Re:ゼロから始める異世界生活 短編集1
@TappeiNagatsuki
『ゼロから始まる英雄譚』
1
「
ロズワール辺境伯の屋敷と、
事件の
「そう、吟遊詩人! さっき、村から戻ったラムが話してたのを聞いちゃったの。スバルは吟遊詩人って見たことある?」
問い返すスバルに応じるのは、涼やかな
声の
スバルもまた、彼女が時々見せる子どもっぽさに魅了された一人だ。
「E・M・T(エミリアたん・マジ・天使)」
「え? 今、何か言った?」
恩人であり、
「いや、俺も直接この目で見たことねぇけど……エミリアたん、超楽しそうだね」
「楽しそうっていうか楽しみなの。
期待を込めた目で、エミリアが手を合わせてスバルを見つめる。
甘い声で名前を呼ばれて、甘えた仕草で
「あい、わかりやした。片付けて、先輩の許可もらってくっからね」
「ん。ごめんね。私のわがままに付き合わせちゃって」
「大丈夫だよ。リハビリがてらの雑用にそこまで期待されてねぇし、デートが優先」
「あ、そっか。また二人で出かけるから、これもでーとになるのね」
自覚のなかったらしいエミリアの罪作りな
「
口にしてみると、これが想像以上にファンタジーな
エミリアの前では落ち着いていたが、心が
陽気で
想像するだに楽しげな様子に、一人、廊下を歩くスバルの心も知らず
2
「それでは歌います。聞いてください。──沈む夕日に裏切られたドラフィン」
陰気で
広場の中央、木材を積み上げただけの
「こんなに苦しいのなら、いっそ楽に死にたい。死ねない。死なせてもらえない……」
歌の中では親友と婚約者に裏切られたドラフィンが、かつて大切な約束を交わした
楽器を演奏し、歌まで歌っているにも
「泡を吐き、音のない水底へ。
どうやら思い切ってしまったらしいドラフィンが川底に沈み、ただ彼の悲しみを見ていることしかできなかった風や花が、
「興行のリサイタルに選ぶ曲か、これが!!」
「うひゃいっ!」
音の
バッドエンドを
「あ、え……」「うわ、なんだ、俺、すごい泣いてる」「やだね、年取ると
と、涙を浮かべながら口々に感想を交わし合う。そうしてひとしきり最初の感想を吐き出すと、彼らは列の一番後ろでこそこそと逃げようとしていたスバルを振り返り、
「──
そう、スバルが驚いて飛び跳ねるほどに怒鳴りつけたのだった。
3
「改めまして、自己紹介を。流れの
そう言って、ぺこりと頭を下げたのは、まだ幼さを残した
「そりゃご丁寧にどーも。俺の名前はナツキ・スバル。
「けんけんにろっぴ……? あ、いえ、どもです。よろしくお願いしますです、はい」
初対面でもスバルの
しかし、リリアナのそんな警戒も、次なるエミリアの行動で一気に
「今の歌、すごーくよかった。私、もう今にも泣き出しちゃいそうで……」
感極まったエミリアが、とっさにリリアナの手を取って感動を伝える。興奮気味のエミリアにリリアナは一瞬驚いたが、すぐに
「いぃえぇ! こちらこそ、ご
好意的なエミリアにリリアナも笑顔で応じたが、すぐにその表情がエミリアを見つめて
その反応にスバルたちも目を丸くするが、リリアナはなおも驚いた顔のまま、
「め、女神様ですか……?」
「──え?」
「だ、だって、うち、こんなめんこい人、見だごどなぐで! うわぁ、うわぁ! 髪の毛も肌も、なしたらこうなるの!? 本当に同じ人類!?」
その場でピョンピョンと跳ねて、リリアナはエミリアの
と、リリアナは急に跳ねるのをやめると、ふいに楽器を
「
小さく息を吸い、リリアナはその場で軽く足踏みしながらリズムを取り、
「魅入られるほど深く、宝石のように淡く、
「────っ」
彼女の視線はエミリアの耳に向き、自らが口にした歌と一つの単語を結び付ける。
「銀髪の耳長……まさか、
「よし、ストップだ! いい歌だけど著作権法に引っかかった疑いがある!
「──スバル」
とっさにリリアナの口を
エミリアはリリアナに関節技をかけ、肩を
「スバルが心配してくれるのは
「めってきょうび聞かねぇな……ってか、そうじゃなしにしても、エミリアたん」
「いいの。気付かれてから誤魔化したって、何の解決にもならないんだから」
──エミリアは人間とエルフの間に生まれた子、つまりハーフエルフである。
様々な亜人種が混在するこの世界だが、亜人族に対する差別──中でもハーフエルフには根深い偏見があるらしく、エミリアも
とはいえ、エミリアが許した以上、スバルがリリアナを拘束し続ける大義名分はない。しぶしぶ、手首、
「ぷはっ! 腕が! 腕がぁ! しょ、商売道具に集中攻撃はやめてくだされっ。うら若い乙女の肌に、なんばしよっとですか、小間使いさん!」
「俺は俺の持てる力を尽くして、大切なものを守れる男でありたい。そして、残念ながら乙女の
美少女率がいやに高い異世界だが、リリアナの女性らしさ(スバル調べ)ではワースト入りだ。下から一番はベアトリス、二番はフェルト。リリアナが三位入賞だろうか。
「ふんすっ! 関節を
スバルの評価に
「お美しいだけでなく、その心根も気高いのですね。私、バキュンと感動しましたっ」
「え、あ、うん、そう?」
「はぁい! 先ほどは
「お前は勢いで身を
勢い全開の自白にスバルが驚くが、リリアナは元気よく楽器を
「私、こう見えて感受性が爆発的に豊かですので、目の前に
「お前、こっちで見かけたことないタイプで新鮮だなぁ」
不必要な
素直な性格と、声が原因だ。人の心をくすぐり、するりと内側に忍び込んでくる美声は天性のものだろう。
「もしくは孤独な老人に、
「あれあれあれ? 今、なんだか
「でも、
「あ! あー! 今、私の中で女として許せない気持ちが激発しました! 閃きました。聞いてください。──
「黙れ! でも、エミリアたんのその認識は
スバルとリリアナにダブルで否定を入れられて、エミリアはまるで信じられないと言いたげな顔で、困ったように小首を
4
──思えば最初に食堂に
ロズワール邸の応接間で、スバルは紅茶のカップを傾けながらそう思う。
舌の上で転がす茶の味は、何度味わっても煮詰めた葉っぱの味で口に合わない。
「どうしたの、スバル。すごーく変な顔してるけど」
と、思い出と濃い茶の味に苦い顔をしていたスバルを、隣に座るエミリアが呼んだ。
「ちょっと過去回想してた。ほら、俺も屋敷じゃ最初は縮こまってたよなぁって」
「そうだった? スバル、あのときも今と同じで堂々とニマニマしてなかった?」
「ニマニマって表現されると不審者臭さが増して傷付くね!」
主観と客観でかなり異なる評価にスバルは
エミリアは不満げに自分の
「ん、冗談。なんだか考え込んでるみたいだったから、ちょっとからかってみたの」
「マジか。そりゃE・M・A(エミリアたん・マジ・悪女)だったな!」
「はいはい。それに、リリアナもそんなに緊張してなくていいのよ?」
スバルの
「なんだなんだ。やけにビビってるな。さっきまでの
「そ、そげなこど言われでも、緊張すます。わ、私みたいな田舎者が、こんないぎなり領主様のお屋敷……それも、辺境伯様のお屋敷だなんで……そ、
「
緊張して
それを見たリリアナの顔が真っ青になり、エミリアがスバルの
「もうっ、スバル!」
「ごめんごめんって。まさかここまで
頬を
現在、スバルたちはアーラム村からロズワールの屋敷に戻り、応接間で談笑──というには少し、空気の重い時間を過ごしているところだった。
来客としてリリアナを
「それにしても、取り次いだラムの嫌そうな顔、見たか? まるで余計な面倒事を持ち込んだ俺たちを、
「ひっ! やっぱり
「大丈夫だってば。さっきからスバルも脅さないの。リリアナが
「今のはビビらせ目的じゃなく、客観的な事実を伝えただけだよ。実際、ラムの
ラムはロズワールに
さぞや
「今頃、どんな悪評がロズワールの耳に入ってるかわかりゃしないな。
いかに
「そんな心配しなくても、姉様は不公平はしませんよ。ロズワール様のご意思の確認に、姉様が
そんなスバルの
肩や背中の露出した、
部屋に入った彼女は
「お菓子はともかく、お
「常日頃、姉様はお忙しいですから。……それに、スバルくんが飲むお茶の用意は常にレムがしたいんです。レムの
「お願いだからお茶っ葉とお湯だけにしてもらっていい!?」
過激な発言にスバルの
魔獣騒ぎの解決以来、レムのスバルに対する態度は常にこんな
これがモテ期を知らない男子の、悲しい
「ともあれ、うまいお茶とお菓子を口実に誘い込んだからな。契約は満了だ」
「そんな……おいしいお茶とお菓子と
「事実だけど、一つ自然に付け足したよな?」
赤らめた頬に手を当てて照れているレムに、スバルは静かな突っ込み。それを受けてレムは照れ笑いを浮かべたまま、そっとスバルに小声で、
「それにしても……ただの吟遊詩人と聞いてますけど、どうしてお屋敷に?」
「あー、エミリアたんがいたくお気に入りで……ってのもあんだけど、もうちょい話は複雑でな。あいつ、どういうわけかエミリアたんの認識
小声でスバルが応じた内容に、レムの
認識阻害というのは、ハーフエルフであるエミリアの
「その効果を突破した……ロズワール様の編んだ術式ですから、それが解けるようなことは考え
「だろ? なんで、さすがに放置できなくて連れてきたってとこ」
そうして連れ込む口実に使ったのが、ラムのお茶とレムの茶菓子だ。最初は渋っていたリリアナも、その口実であっさりと転んだ。彼女の将来がひどく心配だ。
いずれにせよ、放置できない問題と考えて、スバルは彼女を屋敷へ連れ帰ったのだ。
「わかりました。つまり、余計なことを口外される前に口を封じればいいんですね?」
「わかってねぇし、お前が言うとシャレにならねぇな!」
「もう、嫌ですよ、スバルくん。さすがにレムもそこまでしたりしませんよ」
冗談です、と舌を出して
その諸事情はもはや、スバルの記憶の片隅にしか残っていないものなのだが。
「にしても、さすがレムの茶菓子の効果は
見れば、先ほどまで緊張でカチコチだったリリアナも、香ばしい焼き菓子を口にした途端に夢中になっている。家事万能のレムだが、菓子作りの才覚は突出していた。
「どれ、俺も一つ……うん、やっぱり超うめぇ。レムの菓子は絶品だわ」
「ありがとうございます! スバルくんのために全身全霊を込めて……二度とお菓子を作れなくなってもいいから、ありったけを……という気持ちで作りました」
「こんな何気ないひと時にそんな
レムの一球
一方、リリアナもリラックスできたらしく、ソファに体重を預けて腹を
「うとうと……うとうと……」
「だからって、居眠りを見逃してやるほど大きな心は持ち合わせてねぇよ!」
「はっ! 寝てません! 寝てませんよ! 寝たように見せかけて、私を監視していた
「……っ! 大変、誰に
「ほら見ろ! うちの箱入り天使が
口の減らないリリアナに、人を疑うことを知らないエミリアがまんまと騙される。
「ときに、お客様は
そう言って話題を広げたのは、意外なことにレムだった。
ソファに立てかけられた楽器──リュリーレを眺めるレムに、リリアナは
