第二章 奇術師は終焉を与える The_7th-Egde. 2
一夜明けると、本当に
高熱と頭痛に襲われて、インデックスはすぐにぶっ倒れた。鼻水や
「……、で? 何だって下ぱんつなんだお前」
おでこに
「……上条ちゃん。先生は、いくら何でもあの服はあんまりだと思いました」
あの服、というのは安全ピンまみれの白い修道服の事だろう。
それについては上条も全面的に賛成だが、着慣れた修道服を奪われたインデックスは不機嫌そうなネコみたいに見えた。
「……、ていうか。何だってビール好きで愛煙家の大人な小萌先生のパジャマがインデックスにピッタリ合っちまうんだ? 年齢差、一体いくつなんだか」
なっ、と小萌先生(年齢不詳)は絶句しかけたが、インデックスが追い討ちをかけるように、
「……みくびらないでほしい。私も、
「なん……、
「ていうかその体で苦しくなる胸なんかあったんか!?」
「「……、」」
レディ二人に
「ですです。ところで上条ちゃん、結局この子は上条ちゃんの何様なんです?」
「妹」
「
「義理なんです」
「……、変態さんです?」
「ジョークです! 分かってるよ義理はマナー違反で実はルール違反ですよあーもう!」
「上条ちゃん」
と、いきなり先生モードの口調で言い直された。
これで黙って目を
「先生、一つだけ聞いても良いですか?」
「ですー?」
「事情を聞きたいのは、この事を警察や学園都市の理事会へ伝えるためですか?」
です、と小萌先生はあっさり首を縦に振った。
何のためらいもなく、人を売り渡すと、自分の生徒に向かって言い捨てた。
「上条ちゃん達が一体どんな問題に巻き込まれてるか分からないですけど」小萌先生はにっこり笑顔で、「それが学園都市の中で起きた以上、解決するのは私達教師の役目です。子供の責任を取るのが大人の義務です、上条ちゃん達が危ない橋を渡っていると知って、黙っているほど先生は子供ではないのです」
何の能力もなく、何の腕力もなく、何の責任もないのに。
ただ真っ
「本当に……、」
……この人には
こんなドラマに出てくるような、映画の中でも見なくなったような『先生』なんて、上条は十数年を生きてきたそれなりに長い人生の中でもたった一人しか見当たらない。
だから、
「先生が赤の他人だったら遠慮なく巻き込んでるけど、先生には『魔術』の借りがあるんで巻き込みたくないんです」
上条も、真っ直ぐと告げた。
もう、無償で
小萌先生はちょっとだけ、黙った。
「むう。何気にかっくいー
「……、? けど先生、いきなり立ち上がったりしてどこへ……?」
「執行猶予です。先生スーパー行ってご飯のお買い物してくるです。上条ちゃんはそれまでに何をどう話すべきか、きっちりかっちり整理しておくんですよ? それと、」
「それと?」
「先生、お買い物に夢中になってると忘れるかもしれません。帰ってきたらズルしないで上条ちゃんから話してくれなくっちゃダメなんですからねー?」
そう言った小萌先生は、笑っていたと思う。
パタン、とアパートのドアが開閉する音が響き、部屋には
(……気を遣わせちまったかな)
何となく。あの何か
それでいて、後からやっぱり相談したとしても『どうして早く言わなかったんですか!? 先生キレイに忘れてました!』とかぷりぷり怒りながら
ふぅ、と上条は
「……、悪りぃな。なりふり構ってられる状況じゃねえって分かってんだけど」
「ううん。あれでいいの」インデックスは小さく首を振って、「これ以上巻き込むのは悪いし……それに、もうこれ以上あの人は魔術を使っちゃダメ」
「?」上条は
「魔道書っていうのは、危ないんだよ。そこに書かれてる異なる常識『
『違う世界』の知識を知った人間の脳は、それだけで破壊されてしまうとインデックスは言う。コンピュータのOSに対応してないプログラムを無理矢理に走らせるようなモノなんだろうか? と上条は頭の中で翻訳した。
「……私は宗教防壁で脳と心を守ってるし、人間を超えようとする魔術師は自ら
