大気をふるわせるリュリーレの調しらべが終わり、いんを残してリリアナが腰を折る。

 その姿に自然と、スバルは背筋を伸ばして手をたたいていた。隣ではエミリアとレムも同じように拍手している。ベアトリスだけは拍手をしていないが、リリアナの歌に満足しているのは、その薄く微笑ほほえみを浮かべる口元が証明していた。

「やっぱり素敵……きっと、ここから物語が始まっていくのね」

「レムも、けんれんは終わりまで知っている歌なのに、初めて聞くような気持ちです。リリアナ様の歌には感服するしかありません。素晴らしかったです」

「まあまあ、だったかしら。また続きを聞きにきてやってもいいのよ」

「素直さの足りねぇロリだな……」

 エミリアとレムが純粋な感想を述べる中、か上から目線のベアトリス。そのベアトリスに突っ込みを入れつつ、スバルも感想を口にする機会を意図的に避けた。

「それで、小間使いさんのご感想はいかがです?」

 しかし、意地悪な笑みを浮かべて小鼻をふくらませるぎんゆうじんは、スバルのそんなちっぽけな自尊心を許さない。スバルは唇をみ、すぐにあきらめてため息をついた。

「……ああ、クソ。悔しいけど、すげぇよかった。歌ってないときのお前は正直、人としても女の子としてもどうかと思うけど、歌ってるときだけはかんぺきだ。ずっと歌ってた方が世のため人のためお前のためじゃないかって提案したい」

「あれれ!? められてるはずなのにしやくぜんとしない感じに! 不思議!」

 素直に褒めるのが悔しくて、思わず悪態めいた賛辞になってしまう。それはベアトリスの失笑を買い、エミリアからは生温かい視線をもらう結果をまねいてしまった。

「剣鬼恋歌は全部で五幕。レムはもちろん終幕の五幕が好きですけど、明日からの三幕も聞き逃せません。必ず、お仕事を終わらせて駆けつけますね」

「レムはすっかりお気に入りだな。俺は今のところ、リリアナの歌の方に圧倒されて話のぼつにゆうはイマイチなんだけど、最後まで聞いたらこの感想も変わるのかね」

「ええ、きっと。剣鬼様の生き様は、今も多くの男女の理想の形です。スバルくんも、いつかレムを剣鬼恋歌のようにむかえにきてくださいね」

「聞いたネタバレが正しい場合、それだと俺とレムって最後に殺し合ってない?」

 答えながらスバルは、興奮にかすかにほおを赤らめているレムの姿に唇をゆるめる。

 レムがこうまで感情をあらわにすることは珍しい。ベアトリスが聞きにくるのもそうだが、リリアナの歌声には本当に力があるのだ。正直、それが少しうらやましい。

 レムと人並みに親しくなるのに、スバルは文字通り死ぬほど頑張ったというのに。

「それを簡単に詰めやがって。面白くねぇ」

「なんです、小間使いさん。そんなぶーたれた顔されても、全然可愛かわいくも微笑ほほえましくもありませんよぅ。もっと客観的に自分を見た行動をされないと」

「普段のお前の行動からは説得力がねぇよ。それとも、歌ってるときのすごさを際立たせるために、あえて落差をでかくしようとしてんのか。ギャップねらいの策士か」

「何を言ってるのかわからんちんですが、まさにその通りもぐもぐ……」

しやべってる最中に食うな!」

 まさかの推測はまさかのままで終わる。

 歌い終えて、リュリーレを壁に立てかけたリリアナが再び焼き菓子に手を伸ばす。そうごんれいな歌の天使が、かんという世俗にけがされて堕天する瞬間だ。

 そのままリリアナを交えて、かんだんしつつ茶会に移行するのがここ三日の日常だった。

 ──ただ、今日は大人しくそうはならなかった。

「失礼します」

 ふと、そう言って立ち上がったレムが窓際へと向かう。

 そのままレムはさっと音もなく窓を開け、薄青のひとみを細めて外を眺める。視線は屋敷の正門の方を確認し、彼女の右手が懐から何かをまみ出した。

「レム、何それ?」

「小さい鉄球です。今、ちょっと手元に使い慣れたものがないので」

 ゴルフボールぐらいの大きさの鉄球をてのひらで転がし、照れたようにはにかむレムの腕が鉄球を高速で外へ投じる。一秒後、遠くでにぶい音と野太い悲鳴が上がった。

「──当たりました」

 外を見て、親指を立ててみせるレムにスバルは苦笑い。

 レムの隣から外を見ると、前庭の隅でこんとうする仲間を運ぶ白装束たちが見えた。

りないやつらだな……レムに何回頭割られたら学習するんだ」

「割られるたびに、学習した内容が外にこぼれ出しているのかもしれません」

 割っていることを否定しないレムにせんりつしつつ、スバルは逃走する集団を見送ってため息をつく。集団は三日間、この調子でレムに撃退されるパターンを繰り返している。

「今回は白服の人たちでしたね」

「そうだな……って、なんだその気になる発言。今回は白服?」

「リリアナ様狙いと見られる集団なんですが、白服の方々の場合と粗野な服装の方々の場合と入り乱れて襲撃があるんです。きっと、手が足りないと見た白服の人たちにやとわれたゴロツキではないかとレムは思っているんですけど」

