第21話 迷わず走り出せ

 オオキャミーがオリバーを撃破した後、ふらつきながら駅まで歩み寄り、力尽きて倒れ込んだ。周囲の人々が驚きつつも慌てて彼女を抱き起こし、水を差し出す姿を、少し離れた場所からゆうが確認する。


「……よかった、助けてもらえてる」


 胸を撫で下ろすのも束の間。駅構内の人波に、黒い影が紛れ込んでいた。一般客のふりをして、まるで偶然を装うように近づいて来る作家狩りが何名か視界に映った。


 ゆうは目を細めると、瞬時に神経を鋭くし、周りの状況を分析する。


 背後から飛びかかってきた敵の腕を絡め取って頸椎に指を突き込み、一撃で沈める。そのまま回転するように二人目を足払いで地面に叩きつけ、三人目の鳩尾に肘を突き立てた。


 倒れ伏す作家狩りを横目に、一般人たちは悲鳴を上げるどころか、スマホを構えていた。


「えっ、これ……映画の撮影ですか?」

「スタントマンの動きにしてはリアルすぎ……」


 ゆうは髪を掻き上げ、表情を崩さぬまま答える。


「撮影というより……パフォーマンスですかね。まだ予定が詰まっているので、失礼します」


 軽く会釈し、その場を駆け抜ける。彼は、姫百合の援護になろうと彼女を探して駅舎を飛び出した、その瞬間――。


 視界の端で、車道に止まっていた乗用車が弾き飛ばされるのが映る。鉄の塊がこちらへ一直線に襲いかかってくる光景は彼にとってスローモーションそのものであった。


これくらい楽勝に避け――

「ッ!?」


 身を翻そうとしたが、背後の横断歩道には杖をついた老婆が歩いていた。逃げ場がない。


 一瞬だけ躊躇ちゅうちょしたが、ゆうは老婆を抱きかかえ、疾風のように反対側の歩道へ跳躍する。華麗に着地して老婆を降ろすと、彼女は震えながらも深く頭を下げた。


「ありがとうねぇ……」

「いえ、自分、急いでいるので――」


 立ち去ろうとしたその時、老婆の声が響いた。


「待ちなさい」

「……え?」


 視線を戻した瞬間、轟音が重なる。吹き飛んだ車が宙を舞い、道端のトラックに激突。クラクションが狂ったように鳴り響き、街の喧騒を呑み込む。


 耳鳴りのような騒音の中、背後から老婆の声が再び届いた。


 振り返ったゆうの視線の先で、老婆は眼鏡を押し上げ、透き通るような鋭い眼差しを投げかけていた。その口からこぼれた言葉は、彼の胸奥に鋭く突き刺さる。


「――アンタ、迷っているんじゃろう」

「…………」


 ゆうは思わず言葉を失った。静寂が流れる中、老婆は口角をゆるめ、シワだらけの顔に柔らかな笑みを浮かべる。


「ホッホ、知らぬ老人にこんなこと言われちゃ、警戒するのも無理はないわな」

「あの……」


 姫百合が今まさに角光と刃を交えている――その光景が脳裏をよぎり、足が前へと動き出そうとする。だが、老婆の手が鞄の中へと潜り込み、何かを探る仕草がゆうの足を止めさせた。


 数秒後、老婆は「見つけた」と言わんばかりの表情を浮かべ、ゆうの前に歩み寄る。その小さな手が彼の手を取り、しわの深い掌からひとつの物を静かに託した。


 ゆうが掌を開くと、そこには小さな御守りが収まっていた。真白な布地に金糸で文字が縫い込まれ、光を受けるたび、心臓の鼓動と呼応するようにかすかな輝きを放っている。


「……これは?」


 思わず息を呑むゆうに、老婆は揺るぎない声で告げる。


「持って行きなさい」


 その声音は駅前の喧噪をも遮断し、刃のように鋭く、同時に温かく彼の胸へ突き刺さる。


「ワシも、かつては何度も試練にぶつかっては迷い、膝を折った。……じゃがな、道に迷う時こそ、人は己を試されるんじゃ。――その御守りが、アンタを導いてくれる。だからこそ、迷わず走りなさいな」


 老婆の瞳はもはや年老いた者のそれではなかった。

 濁りなき光が真っ直ぐにゆうを射抜き、その奥底を揺さぶる。


 胸の奥で何かが震え、抗いようのない衝動が全身を駆け巡る。ゆうは言葉を返すことができず、ただ御守りを強く握りしめ――再び前へ走り出した。


 もしかしたら姫百合の足を引っ張ってしまうかもしれない。下手すれば彼女を見殺しにしてしまうかもしれないという思いを振り払い、彼はまっすぐ前を向いたのだった。

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