「ふ、ふぅん……、」上条は受けた衝撃を何とか表に出さないように、「何だよ、もったいねえ。あのまま先生に錬金術とかやらせようとか思ってたのに。知ってんぞ錬金術、鉛を金に換える事ができんだろ?」
情報ソースは女の子の錬金術師が主人公の
「……、
「…………………………………………………………………………………………、超意味ねえ」
上条の魂の抜けた
「……だよね。たかが鉛を金に変換したって貴族を喜ばせる事しかできないもんね」
「けど、あれ? 冷静に考えてみたら、それって何なの? どういう原理? 鉛を金に換えるって、まさか
「よくわかんないけど、たかが十四世紀の技術だよ?」
「ばっ……て事はアレか? 原子配列変換って事でオッケーなの!? 加速器使わなくても陽子崩壊起こせて
「???」
「待て、そんな不思議そうな顔すんな! えっと、えっと、あー。お前それがどれだけスゴイ事かって言うとな、アトミックなロボとか起動戦士が普通に作れちゃうぐらいなんだぞ!?」
「なにそれ?」
男のロマンは一言で
ぐったりとうな垂れる
「と、とにかく、儀式で使う聖剣や
興奮して一気にまくし立てようとした彼女は、二日酔いみたいにこめかみを押さえた。
上条
一〇万三〇〇〇冊もの魔道書。たった一冊読んだだけで発狂するようなものを、それこそ一字一句正確に頭に詰め込んでいくという作業は、一体彼女にどれだけの苦痛を与えるんだろうか?
なのに、インデックスはたった一言も苦痛を訴えない。
知りたい? と彼女は言った。自分の痛みなど無視して、まるで上条に謝るように。
静かな声は、いつでも明るいインデックスだからこそ、より一層の『決意』を思わせた。
先生のバカ、と上条は思う。
上条にしてみれば、インデックスの抱えている事情なんてどうでも良かった。どんな事情があったとしても、見捨てることなどできるはずがないのだから。とにかく『敵』を倒してインデックスの身の安全さえ守れれば、彼女の古傷をえぐる必要はない、と思っていたのに。
「私の抱えてる
インデックスと名乗る少女は、もう一度言った。
上条は、覚悟を決めるように、答えた。
「なんていうか、それじゃこっちが神父さんみてーだな」
なんていうか、本当に。───
何でだと思う? とインデックスは言った。
「十字教なんて元は一つなのに、
「そりゃあ……」
流し読みでも歴史の教科書を読んだ事がある上条なら何となく答えは分かる。だが、それを『本物』のインデックスの前で口に出すのは少し気が引けた。
「うん、それでいいんだよ」インデックスは逆に笑った。「宗教に政治を混ぜたから、だよ。分裂し、対立し、争い合って──ついには同じ神様を信じる人さえ『敵』になって。私達は同じ神様を信じながら、バラバラの道を歩く事になった」
もちろん考えは色々ある。神様の言葉でお金を稼げると思った者、それを許せないと思った者。自分が世界で一番神様に愛されていると思った者、それを許せないと思った者。
「……交流を失った私達は、それぞれが独自の進化を遂げて『個性』を手に入れたの。国の様子とか風土とか──それぞれの事情に対応して、変化していったんだよ」小さく息を
インデックスは、わずかに言葉を詰まらせた。
「イギリスは、魔術の国だから」それが、苦い思い出のように、「……イギリス清教は魔女狩りや異端狩り、宗教裁判──そういう『対魔術師』用の文化・技術が異常に発達したんだよ」
首都ロンドンには今でも魔術結社を名乗る『株式会社』がいくつもあるし、書類上だけの幽霊会社ならその一〇倍以上存在する。元々は『街に潜む悪い魔術師』から市民を守るためであったはずの試行錯誤は、いつしか極めすぎて『虐殺・処刑の文化』にまで発展してしまった。
「イギリス清教にはね、特別な部署があるんだよ」
まるで自分の罪でも告白するように、インデックスはそっと言った。
「魔術師を討つために、魔術を調べ上げて対抗策を練る。
「一〇万、三〇〇〇冊ってか」
「うん」インデックスは小さく