「マジか。二グループあるのは確実なのか? 別件の可能性は?」

「このタイミングで、ぼうな二つの勢力が別々の目的というのは考えにくいと思います」

 レムの指摘にスバルもうなずく。さすがにこのタイミングで、リリアナねらいの白服とは別の自殺志願グループが仕掛けてくるのは運が悪すぎるだろう。

 ただし、それならそれで襲撃パターンに違和感があるのも事実なのだが。

「一回、本腰入れてちゃんと捕まえた方がいいんじゃないか?」

「それも考えたんですけど、逃げ足がすごく達者で。本気で追いかければ捕まえられると思うんですが……あまりお屋敷を離れてしまうと、それも不安で」

「レムを乗り越えても、まだまだ第二、第三のボスキャラがいるけどね、この屋敷」

 戦闘力で考えれば、レムはロズワール邸の中では実力真ん中ぐらいだ。

 パック付属のエミリアに、ロズワールやベアトリスという単独戦力。外から見ると、手を出すのが馬鹿馬鹿しくなるほど過剰な戦力が集まった屋敷である。

「でも、あんまり野放しにしておくのも心配なのよね。あの人たちがしびれを切らして、しやになられちゃうとすごーく困るし」

「早期解決したいのが本当のとこだわな。やみくもに突っ込んでくるだけの脳筋連中だから問題になってないけど……最悪、なりふり構わなくなったら周りに手を出しかねない」

 仮にアーラム村などに被害が及べば、事は最悪の結果をむかえるだろう。領民に手を出されたロズワールが、襲撃者を慈悲なく焼き尽くすという意味での最悪だが。

「そうならないように、ラムが早々に手掛かりを見つけてくれるといいんだけどな」

「ラムは頭がいいから、きっとすぐに何かに気付いてくれるわ。私たちは、あの歌を聞いても何にも思いつかないけど……」

 エミリアの口にする『あの歌』とは、リリアナが追われる原因になったと目されている『絶対に歌ってはいけない歌』というやつだ。

 確認のためにスバルも何度か聞いていて、すでに『絶対に歌ってはいけない』という但し書きが無意味になっているが、特別な意味のある歌にはスバルも感じなかった。

 故郷について歌った素朴でぼつてきな歌であり、富豪が一代で財を成した秘密と密接にかかわるという話もまゆつばだ。それを確かめるために、ラムの今の行動があるのだが。

「つまらないしがらみにとらわれているものかしら。あんな邪魔ですいな連中、根こそぎ刈り尽くした方がせいせいするってものなのよ」

「人がせっかくおん便びんに片付ける方法を模索してるってのに、空気読めよ」

 紅茶のカップを傾けるベアトリスが、無感情な声でこくはくに言い切る。

 究極的にはそう終わるのもやむなしだが、敵対する相手を滅ぼし尽くして終わらせるやり方は後味が悪い。魔獣騒ぎの収束に、スバルはそんな教訓を得ていた。

 ましてや今回の相手は魔獣ではなく、同じ人間なのだからなおさらだ。

「守勢に回ってる限りは不自由を強いられるもんだよな。……もっと、こっちから攻撃的に仕掛けられたら話も一気に進むのかもしれないけど」

「そうするには手も情報も足りないってわけです。これはもうお手上げですね。素直にあらしが行き過ぎるのを、頭を抱えて待つのも手です。そうしましょう」

「お前、なんでそんなごとなの? みんなお前のために頑張ってんだよ?」

 保護下に置かれている分、これまでの日々より余裕があるのだろう。リリアナのゆるみ切った姿を見ると、問題解決後の彼女との関係を危ぶむ必要はおそらくないだろう。

 ただし、その問題解決に至るプロセスはいまだに光明が見えずにいるのだが。

「こっちから攻撃的に、か……」

 自分の言葉を再びつぶやいて、スバルは片目をつむって考え込む。すると、そのスバルの横顔を見たエミリアが、形のいいまゆをそっと寄せた。

「あ、ひょっとしてスバル、また何かわるだくみしてるでしょう」

「またって人聞き悪いな。……悪巧みには違いねぇけどさ」

 エミリアの指摘に悪い笑みを浮かべて、スバルは部屋の中の四人を振り返る。女性陣の視線を集めながら、スバルは一つ指を立てて提案した。

「ちょっと試してみたい作戦があるんだけど、協力してもらえるか?」


    10


「──それにしても馬鹿なをしたもんだな。俺たちは助かったけどよ!」

 汚いつばを飛ばして笑う男に、スバルはほおが引きつりそうになるのをこらえていた。

 場所は薄暗い小屋の中で、外が見えないように窓には目張りがされている。光源は部屋に置かれたラグマイト鉱石の光だけで、それもぼんやり周りが見える程度のものだ。

 おおざつな見た目通り、雑な荒事に手慣れた連中。それがスバルの彼らへの評価だ。

「あのまま屋敷にこもってりゃ、化け物メイドのせいで手が出せなかったってのに、ふらふらと表に出てきたのが運の尽きだ。調子に乗っちまったみたいだな、ええ?」

 た顔でスバルをあしにする男を筆頭に、粗野なふんただよわせる『いかにもゴロツキ』な連中が、小屋の中と外に全部で八人ばかり。

 本気でスバルが抵抗しても、すべもなくやられてしまう数の暴力だ。

「お? かわいーねえ。ふるえちゃってるじゃねーか。なぐさめてやれよ、色男」

 悔しげにするスバルの隣には、顔を伏せて震える少女の姿がある。それを見た男があざけりの声を投げると、笑い出す男たちからかばうようにスバルは少女の手を取った。

「大丈夫だ、安心しろ。心配しなくても、きっとどうにかなるから……」

健気けなげだねえ。どうにかなんてなるもんかよ。あのメイドに見つからないように注意しまくったからな。まあ、女がいればお前はいらねえ。ぼこってから逃がしてやるよ」

 少女をはげますスバルに、男がこれ見よがしにこぶしの骨を高く鳴らす。スバルが小さく息をむと、少女が握られた手を強く握り返してきたのがわかった。

 最低限、体をおおうばかりの民族衣装だ。露出した白い肩が心細く見えて、スバルは男たちから少女を隠すようにそっとその体を抱いた。

 少女が息を詰め、男たちが口笛を吹く。その直後だ。

「──彼女を取り戻したというのは本当か!?」

 そんな声とともに乱暴に扉が開かれる。外の日差しが暗がりの室内を照らし、思わずスバルが目を細めると、入口に逆光を背負う人影が息を切らせて立っていた。

 数度のまばたきで焦点が合うと、その人影が若い青年であることにスバルは気付く。身なりのいい服を着た、やたらと丁寧に髪をでつけた人物だ。

 青年は部屋の中を見渡し、スバルたちに気付いて目を見開く。そして、

「おお、リリアナ! やっと君に──いや、その男はなんだ?」

「お嬢ちゃんをかくまってた屋敷の人間で、一緒に取っ捕まえて……若だん?」

 青年のスバルを見る目が鋭くなり、見る間に顔が紅潮する。青年の機嫌をうかがうような態度をゴロツキがしたところを見ると、彼こそが男たちのやとぬし──黒幕なのだろうか。

 そう判断するスバルに、青年は鼻息荒く詰め寄って、

「お前ぇぇ! だ、誰の許可を得て、その子と触れ合っているぅ!」

「おあぁ!?」

 げきこうした少年のりが、スバルを思いきり壁にたたきつけた。

 突然の凶行にスバルが目を回すと、周囲のゴロツキたちが代わりに声を上げる。

「わ、若旦那、何をするんで!?」

「こ、こ、こいつが、僕のリリアナにれしくしているからぁ!」

 引き止める男たちを振り切り、青年はスバルから引きがされたリリアナの前にひざまずく。彼はいまだ、下を向いたままのリリアナに手を差し伸べると、

「ああ、リリアナ。やっとお会いできましたね。あなたの愛のしもべ、キリタカです。あなたがあの悪名高い『亜人趣味』の屋敷へ連れ込まれたと聞いたときは、この胸けんばかりのゆうりよき水のごとあふれました。ああ、ああ、リリアナ……ッ」

 キリタカと名乗った青年は、まるで自分の言葉に酔ったような態度で言葉を並べる。言いがかり、と言い切れない程度に身内の外聞が悪い自覚があるため、スバルは渋い顔をするしかない。肩をさすりながら、ゴロツキたちの方を振り返り、

「お前ら、アレに雇われてることになんか思ったりしないの?」

「金払いはいい雇い主なんだよ。あのひんそうな体の嬢ちゃん一人で、俺ら全員がしばらく遊んで暮らせんだ。ちょっとぐらいアレなのは目ぇつぶるだろ」

 ゴロツキのぼやきから、彼らも雇い主が『アレ』なのはわかっているらしい。がらい事情を知って、スバルはリリアナを取り巻く騒動の見当違いな決着を予想する。

 てっきり、『歌』を理由にリリアナの身柄がねらわれているものと思っていたが、黒幕のキリタカが熱を上げているのはリリアナ本人のようだ。

 愛情表現こそへんしゆうてきではあるものの、それ以上の背景は彼には見えてこない。

「どうしたんです、リリアナ! なぜ、君の愛らしいひとみで僕を見てくれない?」

 それまで、ただひたすら情熱的に愛を訴えていたキリタカが、沈黙を守り続ける少女に対してまゆを寄せる。

「どうして黙りこくって……よもや、連れてこられるときに何かひどいことでも!」

「よしてくださいや、若だん! 俺たちゃ言われた通りにしたでしょうが。こう言っちゃなんですが、誰もこんなひんそうな体の娘に何かしようなんて思うわけ……」

「──ごちゃごちゃとうるさいはえどもかしら」

 キリタカたちが言い争いを始めかけたそのとき、割って入る少女の低い声。

 それを聞き、顔を上げたキリタカの表情がきようがくに染まる。彼だけはその時点で気付いたのだ。──目の前の少女の声が、自分の追い求めたそれと違うことに。

「だ、誰だ、お前ぇ! 僕のリリアナではないな!?」

「お前らに名乗る名前なんて、ベティーには欠片かけらもありはしないのよ」

 半ば名乗ってるじゃねぇか、というスバルの内心の突っ込みはに、二つくくりの髪を揺らして少女が立ち上がる。ただしその髪はリリアナのものと違い、ずいぶんと手の込んだ縦ロールに編まれたものだった。

「中と外、合わせて九人。──両手の指で、事足りるかしら」

 次の瞬間、吹き荒れる暴風に男たちの野太い悲鳴が小屋の内外に響き渡った。


    11


 ──リリアナをねらう連中への攻撃として、スバルが提案したのはシンプルな作戦だ。

「追い返されて所在が割れないってんなら、いっそ捕まってみて黒幕のところまで連れてってもらうおとり作戦。血の気の多い連中じゃなくて助かったってとこだな」

「ベティーにこうまでさせたのよ。うまくいくのが当たり前かしら」

 いきし、ベアトリスはスバルが手渡すタオルで顔や手足をぬぐっている。

 肌の色を変えていた塗料がき取られ、かつしよくの見た目が少しずつ普段の色白の肌を取り戻していた。たんねんに体中を拭くベアトリスを眺めながら、スバルは腕を組む。

「しかし、見た目がいつものベア子に戻れば戻るほど、その格好の違和感がすげぇな」

「……誰の発案で、ベティーがこんな格好してると思っていやがるのよ」

「そりゃ俺の発案なのは間違いねぇけど……まさかここまで痛々しくなるとは」

 なげくようにスバルが肩をすくめると、ベアトリスの額に青筋が浮かぶ。

 ベアトリスの現在の格好は、襲撃者たちをだますための変装──つまり、リリアナが普段からしている踊り子風の露出ファッションだ。リリアナとベアトリス、体格的な女性らしさでは大差ない二人だが、ベアトリスの方に痛々しさを感じるのはなぜだろうか。

 やはり、普段の格好を知っているのと、身内だからだろうか。

「にーちゃに頼まれたのと、あの娘のためでなきゃこんなことしなかったかしら」

「ま、それを盾にすればいけると踏んで提案したあたり、自分で自分の性格の悪さに驚くけどな。……しかしお前、なんだかんだでやっぱチョロインだなぁ」

「今、ベティーにとってメチャクチャ腹立たしい評価がされた気がするのよ」

めてんだよ。時代の流れの最先端のえ記号だぜ。十年後は知らんけど」

 まゆを立てるベアトリスの視線を無視して、スバルは小屋の中の惨状を見渡す。あちこち転がるのは、ベアトリスの怒りを買ってぶちのめされたゴロツキたちだ。黒幕のキリタカが大柄な男の下敷きになっているのを見つけ、スバルは手を合わせて合掌。

 囮作戦の前提として、リリアナ本人を危険にさらすことはできないというものがあった。男たちに警戒されるだろうレムを護衛につけるのも却下。エミリアをおもてに立たせるなどごんどうだんで、実行犯はスバルとベアトリスの二人以外に選択肢がない。

 ゆえに、渋るベアトリスをパックに頼んでせ、女性陣にきゃいきゃい言われながらリリアナに仕立て上げられたベアトリスを連れ、おとり作戦は実行に移された。

 作戦を立案したスバルも、まさかこうまでうまくいくとは思っていなかったのだが。

「自分の参謀適性が怖いぜ。けど、黒幕まで辿たどり着けたってことは完全にラムは無駄足だな。ラムが戻ったら毒吐かれる可能性がますます上がった。ゆううつすぎる」

「ぼやいてるひまがあったら、こいつらが逃げないように縛り上げておくかしら。じきに姉妹の妹がきて、こいつらを連れ帰らせる必要があるのよ」

「そこでロズワールと怖い話し合いってわけだ。同乗するぜ、自業自得だけど」

 行き過ぎた愛情表現の結末がこれだ。ストーカーが怖いのは、いつの世もどこの世界でも同じということだろう。歌っているとき以外のリリアナのどこがいいのかは、泡を吹いて気絶しているキリタカにしかきっとわからないだろうし。

「なんにせよ、肩すかしな決着だったな。白服連中も、やとぬしが捕まったってわかれば投降するなり手を引くなりするだろ。これにて一件落着、と」

 イマイチ不完全燃焼感はあるものの、ひとまずあん感にスバルは肩を落とす。それから手を伸ばして拾うのは、ケースに収まったまま投げ出されていたリュリーレだ。ベアトリスがリリアナに変装する上で、オプションとして持ち込んだものである。

