5章 街の日常 夜
「とりあえず、死ぬ前に何かしたい事ってあるかな?」
しかし、そう問いかけられた二人の女は、無言のままで首を振った。
「そう、でも、本当に僕なんかでいいのかな? 心中するんだったらもっといい男とか
「いないから死ぬんです」
「そりゃ正論だ」
薄い表情のままで
彼女達は、臨也が自殺志願者サイトの掲示板に書き込んだ『一緒に
目の前にいる二人が死を選んだ動機は、一人は就職難。もう一人は失恋から立ち直れない自分への絶望感からだそうだ。
一見、死ぬ程の理由とは受け取られない理由だが、不景気の到来から確実に増加している動機であるし、職業別の自殺者統計では無職者がダントツの結果となっている。また、
そして、臨也の眼前にいる二人も二十代中頃の年齢であった。
こうして実際に自殺志願者と会うのは、もう二十回程になるが──彼(彼女)らには共通点と呼べるものが少ない事を臨也は感じていた。人の死に対する受け取り方は千差万別であり、中には始終笑い続けていたものや、これから死ぬつもりだというのにテレビドラマの予約をして来た者さえいる。
しかし──臨也が今まで会った中で、実際に自殺した者は一人もいない。それが彼には残念でならなかった。
ニュースなどで報道される自殺者達。近年、ネットで知り合って心中というケースがマスコミに取り上げられていたが、その影で、個人の自殺者はここ数年三万人を下らないという現状が続いている。
一体彼らがどんな思いで死んでいくのか、他に道は無かったのか、それとも誰かの為に死を
折原臨也は、人間が好きだ。だからこそ人間を知りたがる。
しかし──彼は別段、自殺を思いとどまらせようとして彼女達と接触しているわけではない。
臨也に出会った志望者が死なないのは、冷やかしで集まったというわけでも死ぬのが怖くなったというわけでもない。
淡々とした仮面の下から、臨也の本性が徐々に舌をのぞかせる。
臨也は彼女達の自殺する理由などに
「でさ、二人とも、死んだ後はどうするのかな?」
突然振られた話題に、二人の女性はキョトンとした顔で
「え……それって、天国って事ですか?」
──自殺するくせに天国ときた! なんという
「
もう一人の女も臨也に尋ね返して来る。奈倉というのは適当に思いついた
臨也は二人の反応に笑いながら首を振ると、更に質問を二人に返す。
「二人はあの世って信じてない?」
「私は信じてます。あの世っていうか、
「私は信じてません。死んだら何も無くて、ただの
その答えを聞いて、臨也は心の中に大きな×印を思い浮かべた。
──あー、大
そして臨也は、眼前の二人がたいして死と向き合っていないと判断した。あるいは、自分に都合がいいように向き合ってきたのだろう。
臨也は
「
「え……?」
不可解な物を見るような目になった二人の女に対し、臨也は静かに口を開く。
「死後の世界を信じる事ができるのはね、生きてる人に与えられた権利なんだよ。それか、死を考えて考えて考え抜いた上で出した結論なら、
あくまでもニコニコとした調子は崩さぬままで、臨也は静かに語り続ける。
「
そこで彼女達は気が付いた。自分達が死ぬ理由を今まで語り続けていたが、目の前にいる男はまだ、一度も自分の事を語っていないという事に。
「あ、あの……奈倉さんは……死ぬつもりあるんですか?」
この上無く核心をついた問いに、臨也は顔色一つ変えずに答える。
「無いけど?」
僅かの間、個室の中には
「
「ちょっと……アンタそれは
それに続いて、もう一人の女も強い口調で
──ああ、やっぱこうなったか。
今までに何度もこういう経験をしてきたが、この時の対応も
「最低だよ! ふざけんなよバカ! 何様なのよアンタ!
「え、何で?」
それは──本当に『何を言ってるのか
数秒後に臨也が目を開いた時には、先刻までの楽しそうな表情が全て消え去り、新たな笑顔が浮かび上がる。
「ひッ……?」
それを見て、あの世を信じていた女の方が悲鳴に近い息を
臨也の顔に浮かんだのは、確かに笑顔だった。だが、今までとは全く違う種類の笑顔。二人の女は、それを見て初めて『笑顔にも種類がある』と思い知らされる。
その笑顔は笑顔でありながら仮面のように無表情であり、笑顔でありながら
本来ならば山の様な
臨也はその笑えない笑顔を崩さぬままで、先程と同じ質問を繰り返した。
「何で? 一体何が酷いのかな。それが理解できない」
「何でって……」
「君達は」
女の言葉を
「死ぬって決めたんだからさあ。もうほら、どんな事を言われても気にする必要無いじゃん。
「そんな事は
「解ってない」
先刻『あの世には何も無い』と言っていた女に対し、更に強い調子で言葉を浴びせかける。
──笑顔のままで。
「解ってないよ、全然解ってない。君はあの世には無しかないと言った。そこがね、違うんだよ。もう苦しまなくて済む、そういう意図で言ったのかもしれないけれど──死ぬってのは──無くなるって事さ。消えるのは苦しみじゃない、存在だ」
女達は反論しない。
臨也の笑顔はますます
「何も無い状態が『無』じゃないんだよ。無というのは必ずしも『有』の対立存在ではありえない。君の言っている無は、何も無い事、永遠の
実際、臨也が言っているのは穴だらけの意見であり、いくらでも反論できるという事を二人の女も頭では理解していた。だが、どのような反論をしたところで、相手に言葉というものが通じるのか────疑問ではなく、恐怖が二人の女性の中を支配し始めていた。