役立たずと思っていた右手。不良の一人も倒せないし、テストの点も上がらなければ女の子にモテる訳でもないと捨て置いていた右手の力。
だけど、少女はそこへ
「けど、魔道書なんてヤバいモン、場所が分かってんなら読まずに燃やしちまえば良いじゃねーか。魔道書を読んで学ぶヤツがいる限り、魔術師は無限に増え続けんだろ?」
「……重要なのは『本』じゃなくて『中身』だから。
そういう人間は魔術師じゃなくて魔導師って言うんだけどね、とインデックスは言う。
ネットに流れるデータみたいなモノか、と
「さらに、魔道書はあくまで
データというよりは、常に変異していくコンピュータウィルスみたいだった。
ウィルスを完全に消滅させるには、ウィルスを解析して常にワクチンを作り続けるしかない。
「……それに、さっきも言ったけど。魔道書は危険だから」インデックスは目を細めて、「
まるで大量に売れ残った核兵器みたいな扱いだった。
いや、実際まさにそうなんだろう。おそらく書いた本人だって予想外だったに違いない。
「チッ。それにしたって、魔術ってな『
「それは……平気。魔術結社の連中も、
「? 何でだよ? 連中にしたら、
「だからこそ、なの。鉄砲持ってる人がみんな友達だったら、戦争は起きないよね?」
「……、」
魔術を知ってるからと言って、みんながみんな仲間だという訳ではない。
むしろ自分達の切り札の威力を知っているからこそ、無闇に『敵の魔術師』を作りたくない。
まるで最新兵器の設計図みたいな扱いだった。
「ふぅん。大体分かってきた」上条は言葉を
世界中にある一〇万三〇〇〇冊もの
「……、うん」死にそうな、声だった。「一〇万三〇〇〇冊は、全て使えば世界の全てを例外なくねじ曲げる事ができる。私達は、それを魔神と呼んでるの」
魔界の神、という意味ではなく、
魔術を極めすぎて、神様の領域にまで足を突っ込んでしまった人間という意味の、
魔神。
……ふざけやがって。
その気持ちを逆手に取る魔術師も気に食わなければ、そんな彼女を『汚れ』と呼ぶ教会も気に食わなかった。どいつもこいつも人間をモノみたいに扱って、インデックスはそんな人間ばっかり見てきたはずなのに。それでも他人の事ばかり考えている少女が一番気に食わなかった。
「……、ごめんね」
何に対してイライラしているのか、上条は自分の事なのに全く分からない。
ただ、その一言で上条
パカン、と軽くインデックスのおでこを叩く。
「……ざっけんなよテメェ。そんな大事な話、何で今まで黙ってやがった」
犬歯を
「だって。信じてくれると思わなかったし、怖がらせたくなかったし、その……あの、」
ほとんど泣き出しそうなインデックスの言葉はどんどん小さくなっていき、最後の方はほとんど聞こえなかった。
それでも、きらわれたくなかったから、という言葉を上条は聞いてしまった。
「ふ、ざけんなよ。ざっけんなよテメェ!!」ブチリという音を確かに聞いた。「ナメた事言いやがって、人を勝手に値踏みしてんじゃねえ! 教会の秘密? 一〇万三〇〇〇冊の魔道書? 確かにスゲェな、とんでもねー話だったし聞いた今でも信じらんねえような
だけどな、と上条はそこで一拍置いて、
「たった、それだけなんだろ?」
インデックスの両目が見開かれた。
その小さな唇は何かを呟こうと必死に動くが、言葉は何も出てこない。
「見くびってんじゃねえ、たかだか一〇万三〇〇〇冊を覚えた程度で気持ち悪いとか言うと思ってんのか! 魔術師が向こうからやってきたらテメェを見捨ててさっさと逃げ出すとでも考えてたのか? ざっけんなよ。んな程度の覚悟ならハナからテメェを拾ったりしてねーんだよ!」
上条は口に出しながら、ようやく自分が何にイラついているのかを理解した。
それは、悔しい。
とてもとても、悔しい。
「……ちったぁ
たったそれだけの事。たとえ
そんなもの、あるはずがない。
インデックスはしばらく
ふぇ、と。いきなり、目元にじわりと涙が浮かんだ。
まるで氷が溶けたようだった。
それはきっと、今この瞬間の言葉に対するモノだけではないだろう。
