7章 矢霧製薬 下っ端の下っ端の下っ端

 はん過ぎのいけぶくろ。歓楽街からわずかに外れた路上で、一台のバンが停車している。後部の窓はすべてミラーガラスになっており、外からでは中に人がいるのかどうかもわからない。

 そんな突発的に生じたミステリーゾーンで、何かをなぐるような音と、若い男のあわれな悲鳴が響き渡った。


「知らないって言ってるじゃないっすかぁー。ちょッ……いい加減にしてくださいよ!」

 顔をらしたチンピラが、使い慣れない敬語で苦情をらす。

 彼は24時間程前にセルティを車でねたチンピラであり、その後かまでしこたまなぐられた男でもある。気が付けば自分は見知らぬバンの後ろ側に転がされていた。両手足をしばり上げられており、身動きがほどんどできない状態だった。後部には座席が存在せずに、灰色のじゆうたんの床が広がっている。自分の目の前には男が一人いて、目が覚めた瞬間からこちらに向かって一つの質問を続けている。

「だからよ、お前らの上にいるのはだーれーだーっつってるわけよ」

 三秒黙っているとなぐられる。知らぬと答えても殴られる。

 しばらく間を置いて、また同じ事の繰り返し。そんな事がもう三時間も続いていた。

 チンピラは殴られながらも、自分がおかれている事態を冷静に分析する。

 ──目の前にいるのが何者なのかはわからないが、とりあえずあの『影』はいないようだ。そもそも、あの『影』とこいつらに何か関係があるのかどうかという事さえも解らない。

 車の中にいるのは眼前の大柄な男と、運転席でガムをんでいるぼうの男ぐらいだ。車の中には中ぐらいの音量でクラシックのBGMが流れており、少々のわめき声ならば外から怪しまれる事は無いだろう。

 ──もしもあの『影』がいたらやばかった。パニックに陥って全部話してしまっていたかもしれない。だが、目の前にいるのは人間だ。少なくとも昨日のようなばけものではないのだ。むしろ目の前にいるこんなやつらより、『上』に始末される事の方が何倍も恐ろしい。けいさつに捕まらなかったのはラッキーだった。こいつらが何者かは知らないが、少なくとも自分の雇い主さえ話さなければOKだ。なあに、このパンチにさえ耐え続ければ、こいつらもおれが何も知らないと判断してくれるだろう。まさかこいつらもここで俺を殺すなんて無茶はしねえだろうし──

 チンピラがそんな事を考えていると、眼前の男がためいきをつきながら言った。

「いいからけよ、あのな、あんたらと同じで、おれ達にも俺達の『上』がいるんだよ。どんなんかは言わなくても解るだろ? その人達が気にしてるんだよ。お前らのやってる仕事が、俺らの『上』の人達になんの連絡もねえってよ」

 ──やはりこいつのバックには暴力団か何かがいるようだ。ちくしよう、最近仕事をやった場所は、一応このシマのくみ連中と話がついてるんじゃなかったのかよ!?

「だがよ、この状況で名前ださねえって事は、ヤクザじゃないよな。それだったら、あんたはとっととケツモチのヤクザに連絡とって、あとはだん──俺らとは別の次元の話し合いで終わる。そうしないって事は、あんたらのバックはそういうたぐいじゃないって事か?」

 男はチンピラのあごを持ち上げながら、悪戯いたずらをした子供に言い聞かせるように言葉をつむぐ。眼前のチンピラに、ケツモチと呼ばれる暴力団等の後ろだてがあるならば、勝手に処分してしまうわけにもいかない。だが、その名前を出さないという事は、責任を取らされるのを恐れているのか──あるいはバックにいるのが暴力団や外資系マフィアの類ではないという事になる。

「あのよ、俺は親切で言ってやってるんだぞ? お前さ、悪いこと言わねえから今の内に──」

 そこまで言ったところで、バンの横の扉が勢い良く開かれた。

「いやいやいや、今日は熱いっすねぇ」

「おーまーたせーっと! どう? しまさん、そいつ吐いた?」

 何の断りも無く、後部スペースに一組の男女が入り込んで来た。女の方はブランド物のファッションに身を包んでおり、男の方もかなり良いナリをしているが、なぜか背中にリュックをっている。

 その二人の姿を確認すると、しまと呼ばれた男は悲しそうにためいきをついた。

「タイムオーバーだ。残念賞。こいつが可哀かわいそうだけどよ、後はさき達に任せるわ」

 最後にチンピラの方を哀れみのもった目で見ながら、嶋田はバンから降りていった。

 後に残った男女は嶋田を見送った後に扉を閉め、楽しそうにチンピラの方を向き直った。

「あーあー、貴方あなたもバカな事したもんねえ。よりによってカズターノ君をさらうなんてさ」

 女の方が首を振りながらチンピラの肩をたたく。

 ──カズターノ? 誰だ? どっかで聞いた事が──

 少し考えて、チンピラは思い出した。確か昨日攫った不法入国者のオッサンだ。

 ──そうか、こいつらはあいつの仲間──って、ちょっと待て、どうみてもこいつら日本人じゃねえか。なんで? どういうつながりだ? 茶飲み友達ってわけじゃねえだろう?