「中身は大丈夫だよな? 壊れてたら、リリアナになんてたかられるかわからねぇ」

 慎重にリュリーレを取りだし、簡単に構えてスバルはげんを指ではじく。軽やかな音がかなでられるのを確かめて、そのまま適当な曲をき始めるスバルにベアトリスが驚いた。

「お前、その楽器、演奏できるのかしら」

「コツはアコースティックギターとそんな変わらねぇしな。この三日、ちょくちょくリリアナに借りてたし、七十年代フォークなら大抵いけるぜ」

 元の世界では父親のギターを借りて、暇にかしてフォークソングを弾き語りしたものだ。聞かせる相手のいなかった無駄なけんさんが、世界を渡ってついに花開いている。

「著作権も追いついてこないし、今こそ俺がこの世界の音楽に革新をもたらすべきか」

「ベティーの知る限り、お前ほど役に立たない技術ばっかりきたえてるニンゲンは初めてなのよ。そんなのばっかり上手で何の意味があるのかしら」

「何の意味もないことに情熱を燃やす。それがロマンってやつなのさ」

 スバルの戯言たわごとに、ベアトリスは心底あきれた顔つきでため息をついた。それから何の気なしに、少女が目をつむって音楽に耳を傾け始める。

 不思議と、おだやかな顔で。

「ったく。──しょうがねぇな」

 素直に聞く姿勢になるベアトリスを前に、演奏を中断するのも気が引ける。

 スバルはそんな言い訳をしながら、心配そうな顔でレムが小屋に駆けつけてくるまで、二人きりの静かな演奏会を続けたのだった。


    12


「それじゃ、襲ってきた人たちと『歌』の間には何の関係もなかったってこと?」

 事の次第をスバルから聞いて、エミリアが目を丸くしてそうつぶやいた。

 無事におとり作戦も成功に終わり、屋敷に担ぎ込まれた襲撃者と黒幕連中は、今頃はロズワールとレムの二人に優しくじんもんされている最中のはずだ。

 その尋問の結果が出るまでの間、スバルはエミリアとリリアナの下を訪れ、作戦の間ずっとハラハラしていただろう二人にてんまつを語り終えたところだった。

 屋敷の中庭で話を聞き終えて、円満な解決が見えたことに二人とも胸をで下ろす。

「ホントによかった。スバル、とかないのよね? ベアトリスもちゃんと無事?」

「ちょっと乱暴されて泣きそうになったけど、エミリアたんの前だから強がる俺。ベア子も普通に戻って、さらっと着替えて部屋に引きこもってるよ」

「そうなんだ。……ベアトリス、可愛かわいかったのに。ちょっと残念」

 しゅんとなるエミリアにスバルは苦笑する。

 ベアトリスとしては、着せ替え人形にされたのがさぞ苦痛だったのだろう。戻るなりすぐ着替えて、脱いだ服をスバルにたたきつけるととっとと禁書庫へ消えてしまった。

「そですか。……私もちゃんとベアトリス様にお礼が言いたかったのに残念ですよぅ」

 と、それまで黙っていたリリアナが神妙にこぼす。

 さすがに、自分を中心とした騒ぎが収束するのを前に、リリアナにも色々と思うところがあるらしい。特に彼女は、かなりいん湿しつなストーカーの被害者だったわけで。

「あの黒幕のキリタカってやつなんだけど、知ってる男なのか? 俺の見たとこ、ずいぶんとお前に熱を上げてるようだったんだけど、目が悪いのかな」

「最後無視しますが、ええと、知ってます。こちらにお邪魔する前の前、ウォーウォーの前に通った商都がありまして、確かそこでは有名な商家の跡取りさんのはずです」

「鼻につく金持ちっぽいとは思ったが、そのものズバリときたか。……付きまとわれてることに心当たりっつーか、自覚とかなかったのかよ」

「歌をたいそう気に入っていただいて、おいしいものとかごそうになったりはしたんですが……私としては、それだけで良いお別れをしたつもりでいたんですよぅ」

「お前、行き着く先々で誰かろうらくしてたかってんの?」

 ウォーウォーの富豪といい、リリアナの容姿はこの世界では需要が高いのだろうか。エミリアのビジュアルが最高と思っているスバルとは、あいれない価値観である。

 じろじろと無遠慮に自分を見るスバルに、リリアナはひんそうな体を腕で抱いて、

「きゅ、急になんですか、いやらしい目でじろじろと。他の人たちが私に興味津々なのを知って、私の魅力についにくらくらですか。イチコロですかっ」

「よしよし。調子が戻ってきたみたいで何よりだよ。ストーカーされるのなんて当人の不手際じゃねぇんだし、堂々としてろ。ほれ、リュリーレも返す」

「むぅ。なんともしやくぜんとしません! リュリーレは返してもらいますが」

 リュリーレのケースを押しつけられて、受け取るリリアナは不満げな顔だ。

 ともあれ、空元気でも元気は元気。絞り出せる分だけ十分マシだろう。

「なに、エミリアたん。なんでそんな優しくて可愛かわいい目で俺を見てんの?」

「んーん、別に。スバルも、ベアトリスと同じぐらい素直じゃないなーって思って」

 くすくすと小さく笑うエミリアに、スバルは何のことやらと首をひねる。

「でもでも、今回のことで皆さんにはとても大きな借りができてしまいました。もう新しい英雄のお話のことなんて、お館様に切り出せる状態じゃないですよぅ。私、痛恨の状態です。望みが断たれたっ」

 一方、目先の問題が片付いたことで、自分の置かれた状況を客観視したリリアナがあごが外れたような顔で落ち込む。彼女視点では、屋敷に迷惑に迷惑を重ねた形だ。

 ずうずうしさに光るもののあるリリアナも、さすがにこれ以上の図太さは発揮しかねる。

 ただし、ロズワールの真意を知る側からすれば、リリアナのねんはまさにゆうだ。むしろ、確実にリリアナというぎんゆうじんを王選に巻き込める貸しを作ったことで、今回の騒動はかえって実りある結果をまねいたといえるだろう。

「まぁ、そのあたりのことはロズワールの方から話してくれるだろうよ。お前はむしろ、借りを作った自分をめ倒していいぐらいかもしれないな」

「……? それって、どういう意味ですです?」

「ちょっとしたらわかるよ」

 スバルの物言いに、エミリアとリリアナがそろって首をかしげる。リリアナはまだしも、エミリアも裏事情に頭が回っていないあたり、純粋な善意で手伝っていて可愛い。

 それから「さて」とスバルはしばから腰を上げ、屋敷の方を見上げる。じんもんが始まって小一時間──そろそろ、何かしら事情が聞き出せた頃ではないだろうか。

「ストーカーの被害者と加害者を直接対決させるってわけにもいかねぇだろうけど、ロズワールの見解が聞きたいとこだな。ちょっと行ってみるか」

「あ、でしたらその前に、楽器と着替えを部屋に置かせていただきたいんですが」

 黒幕の場所へ、と聞いたリリアナが真剣な顔で準備を申し出てくる。ベアトリスに着せた服とリュリーレは、確かに対決の場にはそぐわない。

「なら、先に荷物を置いてくっか。エミリアたん、執務室に行ってていいよ」

「うん、わかった。悪い人たち、ちゃんとらしめてあげなきゃだもんね」

 温厚で可愛いエミリアが、きやしやな手を握りしめてぷりぷり怒っている。

 微笑ほほえましさを感じながらも、スバルはリリアナを伴ってエミリアとは反対方向へ。中庭から執務室へ向かうエミリアとは逆に、正面から客室のある東棟を目指す形だ。

 そして──。


    13


 中庭から屋敷に上がり、本棟の階段を上っていたエミリアはふいの気配に顔を上げた。正面、三階へ続く階段の踊り場に、スカートのすそひるがえしてレムが着地する。

 ふわりとたなびく短い裾を目にして、エミリアは目をぱちくりとさせた。

「レム、そんな風に廊下を走っちゃ危ないじゃない」

「──っ。エミリア様、申し訳ありません。ですが、火急の用件です」

「火急の?」

 普段は冷静なレムの、珍しくあわてた様子にエミリアはまゆを上げた。それからレムはエミリアのそばに小走りに駆け寄り、階段の下の方を見回して、

「スバルくんとリリアナ様はご一緒では?」

「えっと、二人は一度、部屋に荷物を置いてくるって。……何かわかったの?」

「ロズワール様が聞き出されて、大体のことは。首謀者はミューズ商会の跡取り、キリタカ・ミューズという人で、リリアナ様にいたくご執心で追ってこられたとか」

「うん。私もそこまではスバルに聞いたけど……」

 リリアナ本人としては、そうまで執着される心当たりはないと不思議がっていた話だ。しかし、レムはエミリアの答えに首を横に振った。

「申し訳ありません。ですが、本題はそこではありません。そのキリタカですが、今回は金でやとったゴロツキに、リリアナ様を連れてこさせるつもりでいました。スバルくんのおとり作戦のおかげで、それは水泡に帰したんですが……」