「は、はい! リュリーレ一本で世界に挑みかかる
「お前はホントに権威に弱い
いっそ
「では、お客様は有名な物語をいくつもご
「──! ええ、はい! それはもう、お任せくださいっ」
レムの質問に目を輝かせ、リリアナはリュリーレをロックに
「私も独り立ちして十年以上、こうしてリュリーレで身を立てている女です。多くの人たちを熱狂させ、狂乱の
「ちょっと待て! 独り立ちして十年って、お前、いったいいくつだよ!」
「今年で二十一になりますが、何か?」
「その見た目と落ち着きのなさで二十一!?」
幼い顔つきに未成熟な胸、尻、腰。
「合法ロリがどうとか言ってる場合じゃねぇ……もっとおぞましい何かを見たぜ……」
「ええい、うるさいですねっ。好きな人には需要があるんです。それよりっ」
「さあ、どんなご要望にもお
「
「何をおっしゃいますか! 『剣鬼恋歌』といえば、ルグニカならず諸国でも歌い継がれる近代の名歌ですよぅ! 不器用で、でも
「そ、そうなのか……」
「はぁい、それはもう! 特に最後の最後、剣鬼が
「想い人と
概要だけだと
元の世界なら『殺し愛』なる文化もあったが、それはスバルのフォロー範囲外だ。
ただ、スバルにとってはそんな感想しか浮かばないタイトルなのだが、
「何を言うんですか、スバルくん。『剣鬼恋歌』はルグニカを代表する名歌です。レムだって何度も何度も聞いているんですよ」
「マジで!? そうなの!? エミリアたんも腰砕けなの?」
「え、ごめんなさい。私はあんまり詳しくないから、期待に応えてあげられないかも」
「いや、その反応でいいよ! エミリアたんは俺の思い描いた通りの反応だよ!」
むしろ、レムの意外な
騒ぐ三人を
「他といえば『ヴォラキアの青い雷光』や『剣の丘の
「色々あるもんだ。それにしても、やっぱり歌って偉人系のが多いのか? それともお前の好みでそういうのばっかり集めてるだけか?」
「私の好みもありますけど、やっぱり大衆が好むのは
照れたように
彼女のその態度に、スバルは
「立派なもんだよ。その
「ちくちく言いますけど、私が二十一歳だと小間使いさんに何か問題でも? あんまりしつこいようだと、出るとこ出ますよ、私も」
「この世界で出るとこってどこだよ……」
裁判めいたものが行われているものなのか、世界事情に
「それでは、お客様はそういった歌を広めるのが目的で旅を?」
「いぃえぇ、それだけでは。もちろん、歌を広めるのも私の使命であると思ってはいますが、もっと根本には私自身の目的がありまして。それは……」
レムの問いかけに、リリアナは気を取り直した顔で応じようとする。しかし、満を持しての答えは言い切られる前に
「──ご
ノックする音が響き、押し開かれる扉の向こうでメイドが一人、丁寧に頭を下げる。
レムに
「大変お待たせいたしました。
そう、『御客人』をもてなす態度で口上を述べたのだった。
5
「私がこの屋敷の主、ルグニカ王国辺境伯ロズワール・L・メイザースだーぁとも」
「…………」
正面の
無理もない、とそれを横目にスバルは同情する。
辺境伯などと、貴族の中でも爵位の高い相手に心の準備もなしに引き合わされたのだ。ただでさえ生きた心地がしないだろうに、よりにもよって相手が──、
「白塗りにピエロメイクの変態に会わされるとは思ってもみなかっただろうしな」
「バルス。ロズワール様への不敬は許されないわ。ねじ切るわよ」
「今のでロズっちのことって気付いたお前も同罪だし、ねじ切るって俺の何をだよ」
「ナニを、かしらね……」
ゾッとする流し目でスバルを見るのは、先の丁寧さを完全に
そのラムを隣に控えさせ、
恵まれた容姿や肩書きを、その
こんな風体でも領主としては高く評価されているのだから、領地で前評判を聞いていた人間ほど、実物を目にしたときのギャップに苦しむことだろう。
「やーぁっぱり、この初対面の相手の驚く顔を見るのが最高の喜びだーぁね。スバルくんみたいな反応も悪くないけど、やっぱりこの手の反応が最高だ。ねーぇ、スバルくん」
「俺を人の心を
しいて言うと、他人の神経を
「お、お目通り
「ほっほーぅ、立派立派。この場でそれだけ動揺しながら言葉が作れるんなら、顔を合わせた意味もあったとーぉも。私は寛大なことで有名だーぁから、安心したまえ」
自画自賛の姿勢だが、ロズワールのそれは
「吟遊詩人がきてるって聞いて、村でリリアナに会ったの。この子、珍しいお話をたくさん探してるっていうから、ロズワールだったら力になってあげられるかなって」
「なーぁるほど。エミリア様にそうまでご期待されているとあらば、わーぁたしも普段は出さない隠された力をお見せするしかありませんねーぇ」
薄く笑い、ロズワールがソファの背もたれを
その
「そう
「は、はひ。あり、ありあり、ありがとうござりまする」
「それにしても、吟遊詩人。吟遊詩人か。まーぁったく、素晴らしいタイミングだよ」
恐縮しきったリリアナに、ロズワールが笑みを深める。
紅を引いた唇が弧を描くのを見ながら、スバルは何となく嫌な予感を覚えた。ロズワールの
「リリアナ、と言ったかーぁな。エミリア様のご要望だ。君の望みに応じる構えが私にはある。けーぇれど、もうちょっと詳しい話を聞かせてもらいたいところだーぁね」
「く、詳しいお話と言いますと、どげなことをお話せば……」
「そうだね。──君の旅の目的、そのものズバリというのはどーぅだね」
わずかに低くなるロズワールの声に、それまで
リリアナは一度だけ
「──私は、世界でもっとも新しい『伝説』を求めて旅をしています」
国内有数の権力者の視線の前で、リリアナは揺るがない決意を
彼女の口にした言葉──もっとも新しい『伝説』という響きにスバルの心が
スバルとて男だ。その言葉が持つ力に、胸が熱くならないはずがない。
「もっとも新しい、伝説……」
「はい、そうです。私はそれを求めて、それを歌うために旅をしています」
リリアナの声には魔性が宿っている。
聞くものの心に、感情を直接届ける魔性だ。それに
「私たち、
朗とした声でリリアナが続ける。誰も、口を
「私たちは、形あるものを残すことができません。物を作れず、文字も知らず、定住することすら本能が許さない。世界をこの足で渡り歩き、
声に、言葉に、
「形に残るものを残せず、心にしか何かを残せない生き物だからこそ、私たちは誰の心にも残り続けるものを生み出したい。自分が確かに生きて、歴史に魂を刻んだのだという
音楽はないが、志を語る彼女の言葉は歌に匹敵するものをスバルに刻み込んだ。
リリアナの語った悲壮なまでに確立された人生観。それを聞いてスバルも、部屋の誰も言葉を発することができずにいる。
そうするだけの確かな『何か』は、スバルの中にはいまだない。
「なーぁるほどね。……だから、新しい伝説ってことなわーぁけだ」
言葉の途切れた室内で、リリアナの覚悟に納得した声はロズワールのものだ。
この中でもっとも多くの決意と触れてきただろう男は、彼女の覚悟に
リリアナもまた、そのロズワールの頷きに敬服するように姿勢を正す。
「長く強く、人々の心に残り続けるのは色鮮やかな伝承──歴史です。元々存在する歌を継ぐのも、吟遊詩人として誇りある生き方です。ですけど……私はできるなら、誰の心にも残る歌を、最初に歌った歌い手でありたい。この世でもっとも新しく、もっとも
「……ぁ」
だからこそ、もっとも新しい『伝説』とリリアナは言ったのだ。
まだ誰も歌にしていない、誰も知らない、しかし世界に刻まれる歴史の一ページ。
それを歌にすることが、彼女がこうして道なき道を行き、荒野で朽ち果てる最期が待つとわかっていながら、それでも成し
「その意気込みは立派だーぁとも。でも、どんな伝承と求めるというのかね? 形のないものを追いかけるそれは、雲を
「……できるなら、
「英雄譚……」
ロズワールの問い。リリアナの答え。エミリアの
三者の反応が意味するものと、『英雄譚』という響きの持つ力にスバルも魅了される。
英雄譚──それは確かに心が
元の世界でも、歴史に名を
「それなら、リリアナが知りたいのは新しい英雄のお話?」
「……簡単なことではありませんけどね。今の時代、新しい英雄だなんて。それこそ魔女が
平穏な時代であればこそ、そこに英雄が生まれる余地はない。
英雄のいない世は、英雄を必要としない世でもあるのだ。リリアナもそれがわかっているらしく、どうにもならない問題に感情を
「──面白い」
ただ、その呟きの意味するところがわからず、スバルの表情に
「未知の英雄譚を望む
「ちょっと、ロズワール。何を言ってるの? みんなも……私もだけど、リリアナも困ってるじゃない。一人でわかってないで、ちゃんと説明して」
楽しげなロズワールにエミリアが詰め寄ると、彼はその
「簡単なことですよ、エミリア様。リリアナ嬢の望みは、
「えっ! それじゃ、ロズワールは新しい英雄譚に心当たりがあるの?」
「もちろんありますとも。──そしてそれは、エミリア様も無関係じゃーぁない」
「私も……?」
見当もつかない、という顔つきのエミリアにロズワールは意味深に笑う。その表情をエミリア越しに見ていたスバルは、ふとロズワールの意図に気付いた。
──その想像が正しいとしたら、なるほどそれは確かに新しい『伝説』だ。
「新しい英雄に心当たりが? でしたら、どうかそのお話を……!」
「あ、それはまーぁダーぁメ」
「むひん!」
旅の目的が
「ロズワールっ」
「そーぉんな
「私、スバルとロズワールはそういうことしてもおかしくないって疑ってるの」
「熱い風評被害!」
流れ弾を食らったスバルに、エミリアが「あ、そんな意味じゃないの」と
「そ、それでは……どうしたら、そのお話をしていただけるんですか?」
「新しい『伝説』……それはね、私たちにとっても軽はずみに口にできる内容じゃーぁないわけ。だーぁから、まずは君が信用できる人物か見極めなきゃなんだよねーぇ」
「な、何をすれば!? 手、手はダメですが、足の指ぐらいなら誓いに差し出しても!」
「落ち着け。そしてお前はもっと自分の体を大事にしろ、女の子」
筋もののケジメみたいなことを言い出すリリアナを
確かに流れの
ともあれ、ロズワールの言い分は正論だ。ロズワールの
肩を落とすリリアナ。流れの吟遊詩人であることが、流れの吟遊詩人をしている理由を
「と、そーぅいうわけだから、まずは見極めの時間が必要だ。そこでどうだろうか。君に数日、屋敷に滞在する許可を出そうじゃーぁないの。その間に君が信用できる人物だと認めることができれば、
「──っ!」
地獄に仏とはこのことか。
リリアナの今の心境を言葉にするなら、まさにそんなところだろう。
「わ、わかりました! 私も女ですっ! そこまで譲歩していただいたのなら、乗らずして何が吟遊詩人か! どんとこいですよ! どんとこいっ!」
これほどわかりやすい
6
「……あれれ? ひょっとして私、いいように遊ばれてませんでした? 気のせい?」
