6章 矢霧製薬 上層部

 いけぶくろしん宿じゆくの間。じろの歓楽街から離れたとある場所に、その研究施設はひっそりと建てられていた。駅から離れているとはいえ、このとうきようの中にありながら、かなりの広さの土地面積を誇るその敷地に、フェンスと木々に囲まれた三階建ての研究所。

 かんとうでも有数の製薬会社であるぎり製薬の新薬研究施設だ。しかし、関東有数だったのはかつての話で、現在は昔程の隆盛もなく、業績も右肩下がりの傾向が続いていた。

 株価も下がりはじめたところで、アメリカの企業が吸収合併を申し入れて来た。『ネブラ』という100年以上の歴史を持つ複合企業コングロマリツトであり、運輸業から出版、バイオテクノロジー等様様な分野に手を伸ばしている大手企業だ。ばんじやくの業績の影では政治家とのちやくなど様々なうわさも流れているが、そのすべてを合法的な力で抑えつけている。

 吸収という形ではあっても、先方が提示している条件をめば大幅なリストラ等も無いという話なのだが──一部──特に社長を含む矢霧一族の面々が難色を示していた。

 その中でも特に強く反対していたのは──若くして第六開発研究部、通称第六研の主任の地位につく、ぎりなみという女性だった。年は25さいであり、現在の社長のめいにあたる。

 彼女自身の能力もたぐまれなものであり、スピード出世は決して一族の威光がすべてというわけではなかった。しかし、彼女の現在の地位には一族である事も大きく関わっている。地位ではなく、問題なのはその部署だ。

 そして、その部署で扱っているものこそが──『ネブラ』が吸収を申し入れて来た最大の原因なのではないかと、一族内でまことしやかにささやかれ続けている。

 第六研で扱っているものは、正確には薬ではない。表向きは臨床試験に向けた免疫系統の新薬開発という事になっていたが──そこに存在するものは、本来だった。


 20年前──が海外で手に入れた、人間の首を模したはくせい────それは生きているかのように美しく、まるでねむっているかのようだった。美しい少女といった感じのそれは、悪趣味なものではあったが不思議と残酷さは感じられず、まるで首だけで一つの生き物であるかのような印象を周囲に与えていた。

 当時5さいだった波江は知らなかったのだが、それは外国から密輸した物らしく、確かに正規の方法では税関で止められていた事は間違いないだろう。

 伯父が何にられてその首を手に入れたのかは知らないが、それは矢霧家の家宝の様に扱われ、伯父は暇があればしよさいもってそれを眺め、時には話しかける事すらあった。

 を訪ねてしょっちゅう泊まりに来ていた波江は、そんな伯父を不気味に思ったりもしたが──それも長い年月の中で次第に馴れていった。

 ただ一つ、波江に不満があったとすれば、彼女の弟の矢霧せいが、伯父以上にその『首』にき付けられてしまったという事だ。

 最初に誠二が首を見たのは10歳の時。伯父の目をぬすんで、波江がこっそりと弟に見せたのだ。その事を、彼女は今でも強く後悔している。

 それから、徐々に誠二の様子がおかしくなっていった。

 やけに伯父の家に行きたがるようになり、伯父の目を盗んでは『首』を見つめていた。

 誠二の首に対する情熱は年を追うごとに強くなり、3年前──波江が伯父の経営する製薬会社に自力で入社した時、弟がこんな事を言い出した。

「姉さん。僕、好きな子がいるんだ」

 弟が好きだと言ったそのむすめには、名前も──首から下の身体からだも存在しなかった。

 その時に波江の中に浮かんだ感情は、弟の異常なせいへきを哀れむれんびんの情ではなく──まぎれも無い、赤黒くび付いたしつの炎だった。


 波江の両親は、本来矢霧製薬の跡を継ぐべき存在だったのだが──波江に弟ができた頃、取引で重大なミスを犯し、すっかり会社の要職から締め出されてしまったらしい。それをきっかけとして夫婦仲がうまくいかなくなったようで、次第にむすめ息子むすこに対する愛情が薄れていった。

 むしろ、の方が彼女達に対して積極的に接触を持っていた。自分達が伯父の家に行く事についても、両親は何も言わなかった。伯父を信用しているというわけではなく、純粋に興味が無いような感触だった。

 だが──伯父もまた、自分達の事を『一族のこま』として接し、教育しようとしているふしがあった。そこに部下に対するのと同じ愛情はあっても、家族に対する愛は存在しなかった。