「それだけじゃないの?」

「キリタカの話では、白服の集団を雇った覚えも、関係もないの一点張りなのです」

 それを聞いた瞬間、エミリアはレムが急いでいた理由を悟り、階下へ飛び下りる。並ぶレムを伴い、エミリアは全力でスバルたちが向かった東棟──リリアナの部屋へ。

「──戻って、ない」

 開け放った部屋に求める光景が見つからず、エミリアは自分の失態に声をふるわせた。


    14


 ガラガラと音を立てて引かれる荷車の上で、きのスバルは空をにらみつけていた。

「────」

 リリアナと二人、屋敷の中に戻ろうとしていた途中、ふいに衝撃を受けたと思えばこの状態だ。あおけに寝かされて、視界には青空しか入ってこない。

 ぎっちりかぶせられた布の上から縄で縛られて、身動きも取れない最悪の状態だった。

 かすかに頭に残る殴られた痛みと、このきの現状から察するに、

「おう、こっちの兄ちゃんも目ぇ覚めたみたいだな。手荒に扱って悪かったよ」

 聞こえた声は、スバルが目覚めたことに気付いた誰かが投げかけてきたものだ。

 首だけ動かして声の方を見ると、そこには白装束の人物が座っている。頭から足下まで真っ白な悪趣味を確認して、スバルは状況をほぼ正確に把握した。

 やとぬしが捕まったはずなのに、行動をやめていない白装束──つまり、無関係。

「ってことは、リリアナファンと『歌』ねらいは別枠か! ややこしすぎるだろ!」

ひらめきました。聞いてください。──リリアナ、それは罪な花の名」

「黙れ! 言ってる場合か!!」

 スバルと同じように簀巻きにされているらしい少女の声に、スバルの怒号が上がる。

 見える位置にリリアナはいないが、少なくとも普段の小ボケができる程度には余裕があるらしい。内心そのことにあんしつつ、スバルは首だけで白装束の男を見た。

「とりあえず、殴ったりったり抜きで話ができるもんだと期待してもいい感じ?」

「……ああ、俺らもその方が助かる。今さらだが、おん便びんに運べりゃそれが一番だ」

「ホントに今さらだな。説得力がねぇよ」

 スバルがそう応じると、男は「違いねえ」と低く笑った。それから男は白装束の頭部分を外し、その下に隠していたヒゲ面を大気にさらす。四十代前後の中年だ。

「俺たちはようへい『白竜のうろこ』だ」

 顔を晒し、所属を名乗る男の姿勢は交渉を求めている。荒っぽくこちらをさらったわりには理性的な態度に、スバルはちぐはぐなものを荷台の揺れと一緒に感じる。

「おえ、気持ち悪くなりそう。せめて、体起こして話させてくんない?」

「そうして立てかけてやりたいのは山々なんだがな。調子乗ってしっかり縛りすぎて、一本の棒みたいに仕上がってるから立たせるのも一苦労だ。悪いが寝ててくれや」

「限界きたらリバースするぞ。マヨネーズしか入れてない、俺の白いおうせんりつしろ」

 おとり作戦の都合上、午前中に腹に入れたのは最低限の食べ物──異世界で再現したマヨネーズをすすっただけなので、仮に吐く場合はそれしか出てこない。

 と、スバルの答えに男がお手上げとジェスチャーすると、別の声が会話に割り込む。

「竜車じゃなく、勇牛のファロー車ですか、これ? ずいぶん時代に取り残された感がある動物を使ってらっしゃいますねっ。もはやこつとうひんですよぅ」

「お前のそれ、驚いてんのか皮肉言ってんのかあおってんのか感心してんのかどれでもいいけど、どれでもろくなことにならねぇからちょっと黙ってろ」

 限界まで首を傾けて、スバルは視界の端に縛られた誰かの足をとらえる。どうやらリリアナはスバルと逆向きに寝かされているらしく、つまさきがぴょこぴょこと動いていた。

「一難去ってまた一難ってより、二難きてたのに気付いてなかったってことか」

「なまじおとり作戦がうまくいったのが完全に裏目りましたね! この状況について、発案者の小間使いさんがどうお考えなのか、私、気になりますっ」

ごとのお前を平手打ちできたら、今はもう何もかもどうでもいい」

 普段の調子が崩れないリリアナのおかげで、どうにかスバルも平静を保てている。

 実際、状況は完全に白装束たちのてのひらの上だ。

 リリアナの言う通り、囮作戦の成功で警戒網がゆるんでいたところへの襲撃だ。ねらったわけではないだろうが、状況が二つのグループを連携させ、手玉に取られた形だ。

「屋敷の方でも、今頃は俺らがいないことに気付いちゃいるだろうけど……」

 追跡に割ける手勢の少なさが、即時の対応に支障をきたすのは間違いない。

 ただでさえ少ないごまの内、ラムは調査のために屋敷を出ている。エミリアとロズワールが直接動けるはずもなく、ベアトリスが協力してくれるかは未知数だ。

 そうなると、確実に動かせるのはレム単独ということになるが。

「もう片方の方々を見張る必要もありますし、期待薄ですかね?」

「……そうだろうな」

 スバルの考えを先読みしたような、リリアナのその言葉が急所に突き刺さる。

 手勢も事情も厳しいとなれば、スバルたちの身柄の安全はどう確保するか──、

「外部に頼らず、俺たち自身のネゴシエーション次第ってことだな」

 くちはつちようはつちようで、相手のげきりんに触れないように解放される道を整える。

 幸い、相手にはこちらと言葉を交わす意思がある。互いのきよう点を模索して、無事に解放されるためにもスバルが奮闘する他にない。

「ガンバですよぅ、小間使いさん」

「お前が黙ってくれてる方が確率が高い。復唱しなくていいから記憶しといて」

「お二人さんの話はそろそろまとまったか?」

 黙ってスバルたちの話し合いの決着を待っていた男が、頃合いと見たのか再びスバルの視界へ戻ってくる。どかっと荷台に腰を下ろし、男は胡坐あぐらをかいた。

「それじゃ改めて名乗るが……俺たちはようへい『白竜のうろこ』ってもんだ」

「悪いけど、俺は地元出てきたばっかでこっちのうわさうといんだ。あっちの女も流れのぎんゆうじんって根なし草だし、そもそも頭もちょっと残念だからわからないと思う」

「ちょっ、小間使いさん!? あんた、人のこと残念とか、なんば言いよりますかっ」

 話が進まなくなるので、スバルはリリアナの抗議をスルー。ヒゲ面もスバルの姿勢に従い、リリアナの声は耳に入れない様子で己のあごに触れた。

「聞き覚えなくてもしょうがあんめえ。この名前が通じるのはルグニカでも一部だし、もう十年近く前の話だ。今じゃ俺たちも、昔ほど無理は利かねえしな」

「昔……再結成でもしたの? やんちゃするならとし考えてしようぜ」

「解散も引退もしてねえ。活動は縮小してたがな。それというのも、決着をつけなきゃなんねえ最後の仕事があってよ。それが片付くまで看板はたためねえんだ」

 声を低くして、ヒゲ面の男は決意を宿したひとみでそう告げる。

 物々しいふんと、どこか悲壮な男の気配。並々ならぬ事情があるのを察して、スバルは寝転んだ姿勢のままでため息をついた。

「その看板を畳むための、最後の大仕事ってのは?」

「俺たちようへい団の金庫番が、財産の一切合財を根こそぎ持ち出して裏切りやがった。そいつが奪っていったものを取り返す。そうしなきゃ俺たちは終われねえんだ」

「……? そのことと、リリアナと何の関係があるんだ?」

 まさかその裏切り者がリリアナ、というのはさすがに年齢的にないだろう。

「その裏切り野郎はな、財産である町にでかい屋敷を建てた。そこで豪遊して、いい暮らしをしてたんだろうよ。……その足取りを俺たちはつかんだ。すぐに金を取り戻して、ケジメをつけさせてやるつもりだったさ。だが、あの野郎!」

「────」

「自分の居場所がばれたと気付いた野郎は、あろうことか金をどうくつに隠して、上から『ミーティア』で封印しちまいやがった。その封印を解くかぎが、『歌』って話なんだよ」

「歌……! そうか、ここでつながるのか」

 ヒゲ面の怒りの声を聞きながら、スバルの脳裏を『歌』が雷鳴のように駆け抜けた。

 リリアナをかんたいし、彼女に『歌ってはいけない歌』を教えた老人──その人物こそが、『白竜のうろこ』を裏切った金庫番だったのだ。歌は老人が財を成した理由を隠していたのではない。歌そのものが、『老人が財宝を隠した封印の鍵』の役割を持っていたのだ。

 老人は行きずりのリリアナに鍵の役目を押し付け、彼女を町から追い出して封印から遠ざけた。『白竜の鱗』はリリアナが歌を知っていると気付き、彼女の身柄を確保しようとしていたのだ。キリタカはただの馬鹿だ。状況をややこしくしたノイズである。

「あんたらを裏切ったのは、ウォーウォーの富豪か。ふくしゆうってことかよ?」

「俺たちを裏切ったあいつのことは、恨んじゃいるが今さらどうでもいいさ。俺たちは財宝が……まとまった金が戻ればそれでいい。それがなきゃ、駄目なんだ」

 声の調子を落として、下を向く男の表情は真剣だ。

 何か、大金が必要な理由が彼らにはある。それも、時間に余裕がない形で。

「財宝が隠された洞窟の場所は、もうわかってるのか?」

「わかってる。だからあとは、封印を解く歌さえあればそれでいい。つまり……」

「リリアナが、その封印を歌で解いてくれれば万々歳」

 問題は解決し、スバルたちも無事に解放される。

 互いのきよう点が見つかり、おん便びんに解放される道が見えてスバルは顔を明るくする。そのままリリアナの了解を得ようとして、つまさきふるわせる少女に声をかけた。

「おい、リリアナ。聞いてただろ。お前がどうくつで、あの『絶対に歌ってはいけない歌』を歌ってやればそれで解決だ。だから……」

「──りします」

「あ?」

 スバルとヒゲ面の男の、間抜けな声が重なった。

 思わずユニゾンしてしまうほど、リリアナの返答が予想外のものだったからだ。

 リリアナの爪先がきゅっと伸びる。それはまるで、彼女が自分の意思を曲げないことを態度で示しているかのように見えて──、

「私は、洞窟の封印を開けるとかなんとか、そんなことのためには歌いません」

「────」

「歌は……歌は、財宝やお金なんていずれなくなるものの代わりになるものじゃないっ。お断りしますっ! 歌を、物語を……ぎんゆうじんを、馬鹿にするなぁっ!」


    15


 冷たく固い地面の上で、スバルは尻の角度を調整して痛みをやわらげていた。

 冷え切った洞窟の中でひざをすり合わせ、今は何時なのかとスバルは思う。洞窟に入る前に夕暮れの気配があったことから、外はとっくに夜になっていることだろう。

 時折、洞窟を吹き抜ける風の音が反響し、もうりよううめき声のような音がまくかすめる。

 薄ぼんやりと発光する壁のこけと、うごめく人の気配がなければ、この場所がとこと切り離された異界であると恐れられる理由もわかるというものだ。

「風の音と、真昼間でも震えるぐらい寒い場所だ。地元の連中も、良からぬものがどーのなんて言って近づかねえ。財宝の隠し場所としちゃもってこいだろ」

 スバルの納得を補強するように、壁際にたたずむヒゲ面の男が野蛮な笑みを浮かべる。

 粗野なふうぼうと言動だが、対話をこころみようとしてくれるあたり理性的な男だ。移動中に外したマスクもそのままに、素顔をさらしたままスバルたちと接している。

「けど、誘拐犯が人質に顔見せてるのって、良くないちようこうって聞いたことあんなぁ」

「巻き添えの兄ちゃんには悪いけどな。下手に騒がれても面倒でよ。恨むんなら、あの場で嬢ちゃんと一緒にいた自分を恨んでくれや」

「いや、普通にお前らを恨むに決まってんだろ。責任転嫁すんな」

「そりゃそうだ」

 口の減らない人質に、ヒゲ面はどこか愉快そうに腹をでて笑う。

 よくもまあ、この状況で笑みなど見せられるものだと思う。なにせ、

「てめえ、いい加減に強情張るのはやめろ! あまり俺たちを怒らせるんじゃねえ!」

 遠く、風の音を塗りつぶすような怒声がどうくつの奥から響き渡ってくる。

 どうかつ、脅迫、威圧のたぐいの怒声だ。声に込められた怒気は本物で、声のぬしふんげきが今にも暴力を伴ってさくれつしかねないのは誰の耳にも明らかだった。それなのに、

「いぃえぇ、お断りします! 私は私の歌を、歌としてあるべき楽しまれ方をしていただく以外のために歌いません! ぎんゆうじんめたらいかんのですよぅ!」

 それに対する反論にも、懸命なまでの怒りが込められているから話がこじれる。

 高い少女の声は男の要求を拒絶し、自らの職業意識の高さを主張していた。

「話、進みそうにねえな」

 ヒゲ面の男が短髪の頭をガシガシとく。そのつぶやきにスバルもまったく同感だ。

 互いの譲れない結論は出ていて、歩み寄りのきようは見られそうにない。

 リリアナの涙声のたんから数時間、くだんの洞窟に着いても押し問答は続いている。

『白竜のうろこ』はヒゲ面の男を含めて、全員で十名ほどの小規模な集団だった。

 スバルを見張るヒゲ面は集団の代表格らしく、彼がおんとうな方針を示しているおかげで、今のところスバルやリリアナに暴力が振るわれる事態は避けられている。

 ただ、やはり数名は過激な集団を用いることを提案するやからもいて、今もリリアナとつばを飛ばし合っているのは、声に青さのある短い茶髪の若者だった。

 若者は鼻をおおうように包帯を巻いており、そのの原因も強情の理由の一つだ。

「ありゃ、最初にお前んとこの屋敷にちょっかいかけたとき、青い髪のお嬢ちゃんにぶん殴られた傷だよ。気持ちよく鼻が潰れてやがった。怒ってんのはその恨みもあるな」

 その答えにスバルは「あー」と納得する他にない。鼻を潰された若者の他にも、声に怒りの色が強い面子メンツが三人ほどいるが、彼らもレムの小型鉄球のじきになった被害者だ。