「気のせいっていうかお前のせいだよ」
アーラム村までの道のりを連れ立って歩きながら、スバルは隣のリリアナのちょろさを指摘してやる。すると、彼女はスバルの指摘にひどく傷付いた顔になり、
「な、なんてひどいこと言うんですかっ。
「いいえ、お客様。スバルくんはいつでも素敵です」
「盲目的なお答えに私は
半泣きのリリアナを突っぱねたのは、二人に同行しているレムだ。
ロズワールの
今はアーラム村まで、彼女が置いてきた荷物を引き取りに向かう途中だ。表向き、スバルたちはその手伝いだが、実際にはリリアナを逃がさない監督役というところだ。
事実、スバルはロズワールにリリアナから目を離さないよう
実際はスバルの深読みで、レムの同行は彼女の意思が尊重されただけだったのだが。
「けど、ロズっちも意地が悪ぃよ……
「小間使いさんも、お館様のお考えに想像がついていらっしゃるんで?」
「おおよそは、な。けど、ロズっちと同じ理由で俺も口は割ってやらねぇ。そこんとこは俺もあいつと同意見だよ。
「むぎゅっふ」
スバルの口を割らせるのに失敗し、リリアナは珍獣のような悲鳴を上げる。旅の目的を目の前にして、なかなか全容が見えない彼女の境遇には同情すべき点があるが、
「実際、歴史に名を
「そうなのですよっ。なかなか難しいんです。世にまだ名の出ていない
「そ、そそそ、そんな方法なんて、ある、あるわけねぇじゃねぇですか、馬鹿か!」
「なぜにそんな過剰反応されたんです?」
ある意味、『死に戻り』は未来予知に類するものと言っても間違いではない。
自分の特殊性に会話が
「そんなお客様に朗報です。レムは、実はその新しい伝説に心当たりがあります」
「ええ!? ほ、本当ですか……!?」
思わぬ吉報に巡り合った、とリリアナの表情が驚きと喜びで変顔になる。ここまでのレムの好意的な態度からも、心当たりがあるという
が、一方でそれを黙って見過ごせないのはスバルだ。レムの心当たりがロズワールの隠した内容なら、それをリリアナに伝えてしまうのは時期
そんなスバルの心配を
「スバルくんです」
「──えっ」
「もっとも新しい伝説。そして、これからその名を上げていく
スバルとリリアナの
あまりに堂々とした推薦に、スバルは「え、ギャグ?」と聞き返すのを忘れた。
「スバルくんです」
「
「黙れ!」
信じる素振りすら見せないリリアナを一喝し、スバルは深々とため息をこぼした。
村に降りかかる
「レムは本気だったんですけど……信じてもらえなくて残念です」
しゅん、とうなだれるレムが本当に残念そうなので、スバルの方が申し訳なくなる。
その純粋な信頼に
『死に戻り』の力は、スバルがこの異世界で得た、唯一にして最後の
自分以外ならもっとうまくやっただろう。そんな自分への評価が根底にはある。
「どんな死に方しても、痛ぇのに変わらないしな。……もっと、気楽にセーブ&ロードさせてくれてもバチは当たらねぇと思うのによ」
いくつもの制約と、『死』という絶対のトリガーにより発動する能力だ。
望んで得たものではない
自分に超常の力を与えた存在には、感謝よりも文句をつけたいのが本音だった。
ふいに空気が変わったのは、そのときだ。
「──スバルくん」
低く、警戒を帯びた声でレムがスバルを呼び、伸ばした上で進路を
レムの声に込められた真剣な響きに、考え込んでいたスバルも即座に現実に立ち返る。そして、レムが自分を呼び止めた理由をはっきり目にした。
「……なんだ、こいつら」
明らかに不審者──人影は全身をすっぽりと、白い衣で包んでいる。顔を隠し、手足の長さを隠し、体格を隠し、その
白い頭巾、白いマスク、白い装束。頭から足下まで全身白
「一日に、ロズワール以外の変態とこうも出くわすことになるとは……」
軽口を
奇抜な衣装でこちらの目を引き、別働隊が奇襲を仕掛けてくる動きはひとまずない。ならば単なる旅芸人ということも、黙って立ち塞がることから考え
「道がわからないなら足下をご確認。草のない整備された地面が、世界的な共通語で『道』に分類されるもんだ。ちなみに俺の後ろは領主の屋敷、正面は小さい村だけど……」
「────」
「あ、やっぱり、道が聞きたい迷子の集団ではないのね」
挑発的なスバルの
間合いが見え難い
警告すらせず、四人組は固まるスバルたちへその刃を振り上げ──、
「どこのどなたかは存じませんが、敵対する意思があると判断します」
先頭にいた白装束の顔面が、突き上げられるレムの
肉が固いものに
そのあまりに
「──え」
見れば、それまで無言だった白装束も
もっとも、それはこれから起きる出来事には何の影響も与えないことだが。
「レムの武装は先日、森に落としてきてしまったので、代わりのものが届くまでは無手でお相手することになってしまいます。よろしいですか?」
森に落とし物、などと
両手を
「
迫ったときと同じように、男たちは
「少しだけ焦ってしまいました。手ぶらのときにああした
「焦ってたわりには、きっちり腰の入ったいい右ストレートだったな」
「スバルくんにそんな風に
赤らめた
「どう思う? エミリア絡みの妨害とかかな」
「その可能性はありますけど、ロズワール様も敵の少なくない方でいらっしゃいますから。あのぐらいの
「マジかよ、職場の安全性をちょっち疑問視するぜ。──あと、だ」
レムの答えに微妙に腰が引けつつ、スバルは最後にじろりと隣を
その肩を後ろから
「なーにを逃げ出そうとしてるのかなぁ、リリアナちゃーん」
「ひぃっ! すみませんごめんなさい謝りますからそんな怖い顔しないでくださいっ」
「怖い顔してねぇよ! 緊張をほぐそうと笑顔オブ笑顔だよ、よく見ろ!」
「ひぃっ!!」
スマイル全開のスバルになおも
「大丈夫、スバルくんは怖くありません。ちょっと人より目つきが素敵なだけです」
「そ、それは個人差ある感想ですけど、もう大丈夫です。落ち着きましたです、はい」
「色々微妙な気がすっけど……まぁいい。それよりどうして逃げようとしたんだよ。まさかとは思うけど、お前……」
あの白装束とグルで、エミリアの王選を妨害する輩──それが目的でスバルたちに近づいたのではないか。そう聞こうとした瞬間、リリアナはその場に土下座した。
「しゅみましぇんでした! でもでも、私が悪いわけじゃないと思うんです! ただ、あの人たちはずっと私を追いかけてきてまして、それをどうにかしたいなー、そうだお屋敷の人の力が借りたいなーなんて思ってたりしてみたりみなかったりっ」
土下座するリリアナの言い訳を聞いて、スバルは目を白黒とさせる。その必死さから、彼女が敵の回し者という可能性は消していいとは思うが。
「居眠りのときの、
それとは別の問題が浮上した
7
「と、そんなわけで、リリアナは得体の知れない連中に追われてるって話だ」
報告を締めくくり、スバルはソファに深く腰を沈めた。
場所は戻ってロズワール邸の執務室。室内にいるのはスバルを含めて四人。スバルは自分の隣に座っているレムを指差して、
「正直、レムが一緒にいてくれて助かったよ。こう言っちゃなんだが、俺とリリアナの二人だったら間違いなくやられてた」
「はい。レムも一緒でよかったです。鉄球があればもっとお役に立てたんですけど」
「その場合、あいつらは森の肥料か。……うん、お
虐殺の回避にスバルは胸を
「それで、問題の
「エミリアたんと一緒に、な。名目は安全確保のためだけど、下手にプレッシャーかけて逃げ出されると困る。何も知らないエミリアたんなら適任だ」
「そう。ロズワール様があの詩人を留め置きたい理由はわかっているようね」
「リリアナを、エミリアたんの王選用の
「バルスにしては理解が早いわ。首から上が空洞のカボチという疑いは晴れたわね」
「お前、今までジャック・オ・ランタンとでも会話してるつもりだったの?」
相変わらずなラムの評価はともかく、ロズワールの思惑はそんなところだろう。
テレビや新聞といった、大衆への情報伝達手段が確立されていない世界だ。各地を巡り、歌で歴史や事件を伝える吟遊詩人の影響は、きっとスバルの想像以上に大きい。
──王選においても、リリアナの歌はエミリアの大きな力になる。
「スバルくんも、理解が早くてなーぁによりだとも。私の方針としては、今まーぁさに君が言ってくれた通り。ちょこーぉっと補足すると、きちんとお互いのメリットとデメリットの兼ね合いは取れてるつもりだーぁけどね」
「メリットとデメリット、ね」
我が意を得たり、とほくそ笑むロズワールの答えにスバルはきな臭さを感じる。
そんなスバルの反応に、ロズワールに代わってレムが目を伏せながら、
「言い
「自分じゃ解決できない
「いつも通りの悪人面よ」
「いつも通りに素敵です」
姉妹で食い違った評価を受けつつ、スバルはロズワールの性格の悪さに唇を曲げる。
リリアナを屋敷に引き止めた話術といい、本当に悪知恵と舌が回る人物だ。
軽く非難するように
「ともあれ、当面はリリアナの周囲に気配りしつつ、問題解決
「骨の五、六十本折って何もかも吐かせてやれたのにね」
「そんだけやったらもう
冗談とも断言できないのが、ラムの忠誠心の恐ろしいところである。
「俺も気をつけるけど、仮に襲われたら裏声で助けを呼ぶぐらいしかできねぇな。さすがに警戒中の領主の屋敷に仕掛けるなんて、相手もそうそうやれねぇだろうけど」
「スバルくんの声が聞こえたら、レムはすぐに飛んでいきます。レムが掃除中でも、料理中でも、入浴中でもいつでも呼び出してください」
「不潔」
「俺が何か言う前に
見えない
「とーぉりあえず、こちらのスタンスとしては現状維持だーぁね。リリアナ嬢にはもう少し事情を深く聞いてから、解決手段を探す方向でいこーぉじゃないの」
「んじゃ、そんな感じで話しとくよ。正直、今は生きた心地もしてねぇだろうから」
「ロズワール様のお心を煩わせる問題を
「客人に対して
口さがないラムの毒にスバルは苦笑し、部屋を出るために扉に手をかける。と、
「当家にいる限り、安全は保障する。その点、ちゃーぁんと伝えてあげるよーぉにね」
背中にかかるロズワールの声に、含みのある発言だとスバルは
8
「……し、したらば、まんず
「お前、どこ出身?」
話し合いの結論を聞いて、緊張に全身を
なにせ待っている間、さぞや息苦しさを味わっていたことだろうから。
「これに
「うぐっ! は、反省してます。風より
「その芸風、俺の芸風と
スバルの冷たい突っ込みにも、今のリリアナは軽口を返してくる余裕がない。
リリアナの行いは、自分の事情に領主の関係者を巻き込み、危険にさらしたも同然だ。考えが浅はかだったことも、認識が甘かったことも間違いない。
さすがに
「スバル。リリアナもすごーく反省してるみたいだし、そのぐらいにしてあげて」
「ダメだって、エミリアたん。この手の
「ううん、別に。ホント、自覚が芽生えてないのって大変よねって思っただけ」
じと目のエミリアに見つめられて、なぜか居心地の悪い思いをさせられるスバル。
形勢不利を悟って、スバルは会話の
