第13話 洗礼式③
「マリア! イアン様!」
教会の制服を着たストレートの金髪の女性が声を掛けてきた。
その瞳の色は緑だった。
「アンジェリカ! 来ていたの?」
「ええ。洗礼式の手伝いに駆り出されていたの。マリア、この後時間あるかしら? わたくし、午後はお休みをいただいているのだけれど、お茶しない?」
マリアンヌはイアンに尋ねる。
「いいかしら?」
「行っておいで。アンジェリカ、久しぶりだな」
アンジェリカは僅かに頬を赤く染めてイアンを見上げる。
「ええ、イアン様。お久しぶりですわ。イアン様もお時間あったらいかがですか?」
「俺は遠慮するよ。二人も久しぶりなのだろう? ゆっくりしておいで」
それにマリアンヌは笑顔で答える。
「ええ。ありがとう、お兄様。アンジェリカ、行きましょう」
「ええ……」
アンジェリカは少し残念そうだが、マリアンヌとともに去って行った。
アンジェリカは夢で見た女性にそっくりで、年齢も同じくらいに見えた。
愛理はアンジェリカの背中を眺めながらイアンに尋ねる。
「今のはどなたですか?」
「アンジェリカ・ランドール。教皇の娘でジュリアスの姉だ。マリアンヌの貴族学校時代の同級生でもある。今は教会付属の学院の三年生。ラウラと同期だよ」
「アンジェリカさん……、というのですね」
イアンは愛理を見て尋ねる。
「話したかったか?」
愛理はイアンを見上げた。
「少しだけ。でも、学院に入学すれば、また会えますよね」
イアンは愛理に笑みを向けた。
「今日は疲れただろう。家に戻ろう」
「はい」
愛理は後ろ髪を引かれる思いがしたが、疲れているのも確かなので、イアンとともに家に向かって歩き出した。
愛理とイアンが家に着くと、メアリーが出迎えてくれた。
「お帰りなさいませ。旦那様、アイリーンお嬢様」
イアンは愛理に言う。
「アイリーン、着替えたらリビングに来なさい。話がある」
その表情は硬い。
愛理は小さく頷いたが、なにかイアンの不興を買うようなことをしてしまったのかと不安になる。
「アイリーンお嬢様、お召替えのお手伝いをさせていただきます。一緒にお部屋へ行きましょう」
メアリーに背を押されて、愛理は部屋へと向かった。
メアリーはドレスを脱ぐのを手伝いながら尋ねる。
「洗礼式はいかがでしたか?」
「緊張した。たくさん人がいるんだもん」
メアリーは小さく笑った。
「魔力測定はいかがでした?」
「Aランクだった。教会の制服の採寸もしてきたよ」
その回答にメアリーは手を止めた。
「まぁ。Aランクですか。それはすごいですわね」
愛理はメアリーを振り返る。
「みんなそう言うけど、そんなにすごいことなの?」
「Aランクの方は、今はアイリーンお嬢様を入れて六名しかおりません。それくらいすごいことです」
メアリーの言葉を聞いて、愛理はやっと周りの反応に納得した。
愛理は着替えを終えて、イアンに言われた通りにリビングへ降りた。
イアンはすでに着替えを済ませて座っている。
イアンは愛理に向かいの席を示した。
「アイリーン、そこへ座りなさい」
愛理は言われた通りにイアンの向かいの席に座った。
メアリーは言う。
「お茶を入れましょうか」
イアンはメアリーに目を向けた。
「頼む」
メアリーがお茶を入れて持ってきてくれた。
イアンはテーブルにお茶を置くメアリーに言う。
「すまないが、アイリーンと二人で話したい。席を外してもらえるか」
「承知いたしました」
メアリーは茶器をキッチンに置いて、愛理に視線をやる。
愛理も不安げにメアリーを見た。
メアリーは頷いて愛理を励まし、部屋へと下がった。
「さて、アイリ。これからのことを話そう」
「これからですか? 私は教会に入るんですよね?」
イアンは頷く。
「そうだ。Aランクだったから、教会に入ることは可能だ」
愛理はイアンの言いたいことが分からなくて首を横に傾げる。
イアンは顎を撫でてから、また口を開いた。
「来年の春に教皇選抜試験が行われる。候補者は四人だ。教会所属のAランクのシスターとブラザーから選ばれる。つまり、アイリが選ばれる可能性もあるということだ」
それを聞いた愛理は目を丸くして驚いた。
イアンは続けて愛理に説明をする。
「現在決まっている候補者は三人。先ほど会ったアンジェリカ、レイチェル姫、インファンテ伯爵家のジョアンナ嬢と聞いている。あと一席が空席だ。そこへAランクと認められたアイリが見習いとして教会付属の学院に入学することになる。そこでアイリの意思を確認しておきたい。君は教皇になりたいと思うか?」
愛理はイアンの問いに困ったような顔をした。
「そんな。急に言われても……」