「しかし、リリアナも強情……強情だよな。職業意識なんてもん、命とかそういうものと引き換えにするほど大切なもんなのかよ」

 男たちに立て続けに恫喝されても、決して意思を曲げようとしないリリアナ。

 ふわふわとしんの揺れ続ける、頭の空っぽな女性なのかと思えば、こうも頑固に己の信念を主張する姿も見せる。面倒で、扱いづらいこのこの上ない人物だ。

「……大事さ。命と引き換えにするほどの何かは、きっと存在する」

 スバルの呟きを聞きつけ、リリアナの意思に同意したのは他でもない白装束だった。

 ろんげな目をスバルが向けると、ヒゲ面の男はやりきれない顔で洞窟の奥をにらみ、

「ただ生きるだけなら、飯食って寝て空気吸ってりゃ誰にでもできる。けどな、生きてる間にそれ以外のことをしようと思ったら、譲れねえことだって出てくるもんさ」

「あんたはあんたで悠長なこと言ってるよな。急ぐ理由があるんじゃねぇのか?」

「他のやつらにはな。俺には……もう、急ぐ理由はなくなっちまった。それでもまだ俺がこうしてるのは、俺がただ飯食って寝て空気吸ってただけじゃねえって思いたいからだ」

「────」

 目を伏せ、ヒゲ面は手近にあった酒瓶を傾けて一気にあおる。ほおを伝う酒のしずくそでで乱暴にぬぐい、暗がりへ向ける彼のひとみはどこか空虚なものだった。

 詳しい事情は知らないし、聞くつもりもない。男もそこまで話すつもりはないだろう。それでも、このまま時間だけが経過しても互いに苦しい思いを重ねるだけだ。

「ヒゲのだんよ。悪いけど、もうちょっと縄ゆるめて動きやすくしてほしいんだが」

「おいおい。おん便びんに済ませたいから暴力は振るわせねえが、そこまで自由にさせてはやれねえよ。逃げる素振りとか見せられたら面倒なことになる」

「わーぁってるよ。逃げたりしねぇし、緩めるっても両手はふさがったままでいい。ただ、立って歩いて奥まで行かせてくれ。リリアナと、色々話してぇんだ」

 座ったままのスバルの要求に、ヒゲ面は考え込んでからため息をついた。

「このままじゃらちが明かないか……いいさ。説得するにしても、身内にやらせる方が可能性はあるだろうよ。うまく説得してくれ。お互いのためにな」

 ヒゲ面がスバルの拘束を緩め、両足が自由になる。

 数時間ですっかり固くなった足を伸ばし、血行をまともにしてからスバルは立った。

「あんたもこいよ。ここで酒飲んでても何もないだろ」

 あごでしゃくり、スバルは後ろ手に腕だけ縛られたままどうくつの奥へ。ひやりとした風に前髪をでられながら進むと、ラグマイト鉱石の光源に一瞬だけスバルは目をつむった。

 そして、光にこわごわと目を開けて、それを目にする。

「……これが、歌に封じられた扉。やつかいな『ミーティア』ってわけだ」

 スバルの眼前、そこに洞窟最奥への道を封じるように黒い壁が存在していた。

 半ば無理やりに岩の通路にまれた壁は、壁面にがく的な模様をきざみ、中央に青い水晶が埋められている。壁の材質そのものはパッと見で鉄に似ているが、それにしては黒々として不可解な威圧感を不気味にただよわせていた。

「特定の条件を設定して、それが満たされない限りは動かない仕掛けだ。別に歌に限ったわけじゃないんだが、この扉には嬢ちゃんの『歌』がかぎとして指定されてる」

「リリアナの歌に限定されてるのか?」

「同じ歌を他人が歌っても開かない。屋敷で『ミーティア』に歌を聞かせて、そのままこの洞窟を封印したんだ。だから、開けるのは嬢ちゃんの歌だけってな」

 ヒゲ面の説明を聞いて、スバルは改めて『ミーティア』の前へと進み出る。と、その黒い壁の前には、完全に聞く耳持たない姿勢になったリリアナと、そのリリアナにどうにか歌わせようと苦心する白装束たちがいた。

「あと一歩だってのに、ふざけるな! ちょちょっと歌えばそれで済むだろうが!」

「お断りします。ちょちょっとなんて歌を馬鹿にするにも程があります。ひらめきました。聞いてください。──あなたの心、衣装と違って真っ黒ね」

「黙れ! お前はどこでも変わらねぇな! 挑発すんな!」

 顔を背けて、男たちをあおり続けるリリアナにスバルが一喝する。

 第三者の乱入に男たちは驚き、リリアナも片目を開けてスバルを見上げた。

「ありゃ、小間使いさん、どしたんです? ひょっとして、私に言うことを聞かせるために、小間使いさんが見るも無残に痛めつけられる展開がきましたか。言っておきますが、小間使いさんが肉塊になったとしても、私は意思を曲げませんよぅ」

「やめろ、俺が浮かばれねぇ。それにこいつらが手段選ばないふんになったら、もっとひどい目に遭うのは女のお前だ。わかってるな? そうだよな?」

「な、何を想像ばしちょりますか。や、やめんしゃい、おしょすごと……っ」

 顔をにして、リリアナは自分のまねいた会話の展開にしゆうを示す。スバルは彼女の考えなしな振舞いにため息をついて、それから男たちを見やる。

「あんたらの苦労もしのばれるけど、言うこと聞きゃしねぇだろ? あんまり言いたくないけど、たぶん痛めつけても主張は曲げねぇよ、こいつ」

 スバルの嘆息混じりの言葉に、男たちは顔を合わせて気まずい雰囲気。

「で、お前はお前で絶対に歌うつもりはないわけだな。こんだけ熱心にお前の歌が求められてるってのに、それでも歌わないわけだ」

「小間使いさん」

 スバルの質問に、リリアナは表情に真剣味を宿してぐこちらを見る。

「私は、私の『歌』が必要とされれば歌います。ですが、この方たちが求めているのは私の『歌』ではなく、歌のもたらす『結果』です。そんなもののために、歌うことはしません。のどを裂かれ、舌を引き抜かれたとしても、しません」

「最悪、命が懸かってもそうすんのかよ」

「命が懸かっても、です。一度、命惜しさに誇りを曲げれば、折り目のついた誇りは何度でも簡単に折れるでしょう。やがて無数についた折り目によって、私の誇りは誰の目にも映らなくなる。私は鏡の中に、誇りをなくした自分を見るのは絶対に嫌です」

 言い切り、リリアナは唇をみしめた。

 自分の今の発言が男たちのきようを買い、傷付けられる可能性を覚悟しての表情だ。

 曲がらない職業意識。いな、それはもはやリリアナの生き方そのものだ。

 スバルはその強情な態度に、もう何度目になるかわからないため息をついた。

「お前が歌わなきゃ、俺の命も危ない。そんな状況でもか?」

「──っ」

 視線に力を込めたまま、しかしリリアナはうなずかずにかすれた声を漏らした。

 リリアナのひとみに揺らぐものが一瞬だけ生じて、スバルは仕方ないとそうごうを崩した。

 これで、他人の命まで堂々と自分の誇りの下敷きにする少女なら、スバルも喜んで見限ってやることだってできたのに。

 ──躊躇ためらわれて、誇りに折り目をつけることを一瞬でも考慮されたなら仕方ない。

「聞いての通りだ。こいつは歌わない。そんで、俺もこいつに歌わせない」

「おい、そりゃ……」

 話が違う、とスバルの言葉にヒゲ面が驚きをあらわにする。周囲の男たちの間にも、さらにけんのんな気配が広がっていくのがわかった。

「小間使いさん、どうして……?」

「お前が歌いたくないんなら歌わなきゃいい。俺もそう思っただけだよ」

 男たちの視線からリリアナをかばう。背後で、スバルの背中を見るリリアナの声がふるえていた。その声を聞きながら、スバルは自分は間違っていないと前を向く。

「こいつの歌は道具じゃない。一度聞けば、あんたらにもそれがわかるさ」

「お前、ふざけるのもいい加減に……」

「こいつが歌いたくない場面なら、俺だって歌わせたくなんかねぇ! 悔しいけどな、こいつの歌はすげぇんだよ! 聞けば誰だってそれがわかる。俺はそれを無駄撃ちさせるようなはしたくねぇし、させねぇ!」