「それで、改めて詳しい話が聞きたかったりすんだが……あの、白装束の連中にはいったいいつ頃から追っかけされてんだ?」
「それがイマイチわからんちんなのですよ。はっきりと追われてるのを自覚したのはここ数日のことで……それまではこれといっては何も」
「心当たりになるような異変はなかったってことか?」
「はい。せいぜい、私の自前の羽ペンがなくなったり、
「ストーカー被害みたいなの受けてるように聞こえるけど!?」
『ストーカー』という概念が彼女らには理解できないらしい。
エミリアは文句なしに。リリアナは口を開かせないという条件付きで美少女なのだから、そのあたりには非常に気をつけてもらいたいところだ。
とはいえ、襲撃者たちの様子を思い出し、スバルは首を横に振った。
「私物がなくなってんのは、あの追手とはたぶん無関係だろ。熱烈で物好きなお前のファンがいるってだけだ。刃物持って追っかけ回されたことはこれまでには?」
「むむむっ。微妙に
「今も大して深刻そうな顔にゃ見えねぇけど……急に手口が変わったってことか」
リリアナの証言に考え込み、スバルは白装束たちの行動の変化の原因を探る。ただ、リリアナに直近で起きた変化といえば、心当たりになるのはまず一つだ。
「この屋敷……領主と接点を持ったことに、相手が焦ったってことか?」
ロズワールとの接触が、リリアナを
「お前、本当に心当たりはねぇんだろうな。かなりヤバい厄ネタの
「乙女の前でゲロとかとんでもな発言を! 私は祖霊とこのリュリーレに懸けて、決して隠し事なんてないと誓えます! やっぱりリュリーレ懸けるのは待ってくださいっ」
「ノータイムで自信なくしてんじゃねぇよ!」
自分の商売道具をしっかり抱えるリリアナに、スバルは怒鳴ってから嘆息する。
ただ、リリアナも真剣に心当たりを探る顔で、うんうんと何度も
「隠し事のつもりはこれっぽっちもないんですが、出てこないんですよぅ。こう、全部の歯に小骨が引っ掛かってるみたいな違和感に
「そんな魚は食う前にちゃんと骨を取れ」
真剣な顔でも真剣味の足りないリリアナに冷たく応じて、そろそろ
「で、その小骨まみれの話の中で、エミリアたんは何か気付かなかった? 待ってる間、不毛な話に付き合ってあげてたんでしょ?」
「それが全然。リリアナのお話だと、違和感は二週間ぐらい前からで……アーラム村にくる前にいた、ウォーウォーって町を出た頃かららしいの。だから理由があるとしたら」
「そこで、だろうね。ほぼ間違いなく、そこであった何かが原因だ。何か印象的なこととか、そこでやらかしたりしなかったのか、おい」
「なぜにやらかしたこと前提なのか、不名誉な扱いに物申させてもらってもっ」
ぶーたれた顔のリリアナをスバルは黙殺。リリアナは唇を
「そう言われましても、いつも通りでしたよぅ。あの町はちょこっと
「嫌な思い出で心が壊されそうなとこ悪いけど、手がかりになりそうな発言を頼む」
「そもそも、そんなに
「エミリアたんの切ない過去が一部
頭を抱えて
ただ、もっともな指摘だ。
「あ、それはですね。確かに町の人たちは
「ほう、お金持ちのお爺さんがですか」
「いぃえぇ! それはもう、孫娘みたいに
見せびらかすようにリュリーレを差し出されて、思わず受け取るスバル。大はしゃぎするリリアナだが、スバルには孤独な老人を
「おいしいもの食べて、柔らかいベッドで寝て、リュリーレや服も新しいものにしてもらっちゃったりして……夢のひと時でした、ぐふふ」
「お前、歌ってるとき以外の俗っぽいとこどうにかした方がいいぞ」
「でも、残念ながらそんな時間も長くは続きませんでした。何が悪かったのか、ある日、急にお爺さんに屋敷を追い出されてしまいまして。豪遊もそれっきりです」
「
「し、失礼な! 最後に粗相したのなんて、もう五年も前ですよぅ!」
五年前でも十六歳のときだ。とはいえ、そこを掘り下げるのも面倒くさい。
どうやら本当に追い出された心当たりはないらしく、リリアナは不思議そうな顔だ。
『お金持ちのお爺さん』という聞くだに怪しげなワードがあったものの、彼女が追われる理由の核心には遠い。あるいはリリアナを追う側が、リリアナとお爺さんとの間に何かがあると勘違いしている可能性も考えられる。
「どっちにしろ、ヒントはウォーウォーって町とその爺さんか。一応、ロズワールに話はしてみるけど……調べられるのかな」
「でもでも、お爺さんにしてもらったのは身の回りのお世話と、あとは『絶対に歌っちゃいけない歌』を教わったぐらいで、心当たりも本当にないんですよぅ」
「そうなの……それじゃ、手がかりにならないわよね。困っちゃう」
「いや、ちょっと待って」
聞き捨てならなすぎて聞き逃しそうになり、
だから天然は怖いのだ。エミリアたんマジ天使。
「あの、『絶対に歌っちゃいけない歌』ってなんでしょうか」
「……? お
「もう。人から教わった歌をそんな風に言っちゃダメでしょ。一度、聞かせてくれる?」
「えぇ、大喜びで! なんなら、持ち歌全部をご披露したいぐらいですともです!」
スバルからリュリーレを奪い取り、弦を
エミリアも
その二人を前に、スバルは目をつむった。それから息を吸って、
「──完全に、その歌が原因だろうが!!」
と、突っ込み不在の天然二人の会話に歯止めをかけたのだった。
9
「しかし、アレだな……」
「ふぁい? どうひまひふぁ?」
「口に物を入れたまま
「むふふ。どうやら小間使いさんも、やっと私の女の色気に気付いたみたいですねっ」
スバルの発言をどう解釈したのか、
リリアナがこれでもか、と頬張るのはレムお手製のお菓子で、今は午後のオヤツタイムだ。
「お前がきてからもう三日になるわけだが……」
「そうですねぇ。早いですねぇ。それが何か?」
「襲撃がひっきりなしってレベルじゃねぇんだけど、お前ホントは何したの!?」
この三日間を振り返るスバルの叫びに、リリアナは丸い目をさらに丸くして驚いた。
リリアナが屋敷に滞在して三日──彼女を
「今のとこは全部レムが
「嫌ですねぇ。それがわかれば苦労しませんって。今さら言わせないでくださいよぅ」
「お前のことなんだけど、たった三日でどんだけ真剣味なくすんだよ!」
まるで
小さくなっていたのも初日の数時間だけで、今では屋敷の中を我が物顔で堂々と歩きまわっているほどだ。あるいはスバルが
「果報は寝て待て、とは言うけど……待ってる側がこれじゃ、ラムも浮かばれねぇな」
「ご迷惑をおかけします……その焼き菓子、食べないならもらっていいです?」
「お前の感謝はホントに上辺と口先だけな!」
スバルの怒声を許可と判断したらしく、リリアナはスバルの分の焼き菓子を
ラムは現在、リリアナが以前に滞在していたウォーウォーという町まで調査に出ている。リリアナの追われる理由が、どうやら町の富豪と関係あると
ロズワールの命令とはいえ、屋敷を出る前のラムの本気で嫌そうな顔が忘れられない。戻ってきたら、スバルが八つ当たりされる未来は確実といえる。
「だってのにお前、ラム以外の
「歌は国も言葉も種族も選ばず、ただ心に
「納得いかねぇ……」
スバル的にはやはり、女の子の魅力には心の美しさが必要不可欠だと思う。
「その点、エミリアたんこそ俺の一番星にふさわしいよな」
「今、私のこと呼んだ?」
「もひゃいっ!」
ぽつりと
思わず直立するスバルを見て、エミリアは笑いながら部屋の扉の上を指差した。そこには色の変化で時間を伝える、この世界の時計である魔刻結晶が光っている。
「ほら、そろそろ今日も時間でしょ? 待ちきれなくてきちゃった」
「みんなが寝静まった夜に、俺の部屋で聞きたい
「ふふ。レムも楽しみにしてるもんね。私も、昨日の続きが気になっちゃって」
「
「黙れ!」
指についた菓子のクリームを
「あ、もう始まるところでしたか?」
「ううん、大丈夫。また、いつもみたいにスバルがリリアナを
「エミリアたんの中では俺が苛めたことになってんの!?」
遅れて入ってきたレムに、エミリアがソファの隣を空けながら言葉をかける。レムが「失礼します」とエミリアの隣に座ると、残る座席はあと一つだ。そして、
「──邪魔するかしら」
三度、開かれる部屋の扉。だが、今度の光景はこれまでとは
扉の向こう、通常は屋敷の廊下と
クリーム色に近い髪を、
少女は部屋の中を見渡し、澄まし顔で小さく鼻を鳴らした。
「まぁ、よくベティーを待っていたのよ。そこだけは感心したかしら」
「いやですねぇ。ベアトリス様を置き去りに始めるわけないじゃないですか。そんな不義理をするようじゃ、このリリアナ、女が廃るってもんですよぅっ」
「そう。いい心掛けなのよ。少しは見習わせたい
リリアナの
といっても、幼い彼女はソファに座るスバルの目線の高さはそう変わらず、ふてぶてしい態度も慣れてしまえば
「それにしても、ベア子がこうしてわざわざ禁書庫から出てきてまでリリアナの歌を聞きにくるってのが、いまだに信じらんねぇな」
「たまには本を読む以外で、世界に触れてみるのも悪くないかしら。そこの娘の歌声にはそれなりの価値があるのよ。歌声一つで、お前十人分よりは価値があるかしら」
「真剣に自分の価値に悩みそうになるから、そういう表現やめてくんない?」
自分のレートに悩むスバルを無視して、ベアトリスは残った席に腰を下ろした。
これで、ロズワール邸のリリアナファンは
「えー、それでは、本日もこうしてお集まりいただきありがとうございます。皆様のひと時を、歌と物語で
聴衆である四人の視線を浴びながら、部屋の中央でリリアナが口上を述べる。
お決まりの文句を口にする姿は堂々としていて、なるほど
「では、これから歌われますは近代の名歌である『
お辞儀するリリアナに、女性陣の控えめな拍手とスバルの大きい拍手が向かう。
昨日までの歌の続きが聞けることに、こっそり期待している自分がいるのをスバルは自覚していた。なんだかんだで、スバルもまたエミリアたちと同じ気持ちだ。
悔しいことに、この小さな歌い手の歌声にスバルも心を奪われている。
「歌います。聞いてください。──剣鬼恋歌」
リュリーレの
途端、部屋の空気が彼女の作り出す物語空間に溶けて、世界の感じ方が一変した。
「────」
リリアナの身振り手振りで世界が形を変えて、見える景色すら歌に取り巻かれるのには驚嘆しかない。鳥肌が止まらず、スバルは
この美しい世界観を、自分の
物語は、剣鬼と呼ばれるほど剣に
「──ご
大気を
その姿に自然と、スバルは背筋を伸ばして手を
「やっぱり素敵……きっと、ここから物語が始まっていくのね」
「レムも、
「まあまあ、だったかしら。また続きを聞きにきてやってもいいのよ」
「素直さの足りねぇロリだな……」
エミリアとレムが純粋な感想を述べる中、
「それで、小間使いさんのご感想はいかがです?」
しかし、意地悪な笑みを浮かべて小鼻を
「……ああ、クソ。悔しいけど、すげぇよかった。歌ってないときのお前は正直、人としても女の子としてもどうかと思うけど、歌ってるときだけは
「あれれ!?
