第22話 お忍び
九月に入ると、四限目の自由時間はダンスの練習に変わった。
十月の一週目の週末に豊穣祭があり、貴族は王城で開かれる祝宴に招待されている。
教会に入ったことで、準貴族となった平民たちも王城に行くことができる。
もちろん地元に帰り、家族とともに地元の豊穣祭に出ることもできる。
そのため、学院は豊穣祭のため約一か月の休暇に入る。少し遅い夏休みだ。
教会では休みまでの約三週間、みっちりダンスの稽古が行われる。
教会は女性が多いので、男性が多い騎士団と合同練習をしている。
入団したての若い団員たちが練習のために教会へ来る。
つまり、これは出会いの場でもあって、生徒たちは浮足立っていた。
「アイリーン、一緒に組もう」
愛理にそう言ってきたのは、ジュリアスだった。
――いつもと代わり映えないな。
愛理は少し残念に思いながら頷く。
「ソフィー、僕と一緒に組んでくれる?」
ソフィーにそう言ったのは、クラスで唯一の男子であるグレーの髪をした、ちょっと小太りなアンソニーだ。笑顔が可愛い。
ソフィーも笑顔で頷く。
「うん。いいよ。一緒に組もう」
愛理はピアノの音に合わせて、習ったばかりのステップを踏む。
そして、さっそくジュリアスの足を踏んづけた。
「いたっ」
「ごめん! ジュリアス」
「へいき、へいき」
ジュリアスは苦い笑みを浮かべていて、あまり平気そうではない。
隣で踊るルイーズはさすがなもので、華麗に舞っている。
貴族学校ではダンスも必修科目だそうだ。
人数が多いので、交代で踊る。
踊るたびにベアを変えるため、ジュリアスは、今度はルイーズに声を掛けていた。
ルイーズは顔を赤くして頷いている。
それを見ていた愛理はピンときた。
二人は貴族学校出身なだけあって、見本のような踊りだった。
ジュリアスとルイーズは一曲を踊り終えて、ルイーズは愛理の方に戻ってくる。
愛理はルイーズにこそっと尋ねた。
「ルイーズって、もしかしてジュリアスのことが好き?」
ルイーズは全身をびくりと振るわせて、顔は真っ赤になっていく。
「……分かりますの?」
「分かりやすいよ、ルイーズ。かわいい」
愛理はルイーズに抱きつく。
二人は教室の床に座り、壁に寄りかかる。
「貴族学校時代からの片思いですわ。ジュリアスは誰にでも優しいですけれど、アイリーンには特に……」
ルイーズは膝を抱えて、シュンとしている。
――もしかしてそっちか! 私をいじめていた原因は。
はじめて会った時の愛理の印象も悪かっただろう。
しかし、余計に事態をややこしくしていたのはルイーズの恋心だったのかもしれない。
「ジュリアスが私によくしてくれているのは、イアン様が後継人をしているからじゃないのかな」
あとは、愛理の事情を知っているからだろう。
ルイーズは愛理を窺うように見上げる。
「アイリーンはジュリアスのこと、どうも思っていないんですの?」
「ちっとも!」
愛理がそう答えると、ルイーズはほっとしたようだった。
ジュリアスが戻ってきて、二人に尋ねる。
「なに話しているの?」
愛理は首を横に振って答える。
「なんでもないよ」
「それより、アイリーン。全然踊ってない?」
「それが、全く誘われなくて……」
愛理は苦笑を浮かべる。
ジュリアスはなにか納得したように頷く。
「今日来ている騎士団員はイアン様の部下が多いからかな。誘いづらいんだろう」
「え? どうしてイアン様が後継人をしているのが私だって分かるの?」
ジュリアスは自分の頭を差した。
「髪」
愛理はその理由に納得した。学院で黒髪は愛理だけだ。
ジュリアスは愛理に手を差し出す。
「アイリーン、もう一回踊ろう。俺でよければ、いくらでも付き合うよ」
「ルイーズ、行ってくれば?」
にやにやしながらそう言った愛理を、ルイーズは顔を真っ赤にして小突く。
「もう! そういうのはやめてくださいませ!」
愛理は笑いながらジュリアスの手を取って、立ち上がった。
訓練が終わった後、愛理はひとりで図書室へと来ていた。
最近は文字も書けるようになり、補講は卒業していた。
四限目の自由時間はもっぱら図書館に入り浸っていたが、今はダンスの練習が入っているため、訓練後からお風呂の時間までを図書室で過ごしていた。
図書室に来るようになってからは日本へ戻る方法を探しているが、未だ手がかりさえ見つかってはいない。
――魔法についてもっと学べば日本へ戻る手がかりも見つかるかもしれない。
訓練は中級クラスへと上がった。
中級クラスではただ撃つだけでなく、火の玉を複数個連続で撃ってみたり、水をうねらせたりと、より高度な魔力コントロールを要求されている。
アンジェリカに具体的に頭の中でイメージをすることの大切さを教わってからと言うもの、愛理の技術はメキメキと上がっていた。
愛理は上級魔法の本を見つけて、パラパラと読んでみる。
――面白そう。
次の読書は上級魔法の本にした。
週末はエヴァンス家へと帰った。
イアンから豊穣祭の相談があるため、帰宅するようにと手紙をもらったのだ。
愛理は玄関を開けて、いつもどおり声を掛ける。
「ただいま」
愛理は誰も顔を見せないことを不思議に思ってリビングへと行くと、そこには王太子のアルフレッドが我が物顔でダイニングテーブルの椅子に座っていた。