「でも……だって……それは
「その通り。正確にはわからない。
ハハ、と無機質な笑いを
「でもさ、君らは違うじゃん。あの世も中途
そして、同意を求めるように小首を傾げながら、ゆっくりととどめを
「中途半端にしか信じてない
時間にして数秒。しかしそれは、二人の女にとっては実に長く感じられた。
その
空気が動き出した中で、
「いやー、ははは、さっき言ったさ、『死んだ後はどうするの』っていうのは、まあぶっちゃけ、お金の話なんだけどね」
「……え」
「
恐ろしい笑顔の時とは全く違い、今の臨也の笑顔はとても人間味に
女達が再び口を開こうとしたところで、やはりそれを
「さて問題です。第一問。俺はどうして一番入口に近いところに座っているんでしょう?」
まるでドアの前に
「第二問、このテーブルの下にある、二つの車輪付きスーツケースはなんでしょうか」
女達は言われるまで気付きもしなかったが、自分達の座るテーブルの反対側に、二つの大きなスーツケースが置かれている。まるで、これから海外旅行に行くかのような大荷物だ。
「ヒント1。このスーツケースの中身は
そこまで聞いて、女達の中に同時に
「ヒント2。このスーツケースのサイズは、君達に合わせてます」
どうしようもない
「!?」
「なに……これ……」
自分達の
「第三問。君達が二人がかりで俺に向かってくれば助かるかもしれないのに、何でそれができないんでしょうか。ヒント、ワンドリンクを運んできた時、俺が君達にコップをまわしました」
世界が回る回る回る。そのまま薄れていく意識の中で、二人の女は臨也の声を聞いていた。それはまるで子守唄のように、優しい声が暗くなる世界の中に
「愛だよ。君達の死には愛が感じられないんだ。
女の一人が、最後の力を振り絞って
「絶対……許さない! 殺して……やる……!」
それを聞いて、臨也はことさら
「大変結構。
女の意識が完全に無くなったのを確認して、臨也はこめかみに片手を当てて考える。
「あー、でも恨まれるのは
♂♀
まもなく日付が変わろうかという時間。南
『で、こいつらを公園のベンチに座らせて終わりか?』
セルティが進化した電子手帳──キーボード付きのPDA打ち込んだ文を見て、臨也は楽しそうな笑顔で「そ」とだけ声を出した。
「本当ならサラ金とかに連れてって色々したかったんだけど、正直、もう
『飽きたってお前』
セルティが頼まれた仕事は、人間を二人運ぶのを手伝う事だった。カラオケボックスの中にヘルメットのまま入ると、店員は何も言わずに臨也のいる部屋まで案内した。その中には倒れた女をスーツケースに詰める臨也の姿があり、突っ込みを入れる間もなく「手伝って」といって笑いかけてくる。
そして公園の中にまで運び込んだのはいいが、結局セルティには何も知らされぬままだった。
「飽きたし、
このような仕事を
あっけない仕事の終わり。今回はまだ
『警察
「あんたが気にする必要は無いって。別に死体を運んだわけじゃないんだ。酔っ払ってた女を二人ベンチまで運んでやっただけなんだから」
『スーツケースに入れてか?』
セルティの突っ込みは完全に無視して、
「なあ運び屋、あんたはあの世って信じるかい?」
『なんだ突然』
「いいから、これも仕事のうちだと思って答えてくれ」
『死ねば
セルティは面倒くさそうにPDAに答えを打つと、もう一言付け加えて臨也に見せた。
『お前はどうなんだ?』
「
『自分の趣味で女に薬を盛って、仕事で情報屋なんかやっているくせにか?』
当然の疑問に対し、臨也は照れくさそうに笑った。この表情だけ見ていると、とても裏の世界に頭のてっぺんから足の先まで
「だってさ、死んだらなくなっちゃうんだから、人生やりたい放題やらなきゃ損でしょ?」
セルティはPDAに『
折原臨也は、普通の人間だ。
悪人として突出した暴力を持っているわけでもなければ、特別にクールであったり、人を殺すのに何の感慨も
ただ、普通の人間が持ちえる欲望や、普通の人間が勢い余って踏み越えてしまうような
しかし彼の名は各方面でかなり知られており、臨也自身もそれを理解している。通常ならば『臨也』を『イザヤ』と読む事は無いが──聖書の預言者イザヤと『
普通の人間並みに命を大事にし、己の限界をわきまえ保身には事欠かない。
後の事をセルティに任せ、臨也は数週間ぶりの
今日出会った彼女達がどんな顔をしていたのか。どんな格好をしていたのか。美人だったのか不細工だったのかオシャレだったのか
だからこそ人を知りたがり、他人に簡単に興味を持ち、同じぐらい簡単に他人を踏み
臨也は知る必要の無くなった人間に対しては、果てしなく興味が無かった。
それから10メートル程歩いた所で、二人の自殺志願者の名前さえも忘れ去った。
情報屋である彼にとって、
今、彼が興味のある事は二つある。
一つは、あの常にヘルメットを
もう一つは────最近
「楽しみだなあ。楽しみだなあ。楽しみだなあ。この街は情報屋の俺でも知らない事がまだまだまだまだ
臨也はそう言いながら、胸ポケットから自分のPDAを取り出した。
電源を入れ、中にある住所録を開きながら、彼はある人物の項目で目を留める。
その項目の名前の欄には、
──『
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