素直に褒めるのが悔しくて、思わず悪態めいた賛辞になってしまう。それはベアトリスの失笑を買い、エミリアからは生温かい視線をもらう結果を
「剣鬼恋歌は全部で五幕。レムはもちろん終幕の五幕が好きですけど、明日からの三幕も聞き逃せません。必ず、お仕事を終わらせて駆けつけますね」
「レムはすっかりお気に入りだな。俺は今のところ、リリアナの歌の方に圧倒されて話の
「ええ、きっと。剣鬼様の生き様は、今も多くの男女の理想の形です。スバルくんも、いつかレムを剣鬼恋歌のように
「聞いたネタバレが正しい場合、それだと俺とレムって最後に殺し合ってない?」
答えながらスバルは、興奮に
レムがこうまで感情を
レムと人並みに親しくなるのに、スバルは文字通り死ぬほど頑張ったというのに。
「それを簡単に詰めやがって。面白くねぇ」
「なんです、小間使いさん。そんなぶーたれた顔されても、全然
「普段のお前の行動からは説得力がねぇよ。それとも、歌ってるときのすごさを際立たせるために、あえて落差をでかくしようとしてんのか。ギャップ
「何を言ってるのかわからんちんですが、まさにその通りもぐもぐ……」
「
まさかの推測はまさかのままで終わる。
歌い終えて、リュリーレを壁に立てかけたリリアナが再び焼き菓子に手を伸ばす。
そのままリリアナを交えて、
──ただ、今日は大人しくそうはならなかった。
「失礼します」
ふと、そう言って立ち上がったレムが窓際へと向かう。
そのままレムはさっと音もなく窓を開け、薄青の
「レム、何それ?」
「小さい鉄球です。今、ちょっと手元に使い慣れたものがないので」
ゴルフボールぐらいの大きさの鉄球を
「──当たりました」
外を見て、親指を立ててみせるレムにスバルは苦笑い。
レムの隣から外を見ると、前庭の隅で
「
「割られるたびに、学習した内容が外にこぼれ出しているのかもしれません」
割っていることを否定しないレムに
「今回は白服の人たちでしたね」
「そうだな……って、なんだその気になる発言。今回は白服?」
「リリアナ様狙いと見られる集団なんですが、白服の方々の場合と粗野な服装の方々の場合と入り乱れて襲撃があるんです。きっと、手が足りないと見た白服の人たちに
「マジか。二グループあるのは確実なのか? 別件の可能性は?」
「このタイミングで、
レムの指摘にスバルも
ただし、それならそれで襲撃パターンに違和感があるのも事実なのだが。
「一回、本腰入れてちゃんと捕まえた方がいいんじゃないか?」
「それも考えたんですけど、逃げ足がすごく達者で。本気で追いかければ捕まえられると思うんですが……あまりお屋敷を離れてしまうと、それも不安で」
「レムを乗り越えても、まだまだ第二、第三のボスキャラがいるけどね、この屋敷」
戦闘力で考えれば、レムはロズワール邸の中では実力真ん中ぐらいだ。
パック付属のエミリアに、ロズワールやベアトリスという単独戦力。外から見ると、手を出すのが馬鹿馬鹿しくなるほど過剰な戦力が集まった屋敷である。
「でも、あんまり野放しにしておくのも心配なのよね。あの人たちが
「早期解決したいのが本当のとこだわな。
仮にアーラム村などに被害が及べば、事は最悪の結果を
「そうならないように、ラムが早々に手掛かりを見つけてくれるといいんだけどな」
「ラムは頭がいいから、きっとすぐに何かに気付いてくれるわ。私たちは、あの歌を聞いても何にも思いつかないけど……」
エミリアの口にする『あの歌』とは、リリアナが追われる原因になったと目されている『絶対に歌ってはいけない歌』というやつだ。
確認のためにスバルも何度か聞いていて、すでに『絶対に歌ってはいけない』という但し書きが無意味になっているが、特別な意味のある歌にはスバルも感じなかった。
故郷について歌った素朴で
「つまらないしがらみに
「人がせっかく
紅茶のカップを傾けるベアトリスが、無感情な声で
究極的にはそう終わるのもやむなしだが、敵対する相手を滅ぼし尽くして終わらせるやり方は後味が悪い。魔獣騒ぎの収束に、スバルはそんな教訓を得ていた。
ましてや今回の相手は魔獣ではなく、同じ人間なのだからなおさらだ。
「守勢に回ってる限りは不自由を強いられるもんだよな。……もっと、こっちから攻撃的に仕掛けられたら話も一気に進むのかもしれないけど」
「そうするには手も情報も足りないってわけです。これはもうお手上げですね。素直に
「お前、なんでそんな
保護下に置かれている分、これまでの日々より余裕があるのだろう。リリアナの
ただし、その問題解決に至るプロセスはいまだに光明が見えずにいるのだが。
「こっちから攻撃的に、か……」
自分の言葉を再び
「あ、ひょっとしてスバル、また何か
「またって人聞き悪いな。……悪巧みには違いねぇけどさ」
エミリアの指摘に悪い笑みを浮かべて、スバルは部屋の中の四人を振り返る。女性陣の視線を集めながら、スバルは一つ指を立てて提案した。
「ちょっと試してみたい作戦があるんだけど、協力してもらえるか?」
10
「──それにしても馬鹿な
汚い
場所は薄暗い小屋の中で、外が見えないように窓には目張りがされている。光源は部屋に置かれたラグマイト鉱石の光だけで、それもぼんやり周りが見える程度のものだ。
「あのまま屋敷にこもってりゃ、化け物メイドのせいで手が出せなかったってのに、ふらふらと表に出てきたのが運の尽きだ。調子に乗っちまったみたいだな、ええ?」
本気でスバルが抵抗しても、
「お? かわいーねえ。
悔しげにするスバルの隣には、顔を伏せて震える少女の姿がある。それを見た男が
「大丈夫だ、安心しろ。心配しなくても、きっとどうにかなるから……」
「
少女を
最低限、体を
少女が息を詰め、男たちが口笛を吹く。その直後だ。
「──彼女を取り戻したというのは本当か!?」
そんな声とともに乱暴に扉が開かれる。外の日差しが暗がりの室内を照らし、思わずスバルが目を細めると、入口に逆光を背負う人影が息を切らせて立っていた。
数度の
青年は部屋の中を見渡し、スバルたちに気付いて目を見開く。そして、
「おお、リリアナ! やっと君に──いや、その男はなんだ?」
「お嬢ちゃんを
青年のスバルを見る目が鋭くなり、見る間に顔が紅潮する。青年の機嫌を
そう判断するスバルに、青年は鼻息荒く詰め寄って、
「お前ぇぇ! だ、誰の許可を得て、その子と触れ合っているぅ!」
「おあぁ!?」
突然の凶行にスバルが目を回すと、周囲のゴロツキたちが代わりに声を上げる。
「わ、若旦那、何をするんで!?」
「こ、こ、こいつが、僕のリリアナに
引き止める男たちを振り切り、青年はスバルから引き
「ああ、リリアナ。やっとお会いできましたね。あなたの愛の
キリタカと名乗った青年は、まるで自分の言葉に酔ったような態度で言葉を並べる。言いがかり、と言い切れない程度に身内の外聞が悪い自覚があるため、スバルは渋い顔をするしかない。肩をさすりながら、ゴロツキたちの方を振り返り、
「お前ら、アレに雇われてることになんか思ったりしないの?」
「金払いはいい雇い主なんだよ。あの
ゴロツキのぼやきから、彼らも雇い主が『アレ』なのはわかっているらしい。
てっきり、『歌』を理由にリリアナの身柄が
愛情表現こそ
「どうしたんです、リリアナ! なぜ、君の愛らしい
それまで、ただひたすら情熱的に愛を訴えていたキリタカが、沈黙を守り続ける少女に対して
「どうして黙りこくって……よもや、連れてこられるときに何か
「よしてくださいや、若
「──ごちゃごちゃとうるさい
キリタカたちが言い争いを始めかけたそのとき、割って入る少女の低い声。
それを聞き、顔を上げたキリタカの表情が
「だ、誰だ、お前ぇ! 僕のリリアナではないな!?」
「お前らに名乗る名前なんて、ベティーには
半ば名乗ってるじゃねぇか、というスバルの内心の突っ込みは
「中と外、合わせて九人。──両手の指で、事足りるかしら」
次の瞬間、吹き荒れる暴風に男たちの野太い悲鳴が小屋の内外に響き渡った。
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──リリアナを
「追い返されて所在が割れないってんなら、いっそ捕まってみて黒幕のところまで連れてってもらう
「ベティーにこうまでさせたのよ。うまくいくのが当たり前かしら」
肌の色を変えていた塗料が
「しかし、見た目がいつものベア子に戻れば戻るほど、その格好の違和感がすげぇな」
「……誰の発案で、ベティーがこんな格好してると思っていやがるのよ」
「そりゃ俺の発案なのは間違いねぇけど……まさかここまで痛々しくなるとは」
ベアトリスの現在の格好は、襲撃者たちを
やはり、普段の格好を知っているのと、身内だからだろうか。
「にーちゃに頼まれたのと、あの娘のためでなきゃこんなことしなかったかしら」
「ま、それを盾にすればいけると踏んで提案したあたり、自分で自分の性格の悪さに驚くけどな。……しかしお前、なんだかんだでやっぱチョロインだなぁ」
「今、ベティーにとってメチャクチャ腹立たしい評価がされた気がするのよ」
「
囮作戦の前提として、リリアナ本人を危険に
作戦を立案したスバルも、まさかこうまでうまくいくとは思っていなかったのだが。
「自分の参謀適性が怖いぜ。けど、黒幕まで
「ぼやいてる
「そこでロズワールと怖い話し合いってわけだ。同乗するぜ、自業自得だけど」
行き過ぎた愛情表現の結末がこれだ。ストーカーが怖いのは、いつの世もどこの世界でも同じということだろう。歌っているとき以外のリリアナのどこがいいのかは、泡を吹いて気絶しているキリタカにしかきっとわからないだろうし。
「なんにせよ、肩すかしな決着だったな。白服連中も、
イマイチ不完全燃焼感はあるものの、ひとまず
「中身は大丈夫だよな? 壊れてたら、リリアナになんてたかられるかわからねぇ」
慎重にリュリーレを取りだし、簡単に構えてスバルは
「お前、その楽器、演奏できるのかしら」
「コツはアコースティックギターとそんな変わらねぇしな。この三日、ちょくちょくリリアナに借りてたし、七十年代フォークなら大抵いけるぜ」
元の世界では父親のギターを借りて、暇に
「著作権も追いついてこないし、今こそ俺がこの世界の音楽に革新をもたらすべきか」
「ベティーの知る限り、お前ほど役に立たない技術ばっかり
「何の意味もないことに情熱を燃やす。それがロマンってやつなのさ」
スバルの
不思議と、
「ったく。──しょうがねぇな」
素直に聞く姿勢になるベアトリスを前に、演奏を中断するのも気が引ける。
スバルはそんな言い訳をしながら、心配そうな顔でレムが小屋に駆けつけてくるまで、二人きりの静かな演奏会を続けたのだった。
12
「それじゃ、襲ってきた人たちと『歌』の間には何の関係もなかったってこと?」
事の次第をスバルから聞いて、エミリアが目を丸くしてそう
無事に
その尋問の結果が出るまでの間、スバルはエミリアとリリアナの下を訪れ、作戦の間ずっとハラハラしていただろう二人に
屋敷の中庭で話を聞き終えて、円満な解決が見えたことに二人とも胸を
「ホントによかった。スバル、
「ちょっと乱暴されて泣きそうになったけど、エミリアたんの前だから強がる俺。ベア子も普通に戻って、さらっと着替えて部屋に引きこもってるよ」
「そうなんだ。……ベアトリス、
しゅんとなるエミリアにスバルは苦笑する。
ベアトリスとしては、着せ替え人形にされたのがさぞ苦痛だったのだろう。戻るなりすぐ着替えて、脱いだ服をスバルに
「そですか。……私もちゃんとベアトリス様にお礼が言いたかったのに残念ですよぅ」
と、それまで黙っていたリリアナが神妙にこぼす。