同じくダイニングテーブルの椅子に座っているイアンとマリアンヌも振り返った。二人の顔はげっそりとして疲れている。
イアンは引き攣った笑みを浮かべながら言う。
「おかえり、アイリーン。やっと帰ってきてくれたか」
アルフレッドはアイリーンを手招きして、隣の席を引いた。
「アイリーンが帰ってくると聞いて、待っていた。ここへ座れ」
愛理はアルフレッドの横まで行ってお辞儀をした。
「アルフレッド王太子殿下、アイリーン・エヴァンスがご挨拶申し上げます」
「そのような堅苦しい挨拶は不要だ。今日はお忍びで来ている。あまり時間がない」
イアンはアルフレッドに尋ねる。
「これで殿下が、なぜ我が家にお忍びで来ているのか話していただけますか?」
「今日はアイリーンに用があった。豊穣祭のパートナーは決まっているのか?」
豊穣祭に行くのにパートナーが必要だとは知らなかった。
愛理は決まっていないと告げようとした時、イアンが先に口を開いた。
「殿下。アイリーンは十五歳で、はじめての豊穣祭。はじめての豊穣祭では親族がパートナーを務めるのが習わしです。アイリーンのパートナーはわたしが務めようと思っています。ですので、今回はどうか諦めてください」
「例外もあるだろう。例えば、王族からの誘いなどだ」
マリアンヌは冷たく言う。
「王族からの誘いと言うのであれば、正式な手順を踏んでいただきたいです。おひとりで、お忍びでいらしているのですから、非正式な申し出と受け取ります。それから、今後アイリーンにちょっかいを出さないでくださいませ」
「しかし、マリア。俺も困っておるのだ。ルパートが持ってくるパートナー候補から選べば、婚約者候補と周りから思われるだろう。俺はまだ自由でいたいのだ」
イアンとマリアンヌは頭を抱えた。
イアンは苦笑しながら言う。
「家臣としては、はやく身を固めていただきたいのですが……」
「父王もご健在であらせられる。急ぐ必要もなかろう。それに、アイリーンはエヴァンス家が後継人を務め、魔力量もAランク。俺の婚約者候補としては好条件ではないか」
「……アイリーンを王家へ嫁に出すつもりはございません」
――イアン様、今の一瞬の間はなんですか……。
愛理は即答しなかったイアンに疑心暗鬼の視線を向ける。
イアンはその視線に気がついて咳払いした。
アルフレッドはやれやれといった様子で言った。
「仕方がない。他を当たるか」
イアンは尋ねる。
「他に心当たりがあるのですか?」
「アンジェリカに当たってみようと思う。去年はイアンがパートナーであったが、今回はアイリーンのパートナーを務めるのという。ならば、アンジェリカも新たにパートナーを探さねばなるまい。アンジェリカも教皇選抜試験前でパートナー選びは難航していそうだからな。俺が誘えば喜ぶに違いない」
マリアンヌは相変わらず冷たく言う。
「ダメ元で頼んでみてはいかがですか。メアリー、殿下のお帰りの支度をして差し上げて」
アルフレッドはダイニングテーブルに肘を置き、少し身を乗り出す。
「ダメ元とはなんだ。アンジェリカも俺と同じで、今回のパートナーに騎士を選べば護衛騎士候補と思われ、文官を選べば婚約者候補と噂されるであろう。王族と教皇は結婚できぬ。教皇選挙を控えたアンジェリカと俺がパートナーになったとしてもお互い婚約者候補とはならぬであろう?」
マリアンヌは少し考えて頷いた。
「たしかに利害は一致していますね。ですが、相手が殿下ですからね。アンジェリカが頷くかどうか……」
「どういう意味だ。マリア」
「まぁ、聞いてみたらいかがです? 週末ですから、アンジェリカも実家に帰っているかも。さぁさ、早くいかないと、アンジェリカのパートナーも決まってしまいますよ」
アルフレッドはマリアンヌに急かされるようにしてエヴァンス家を後にした。
それを見送ったマリアンヌは晴れ晴れとした表情をしている。
「放蕩王子、やっと帰ったわね」
イアンは苦笑する。
「いくら貴族学校時代の同級生だからと言っても殿下に冷たすぎないか?」
「お兄様は殿下と同級生をしていないからそう言えるのよ。好き勝手する殿下をわたしとアンジェリカで窘めて、学校の安寧を図っていたのだから。大変だったのよ。まぁ、意外と人の話はちゃんと聞いてくれるし、今回だってまずはアイリーンの都合を聞きに来てくれた。正式に書状で誘われていたら断れなかったわ」
それを聞いて、愛理の背中に寒気が走る。
アルフレッドとお茶をしただけで婚約者候補と噂されるのだ。もし愛理が豊穣祭でアルフレッドのパートナーを務めてしまえば、噂を肯定するようなものである。
マリアンヌは愛理に言う。
「明日はマダムケリーのお店にドレスを注文しに行くわよ」
「またドレス? 洗礼式のドレスではだめなの?」
「洗礼式とダンス用のドレスではまた違うのよ。今回はおそろいのデザインにしましょう。色違いで。姉妹でおそろいのドレスを着るのは夢だったのよ」
マリアンヌの言葉を聞いて、愛理は嬉しくなった。笑顔で頷く。
後日、アルフレッドのパートナーはアンジェリカに決まったと噂で聞いた。
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