今の今までそんな程度の言葉さえかけてもらえなかったのか、と痛ましく思うと同時に、それでもやっぱり上条はようやくインデックスの『弱さ』を見たような気がして、少し
だが、やっぱり上条は女の子の涙を見ていつまでも喜んでいられるほど変態でもない。
というか、超気まずい。
何も知らない
「あ、あーっ、あれだ。ほら、
「……、けど、ひっく。夏休みの、補習があるって言った」
「…………言ったっけ?」
「絶対言った」
一〇万三〇〇〇冊を一字一句覚える女の子は記憶力が抜群だったらしい。
「んなモンで人様の日常引っ
小萌先生が聞いたらそれはそれで
「……、」
インデックスは目に涙を
「……じゃあ、何だって早く補習に行かなきゃとか言ってたの?」
「…………………………………………………………………………………………………、あー」
上条は思い出す。そう言えば、あの時は彼女の修道服『歩く教会』を
「……予定があるから、日常があると思ったから、邪魔しちゃ悪いなって気持ちもあったのに」
「……あ、あっ。あーっ………」
「私がいると……居心地、悪かったんだ」
「……、」
「悪かったんだ」
涙目でもう一度言われたとあってはごまかし切る事は到底不可能だった。
インデックスは病人みたいに
六〇〇メートルほど離れた、雑居ビルの屋上で、ステイルは双眼鏡から目を離した。
「
ステイルはすぐ後ろまで歩いてきた女の方も振り返らずに答える。
「生きてるよ。……だが生きているとなると向こうにも魔術の使い手がいるはずだ」
女は無言だったが、新たな敵よりむしろ
女の
もっとも、ステイルは二メートルを超す長身だ。女の身長も日本人の平均からすればやはり高い。
腰まで届く長い黒髪をポニーテールにまとめ、腰には『
ただし、彼女を『日本美人』と呼ぶのは少し抵抗があるだろう。
格好は着古したジーンズに白い
こうして見ると西部劇の保安官が拳銃の代わりに日本刀を下げているようにも見える。
香水臭い神父姿のステイルと同様、まともな格好とは思えなかった。
「それで、
「それですが、少年の情報は特に集まっていません。少なくとも魔術師や異能者といった
「何だ、もしかしてアレがただの高校生とでも言うつもりかい?」ステイルは口に
いくら
「そうですね」神裂
この学園都市は超能力者量産機関という裏の顔を持つ。
「情報の……意図的な封鎖、かな。しかも禁書目録の傷は魔術で
ここで彼らは『あの少年は五行機関とは別の組織を味方につけている』と踏んだ。
他の組織が、
「……この街で動くとなれば、
それはまさに勘違いだった。
「最悪、組織的な魔術戦に発展すると仮定しましょう。ステイル、あなたのルーンは防水性において致命的な欠点を指摘された、と聞いていますが」
「その点は補強済みだ。
現実の魔術はゲームのように
一見そう見えるだけで、裏では相当な準備が必要となる。ステイルの炎は本来『一〇年間月明かりを
詰まる所、魔術戦とは先の読み合いだ。戦闘が始まった時点ですでに敵の
そういう意味でも、『敵の戦力は未知数』というのは魔術師にとって大きな痛手だった。
「……、楽しそうだよね」
と、不意にルーンの魔術師は双眼鏡も使わず、六〇〇メートル先を見て
「楽しそう、本当に本当に楽しそうだ。あの子はいつでも楽しそうに生きている」何か、重たい液体でも吐き出すように、「……僕達は、一体いつまでアレを引き裂き続ければ良いのかな」
神裂はステイルの後ろから、六〇〇メートル先を眺める。
双眼鏡や魔術を使わなくても、視力八・〇の彼女には鮮明に見える。何か激怒しながら少年の頭にかじりついている少女と、両手を振り回して暴れている少年の姿が窓に映っている。
「複雑な気持ちですか?」神裂は機械のように、「かつて、あの場所にいたあなたとしては」
「……、いつもの事だよ」
炎の魔術師は答える。まさしく、いつもの通りに。
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