エピローグ 日常 表

 まるで流行のアニメを見た翌日の小学生のように、まさおみの顔は純粋な笑顔に満ちていた。

「あのな帝人みかど、ネットで見たんだが……昨日ダラーズの集会があったんだってよ! それがさ、何とサイモンとしずもダラーズの一味だったらしい! しかも、あの黒バイクが何か首が無くて壁を走って大がまを出してなんつーかブワァーって感じですごかったらしいぞ!」

「ちっともわからないよ」

 あんな事があった直後ではあるが、学校が消えてなくなるわけもない。校舎の時計は何事も無かったかのように時を刻み、何のへんてつも無い通常授業の一日が過ぎていく。


 その日──昼休みに入ったところで、帝人は第一校舎の屋上に向かった。ほとんどの人間は私立大学のそれと見まごう程の学食設備に移動するか、あるいは繁華街まで出て昼食を取る時間だが──物好きな何人かの生徒は、手製の弁当などを持ってこの屋上に向かう。

 街で見るのと何も変わらない空を見上げながら、帝人はそれが故郷とも同じ空だという、当たり前の事に気付く。不思議なもので、あれだけの非日常を体験した後だというのに──彼の心の中には不思議なあんかんが訪れていた。まるで、長い間楽しみにしていた遠足の翌日のように。


 事件の翌日、帝人みかどねむい目をこすりながら学校に来てみると──何事も無かったかのように、ぎりせいが席についていた。授業中は帝人の方を見ようともしていなかったが、最初の休み時間にこちらに向かってきて、「悪かったな──色々と」とだけ告げて、とっとと席に戻ってしまった。

 更に驚くべきことに、はりも普通に出席していた。あんわずかに印象の変わった顔を見て驚いていたようだが、生徒のほとんどは彼女を見るのは今日が始めてであり、首の包帯を除けば特に気にするところも無かったようだ。

 隣の席に座った美香は、帝人に一言だけ「ありがとね」と告げ──休み時間は誠二のもとにべったりとくっついている。

「くそう、あの子が誠二の彼女だったのか! 何てこった! あれなら確かに愛に生きても不思議じゃねえッ!」

 二人の様子を見かけたまさおみが叫んだが、二人の事情を知っている帝人は、苦笑いを浮かべながら「そうだね」と言ってうなずいた。

 ただ──それを契機に、美香は杏里とは一緒に行動しなくなったようだ。休み時間になるたびに、教室の隅に一人でぽつんと座っている。帝人はそんな彼女の様子を複雑な思いで見守っていた。

 彼女にとってこれが良かったのかどうか──それは彼女自身にしかわからないのだろう。

 ──だが──本当にそうか? 自分にはどうやっても解らないのか? 結局、人は人の心など解らないのだろうか。

『進化し続けるしかない』

 いざの言葉が頭に響く。

 ──おもしろい、進化してやろうじゃないか。この日常の中で、自分に与えられた世界の中でどれだけ進化できるのか──いつかあの男に見せ付けてやる。

 自分が見ていたのは上だったのか下だったのか──今となってはどちらか解らない。いや、今でもそれを見続けている事は確かだ。ただ、少しだけ自分の前と、後ろを振り向くゆうができただけだ。

 帝人は教室の窓から見える60階建てのビルをあおぎながら、今の自分の気持ちを省みる。

 完全な非日常を体験した後に残っているのは、充実感と虚無感を合わせた奇妙な感覚だけだ。

 ──今なら、きっと素直に現実を見られる。受け入れられる。

 自分に素直になろうと考えた時に、彼はまず自分が何をすべきかを思いついた。



 そして、彼は屋上に居た。聞いた話では、彼女は毎日ここで昼食を取っているらしい。

 あれだけだいたんな事をやった後、自分には何でもできると思っていた。どんな事でも怖くないと思っていた。

 それがまさか、こんなことでつまづく事になろうとは。

 ネット上では、誰にでも簡単に声をかけられるのに──

 彼はじんも予測していなかった。日常の中で望みをかなえるのが、こんなに難しい事だとは。

 ──同じクラスのじよを遊びに誘う事が、これほど勇気のいる事だとは───


 少年があんを見つけるまで、あと30秒

 少年が杏里を先にいているまさおみを見つけるまで、あと35秒

 少年が正臣をり飛ばすまで、あと45秒

 少年が正臣にローリングソバットを喰らうまで、あと50秒

 少年が杏里を喫茶店に誘うまで、あと73秒

 少年が杏里にお茶を断られるまで、あと74秒

 少年が杏里に屋上での昼食を誘われるまで、あと78秒


 少年が杏里に恋をするまで、あと────

 少年が杏里に告白するまで、あと────




チャットルーム


 一日が終わり、帝人みかどは静かにパソコンの電源を入れた。夕べの騒ぎがネット上でどう扱われているか気になったが、特に大きな広がりは見られない。デュラハンの事に関しては、何人かが書き込んでいるがあまり相手にされていないようだ。

 ──まあ、当然かな。

 帝人は苦笑しながら、ほぼ毎日参加しているチャットルームをのぞいてみる。いざかんの名で参加し、帝人達を誘い込んだチャットだ。現在参加しているのはセットンというHNの友人が一人だけだ。

 ──この人も甘楽さん──おりはらいざに誘われて来たって言ってたけど、やっぱり何か裏のある人なのかな……。


 ────なかろうさんが入室されました────

【こんばんわ】

[ばんわー。ちょっとたいしてました]

【どうもです、今日はねむいんで早めに退散させてもらいます】

[あー、寝不足? てつでもしました?]

【ええ、ちょっと】

かんさんはまだみたいですね]

【甘楽さんは……来るんですかね】

[あ、すんません、何か急用が入ってしまったみたいです]

【あれ、そうでしたか】

[すいません、お先に失礼します]

【はいはい、お疲れ様です】

 ────セットンさんが退室されました────


「悪いね、お楽しみのところ」

 セルティの背後で、白衣の男が申し訳なさそうに笑う。

『問題ないよ』

 軽い調子でキーボードに文字を打ち込むと、セルティは勢いよくから立ち上がった。

「そいつは結構、今日の仕事は結構ヤバめらしいから気を付けてよ。内容は……」

 仕事の依頼を受けると、セルティは音も無く部屋を後にする。

 そして今日も──セルティの一日が始まった。

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