さすがに、自分を中心とした騒ぎが収束するのを前に、リリアナにも色々と思うところがあるらしい。特に彼女は、かなり
「あの黒幕のキリタカって
「最後無視しますが、ええと、知ってます。こちらにお邪魔する前の前、ウォーウォーの前に通った商都がありまして、確かそこでは有名な商家の跡取りさんのはずです」
「鼻につく金持ちっぽいとは思ったが、そのものズバリときたか。……付きまとわれてることに心当たりっつーか、自覚とかなかったのかよ」
「歌をたいそう気に入っていただいて、おいしいものとかご
「お前、行き着く先々で誰か
ウォーウォーの富豪といい、リリアナの容姿はこの世界では需要が高いのだろうか。エミリアのビジュアルが最高と思っているスバルとは、
じろじろと無遠慮に自分を見るスバルに、リリアナは
「きゅ、急になんですか、いやらしい目でじろじろと。他の人たちが私に興味津々なのを知って、私の魅力についにくらくらですか。イチコロですかっ」
「よしよし。調子が戻ってきたみたいで何よりだよ。ストーカーされるのなんて当人の不手際じゃねぇんだし、堂々としてろ。ほれ、リュリーレも返す」
「むぅ。なんとも
リュリーレのケースを押しつけられて、受け取るリリアナは不満げな顔だ。
ともあれ、空元気でも元気は元気。絞り出せる分だけ十分マシだろう。
「なに、エミリアたん。なんでそんな優しくて
「んーん、別に。スバルも、ベアトリスと同じぐらい素直じゃないなーって思って」
くすくすと小さく笑うエミリアに、スバルは何のことやらと首をひねる。
「でもでも、今回のことで皆さんにはとても大きな借りができてしまいました。もう新しい英雄のお話のことなんて、お館様に切り出せる状態じゃないですよぅ。私、痛恨の状態です。望みが断たれたっ」
一方、目先の問題が片付いたことで、自分の置かれた状況を客観視したリリアナが
ただし、ロズワールの真意を知る側からすれば、リリアナの
「まぁ、そのあたりのことはロズワールの方から話してくれるだろうよ。お前はむしろ、借りを作った自分を
「……? それって、どういう意味ですです?」
「ちょっとしたらわかるよ」
スバルの物言いに、エミリアとリリアナが
それから「さて」とスバルは
「ストーカーの被害者と加害者を直接対決させるってわけにもいかねぇだろうけど、ロズワールの見解が聞きたいとこだな。ちょっと行ってみるか」
「あ、でしたらその前に、楽器と着替えを部屋に置かせていただきたいんですが」
黒幕の場所へ、と聞いたリリアナが真剣な顔で準備を申し出てくる。ベアトリスに着せた服とリュリーレは、確かに対決の場にはそぐわない。
「なら、先に荷物を置いてくっか。エミリアたん、執務室に行ってていいよ」
「うん、わかった。悪い人たち、ちゃんと
温厚で可愛いエミリアが、
そして──。
13
中庭から屋敷に上がり、本棟の階段を上っていたエミリアはふいの気配に顔を上げた。正面、三階へ続く階段の踊り場に、スカートの
ふわりとたなびく短い裾を目にして、エミリアは目をぱちくりとさせた。
「レム、そんな風に廊下を走っちゃ危ないじゃない」
「──っ。エミリア様、申し訳ありません。ですが、火急の用件です」
「火急の?」
普段は冷静なレムの、珍しく
「スバルくんとリリアナ様はご一緒では?」
「えっと、二人は一度、部屋に荷物を置いてくるって。……何かわかったの?」
「ロズワール様が聞き出されて、大体のことは。首謀者はミューズ商会の跡取り、キリタカ・ミューズという人で、リリアナ様にいたくご執心で追ってこられたとか」
「うん。私もそこまではスバルに聞いたけど……」
リリアナ本人としては、そうまで執着される心当たりはないと不思議がっていた話だ。しかし、レムはエミリアの答えに首を横に振った。
「申し訳ありません。ですが、本題はそこではありません。そのキリタカですが、今回は金で
「それだけじゃないの?」
「キリタカの話では、白服の集団を雇った覚えも、関係もないの一点張りなのです」
それを聞いた瞬間、エミリアはレムが急いでいた理由を悟り、階下へ飛び下りる。並ぶレムを伴い、エミリアは全力でスバルたちが向かった東棟──リリアナの部屋へ。
「──戻って、ない」
開け放った部屋に求める光景が見つからず、エミリアは自分の失態に声を
14
ガラガラと音を立てて引かれる荷車の上で、
「────」
リリアナと二人、屋敷の中に戻ろうとしていた途中、ふいに衝撃を受けたと思えばこの状態だ。
ぎっちり
「おう、こっちの兄ちゃんも目ぇ覚めたみたいだな。手荒に扱って悪かったよ」
聞こえた声は、スバルが目覚めたことに気付いた誰かが投げかけてきたものだ。
首だけ動かして声の方を見ると、そこには白装束の人物が座っている。頭から足下まで真っ白な悪趣味を確認して、スバルは状況をほぼ正確に把握した。
「ってことは、リリアナファンと『歌』
「
「黙れ! 言ってる場合か!!」
スバルと同じように簀巻きにされているらしい少女の声に、スバルの怒号が上がる。
見える位置にリリアナはいないが、少なくとも普段の小ボケができる程度には余裕があるらしい。内心そのことに
「とりあえず、殴ったり
「……ああ、俺らもその方が助かる。今さらだが、
「ホントに今さらだな。説得力がねぇよ」
スバルがそう応じると、男は「違いねえ」と低く笑った。それから男は白装束の頭部分を外し、その下に隠していたヒゲ面を大気に
「俺たちは
顔を晒し、所属を名乗る男の姿勢は交渉を求めている。荒っぽくこちらをさらったわりには理性的な態度に、スバルはちぐはぐなものを荷台の揺れと一緒に感じる。
「おえ、気持ち悪くなりそう。せめて、体起こして話させてくんない?」
「そうして立てかけてやりたいのは山々なんだがな。調子乗ってしっかり縛りすぎて、一本の棒みたいに仕上がってるから立たせるのも一苦労だ。悪いが寝ててくれや」
「限界きたらリバースするぞ。マヨネーズしか入れてない、俺の白い
と、スバルの答えに男がお手上げとジェスチャーすると、別の声が会話に割り込む。
「竜車じゃなく、勇牛のファロー車ですか、これ? ずいぶん時代に取り残された感がある動物を使ってらっしゃいますねっ。もはや
「お前のそれ、驚いてんのか皮肉言ってんのか
限界まで首を傾けて、スバルは視界の端に縛られた誰かの足を
「一難去ってまた一難ってより、二難きてたのに気付いてなかったってことか」
「なまじ
「
普段の調子が崩れないリリアナのおかげで、どうにかスバルも平静を保てている。
実際、状況は完全に白装束たちの
リリアナの言う通り、囮作戦の成功で警戒網が
「屋敷の方でも、今頃は俺らがいないことに気付いちゃいるだろうけど……」
追跡に割ける手勢の少なさが、即時の対応に支障をきたすのは間違いない。
ただでさえ少ない
そうなると、確実に動かせるのはレム単独ということになるが。
「もう片方の方々を見張る必要もありますし、期待薄ですかね?」
「……そうだろうな」
スバルの考えを先読みしたような、リリアナのその言葉が急所に突き刺さる。
手勢も事情も厳しいとなれば、スバルたちの身柄の安全はどう確保するか──、
「外部に頼らず、俺たち自身のネゴシエーション次第ってことだな」
幸い、相手にはこちらと言葉を交わす意思がある。互いの
「ガンバですよぅ、小間使いさん」
「お前が黙ってくれてる方が確率が高い。復唱しなくていいから記憶しといて」
「お二人さんの話はそろそろまとまったか?」
黙ってスバルたちの話し合いの決着を待っていた男が、頃合いと見たのか再びスバルの視界へ戻ってくる。どかっと荷台に腰を下ろし、男は
「それじゃ改めて名乗るが……俺たちは
「悪いけど、俺は地元出てきたばっかでこっちの
「ちょっ、小間使いさん!? あんた、人のこと残念とか、なんば言いよりますかっ」
話が進まなくなるので、スバルはリリアナの抗議をスルー。ヒゲ面もスバルの姿勢に従い、リリアナの声は耳に入れない様子で己の
「聞き覚えなくてもしょうがあんめえ。この名前が通じるのはルグニカでも一部だし、もう十年近く前の話だ。今じゃ俺たちも、昔ほど無理は利かねえしな」
「昔……再結成でもしたの? やんちゃするなら
「解散も引退もしてねえ。活動は縮小してたがな。それというのも、決着をつけなきゃなんねえ最後の仕事があってよ。それが片付くまで看板は
声を低くして、ヒゲ面の男は決意を宿した
物々しい
「その看板を畳むための、最後の大仕事ってのは?」
「俺たち
「……? そのことと、リリアナと何の関係があるんだ?」
まさかその裏切り者がリリアナ、というのはさすがに年齢的にないだろう。
「その裏切り野郎はな、財産である町にでかい屋敷を建てた。そこで豪遊して、いい暮らしをしてたんだろうよ。……その足取りを俺たちは
「────」
「自分の居場所がばれたと気付いた野郎は、あろうことか金を
「歌……! そうか、ここで
ヒゲ面の怒りの声を聞きながら、スバルの脳裏を『歌』が雷鳴のように駆け抜けた。
リリアナを
老人は行きずりのリリアナに鍵の役目を押し付け、彼女を町から追い出して封印から遠ざけた。『白竜の鱗』はリリアナが歌を知っていると気付き、彼女の身柄を確保しようとしていたのだ。キリタカはただの馬鹿だ。状況をややこしくしたノイズである。
「あんたらを裏切ったのは、ウォーウォーの富豪か。
「俺たちを裏切ったあいつのことは、恨んじゃいるが今さらどうでもいいさ。俺たちは財宝が……まとまった金が戻ればそれでいい。それがなきゃ、駄目なんだ」
声の調子を落として、下を向く男の表情は真剣だ。
何か、大金が必要な理由が彼らにはある。それも、時間に余裕がない形で。
「財宝が隠された洞窟の場所は、もうわかってるのか?」
「わかってる。だからあとは、封印を解く歌さえあればそれでいい。つまり……」
「リリアナが、その封印を歌で解いてくれれば万々歳」
問題は解決し、スバルたちも無事に解放される。
互いの
「おい、リリアナ。聞いてただろ。お前が
「──りします」
「あ?」
スバルとヒゲ面の男の、間抜けな声が重なった。
思わずユニゾンしてしまうほど、リリアナの返答が予想外のものだったからだ。
リリアナの爪先がきゅっと伸びる。それはまるで、彼女が自分の意思を曲げないことを態度で示しているかのように見えて──、
「私は、洞窟の封印を開けるとかなんとか、そんなことのためには歌いません」
「────」
「歌は……歌は、財宝やお金なんていずれなくなるものの代わりになるものじゃないっ。お断りしますっ! 歌を、物語を……
15
冷たく固い地面の上で、スバルは尻の角度を調整して痛みを
冷え切った洞窟の中で
時折、洞窟を吹き抜ける風の音が反響し、
薄ぼんやりと発光する壁の
「風の音と、真昼間でも震えるぐらい寒い場所だ。地元の連中も、良からぬものがどーのなんて言って近づかねえ。財宝の隠し場所としちゃもってこいだろ」
スバルの納得を補強するように、壁際に
粗野な
「けど、誘拐犯が人質に顔見せてるのって、良くない
「巻き添えの兄ちゃんには悪いけどな。下手に騒がれても面倒でよ。恨むんなら、あの場で嬢ちゃんと一緒にいた自分を恨んでくれや」
「いや、普通にお前らを恨むに決まってんだろ。責任転嫁すんな」
「そりゃそうだ」
口の減らない人質に、ヒゲ面はどこか愉快そうに腹を
よくもまあ、この状況で笑みなど見せられるものだと思う。なにせ、
「てめえ、いい加減に強情張るのはやめろ! あまり俺たちを怒らせるんじゃねえ!」
遠く、風の音を塗り
「いぃえぇ、お断りします! 私は私の歌を、歌としてあるべき楽しまれ方をしていただく以外のために歌いません!