 混乱しているチンピラの前で、目つきの鋭い男がリュックを下ろしてチャックを開く。

「いやいやいや、まだ吐いてないって事で──すんませんね。ちょっとごうもんしやすよっと」

 そう言いながら、男は数冊の文庫本を取り出した。

「いやいや、電撃11周年記念。君に電撃。ってことで、まあ、一冊選んで下さいよ。その本の内容にちなんだ拷問しますんで。いつもならスパロボアニメから選ばせるんだけどさ、今日は電撃文庫をたくさん買ってきたから、ハハハ」

「へ?」

 相手の意図というよりも単語の意味がわからず、思わずマヌケな声を上げてしまう。

 目の前に並べられているのは、様々なイラストに彩られた小説の数々だった。もっともチンピラは漫画以外の本を一切読まないため、これらの本も漫画なのだろうとかん違いしていたが。

 ──なんだそりゃ? 拷問? 笑わせるなよ。本を選べってなんだよそれ、バカにしてんのか? くそ、遠足のバスの罰ゲームじゃねえんだぞ!

「いやいやいや、選ばないとコロします」

 男の目はニコニコと笑っているが、その目にうそは見られない。それを裏付けるかのように、彼の手にはの間にか銀色のかなづちが握られていたからだ。

 それに気付いたチンピラは、とりあえず被害の少なそうな本を選ぼうと必死になる。

 ──畜生! なんだって俺がこんな目に! ガっさんとかはどうなっちまったんだよ! くそ、とにかく選ばねえと……とりあえずこの『ぼくさつ天使ドクロちゃん』とかいうのはやめとこう、表紙にゃ女の絵が描いてあるが、題名からして何をされるか丸解りだしな。……この『ダブルブリッド』……ブイ? ……ってのはどうだ? いやまて、絵でこの子供の頭にほうたいが巻かれてるじゃねえか。やっぱり撲殺されるのか!? くそ、どれが一番マシなんだよ………

「私のおすすめはその『いぬかみっ!』ってやつね!」

 女の方がそう叫ぶと、男の方もそれに同意した。

「あー、いいすね、だいじゃえん? しゅくち?」

「しゅくちは昼間の方がいいよ。あー、やっぱドクロちゃんもいいかな?」

「いやいやいや、エスカリボルグの準備が面倒で……」

 ──??? なんだ? どっかのチーム名か!?

 チンピラには二人が何を言っているのかわからない。さっきからブツブツと、眼前の男女の前ではなぞの単語が飛び交っている。話についていけないのは彼だけではなく、殺し屋のように鋭い目つきをした運転席の男も、うんざりとした表情でガムをみ続けていたのだが──

「おい、さきかりさわもよぉ。おれは学がねえから本なんざ読まねえ。だからよ、お前らの言ってる事はさっぱりわからねえが、一個言っとくぞ」

 不意に何かを思い出したように、それまで黙っていた運転席の男が声を上げた。

「お前らの自己満足は別にいいけどよ、こないだみたいに車ん中でガソリン使うなよ」

「えー、ぐささんのケチー」

 それを聞いて、男はシブシブと何冊かの本をチンピラの前から片付けた。

 ──ガソ……ッ!?

 自分の想像が甘かったという事を思い知らされながら、チンピラはいよいよ決断ができなくなっていた。目の前に残った本の内で、一体どれが一番自分の被害が少ないごうもんがくるのかが全く解らない。考えてみれば、本の内容がどうであろうとも目の前のやつらは何かのこじつけをするに違いない。

「ひ……ひとつ聞いていいですか」

「んー? なあに? どんな拷問か教えてってのは無しね。ネタバレは厳禁厳禁」

「も……もしここにシンデレラの絵本があったとして、俺がそれを選んだらどんな事をする?」

 その問いを聞くと、男はしばらく考えた後に、ポンと手を打ってこう答えた。

「まあ、ガラスの靴に合うようになるまで足をヤスリでけずるって事で」

 ──ほらみろ。どれ選んだって同じなんだちくしようめ!