 視線を厳しくする男たちの前で、スバルはリリアナを庇ってたんを切った。

 スバルの啖呵にヒゲ面があわてて周りを見るが、彼以外の白装束はスバルの主張を最後に一線を越える覚悟を決めた様子だ。次々と前に出る男たちに、緊迫感が張り詰める。

「小間使いさん……っ」

 リリアナが男たちの凶相に声を震わせ、スバルを呼んだ。

 その声に込められたものは、どこか謝罪にも近い響きを含むもので──、

「野郎ども、こいつに思い知らせて、無理やりにでも小娘を歌わせて……」

「だから、こうしよう!」

「あぁ?」

 臨戦態勢のまま、前のめりになる白装束がスバルの大声に切っ掛けを崩される。

 つんのめる男が顔を上げる正面、スバルは彼に顔を近づけて言った。

「──財宝は、『ミーティア』の封印は無視して根こそぎいただこう」


    16


 ようは簡単な発想の転換だ。

 財宝が隠されているのは岩山の中のどうくつ。鉄の壁に仕切られたようさいでも、巨大な石を積んで作られたピラミッドでもない。邪魔なのは道をふさぐ、魔法力の扉のみ。

「それなら、横穴を掘って道をかいすればいい。岩盤がゆるいとかで、ちょっとツルハシ入れたら崩壊するってんならともかく」

「そんなもろい洞窟に、後生大事に財宝を隠すような馬鹿はいないってか」

 腕を組んでくつさく作業を監督するスバルに、隣でヒゲ面があきれた顔でつぶやいた。

 額に汗を浮かべ、つちぼこりで顔を黒くしたヒゲ面は「それにしても」と正面を見据え、

「なんで、こんな簡単なことに頭が回らねえんだかな」

「何事もぐ見すぎると選択肢を見失うからな。俺はほら、他人の揚げ足取りをすることばっか考えながら生きてるから、その差だよ」

「それもめられた話じゃねえな」

 スバルの自慢にならない自慢に苦笑し、ヒゲ面は背筋を伸ばすと作業に戻る。白装束たちは代わる代わる、持ち寄った道具を使って横穴を掘り進めているところだ。

 目指す財宝が目の前とあって、彼らのモチベーションは非常に高い。それほど遠くないうちに、『ミーティア』を迂回する横穴は完成するだろう。

「そうなりゃ晴れてお役御免。完全に巻き添え食らっただけってことになるな」

「……あの、小間使いさん」

 岩肌に座って後日談モードのスバルに、おずおずとリリアナが声をかけてくる。

 すでにスバルもリリアナも、両手両足の拘束を外されて自由の身だ。この場を離れようと思えば離れられるのだが、財宝を見届けずに出るのもなんなので付き合っている。

 それに彼らの所業は、無事に解放されたとて無罪放免とは言えない。

「どしたよ。しおらしいなんてそれこそらしくねぇ。ちょうどとがった岩があるから、気にせず座ったら?」

「はい……それじゃ、失礼して……ひゃぐっ!? 痛っ! 痛い! 石! 石尖って! せ、先端がお尻に! お尻にぃ……っ」

「俺ちゃんと前もって言ってたからな!? 俺のせいじゃないからな!?」

 お尻を押さえてのたうち回るリリアナに、スバルは必死に自分を弁護。しばらくして涙目のリリアナは尖っていない岩に座ると、じろりと涙目でスバルをにらむ。

「痛いですよぅ。責任とって、お金たくさんください」

「何の責任だよ。それに、いずれなくなる形あるものに本物は宿らないんじゃねぇの?」

「今を生きるのにもお金は大事です。夢だけ見てて、おなかふくれるもんですかっ」

「お前、さっきまでの高潔なイメージどこに捨てたの? 拾ってきた方がいいよ?」

 俗物まっしぐらな発言でスバルをあきれさせ、それからリリアナは目を伏せた。

「小間使いさん。あの、さっきはなんで……私をかばってくれたんです?」

「俺が男の子で、お前が女の子だからだろ? あの場でお前を盾にして、その後ろで小さくなってピーピーわめいてる姿とか、想像できるけどやりたくねぇなぁ」

「そ、そじゃなくてですよぅ。前に出てくれたことも、もちろんそうですけど……歌わなかったこと、どうして許してくれたのかって」

 ぼそぼそと、き消えてしまいそうな小さな声。

 リリアナの不安の表れか、かろうじて聞こえた声にスバルは「んー」とうなる。

「どうしても何も、たん切った内容通りだよ。お前が歌いたくなさそうだから、歌わせたくなかった。だいたい手段も思いついてたしな」

「…………」

「代替手段がなけりゃ、やっぱりお前に歌わせてたかもしんない。何がどうあってもお前の味方してやる、ってほど俺は強くねぇし、そこまでお前ときずな深め合ってもねぇし。どっちも取れる道があったからどっちも取った。ただそんだけの話だ」

 ぶっきらぼうに答えて、スバルはツルハシを振るう男たちの方を見る。スバルの視線につられたリリアナが、「どっちも」と口の中だけでつぶやいた。

「あの連中、色々と強引だし、もちろん悪党ではあるんだけど……切羽詰まってる風だったんだ。何か目的があって、それに金が必要なんだろ。私利私欲には見えなかったな」

 ヒゲ面の男の語り口と、しようそうかんに焼かれていた若者たち。

 彼らの心を追い詰めるような何かがあり、それを打倒するために財宝が必要なのだ。

 ツルハシが岩をたたく甲高い音が響き、スバルは横穴が開通するのを待ちがれる。その自分の横顔を、リリアナが複雑な感情のうず巻くひとみで見つめているのに気付かず。

 そのまま、あとは男たちの歓声が上がるのを待つだけ──そんなときだ。

「黙って聞いていれば、ずいぶんと余裕があることでうらやましいわ、バルス」

 聞き慣れた声と呼び名が聞こえて、スバルは肩を跳ねさせて振り返った。

 視線の先、どうくつの入口から姿を見せたのは、片手にラグマイト鉱石のあかりを隠すきゆう服の少女──ラムだ。

 彼女は驚きに目を丸くするスバルたちを見て、いきをつきながら肩をすくめる。

「ドジを踏んだわね、バルス。レムが必死でそれを知らせてきたから、ラムがわざわざこうして足を運ぶ羽目になったわ。ロズワール様のご指示を中断してまでね」

「そりゃ本当にごめんだけど……どうしてお前がここに?」

「そこの歌い手が世話になっていた富豪を調べていたのよ。途中、レムから急報が入ったから調査を切り上げたけど、白装束が『白竜のうろこ』なのは予想していたから」

 スバルたちのそばまで歩み寄り、ラムは作業する男たちの背中を眺めて鼻を鳴らした。

「例の富豪、数日前に病気で死んだわ。生前は方々で恨みを買っていたようで、屋敷や財産はあちこちに没収された後。『白竜のうろこ』との関係もそこで。このどうくつは故人が死の前後に何度も足を運んでいた隠れ家、といったところね」

「それで死ぬ前に奪われまいと隠した財宝も、今まさに昔に裏切った仲間に回収されるのが目前ってわけだ。因果応報って感じだな」

 ラムの報告と現状をつなぎ合わせて、スバルは今回の一件の大部分を解き明かした。

 それを聞いたラムも同じ結論に達したらしく、作業する男たちを見ながら、

じようじようしやくりようの余地はあるでしょうけど、『白竜の鱗』の行いは領主であるロズワール様への反抗だわ。全員、厳罰に処される必要がある」

「まぁ、待てって。それは当然なんだけど、その前に言い分を聞いてから……」

「それに、ラムが確認しなきゃならないのはバルスたちの無事だけではないから」

 ようしやのない判決を下すラムに、スバルは今しばらくのゆうを求める。が、引き止めようとするスバルの顔に指を突きつけ、目を丸くするスバルにラムは告げる。

「故人の屋敷から回収されていない財産が二つ。まず一つが、故人がわざわざ大金を積んで取り寄せた『ミーティア』。扉だか壁だかの形をしたものらしいわ」

「それならそこにある。開かないからシカトしたとこだ」

「まあいいわ。そしてもう一つ──これも生前に故人が取り寄せたもので、こっちは見つからないとずっとやつかいなものよ」

「厄介?」

 スバルの言葉にラムがあごを引き、それから答えるまでに一拍の空白が生まれる。

 そのせつ

「────ッ!」

 洞窟を揺るがすようなほうこうが響き、前方で作業していた男たちが悲鳴を上げる。

 つちぼこりが立ち込め、岩壁の一部がほうらくする音を立てて眼前の地形が変わった。

 息をみ、突然の事態に硬直するスバル。

 その視界に、黒い体毛がびっしりと生えた太い腕が岩肌を削るのが映る。

「厄介なもう一つがあると言ったわね」

 隣で、いつも通りの無感情な顔つきのまま、いまいましげにラムが言った。

「故人が裏市場から取り寄せた、魔獣『ごうえん』ラウーダが行方不明だったのよ」

 大型トラックの排気音のような咆哮。ラウーダの雄叫おたけびをスバルはそう感じ取る。

 魔獣ラウーダの姿は、『剛猿』の名が示すように猿のシルエットに近い。ただ、そのたいは洞窟の通路を埋め尽くすほど大きく、腕の太さは軽くスバルの胴体ほどもある。

 ラウーダ的に優しくままれても、おそらく手足がもがれるぐらいの腕力差だ。

「下がれ下がれ下がれ下がれ!!」

 状況を把握し、ヒゲ面が即時の撤退を指示。わきも振らずに逃げる白装束を追おうとラウーダがうなり声を上げるが、巨体が通路につかえて思うように身動きを取れずにいる。

「でも、つっかえないぐらい広い場所まで出てこられたらやべぇぞ!」

「自分の死後も財産を守り続けるための金庫番というわけね。仲間を裏切った金庫番が、『ミーティア』や魔獣まで使って財産を守ろうなんて……くだらないわ」

「言ってる場合か! とっとと逃げるぞ!」

 つまらない顔で吐き捨てるラムの腕を引き、スバルは逃げてくる白装束たちの先頭に立って逃げ出そうとする。が、走り出す直前に気付いた。

「──!? リリアナどこいった!?」

 ついさっきまで、すぐかたわらにいたはずのリリアナの姿がない。

 まさか、誰よりも先にどうくつの外へ逃げ出したのか。そう思えるほど彼女が薄情だと考えられれば、スバルも足を止めなかったろう。だが、

「あのバカ! なんであんなとこに!」

 洞窟の中を見回して、リリアナを見つけたスバルは頭を抱える。

 ほうこうの反響する洞窟の中で、リリアナは小柄な体で転がるように走り、今もラウーダが暴れる通路の近く──白装束たちの荷車が投げ出された場所へ駆け込んでいた。

 とどろ雄叫おたけびと、飛び散る岩の破片。一発でも頭に食らえば致命傷になりかねない岩弾が乱舞する中、リリアナは荷車に頭を突っ込んで必死に何かを探している。

「ラム! フォローミー!」

 それに気付いた瞬間、スバルはちゆうちよを投げ捨てて走り出していた。

 正しい意味では間違った英語を投げつけて、スバルはリリアナのいる荷車へ飛び込む。眼前では身をよじるラウーダが、今にも通路から巨体を引き抜きそうな状況だ。

 その一刻を争う状況下で、リリアナは何にかまけているというのか──、

「リリアナてめぇ馬鹿野郎! 死にたいのか!? 早くこっから逃げ……」

「リュリーレがないんです! アレがないと、私は……っ」

「新しく新調したやつなんだろ? 助かったら俺がロズワールに掛け合ってやるから、今はとにかくここから離れるのが最優先だ!」

「中身じゃない、ケースです! あのケースは、お母さんから受け継いだもので!」

 悲痛なリリアナの叫びに、スバルは舌打ちをこらえて荷車の中に目を走らせる。

 しかし、あたりをひっくり返しているリリアナにも、目を皿のようにするスバルにも見慣れたリュリーレのケースは見つからない。二人が捕まったとき、所持していたリュリーレが一緒に荷台に運び込まれていたのは間違いない。