それに対する反論にも、懸命なまでの怒りが込められているから話がこじれる。
高い少女の声は男の要求を拒絶し、自らの職業意識の高さを主張していた。
「話、進みそうにねえな」
ヒゲ面の男が短髪の頭をガシガシと
互いの譲れない結論は出ていて、歩み寄りの
リリアナの涙声の
『白竜の
スバルを見張るヒゲ面は集団の代表格らしく、彼が
ただ、やはり数名は過激な集団を用いることを提案する
若者は鼻を
「ありゃ、最初にお前んとこの屋敷にちょっかいかけたとき、青い髪のお嬢ちゃんにぶん殴られた傷だよ。気持ちよく鼻が潰れてやがった。怒ってんのはその恨みもあるな」
その答えにスバルは「あー」と納得する他にない。鼻を潰された若者の他にも、声に怒りの色が強い
「しかし、リリアナも強情……強情だよな。職業意識なんてもん、命とかそういうものと引き換えにするほど大切なもんなのかよ」
男たちに立て続けに恫喝されても、決して意思を曲げようとしないリリアナ。
ふわふわと
「……大事さ。命と引き換えにするほどの何かは、きっと存在する」
スバルの呟きを聞きつけ、リリアナの意思に同意したのは他でもない白装束だった。
「ただ生きるだけなら、飯食って寝て空気吸ってりゃ誰にでもできる。けどな、生きてる間にそれ以外のことをしようと思ったら、譲れねえことだって出てくるもんさ」
「あんたはあんたで悠長なこと言ってるよな。急ぐ理由があるんじゃねぇのか?」
「他の
「────」
目を伏せ、ヒゲ面は手近にあった酒瓶を傾けて一気に
詳しい事情は知らないし、聞くつもりもない。男もそこまで話すつもりはないだろう。それでも、このまま時間だけが経過しても互いに苦しい思いを重ねるだけだ。
「ヒゲの
「おいおい。
「わーぁってるよ。逃げたりしねぇし、緩めるっても両手は
座ったままのスバルの要求に、ヒゲ面は考え込んでからため息をついた。
「このままじゃ
ヒゲ面がスバルの拘束を緩め、両足が自由になる。
数時間ですっかり固くなった足を伸ばし、血行をまともにしてからスバルは立った。
「あんたもこいよ。ここで酒飲んでても何もないだろ」
そして、光に
「……これが、歌に封じられた扉。
スバルの眼前、そこに洞窟最奥への道を封じるように黒い壁が存在していた。
半ば無理やりに岩の通路に
「特定の条件を設定して、それが満たされない限りは動かない仕掛けだ。別に歌に限ったわけじゃないんだが、この扉には嬢ちゃんの『歌』が
「リリアナの歌に限定されてるのか?」
「同じ歌を他人が歌っても開かない。屋敷で『ミーティア』に歌を聞かせて、そのままこの洞窟を封印したんだ。だから、開けるのは嬢ちゃんの歌だけってな」
ヒゲ面の説明を聞いて、スバルは改めて『ミーティア』の前へと進み出る。と、その黒い壁の前には、完全に聞く耳持たない姿勢になったリリアナと、そのリリアナにどうにか歌わせようと苦心する白装束たちがいた。
「あと一歩だってのに、ふざけるな! ちょちょっと歌えばそれで済むだろうが!」
「お断りします。ちょちょっとなんて歌を馬鹿にするにも程があります。
「黙れ! お前はどこでも変わらねぇな! 挑発すんな!」
顔を背けて、男たちを
第三者の乱入に男たちは驚き、リリアナも片目を開けてスバルを見上げた。
「ありゃ、小間使いさん、どしたんです? ひょっとして、私に言うことを聞かせるために、小間使いさんが見るも無残に痛めつけられる展開がきましたか。言っておきますが、小間使いさんが肉塊になったとしても、私は意思を曲げませんよぅ」
「やめろ、俺が浮かばれねぇ。それにこいつらが手段選ばない
「な、何を想像ばしちょりますか。や、やめんしゃい、おしょすごと……っ」
顔を
「あんたらの苦労もしのばれるけど、言うこと聞きゃしねぇだろ? あんまり言いたくないけど、たぶん痛めつけても主張は曲げねぇよ、こいつ」
スバルの嘆息混じりの言葉に、男たちは顔を合わせて気まずい雰囲気。
「で、お前はお前で絶対に歌うつもりはないわけだな。こんだけ熱心にお前の歌が求められてるってのに、それでも歌わないわけだ」
「小間使いさん」
スバルの質問に、リリアナは表情に真剣味を宿して
「私は、私の『歌』が必要とされれば歌います。ですが、この方たちが求めているのは私の『歌』ではなく、歌のもたらす『結果』です。そんなもののために、歌うことはしません。
「最悪、命が懸かってもそうすんのかよ」
「命が懸かっても、です。一度、命惜しさに誇りを曲げれば、折り目のついた誇りは何度でも簡単に折れるでしょう。やがて無数についた折り目によって、私の誇りは誰の目にも映らなくなる。私は鏡の中に、誇りをなくした自分を見るのは絶対に嫌です」
言い切り、リリアナは唇を
自分の今の発言が男たちの
曲がらない職業意識。
スバルはその強情な態度に、もう何度目になるかわからないため息をついた。
「お前が歌わなきゃ、俺の命も危ない。そんな状況でもか?」
「──っ」
視線に力を込めたまま、しかしリリアナは
リリアナの
これで、他人の命まで堂々と自分の誇りの下敷きにする少女なら、スバルも喜んで見限ってやることだってできたのに。
──
「聞いての通りだ。こいつは歌わない。そんで、俺もこいつに歌わせない」
「おい、そりゃ……」
話が違う、とスバルの言葉にヒゲ面が驚きを
「小間使いさん、どうして……?」
「お前が歌いたくないんなら歌わなきゃいい。俺もそう思っただけだよ」
男たちの視線からリリアナを
「こいつの歌は道具じゃない。一度聞けば、あんたらにもそれがわかるさ」
「お前、ふざけるのもいい加減に……」
「こいつが歌いたくない場面なら、俺だって歌わせたくなんかねぇ! 悔しいけどな、こいつの歌はすげぇんだよ! 聞けば誰だってそれがわかる。俺はそれを無駄撃ちさせるような
視線を厳しくする男たちの前で、スバルはリリアナを庇って
スバルの啖呵にヒゲ面が
「小間使いさん……っ」
リリアナが男たちの凶相に声を震わせ、スバルを呼んだ。
その声に込められたものは、どこか謝罪にも近い響きを含むもので──、
「野郎ども、こいつに思い知らせて、無理やりにでも小娘を歌わせて……」
「だから、こうしよう!」
「あぁ?」
臨戦態勢のまま、前のめりになる白装束がスバルの大声に切っ掛けを崩される。
つんのめる男が顔を上げる正面、スバルは彼に顔を近づけて言った。
「──財宝は、『ミーティア』の封印は無視して根こそぎいただこう」
16
ようは簡単な発想の転換だ。
財宝が隠されているのは岩山の中の
「それなら、横穴を掘って道を
「そんな
腕を組んで
額に汗を浮かべ、
「なんで、こんな簡単なことに頭が回らねえんだかな」
「何事も
「それも
スバルの自慢にならない自慢に苦笑し、ヒゲ面は背筋を伸ばすと作業に戻る。白装束たちは代わる代わる、持ち寄った道具を使って横穴を掘り進めているところだ。
目指す財宝が目の前とあって、彼らのモチベーションは非常に高い。それほど遠くないうちに、『ミーティア』を迂回する横穴は完成するだろう。
「そうなりゃ晴れてお役御免。完全に巻き添え食らっただけってことになるな」
「……あの、小間使いさん」
岩肌に座って後日談モードのスバルに、おずおずとリリアナが声をかけてくる。
すでにスバルもリリアナも、両手両足の拘束を外されて自由の身だ。この場を離れようと思えば離れられるのだが、財宝を見届けずに出るのもなんなので付き合っている。
それに彼らの所業は、無事に解放されたとて無罪放免とは言えない。
「どしたよ。しおらしいなんてそれこそらしくねぇ。ちょうど
「はい……それじゃ、失礼して……ひゃぐっ!? 痛っ! 痛い! 石! 石尖って! せ、先端がお尻に! お尻にぃ……っ」
「俺ちゃんと前もって言ってたからな!? 俺のせいじゃないからな!?」
お尻を押さえてのたうち回るリリアナに、スバルは必死に自分を弁護。しばらくして涙目のリリアナは尖っていない岩に座ると、じろりと涙目でスバルを
「痛いですよぅ。責任とって、お金たくさんください」
「何の責任だよ。それに、いずれなくなる形あるものに本物は宿らないんじゃねぇの?」
「今を生きるのにもお金は大事です。夢だけ見てて、お
「お前、さっきまでの高潔なイメージどこに捨てたの? 拾ってきた方がいいよ?」
俗物まっしぐらな発言でスバルを
「小間使いさん。あの、さっきはなんで……私を
「俺が男の子で、お前が女の子だからだろ? あの場でお前を盾にして、その後ろで小さくなってピーピー
「そ、そじゃなくてですよぅ。前に出てくれたことも、もちろんそうですけど……歌わなかったこと、どうして許してくれたのかって」
ぼそぼそと、
リリアナの不安の表れか、かろうじて聞こえた声にスバルは「んー」と
「どうしても何も、
「…………」
「代替手段がなけりゃ、やっぱりお前に歌わせてたかもしんない。何がどうあってもお前の味方してやる、ってほど俺は強くねぇし、そこまでお前と
ぶっきらぼうに答えて、スバルはツルハシを振るう男たちの方を見る。スバルの視線につられたリリアナが、「どっちも」と口の中だけで
「あの連中、色々と強引だし、もちろん悪党ではあるんだけど……切羽詰まってる風だったんだ。何か目的があって、それに金が必要なんだろ。私利私欲には見えなかったな」
ヒゲ面の男の語り口と、
彼らの心を追い詰めるような何かがあり、それを打倒するために財宝が必要なのだ。
ツルハシが岩を
そのまま、あとは男たちの歓声が上がるのを待つだけ──そんなときだ。
「黙って聞いていれば、ずいぶんと余裕があることで
聞き慣れた声と呼び名が聞こえて、スバルは肩を跳ねさせて振り返った。
視線の先、
彼女は驚きに目を丸くするスバルたちを見て、
「ドジを踏んだわね、バルス。レムが必死でそれを知らせてきたから、ラムがわざわざこうして足を運ぶ羽目になったわ。ロズワール様のご指示を中断してまでね」
「そりゃ本当にごめんだけど……どうしてお前がここに?」
「そこの歌い手が世話になっていた富豪を調べていたのよ。途中、レムから急報が入ったから調査を切り上げたけど、白装束が『白竜の
スバルたちの
「例の富豪、数日前に病気で死んだわ。生前は方々で恨みを買っていたようで、屋敷や財産はあちこちに没収された後。『白竜の
「それで死ぬ前に奪われまいと隠した財宝も、今まさに昔に裏切った仲間に回収されるのが目前ってわけだ。因果応報って感じだな」
ラムの報告と現状を
それを聞いたラムも同じ結論に達したらしく、作業する男たちを見ながら、
「
「まぁ、待てって。それは当然なんだけど、その前に言い分を聞いてから……」
「それに、ラムが確認しなきゃならないのはバルスたちの無事だけではないから」
「故人の屋敷から回収されていない財産が二つ。まず一つが、故人がわざわざ大金を積んで取り寄せた『ミーティア』。扉だか壁だかの形をしたものらしいわ」
「それならそこにある。開かないからシカトしたとこだ」
「まあいいわ。そしてもう一つ──これも生前に故人が取り寄せたもので、こっちは見つからないとずっと
「厄介?」
スバルの言葉にラムが
その
「────ッ!」
洞窟を揺るがすような
息を
その視界に、黒い体毛がびっしりと生えた太い腕が岩肌を削るのが映る。
「厄介なもう一つがあると言ったわね」
隣で、いつも通りの無感情な顔つきのまま、
「故人が裏市場から取り寄せた、魔獣『
大型トラックの排気音のような咆哮。ラウーダの
魔獣ラウーダの姿は、『剛猿』の名が示すように猿のシルエットに近い。ただ、その
ラウーダ的に優しく
「下がれ下がれ下がれ下がれ!!」
状況を把握し、ヒゲ面が即時の撤退を指示。
「でも、つっかえないぐらい広い場所まで出てこられたらやべぇぞ!」
「自分の死後も財産を守り続けるための金庫番というわけね。仲間を裏切った金庫番が、『ミーティア』や魔獣まで使って財産を守ろうなんて……くだらないわ」
「言ってる場合か! とっとと逃げるぞ!」
つまらない顔で吐き捨てるラムの腕を引き、スバルは逃げてくる白装束たちの先頭に立って逃げ出そうとする。が、走り出す直前に気付いた。
「──!? リリアナどこいった!?」
ついさっきまで、すぐ
まさか、誰よりも先に
「あのバカ! なんであんなとこに!」
洞窟の中を見回して、リリアナを見つけたスバルは頭を抱える。
「ラム! フォローミー!」
それに気付いた瞬間、スバルは
正しい意味では間違った英語を投げつけて、スバルはリリアナのいる荷車へ飛び込む。眼前では身をよじるラウーダが、今にも通路から巨体を引き抜きそうな状況だ。
その一刻を争う状況下で、リリアナは何にかまけているというのか──、
「リリアナてめぇ馬鹿野郎! 死にたいのか!? 早くこっから逃げ……」
「リュリーレがないんです! アレがないと、私は……っ」