 チンピラは半ばヤケになって、目をつむって本を一冊つかみとった。英語のタイトルの横に、日本語のサブタイトルが書かれているせんさいなイラストの本だった。

「はい、決定ーッ!」

「いやいやいや、勇気あるなあ、それを選ぶなんてッ!」

 そこから先は、二人の男女は異常に手際の良いさまを見せた。女がハンドバッグから手鏡を取り出して男に渡す。すると男は即座に手鏡をかなづちたたき割り、粉々になった鏡の破片を何枚かてのひらに取った。

「いやいやいや、何枚入れれば俺達に見えないモノが見えちゃうかなっと。大実験開始」

 一方、女はしばられているチンピラの頭を手で押さえ、左目のまぶたを無理矢理大きく開かせる。

 その時点で、チンピラは自分がこれから何をされるのか簡単に予測がついた。

「ちょッ! ま、待て! 洒落しやれに、洒落にならねえだろオイ! 待て! までぇぇッ!」

「良い子はマネするなよー、っていうか、しないよねえ、普通はこんな事」

 だんだん真剣な表情になるさきに、軽い調子でかりさわが受け答える。

「漫画に影響されて殺人しちゃいましたってやつ?」

「いやいやいや、チンピラさんにさー、誤解が無いように言っとくけど、漫画や小説は何も悪く無いよー。漫画や小説は黙して語らず、罪はいつでも沈黙する者に。しばられぞうって奴?」

 二人が微妙な会話を続ける間にも、チンピラは一人でめてくれと泣きながらわめいている。男はその叫び声を無視しながら、鏡のガラス片をゆっくりと、しかしちゆうちよ無くチンピラの眼球に近づけていく。

「漫画も小説も映画もゲームも親も学校もほっとんど関係無い。強いて言えば、俺達が狂ってるだけ。漫画も小説も無かったら時代劇ネタでやるし、それも無かったら多分なつそうせきの本とか、文部省すいせんのもんでやっちゃうよー。そしたらどうするのかねえ、政治家の皆さんはっと」

「やめろぉぉおぁおぁぁあっぁあああッ!」

「そもそも、漫画の影響受けてやりましたとか抜かす奴は、最初からマニアじゃないよね」

 あとわずかで眼球にガラス片の鋭角がみ込もうというところで、チンピラにとっての救いの神が現れた。

「おい、止めとけ」

 突然バンのリアパネルが開いたかと思うと、ぶとい男の声が車内に飛び込んできた。

「ドタチン!」

「か、かどさん」

 男女がそれぞれ目を見開いて姿勢を正す。どうやら二人にとって格上の人間が現れたようだ。門田と呼ばれたその男は、チンピラをジロリとにらみつけ、続いて男女の方に目をやった。

ごうもんになってねえだろ。それと、本を血でけがすな鹿ろう

「す、すんません」

 それだけ言うと、門田は片手でチンピラのえりくびつかみ上げた。チンピラは全くリズムの整っていない呼吸を繰り返し、目と鼻と口から涙と鼻水とよだれの入り混じった液体を流している。何とか落ち着きを取り戻し始めたチンピラに対し、門田は一言だけこう言った。

「お前の仲間なあ、ゲロったぞ」

「あぅ……え……ぇあ!?」

 最初は何を言っているのかわからなかったが、その意味を理解してチンピラの表情が目まぐるしく変わる。

 ──裏切った!? 誰が!? ガっさんが、いやまさか、じゃあ誰が、ちくしよう、どうなってる、おれ達はもうしまいじゃねえか! どうなってんだ!

「まだ半分ぐらいしかゲロってねえが、時間をかけりゃなんとかなるだろ。っつーわけで、お前はもう用無しなんだ」

 用無し、つまり開放されるという事だろうか。それならば好都合だ。どうせ始末される運命ならば、このままどこかに逃げてしまった方がいいというものだ。混乱のただなかにあるチンピラに希望が生まれかけるが、門田の言葉があっさりとそれをくつがえす。

「だからまあ、あれだ。安心して死ね」

 その瞬間、チンピラの中ですべてがけつかいした。

「待ってくれ! い、いや、待って下さいぃ! 話すッ……話しますからッ! 何でも話しますアイツラがしやべってない事も全部話しますからお願いですお願いです殺さないで下さいぃ!」



「なるほど、つまりあんたらはそんなナリでもサラリーマンなわけだ。一応」

 チンピラの話によると、彼らを雇っているのは小さな派遣会社であり、そこからの依頼で様様な仕事をこなす便利屋的な仕事を行っているそうだ。だが、正確に言えばそれすらも表向きの話であり、更に裏を探ればその派遣会社は裏ではただ一社との専属契約なのだそうだ。