「お前ら! そこで何やってる!」

 そこへ、逃げてきたヒゲ面が二人に気付いて声を上げる。そのヒゲ面に振り返り、スバルは焦り顔の彼に向ってリリアナを指差しながら、

「こいつの楽器は!? ケースに入って、一緒に持ち込んだはずだろ!?」

「楽器……? あ、ああ! それなら!」

 ヒゲ面が顔をそうはくにして振り向くのは、ラウーダが暴れ回るまさに足下だ。視線は横穴の方ではなく、『ミーティア』の方向。スバルは即座に理解した。

 リリアナが根負けして歌うときに備えて、リュリーレは『ミーティア』の前に運び込まれていたのだ。そしてそれは、今もその場所に取り残されている。

「最悪だ、クソ! リリアナ、下がれ! リュリーレは俺が取りにいく!」

「なっ! ま、待ってください、小間使いさん! あれは私の、だから……!」

「聞け馬鹿! 俺がやる! お前は下がれ! あと、俺の名前はナツキ・スバルだ!」

 いつまでも小間使いなどと呼ばれていてはたまらない。

 スバルは抵抗するリリアナを担ぎ上げ、駆け寄ってきていたヒゲ面に投げつける。あわてて少女を受け止めるヒゲ面に外を指差してみせ、スバルはどうくつの奥へ走り出した。

 目的の通路のすぐ横で、半身を抜いたラウーダがもうぜんとこちらへ腕を伸ばしている。

「俺ってやつは、なんで毎度毎度こうやって貧乏くじを……!」

 意地を張り、格好をつけたことを後悔する。そもそも、この場にはスバルが格好をつけて見せたい肝心の少女がきていない。なのに、またしても命懸けだ。

 接近するスバルをえぐろうと、ラウーダの太い指先が岩壁を削る。かろうじて届かない腕を回避し、こぶし大の岩の破片をくぐりながら『ミーティア』の前へすべり込んだ。

「──あった!」

 目的のリュリーレは、飛び込むスバルのすぐ目の前にあった。

 あちこちほうらくの始まる洞窟の中、びくともせずにり続ける『ミーティア』。その足下にあるリュリーレも難を逃れており、骨折り損にならずに済んでスバルはあん

 ケースを拾い上げ、すぐさま脱出するために勢いよく振り返る。

「────ッ」

 とっさに腰が抜けてひざが落ちたのが、スバルの命をかろうじて救った。

 突っ込んでくる腕が頭上を抜けて、背後の『ミーティア』へとぶち当たる。勢いそのままに衝撃を跳ね返され、ラウーダが激痛に絶叫するのが響き渡った。

 まくおうされる感覚に意識をかくせいし、スバルはふるえる膝をしつして走り出す。ラウーダのまたしたを抜けるように頭から突っ込み、針金のような体毛をかすめてふくろこうを離脱。

「ぶあッ!?」

 そのまま巨体を回避できると踏んだ瞬間、顔面が横合いから長い尻尾しつぽに打撃された。

 横転し、岩肌に体を打ちつけて痛みにうめく。腕の中、ケースは無事だ。俺は馬鹿か。

「こんなもん、命と引き換えになるわけじゃねぇってのに……」

 何が悲しくて、他人の思い出を守るためにこんな必死になっているのか。

 悪態をころして、スバルは口の中にまった血を吐き出す。尻尾しつぽの一撃で盛大に口の中を切った。鋭い痛み。かえって、意識が研ぎ澄まされる。

「エル・フーラ!」

 正面、再びスバルを殴り飛ばそうとした尻尾が、根本から風の刃に切断された。

 どす黒い血をまき散らし、蛇のように跳ね回る尾を横目にスバルは走る。今の魔法はラムのフォローか。どうくつの入口、ヒゲ面とリリアナも辿たどり着いたのが見えた。

 あとはスバルがそこに駆け込めば、この場のクリア条件は満たせるはずなのに。

「本当に、うぜぇ!」

 尻尾を切断されて、怒りに燃えるラウーダがスバルの前に立ちはだかる。

 狭い通路をくだき、ついに不自由を脱した魔獣は四肢を振り乱して臨戦態勢だ。背筋を伸ばしたきよは三メートル近く、洞窟の天井に頭をこするほどに高い。

 ラムの魔法の援護があっても、スバルごときでどこまでやれるものか。

 リュリーレのケースを強く抱いて、スバルは切り札の魔法を使うか思考を走らせる。

 シャマクで魔獣をかくらんし、こんとうするスバルをラムが拾い出してくれるのにける。分が悪すぎるが、勝ち目ゼロの殴り合いに持ち込むよりは希望がある。

 身を切る作戦を伝えるために、スバルは洞窟の入口に立つラムの方へ顔を向けた。ちょうどスバルと目が合った少女は、『青い髪』を揺らしてその腕を振りかぶり、

「──あ?」

 遠心力の乗ったとげ付きの鉄球が、すさまじい回転をしながら魔獣のよこつらたたつぶす。斜め後ろからの強烈な打撃に、スバルに集中していたラウーダは完全に無防備だった。

 頭部の半分をばくさいする一撃に、魔獣は顔面のあらゆる器官からおびただしい血を流す。ふらふらと後ろを向き、何が自分を殺したのかと問うように小さいうなり声を上げた。

「──ごめんね」

 その魔獣の最後の声に、ぎんれいこわはかなげな響きを宿して応じる。

 青白い輝きが洞窟の中を照らし、スバルは銀髪の少女が伸ばした両手をかかげるのを目にした。そのてのひらの先に浮かぶのは、長い尾を揺らす小さな猫で──、

「おやすみ、お猿さん。──静かな、良い旅を」

 中性的な声で猫が別れを告げると、青白い光はいくつもの氷柱つららとなって宙を舞う。射出された輝きは四方八方から、棒立ちのラウーダを目掛けて殺到した。

 全身を氷のくい穿うがたれるラウーダは天井を仰ぎ、そして断末魔を上げるように口を大きく開けて、そのまま空気の張り詰める音に包まれて氷像へと姿を変える。

「────」

 数秒、沈黙がどうくつの冷たい空気を支配していた。

 目の前で起きた出来事の現実感がなく、スバルは凍りついた魔獣のなきがらを見上げる。

 ラウーダは氷の中で絶命し、スバルの命は救われた。

「スバル!」

 何が起きたのか、ぼうぜんとしていたスバルは名前を呼ばれて顔を上げた。

 声に顔を向けた先、スバルに手を振るのは見慣れた美少女、エミリアだ。彼女はあんまゆじりを下げて、空いた手を胸に当てて柔らかく微笑ほほえんでいる。

「スバルくん! ご無事ですか、大丈夫ですか、すぐに手当てしますから!」

 そして、足場の悪い洞窟を飛ぶように駆け寄ってくるのは、短いスカートのすそひるがえすレムだ。その手に見知ったものを下げているのが見えて、ようやくすべてを理解した。

 どうやら、絶妙なタイミングでエミリアとレムの二人が助けにきてくれたらしい。

「なんてまた、ご都合主義的な……」

 だが、今回はそのご都合主義に救われた。

 スバルは痛む体を引きずり、駆けてくるレムの方へと自分から歩み寄る。

 ──直後、足下と天井、壁の至るところにれつが入った。

 音を立てて亀裂が広がり、がれ落ちるように岩壁が崩れ始める。それを目の当たりにし、スバルは全身が総毛立つのを感じながら入口を指差して、

「全員、今すぐ外に逃げろ──!」


 数十秒後、財宝のどうくつは見事なまでに完全にほうらくした。


    17


「スバルたちがいなくなって大弱りだったんだけど、さらわれたリリアナの居場所ならわかるって、あの人が豪語してくれたの」

 苦笑するエミリアが指差したのは、くるくるとその場で回る一人の青年だ。

 どこからか取り出した花束をリリアナへ差し出し、その場にひざまずくのは拘束されていたはずのリリアナストーカー、キリタカであった。

「この愛のしもべ、キリタカ。いとしのあなたのためならば、たとえ火の中水の中、魔獣のまう洞窟であろうと駆けつける次第──ああ、無事で何よりでした!」

「でもあなた、洞窟の中まではきてませんでしたよね?」

「むぐ! そ、それは……あのお嬢さん方に外で縛られていたがゆえで……」

 リリアナの白い目を浴びながら、すごすごと言い訳をしているキリタカ。

 まさか、彼の存在がこの騒動の解決に一役買うことになろうとは。

「あの方がリリアナ様に贈った髪飾りは、二つで一つの『ミーティア』だそうです。一つずつ持つと、互いが離れていてもどこにいるのかわかるという性能らしくて」

「つまり発信機ってことだろ。ストーカーしつの表れそのものじゃねぇか」

 救われた要員が粘着質な恋心とは、ゾッとしない話である。

 スバルたちがさらわれた直後、エミリアたちは即座に捜索を開始した。が、手探りの状況を打破したのが、キリタカの助力と調査におもむいていたラムの存在だった。

 キリタカの『ミーティア』と、先んじて状況を把握していたラムとの連携。隠れ家に到着した二人が洞窟に到着した直後、あの絶体絶命の場面に遭遇したというわけだ。

「ロズワール様は、今回のことで放免してもいいだろうとおおせです。今後は求愛に他人を巻き込まないよう言い含めてですが。おもいを押しつけるようではお話になりません」

「まぁ、しやくだけど助けられたのは事実だし、礼は言いたくねぇけど」

 すり寄ってくるレムは、先ほどからスバルの体の治療を行ってくれている。が、やたら近いのと柔らかいのとで、スバルの方はなかなか治療に集中できない。

「でも、問題なのはあの人たちの方よね」

 露骨に触れ合おうとするレムにスバルが苦笑する横で、エミリアは崩落した洞窟の方へと目を向けている。そこには打ちひしがれる白装束たちの姿があった。

 洞窟は完全に土砂に埋め尽くされていて、中の財宝を運び出すことは不可能だ。崩れた原因はラウーダにあり、『ミーティア』を解除していても結果は同じだったろう。

 むしろ、スバルたちがいなければ『白竜のうろこ』に魔獣は打倒できない。最悪、全滅していただろう彼らは、せめて命が助かったことだけでも喜ぶべきかもしれない。

「けど、事情が事情だからな。……命が助かっただけ御の字、とは言いづれぇ」

『白竜の鱗』が財宝を欲した経緯は、ヒゲ面の男からとつとつとスバルたちに語られた。

 彼らが大金を必要としていたのは、『白竜の鱗』の構成員の生まれ故郷の土地で起きた風土病と、その原因となった土壌汚染を改善するためだった。

 数年前に発生した風土病は、病魔に侵された体が徐々に石のようになり、やがて本当の石になってしまう奇病のたぐい──ある魔獣に汚染された土地に起きる、魔の風土病。

「病魔を振りまく、黒蛇のつめあと

 エミリアの悔しげなつぶやきに、スバルは同じようにやりきれないものを感じる。

 魔獣を発端とする風土病は、汚染された土地を洗浄する以外に改善の方法はない。そのためには大量の無色のこうせきが必要となり、彼らにはそのための資金が必要だった。

 だがその資金も一人の裏切りによって奪われ、最後の希望も今は岩の下敷きだ。

 故郷には男たちの家族が残されている。まだ若い男が抱いていたしようそうかんはそれが理由で、ヒゲ面の男の遠いまなしも亡くした家族へと向けられていたものだった。

 しかし、すべてはもう遅い。希望はついえ、彼らの故郷が救われることも──、

「では、こうしましょう。『白竜の鱗』の皆さんはこの僕がやといます。皆さんの故郷の土壌汚染などは、ミューズ商会が必要な資金・資材を肩代わりしますよ」

「は──!?」

 とんきような声を上げて、スバルはまさかの人物のまさかの提案にぜんとする。

 同じようにエミリアやレム、当の『白竜の鱗』の面子メンツもぽかんと口を開けていた。

 そして、そのぎもを抜く提案をしたキリタカはその場で天を仰いで一回転し、

「幸い、僕の実家であるミューズ商会の主力商品は魔鉱石。無色の魔鉱石はなかなかお値段も張りますが、数をそろえること自体は難しいことではありません。そして商家は常に財産を守るための武力を欲しています。お互いに、利点だらけと思いますが」