「新しく新調したやつなんだろ? 助かったら俺がロズワールに掛け合ってやるから、今はとにかくここから離れるのが最優先だ!」
「中身じゃない、ケースです! あのケースは、お母さんから受け継いだもので!」
悲痛なリリアナの叫びに、スバルは舌打ちを
しかし、あたりをひっくり返しているリリアナにも、目を皿のようにするスバルにも見慣れたリュリーレのケースは見つからない。二人が捕まったとき、所持していたリュリーレが一緒に荷台に運び込まれていたのは間違いない。
「お前ら! そこで何やってる!」
そこへ、逃げてきたヒゲ面が二人に気付いて声を上げる。そのヒゲ面に振り返り、スバルは焦り顔の彼に向ってリリアナを指差しながら、
「こいつの楽器は!? ケースに入って、一緒に持ち込んだはずだろ!?」
「楽器……? あ、ああ! それなら!」
ヒゲ面が顔を
リリアナが根負けして歌うときに備えて、リュリーレは『ミーティア』の前に運び込まれていたのだ。そしてそれは、今もその場所に取り残されている。
「最悪だ、クソ! リリアナ、下がれ! リュリーレは俺が取りにいく!」
「なっ! ま、待ってください、小間使いさん! あれは私の、だから……!」
「聞け馬鹿! 俺がやる! お前は下がれ! あと、俺の名前はナツキ・スバルだ!」
いつまでも小間使いなどと呼ばれていてはたまらない。
スバルは抵抗するリリアナを担ぎ上げ、駆け寄ってきていたヒゲ面に投げつける。
目的の通路のすぐ横で、半身を抜いたラウーダが
「俺って
意地を張り、格好をつけたことを後悔する。そもそも、この場にはスバルが格好をつけて見せたい肝心の少女がきていない。なのに、またしても命懸けだ。
接近するスバルを
「──あった!」
目的のリュリーレは、飛び込むスバルのすぐ目の前にあった。
あちこち
ケースを拾い上げ、すぐさま脱出するために勢いよく振り返る。
「────ッ」
とっさに腰が抜けて
突っ込んでくる腕が頭上を抜けて、背後の『ミーティア』へとぶち当たる。勢いそのままに衝撃を跳ね返され、ラウーダが激痛に絶叫するのが響き渡った。
「ぶあッ!?」
そのまま巨体を回避できると踏んだ瞬間、顔面が横合いから長い
横転し、岩肌に体を打ちつけて痛みに
「こんなもん、命と引き換えになるわけじゃねぇってのに……」
何が悲しくて、他人の思い出を守るためにこんな必死になっているのか。
悪態を
「エル・フーラ!」
正面、再びスバルを殴り飛ばそうとした尻尾が、根本から風の刃に切断された。
どす黒い血をまき散らし、蛇のように跳ね回る尾を横目にスバルは走る。今の魔法はラムのフォローか。
あとはスバルがそこに駆け込めば、この場のクリア条件は満たせるはずなのに。
「本当に、うぜぇ!」
尻尾を切断されて、怒りに燃えるラウーダがスバルの前に立ちはだかる。
狭い通路を
ラムの魔法の援護があっても、スバル
リュリーレのケースを強く抱いて、スバルは切り札の魔法を使うか思考を走らせる。
シャマクで魔獣を
身を切る作戦を伝えるために、スバルは洞窟の入口に立つラムの方へ顔を向けた。ちょうどスバルと目が合った少女は、『青い髪』を揺らしてその腕を振りかぶり、
「──あ?」
遠心力の乗った
頭部の半分を
「──ごめんね」
その魔獣の最後の声に、
青白い輝きが洞窟の中を照らし、スバルは銀髪の少女が伸ばした両手を
「おやすみ、お猿さん。──静かな、良い旅を」
中性的な声で猫が別れを告げると、青白い光はいくつもの
全身を氷の
「────」
数秒、沈黙が
目の前で起きた出来事の現実感がなく、スバルは凍りついた魔獣の
ラウーダは氷の中で絶命し、スバルの命は救われた。
「スバル!」
何が起きたのか、
声に顔を向けた先、スバルに手を振るのは見慣れた美少女、エミリアだ。彼女は
「スバルくん! ご無事ですか、大丈夫ですか、すぐに手当てしますから!」
そして、足場の悪い洞窟を飛ぶように駆け寄ってくるのは、短いスカートの
どうやら、絶妙なタイミングでエミリアとレムの二人が助けにきてくれたらしい。
「なんてまた、ご都合主義的な……」
だが、今回はそのご都合主義に救われた。
スバルは痛む体を引きずり、駆けてくるレムの方へと自分から歩み寄る。
──直後、足下と天井、壁の至るところに
音を立てて亀裂が広がり、
「全員、今すぐ外に逃げろ──!」
数十秒後、財宝の
17
「スバルたちがいなくなって大弱りだったんだけど、さらわれたリリアナの居場所ならわかるって、あの人が豪語してくれたの」
苦笑するエミリアが指差したのは、くるくるとその場で回る一人の青年だ。
どこからか取り出した花束をリリアナへ差し出し、その場に
「この愛の
「でもあなた、洞窟の中まではきてませんでしたよね?」
「むぐ! そ、それは……あのお嬢さん方に外で縛られていたが
リリアナの白い目を浴びながら、すごすごと言い訳をしているキリタカ。
まさか、彼の存在がこの騒動の解決に一役買うことになろうとは。
「あの方がリリアナ様に贈った髪飾りは、二つで一つの『ミーティア』だそうです。一つずつ持つと、互いが離れていてもどこにいるのかわかるという性能らしくて」
「つまり発信機ってことだろ。ストーカー
救われた要員が粘着質な恋心とは、ゾッとしない話である。
スバルたちがさらわれた直後、エミリアたちは即座に捜索を開始した。が、手探りの状況を打破したのが、キリタカの助力と調査に
キリタカの『ミーティア』と、先んじて状況を把握していたラムとの連携。隠れ家に到着した二人が洞窟に到着した直後、あの絶体絶命の場面に遭遇したというわけだ。
「ロズワール様は、今回のことで放免してもいいだろうと
「まぁ、
すり寄ってくるレムは、先ほどからスバルの体の治療を行ってくれている。が、やたら近いのと柔らかいのとで、スバルの方はなかなか治療に集中できない。
「でも、問題なのはあの人たちの方よね」
露骨に触れ合おうとするレムにスバルが苦笑する横で、エミリアは崩落した洞窟の方へと目を向けている。そこには打ちひしがれる白装束たちの姿があった。
洞窟は完全に土砂に埋め尽くされていて、中の財宝を運び出すことは不可能だ。崩れた原因はラウーダにあり、『ミーティア』を解除していても結果は同じだったろう。
むしろ、スバルたちがいなければ『白竜の
「けど、事情が事情だからな。……命が助かっただけ御の字、とは言いづれぇ」
『白竜の鱗』が財宝を欲した経緯は、ヒゲ面の男から
彼らが大金を必要としていたのは、『白竜の鱗』の構成員の生まれ故郷の土地で起きた風土病と、その原因となった土壌汚染を改善するためだった。
数年前に発生した風土病は、病魔に侵された体が徐々に石のようになり、やがて本当の石になってしまう奇病の
「病魔を振りまく、黒蛇の
エミリアの悔しげな
魔獣を発端とする風土病は、汚染された土地を洗浄する以外に改善の方法はない。そのためには大量の無色の
だがその資金も一人の裏切りによって奪われ、最後の希望も今は岩の下敷きだ。
故郷には男たちの家族が残されている。まだ若い男が抱いていた
しかし、
「では、こうしましょう。『白竜の鱗』の皆さんはこの僕が
「は──!?」
同じようにエミリアやレム、当の『白竜の鱗』の
そして、その
「幸い、僕の実家であるミューズ商会の主力商品は魔鉱石。無色の魔鉱石はなかなかお値段も張りますが、数を
「おま、おま、お前……どんだけいいとこ持ってくつもりなの?」
「
情けは人の
当たり前のように人助けを口にするキリタカが、今は救世主のように見える。最初は恋に盲目な大馬鹿野郎にしか見えなかったのに。いや、今も馬鹿は馬鹿なのだが。
ただ、キリタカの言葉で気にかかったこともある。
「お前から頼んだのかよ、リリアナ」
「……はい。あの方々の事情も聞かずに、お話を突っぱねたのは私ですから」
目を伏せて、リリアナはリュリーレのケースを抱きながら小声で答える。
荷台で、
しかし、それで心が
「小間づ……気付いたんですよ。私は
「誇りを曲げなかったこと、後悔してんのか?」
「誇り以外のものの大切さに気付かなかったことを、後悔しています」
スバルの問いかけに、リリアナは顔を上げた。その顔は、
彼女は腕の中のリュリーレをスバルに見せつけ、ケースを
「リュリーレ、拾ってきていただいてありがとうございました」
「おう、恩に着ろよ」
「もちです。何か、お礼ができればと思うんですけど……」
彼女の大切なものを、命懸けで守ったことへの対価だ。要求もそれに準じるべきだ。
だから、スバルは決めた。
「歌え、リリアナ」
「へ……?」
「疲れたし、死ぬかと思ったけど全員生きてるし、大体問題も片付きそうだ。ってことは大団円でエンドロールがいる。エンドロールには、歌がつきものだろ」
「
「黙れ!」
言外におかしな発言をしたと指摘されているが、そんな自覚は当たり前にある。
命懸けの対価に求めるのが、歌を歌うことなのだ。
馬鹿げているし、実際馬鹿だろう。ただ、馬鹿なのがいい。
「では一曲、歌います。──朝焼けを追い越す空」
リュリーレの
連なる高い音。
「────」
声が、高く高く空へ伸びる。
夜を押しのけて、新しく騒々しい朝がやってくる。それを
気付けば、スバルは込み上げるものを
エミリアも、レムも、
歌を『ミーティア』をこじ開けるための道具と、そう割り切っていた『白竜の
ざまあ見ろ。彼らにもスバルの言葉の意味が通じたことだろう。
「────」
馬鹿げているぐらい偶然だらけの話の、馬鹿げた
この心を
──そんなもの、誰に聞く必要もないのだから。
18
「本当に、連中と一緒にキリタカのところに行くのか?」
「はい、そです。『白竜の鱗』の皆さんの借金は、私とも無関係じゃないですし。……せめて、あの方々の借金が払い終わる
一連の騒動の終結から二日後、荷造りを終えたリリアナは
引き止める話は何度も出たが、リリアナは頑として説得に首を縦に振らなかった。
キリタカに『白竜の鱗』を
「まぁ、キリタカの
「そのつもりですよぅ。飢えた獣の
手を
そうして接されるたびに、小鼻を
「私はすごーく残念。だからリリアナ、またいつでもきてね」
「はい。エミリア様や皆様にも大変お世話になりました。またお目にかかる機会には、ぜひ新しい歌を。私も、新しい焼き菓子など楽しみにしてます。ぐひひ……」
「お前、あと十分ぐらいヒロイン力もたないの?」
今は屋敷の前に、リリアナとの別れを惜しむ
リリアナが滞在したのはほんの数日だったが、騒がしくも濃密な日々だった。
明日から彼女の歌声が聞こえないと思うと、それはそれは寂しいと思える程度には。
「それにしても、ロズワールの
たまにはロズワールの思惑が外れても小気味よいものだが、リリアナの口からエミリアを
と、残念がるスバルを、リリアナが「ちょちょっと」と手
「どうした? ベア子がお前に最後に何か言いたくて、でも言い出せなくてもじもじしてるぞ。助け舟出してやれよ」
「それはもちろんしますけど、ちょっとだけお話があるんですよぅ」
もじもじベアトリスは後回しに、リリアナが背伸びしてスバルの耳に唇を寄せる。
「実は、辺境伯様から直々にお話を聞いてます。エミリア様がこれから、王選という大きな舞台に挑まれるとか。私、そのために囲われてたんですよねっ」
「お、おお……知ってやがったのか。まぁ、そうなんだよ。ってことは?」
抜け目ないロズワールの手回しに、リリアナは平たい胸を
「いぃえぇ! もちろん引き受けさせていただきます。エミリア様の心根の美しさ、気高さは言うまでもなく。何より、あの大精霊様の姿を見て歌わずにいられましょうか!」
「あの猫精霊が決め手になんの? 昼寝してるとことかただの猫だよ?」
微妙に決め手に納得がいかないが、リリアナが引き受けてくれるなら何よりだ。
またいずれの機会に、彼女が
「んじゃ、そのときまでしばしのお別れってとこだな」
「そうなりますね。楽しみにしていてください。最高の歌を、お聞かせしますっ」
リュリーレのケースを叩き、リリアナは自信満々の顔で請け負ってみせる。
彼女がそれだけ
「それと……」
そこで
そして、リリアナはわずかな
「いずれ、あなたの英雄譚も私に歌わせてください。──ナツキ・スバル様」
「────」
「初めにお聞きしたとき、笑って聞き流したことをお許しください。レムさんの言うことは正しかった。あなたは、いずれ英雄になられるお方です」
息を
「スバル、どうしたの? なんだかすごーく赤い顔してる」
ふと、隣にやってきたエミリアがスバルの顔を
「んがー!」
「ふふ、変なの」
並び、笑みを交わし合う二人──それはいずれ、『歌姫』リリアナに歌われる二人。
──まだ今日このときには、ただのナツキ・スバルとエミリアの二人だった。
《了》
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