 そして、その企業は──いけぶくろの近くに本社と研究棟を持つ、最近落ち目の製薬会社だった。

 チンピラの話を聞いて、門田は楽しそうに笑う。

「落ち目の企業が、人さらいをして人体実験かぁ? の国の話だよオイ」

 口ではそう言ったものの、頭の中ではチンピラのきようじゆつを疑ってはいなかった。このに及んでうそをつくとも思えないし、ぎり製薬については妙なうわさを多く聞いているからだ。

 チンピラを適当な場所で開放しろと言うと、そのままかどは車から離れようとする。

 その背中に、チンピラが弱々しい声で問いかけた。

「あぁ……あんたら、あんたら何なんだよ……一体よぉ……」

 門田は足を止めて、振り返りもせずに答えた。

「……『ダラーズ』、つってわかるか?」


 門田が完全に車から離れたところで、同じく車外にいたしまが声をかけてきた。

「あの、門田さん。ほかやついたって……噓でしょう」

「ばれたか」

 嶋田は門田にあきれたような顔を向けると、やがてあきらめたように微笑ほほえんだ。

「まあ、あのままさきとかに任せるのもいやだったんでな。おれも好きなんだよ、電撃文庫。だからああいうされると胸が痛むんだ」

「……はぁ。それにしても──初めてですよね、『ダラーズ』になってからこういう事をやったのって。まあ、俺らがカズターノの為に勝手にやってるだけなんすけど、そもそもダラーズがなけりゃカズターノとも知り合わなかったわけだし……」

 門田も嶋田も、遊馬崎やかりさわなどと同じ徒党を組んでいた集団だった。

 最初はただの仲がいい集団だったが、自分の下にか遊馬崎達のようなあやうい連中が集まってくる。自分のに原因があるのか解らないが、集まってしまったからには、彼らが暴走をしないように管理しなければ──。そんな思いだったはずが、結局ずるずると就職先もみつけてやれないまま、門田以外の全員がフリーターという状態だ。

 裏の人間に個人的な知り合いはいるものの、どこの組織のケツモチも無かった為に、大して暴れる事もしなかったのだが──ある日、集団のリーダーである門田の下に誘いが来た。内容は単純で、『ダラーズ』に加わらないかというものだった。

 何のそくばくもルールも無く、ただ『ダラーズ』と名乗るだけで良い──そんな奇妙な誘いだった。互いに得はほとんど無い話だったが、それまでいけぶくろ各地でうわさになっていた『ダラーズ』の名を語れる事は魅力的だった。門田本人はそれほど興味も無かったのだが、周りの勢いに押されて、結局その誘いを受ける事にした。

 ──この押しの弱さが原因なのかもなあ。くそ、へいじましずですら普通に働いてるってのに。

 最初は自分のメールアドレスを知る者の悪戯いたずらではないかと思ったが──試しにしようだくしたところ、翌日には自分のハンドルネームが『ダラーズ』のサイト上の隅に表示されていた。

「今回の件に関して『ダラーズ』のボスは何て言ってるんです?」

「知らん」

「へ?」

「それが──困った事にな、おれもこの組織のリーダーを見た事がねえんだよ。それぞれの小組織でたて社会が出来上がってるってのに、一番上だけが見あたらねえんだ」

 この奇妙な組織体系を作ったのが一体だれなのか、それがかどには気になって仕方が無かった。名前も顔も知らないやつの下につくのは気に食わないが、上がいない以上『誰かの下についた』という感覚は無い。

 こんなものを作ろうとする奴がいるとすれば──

 おりはらいざ

 かつてはいけぶくろに住んでいて、何度も顔を合わせた事がある。人の事をドタチン等と呼ぶ無礼な男で、おかげで今ではかりさわにまでそう呼ばれている。

 思わず彼の名前が思い浮かんだが、わざわざ現時点で存在しない『上』を想像する事はマイナスにしかならぬと気付き、門田はそれ以上は何も考えない事にした。

 結局この街で強いのはヤクザやマフィア、そしてけいさつであり──ダラーズといえども、結局はその下に収まるしかないのだから。

 どれだけいきがったところで、自分達の数も力も最終的には意味が無く、結局は移り行く街の中の幻に過ぎないのだと。

 だからこそ、幻が確かに存在したという『あかし』が欲しかった。

 しかし、門田は知っていた。

 それが『ダラーズ』なのかどうかは、結局幻が消えた後でなければわからないという事を──

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る