 やがて彼女は、自分と同じ境遇である弟に、家族のつながりを強く求めるようになり始めた。それは次第に姉としての家族愛を通り越し、次第に一方的でゆがんだ愛情へと変化を遂げていった。

 だからこそ──彼女は自分の弟が『首』を愛する事が気にいらなかった。自分のかける愛情にこたえない弟が愛したのは、絶対に愛が返って来る事の無い、ただの『首』だったからだ。

 首に対してしつするという自分にも異常を感じながら、なみは伯父の目をぬすみ、首を始末する事にした。

 だが、ガラスケースに入ったその首を捨てようとして取り出した時──初めてその指で触れた時に、彼女は気が付いてしまった。

 その肌の柔らかさは決してはくせいなどではなく、人の肌のぬくもりさえ持っていたという事に。

 つまり、という事に────


 それから更に年月は流れ──彼女は伯父を説得し、その首を会社の研究所で研究する事になった。伯父に詳しい話を聞いたところ──この首の正体はデュラハンというようせいなのだという。

 ──全く鹿げた話だ。羽のえたひとがたむしではなく、生首が妖精とはどういうりようけんだろう。しかし、どんな形であれ、重要なのは今ここに通常の生と死を超越した存在があるという事だ。これを逃す手は無い。

 そう考えた波江は、生ける生首に対して様々な実験を行ってきた。半分は弟の件に対する嫉妬も混じっていたのだろう。何の遠慮も無く『実験対象』として扱い続けて来た。研究所の中にある限り、部外者である誠二も近づく事はできないであろうと考えていたのだが──

 一つ目の問題として、研究を始めた頃から、『ネブラ』からの接触が始まった。完全に限定されたメンバーによる研究作業であるにも関わらず、相手の出してくる条件──この研究室の研究内容を含む全権限の譲渡──などから考えても、明らかにこの首の事を知っている様子であった。

 裏切り者がいる可能性に、波江が他者に対してしんあんになっていた頃──二つ目の事件は起こった。他人を信用しなかった為に、常に自宅に持ち歩いていたカードキーを、何者かによってぬすまれてしまったのだ。

 その晩の内に事件は起こった。研究所に何者かが進入、三人の警備員をスタンロッドでこんとうさせ、研究室から『首』だけを持ち去っていったのだ。


 何という失態か、これですべてがしまいになるのか──なみがそう思いかけた時、彼女は一つだけ心当たりがある事に気が付いた。首の存在を知り、なおつそれを欲し、カードキーをぬすむ事ができる人間────

 だが、彼女がそれに気付くのとほぼ同時刻に、の住むマンションから電話があった。

「姉さん、人を殺しちゃったかもしれないんだ。どうしよう」

 入学式の前日、弟からそんな連絡があった。弟に付きまとっていた女が部屋に進入し、『首』を見られた為に壁にそのむすめの頭をたたきつけたらしい。

 波江の中に起こった感情は、弟が他人を殺してしまったかもしれないという恐怖でも、弟が首を盗んだ事に対する怒りでも無く────果てしない喜びだった。

 どんな形であれ、弟の誠二が自分の事を頼ってくれる。自分の事を必要としてくれる。それが何よりも喜ばしい瞬間である事に気付き────彼女は決意する。

 どんな手を使ってでも、弟だけは自分の手で守ると────


♂♀


【セットンさんはダラーズって知ってます?】

[はい、名前だけは。っていうか、この話、前もかんさんがしませんでしたっけ?]

【あ、そうですね。失念してました、すみません】

[いえいえ]

【今日、友達からもうわさを聞いたんですけど、やっぱりすごいみたいですねえ】

[うーん。実際に見た事は無いですけど、本当にあるんですかね]

【ネット上のきよこうだっていうんですか?】

[いや、わかりませんけど。第一、本当にあるチームでも、普通に生きてればまず会う事は無いでしょうし]

【そうですよねえ……】

[あんまそういうのに近づかない方がいいですよね]


────甘楽さんが入室されました────

《どもー! 甘楽でっす!》

【こんばんわー】

[ばんわー]

《何ですか何ですか、ダラーズの話ですか》

《本当にいるんですって、だって専門のホームページとかもあるんですよー!》

《見るにはIDとパスワードが必要なんですけど》

【へえ】

[まあ、別に見ませんから大丈夫ですけど]

【……かんさんは本当になんでも知ってるんですね】

《それだけが取り得ですからw》

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る