第二章 奇術師は終焉を与える The_7th-Egde. 3

 おっふろ♪ おっふろ♪ と上条の隣で、両手に洗面器を抱えたインデックスは歌っていた。

 病人をやめました、と言わんばかりにパジャマから安全ピンだらけの修道服に着替えている。

 一体どんなマジックを使ったのか、血染めの修道服はキッチリ洗濯されていた。ていうか、あんな安全ピンまみれの修道服、洗濯機に放り込んだら五秒でバラバラになると思う。まさか一度分解してパーツごとに洗ったんだろうか?

「何だよそんなに気にしてたのか? 正直、においなんてそんな気になんねーぞ?」

「汗かいてるのが好きな人?」

「そういう意味じゃねえッ!!」

 あれから三日って、ようやくあちこち出歩けるようになった彼女の願いが風呂それだった。

 ちなみにもえ先生のアパートには『』などという概念は存在しなかった。管理人室のモノを借りるか、アパートよりにあるボロッボロの銭湯へ行くという究極の二択しかなかった。

 そんなこんなで、洗面器を抱えて夜の道を歩く若い男女が一組。

 ……一体いつの時代の日本文化なんでしょーねー、と銭湯システムの事を笑いながら説明していた小萌先生は、相変わらず何の事情も聞かずにかみじよう達の事をアパートに泊めてくれた。上条としても敵にマークされた学生寮にのこのこ戻る訳にはいかないのでそうろう状態である。

「とうま、とうま」

 人のシャツの二の腕を甘くみつつインデックスはややくぐもった声で言う。嚙み癖のある彼女にとって、どうやらこれは服を引っ張ってこっち向かせる、ぐらいのジェスチャーらしい。

「……何だよ?」

 上条はあきれたように答えた。『そう言えば名前しらない』と言うインデックスに今朝、自己紹介してから、かれこれ六万回ぐらい名前を呼ばれまくったからだ。

「何でもない。用がないのに名前が呼べるって、なんかおもしろいかも」

 たったそれだけで、インデックスはまるで初めて遊園地にきた子供みたいな顔をする。

 インデックスの懐き方が尋常ではない。

 まぁ、原因は三日前のアレだろうが……上条はうれしいと思うより、今まであんな当たり前の言葉すらかけてもらえなかったインデックスの方に複雑な気持ちを抱いてしまう。

「ジャパニーズ・セントーにはコーヒー牛乳があるって、こもえが言ってた。コーヒー牛乳って何? カプチーノみたいなもの?」

「……んなエレガントなモン銭湯にはねえ」あんま期待をふくらませるな、と上条は言って、「んー、けどお前にゃデカい風呂は衝撃的かもな。お前んトコイギリスってホテルにあるみたいな狭っ苦しいユニットバスがメジャーなんだろ?」

「んー? ……その辺は良く分かんないかも」

 インデックスは本当に良く分からないという感じで小さく首をかしげた。

「私、気がついたら日本こつちにいたからね。向こうの事はちょっと分からないんだよ」

「……ふうん。何だ、どうりで日本語ぺらぺらなはずだぜ。ガキのころからこっちにいたんじゃ、お前ほとんど日本人じゃねーか」

 それだと、『イギリス教会まで逃げ込めば安全』という言葉の方が微妙になってくる。てっきり地元に帰るのかと思いきや、実はまだ見た事もない異国に出かける訳だ。

「あ、ううん。そういう意味じゃないんだよ」

 と、インデックスは長い銀髪を左右に流すように首を振って否定した。

「私、生まれはロンドンでセントジョージ大聖堂の中で育ってきたらしいんだよ。どうも、こっちにきたのは一年ぐらい前から、らしいんだね」

「らしい?」

 かみじようあいまいな言葉に思わずまゆをひそめた所で、


「うん。一年ぐらい前こつちにきたときから、記憶がなくなっちゃってるからね」


 インデックスは、笑っていた。

 本当に、生まれて初めて遊園地にやってきた子供のように。

 その笑顔がかんぺきだからこそ、上条には、その裏にある焦りやつらさが見て取れた。

「最初に路地裏で目を覚ました時は、自分の事も分からなかった。だけど、とにかく逃げなきゃって思った。昨日の晩ご飯も思い出せないのに、魔術師とか禁書目録インデツクスとかとか、そんな知識ばっかりぐるぐる回ってて、本当に怖かった……」

「……じゃあ。どうして記憶をなくしちまったかも分かんねーって訳か」

 うん、という答え。上条だって心理学はサッパリ分からないが、ゲームやドラマじゃ記憶喪失の原因なんて大体二つに限られてくる。

 記憶を失うほど頭にダメージを受けたか、心の方が耐えられない記憶を封印しているか。

「くそったれが……」

 上条は夜空を見上げて思わずつぶやいた。こんな女の子にそこまでする魔術師達に対する怒りもあるが、せんのない事とはいえ自分に対する無力感が襲ってくる。

 インデックスが異常に上条をかばったり懐いたりする理由も分かってきた。何も分からずに世界に放り出されて一年、ようやく会えた最初の『知り合い』が

 上条は、それをうれしいとは思えなかった。

 だか知らないが、『答え』は上条をひどくイライラさせる。

「むむ? とうま、なんか怒ってる?」

「怒ってねーよ」ギクリとしたが、上条はシラを切った。

「なんか気に障ったなら謝るかも。とうま、なにキレてるの? 思春期ちゃん?」

「……その幼児体型からだにだきゃ思春期とか聞かれたくねーよな、ホント」

「む。何なのかなそれ。やっぱり怒ってるように見えるけど。それともあれなの、とうまは怒ってるふりして私を困らせてる? とうまのそういう所は嫌いかも」

「あのな、元から好きでもねーくせにそんな台詞せりふ吐くなよな。いくら何でもお前にそこまでラヴコメいた素敵イベントなんぞ期待しちゃいねーからさ」

「……、」

「て、アレ? ……何で上目遣いで黙ってしまわれるのですか、姫?」

「……、」

 超強引にギャグに持ってこうとしてもインデックスはまるで反応してくれない。

 おかしい、なんか変だ。何でインデックスは胸の前で両手を組んで、上目遣いのじりに涙が浮かびそうな傷ついたっぽい顔をして、あまつさえちょっと甘く下唇をんでいるんだろう?

「とうま」

 はい、とかみじようは名前を呼ばれたのでとりあえず返事を返してみる。

 とてつもなく不幸な予感がした。

「だいっきらい」

 瞬間、上条は女の子に頭のてっぺんを丸かじりされるというレアな経験値を手に入れた。

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