「おま、おま、お前……どんだけいいとこ持ってくつもりなの?」

いとしい女性にこんがんされれば、こたえるのが男児の本懐。そうでなくても、彼らの境遇には同情すべき点が多い。いわゆる『慈悲は巡り巡って身を助ける』ってものですよ」

 情けは人のためならず、的な格言だろうか。

 当たり前のように人助けを口にするキリタカが、今は救世主のように見える。最初は恋に盲目な大馬鹿野郎にしか見えなかったのに。いや、今も馬鹿は馬鹿なのだが。

 ただ、キリタカの言葉で気にかかったこともある。

「お前から頼んだのかよ、リリアナ」

「……はい。あの方々の事情も聞かずに、お話を突っぱねたのは私ですから」

 目を伏せて、リリアナはリュリーレのケースを抱きながら小声で答える。

 荷台で、どうくつで、必死のけんまくで迫る男たちの要求をリリアナは拒否した。

 しかし、それで心がとがめるならスバルも共犯だ。それにリリアナが歌って『ミーティア』を解放していても、魔獣の存在は避けられない。洞窟の崩壊も同じだ。

「小間づ……気付いたんですよ。私はぎんゆうじんとして、一人でこの世界を渡り、一人きりで生きて、歌い抜いて、一人で死ぬものだとこれまで思っていました。でも、そんな風にはならない。私の歌を聞いて、私が通り過ぎた場所で誰かが何かを感じる。その影響は消えてなくなるものじゃなくて……世界は、私を取り残していたりしないんだって」

「誇りを曲げなかったこと、後悔してんのか?」

「誇り以外のものの大切さに気付かなかったことを、後悔しています」

 スバルの問いかけに、リリアナは顔を上げた。その顔は、微笑ほほえんでいた。

 彼女は腕の中のリュリーレをスバルに見せつけ、ケースをでる。

「リュリーレ、拾ってきていただいてありがとうございました」

「おう、恩に着ろよ」

「もちです。何か、お礼ができればと思うんですけど……」

 うわづかいにこちらを見つめるリリアナに、スバルは「そうだな」と考え込む。

 彼女の大切なものを、命懸けで守ったことへの対価だ。要求もそれに準じるべきだ。

 だから、スバルは決めた。

「歌え、リリアナ」

「へ……?」

「疲れたし、死ぬかと思ったけど全員生きてるし、大体問題も片付きそうだ。ってことは大団円でエンドロールがいる。エンドロールには、歌がつきものだろ」

ひらめきました。聞いてください。──頭を打った日、まともでいた最後の日」

「黙れ!」

 言外におかしな発言をしたと指摘されているが、そんな自覚は当たり前にある。

 命懸けの対価に求めるのが、歌を歌うことなのだ。

 馬鹿げているし、実際馬鹿だろう。ただ、馬鹿なのがいい。

「では一曲、歌います。──朝焼けを追い越す空」

 リュリーレのげんはじかれて、山向こうに見えるあさが新たな一日をかんげいする。

 連なる高い音。かなでられるのは心をふるわすせんりつ。前奏は朝の冷たい空気に溶け込み、幻想曲の始まりに聴衆たちの視線が自然と歌い手に引き寄せられる。そして、

「────」

 声が、高く高く空へ伸びる。

 夜を押しのけて、新しく騒々しい朝がやってくる。それをせんりつが出むかえ、歌声が歓迎する。リリアナの歌に鳥たちが歌い、吹き抜ける風すらも合奏に加わった。

 気付けば、スバルは込み上げるものをこらえ切れずに一筋の涙をこぼしていた。

 エミリアも、レムも、もだえするキリタカも。

 歌を『ミーティア』をこじ開けるための道具と、そう割り切っていた『白竜のうろこ』の面々も、リリアナの歌を聞いて泣き崩れる。

 ざまあ見ろ。彼らにもスバルの言葉の意味が通じたことだろう。

「────」

 馬鹿げているぐらい偶然だらけの話の、馬鹿げたしめには歌がいい。

 この心をふるわせて、ほおを伝う熱いものが、命懸けの対価に相応ふさわしかったかどうか。

 ──そんなもの、誰に聞く必要もないのだから。


    18


「本当に、連中と一緒にキリタカのところに行くのか?」

「はい、そです。『白竜の鱗』の皆さんの借金は、私とも無関係じゃないですし。……せめて、あの方々の借金が払い終わるが立つまではご一緒しようかと」

 一連の騒動の終結から二日後、荷造りを終えたリリアナははればれしくそう言った。

 引き止める話は何度も出たが、リリアナは頑として説得に首を縦に振らなかった。

 キリタカに『白竜の鱗』をやとうよう提案したのはリリアナであり、自分にはそれを見届ける義務があるの一点張りだ。強情な彼女の意思を曲げることは誰にもできなかった。

「まぁ、キリタカのやつは狂喜乱舞だったろうし、お前が危険にさらされるってことはないだろうよ。……貞操の危機に関しては知らん。ヒゲ面のだんに守ってもらえ」

「そのつもりですよぅ。飢えた獣のそばにいる以上、準備は万端に。それにそれに、『白竜の鱗』の皆さん、私の歌のとりこになってもらえたみたいですしねっ」

 手をたたいてはしゃぐリリアナの言う通り、白装束たちはリリアナの歌に骨抜きだ。

 どうくつの前でのリサイタルは、それほど彼らの心を打ったらしい。故郷を救うための資金繰りにも、リリアナの影響は大きい。『白竜の鱗』の面々にとって、リリアナはまさしく救いの女神といったところか。その後のリリアナへの接し方にも敬意があふれていた。

 そうして接されるたびに、小鼻をふくらませる女神の姿を目撃していたため、スバルとしてはイマイチしやくぜんとしないものがあったりしたのだが。

「私はすごーく残念。だからリリアナ、またいつでもきてね」

「はい。エミリア様や皆様にも大変お世話になりました。またお目にかかる機会には、ぜひ新しい歌を。私も、新しい焼き菓子など楽しみにしてます。ぐひひ……」

「お前、あと十分ぐらいヒロイン力もたないの?」

 た笑みを浮かべてよだれを垂らすリリアナに、スバルはあきれて突っ込む。

 今は屋敷の前に、リリアナとの別れを惜しむ面子メンツが集まっている。特にエミリアとレムはリリアナの歌がお気に入りだったため、彼女との別れを本心から残念がっていた。あのベアトリスすら、別れを前に一声かけに屋敷を出てきたのだから驚きだ。

 リリアナが滞在したのはほんの数日だったが、騒がしくも濃密な日々だった。

 明日から彼女の歌声が聞こえないと思うと、それはそれは寂しいと思える程度には。

「それにしても、ロズワールのねらいは外れるっぽいな。リリアナが手元に置けないってことは、エミリアたんの宣伝大使作戦は白紙ってことにするしかない」

 たまにはロズワールの思惑が外れても小気味よいものだが、リリアナの口からエミリアをたたえる歌が聞けないのは少しだけ残念でもある。いや、少しではないかもしれない。

 と、残念がるスバルを、リリアナが「ちょちょっと」と手まねきした。

「どうした? ベア子がお前に最後に何か言いたくて、でも言い出せなくてもじもじしてるぞ。助け舟出してやれよ」

「それはもちろんしますけど、ちょっとだけお話があるんですよぅ」

 もじもじベアトリスは後回しに、リリアナが背伸びしてスバルの耳に唇を寄せる。

「実は、辺境伯様から直々にお話を聞いてます。エミリア様がこれから、王選という大きな舞台に挑まれるとか。私、そのために囲われてたんですよねっ」

「お、おお……知ってやがったのか。まぁ、そうなんだよ。ってことは?」

 抜け目ないロズワールの手回しに、リリアナは平たい胸をたたいて、

「いぃえぇ! もちろん引き受けさせていただきます。エミリア様の心根の美しさ、気高さは言うまでもなく。何より、あの大精霊様の姿を見て歌わずにいられましょうか!」

「あの猫精霊が決め手になんの? 昼寝してるとことかただの猫だよ?」

 微妙に決め手に納得がいかないが、リリアナが引き受けてくれるなら何よりだ。

 またいずれの機会に、彼女がかなでる新しいえいゆうたんを聞ける日がくるのが楽しみだ。

「んじゃ、そのときまでしばしのお別れってとこだな」

「そうなりますね。楽しみにしていてください。最高の歌を、お聞かせしますっ」

 リュリーレのケースを叩き、リリアナは自信満々の顔で請け負ってみせる。

 彼女がそれだけぐに、自らの目標を見据えたのならば素晴らしいことだ。

「それと……」

 そこでれいに話が終わるかと思いきや、リリアナはほおを赤らめてスバルを見つめた。

 うわづかいの真剣なまなしに、スバルは少女の興奮を感じ取る。

 そして、リリアナはわずかな躊躇ためらいの後で言った。

「いずれ、あなたの英雄譚も私に歌わせてください。──ナツキ・スバル様」

「────」

「初めにお聞きしたとき、笑って聞き流したことをお許しください。レムさんの言うことは正しかった。あなたは、いずれ英雄になられるお方です」

 息をむスバルに笑いかけて、リリアナは照れ臭そうに背を向けて走り出す。そのままベアトリスと別れの言葉を交わし始める背を見つめて、スバルは呑んだ息を吐いた。

「スバル、どうしたの? なんだかすごーく赤い顔してる」

 ふと、隣にやってきたエミリアがスバルの顔をのぞき込んで言った。

 あわてて自分のほおに触れる。まだ熱を持っている顔、それがもどかしくて頭を振った。

「んがー!」

「ふふ、変なの」

 こらえ切れずに声を上げるスバルに、エミリアは口元に手を当てて小さく笑う。

 並び、笑みを交わし合う二人──それはいずれ、『歌姫』リリアナに歌われる二人。


 ──まだ今日このときには、ただのナツキ・スバルとエミリアの二人だった。


《了》

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