イアンは小さく笑う。
「そうだよな。すまない。だが、大事なことだ。アイリの意思次第で、学院での生活の仕方が変わってくるのだから。いずれ元居た場所に戻るつもりならば、教皇は目指さない方がいいと俺は思っている」
愛理は首を横に傾げて尋ねる。
「そもそも、教皇とはどういう方なのでしょうか?」
「今日、儀式を執り行ったのが教皇だ。教会の一番偉い位に就くお方であり、象徴となるお方だ」
――そんな重大な役目を担えるはずがない。
愛理はそう考えて勢いよく首を横に振る。
「私には無理です」
「そうか。なら、忠告しておく。学院では大人しく、注目されるようなことのないように努めろ。アイリに事情がなければ、信徒としては目指すように言うんだが……」
イアンは苦笑する。
愛理が首を横に傾げるのを見て、イアンはまた話しはじめる。
「本来、教皇とは今代で一番の実力者がなるべきものだ。アイリにその資格があるのに、力を抜いて選ばれないようにしろと言うのは、女神ララーシャへの冒涜だといわれても仕方のないこと。これは俺とアイリだけの秘密にしておこう」
「はい。秘密です」
イアンと愛理は握手をした。
それから、イアンはふっと笑って言う。
「入学まであと四日だな。それまでに一度、みんなで慰霊碑に祈りに行こう」
「慰霊碑ですか?」
「ああ。大切なことの節目には慰霊碑に祈ることにしている。アイリが新しい家族になったこと、学院に入学することが決まったことを報告しに行こうと思う。アイリにはまだ言っていなかったな。母上はシャーロットを産んですぐに流行り病で亡くなった。父上は俺が十五の時に討伐で戦死している。そして、シャーロットは母上と同じ病で三年前に亡くなっているんだ。シャーロットが生きていれば、アイリーンと同い年だった」
愛理はイアンとマリアンヌの兄妹だけで暮らしていることをずっと不思議に思っていた。やはり両親も亡くなっていたのか。
「そうだったんですね……」
「ああ。母上が亡くなってからは、メアリーが母親代わりのようなものだ。騎士としてあまり家にいなかった父の代わりになってくれたのがジェームズだ。俺が騎士になってからマリアンヌの話し相手になってくれていたのも二人だ。二人は使用人だが、かけがえのない家族でもある。そこにアイリが加わった。君も、もう家族なのだから遠慮はしなくていい。俺にも敬語はやめていい」
「ありがとう。イアン様」
愛理はやっと慣れたエヴァンス家を出ることに実感が湧いてきた。
それと同時に寂しい気持ちも湧いてくる。
学院での生活も不安だった。
学期の途中から入っていく転校生のようで、馴染めるか心配だった。
それでも、ずっとイアンの世話になっているわけにもいかない。
この世界で生きていくためには、教会に入らないといけないのだ。
そのためには、まずは学院で三年間学ばなければならない。
愛理はそう自分に言い聞かせた。
慰霊碑の広場へは二日後にみんなで出かけた。
原っぱが広がり、広場の中央に慰霊碑が立っている。
イアンは慰霊碑の前に膝をついた。
「父上、母上、シャーロット。今日は新しい家族を紹介するよ。アイリーンだ。教会に入ることになったから見守ってやってほしい」
愛理もイアンの一歩後ろで膝をついて、目を閉じて祈る。
――はじめまして。愛理と言います。よろしくお願いします。
愛理は目を開けると、隣でマリアンヌ、メアリー、ジェームズも祈っていた。
イアンは愛理を振り返る。
「これを」
イアンが差し出したのは、エメラルドの小さい石が付いたネックレスだった。
イアンは続けて言う。
「成人すると、親からアクセサリーを受け継ぐのが習わしなんだ。これは母上のネックレスだ。きっと君を守ってくれるだろう。つけてあげよう」
愛理はイアンに背を向けて、髪を上げた。
イアンがネックレスをつけてくれる。
「ありがとう。こんな大切なもの……、もらっていいの?」
「ああ。大切にしてくれよ」
愛理は頷いた。
それから、意を決して、イアンたちを見て言う。
「みなさん。私を家族として迎え入れてくれて、ありがとうございます。行く場所がなくて不安だったけど、みなさんのおかげで私にも居場所ができました。学院に入っても、また帰ってきていいですか?」
愛理は涙を流した。
そんな愛理をマリアンヌが抱きしめる。
「ええ。もちろんよ。週末は申請すれば帰宅できるらしいわ。いつでも帰ってきていいからね」
それを見ていたメアリーは涙を拭う。
そして、愛理たちはみんなで帰路についた。
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